蔵書目録

明治・大正・昭和:音楽、演劇、舞踊、軍事、医学、教習、中共、文化大革命、目録:蓄音器、風琴、煙火、音譜、絵葉書

『秋のハイキング 9月―11月』 東京鐵道局 (1930年代?)

2022年01月05日 | 趣味 1 登山・ハイキング

秋のハイキング 

  9月ー11月

 東京鐡道局

富士白糸の瀧ハイキング   一般向
愛鷹山ハイキング       健脚向
明神、明星ヶ岳ハイキング  一般向
相模丘陵ハイキング      家族向

 發驛 = 省線 = 大磯 ー 二キロ餘 三十五分 ー 千畳敷山 ー 三キロ 三十五分 ー 河内 = バス 三〇分 = 二宮驛 = 省線 = 發驛  ( =區間運賃例 東京より二圓十五錢 ) 
 ( 割引運賃が發驛大磯間普通往復運賃より低廉なる場合は後者を以て割引運賃と致します。)

 千畳敷山は大千畳とも言って小千畳に對して居り、( 小千畳は故安田善次郎翁が開拓開放された遊園地でその頃には明治天皇觀漁記念碑が建てられてある。驛から約二五〇米である )頂上は名の如く廣い臺地で草原をなし子供連の行樂に好適である。( 指導標は完備してゐる )
 驛から指導標に從って一五六分附近の松林中の別莊地帯を過ぎれば道は山裾廻りの緩傾斜となるが時に明い赤松の肌に目をみはり、或は雜木の間に相模灘を覗きつゝ歩めば何時しか山の頂に出る。
 此處は湘南第一の展望と言はれ我が國、海水浴場の元祖である大磯海岸を脚下に遠く房總、江の島、大島、初島、眞鶴岬等の影を歷然と指摘する事が出來る。又附近には曾我兄弟に關する傳説もある。頂上には賣店が出る事もあるが常時ではないから飲食物は用意されるのがよい。
 下り道は旭村萬田迄一粁一五分で途中やゝ急傾斜もあるが大體緩やかな道である、方田から更に二〇分程で小學校を過ぎ河内に着く、道の左側に旭村授乳所がありバスは此の横を通って二宮に行く、
 河内の隣根坂間には史蹟名勝地の寶殊院があり、横穴古墳があるので名がある。
 又寺坂には王福寺がある、此の邊は鎌倉時代相模國府のあった所で王福寺の像は當時の名殘を止めるもので昭和二年國寶に指定された。
 河内二宮間のバス回數は頻繁ではないし、又河内には待合所もないから豫め大磯驛で河内通過の時刻を問合せられると好い。
 或は二宮驛から寺坂へ立寄り千畳敷に向はれるのもよい。
 
 二宮ー河内間
  バス時刻  午前六時半より午後七時まで大體一時間間隔

   

大山、ヤビツ峠(丹澤林道)ハイキング  一般向

                  ( 五萬分地圖 秦野)
 
發驛 = 新宿 = 一時間十分 小田急 = 伊勢原 = バス二十分 = 大山町 ー 一、五粁 三十五分 ー 追分 = 八分 ケーブルカー = 下社 ー 〇、一粁 五分 ー 下宮 ー 二粁 一時間廿分 ー 奥の院鳥居 ー  15分 〇、五粁 ー 大山(奥社)  
大山(奥社) ー 5分 ー 奥の院鳥居 ー 二粁 三十分 ー ヤビツ峠 ー 舊道 一、五粁 三十分、 丹澤林道 四粁 一時間餘 ー 蓑毛 = 二十五分 バス = 秦野町 = 三十分 バス = 二宮 = 省線 = 發驛
( =區間運賃例 新宿より二圓四十五錢 )

