ドイツ現代史研究の取り返しのつかない過ち――パレスチナ問題軽視の背景 京都大学人文科学研究所准教授・藤原辰史
京都大学で13日におこなわれた公開セミナー「人文学の死――ガザのジェノサイドと近代500年のヨーロッパの植民地主義」【既報】より、藤原辰史・京都大学人文科学研究所准教授の基調講演「ドイツ現代史研究の取り返しのつかない過ち――パレスチナ問題軽視の背景」の要旨を紹介する。
今日の問題提起は、ドイツ現代史研究者の一員である自分にも矛先を向けたものでもある。
ドイツ現代史研究者は、パレスチナ難民やイスラエルの暴力をまったく無視しているかといえばそうではない。批判も多々してきているが、当事者意識が欠落している。たとえば、パレスチナ問題を「生成」した問題として扱い、きわめて「他人事」として起きている「かわいそうなこと」という倫理的問題として捉えがちである。その「上から目線」がパレスチナ問題を見る目を曇らせているように思う。
そして、パレスチナとともに中東欧や南欧へも関心が低すぎる。ドイツ研究者でポーランド語やチェコ語、ロシア語を研究している人は限られ、英語や日本語でパレスチナや中東欧を研究する本はたくさんあるが、そこに心が向かない。関心の向き方の偏向がある。そのため最も研究の成果が試されるはずの、目前で進行するナチズム的惨劇に対して頭がフリーズしている。
「アウシュヴィッツ」という言葉は、ナチスのシンボルのように語られ、現代社会における最悪の歴史的事実として認識されている。たしかに最悪であり、どんなことがあろうとも二度と繰り返してはならない大惨事だが、それを中心に歴史観が構築され、あまりにも上位に置かれているため、ナチズム研究者自身が実はホロコーストやナチズムと十分に向き合い切れていないのではないか、というのが私が今日問いたいことだ。
それはとりわけ「いないこと」「なかったこと」にされるものに対して関心がとても弱いことに表れている。ナチスが迫害したのはユダヤ人だけでなく、ロマ(かつてジプシーという蔑称で呼ばれた)もいる。そのような研究がもっとたくさんあっていいはずなのに、基本的に「ナチスの虐殺」といえばユダヤ人に対するものに収斂(れん)される。
そして歴史学そのものが、人間の足跡と尊厳を簡単に消すことができる暴力装置であることへの自覚の希薄さがある。その政治的緊張感のなさは、ドイツ現代史に限った話ではない。
反植民地闘争は当然激しくなる。だが植民地主義は、その比較にならぬほど苛烈で醜く、長期におよび残虐である。だが人は前者の苛烈さばかりに目を奪われ、この長期の暴力について無関心になりやすい。私自身も歴史研究者としての反省を迫られている。
今日は多くの研究者の方からの教示を受け、私自身勉強し直したもののなかから、ドイツ、そしてナチズムを研究することとパレスチナ問題との関係について述べる。
ドイツとイスラエル 「賠償」で繋がる関係
1948年のイスラエル建国宣言から1年半後、西ドイツ(ドイツ連邦共和国)が建国された。以下、イスラエルと西ドイツの関係については、武井彩佳さんと板橋拓己さんのご研究によりながら、説明をしたい。
西ドイツはナチスの過去を引きずり、それを背負って「西側」として国際社会への復帰を急ぐことを使命とした。一方、その1ヶ月後に建国した東ドイツは、ナチスと戦ってきた反ファシズムを国是とするためナチズムの罪とは向き合わない。西ドイツは東ドイツとの関係性のなかで、常に「ナチズムの暴力と向き合わなければ西側へ復帰できない」という課題を突きつけてきた。
イスラエルは「ユダヤ民族を代表することができる唯一の国家」を名乗り、1951年、連合国への親書という形で西ドイツに対してホロコーストの「賠償」を突きつける。
西ドイツからの賠償は「血のついた金」であるとして、受領拒否を求めるイスラエル右派の反対運動もあったが、翌年、イスラエルの首相ベン=グリオンはイスラエル議会で、西ドイツ政府からの交渉を受託したと発表する。1952年には、イスラエルと西ドイツの間で「ルクセンブルク補償協定」が調印され、西ドイツはイスラエルに人道的な補償として30億マルクを物資として支払うことになる。
