
今朝もキジとウグイス、コジュケイ、それにイソヒヨドリの鳴声が聞こえていたが、姿が見えた
のはイソヒヨドリのみ。
部屋から見える湾内にはウミネコ、上空にはツバメが飛んでいる。
*
今日は先ず、岩倉の乳房杉見物へ。
昨日はバスの最後部の座席だったが、今日は運転席の後の最前列で、何かと好都合だった。
バスは島の東海岸沿いのカーブと上り下りの厳しい道を走る。
朝方雲が多かったが,次第に青空が広がり、絶好の天気となってくる。
『春日の浜海水浴場』を過ぎて間もなく、南谷林道に入り、杉林の続く狭い道の中を高度を上げ
て行く。
途中のクヌギ林では、シイタケ栽培用のクヌギの切り出し作業を行っている。
林道は大満寺山への登山道にもなっているのだ。
バスは乳房杉の前で止まる。何とも不思議な形をした杉だ。

根回り約16m、地上約3mのところで主幹は15本に分岐し、地上20mのところからは、大小24個もの鍾乳石状の乳房
根が垂れ下がっている。長いものは約2.6m、周囲2.3mもある。
梅雨時になると、乳根の先端から約1cmの多数の気根が発生するという。
周囲は夏でも涼しく,特に雨上がりはとても神秘的な雰囲気を感じることができるという。
樹高40m、幹囲11m、樹齢約800年で県の文化財に指定されている。
杉の根元付近には、小さな風穴があり,冷たい風を吹き出している。
シダ類が多く見られるのもこの辺りの特徴のようだ。
*

地白島展望台を目指す。
相変わらずのカーブと上り下りの道が続き、時折崖の上から入り
組んだ海上の景観を眺めることができる。
白島という名は、島の数が百に一つ足りないことから付けられた、ともいわれているとか。
駐車場を降りて展望台へ行く狭い道には、ツツジやシャクナゲ、タンポポやイカリソウなどの花
々が咲き競い、我々の足を止める。
*



*
白島展望台は、島の最北端にある白島海岸と、周辺に点在する島々を一望するスポット。
展望台からは、白い岩肌と緑の松、紺碧の海のコントラストが楽しめる。
白島崎一帯には、沖ノ島をはじめ,特異な形や色の松島,黒島、白島など多くの島が散在しており、総称して白島海岸と呼んでいる。
沖ノ島はオオミズナギドリの繁殖地になっているが、昼間は餌取りに出ていて姿を見ることはできなかった。
*
1/fa7930ece8c1777341c12df199cc94d5.jpg" alt="Img_2210" title="Img_2210" width="270" height="202" border="0" style="float: left; margin: 0px 5px 5px 0px;" />

これらの海岸や島々は、おおむね隠岐特有の板状アルカリ石英粗面岩からなり、白島海岸独特の景
観も、この板状及び柱状節理よるところが多い。
さらには岩石の一部には、球状あるいは玉ねぎ状の共心構造が発達したところもあって、極めて特
異な風景美をつくりだしている。
加えて石英粗面岩は、長い年月の風化によって白色となり、岩石や島々は白っぽく見え、風景は優
雅な趣を呈しており、白島海岸の名もこれによっている。
島前の國賀海岸の男性的な豪壮美に対し、白島海岸は女性的で優美な風景を呈し、共に隠岐の代表
的な景観となっている。国の名勝・天然記念物に指定されている。
*
広大な景観を楽しんだ後は『隠岐しゃくなげ園』へ向かう。

る『隠岐しゃくなげ』を地域の人々が自宅に持ち帰り育てていたものを、昭和49年から3カ年かけ約1万本を
2haの当園に移植したものという。
しゃくなげは、適地でなければ育ち難い植物だが、ここは北面で湿度が高く、また傾斜地なので水はけが良く
土質は酸性で風は当たらず、日当りも杉木立の中とあって半日陰等々、しゃくなげの成育には適しているよう
だ。
この『オキシャクナゲ』は、ホンシャクナゲの一品種で葉全体が小さくて薄く、先が丸みを帯びている。花の
色はピンクから白で、花弁の先は七つに分かれている。日本で最も低地に自生しているシャクナゲとのことだ
花の島・隠岐を代表する[山の花の女王]と呼ばれている。
*


と言っていたが、園内に入ると山の斜面一面に咲
いているしゃくなげに圧倒される。急斜面を歩き
ながら、ピンク色に誘われるように園内を一周す
る。
バードウォッチングでも、赤い色の野鳥を見ると
胸がときめくが、赤系統の花の中に入ると心が浮
き立つのは同じ現象のようだ。
*

