つらつら考えるに、作家と翻訳者の仕事のちがいは何だろうかと?
まず、書くという行為は何だろう?書くという行為は刃の上を素足で歩くようなきわどいところがあるような気がする。作家は足を賭けている。
知り合いに創作をしていた女性(現在80歳以上)は、テーマが「肉欲」だった。
はじめて書いた小説を、地方の伝統ある同人誌に投稿した。実話にモチーフのヒントを得た、母子相姦の小説((フィクションす)だった。
それは、新潮社の編集者の目にとまり、その編集者は列車に飛び乗って、彼女の居住地にすっとんでいき、週刊新潮への連載を依頼にきたそうだ。
さらに、なにか用があって、彼女が新潮社に行っているときに、彼女が来ている
ことを察知したある出版社が単行本にだしてくれと交渉にきたそうだ。
彼女の父親は、画家なので、彼女は芸術家をはるのに慣れている。おっとり、ほんわか構えて、肩にすこしも力がはいっていない。
本の刊行を申し出られても、えっ、どうしょうかなと、ぼーとしていたそうだが、わきにいた人が、「そういうお話は即、ありがたく受けるものだ」と叫んだので、はっとして、そういうものかと重いOKをだしたそうだ。
さて、それからが大変だった。週刊誌に連載され、しかも本を出したことによっ
て、同人誌の仲間の女性からねたまれた。
小説が、あまりにもリアルであったため、「あの女は、実際に息子とそういう仲
なのだ」という中傷を流され、苦悶のあまり、オホーツク海までとんでいって、
流氷にとびのって、死んでやれと思ったそうだ。が、思い直して帰ってきたそうだ。
(さすが、作家、ダイナミックで豊かな空想力だ)
かたや、翻訳者というものは、地味で困難な仕事だが、作品を母国、海外を相手に紹介し、広めていく重要な仕事だ。が、基本的に作家が世の荒波を受けて立っていてくれているような気がする。
だから、いくら名作をだいなしにした、とか、誤訳が多すぎるとか批判されて苦
悶しても、せいぜいで津軽海峡ぐらいまで、とんでいき、死んでやれと思えば
すむのではないだろうか思っているが、甘いだろうか?甘いですね。
やはり、オホーツク海まで走るべし。
★かの創作者は、単行本になった本を一度も読んだことがないと言う。
私は、読ませていただいた。はじめて書いた小説の師匠は詩人だったとか。言葉がとても美しかった。ストーリーに説得力があり、私はアルフォンス・ドーデの『アルルの女』を想起した。つまり、ストーリーは激しいが、オホーツク海よりも深い、息子を心配する母親の心が描かれていた。
私は言った。「とても美しい作品だと思いますが」
「あああ、そう思う?いやらしくない?」
「いいえ、ちっとも。でもストーリーがはげしいですね。母親は息子の子どもをはらむのですね?」
「えっ!わたし、そんなこと書いたっけ?やっぱり読むのはやめておこう」
これですからね。足を賭けている人の特権です。自由自在に書けるのは。
翻訳者のほうは、作家の一字一句もおろそかにせず、真剣に訳そうとしているのです。なんか、ばからしくなること、あります。
まず、書くという行為は何だろう?書くという行為は刃の上を素足で歩くようなきわどいところがあるような気がする。作家は足を賭けている。
知り合いに創作をしていた女性(現在80歳以上)は、テーマが「肉欲」だった。
はじめて書いた小説を、地方の伝統ある同人誌に投稿した。実話にモチーフのヒントを得た、母子相姦の小説((フィクションす)だった。
それは、新潮社の編集者の目にとまり、その編集者は列車に飛び乗って、彼女の居住地にすっとんでいき、週刊新潮への連載を依頼にきたそうだ。
さらに、なにか用があって、彼女が新潮社に行っているときに、彼女が来ている
ことを察知したある出版社が単行本にだしてくれと交渉にきたそうだ。
彼女の父親は、画家なので、彼女は芸術家をはるのに慣れている。おっとり、ほんわか構えて、肩にすこしも力がはいっていない。
本の刊行を申し出られても、えっ、どうしょうかなと、ぼーとしていたそうだが、わきにいた人が、「そういうお話は即、ありがたく受けるものだ」と叫んだので、はっとして、そういうものかと重いOKをだしたそうだ。
さて、それからが大変だった。週刊誌に連載され、しかも本を出したことによっ
て、同人誌の仲間の女性からねたまれた。
小説が、あまりにもリアルであったため、「あの女は、実際に息子とそういう仲
なのだ」という中傷を流され、苦悶のあまり、オホーツク海までとんでいって、
流氷にとびのって、死んでやれと思ったそうだ。が、思い直して帰ってきたそうだ。
(さすが、作家、ダイナミックで豊かな空想力だ)
かたや、翻訳者というものは、地味で困難な仕事だが、作品を母国、海外を相手に紹介し、広めていく重要な仕事だ。が、基本的に作家が世の荒波を受けて立っていてくれているような気がする。
だから、いくら名作をだいなしにした、とか、誤訳が多すぎるとか批判されて苦
悶しても、せいぜいで津軽海峡ぐらいまで、とんでいき、死んでやれと思えば
すむのではないだろうか思っているが、甘いだろうか?甘いですね。
やはり、オホーツク海まで走るべし。
★かの創作者は、単行本になった本を一度も読んだことがないと言う。
私は、読ませていただいた。はじめて書いた小説の師匠は詩人だったとか。言葉がとても美しかった。ストーリーに説得力があり、私はアルフォンス・ドーデの『アルルの女』を想起した。つまり、ストーリーは激しいが、オホーツク海よりも深い、息子を心配する母親の心が描かれていた。
私は言った。「とても美しい作品だと思いますが」
「あああ、そう思う?いやらしくない?」
「いいえ、ちっとも。でもストーリーがはげしいですね。母親は息子の子どもをはらむのですね?」
「えっ!わたし、そんなこと書いたっけ?やっぱり読むのはやめておこう」
これですからね。足を賭けている人の特権です。自由自在に書けるのは。
翻訳者のほうは、作家の一字一句もおろそかにせず、真剣に訳そうとしているのです。なんか、ばからしくなること、あります。