それは、西側社会への復帰を急ぐ西ドイツが「人道的な国家」へ生まれ変わったことを世界に示すとともに、イスラエルにドイツの工業製品を届けることによって戦争で荒廃したドイツ経済復興も可能にした。その物資の中には、「デュアルユース(軍民両用)」という形で利用される軍事物資が入っていた。
それだけでなく、西ドイツ首相アデナウアーは、1957年から、国交不在のなかでイスラエルの軍事支援を極秘で進めた。機関銃から高射砲、対戦車砲、戦車、潜水艦を含んでいたともいわれる。これはドイツ憲法に違反するが、明るみに出るまで長く続けられた。
「イスラエルは西ドイツとの接近と和解によって中東紛争を生き延びることができた」といわれる。つまり、西ドイツから送られた軍事物資によってイスラエルはパレスチナの人々の家を奪って占領し、人々の命を奪った。イスラエルの軍事化に貢献することは、西ドイツ側にとっても軍需産業を再興させ、経済を復興させるという目的にかなうものだった。日本の「朝鮮特需」とも重なるものがある。
戦後、西ドイツが「非ナチ化」(ナチ時代の高官を追放すること)を成し遂げたというのは嘘であり、ナチに関連した人間が政府内に存在し続け、とりわけ農業や農学部関係の人にはナチス時代にものすごいことを計画した研究者が大学にも残っていた。実は京都大学も同じで、満州事変にかかわった農業の経済学者たちは大学に残り教鞭を執っていた。
その点からも、ドイツの「非ナチ化」はまったく達成されていないにもかかわらず、イスラエルはそれには目をつぶり、ホロコースト犠牲者の反対を抑圧して、このような協定を結んだ。
アラブ諸国は、ドイツのイスラエルへの補償(軍事支援)によってパレスチナ難民問題が生まれているのだから、ドイツはパレスチナ問題にも向き合い補償すべきだと主張したが、ドイツはパレスチナ難民問題とイスラエルへの補償問題を切り離した。パレスチナ問題に向き合うことは、ホロコーストとパレスチナ問題の関連性、さらには後者への間接的責任を認めるに等しい。それを避けるために、あえて両問題を切り離してイスラエルへの補償と軍事支援を続けた。
そして1965年、ようやく西ドイツとイスラエルは国交樹立する。このように戦後賠償に経済が関わっている点は、日本が戦後、東アジア・東南アジアにおこなった「戦後賠償の一環としてのODA(政府開発援助)」とも類似点がある。
「比較検討」のタブー化 2度の歴史家論争
1982年、西ドイツではキリスト教民主同盟(CDU)のヘルムート・コールが首相に就任する。
それまでの社会民主党系の首相たちは、どちらかといえば歴史に向き合い、ドイツの過去を反省しようという姿勢だったが、コールは「ドイツには歴史的にもっと誇るべきものがあったのではないか」という人々やその気持ちを代弁しながら首相になる。レーガン米政権とともに共産主義包囲網をつくりながら、社会民主党の「歴史認識」への反動を担っていく。それにともない保守系歴史家が台頭した。
エルンスト・ノルテ(ドイツ歴史学者)は、ホロコーストの暴力を強く批判する学者だが、その前例としてソ連収容所の存在を強調し、それとの比較検討でホロコーストも考えるべきであるという論文を1986年6月6日に出した。
これに対して、ドイツで最も影響力のある哲学者の一人であるユルゲン・ハーバーマスは、「それはアウシュヴィッツの絶対悪を歴史の文脈のなかに位置づけて相対化してしまうことであり、“ドイツはもっとよい国だった”とする歴史修正主義的な考え方に近づいてしまうことになる」という主旨の批判論文を出した。
これは日本でも翻訳され、私が大学に入学した1995年当時、この歴史家論争があらゆる場所で語られていたと記憶している。当時の日本は歴史教科書の書き換えや南京大虐殺を矮小化する見方が出ていた時期と重なっていたこともあり、私たちは「これは大事なことだ。歴史を簡単に相対化して小さくしてしまうことはよくない」とハーバーマスの主張に共感した。
