狐の日記帳

倉敷美観地区内の陶芸店の店員が店内の生け花の写真をUpしたりしなかったりするブログ

遊ぼうぜ。夏だし。

2012年08月15日 18時31分24秒 | その他の日記




 本日の倉敷は晴れていましたよ? 予報では雨だったけど。
 最高気温は三十三度。最低気温は二十六度でありました。
 明日も予報では倉敷は晴れとなっております。
 倉敷商業は初戦を勝っていますね。逆転されて再逆転したとか。三回戦に進出です。


 近頃、私は本を読む元気がありません。
 暇な時はゲームをしたり漫画を読んだり。
 本の神様に怒られるかもしんない。戦々恐々どきどきわくわく。
 プライベートでは外出することが増えました。夜遊びしています。
 夜遊びをしていると悪いことをしているみたいで、そこらへんの神様に怒られるかもしんない、と少し怯える日々を過ごしております。
 皆様。「子供か!」というツッコミは無用に願います。
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戯言です。

2012年08月15日 12時32分52秒 | その他の日記


 以下の文は愚者による戯言です。
 普段はこんなことは書かないのですが、暑さで脳味噌が膿んでいるので書いてしまいました。
 嘲笑いながら読み飛ばしてくださいませ。




 日本人と他の国の人とは基本的に宗教観が大きく違う。
 が、お互いに自分達の宗教観が正しいと思っているので相手の主張を自分達の宗教観で考えてしまう。
 その為、些細な勘違いが起こるわけなのだが、そこから大きな問題に発展することもある。
 日本が抱えている外交的な問題のなかである問題は宗教観の違いからくるお互いの些細な勘違いがもとになっている。
 が、今さら日本人の宗教観を海外の人に説明してもお互いがその問題を政治利用している状況なので、難しいだろうなぁ、と思ふ。

 他の国の多くの人は尊敬できる人や偉大な人を祀る。
 偉人は偉人。愚者は愚者。聖人は聖人。悪人は悪人。功績があれば讃える。罪人は永遠に罪人のまま罰せられる。
 日本では基本的に聖でもなく悪でもなく恐るべき存在が神となる。祟るかもしれない恐ろしい存在を神に祀り上げ鎮めようとする。
 聖邪善悪は関係無く祟るか祟らないかで決まる(例外はあり)。
 だから偉大な功績があった人でも安らかに死んだのなら神に祀り上げられることはない(例外はあり)。
 恨みがあったり無念の想いを残して死んだ者が祀られる(でも力の無い者は祀られない)。
 功績や罪悪は生きているうちに処理される。
 死後に神となる者は、生前に功績を認められなかった者や無念の想いで死んだ者。
 祟るかもしれない者を神に祀り上げ褒めちぎることで鎮めようとする。

 でも、それは外国の人から見ると、祀られた人を肯定しているように見えてしまう。
 肯定でも否定でもなく鎮魂であるということは理解しづらいだろう。
 聖邪善悪勝者敗者を超えて死者を鎮魂するという発想は日本独特なのかもしれない。



 明治維新で官軍側について戦死した人達の遺族達の不満を解消する目的で靖国神社は創建された。
 物凄く不謹慎な書き方をすると「財政難で遺族達に払うお金がない。でもその代り亡くなった方達を神様に祀り上げるから勘弁して」ってわけ。
 それほど蔑ろにされた遺族達の不満は恐ろしかった。
 武力制圧をしようとすると内乱になっちゃうし義もないし。でもお金は無い。
 財政難は色々なところで祟ってしまいますね。
 徳川幕府も財政難で潰れたし。


 日本神道に基づく考え方は日本人の生活習慣や考え方に深く浸透していて無意識のうちに常識化しているのだけれども、多分、他の国の人にはさっぱり理解できないし理解するつもりもないのだろうと思ふ。
 他の国の人も日本もお互いに政治利用していて面子もかかっている状態で宗教観の違いからくる勘違いを正すのは、さてど~すればいいのざんしょ? と思っているところなのであります。
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