【執筆原稿から抜粋】
美しさ
本書冒頭で紹介した『組織不正はいつも正しい』(中原翔)で問題提起されているとおり、最近の不祥事はほとんど「正しい」といえます。歪んだ「正しさ」を言い訳に不正をしています。
たとえば、ビッグモーター社が故意に自動車に傷をつけ、保険対象の修理費用を水増しする不正がありました。
なぜこんな無茶なことをするかというと、歪んだ「正しさ」に固執したからです。
売上を上げるという会社として「正しい」目標を追求、ノルマ達成に拘泥するあまり、不正が生じました。不正には常に必要性があり、変な理由(歪んだ正しさ)で正当化してしまうのです。
このように、「正しさ」は危ういのです。アタマで考える理屈だけでは人間は往々にして間違ってしまうのです。
しかし、美しさやカッコ良さは歪みません。
たとえ会社が「変に正しい」方向に向かっていても、人としてそれは美しくない、カッコ良くないとい感覚は古今東西変わりません。
セコい、ズルい、アコギだ、卑しい、みっともないという感覚です。アタマで考える理屈ではなく、ココロで感じる感覚です。
例えば、上司が悪いことをしているとき。年功序列の価値観では、先輩を立てて黙っているのが組織人として「正しい」かもしれません。
しかしそれは「美しい」振る舞いでしょうか。カッコいいでしょうか。
会社人・組織人として「どうするべきか」ではなく、一人の人間として、人として「どうあるべきか」を考えるのが、美しさやカッコ良さといえます。
Right と Righteous
この「正しい」と「美しい」の違いを、英語で考えてみましょう。外国語で考えると概念をよく理解できることがあります。
「正しい」は英語でRight でいいでしょう。
では「美しい」は何でしょうか。
もちろんBeautifulでもいいですが、この文脈では Righteousという単語があります。
Rightは人間世界、世俗の価値観で相対的に「正しい」です。
一方、Righteousは神(天)との関係、お天道様の下で、精神的・宗教的・絶対的に「正しい」(正義だ)という意味です。
※ 参考サイト(よく分かる)
聖書にはRight より Righteousが多く使われます。勇気ある「義人」はRighteous personと言います。
この違いから、以下のように言えます。
Being right is not enough.
Be righteous.
(正しいだけでは不十分。美しくあれ)
最近、多くの企業からも、「正しさ」のみならず「美しさ・カッコ良さ」という座標軸が大事ですねと言われるようになりました。