渋沢栄一はなぜ「宗教」を支援したのか。
期待したけど、学者が寄せ集めで各論を集めただけなので、深い考察はパッと読んだ限りでは見当たらなかった、、、
要するに、渋沢が宗教を支援したのは、以下の3つの視点から。
- フィランソロピーとして(主に貧者救済)
- 徳川の遺臣として(東照宮とか増上寺とか)
- 名士として(資産家として、明治神宮や郷里に)
この分類も、なるほど、という感じですが、1(フィランソロピー)と3(名士)の区別が曖昧のような、、
以下は取り急ぎ他の各論を備忘のため。
■ 渋沢はクリスチャンにはならなかったけど「神を信じ」ていた
…救世軍の山室軍平の誘いを受けたけどクリスチャンにはならなかった
■ 渋沢は「仏教もキリスト教も信じていなかった」
■ 仏教と儒教の目的は同じで、「人々をして正しい心に帰り、真理に従わしめる」ことにある、と渋沢は考えていた
■ 渋沢の儒教観の特徴は、貧賤なる学生から身を起こした孔子の人間性に着目したこと