人文学の役割は、起きた事象の数字を比べてその優劣を判断することではない。そうではなく、世界各地で起きている事象をくり返し検証しながら、別の場所で類する問題が起きれば、たえず往復して考えていく役割があったにもかかわらず、ドイツ現代史の場合は「ナチスの悪」を絶対化していくことになった。
1999年、ドイツ軍がNATO軍とともにコソボ紛争に介入し、ユーゴスラビアのセルビアを空爆する。このときハーバーマスは自著論文「獣性と人道性」で、この空爆を擁護した。あのハーバーマスがなぜ空爆で民間人を殺すことを支持するのか? ということをめぐって、私も大学で議論したことを覚えている。
2008年3月、メルケル首相は「ナチスの残虐行為を相対化しようとする試みには、敢然と立ち向かう。反ユダヤ主義、人種差別、外国人排斥主義がドイツと欧州にはびこることを二度と許さない」「ドイツ首相である私にとって、イスラエルの安全を守ること、これは絶対に揺るがすことはできない」とのべ、歴史的責任をドイツの「国是」であるとした。
恥ずかしながら私は最近まで知らなかったのだが、2021年、「第二の歴史家論争」が始まる。これについては関西学院大学の橋本伸也さんにご教示いただいた。この年の5月、ホロコースト研究者A・ディーク・モーゼス(ニューヨーク州立大教授)が「ドイツ人のカテキズム」という論文で、あまりにも硬直したドイツの歴史観を批判し、ヨーロッパの植民地主義の問題を見たうえで、もう一度ナチズム研究を検証すべきではないかという主旨の提起をした。
同年、ドイツは、第一次世界大戦前に植民地支配していた南西アフリカ(現ナミビア)での虐殺を「ジェノサイド」と認め、ナミビアに11億ユーロ(約1470億円)を支払うと発表。そのような第一次世界大戦以前の植民地政策でおこなった行為について、ドイツは遅ればせながら自国の残虐行為を認めている。
「記憶文化」を踏み絵に “優等生”の国是
「過去の克服の優等生」といわれるドイツが、最近、最も大きく動いたと感じた瞬間は、2022年2月27日だ。ロシアのウクライナ侵攻を受け、ショルツ首相が連邦議会で、国防費を国内総生産(GDP)の2%超に引き上げると表明した。このとき議会の雰囲気は異様にテンションが高く、「貧相だった国防軍の武器をようやく更新できる」――そんな報道が主要なニュース番組で流れていた。
そしてガザ侵攻が始まる直前の昨年9月28日、ロシアのウクライナ侵攻を受けて防空体制の強化を急いでいたドイツとイスラエルの国防相は、イスラエル製の弾道ミサイル迎撃システム「アロー3」をドイツが購入することで正式合意した。独メディアによれば、調達額は約40億ユーロ(約6300億円)で、イスラエル史上最大の武器取引となった。
このようにドイツとイスラエルの関係は、非常に軍国的なものだ。メルケル首相は一応ヨルダン川西岸と東エルサレムへのイスラエルの入植地建設については批判していたが、ガザ侵攻が始まった直後の昨年10月12日、ショルツ首相は「我々はイスラエルの側に立つ。イスラエルの安全を守ることはドイツの国是だ」と、メルケルが言った「国是」をさらに強化する発言をしている。
このような経緯を踏まえ、人文学者はどう考えるべきだろうか。私は、歴史家の「記憶文化」は偏っていたと思わざるを得ない。
私はドイツの都市ハイデルベルグで数ヶ月間教えたことがある。ここには国立の「シンティ・ロマ博物館」(ナチスの強制収容所に入れられたロマ人に関する博物館)がある。私が訪問したとき、隣のハイデルベルグ城は観光客でごった返していたが、博物館にいたのは私一人だけだった。館長は日本から訪問した私を歓待してくれ、館内すべてを案内してくれた。彼はここで日本の被差別部落問題とロマの問題を一緒に考えるシンポジウムがくり返しなされていたことも教えてくれた。
