川塵録

『インテグリティ ーコンプライアンスを超える組織論』重版出来!

コンプラを変え,会社を変え,日本を変える!

山岡鉄舟の最期

2024年12月27日 | 人物
剣と禅の達人、山岡鉄舟。

明治維新の、隠れた立役者。

天皇陛下を投げ飛ばした、おそらく歴史上唯一の人物。

忖度がない。

その剛毅なる山岡鉄舟の最期は、先日ちこっと紹介しました。


改めて、その最期を見届けた、鉄舟の禅の師匠の、南天棒の描写を、とくと味わいください。

~~~以下引用(ひらがなを漢字に直したり改行処理したりしてます)~~~

(7月)19日の朝は、自ら浴室に入って身を清め、白衣を着て蒲団の上に結跏趺坐し、金剛経一巻を懐中に納め、右手に扇子、左手に念珠を握り、静かに左右を見渡して、親族知己門弟らに、

「諸君好在(こうざい)、我れ今日先逝(せんせい)す」

と、言い終わり、微笑して瞑目した。

時これ6時31分、齢まさに53歳だった。いわゆる坐脱だ。

さすが平常の修養しただけあって、実に近代にない立派な大往生だ。

ただの者には、微笑の死はとてもできるものじゃない。

殊に山岡の胃癌は、腹が膨れてひどく痛み、苦しい詰めだった。

それに笑って、従容として死に就くとは……。

鬼をもひしぐ南天棒も、四句誓願文を唱えながら、慄然とし、かつは喜び涙が衣を濡らした。

ワシの死もかくありたしと念じた。

~~~引用終わり~~~

ワシの死もかくありたし。

ってか、『笑って死ねる人生論』なんて書いちまった以上、この「微笑の死」を遂げた鉄舟を見本とせざるを得ない。


 

これから毎年7月19日の命日には、鉄舟を偲ぶことにする。

本稿の描写は、以下の本の138-139頁から。

 
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 生きようと思ったら死ぬ | トップ | 家庭連合では「地獄に堕ちる... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

人物」カテゴリの最新記事