 新宿から小田急で伊勢原へ、伊勢原からからバスに乘る。坦々たる道路二十分で大山町の入口に着く。( 途中右手に太田道灌の墓がある )こゝから石段の多い、爪先上りの參道が鈴川の溪流を縫って續いてゐる。正面には雨降山の稱ある大山が嶷然として聳え立ち、兩側の町並には、いかめしい門構へで先導師何某と云ふ名札の家が多い。先導師とは大山阿夫利神社と信者の間に介在する參詣斡旋業者である。追分驛よりケーブルに乘る、車は四十五度の急傾斜を以て懸崖絕壁を進み車窓の展望は洵に素晴しい。( ケーブルの途中には雨降山大山寺があり、良辨僧正の開基、本尊の國寶不動尊は美術史上貴重な逸品とされてゐる )下社は相模野を一望に収むる展望臺。白蛇の如くうねる相模川のつきる處が相模灣である、その煙靄の中に江の島の遠影も望まれる。阿夫利神社は石尊大權現を祀り、二千餘年昔崇神天皇の御代に創建せられ、武將の信仰が篤い、頂上奥社には下社左裏手の石段を上るもよし、石段道の更に左手にある道を選ぶも十六丁追分茶屋で合する。何れも石の多い急坂は歩き難い。
 奥社鳥居の前でヤビツ峠行の新道と合する。頂上奥社前よりは相模野一帶、丹澤山塊、中でも塔ヶ岳の眺望を恣に樂しめる。
 奥社參詣後は背後のお中道めぐり道を左にとっても、右にとっても鳥居の前に出る。こゝからヤビツ峠新道まで引返す。新道の展望は左に相模野、右に丹澤山群、帶の樣な丹澤林道ー平野と山塊の交響樂ー急坂はグン〱はかどってヤビツ峠まで一瞬の中である。途中防火線に行き當るが道を左に取ることを忘れてはならない。其の他は導標完備してゐる。ヤビツ峠を通る丹澤林道は東丹澤の御料林開發の爲、昭和六年約十七萬の巨費を投じて完成された材木搬出路で、この林道に依れば簔毛まで緩い下り路、友との語ひ歩きに快適である。途中展望臺もある。

多摩丘陵ハイキング     家族向
多摩古城址ハイキング    家族向
武相國境峰ノ藥師ハイキング 家族向
扇山ハイキング       一般向
妻坂峠ハイキング      一般向
十文字峠ハイキング     健脚向
神津牧場ハイキング     一般向
碓井、霧積ハイキング    一般向
那須火山縱走と甲子溫泉ハイキング  (健脚向)
東葛飾ハイキング      家族向

                  ( 五萬分地圖 東京東北部)
 
發驛 = 汽車 二十八分 = 金町 ー 約一キロ半 二〇分 ー 柴又帝釋天 ー 半キロ 一〇分 ー 柴又驛 ー 電車一〇分 八錢 ー 市川國府臺驛 ー 約一キロ半 二〇分 ー 里見公園 ー 一キロ半 三〇分 ー 弘法寺、手兒奈堂 ー 一キロ 二〇分 ー 市川警察署前 ー バス五分 五錢 ー 八幡神社、藪不知 ー 半キロ 一〇分 ー 本八幡驛 ー 省線 ー 兩國
( =區間運賃例 東京より四十錢 )
 
 史蹟を探ね名刹を訪ふて江戸川べりを家族連れで散策するに恰好なコースである。
柴又帝釋天へー。
 常磐線金町驛で下車、驛前三叉路の眞中の舗装道路を三〇〇米程進み陸前街道を横切ると間もなく、江戸川堤に出るそこから櫻並木の土堤を南進すると間もなく右手に寺の瓦甍が見え始め軈て柴又帝釋天に着く、この帝釋天は正しきは經榮山題經寺といひ、日蓮宗の寺で昔は一草庵であったが寛永六年日忠上人が堂宇を興して寺としたもので本尊の帝釋天像は日蓮上人が自ら彫刻したものと傳へられ俗に板本尊ともいはれてゐる。
 里見公園へは柴又帝釋天參道の茶店前を通り五分程で京成柴又驛に出るこゝから電車に乗り市川國府臺で下車驛前の土堤を右へ江戸川に沿ふて進むと軈て里見公園に至る、こゝは永祿の昔里見義弘が北條氏康と戰った趾である。
 園内からの眺望は頗る廣豁で眼下に葛飾の沃野を眺め、遙かに秩父丹澤の連山を望むことが出來る。弘法寺、眞間手兒奈堂へは公園出口から右へ折れ衞戌病院前の岐路を左折、兵營の柵に沿ふて行けば間もなく野戰重砲第七聯隊の正門に出る。正門前の練兵場を横切ると十五分程で弘法寺に至る、境内には丹塗の仁王門がありこの中に運慶作と傳へられる黒色の仁王尊が安置してある。又寶藏にある甲子大黑天は日蓮上人の自作であるといふ。此處から數十段の石段を降ると手兒奈堂に至る。靈堂は天平九年に行基が弘仁十一年に弘法大師に依って再興せられて面目を一新し、更に文化年中に改築せられたもので昔から安産子育の靈神としてよく人に知られてゐる。
 八幡神社、八幡藪不知へは手兒奈堂から左へ入江橋を渡り京成電車道を横切ると市川警察署前に出るこゝで船橋行バスを驅って五分で八幡神社に着く。本宮は遠く寛平年間の創建で、宇多天皇の勅願により石淸水八幡宮を勸請したもので、歷代の國司武將の崇敬厚く、就中源賴朝は建久年間社殿其の他を造營し、武運長久を祈願したと傳へられてゐる、境域は廣大で千本松公孫樹、鐘樓、宇多天皇勅額初代廣重肉筆の額等見るべきものが多い。傳説に名高い八幡藪不知は一ノ鳥居前にあって三百坪ばかりの眞竹や雜木の藪で石柵を繞られてゐる。こゝから省線本八幡へは鳥居前から右へ千葉街道を横切れば五六分で出る。

