狐の日記帳

倉敷美観地区内の陶芸店の店員が店内の生け花の写真をUpしたりしなかったりするブログ

流れに身を委ねよ。何事にも流れが存在する。

2016年05月06日 19時53分17秒 | 職場に関する日記




 本日5月6日は、聖徳太子が十七条憲法を制定したとされる日で、神聖ローマ皇帝兼スペイン王カール5世の軍勢がイタリアに侵攻して教皇領のローマで殺戮・破壊・強奪・強姦などを行った日で、オランダ西インド会社がマンハッタン島を買収しニューアムステルダムと命名した日で、伊達騒動が起こった日で、ドイツの飛行船ヒンデンブルク号の爆発事故が起こった日で、世界初の実用的なプログラム内蔵方式のコンピュータEDSACが初稼動した日で、中国公安当局の関係者に脅迫を受けたとされる上海総領事館員が自殺した日で、イヴィツァ・オシムのお誕生日です。

 本日の倉敷は雨が降っていましたよ。
 最高気温は十七度。最低気温は十六度でありました。
 明日も予報では倉敷は晴れとなっております。


 ごおるでんうぃ~くとやらも後半戦に入っていてあと僅かです。
 私はお休みなしでお仕事に邁進しております。久々の連続出勤であります。
 前にいた職場は「お休み? 何それ美味しいの?」とまぢで同僚や先輩が尋ねる地獄の鬼達が泣いて逃げ出すような恐ろしい職場であったので、ごおるでんうぃ~くに休日無しであることを嘆いたらかつての同僚や先輩や後輩は私のことを「奴は軟弱者になった。これからは奴のことをナン・ジャックと呼ぶことにしよう」とせせら嗤うことでしょう。

 しかし前の職場を離れてもうずいぶん経ちます。
 もはや私は4ヵ月間休日無し出張有り徹夜有り年間休日約50日1日平均18時間拘束で低賃金の仕事をする元気などありませんよ。
 今は幸せです。
 ナン・ジャックであります。ナン・ジャック上等であります。

 しかし、しかしです。やらねばならぬ時というのもあるのです。
 疲れが溜まっているのですがやらねばならぬ時はやらねなりません。

 ごおるでんうぃ~くとやらもあと僅か。
 ご~るでんうぃ~くとやらが終了するとお休みが取れるかもしれません(←まだ未定)。
 それまで何とか突っ走るしかあるまい、と思っているところでございます。

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『超老伝 ― カポエラをする人』/中島らも

2016年05月06日 16時55分07秒 | 小説・本に関する日記







 昨日の夜は、中島らもの小説『超老伝 ― カポエラをする人』を読み返していました。

 主人公の菅原法斎は仕事が定年の年に妻に離縁されて発狂した。
 発狂したことを自分で理解していて狂人であることをよいことに自由に生きている。
 彼の特技は彼以外はほとんどだれもやっていない格闘技・カポエラ。
 ある日、彼は格闘技世界一決定戦に出ようと目論み……。


 大爆笑のお話です。
 精神的に図太い。開き直った人って強いっすね。怖いもの無しです。
 楽しい作品でありますよ。
 面白かったです。

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始めは処女の如く、敵人戸を開く。後は脱兎の如く、敵拒むに及ばず。

2016年05月06日 16時23分05秒 | サッカーに関する日記




 明日は明治安田生命J2は第12節の日。
 我らがファジアーノ岡山はアウェの長崎県立総合運動公園陸上競技場でV・ファーレン長崎様と対戦いたします。
 キックオフは16時です。


 ご~るでんうぃ~く中なので試合の間隔が短いです。
 無駄な労力は避けて効率的に試合を進めていきませう。
 細心の注意を払って大胆に効果的な動きで賢く戦いませう。

 明日は楽しい試合が観たいです。
 期待していますよ。

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どのような歴史もすべて物語と分析の混合物である。

2016年05月06日 10時23分03秒 | サッカーに関する日記




 私の名は狐。
 かつてはしがない看板屋に勤めていた平凡な一市民であり、退屈な日常と戦い続ける懸垂幕書きの生活者であった。
 だがある夜、ファジアーノ岡山がJ2入りを目指してJFLを戦っているという新聞記事を読んだことが私の運命を大きく変えてしまった。
 その記事を読んだ翌日から世界はまるで開き直ったかのごとくその装いを変えてしまったのだ。

 いつもと同じ町、いつもと同じ角店、いつもと同じ公園。
 だが何かが違う。
 路上を行き交う人々は輝いて見え、建売住宅の庭先に聞こえるピアノの音は歓喜に満ち、牛丼屋のカウンターで慌ただしく食事をする人達さえ愛おしく思える。
 この町は、否、この世界は光り輝く世界となった。

 一年を経ずしてファジアーノ岡山はJFLを駆け抜けてJ2に昇格した。
 ファジアーノが一年でJFLを抜けてJ2に昇格するなど誰が予想し得たであろう。
 『FROM OKAYAMA TO J LEAGUE』のチームスローガンは一年で終わった。
 しかし、ファジアーノとファジサポにとってJ2昇格は新たなる始まりに過ぎない。
 アマチュアリーグを卒業したその日からファジアーノとファジサポの生き延びる為の新たなる戦いの日々が始まったのである。

 奇妙な事にプロスポーツ不毛の地と呼ばれた岡山でファジアーノ岡山はJ2の猛者チームにコテンパにされながらも多くの観客動員数を誇っていた。
 そしてさらに奇妙な事に岡山県民であることを自虐的に語ることが多い岡山人達が「岡山大好き」とすら言い出し始めたのである。
 当然、ファジサポ達は岡山県の誇りという大義名分のもとにファジアーノの応援に熱を込めた。

 初年度はJ2最下位に沈む。
 2年目は17位に終わった。
 ある者はなかなか勝てないファジアーノに業を煮やし、おそらく欲求不満の解消であろう、時折カンスタで的を外した野次を放った。
 何が不満なのか知らんが実に可愛くない。
 しかし今のファジアーノはJ1昇格を狙えるチームにまで成長した。

 あの運命の夜からどれ程の歳月が流れたのか。
 今、我々の築きつつあるこの世界に殺伐とした雰囲気は無用だ。
 我々はJ2の過酷なサバイバルを生き抜き、J1、さらにその先の世界の舞台での栄光をいつか実現するだろう。

 あぁ、選ばれし者の恍惚と不安、共にファジアーノにあり。
 岡山県民の未来がひとえにファジアーノの双肩にかかっていることを認識するとき、眩暈にも似た感動を禁じ得ない。




  狐著 ファジアーノ岡山前史第1巻 JFLを越えて 序説第3章より抜粋


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