執行草舟さんが、愛読書じゃ生ぬるい、その本が私であり、私はその本だ、って言えるくらいの本を持たないと行けない、的なことを言っている。
彼の場合は、
- 葉隠
- 聖書
- バガヴァット・ギーター
- 正法眼蔵
がこれにあたる。
私はこれらの本を「私自身である」と思っています。血液になっている。座右の書を通り越し、すべて私の血液であり細胞です。
私そのものなので、愛読書ですらありません。
とまで、言っている。
さすがだ。
私の場合、それにあたるのが、中島敦『李陵』ですね、、
30歳くらいまでは司馬遼太郎『峠』だったかも。でも今は『李陵』。
毎朝のランニングで、毎日、『李陵』を聴いている。Audibleで。
飽きずに、暗唱してしまうほど、聴いている。
李陵の解説は こちら
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座右の書を通り越し、愛読書を通り越し、私自身であり、私の血液であり、私の細胞であり、私の呼吸であり、私の皮膚であり、私の内蔵であり、私の骨である。
そんな本を持つと、いいです。
なんだか、自分に芯ができる気がします。
みなさんも、自分の「芯」となるような、愛する本をお持ちになることを、おすすめします。