〔蔵書目録注〕
 
 上のカラー写真は、最近の湘南平の新展望台(展望レストランの上)からの、富士山、大山、江ノ島。


『大山講結社名簿』 (大正)

2021年12月21日 | 趣味 1 登山・ハイキング

  

 相模囶阿夫利神社
 大山講結社名簿
     先導師
       二階堂若満

    阿夫利神社參拜講社趣意
 大山阿夫利神社ノ祭神ハ大山祗神攝社ハ大雷神高龗社ニ座シテ人皇十代 崇神天皇ノ御創立其ノ崇敬廣ク諸州ニ亘リ靈驗最モ顯著ナリ世人開運出世ノ神ト稱ヘ奉リ年々數百萬人登拜シテ神徳ヲ蒙リタル者枚擧ニ遑アラズ依ッテ茲ニ參拜講社ヲ勸誘シテ以テ敬神ノ大義國民ノ本分ヲ盡サシメントス希クハ敬神尊皇忠君愛國ノ實ヲ擧ゲ併シテ民情和親ノ美風ヲ發シ一身一家ノ幸福ヲ祈ランガ爲メ奮ッテ加盟アランコトヲ希望ス
            相模國大山町
  大正  年  月    先導師 二階堂若滿
           記
一 五人講一人ニ付 毎年掛金  但 五人ヲ一講トシ幾講モ御世話人御盡力ニテ 結講合併シテ御登山ヲ希望ス
          毎月掛金

    此壹ヶ年計金

 一人ニ付納金
一 金壹圓五拾錢 祈願並ニ神符神酒神饌料  此直會テ以テ登山一泊ノ酒飯ヲ呈ス
   殘金  圓  錢   旅費トス       登山人ヘ家内安全木札一板外講中安全神靈社中ヘ呈ス
                           
     大祭日限
春登山    四月十五日ヨリ仝月廿五日迄
夏登山 新暦 七月廿七日ヨリ八月十七日迄   但登山人ノ都合ニ依リ大祭日ノ外平日參拜相出來候事
秋季祭    九月八日ヨリ十日迄
 右祭日男女登山メ事
 右ハ毎年抽籤ヲ以テ大祭中或ハ都合ニ依リ其前後登拜スベシ御登山ノ節ハ必ズ講社參拜帳御持参ノヿ社中ノ御方ハ一戸ニ付金貳錢代參ノ御方ニ托シ燈明料トシテ御納ノヿ各縣町村講中外ノ御方タリトモ御參詣ノ節ハ必ズ舊御師二階堂若滿宅ヘ御尋ネ被下度講社同樣ニ御取扱可申事
 附リ 東海道線平塚停車塲ニテ下車致シ大山ニ入ル平塚停車塲ヨリ二階堂宅迄四里拾八丁
    平塚小安兩間ノ途中宿引或ハ乗合馬車人力車夫等ガ種々ノ口實ノ許ニ他家ヘ御案内申上不都合ノ所爲アル風聞御座候間御取合ナク御タヅネ被下樣願上候
 
