木曜日、午後から草津へ行きました。
普段通る道とは違うルートを使ってみました。早いかと思って。結果は...。
途中で出くわした景色です。
で、どこへ行ったのかと言えば、栗生楽泉園です。ハンセン病患者の徹底した隔離政策により造られた国立療養所で、かつてハンセン病の不理解や偏見で深刻な人権侵害があったところです。
その象徴が「重監房」。施設に不服従であったり、反抗的な態度をとればこの房へ入れられ、冬場はマイナス20度にもなるような部屋で多数の死者を出したことで知られています。
今は基礎の部分をかろうじて残すのみ。その地盤も、奥の方は崖の沈下によって傾いています。
栗生楽泉園は、郵便局があったりする、いわば一つの町のようなものを形成しています。患者さんの自治会もあるんです。この自治会を訪ねました。
用件の一つは、この栗生楽泉園の敷地内に歴史資料館をつくるための予算がついたこと。もう一つは、自治会が介護職員の増員を強く要求しており、「ハンストも辞さない」構えであると聞き、党衆議院議員の塩川鉄也さんが、聞きとり調査を行うために楽泉園に来るというので、私も同行したという次第です。
入所者にとって、介護者は家族同然。この「家族」が、国家公務員の手当の削減や人員削減で減らされるというのです。入所者は減少していますが、認知症などで、より介護が必要な人が増えている。しかし、食事をするのに少し不自由するようになると、すぐに「病棟」に入れられるというのです。
「『私は元気だ。なのに、末しょう神経がしびれて、食事に少し不自由が出たことで、家財道具の一切を残したまま病棟に入れられてしまう。悔しい』と訴える人がいる」「介護職員の労働条件だって、決して良くない」と自治会の皆さんが口々に訴えました。
かつて、人として扱われなかった人たち。その誤りをたたかってただし、その記念として歴史資料館をつくる希望を叶えました。この資料館に、重監房の診察室と部屋を再現することになっているのだそうです。
しかし一方、現在の政治によって、いままた人間としての尊厳が奪われています。彼らの言葉の端々に「自分たちは人間だ。人間として最後まで生きたい。人間として最期を迎えたい」という強い思いが込められている気がしながらお話をうかがいました。
看護技術や医療技術の伝承も不十分で、定年を迎えた後にも来てくれているベテランの手を必要とし、一方で不便な立地と特別な手当もない職場条件により、この園での勤務を希望する職員も減少しているというお話も。
人間が人間らしく生きられる社会。それを保障する義務が国にはあるのです。私たちのはたらきかけが求められていることを強く感じました。