川塵録

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小川さゆりと「どう見られるか」

2024年12月07日 | 歴史
小川さゆりがTwitterしなくなって一年。

彼女の活動期間は長く見て1年4か月。ただ、彼女が『宗教2世』という本出したのは23年3月ですから、彼女の実質活動期間は半年だけでした。

今までの歴史で、日本でも世界でも、「半年だけ被害者アイコンとして活動して(もてはやされて)フェイドアウトする」という人が果たしていたのでしょうか。歴史的に検証に値する。

私が正しいと思うならなら家庭連合を解散させて」

会見をして、福田ますみさんに月刊誌で2回にわたりコテンパンに嘘を暴かれ、フェイドアウト。

無責任の誹りは免れないのかなあ。彼女の今の状態は、私はそれなりに知ってます。(だから彼女を批評はしても攻撃はしない。)

何が人として美しいのか、を考えさせられています。

具体的には、動機や事情はどうあれ、逃げるのはよくないし、「逃げた」と思われるのもよくない。

人は、

  1. 何をするか(do)ではなく、
  2. どうあるか(be)、
  3. どう見られるか(appear)

が大事。倫理や道徳や品性や美しさってのは「どう見られるか」なんですよね。

長い歴史を紐解けば、一時的な正しさと正義と勢力を獲得しても、倫理や道徳や品性や美しさに欠ける「見られたもんじゃない」人物と、その「見られたもんじゃない」行為は、100年1000年単位で結局は色褪せる。

だから我々は「100年後1000年後にどう見られるか」まで考えて行動しなければならない。

これを勝海舟が「知己を千載に待つ」と言った。こちら

だからオスカー・ワイルドが「時代を動かすのは、主義にあらずして人格である」と言った。

たまに軽薄なTwitterポストをしてしまう自分への戒めを込めて。
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