 〔参拝道中案内圖繪〕
  
  大山大祭日
    毎年春登山新暦四月廿一日ヨリ同三十日マデ
    夏登山毎年新暦七月廿七日ヨリ八月十七日マデ
    右両祭共女人参拝登嶺ヲ許ス
  
 大山阿夫利神社
  参拝道中案内圖繪〔上の写真参照〕
   大山先導師
    二階堂若滿   

〔蔵書目録:大山参り沿線写真〕

  

 ・大雄山最乗寺(道了尊)1
 ・同 2
 ・「湯殿山月山羽黒山供養」(千村の矢倉沢往還沿いにある)

    
 ・「左小田原いゝすこみち」
 ・この道標は、現在渋沢駅近くの国栄稲荷神社にある。そこから見える交差点の上下は富士大山道、左右は矢倉沢往還である。渋沢駅の新宿寄りの踏切の道が、大山道である。
 ・「左大山道」
 ・曲松交差点(国道246号線)から大山道で大山を望む
 ・「大山道」(現在は日立南バス停前にある)

     
 ・田原の「源實朝御首塚」(中庭バス停近く) 
 ・金剛寺
 ・朝日神社
 ・東田原バス停から、富士山を望む。
 ・東農協前バス停近くから、波多野城址を望む。
 ・波多野城址から大山を望む。


『小田急電車の ハイキング案内』 (1939.3)

2021年12月10日 | 趣味 1 登山・ハイキング

 

多摩川畔    (家族向)
辨天洞窟・丘陵   (家族向)
弘法ノ松・桝形城址 (家族向)

 富士・箱根・大山・丹澤と南の山々を一眸に望む弘法ノ松の臺地から丘續きに雜木林の間を脱けて多摩川が眼下に展開する桝形山に松籟をきく野趣に溢れたコースです

コース

 新宿 ー 小田原行で二十九分 → 西生田 ー 驛前の道を右へ線路沿ひに踏切を亘って二〇分 → 高石 ー 導標を見て左折踏切を亘って山徑を二〇分 → 弘法の松 ー 導標をたよりに東へ丘續きを四〇分 → 切通し ー 道を横切って上り再び丘續き四〇分 → 桝形山城址 ー 山を下って向ヶ丘遊園地への道と合して二〇分 → 稻田登戸 ー 電車三二分 → 新宿
歸途向ケ丘遊園地又は初山の池に遊ぶもよし、又多摩川まで脚をのばすのも一興でせう

弘法ノ松  周圍六米、弘法大師のついてゐた松の杖に根が生えて繁茂したと傳へられる巨松です
桝形山城址 源家の外戚として小身ながら威を振つた稻毛三郎重成の館趾、山腹の廣福寺に稻毛三郎の木像墓等があります
        徒歩 九粁・二時間半
        地圖 溝ノ口(二萬五千分ノ一)
        導標完備

多摩聖蹟      (家族向)
物見峠・札掛渓谷  (一般向)
中津渓谷      (一般向)

大山

 東京から南の方にピラミッドのやうな美しい稜線をもった山が見えるでせう、それが武神のきこえ高い阿夫利神社の鎭座する大山です、山嶺の展望は廣潤雄大を極め、富士・丹澤・箱根の山々を望み、脚下に相模平野、湘南の海に浮ぶ江ノ島・大島なぞ航空寫眞のやうに展開してゐます

阿夫利神社
 崇神天皇の時代創建せられ、大山祗命を祀る武將には戰勝の神として、庶人には開運の神として尊崇せられてゐます
 春祭  四月十五日より二十四日まで
 夏祭  七月二十七日より八月十七日まで
 紅葉祭 十月二十日より十一月二十日まで 
大山寺
 聖武天皇の御宇僧良辨の開基に係り不動明王を祀ってあります
日向藥師
 元正天皇の勅願寺、本尊如来は行基の作、他に國寶二十三點あり、日本三藥師の一
鶴卷溫泉
 近來賣出の溫泉、カルシューム含有量は世界一です
七澤溫泉 
 大澤川の渓流に沿ふた閑雅な湯治場、透明な炭酸泉
廣澤寺溫泉
 寶永年間より知られたる藥湯塲、透明なアルカリ泉

コース

             地圖 藤澤・秦野(五萬分一)

A 表參道ルート  (家族向)   

