糸井ひろしの気まぐれ日記

日本共産党群馬県西毛地区委員会役員の日々のあれこれ

人としての

2012-09-15 | 日記

 木曜日、午後から草津へ行きました。

 普段通る道とは違うルートを使ってみました。早いかと思って。結果は...。

 途中で出くわした景色です。

 

 で、どこへ行ったのかと言えば、栗生楽泉園です。ハンセン病患者の徹底した隔離政策により造られた国立療養所で、かつてハンセン病の不理解や偏見で深刻な人権侵害があったところです。

 その象徴が「重監房」。施設に不服従であったり、反抗的な態度をとればこの房へ入れられ、冬場はマイナス20度にもなるような部屋で多数の死者を出したことで知られています。

 今は基礎の部分をかろうじて残すのみ。その地盤も、奥の方は崖の沈下によって傾いています。

 栗生楽泉園は、郵便局があったりする、いわば一つの町のようなものを形成しています。患者さんの自治会もあるんです。この自治会を訪ねました。

 用件の一つは、この栗生楽泉園の敷地内に歴史資料館をつくるための予算がついたこと。もう一つは、自治会が介護職員の増員を強く要求しており、「ハンストも辞さない」構えであると聞き、党衆議院議員の塩川鉄也さんが、聞きとり調査を行うために楽泉園に来るというので、私も同行したという次第です。

 

 入所者にとって、介護者は家族同然。この「家族」が、国家公務員の手当の削減や人員削減で減らされるというのです。入所者は減少していますが、認知症などで、より介護が必要な人が増えている。しかし、食事をするのに少し不自由するようになると、すぐに「病棟」に入れられるというのです。

 「『私は元気だ。なのに、末しょう神経がしびれて、食事に少し不自由が出たことで、家財道具の一切を残したまま病棟に入れられてしまう。悔しい』と訴える人がいる」「介護職員の労働条件だって、決して良くない」と自治会の皆さんが口々に訴えました。

 かつて、人として扱われなかった人たち。その誤りをたたかってただし、その記念として歴史資料館をつくる希望を叶えました。この資料館に、重監房の診察室と部屋を再現することになっているのだそうです。

 しかし一方、現在の政治によって、いままた人間としての尊厳が奪われています。彼らの言葉の端々に「自分たちは人間だ。人間として最後まで生きたい。人間として最期を迎えたい」という強い思いが込められている気がしながらお話をうかがいました。

 

 看護技術や医療技術の伝承も不十分で、定年を迎えた後にも来てくれているベテランの手を必要とし、一方で不便な立地と特別な手当もない職場条件により、この園での勤務を希望する職員も減少しているというお話も。

 

 人間が人間らしく生きられる社会。それを保障する義務が国にはあるのです。私たちのはたらきかけが求められていることを強く感じました。

 

 


富岡→下仁田

2012-09-10 | 日記

 今日は富岡市の地域支部の方と行動の予定だったのですが、内容に少々行き違いがあったようで、予定よりも早くコトがすみました。

 元富岡市議の女性としばしお話をして、その方の敷地にクルマを置かせていただいて、周辺をお散歩しながら町並みや建物を撮影して回りました。こんなこともあろうかと、今日は中判の「ブロニカ」を準備していたのでした。へへへ。

 

 その方のお宅は、あの富岡製糸工場のそばにあって、その周辺の町並みが結構気になっていたのです。これまでも何度かスナップ撮影をして回りましたが、今日は久しぶりでした。

 周辺は、細い路地に店舗がずらりと並んで、昔はかなりにぎわったのだろうことを想像させる雰囲気が漂っています。安っぽいレトロ感とはちょっとちがう雰囲気。古い家や店舗を利用して、新しい店舗ががんばっていたりします。

とまあ、デジカメも持っていたので、ブロニカにあわせて、「真四角モード」でちょっとパチリとやってきました。

 

 午後は甘楽町議の山田邦彦氏とともに、下仁田町へ。下仁田町には党議員がいません。2カ所ほどで宣伝を行ったあと、町役場へ出向き、町長にお会いしました。

 甘楽郡の広域でのとりくみもあるため、甘楽町議の山田さんは下仁田町長とも面識があり、持ち前の気さくな語り口で、気軽に町長と懇談しました。

 

 なんだか、ちょっと「切羽詰まった」感がないというか、緊張感がないというか、ともすれば叱られそうな今日の日記...。

 


若い世代のがんばり

2012-09-08 | 日記

 午前中は渋川の地域支部の方と一緒に街頭宣伝に出かけました。

 あるところで演説を終えると、小さな畑の方から拍手を受けました。早速ごあいさつに行くと激励されました。

 で、これを。

 

 ゴーヤです。

 

 午後は労働争議での勝利報告集会に参加。

 大手企業の派遣労働者に対する理不尽な扱いに立ち上がった若い労働者が、周囲の諸先輩方からの支援を受けながら企業と交渉を続け、彼への違法行為を認めさせました。

 

