自民党総裁選、石破氏が出馬を正式に表明した。しかし、最初から勝負はわかってるのだから、世論は全然盛り上がらない。安部が99%勝つであろう。日本の権力闘争はお嬢様のままごとだ。1%の不確実性は、安部が病気や事故で負傷、死亡する事だ。安部が総裁、総理になる事は運命なのだ。今の日本の閉塞と虚構のクソ溜りの中で、安部が権力者の座に就くのは、今の日本の精神を表してる。多くの国民にとって政治は興味のない事なのだ。多くの国民は、誰が総裁、総理になったところで何も変わらないと思ってる。国民は強いストレスと大きな不安を抱えながらさまよってる。それでも、日本は平和だし、貧困格差といいながら、なんとか生活ができてるのだ。多くの国民は変化を望んでない。各マスコミで少し違いがあるが、安部の支持率40%は妥当な数字だ。ファシズムおたくのの安部が支持されるのは、日本社会がファシズム化している証拠でもあるのだ。民主主義と対局のファシズムに魅かれるのは、強い指導者を国民が求めてるからだ。大衆心理は女性的なのだ。潜在的に、女は強い人間に魅かれる。肉体的にも、精神的にも、経済的にも女性は強さを求めてる。女は安定を求めてる。何かに依存したいのだ。カリスマ性のない小心者の安部に国民が依存したがるのは、他に圧倒的なカリスマ性を持った政治家が日本にはいないからなのだ。プーチン、トランプ、キム、習近平みたいな個性強くカリスマ性のある政治家は日本にはいない。ごますり野郎ばかりだ。戦国時代みたいに激しく殺し合いの権力闘争なんて、日本では見られない。忖度、萎縮、ごますりで権力をもらい受けるのが、今の日本の権力闘争なのだ。社会が女性化している。石破氏も権力者としては、もの足りない。テレビでいろいろ話をていたが、おたくイメージだ。軍用機やミサイルについて、やたらと詳しい。話方も女性的だ。長々と説明すぎる。ポイントだけ話せばいいのだ。大衆を引き付ける術を知らない。評価できるのは、負けると知りつつも、立候補した事だ。権力者を選ぶのに、誰も出馬しないなら安部の独裁、暴走を許してしまう。選挙をやらない事は民主主義的ではない。今の総裁選は、最初からマスコミ相手のパフォーマンスなのだ。儀式だ。安部が勝つのはわかってるのだから。日本はひたすら腐るだけだ。権力闘争のない政治は、日本の閉塞と虚構を一層クソ溜りにする。日本人はクソ溜りの中で、さまよい、虚構の平和、虚構の豊かさ、虚構の繁栄にだまされてるのだ。日本を包むゆがんだナショナリズムは、日本人の脆弱な精神を表してるのだ。不安だから、弱いから強がるのだ。真に強い人間、民族は、俺は強いとか、日本はすごいなどと声高に叫ばない。小心者ほど、うわべのチャライ演出を好む。小心者の安部やその取り巻きは日本人の精神そのものなのだ。真の権力者よ、出てこい!そして、命をかけて戦え!閉塞と虚構のくそ溜りを一層しろ!国民を不安にさせるな。