【執筆原稿から抜粋】
俗物にならない
古典から学び取る価値は、「美しさ」と説明しましたが、端的に言えば、「俗物にならない」ということです。
古典から学ぶ美しさは、
① 積極性(奉仕の精神)② 長期的・精神的な価値観
だとお伝えしました。
これは、積極性も、奉仕の精神も、長期的な視点も、精神世界も何も持っていない人、つまり俗物をイメージすれば分かりやすいかもしれません。
俗物・スノッブと蔑まれる人は、自己中心的で、利他の精神がなく、世俗的な価値観で評価されようと思い、短期的に成功しようと思っています。
皆さんの周りにこういう人がいるでしょうし、皆さんの心の中にもこういう価値観が少しはあるはずです。
私にもあります。人間はみんなある程度は俗物です。
良い人間、悪い人間がいるのではなく、どんな人間にも良い部分があり、悪い部分があります。程度問題なのです。
「美しさ」というと抽象的で抵抗感を感じるかもしれません。
特に、安倍晋三元首相が『美しい国』と言ったため、政治的にリベラルの方は余計に抵抗感を感じるでしょう。
ただ、美しいという言葉を使わずとも、「俗物にならない」のが古典や歴史を学ぶ意義です。
古典をこよなく愛する私なんかは、ここ30年、「死んでも俗物になってたまるか」とやせ我慢して意地を張って生きてきたようなものです。