産経ニュース
2017.7.18 11:26更新
【日野原重明さん死去】
いち早く人間ドック開設 地下鉄サリン事件では陣頭指揮
日野原重明さんは、国内でいち早く人間ドックを開設、予防医学に取り組んだ。生活習慣の改善による予防を念頭に、「成人病」の代わりに「習慣病」という新語を提唱。アジア人として初の国際内科学会会長も務めた。
波乱に満ちた生涯でも知られる。昭和20年3月の東京大空襲では聖路加国際病院で被災者の治療に当たり、平成7年の地下鉄サリン事件では陣頭指揮を執り、多数の被害者を受け入れた。「大空襲を経験し、野戦病院的な機能を持たせていた」と語った。
昭和45年の赤軍派によるよど号ハイジャック事件では、偶然飛行機に乗り合わせて人質になり、死を覚悟したという。「あの事件で人生観が変わった。与えられた命を人のためにささげよう思った」と振り返った。
平成26年春、心臓弁膜症を患っているのが分かったが、車椅子に乗って旺盛な旺盛な講演・執筆活動を続けた。
日野原重明さんインタビュー『102歳健康の秘訣とは』
発展祭・日野原重明先生講演会