                 
 新宿 ー 急行で五七分、普通で一時間一一分 → 伊勢原 ー バスで二〇分 → 大山町 ー 參道を爪先のぼり四〇分 → 追分 ー 四十五度の急傾斜をケーブルカーで八分 → 下社 ー 社の裏手から上り一時間一〇分 → 大山頂上 ー 奥社の裏の御来光參拝所から丹澤の偉容を眺め、中道めぐりして下山三〇分 → 下社 ーケーブルカーで八分 → 追分 ー 下り三〇分 → 大山町 ー 伊勢原 → 新宿    徒歩 九粁・三時間

B 日向越え    (家族向)
C 七澤溫泉ルート (一般向)
D 廣澤寺溫泉ルート(一般向)
E 鶴卷溫泉ルート (一般向)

 新宿 → 大山頂上 → 下社 ー 社の裏手から左へ山をまいてゆく三〇分 → 淺間山 ー 尾根道二〇分 → 千畳敷 ー なほ尾根道を下り上る四〇分 → 鷹取山(標高五五六米) ー 山を下り前面の小突起を右に卷いて下る四〇分 → 獅子窪 ー 廣い道に出て右折直ちに左に丘を越える三〇分 → 鶴卷溫泉 ー 急行で一時間一分普通で一時間一六分 → 新宿    徒歩 一六粁・五時間

大山・ヤビツ峠  (家族向)

 大山の頂上からヤビツ峠へは富士を前に見ながら下る明るいハイキングコースです

コース

 新宿 ー 小田急 → 伊勢原 ー バス → 大山町 ー 參道を爪先のぼり四〇分 → 追分 ー ケーブル → 下社 ー 社の裏手から上り一時間一〇分 → 頂上 ー 奥社の裏の中道を廻つてもとの道を五分程下り黒門をくゞって右の道を下り三〇分(上り五〇分) → ヤビツ峠 ー 舊道下り四〇分(上り一時間)林道下り一時間三〇分(上り二時間) → 蓑毛 ー バスで二五分 → 大秦野 ー 急行で一時間八分普通で一時間二四分 → 新宿    徒歩 一〇粁・三時間(舊道により)・三時間 一二粁・四時間(新道により) 

ヤビツ峠
 標高八〇〇米、秦野盆地から相模灘を俯瞰する美しい展望、丹澤山中自動車の行く唯一の峠です

丹沢山塊 

 千古斧鉞を知らぬ廣大な潤葉樹の幽林、巨瀑連續する峻嶮な溪谷、高山性の山嶺を縫ふて展開する草原等々、これが帝都から極めて近距離の標高一、六〇〇米内外の山塊の姿かと驚くのが丹澤です

丹澤表尾根縱走  (一般向)

 眼下にひらける相模平野の向ふに夢のやうな大島の姿が靜かな海面に浮いてゐます、遠く薄紫に烟る天城山、近く箱根連山を控えた富士山を眼の前に眺めながら明るい尾根道を峯から峯へ!

コース

 新宿 ー 急行で一時間八分普通で一時間二八分 → 大秦野驛 ー バスで二〇分 → 蓑毛 ー 村はづれの橋の手前を右へ五六分岐路を左へ澤沿ひ一〇分 ー 大堰堤 ー 橋を渡ってヂグザグ上り五〇分 → ヤビツ峠 ー 右へ林道傳ひに下り一五分 → 富士見橋 ー 橋を渡って左折五分 → 三ノ塔登山口 ー 導標にて右へ上る一時間 → 大平山頂上 ー 痩尾根を下り上る一五分 → 三ノ塔 ー 頂を北へ少し下り左の急峻を下り切って上る一五分 → 烏尾山(一、一三七米)ー 尾根を二〇分 → 行者岳(一、一八八米) ー 急峻を登降防火線沿ひにつめ四〇分 → 新大日(一、三四一米) ー (右へ下れば一時間で札掛)左へ潤葉樹林の尾根を二〇分 → 木ノ又大日 ー 一突起を越し最後の急峻五十米餘を二〇分 → 塔ヶ岳ー 左へ下り尾根道を一時間三〇分 → 一本松 ー 尾根を左にまいて下る三〇分 → 大倉 → 導標傳ひに村道を一時間 → 澁澤 ー 新宿    地図 秦野(五萬分一) 徒歩 二〇粁・七時間 導標完備 

塔ヶ岳(一、四九一米) 
 頂上は茅戸の原で、遮るなき素晴らしい展望臺です。
三ノ塔(一、二〇五米)
 一名菩提山とも稱ばれ、頂は茅戸の廣々した原で秦野盆地を俯瞰し東に大山、西に塔ヶ岳から富士山、箱根を望む 絕勝です

