久しぶりに手に取った絵本は、なんと長らくご無沙汰のスージー・モルガンステンヌの絵本だった。訳者が岸惠子さんというのも珍しく、おやっと思って読んでみた。そして帯文に惹かれた。
「フランスで子供から大人まで読みつがれている絵本を・・・・・・・・」と言う文章でため息をついた。わたしがスージー・モルガンステンヌの絵本を読み始めたのは、まだ一冊も邦訳がでていない時だった。それから何年たったのだろうか?日本でもぼつぼつ邦訳が出てくるようになったなと思っていたのだが、フランスでは、子供から大人まで読みつがれている絵本になっているとは知らなかった。考えてみれば著作量も多いし、もらった賞なども多いので、考えればごく当然のことかもしれない。けれど、この情報はやけに新鮮な情報として目に飛び込んできた。月日が経つのは本当に速いものだ。
パリのおばあさんの物語 スージー・モルガンステンヌ 岸惠子訳
わたしは岸惠子さんの本はかなり読んでいるファンであるが、岸惠子訳の出来がいいのかどうかは正直分からない。
(追記:岸さんは著者に断って一部を日本向けに書き直したのだそうだが、それが気になるから。)
内容は一人で暮らしているおばあさんの話だ。
たまに孫が遊びに来る。たまに息子から電話がかかってくる。「なにか、いるものないかい?」
「ないねえ。欲しいものなにもないねえ」
「ああ、そう、じゃ、また電話する」
こんな瞬間を除けば、おばあさんはいつもひとりぼっちだ。
物忘れがひどく、忘れたものをさがすのに一日中時間を使う。
「メガネをどこにおいたかしら。指輪をあらっ、はさみも」」
「ものごとがみんなこんがらがります」
(けれど)
おばあさんは、鏡をのぞきます。
「なんて美しいの」とつぶやきます。
顔はたくさんの歴史を物語っているのですもの。
眼のまわりの笑い興じたしわ。
口のまわりには歯をくいしばって悲しみに耐えた
無数のしわ。
しわ、しわ、しわ、いとおしいしわ。(P8)
おばあさんは、一人になるとテレビをいつものチャンネルに戻したいのに、うまくいきません。
息子がおしえてくれたのに忘れたのです。(p2~P35のスピード要約)
(そして圧巻は最後のページP36)
「おばあさん、もういちど、
若くなってみたいとおもいませんか?」
おばあさんは驚いて、「いいえ」と決然と答える。
「わたしにも若いときはあったのよ。わたしの分の若さはもうもらったの。
今は年をとるのがわたしの番」
(中略)
「もういちど、同じ道をたどってどうするの?
だってわたしに用意された道は、
今とおってきたこの道ひとつなのよ。」
(やはり スージー・モルガンステンヌの楽観的なハッピーエンドの面目躍如です。作風はどれも変わらない。いつだってハッピーエンドだ。!その楽観性があやういと、いつもハラハラするのだが、また、そこが、すきなところなのです~)
(追記:私はどうやら一番大事なことを書くのを忘れてしまったようだ。このおばあさんはユダヤ人なのだ。ご存じのように第二次世界大戦で筆舌つくせぬ苦労をした。岸さんの願いは、「あとがき」にある。: たくさんの人に読んで欲しい。この広い世界には、いろいろな人が考えられない暮らし方をしているのよ、としみじみ知ってほしいのです )以上です。(しかし、どこがユダヤ人のおばあさんんの話なのか?、ふつうのおばあさんにも感じるが、よく分かりませんですね)
岸惠子本のオマケ
シャンピ氏の一瞬の気の迷いとしか思えないこの悲劇的離婚。しかし運命は「マチガイでした」とは許してくれなかった。そのかわりに岸惠子さんしか書けない「こだわり」のかたまりのような、こんな美しい本ができました。イヴ・シャンピぬきでは語れない「凱旋門」の話からはじまりますのでお楽しみに。お楽しみにとは失礼でしょうか?
でも、そっと背後から射してきているイヴ氏の影が悲しいが、
「(離婚したシャンピシ氏のアパルトマンの)外に出ると、凱旋門が私を見下ろしていた。
私はふと、凱旋門が見たであろう、フランスの栄華や、辛酸を思った」(P15)
そう、彼女は日本人をすてることなく、フランス人になってしまったのだ、と思いつつ読みました。
なれるのですね。愛する人さえいれば。センスさえあれば。
その国を愛せば、その国の人になってしまう・・・・・・・ついに土に根がはえたとでも言うのでしょうか?おみごとだと思いました。