このとき館長は、「私たちにはユダヤ人のような国がないため、国際的発言力が弱いんです」と言われていた。国立の博物館はあっても、日本人も含めて関心は低いのだ。
「ドイツは過去を克服した優等生である」とよく言われるのは、日本の政治家の歴史の捉え方があまりにも酷すぎてドイツが輝いて見えるということもあるだろうが、私たち歴史家も含むいろんなことを知っていたはずの人間が「無関心」ではなく「低関心」(「すでに知っている」という態度)であったことにその要因があったのではないかと反省している。
今回起きたイスラエルのジェノサイドのなかで、ノルベルト・フライという歴史家が「左右からの挟み撃ち」(今年1月24日)という論文を書いた。フライは私も学生時代によく学び、非常に優れたドイツ史家であるが、彼はこの期に及んでイスラエルの民族浄化やパレスチナの惨状の歴史については一切触れることなく、「ドイツの『記憶文化』が攻撃に晒されている」と警鐘を鳴らし、ドイツ右派政党「ドイツのための選択肢(AfD)」の歴史修正主義を右側からの攻撃、先述したモーゼスの提起を左側からの攻撃とし、これに対して「ドイツはこれまでの『記憶文化』を擁護すべきだ」と主張している。
彼は「ドイツに移民や難民がやってくることは多いが、ドイツはそれを受け入れて多民族・多文化社会を築いていくべきだ。だが、それには条件がある。それはドイツの『記憶文化』を守ることだ。それを守っていさえすれば私たちは受け入れる」という主旨のハーバーマスの「入場制限論」を引用している。このように上から目線で、ドイツの「記憶文化」を現代の「踏み絵」にすることをいまだに続けていることが、ドイツ現代史研究の取り返しのつかない過ちだと思う。
また、ドイツがナチズム時代に起こした「悪」とは、もちろんドイツ国内もだが、ポーランド、チェコスロバキア、ハンガリー、ベラルーシ、ウクライナなどの中東欧やソ連で起こしたことは圧倒的に凄まじい。なおかつ、それはスターリンからのさまざまな暴力と常に重ね塗りのようにしてもたらされたにもかかわらず、ドイツ現代史研究者は「ドイツの東欧への侵略は過ちだった」と狭い範囲の「歴史記憶」では正しいことをいっても、別の視点からその場にあった中東欧の歴史を見切れていない。
それはパレスチナへの軽視もつながっている。「ドイツがイスラエルを支持するのにロビーは必要ない。ドイツの政治家は圧力がなくても自発的に『親イスラエルだ』というからだ」(アンドレアス・フィッシャー)とも指摘されている。
「唯一無二」という論理 植民地主義は不問
そもそもイスラエルは、ナチスによるホロコーストがおこなわれた時代に国家として存在していなかった。その後に生まれたイスラエルが、ユダヤ人虐殺の賠償をドイツに求めることは、国際法上、通常は認められない。
それを例外的に認める「論理」が、ユダヤ人虐殺の世界史における「唯一無二性」だといわれている。
ハーバーマスやそれを支持する歴史家たちは、「アウシュヴィッツは一度もこの世界で起きたことのない唯一無二の悪だ」と主張する。たしかに「唯一無二」だが、唯一無二といえる暴力は世界中にあった。それを意図的に軽視しながら、「アウシュヴィッツは唯一無二だ」ということはこの議論に巻き込まれてしまうことになる。
先述した「第二の歴史家論争」で、「ドイツのカテキズム」を提起したモーゼスの論文は、やや乱暴ながらもナチズムの悪を相対化することなく、それを比較する道筋を示している。モーゼスが指摘したカテキズム(思考の硬直化)は、これらがあまりにもドイツに強すぎたことが、今のパレスチナ問題への軽視をもたらしているのではないかと読めるものだ。そのカテキズムとは次の5つの信念からなる。
(1)ホロコーストが唯一無二であるのは、それが「ユダヤ人絶滅のためにユダヤ人たちを無制限に殺戮すること」を目標としたからであり、それは、そのほかのジェノサイドが、プラグマティックで限られた目標のために遂行されたのとは異なる。ホロコーストは、歴史上初めて、ひとつの国家が、ひとつの民族をただイデオロギー的理由から抹殺しようとしたのである。