オバケ澤遡行    (健脚向)

大山・丹澤槪念圖

主脈縦走      (健脚向)

 果しなく延びた山稜の所々に物凄い崩壊が光って森閑とした尾根から尾根へ甲高い小鳥の聲が清澄な山氣をふるはしてゐます

コース

第一日 新宿 ー 午後十時半新宿發午前零時一分澁澤着 → 澁澤(驛構内「丹澤の家」泊り又は夜道を)
第二日 澁澤 ー 未明出發 導標傳ひに一時間 → 大倉 ー 部落はづれの登山口から左の山徑を上る一時間 → 一本松 ー 草山の上り二時間 → 塔ヶ岳 ー 北へ下り樹間の尾根を三五分ひらけて → 龍ヶ馬場 ー 緩い尾根道上り二〇分 → 丹澤山 ー 左のツルベオトシを下り上って三〇分 → 不動ヶ峯 ー 樹間の尾根を三五分 → 鬼ヶ岩 ー 唯一の岩場を下り、蛭に取ついて二五分 → 蛭ヶ岳 ー 熊笹の間を一氣に下り四〇分 → 原小屋澤分岐點 → 草山を上り三〇分 → 姫次岳 ー 八丁坂を下り四〇分 → 黍殻 ー 坦々たる尾根道三〇分 → 燒山 ー 一〇分許り戻り左に下って尾根道を一時間半下り → 平戸 ー 串川に沿って村道を三〇分 → 島屋 ー バスで一時間十五分 → 相模厚木 ー 急行で五〇分普通で一時間二分 → 新宿 
 地圖 上野原・秦野・八王子・藤澤(五萬分一)
 徒歩 三六粁・一一時間
 導標あり
[丹澤の家] 宿泊無料、申込は本社旅客係へ
 鳥屋春木旅館 一泊一圓十錢、半泊(朝食付)八十錢
 水場が僅少ですから水筒を御用意下さい

蛭ヶ岳(一、六七二米)
 本山塊の最高峯、山頂に毘盧舎那佛藥師如來を祀り毘盧ヶ嶽、藥師嶽とも稱ばれてゐます 頂は樹木鬱蒼としてゐますが南側熊木澤を眼下に見る邊りの展望は美事です

丹澤三ツ峯縱走   (健脚向)

西丹沢

中川温泉      (一般向)


鶴卷溫泉・弘法山  (家族向)

 溫泉の裏の丘から弘法山へ殆んど登りといふ登りなしに展望のよい尾根道が續いてゐます
 眞白な富士山がびっくりする程大きく、大山・丹澤の連峰はすぐ眼の前に聳えてゐます

コース

新宿 ー 普通一時間一六分急行一時間三分 → 鶴巻溫泉 ー 光鶴園の右側を脱けて丘へ上ってゆく二〇分 → 吾妻山 ー 松林の尾根道を四〇分 → 善波峠上 ー 秦野の町を右下に見ながら二〇分 → 弘法山 ー 尾根續きに櫻の馬場を抜けて一五分 → 權現山 ー 西側の鞍部から左へ急坂を下る二〇分 → 中野 ー 橋を渡って縣道を右へ三〇分 → 大秦野驛 ー 普通一時間二十五分急行一時間十一分 → 新宿 
 地圖 秦野・藤澤 徒歩 八粁・二時間半 導標完備

 
弘法山
 弘法大師が千座の護摩修行をされたといふ舊蹟で大師の像が山上に安置されてゐます 眺望は豪壯、櫻萩の名所です
弘法山から寺山の波多野城址、東田原の源實朝の首塚或ひは震生湖を訪ね、秦野町の專賣局煙草工場なぞを見學するのも、意義あることでせう
        
二宮尊徳・曾我兄弟遺跡巡り (一般向)

箱根火山群

足柄峠・金時山・乙女峠   (一般向)
狩川溪谷・仙石峠越え    (一般向)
明神・明星ヶ岳越え     (一般向)
箱根主峰 神山・駒ヶ岳縱走 (一般向)
南箱根
 箱根 ー 湯河原峠越え  (一般向)

箱根徒歩旅行案内図

バス時間表

昭和14年3月 


『箱根・丹沢 向ヶ丘遊園』 2 小田急 (1953頃?)

