平成22年1月24日(日)晴
日本一早い沖縄三大桜を見に行こう !
というタイトルに誘われて、クラブツーリズム主催の3泊4日のツアーに参加、1月24日に羽田を発ちました。
この日東京は快晴、空港から富士山が望め,機内からは雪を被ったアルプスの山々を見ることが出来ました。
フライトはJALのあの大赤字の原因の一つと言われるジャンボ機でしたが、ほぼ満席。
受付カウンター係員やクルーの笑顔一杯の応対に、この企業に働く人々の心意気に何か胸を打たれる思いがしました。
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那覇に着くとこちらは曇、ただし気温は高く早速厚手のチョッキから夏用のものに取替えました。
今日はこれから『首里城公園』の観光に向かうことになります。
沖縄本島は、かって平成6年にバードウォッチングで来ていますが,観光は初めてのことです。
その時の記録によれば、1月20日で寒緋桜が7、8分咲きとあったので、桜見物は大いに期待されるところです。
11時25分 羽田発 JAL913便 → 14時20分 那覇着
首里城
バスは『首里城公園』の地下にある駐車場に入る。
その駐車場には多くのバスが駐車しているのに驚く。
昨年から流行している‘ 新型インフルエンザ ’の影響で,修学旅行が今年にづれ込んだためとのことだ。
地上へ案内されて『守礼門』の前で記念撮影することになっていたが,その撮影も順番待ちということになる。
とにかく観光客が多く、写真を撮るのに苦労するほどだ。
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世界遺産『首里城』は、14世紀初期、中山の尚巴志(しょうはし)が今帰仁(なきじん)の北山(ほくざん)、島尻大里の
南山(なんざん)を攻め滅ぼし,琉球王国が誕生した。
この琉球王国統一の1429年から1879年の沖縄県設置までの約450年にわたり、国王の居城として、また琉球王国の
象徴として、政治・外交・文化の中心的役割を果たした場所である。


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左の写真は第2楼門の『守礼門』、右は『歓会門』。次の『瑞泉門』は省略。
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左は『漏刻門』、右は『奉神門』。その間に『広福門』がある。
これらの各門を潜り,ようやく正殿のある『御庭』に入る。
この朱色の『正殿』は、往事の建築様式をそのままに再現しているという。
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この朱色の『正殿』は、往事の建築様式をそのままに再現しているという。
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この『首里城』は、沖縄戦(1945年)でほぼ焼失したため、1992年に正殿・城壁・門などが復元され,2000年
12月、『首里城』をはじめとする「琉球王朝のグスク(城)および関連遺産群」全9カ所が、人類共有の文化遺産として歴
史的価値と芸術性が認められ、世界遺産に登録された。
12月、『首里城』をはじめとする「琉球王朝のグスク(城)および関連遺産群」全9カ所が、人類共有の文化遺産として歴
史的価値と芸術性が認められ、世界遺産に登録された。
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上の写真が『正殿』、左方が工事中なので少しばかり見苦しい。
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この『御庭』の右手にある『南殿・番所』から靴を脱いで建物内部の見学になる。
『番所(ばんどころ)』は、かっては首里城へ登城してきた人々の取次を行っていた。
現在は王朝時代に製作された美術工芸品などが展示されている。
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『南殿(なんでん)』は、かって年間を通じて行催事などが行われ,薩摩藩の役人の接待を行う場所として用いられた。
現在は王朝時代に製作された美術工芸品などの展示を行っている。
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次の建物は国王の執務室の『書院』、王子の控所の『鎖之間(さすのま)』、この両者と一体をなす『庭園』がある。
この庭園は平成16年に鮮明な古い写真が発見され,この写真の分析や遺構,絵図資料などにより現在に蘇らせることができ
たという。
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そして『正殿』内に入る。
一階は『下庫理(しちゃぐい)』と呼ばれ,主に国王自ら政治や儀式を執り行う場所で、中央の華麗な部分が『御差床(うさ
すか)』と呼ばれ,国王の出御する王座である。
その左右には国王の子や孫が着座した『平御差床(ひらうさすか)』がある。
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この『御庭』の右手にある『南殿・番所』から靴を脱いで建物内部の見学になる。
『番所(ばんどころ)』は、かっては首里城へ登城してきた人々の取次を行っていた。
現在は王朝時代に製作された美術工芸品などが展示されている。
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『南殿(なんでん)』は、かって年間を通じて行催事などが行われ,薩摩藩の役人の接待を行う場所として用いられた。
現在は王朝時代に製作された美術工芸品などの展示を行っている。
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次の建物は国王の執務室の『書院』、王子の控所の『鎖之間(さすのま)』、この両者と一体をなす『庭園』がある。
この庭園は平成16年に鮮明な古い写真が発見され,この写真の分析や遺構,絵図資料などにより現在に蘇らせることができ
たという。