(2)ホロコーストは、人間相互の連帯を破壊したので、文明の破断としてのホロコーストを追憶することは、ドイツ国のみならず、高い頻度においてヨーロッパ文明の道徳的基盤さえ形成する。
(3)ドイツは、ドイツのユダヤ人に特別な責任を負っており、イスラエルには特別な忠誠が義務づけられている。
(4)反ユダヤ主義とは、他とは類型を異にした偏見とイデオロギーであり、特別にドイツ的な現象であった。それは人種主義と混同されてはならない。
(5)反シオニズムは反ユダヤ主義である。
私が国内外のドイツ研究者たちと関わった経験のなかでも、シオニズムという言葉は何度か聞かれても、パレスチナという言葉を聞いたことはほとんどない。このようなカテキズムがあまりにドイツで強いことと、「人文学の死」は近い問題なのかもしれない。
さらに、このような見方は、パレスチナにおける入植植民地主義に加えて、ヨーロッパ全体の詐欺的といえるようなさまざまな暴力を軽視してしまうことにもつながる。
私たちは歴史学で「奴隷は解放された」「奴隷制はなくなった」と教えられた。だが、コロナ禍であきらかになったのは、低賃金労働者や5000万人といわれる現代奴隷――賃金を与えられず、身体拘束を受け、性奴隷あるいは農業奴隷にされる人々――が東欧から供給されていた現実だ。これは私見ではなく、国連組織ILO(国際労働機関)と関連NGOが報告していることだ。奴隷制は終わってなどいないのである。
この現代奴隷市場は、難民キャンプができればできるほど活況を呈する。たくさんの性奴隷の女性たちが勧誘され、西欧に輸入され、西欧や東南アジアなどから日本にも連れてこられている。このように長く続く触れたくないことを見て見ぬふりをしながら、ドイツの文明的な記憶文化を大事にするということに、私はものすごい落差を感じる。
シオニズムは、西欧植民地主義が結晶化したものだ。かつて日本が中国東北部につくった満州国では、日本から「未開の地を切り拓く」というプロパガンダで農民たちが渡っていったが、そこにはすでにきれいな田んぼがあったといわれている。なぜか? それは朝鮮の移民たち、場合によっては日本の植民地主義のなかで追われた人々がその地を切り拓いていたからだ。その地を二束三文で買い叩き、武力で奪い、そこへ日本の貧農を入植させた。そのとき、その地の中国人、朝鮮人を「土匪」「共匪」と呼び、これらの暴力が怖いからと言って銃を持って入植を進めていった。これはパレスチナでユダヤ人がやっていることと重なる。
チャーチルは「ユダヤ人の民族的郷土創出を意図すれば、アラブの住民や文化、言語の消滅ないしは従属化がもたらされる」とのべた。
「原住民」を人種的に見下すということを、私たちは反省的に見ていかなければならない。
地球規模の身分制社会のなかで 歴史学の役割とは
これらを踏まえると、ナチス研究者はナチスと十分に向き合えていなかったのではないかという反省に行き当たる。
たとえばアウシュヴィッツ強制収容所は、第1、第2収容所だけではない。その近くには、IGファルベン(合成ゴム工場)やクレップ、ジーメンスの工場群があった第3収容所(モノヴィッツ)があった。そこで収容した人々を労働させていたわけだが、現存するこのような企業の歴史への向き合い方が足りない。
反省を込めていえば、ナチス研究は、1980年頃から経済の視点が抜け始める。マルクス主義経済学の研究者が減ったことも背景にあるが、経済史のなかにナチズムを位置づけられないことは大きな問題だ。奴隷制問題、イスラエルがパレスチナの人々を極端な低賃金労働者としてしか見ていないこと、西ドイツとイスラエルの関係にも経済問題がある。
ウクライナの戦争でたくさんの若い人が亡くなっているのに終わらない状況に心を痛めている人がいらっしゃると思うが、あのとき一体どこの株価が上がったのかを私はチェックした。潜水艦やボーイングなどの戦闘機の企業の株価が爆上がりしたことは想像通りだが、穀物メジャーの株価も高騰した。カーギルなど欧米の大手5社だけで世界の穀物の7割以上を独占し、これらの企業は穀物を倉庫におさめ、世界を巻き込むような大事件が起きて穀物価格が上がるタイミングを見計らって売りに出して莫大な利益を上げる。
