日本史上、最も能筆な1人、山岡鉄舟。
鉄舟は、おそらく、日本史上、最もたくさん書を残した。100万枚は書いたらしい。
私が持っているのはこの「竹」
墨痕淋漓。雄勁、と評される。
その極意は、「無法で」書く。
法(書き方)にとらわれず、筆の中に己を没入し、一体となる境地で、筆の性にしたがって無心に書きさえずれば、おのずから法が現れる
没入・無心、いずれも己を虚しくし、捨てる
余計なことは考えず、計算せず、ただ一心に没入する
分かる。
書ってそういうもの。
下は指で書く。
中は腕で書く。
上は心で書く。
鉄舟は、剣の無刀流の開祖だけに、書も、無法。
私が毎日のように書を書いているのも、「自分を無にする」修行の一つ。自分を無に近づける。
上手に書こうって思うと、上手く書けない。
綺麗な文字を書こうと思うと、その下心が見えて、汚くなる。
それが、書。
無心で書く。自分の心を表す。
いや、自分の心ではなく、天地の心というか、先人の心というか、その言葉が持つ浩然之気のようなものを、自分というフィルター・媒体を通じて、表す。
それが、書。
鉄舟の書は、そういう書。
私も、そういう書を目指しています。覇気と妖気が同時に漂うような、書。
自己を無くすために、書を嗜んでいます。
いずれ個展でも開きたい。10年後か20年後の目標にします!
※ 後記
本稿の観点からは、武田双雲さんの書は、好きではない。
ボク上手でしょ、この字カッコいいでしょ、という下心が垣間見えるから。
ま、あれは、書というよりは、別のアートなのかもしれませんが、、