選挙の効果

総選挙の意味

捕鯨反対 バリケイト伊東

2019-06-30 08:10:45 | 政治
  今日、1919年6月30日で日本はIWCを脱退して商業捕鯨を再開する。今までも調査捕鯨を国際社会から反対されながら続けてきた。前にも書いたが、私は捕鯨には反対だ。戦後、食料難の中、大規模な捕鯨を日本は開始した。世界的には捕鯨反対の流れが強くなり、商業捕鯨は禁止された。しかし、日本は調査捕鯨という形で捕鯨を続けてきた。捕獲するくじらは、主に南極海でのにミンククジラだ。調査と言いながらくじら肉は売られてるのだ。実際は商業捕鯨なのだ。日本人のくじら肉の消費量は微々たるもんだ。ひとりあたり20、30グラムぐらいだ。クジラ肉を食べなくても十分に肉、動物性たんぱく質は確保されてる。大量の食肉を日本は輸入している。クジラを殺さなくても日本は、食べ物に不足する事はない。国際的に非難されても、商業捕鯨を開始するのは、政治家や官僚達の利権がからんでる。捕鯨の政治家と言えば、自民党の二階幹事長の名があがる。彼の選挙地盤は和歌山だ。いるか虐殺を描いた映画、コーブで有名な大地町がある。大地町には欧米から多くの捕鯨反対の人々が来て、反対運動をしている。投票されたいゆえに、商業捕鯨を開始させたのだ。自分の利権を守りたいから、くじら殺しを進めるのだ。力のある政治家の捕鯨推進には、政府、与党内から反対の声は出てこない。野党からも積極的な捕鯨反対の声は聞こえない。日本人は捕鯨問題に関心を持ってる人は少ない。最近、日本でもくじらWATCHINGUは、重要な観光資源になってる。くじらを殺して食べるというのは、感覚がづれてる。日本でも動物保護が叫ばれ、動物虐待には厳しい目が注がれてる。それなのに、クジラを殺して肉を食べるのは、残虐なイメージを外国に与える。捕鯨は日本の文化と言えるのだろうか。世界に日本人の残虐性をアッピールするようなもんだ。日本人は礼儀正しく、国内での激しい政治闘争もなく、穏やかな民族性だとは言えるのか。日本の商業捕鯨開始には、欧米のシーシェパードなどの捕鯨反対組織が猛反発している。また、捕鯨船に対しての体当たり行為などの反対運動が起きる事は確実だ。日本政府は商業捕鯨をやめるべきだ。一部の人間の利益のためにくじら殺しを正当化するのは、許されない。恥をしれ!二階幹事長、安部は時代遅れの動物虐待主義者だ。捕鯨なんて全然文化ではない。クジラ肉が売られてるスーパーストアーなんて見た事ない。鳥、豚、ウシに比べれば。生産量は微々たるものだ。文化でごり押しするには、無理がある。商業捕鯨を開始するのは、絶対反対だ。