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そして『正殿』内に入る。
一階は『下庫理(しちゃぐい)』と呼ばれ,主に国王自ら政治や儀式を執り行う場所で、中央の華麗な部分が『御差床(うさ
すか)』と呼ばれ,国王の出御する王座である。
その左右には国王の子や孫が着座した『平御差床(ひらうさすか)』がある。
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二階は日常的に王妃や身分の高い女官たちが使用した空間で『大庫理(うふぐい)』と呼ばれた。
最後に政務の中枢機関、冊封使の接待所として『北殿(ほくでん)』があり、現在は展示コーナーや映像コーナーとして使わ
れている。
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最後に政務の中枢機関、冊封使の接待所として『北殿(ほくでん)』があり、現在は展示コーナーや映像コーナーとして使わ
れている。
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自らの安全を祈願したという石門。
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那覇市の有名な『国際通り』に面したホテルに到着すると、高知県から来たという修学旅行の団体と一緒になる。
もともとこのホテルは修学旅行の生徒たちのもので、部屋そのものが狭く,ロッカーがないうえ、バスタブも膝を折り曲げな
いと入れず,身体を洗うのにも苦労するほどだ。


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右の写真は『シロオビアゲハ』では ? この石門の近くにいた。
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これで今日の観光を終え,宿泊場所の那覇市牧志にある『南西観光ホテル』へ向かう。
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これで今日の観光を終え,宿泊場所の那覇市牧志にある『南西観光ホテル』へ向かう。
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琉球料理と琉球舞踊
那覇市の有名な『国際通り』に面したホテルに到着すると、高知県から来たという修学旅行の団体と一緒になる。
もともとこのホテルは修学旅行の生徒たちのもので、部屋そのものが狭く,ロッカーがないうえ、バスタブも膝を折り曲げな
いと入れず,身体を洗うのにも苦労するほどだ。
宿泊第1日目から折角の旅行の気分が壊される。
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夕食はオプションだったが、出発前に予約をしていた沖縄の伝統的な舞踊を見ながら、本格的な琉球料理を食べることができ
るという『四つ竹』に行く。
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夕食はオプションだったが、出発前に予約をしていた沖縄の伝統的な舞踊を見ながら、本格的な琉球料理を食べることができ
るという『四つ竹』に行く。
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お品書きによれば、
・らふてー(豚肉の角煮)
・くぶいりちー(こんぶなどの炒め物)
・もずく
・紅いも
・あんだんすー(豚肉入りの練り味噌)
・おから炒め
・じぃまぁみぃ豆腐(落花生の豆腐)
・みみがー(豚耳のピーナッツバター和え)
・豆腐よう(豆腐のチーズ)
・漬物
・じゅうしい(炊き込みご飯)
・吸い物
・フルーツ・パイン
それに別注文のオリオンビールと泡盛。種類は多いが量が少ないので、全部を美味しく戴くことができた。
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食事の途中から琉球舞踊が始まる。
最初はこの店の名前にもなっている『四つ竹』、古典女踊りの名作といわれており、花笠を被った踊り手が、四つ竹をカチカ
チと打ち鳴らし艶やかに王朝の美を表現するという。
・らふてー(豚肉の角煮)
・くぶいりちー(こんぶなどの炒め物)
・もずく
・紅いも
・あんだんすー(豚肉入りの練り味噌)
・おから炒め
・じぃまぁみぃ豆腐(落花生の豆腐)
・みみがー(豚耳のピーナッツバター和え)
・豆腐よう(豆腐のチーズ)
・漬物
・じゅうしい(炊き込みご飯)
・吸い物
・フルーツ・パイン
それに別注文のオリオンビールと泡盛。種類は多いが量が少ないので、全部を美味しく戴くことができた。
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食事の途中から琉球舞踊が始まる。
最初はこの店の名前にもなっている『四つ竹』、古典女踊りの名作といわれており、花笠を被った踊り手が、四つ竹をカチカ
チと打ち鳴らし艶やかに王朝の美を表現するという。
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その他の曲は、
・いちゅびくわぁ
・海のチンポーラー
・黒島口説(くろしまくどぅち)…八重山諸島にある黒島での生活を誉め讃えた歌。
・たちうとぅし
・紅八
・五穀豊穣
・あっちゃめー
と計八曲の歌と踊りが披露された。
その後舞台で踊り子たちと記念写真を撮って、楽しい夕餉のひとときが終る。
*
帰りは土産物店や飲食店が並ぶ、賑やかな国際通りを歩いてホテルへ戻る。
・いちゅびくわぁ
・海のチンポーラー
・黒島口説(くろしまくどぅち)…八重山諸島にある黒島での生活を誉め讃えた歌。
・たちうとぅし
・紅八
・五穀豊穣
・あっちゃめー
と計八曲の歌と踊りが披露された。
その後舞台で踊り子たちと記念写真を撮って、楽しい夕餉のひとときが終る。
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帰りは土産物店や飲食店が並ぶ、賑やかな国際通りを歩いてホテルへ戻る。
最高気温 那覇 19.7 東京 10.8
最低気温 14.5 2.0