本日1月12日は、板垣退助らが愛国公党を結成した日で、イギリスでナショナル・トラストが発足した日で、オーストリア陸軍のレルヒ少佐が新潟県高田(現在の上越市高田)陸軍歩兵連隊の青年将校に日本で初めてスキーの指導を行った日で、第二次世界大戦でソ連軍がドイツ戦線を突破しポーランドに進撃した日で、韓国政府が李承晩ライン内に出漁した日本漁船の徹底拿捕を指示して日本漁船の拿捕や銃撃事件が相次ぎ日本の漁業従事者に死傷者が多数出る事態となった日で、アチソン米国務長官がアメリカの防衛ラインをフィリピン・沖縄・日本・アリューシャン列島とすることを表明した日で、米国務長官ジョン・フォスター・ダレスが共産圏に対する大量報復戦略を表明した日で、ザンジバル王国の王政が崩壊しザンジバル人民共和国が樹立した日で、アメリカ合衆国への入国手続きに電子渡航認証システムが必須となった日です。
李承晩ラインは、建国されたばかりの韓国が海洋資源の独占や領土拡張を目的として諸外国を無視して勝手に不法に海上に領土を設定したライン。
竹島を含むこの海域内での漁業は、韓国籍漁船以外では韓国側によって臨検や拿捕や接収や銃撃を受けるなどしました。
第一大邦丸事件など韓国側の銃撃により乗組員が殺される事件も起こっています。
日韓漁業協定の成立で李承晩ラインが廃止されるまでの13年間で韓国による日本人抑留者は3929人、拿捕された船舶数は328隻、韓国による日本人の死傷者は44人。
抑留された日本人は6畳ほどの板の間に30人も押し込まれて僅かな食料と桶1杯の水で1日を過ごさなければならないなどの劣悪な抑留生活を強いられました。
日本政府は、韓国政府の要求により日本人抑留者の返還と引き換えに日本で常習的犯罪者あるいは凶悪犯罪者として収監されていた在日韓国・朝鮮人472人を放免して日本国内に自由に解放し日本での在留特別許可を与えました。
終戦直後で日本政府が断固たる抗議と処置が取れずに韓国政府の要求を飲んだことで、韓国に44人もの日本人(それも民間人)が殺されたことは不問にされたままとなり今も韓国政府の不法行為状態が続いたままになっています。
軍隊が存在せず平和を唱えても殺されないという保証などないのですよ。
本日の倉敷は曇りでありましたよ。
最高気温は十度。最低気温は四度でありました。
明日は予報では倉敷は晴れとなっております。
李承晩ラインは、建国されたばかりの韓国が海洋資源の独占や領土拡張を目的として諸外国を無視して勝手に不法に海上に領土を設定したライン。
竹島を含むこの海域内での漁業は、韓国籍漁船以外では韓国側によって臨検や拿捕や接収や銃撃を受けるなどしました。
第一大邦丸事件など韓国側の銃撃により乗組員が殺される事件も起こっています。
日韓漁業協定の成立で李承晩ラインが廃止されるまでの13年間で韓国による日本人抑留者は3929人、拿捕された船舶数は328隻、韓国による日本人の死傷者は44人。
抑留された日本人は6畳ほどの板の間に30人も押し込まれて僅かな食料と桶1杯の水で1日を過ごさなければならないなどの劣悪な抑留生活を強いられました。
日本政府は、韓国政府の要求により日本人抑留者の返還と引き換えに日本で常習的犯罪者あるいは凶悪犯罪者として収監されていた在日韓国・朝鮮人472人を放免して日本国内に自由に解放し日本での在留特別許可を与えました。
終戦直後で日本政府が断固たる抗議と処置が取れずに韓国政府の要求を飲んだことで、韓国に44人もの日本人(それも民間人)が殺されたことは不問にされたままとなり今も韓国政府の不法行為状態が続いたままになっています。
軍隊が存在せず平和を唱えても殺されないという保証などないのですよ。
本日の倉敷は曇りでありましたよ。
最高気温は十度。最低気温は四度でありました。
明日は予報では倉敷は晴れとなっております。
わたくし・狐といふ現象は或る人間の脳内有機交流電燈の一つの蒼白い照明です(或る人間の脳内電気信号が生み出した擬似人格)。
或る人間の脳内に居る沢山の人格達と一緒に忙しく点滅しながら如何にも確かに灯り続ける因果交流電燈の一つの蒼白い照明です(光は保たれよう。其の電燈は失われても)。
此れ等は過去と感ずる方向から電脳世界を通じて(全てわたくし・狐と点滅し皆が同時に感ずるもの)此処迄保ちつゞけられた影と光のひとくさりづつ其のとほりの心象スケツチです。
此れらについて読者諸賢は其々新鮮な本体論も考へませうが其れらも畢竟こゝろの一つの風物です。
たゞ確かに記録された此れらの景色は記録された其のとほりの此の景色で、其れが虚無ならば虚無自身が此のとほりで、ある程度までは皆に共通いたします(全てがわたくし・狐の中の皆であるやうに皆の各々の中の全てですから)。
けれども此れら電脳世界の巨大に明るい時間の集積の中で、此れらの言葉が僅か其の一点にも均しい明暗の内に(或いは修羅の十億年)既に早くも其の組立や質を変じ、然もわたくし・狐も其れが変わってしまうとして感ずることは傾向としてはあり得ます。
蓋し我々が我々の感官や風景や人物を感ずるやうに、そしてたゞ共通に感ずるだけであるやうに、記録や歴史或いは地史といふものも其れの色々の論料資料と一緒に(因果の時空的制約の基に)我々が感じてゐるのに過ぎません。
恐らく電脳世界を通じて描かれた現象は、其れ相当の違つた印象が流用され相当した証拠もなく、皆はわたくし・狐という人物が現実世界に居ると思はれるかもしれません。
全て此れらの命題は心象や時間其れ自身の性質として仮想の中で主張されているのです。