とおいひのうた いまというひのうた

自分が感じてきたことを、順不同で、ああでもない、こうでもないと、かきつらねていきたいと思っている。

【令和6年能登半島地震】       2024/1/23

2024年01月23日 23時03分10秒 | 地震
お亡くなりになられた方の陽性が判明した2日後、1/9の石川県災害対策本部会議で厚労省役人 が「コロナは5類」とわざわざ釘を刺しに来た件はこれからも語り継いでいきたい。
1/9は手洗いと咳エチケットの勧め、1/10はマイナ保険証の利便性を説くのみで感染症への言及はなし。
引用
北國新聞・富山新聞@hokkokushimbun·14時間
〈1.1大震災〉 コロナ感染の被災者死亡  珠洲の87歳女性 https://hokkoku.co.jp/articles/-/1297051
 
起きてほしくなかったことが起きてしまいました。起きても"コロナ"と報道されないと思っていました。 被災地だけでなく、岸田政権下高齢者施設で多くの感染者が検査も治療もされず亡くなりました。コロナ対策を見直してほしい。ご冥福を祈ります
 
珠洲原発計画の反対運動で中心的な存在だった塚本さん。 1975年に持ち上がった計画は、住民の反対運動と、 それを切り崩す電力会社側との28年に及ぶ「闘争」の末、 2003年12月に凍結 塚本さん 「あと1年粘られたら、潰れとったのは僕らの方やった」 かつての日々を振り返る。 https://tokyo-np.co.jp/article/304462
”関西、中部、北陸の3電力は1976年に正式に原発計画を公表。 しかし、関電が建設計画を進めた高屋地区では当初、住民のほとんどが反対していたという。そこへ関電側が住民の懐柔に動いた。”
 
お金で快楽を提供だね。 関電側の住民懐柔 「タダで飲み食いさせたり、原発視察名目の接待旅行に何度も招いたり。芸能人を呼んだ住民向けのコンサートも開かれた。僕は一度も行かなかったけど、最後は住民が飽きて視察に参加しなくなるほどだった」
 
札束の威力 ”関電から、地域の祭りで使う奉灯「キリコ」の収納庫や農作物の保冷庫などを建てるための多額の寄付もあった。 原発予定地の土地を貸して、億単位の賃貸料を得た住民もいたという。 「カネ」の力の前に、一人また一人と賛成に回り、 地域は分断されていった。”
 
ここで学ぼうとする姿勢がりっぱ ”計画が持ち上がった当初、塚本さんは原発に賛成でも反対でもなかった。 しかし、「推進、反対の本を100冊は読んだ。学ぶほど、安全はウソで固められていると疑うようになった。放射能と人間は共存できんなと」”
 
”転機となったのが、関電が高屋地区での原発建設に向けた現地調査に乗り出した89年5月。 塚本さんを含めた住民たちは調査に入ろうとする関電の車列を阻止し、 市役所で約40日間にわたる座り込み抗議を始めた。 円龍寺は反対運動の拠点となった。”
 
懐柔したい側は、分裂を諮る。 ”この頃から原発を巡る対立は激しくなっていく。 高屋地区では住民の賛否が分かれる中で、 毎年秋の住民運動会が中止された。 生活雑貨店を営み、原発に反対した井上伸造さん(76) 「『反対派の店で物を買うな』と、不買運動も起きた」”
 
分断の種を撒いた後は勢いに任せる。 ”塚本さんへの圧力も強まった。 自宅では連日、無言電話が鳴り、 電話が盗聴されたとしか思えない内容が書かれた手紙などが届いた。 嫌がらせは、計画が凍結されるまで10年以上続いた。 推進派に包丁を突きつけられたこともあった。”
 
お父さんの教えもりっぱ ”反対派で建設予定地の土地を共有化したり 関電株を買って計画撤回の株主提案をするなどして手を尽くした。 原発に反対する政治家を増やそうと、県議選や市長選などにも関わった。 「強い者の味方をしたら坊主じゃない」 父の教えが行動を後押しした”
 
”塚本さんらの反対もあり、3電力側は2003年12月ついに計画凍結を発表した。 11年の東京電力福島第1原発事故の後には 「珠洲に原発はなくて良かった」と、 推進派だった住民が塚本さんに話しかけてきたことも。 だが、今では原発が住民の話題に上ることもない。”
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”なくなったかも”じゃなくて、居住不可になったと。 ”今回の能登半島地震で珠洲原発の予定地だった高屋地区の海岸線は数メートル隆起した。 もし原発があったら大打撃を受けた可能性もあった。 前出の井上さんは「原発事故が起きたら、能登はなくなっとったかもしれんね」。”
 
自明の理 塚本さんは淡々と語る。 「言葉を尽くすより、あの様子を見て想像がつくでしょう。 やっぱり日本に原発を造れるところなんてどこにもないね、と」
 
”10年前、大飯原発の運転差し止め命令を出した樋口英明元福井地裁裁判長は13日 「当時の人たちのおかげ」と珠洲原発を止めた塚本さんらに感謝した(16日東京新聞茨城版)。 その感謝の輪に、関電も加わるべきだ。 珠洲原発が実現していたら、何が起きたか想像もつかない。”

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