系・南方系・高山性・大陸性など様々な植物が共存している。
モミの木は北方系でナゴランは南方系というように、他では見られない特異な植生分布が見られるという。
*
午前の最後は水若酢神社へ。
隠岐の国一の宮。樹齢300年を越す松林の中に立つ姿は、堂々たるもの。本殿は約200年前に建立され、隠岐造りの
様式で、国の文化財に指定されている。


付きの立派な土俵があることだ。
隠岐では従前から相撲が盛んな土地だったとのこ
と。
現在では幕の内のイケメン関取『隠岐の海』の他
数名の若い力士がいるとのことだ。
*
昼食は神社の近くにある五箇創生館内のレストランで『うに飯と隠岐そば』を採る。
『隠岐そば』は、焼きサバでダシをとる、そば粉100%の独特な風味のもの。
*


菱浦港へ向かう。
フェリーターミナル前には、『鬼太郎親子とねずみ男』が……。
*
フェリーの船室には団体席が用意されていたが、展望が効かない
のでデッキへ出て展望を楽しむことにする。
上空には雲が多くなってきた。波は静かで船の揺れも少なかった
が、風が次第に強くなってきた。
進行右手の島後が次第に遠ざかり、左手に島前の島々が見えてく
ると同じフェリーの『くにが』と擦れ違う。

中ノ島・菱浦港に着くと、観光バスが待ち構えており、直ちに出発する。
ガイドから中ノ島の概要について説明があり、10分ほどで隠岐神社前に到着。
*
中ノ島 面積 : 33.4?、周囲 : 89.1km、標高 : 246m(家督山)、人口 : 2523人
島前の中でも東側に位置する中ノ島近海は、対馬海流の影響を受けて魚が多く、透明度も高い。
ダイビングや海中展望船などで楽しめる。
また、島では野菜や米も豊富に作られ、素朴な島の味が楽しめるのも特徴の一つとのことだ。 *
先ず神社に隣接している後鳥羽上皇御火葬塚へ行く。


ところが火葬塚で、石造鳥居の後ろに土塀で囲ま
れている。
延応元年(1239)2月22日、この地で没した後鳥
羽上皇を、里人が集まって火葬したところといい、
今も村人の間では御陵並みに扱われている。
なお、遺骨は京都大原の大原陵に納められている。
近くに刈田の池と上皇歌碑があり、
『蛙鳴く 刈田の池の 夕だたみ 聞かましもの
は松風の音』の歌が刻まれている。
*


隠岐神社は、昭和14年(1939)後鳥羽上皇没後700
年を記念し、後鳥羽上皇を祭神として造営された。
本殿は、切妻造・妻入り・銅板葺き・中央に片流れ
の向拝をつけた、いわゆる隠岐造りの建物。
56,000�の境内には、その他祝詞舎・拝殿・神饌所
・祭器庫・宝物館・神門回廊・社務所などがあり、神
社の桜並木は、島内一の桜の名所となっているとの
ことだ。
*
この後、後鳥羽院資料館の見学があって、休憩所で一休みして慌ただしく菱浦港へ戻る。
ここで待ち受けていたのは、今晩のホテル鶴丸の専用船で、次の目的地知夫里島へ向かう。
約20分ほどの航海だったが、風が強く30人乗りの小型ボートなので,波飛沫がかかり結構揺れる。
来居港に着くと、ここでも観光バスが待機していて、早速赤ハゲ山へ向かう。
車内ではビデオによる知夫村の観光案内が上映される。
*
知夫里島 面積 : 13.68?、周囲 : 50.8km、標高 : 325m(アカハゲ山)、人口 : 632人
島前3島のなかで南に位置する島。島前随一の展望地であるアカハゲ山展望台や、高さ200mにおよぶ赤壁など、ダイナミックな景観は知夫里島な
らでは。
また、牛が海を泳いで島を渡る『海の牛渡し』など、ユニークな行事が人気を集めている。
*
海岸から山道に差し掛かると、放牧中の牛が目に付くようになり,道の両側には[野ダイコンの花]などが彩りを添えてくれる。
山頂近くでは道路上に多くの牛が餌を漁っており、バスが来ると仕方なく移動するという如何にものんびりとした雰囲気が笑いを誘う。
山頂駐車場でバスを降りると、強烈な風が吹き通っている。遮るものが無い360度の展望なので、風に翻弄されるがままの状態なのだ。野ダイコン
の花もその風に吹きちぎられそうだ。それをカメラに収めるのも容易ではない。


