『不安のメカニズム』クレア・ウイークス 高木信久氏訳 ブルーバックス
p292~p294
節制と自己陶治
《われわれは、学校で、歴史、数学などを学ぶが、いかに節制し、いかに自己をねりあげたらよいかということについては、まれにしか教わらない。これらの点の教育は、通常、両親にゆだねられているが、われわれの両親の多くは、これらの徳目について、はっきりした理解をもっていないため、どう実践したらよいか、具体的な方法を教えないままに終わる。しかし、節制と自己陶治とは、われわれに自己防衛メカニズムのもっとも重要な部分を形成するものである。成熟した人は、万事にわたって節制し、感情の支配から自分を守ることができる。彼は塾慮したうえで行動する。たしかに、感情に左右されずに行動することは容易ではない。公正な判断を下そうとするならば、われわれはだれしも、好悪の感情を払いのけなくてはならないが、感情が作り出す障壁を突き破ることはやさしいことではない。われわれはしばしば、不快感に見舞われることをおそれるし、まともにそれにかかずらったら、ますますひどくなるものと考えている。そのため、不快感が生じると、それがしっかり根をおろしてしまう前に何とか消してしまおうと努力するのである。
気に入らぬものがあれば、すぐ取り換えてくれる両親を持ち、甘やかされて育った人は、快、不快ということに大きく左右され、愉快でないことは何でも避けたがるものである。彼は、不愉快な目に合わされると、それから即刻解放されることを求め、感情の波が鎮まるのを待ってから行動する、というようなことをめったにしないものである。
われわれの教育には、不愉快なことを忍ぶ訓練、最初の一撃に耐え、より静かに考えられるまで待つ鍛錬が含まれていなくてはならない。そのような教育を受けておれば、一見したところ耐え難く見える多くの状況にも、十分対処し得る人になり、多くの神経症が回避されるのである。多くの場合、神経症は、すでに繰り返し述べたように、長時間、恐怖の混じった不快感にとりつかれた結果生じる、感情的、精神的疲労にほかならないのである。次の格言はこのことを如実に示している。曰く「トラブルは、われわれが通りぬけるべきトンネルであって、頭をうちつける壁にしてはならない」
ある程度の苦しみは、われわれにとって、有用である。特に若い年代においてそうである。われわれは過度に庇護されてはならないのである。あなたが現在の苦しみの中で得られる経験は、明日のあなたを形成する貴重な材料となるものである》
★耳が痛い。しかし、現代日本社会において神経症は多い。苦しみは、時として深刻であるが、われわれが、弱すぎるのか?
p292~p294
節制と自己陶治
《われわれは、学校で、歴史、数学などを学ぶが、いかに節制し、いかに自己をねりあげたらよいかということについては、まれにしか教わらない。これらの点の教育は、通常、両親にゆだねられているが、われわれの両親の多くは、これらの徳目について、はっきりした理解をもっていないため、どう実践したらよいか、具体的な方法を教えないままに終わる。しかし、節制と自己陶治とは、われわれに自己防衛メカニズムのもっとも重要な部分を形成するものである。成熟した人は、万事にわたって節制し、感情の支配から自分を守ることができる。彼は塾慮したうえで行動する。たしかに、感情に左右されずに行動することは容易ではない。公正な判断を下そうとするならば、われわれはだれしも、好悪の感情を払いのけなくてはならないが、感情が作り出す障壁を突き破ることはやさしいことではない。われわれはしばしば、不快感に見舞われることをおそれるし、まともにそれにかかずらったら、ますますひどくなるものと考えている。そのため、不快感が生じると、それがしっかり根をおろしてしまう前に何とか消してしまおうと努力するのである。
気に入らぬものがあれば、すぐ取り換えてくれる両親を持ち、甘やかされて育った人は、快、不快ということに大きく左右され、愉快でないことは何でも避けたがるものである。彼は、不愉快な目に合わされると、それから即刻解放されることを求め、感情の波が鎮まるのを待ってから行動する、というようなことをめったにしないものである。
われわれの教育には、不愉快なことを忍ぶ訓練、最初の一撃に耐え、より静かに考えられるまで待つ鍛錬が含まれていなくてはならない。そのような教育を受けておれば、一見したところ耐え難く見える多くの状況にも、十分対処し得る人になり、多くの神経症が回避されるのである。多くの場合、神経症は、すでに繰り返し述べたように、長時間、恐怖の混じった不快感にとりつかれた結果生じる、感情的、精神的疲労にほかならないのである。次の格言はこのことを如実に示している。曰く「トラブルは、われわれが通りぬけるべきトンネルであって、頭をうちつける壁にしてはならない」
ある程度の苦しみは、われわれにとって、有用である。特に若い年代においてそうである。われわれは過度に庇護されてはならないのである。あなたが現在の苦しみの中で得られる経験は、明日のあなたを形成する貴重な材料となるものである》
★耳が痛い。しかし、現代日本社会において神経症は多い。苦しみは、時として深刻であるが、われわれが、弱すぎるのか?