小室さん眞子さん結婚会見「30歳のお2人は幼過ぎた! 小室圭さんいいとこナシ」倉田真由美〈dot.〉
配信 AERA
写真はネットから借用
会見での小室圭さんと小室眞子さん(C)朝日新聞社
秋篠宮家の長女、小室眞子さんと夫の圭さんの2人が結婚会見に臨み、「掛け合い」形式で今の思いを語られた。この会見に対して、『だめんず・うぉ~か~』の著書がある漫画家の倉田真由美さんは、「ジメジメした話ばかりだった……」と言う。
* * * 今回の結婚会見、前日の夜7時過ぎに「質問には文書で回答」と急きょ、形式が変更された。冒頭の挨拶のみと土壇場での知らせだった。
「結婚報告会見というか、そもそもあれが会見というものなのでしょうかね? みんなが思い浮かべる従来の記者会見とは全く異なっていて、文書の読み上げの掛け合いでしたね。会見前夜の『質問には文書で回答』という発表から想像はついていましたが、驚きました」 この会見を倉田さんは「卒業式のセレモニーみたい」とバッサリ。
「会見の感想を率直に言うとですよ、とうとうと文書を読み上げられる眞子さんを見ていて、まるで小学校の卒業式で、1行ずつ学校生活の思い出を児童が読み上げていくセレモニーみたい。30歳の女性と男性ですからね……幼いという印象が拭えなかった。もちろん練り上げられた文書なのでしょうが、お言葉の中には『火に油』を注ぐような事をいっぱい話していた。こうした形式の会見になってしまったことを責めてはいないですが、日本中が注目している会見だという事はご本人たちも理解しているはず。それが、小学校の卒業セレモニーみたいでは、せっかくの生の肉声なのに、印象が薄れてしまった」 眞子さんは会見で批判や憶測が「いわれのない物語となって広がっていくことに恐怖心を覚えるとともに、辛く、悲しい思いをした」など心境を吐露した。
「眞子さまは、しんどかった話をたくさん盛り込んでいましたが、しんどかった話をされると、逆に私たち国民が責められているみたい。婚約会見から今まで、眞子さんがしんどかっただろうなというのは、傍から見ていて十分わかっていますよ。これをもって、眞子さんの会見は最後になるんだから、マイナスな言葉はあまり使わない方が良かったのでは? 恨み言を言いたい気持ちも分かりますよ。でも、婚姻届けを出し終えた結婚報告会見でしょ?」
会見では、眞子さんに続けて小室圭さんから母親と元婚約者との金銭トラブルの話にも触れられていたが、これに対して倉田さんは「スルーもありなのでは?」と言う。
「圭さんもお母様と元婚約者の金銭トラブルの話はもっとサラッと流した方が良かったのに……。週刊誌という言葉を使ったり、言い訳みたいに聞こえる言葉を出さないで、流せばいいんです。もし、私が今回の会見の文書を作成するとしたら、金銭トラブルのことは2行くらいに収めて、あとは『ご心配をおかけしております!』とか『申し訳ございません!』みたいにとにかく短くまとめます。
細々話すと、かえって反感を買ってしまうことがあるんだから、この手の話には『スルー』という選択肢もあるわけです。それでは、国民が許さないだろうというのもわかるし、小室さんも話したかったのかもしれないし、その点ではお気の毒と思う反面、本当はおめでた会見ですよね? 恨み、辛みの言葉が印象に残って、国民にはなんだかドス黒いものが溜まってしまった感じですね」
また、眞子さんは小室圭さんの元婚約者への対応や留学に関して「私がお願いした」と何度も繰り返し説明した。
「眞子さんは、自分で決めた事とハッキリした口調で話されていたけど、圭さんはいいところが少なすぎた! かねてから私は、『小室さん、いいところを見せて!』と思っていて、AERAdot.でもコメントしました。今回の会見では、いいところを見せられなかったな……。文書でのコメントの読み上げだったとしても、自分の気持ちをハッキリ伝え、それが、10人中8人に伝わらなかったとして、2人に刺さる程度の言葉でもいい。そんな言葉を聞きたかった」
小室圭さんは会見での開口一番、薄っすらと微笑みながら「私は眞子さんを愛しております」と発言した。
「少女漫画だったら、あんな言葉、ダメ出しされますよ!(笑)担当編集者から『もっと心をつかむような言葉にしてください』って叱られます。眞子さんを愛していることはわかっていますから!
