ヴェルレーヌ 「秋の唄」
Chanson D'automne - Leo Ferré
Paroles Chanson D'automne 秋の唄(一気訳) 歌詞
Les sanglots longs 長いすすり泣き
Des violons 秋の ヴァイオリンの
De l'automne
Blessent mon coeur 私の心は痛む
D'une langueur monotone. 単調な物憂さに
Tout suffocant まったく息苦しく
Et blême, quand 青白く、
Sonne l'heure, 時の鐘が鳴る時
Je me souviens わたしは思い出す
Des jours anciens 昔の日々を
Et je pleure; わたしは涙を流す
Et je m'en vais そしてわたしは消え去る
Au vent mauvais 吹き向かってくる風で
Qui m'emporte 運び去られる
Deci, delà, あちらに こちらに
Pareil à la 落ち葉のように
Feuille morte.
Les sanglots longs 長いすすり泣き
Des violons ヴァイオリンの
De l'automne 秋の
Blessent mon coeur わたしの心は痛む
D'une langueur monotone. 単調な物憂さに
下はヴェルレーヌ 「落ち葉」。上田敏訳です。同じ原詩の訳ですが、タイトルまで工夫したりして、私の一気訳と何と違うことかとびっくり仰天しています。
[ポール・マリー・ヴェルレーヌ(Paul Marie Verlaine)(1844年3月30日 - 1896年1月8日)は、フランスの詩人。ポール・ヴェルレーヌ、あるいは単にヴェルレーヌとも呼ばれる。ステファヌ・マラルメ、アルチュール・ランボーらとともに、象徴派といわれる。多彩に韻を踏んだ約540篇の詩の中に、絶唱とされる作品を含みながら、その人生は破滅的であった。
日本語訳では上田敏による「秋の日のヰ゛オロンのためいきの……」(落葉=秋の歌)、堀口大學による「秋風のヴィオロンの附節ながき啜泣……」(秋の歌)、「巷に雨の降るごとく……」などの訳詩で知られる。] ウィキペディア
↓ こちらに他のたくさんの挑戦訳が載っていたので引用させていただきます。http://marieantoinette.himegimi.jp/book-automne.htm
秋の歌
ポ-ル・ヴェルレーヌ(堀口大學訳)
秋風の
ヴィオロンの
節(ふし)ながき啜泣(すすりなき)
もの憂き哀しみに
わが魂を
痛ましむ。
時の鐘
鳴りも出づれば
せつなくも胸せまり
思ひぞ出づる
来(こ)し方に
涙は湧く。
落葉ならね
身をば遣(や)る
われも、
かなたこなた
吹きまくれ
逆風(さかかぜ)よ。
秋の唄
ポ-ル・ヴェルレーヌ(金子光晴訳)
秋のヴィオロンが
いつまでも
すすりあげてる
身のおきどころのない
さびしい僕には、
ひしひしこたえるよ。
鐘が鳴っている
息も止まる程はっとして、
顔蒼ざめて、
僕は、おもいだす
むかしの日のこと。
すると止途(とめど)もない涙だ。
つらい風が
僕をさらって、
落葉を追っかけるように、
あっちへ、
こっちへ、
翻弄するがままなのだ。
秋の歌
ポ-ル・ヴェルレーヌ(窪田般彌訳)
秋風の
ヴァイオリンの
ながいすすり泣き
単調な
もの悲しさで、
わたしの心を傷つける。
時の鐘鳴りひびけば
息つまり
青ざめながら
すぎた日々を
思い出す
そして、眼には涙。
いじわるな
風に吹かれて
わたしは飛び舞う
あちらこちらに
枯れはてた
落葉のように。
追記:vent mauvais をどう訳すか?
ここのところは、ヨットの帆を思い出し、bon vent(順風)⇔ vent mauvais(逆風)の対とみて、「逆風」ととらえた堀口大学の勝ちではないだろうか?「逆境」とも連想できると思うが、深読み過ぎか?
いつも思うのだが、堀口大学の語学力は高い。だから訳がわかりやすく、的がはずれないのではないだろうか?信頼できる訳だと感心する。(またもや付け足したくなった。がまん。翻訳の成功度の要因はもちろん語学力だけではない。対象の本質をいかに理解するか、それを土壌の違う言語にいかにうつしかえられるか、とか柔らかなセンスとか知識とか、時代の進展で大衆の理解度という受容する土台がどこまでできあがっているかとか、さまざまな要因があると思う。帰国子女とか、ネティブだから上手いとは限らない。そこが面白いところだと思う。)
秋の日の
ヴィヨロンの溜息の
うらがなし
文語調が何とも言えない情感です。