中田厚仁さんが1993年(もう31年も前ですか)にカンボジアで亡くなったあの事件当時から、「すっごい父親だな」って尊敬していた。
この父親の武仁さんは、息子厚仁さんが中学生に入りまではお茶を飲ませなかった。
その理由が振るっている。「世の中には子どもには意味もわからずに従わねばならぬルールがある。そういうものがあるということを教えるため」。
そういう「厳」とした教育方針をなにかの雑誌で読んで、感動した。
蔵書を整理したら出てきたこの、中田武仁さんの、亡くなった厚仁さんに捧げる本。
私が付箋を貼って感動した箇所を抜粋:
「厚仁は肉体こそ失いましたが、最も崇高なものを得たと確信しています」
「人を愛せないほど不幸なことはない。愛されなくとも愛すことができる人は幸せだ」(武仁さんが厚仁さんに教えていた考え)
この辺、特に「崇高」の二文字からすると、武仁さんは敬虔なクリスチャンだったんでしょうか。
キリスト教とまったく縁がない人から、「崇高」という言葉は出てこないだろう。
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愛されなくても、愛し続ける。
そういう人間になりましょう。
この本は、来年に中3になる長男に授けることにする。