(笑)かつて、雅子さまが婚約内定会見で心を打った言葉として『雅子さんのことは僕が一生全力でお守りします』だったと明かされました。1993年のことですが20年以上前の言葉が私たちの心に残っている。『愛しています』と『全力でお守りします』は文字数はそんなに変わらないのに、インパクトは全然違う。なぜ、小室圭さんは、こうした言葉が言えなかったのか? そこはとても残念」
小室圭さんの様子を残念がりつつも、倉田さんは結婚を祝福しているという。
「それにしても、結婚の会見なのにジメジメした話ばっかりでした。結婚生活への思いとか未来の話が全くなかった。しかし、もう、ご結婚されたのですから“許せん”みたいなことを言うのはちょっと違うと思います。これで、新天地のニューヨークでお二人には幸せになって欲しいです!」
(AERAdot.編集部 太田裕子)
私はここで眞子小室でなく倉田真由美という人の文章にいたく惹かれました。
で、wikiを調べケラケラ笑い非常に好きになりました。
略歴
中学・高校時代
福岡県出身。本人によれば、中学3年生の時にスパルタの塾に通って猛烈に勉強したため、大学にはその余力で受かったみたいなものと述べている[7][8]。 高校時代は「それほど熱心に勉強せずにマンガを描きながら、勉強もしたという感じが近い」と述べている[7]。
大学受験
福岡県立福岡高等学校[9]3年の頃は小学館や集英社のある東京に憧れ、東京の大学への進学を希望していたが、親からは地元の九州大学より上の国立大学でないとダメだと言われていた。そこで高校では理系であったが、大学受験ではこだわらず、前期に理系の東京工業大学、後期に文系の一橋大学商学部を受験した[7]。
ところが大学入試の前日にも持ち込み原稿を持参し出版社巡りを行い、最後に回った講談社では「まずは受験をしっかりやれ」と言われたという[10]。東京工業大の入学試験で不合格となる[7]が、後期で一橋大学商学部に合格、同大学に入学した。
大学時代
サッカー部の主将に初恋をし、マネージャーとして入部。その後は恋愛に夢中になり、漫画を描くことを止めていた。さらに同じゼミの、当時既にプロの漫画家であった黒田硫黄と自分の画力の差に愕然とし、漫画家になることを断念した[11]。
漫画家デビュー
倉田の漫画家活動は就職活動に失敗したことから始まる。大学4年の就職活動で山一證券の最終面接まで残ったが、面接官からこの会社を選んだ理由を聞かれた倉田は「歯医者が近いので」と思ったことをそのまま口に出してしまったために面接官の不興を買い、最終面接で落とされた。このエピソードを元に就職活動に失敗する女子学生を描いた漫画を、『ヤングマガジン』ギャグ大賞に応募。大賞を受賞し、デビューを果たした。
ヒット作には恵まれなかったが、雀荘従業員や学習塾講師などのアルバイトの傍ら、漫画の創作を続けた。2000年に週刊誌『SPA!』で、大きな欠陥のある男性との交際を繰り返す女性たちについて描いた作品『だめんず・うぉ〜か〜』の連載を始め、ブレイクを果たす。以後、恋愛・男女関係やコミュニケーションに関する仕事が増える。現在では漫画家としてだけではなく、主にコメンテーターとしてテレビなどにも多く出演している。
どんな人かとyoutubeも見ました。このサバサバ感を見よ
86回目【セックスレス】について考える
【追加】
183回目【二人でYouTubeをする意義について、ビキニを着ながら考えた!】
2020/09/29