 若い世代が、「世の中こんなものだ」と、理不尽なことを理不尽なままにせず、自分の権利を主張してかちとったたたかいで、とても勇気づけられる出来事でした。

 若い世代が、新しい政治を、新しい世の中を展望してがんばっていることが、ずっと活動してきたベテランの活動家たちに勇気と元気を与えて、ベテラン勢も力を発揮する姿に、かえって私たちが励まされ、教訓にすることも多いです。

 

 いま、世の中の不条理にさらされているのは若い世代だけでも、高齢者の世代だけでもありませんし、それらは個別に存在する問題でもありません。若い世代も人生のベテランたちも、お互いが刺激し合い、励まし合いながら、世の中を良くするために力をおおいに発揮して、次の総選挙、来年の参院選挙で力関係を変えたいものです。

 

 


街頭宣伝のつもりが...。

2012-09-06 | 日記

 今日は東吾妻町で街頭宣伝だと言われていて、そのつもりで集合場所へ向かったのですが、元吾妻町議の党員にご案内いただき、急きょ訪問と懇談、ということになりました。

 

 最初に出かけたのは大戸診療所。突然の訪問にもかかわらず、事務長さんが応対して下さいました。

 大戸診療所は、かつて国立療養所長寿園が廃止される話になったとき、住民と職員が「地域医療を守れ」と立ち上がり、存続を求めて運動をした過去があり、長寿園は廃止されたものの、その後、民間で立ち上げた診療所です。

 「『小さな政府』と言うが、あんなものはまやかし」「TPPへの参加は医療も破壊する。絶対に参加阻止を」と事務長が熱心に思いを語ってくださいました。

 「医療は、人々が生きる権利を守る重要な場所。商業主義やアメリカのような医療制度では、その権利を守ることができない」という思いで一致し、権利としての医療の充実などを求められました。また、「不況で仕事がないと言われているいまでも、ヘルパーや看護師は募集をかけても不足している。もっと医療現場の仕事のやりがいなどを知ってもらって、ビジネスライクな立場でなく、人を支えるやりがいを感じてもらいたい」などの希望も語られました。

 診療所内の廊下の壁には、人口推移や農業人口、耕作地面積の推移などが表に貼り出され、その地域の変化と現状の厳しさを実感しました。同時に、「地域に根差した医療」への姿勢を垣間見た思いがしました。

 

 次に向かったのはJAあがつま。予告なしの突撃訪問にも関わらず、快く迎えられ、すぐにTPPの話題に。「私たちは一所懸命に運動している。社会にアピールもしているのだが、なかなかマスコミが扱ってくれない」「日本でこういう情報操作がされるなんて」と怒りをあらわに。

 原発事故の放射能による影響はここでも深刻。豚肉など、飼料なども外から取り寄せ、放射線検査もしたうえで販売しようとしても、「群馬県産」だとアウトだとされるとか、シイタケ農家など、まだ補償されずに1円も収入がないとか...。

 

 最近の商業主義も、ひたすら安く買いたたかれ、農家のもうけが残らない状況に拍車をかけているとのこと。なかなか深刻で、このうえ海外との競争なんて、まともにやれるはずがない。TPPは絶対に阻止したいというところで一致。

 日本共産党は、綱領で農業を基幹産業に据えることを明記していることを説明すると、おおきくうなずき、「私たちは国民の胃袋を守っている誇りがある」とお話してくれました。

 また「若い人たちが農業をやりがいのある仕事として選択できるような仕組みをつくっていきましょう」とお互いに意見を交わしました。

 

 かたや医療、かたや農業ではありますが、どちらも国民の命と健康を守り、育てる重要な事業。こういう仕事に携わる人々が誇りをもって、また安心して働ける環境を整えること。そのために、当面さし迫っているTPPへの参加は絶対に断念させなければ。

 


宣伝で安中市内を

2012-09-05 | 日記

 安中市内を、地域支部の党員と一緒に宣伝カーで回りました。このところ午前中とか、午後の2、3時間とか、そういう行動が多かったのですが、午前から午後をまたいでひたすら宣伝カーというのは、ひょっとして初めて...?

 

 ポイントで私がマイクを握ってしゃべっている間に、党員が周辺にチラシを入れて行くといった行動でしたが、やっぱり暑かった~。途中から、立って話していてもジットリと汗をかくような状態で、演説を終えてクーラーの効いた車内に逃げ込むように乗りました。いやしかし、チラシを入れて行く党員のみなさんも大変だったはず。

 午後も別のメンバーと一緒に同様の行動。午前と午後であわせて13カ所での街頭演説となりました。午後、同行した党員が、私の演説を聞いて「糸井さん、だいぶ演説も慣れたみたいで」とほめてくださいました。我ながら、けっこうちゃんと話せてるなと思っていましたが、よく考えたら、これだけの回数をいっきにやったのも珍しく、これだけ話していれば、むしろ慣れてあたり前だなと思い直しました。

 

 暑い中で一緒に行動してくださった皆さん、お疲れさまでした。