儲けるために戦争を起こしているのではなく、おそらくある何かを「解除」すれば、戦争が起きやすくなるというルールのようなものがあり、その「解除」の情報さえあれば穀物メジャーは儲けることができる。私は陰謀説を唱えたいわけではないが、ある場所で紛争が起きれば、きちんと儲かるというシステムの中を私たちが生きているということは覚えておいてよいのではないか。
ナチスによって建設された収容所は、アウシュヴィッツだけでなく、それが中心でさえない。たとえばクロアチアのヤセノヴァツ強制収容所には私も行ったが、ここではユダヤ人よりもセルビア人がたくさん殺されている。
さらにナチスが大量殺戮した人間集団はユダヤ人だけでなく、400万人のスラヴ人の餓死もあった。それをもたらした作戦計画については、最近になって研究が動き始めている。日本ではまだ誰もおこなっていない。
そもそも収容所には、南アフリカにイギリスが作った強制収容所やソ連の収容所列島などさまざまなものがある。収容所は常に人体実験の対象であり、栄養学者は「被収容者をぎりぎり生かすための実験」をしていた。それは殺すということに加えて、労働者としていかに効率よく食事を与えて働かせ、病気になれば殺すという、労働を通じた虐殺がおこなわれていた。第一次世界大戦前、すでにドイツ=西洋文明の象徴であるローベルト・コッホ(細菌学者)が、アフリカで人体実験に加わっていたということも明らかになっている。
さらにいえば、EUが現代奴隷制資本主義の罪、現代の「地球規模の身分制社会」ともいうべきものと向き合えていない。かなりの部分がもう動くことができず、この地域で労働し、死んでいくという人々。一方に、富を独占してタックスヘイブン(租税回避)をしている大金持ちがいるという越えられない壁が世界全体を覆っているなかで、欧州やアメリカの人々はある意味の身分制的状況にある。
ガザでは、電気が止まるので下水が処理できず、海洋汚染をもたらし、地下水も汚染される。またイスラエルは、除草剤をパレスチナの農地にまくことまでやっている。私たちはここでベトナム戦争や水俣病事件などを想起できるはずなのに、それをしていないということを考えなければいけない。
イスラエル人の政治経済学者サラ・ロイは『ホロコーストからガザへ』という本のなかで「イスラエルはホロコーストと向き合ってこなかった」と言ったが、以上述べたように、実はドイツもホロコーストと向かい切れていないのではないか。もし真剣に向き合えていれば、ドイツ現代史研究者や哲学者はコソボの空爆を支持したりしなかっただろうし、長年のイスラエルの民族浄化を自分たちの研究の言語から批判できたであろう。
以上のことは、ナチスの罪を相対化するものではなく、実はナチスの罪がどれだけ深いかをもっと知るということだ。さまざまなナチス的な、あるいはそれにつながるような世界的な現象を無視したことによって、ナチスの罪を相対化しているのは、むしろドイツの「記憶文化」を今でも死守しようとしている人たちなのではないだろうか。
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藤原辰史(ふじはら・たつし) 京都大学人文科学研究所准教授。1976年生まれ。島根県出身。京都大学総合人間学部卒。京都大学人文科学研究所助手、東京大学農学生命科学研究科講師を経て現職。専門は農業史、環境史、食の思想史、ドイツ現代史。著書に『ナチス・ドイツの有機農業』(柏書房)、『ナチスのキッチン』(水声社)、『トラクターの世界史』(中公新書)、『戦争と農業』(インターナショナル新書)、『分解の哲学』(青土社)、『縁食論』(ミシマ社)、共著に『中学生から知りたい ウクライナのこと』(ミシマ社)など多数。