峰である。ほとんど木はなく、山頂展望台からは、
無料の望遠鏡で島前・島後の島々はもちろん、遠
く大山・島根半島から三瓶山まで360度の大パノ
ラマが楽しめる。水平線の彼方から昇る朝日、沈
む夕日の眺めは、隠岐ならではの景観である。
この山では牧畑が行われており、のんびり草をは
む牛や馬の姿が見える。また、5月頃には薄紫の
野ダイコンの花、夏は野アザミが山を覆う。
山腹から、知夫赤壁の景観の一部を望むことがで
きる。【観光パンフより】


きず、皆さんも早めにバスの中へ戻る。
再び牛を避けながら山を下り、次の目的地赤壁へ。
*
駐車場からは緩い登り坂を10分ほど歩くと、目の前に壮絶な赤壁が立ち塞がるように聳えているのが目に入る。とても1枚の写真には入らない
ので、2枚に分けて写すほどだった。


~200mに及ぶ粗面安山岩質玄武岩の断層崖である。
崖下には隆起によってできた二段の波食海壇があり、壇面には美しい波食
甌穴や、男池・女池と呼ばれる波食溝がある。
断層崖は、黒の玄武岩、赤・黄の凝灰岩、白の粗面岩・粗面安山岩、黒あ
るいは褐色の玄武岩の岩脈が縦横無尽に入り混じって美しいコントラスト
を示し、この景観にブルーの海の色が映えて見事である。
*
断層崖は、黒の玄武岩、赤・黄の凝灰岩、白の粗面岩・粗面安山岩、黒あ
るいは褐色の玄武岩の岩脈が縦横無尽に入り混じって美しいコントラスト
を示し、この景観にブルーの海の色が映えて見事である。
*
ことに夕景に映える凝灰岩層の赤は圧巻で、国の名勝・天然記念物に指定
されている。
*
圧倒的な迫力の赤壁を充分に堪能して今日の観光を終える。

りの姿を見せてくれていたのが印象的だった。
*
バスで来居港へ戻り、ホテルの船で西ノ島・美田にある『隠岐シーサイドホテル鶴丸』 へ。
空は雲に覆われ、どうやら明日の天候が危ぶまれるようになった。
そのため、明日の早朝に予定していた『國賀めぐり遊覧船』は、残念ながら中止となってしまった。
船着場からホテルのフロントに入るようになっており、部屋も前面に海が眺められるという絶好のロケーション。
*


小生は生で、妻はバター焼きを注文。
それに赤ズワイガニが付くという豪華版、お腹の
収容限度オーバーの食事となった。
*
島 前
島後の南西にある西ノ島、中ノ島、知夫里島などを総称して島前と呼ぶ。
それぞれ西ノ島町、海士町、知夫村の一島一町村。
隠岐諸島は全体が火山島です。島前はかって西ノ島の焼火山を中心とした一つの島でした。何回もの火山活動を繰り返し、海に沈んだり、海上に
現われたりしました。
そのうちに溶岩を噴出し、カルデラが形成され、そこに海水が流れ込み、島前の広大な湾が誕生しました。
島の西から北側にかけては、激しい季節風による波に削られた断崖や洞窟が連なります。
西ノ島の隠岐國賀海岸、知夫里島の赤壁、中ノ島の明屋海岸など雄大な自然・海岸美は見る人に感動を与えます。
隠岐の歴史は古く、『古事記』『日本書紀』に、伊耶那岐命、伊耶那美命が4番目にお産みになった土地で「隠岐の三子洲」と書かれています。
後鳥羽上皇の行在所跡や後醍醐天皇の黒木御所跡など旧跡も多数残されており、悠久の歴史に思いを馳せることもできます。 【西ノ島町観光パンフレットより】
*
8時00分 ホテル発(バス)→ 8時50分 乳房杉 9時10分 → 9時40分 白島展望台 10時05分 → 10時20分 しゃくなげ園 10時50分 → 10時55分
水若酢神社 11時05分 … 11時10分 昼食 11時35分 → 11時55分 西郷港 12時05分(フェリーおき)→ 13時15分 菱浦港 13時20分(バス)→
13時30分 後鳥羽上皇火葬塚・隠岐神社 14時20分 → 14時30分 菱浦港(ホテル専用船)→ 14時50分 来居港 (バス)→ 赤ハゲ山・赤壁 →
16時20分 来居港(ホテル専用船)→ 16時50分 隠岐シーサイドホテル 鶴丸 泊