とおいひのうた いまというひのうた

自分が感じてきたことを、順不同で、ああでもない、こうでもないと、かきつらねていきたいと思っている。

サトウ八チローの詩

2012年08月15日 01時20分39秒 | 

 急にサトウハチローの詩をメロディつきで聴きたくなりました。

大好きな詩人です。戦争中の歌も入りますから軍歌も入ります。オーライ、聴きましょう。童謡、歌謡曲も一緒にね。日本語という「ことば」の感覚が優れていると思います。人生の機微に触れた最高の文学・詩・音楽に触れると気持ちがすかっとします。影響が大きいのです。YouTubeをたくさん埋めこんでおいたのでたっぷりと聴いて優れた感覚を楽しみましょうね。(私ってしつこいかな?それだけで落第だ)

 口語体だけで較べても、昔の日本人の文章力は驚くほどしっかりしていて高いですね。豪放で多様性にも富んでいる。そして分かりやすい。もってまわった文章がない。本当に優れたものはね。

 

[サトウ ハチロー1903年明治36年)5月23日 - 1973年昭和48年)11月13日)は、詩人童謡作詞家作家。本名は佐藤 八郎(さとう はちろう)。別名に、陸奥速男、山野三郎、玉川映二、星野貞志、清水操六、並木せんざなどがある。旧制早稲田中学校(現早稲田中学校・高等学校)中退。作家の佐藤愛子は異母妹にあたる。

リンゴの唄」の作詞者として知られる。自分の詞の作曲には、必ず中田喜直を指名した。」by ウイキペデア

「 人物:母親への想いなどをうたった叙情的な作風で知られ、2万にもおよぶ詩のうち3千が母の関する詩である反面、私生活は放蕩、奇行が多かった(佐藤愛子の長編小説『血脈』に詳しい。なお、『血脈』によると、ハチローは小学生時代から不良少年で、実母に対しても愛情らしきものは示したことはなく、作品に表現されている「母親への想い」はフィクションだという)。父の故郷・青森県には一度しか訪れていない一方、母の故郷・仙台市への訪問は50回を越えている。

 

木曜会」を結成し、後進の育成にも努めた。

 

「父親は、現・青森県弘前市出身で、作家の佐藤紅緑[1]。母親は、現・宮城県仙台市出身の佐藤はるであり、河北新報社の創業者(社主)の一力健治郎の夫人の妹にあたる[1]。この両親の長男として、1903年明治36年)5月23日東京府東京市牛込区市谷薬王寺前町(現在の東京都新宿区市谷薬王寺町)に生まれる。中学に入学後、父が舞台女優の三笠万里子と同棲するようになり離婚、父への反発から中学を落第、退校、勘当、留置場入りを重ねる。

小笠原にいた頃のサトウハチロー
3少年の内の一人がサトウハチローといわれている。

感化院のあった小笠原諸島父島で父の弟子であった詩人の福士幸次郎と生活を共にし、影響を受ける。1919年大正8年)福士の紹介により西條八十に弟子入りして童謡を作り始め、数々の雑誌や読売新聞などに掲載される。その一方で今東光などが参加した同人誌『文党』や、草野心平宮沢賢治などが参加した同人誌『銅鑼』に参加する。1926年(大正15年)には処女詩集『爪色の雨』を出版] by ウイキペデア

                                 1935年   うれしいひなまつり

うれしいひなまつり Uresii Hinamatsuri 1,2,4番ローマ字歌詞付

 

[題名どおり、ひな祭りを歌った曲。1935年(昭和10年)、サトウハチローが娘に雛人形セットを買ってやった前後に作詞したとされる[1]。それに河村が曲をつけ、1936年(昭和11年)1月にレコードが発売されている。

楽しい行事を歌った曲で、題名にも「うれしい」とあるにもかかわらず、西洋音楽的に分類すれば短調である。ただし、唱歌の多くは日本古来のヨナ抜き音階を用いて作曲されており、短調の曲も多い。この曲についても、短調としたことにより日本情緒がよく表現されているとも評されている。

一方で、歌詞の中に官女から嫁いだ姉を連想するくだりがあるが、これについては、嫁ぎ先が決まった矢先に18歳で結核で亡くなったサトウハチローの姉のことを歌っているものであり、この曲が短調なのはハチローの姉へのレクイエムだからであるとの解釈もある[2]

作詞したサトウハチローは、晩年までこの曲を嫌っていた[3]] by ウイキペデア                                       

                                                                                 1941年   めんこい仔馬

めんこい仔馬

 サトウ・ハチロー作詞、仁木他喜雄作曲

                                   1944年  お山の杉の子(戦争遺児をはげます唄)

 

《唱歌》お山の杉の子("Oyama no Suginoko"- Child of the mountain cedar)

 

終戦後、内容に戦時色があったので、放送やレコードの販売が禁止になり、この歌をもう一度復活させようと、サトウハチローが改作したもよう。

  • 作詞:吉田テフ子(補作:サトウハチロー)
  • 作曲:佐々木すぐる

                                  1945年   リンゴの唄(戦後初めての映画の主題歌)

リンゴの唄~映画『そよかぜ』より

 

作詞:サトウハチロー 作曲:万城目正 歌唱:並木路子

構成演出:佐々木康 脚本:岩沢庸徳

                                        1968年  悲しくてやりきれない

「悲しくてやりきれない ザ」・フォーク・クルセダーズ(The Folk Crusaders)

 

加藤和彦 「悲しくてやりきれない」を語る

 


詞:サトウハチロー  曲:加藤和彦

 

 

                                          長崎の鐘                 1949年

長崎の鐘

 作詞:サトウハチロー 作曲:古関裕而

                                 

 

                                         1962年 ちいさい秋みつけた

「ちいさい秋みつけた」 (サトウハチロー詩) MTR Performance by Andy

  サトウハチロー作詞 中田喜直作曲

NHKの『みんなのうた』では、1962年10月にボニージャックスの歌で初登場

                                                                                   

 未発表作品

二胡で奏でる「山あじさいとわたし」作詞:サトウハチロー 二胡:松岡由香

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