2021年08月08日 | 趣味 1 登山・ハイキング

 丹沢の魅力は大正の大震災で揺り落された全山ガレ肌の高山的風貌、随所に巨瀑を懸けた悪場の溪谷、また未だ開かれない原生林の秘境のあることなどであらう。山域は相、甲、駿の三国に跨り南北約二〇粁、東西約五〇粁に及んでいて棲んでいる獣類も熊、鹿、羚羊、猪、猿等で折々登山者が目撃するところである。現在、一般の丹沢登山式は尾根歩きより変化のある谷歩きに重点を置いていて、悪場の多い溪谷ほど若人が蝟集しているらしいが、山相の複雑な丹沢にあっては、一応尾根筋を踏み入る人は、谷歩きの前に少くとも表尾根、鍋割山稜及び塔ノ岳から北に続く丹沢、蛭ヶ岳の所謂主脈を縦走して丹沢の山貌、溪相を認識してからにして戴きたい。その他登山の計画には、充分に予備知識を得、季節と天候を選択し、服裝と携帯品をぬかりなく準備した上で、その山の特殊条件を良く研究して欲しい。なお資料の一つとして山と渓谷社発行の「丹沢の山と渓」の一読を推奨する。
 ※初めて登山する人は文獻でよく研究し、経験者のリーダーに随った方がよい。
 ※防寒、雨具、ランタン、磁石、地図、水筒等は必携である。
 ※登山の際は下車駅、宿舎には必ず予定コース、氏名等を記載して欲しい   

   表尾根縱走 (健脚向)

 丹沢第一課と云われるコースであるが、一上一下なかゝアルバイトを強要される。長い大平山の登りが終ると漸く足が定ってくる。 
 三ノ塔の頂上へ出ると秦野盆地の美しい田畑の絵模様や、江ノ島・大島を浮べた相模湾が展開する。大山を後に烏尾を過ぎるとゴツゝとした岩の尾根道は急な登りを見せて行者岳へ続く。涸沢は所々に白いガレを光らせ、底知れない深さに落ちこんでいる。行者の切立った岩場を急降して再び萱戸の尾根を登ると新大日である。まもなく山毛欅の林を抜けて塔ノ岳の頂上に達する。玄倉川へ荒々しいガレ条を幾つも流した西丹沢の上に富士がそびえ、優美な箱根連山が手にとどきそうに迫ってくる。

    

   コース
 新宿 ー 急行一時間八分 ー 大秦野駅 ー バス三〇分 一 蓑毛 ー 橋を渡らず川に沿って一時間 ー ヤビツ峠 ー 右へ林道沿いに下り一五分 ー 富士見橋 ー 橋を渡って左折し五分 ー 三ノ塔登山口 ー 道標にて右に上り一時間 ー 大平山頂上 ー 痩尾根を下り上り一五分 ー 三ノ塔 ー 急峻を下り一五分 一 烏尾山 ー 尾根を二〇分 ー 行者ヶ岳 ー 急峻を上り四〇分 ー 新大日 ー 左へ濶葉樹林の尾根二〇分右へ下れば札掛へ一時間半 ー 木ノ又大日 ー 最後の急峻二〇分 ー 塔ノ岳(一、四九一米) ー 左へ尾根道一時間半 ー 一本松 ー 尾根を左にまいて下り三〇分 —大倉 ー 道標沿いに村道一時間 ー 渋沢駅 ー 急行一時間一二分 ー新宿
  地図 秦野(五万分ノ一)
  徒歩 二〇粁 七時間半
  運賃 新宿 一 大秦野 一三〇円
     渋沢 一 新宿  一四〇円
  (バス)大秦野 ー 蓑毛 二〇円
  秋季割引往復(バス共)
  二六〇円(十一月末まで)

   鍋割山稜 (一般向)

 時間的には表尾根より長いがアルバイトはさほどでもない。明るさ静けさを愛する人々のコース。 
 大倉尾根の馬の背を越して四十八瀬川の源頭を廻り込むと、右はブナやかえでの濶葉樹林で、左は茅戸の気持ちの良い展望の開けた一起一伏の尾根径が続く。やがて西丹沢のドウガク・檜洞・臼・蛭の群峰は圧倒的な迫力を持って迫ってくる。

   コース
 新宿 ー 急行一時間一二分 ー 渋沢駅 ー 徒歩一時間 ー 大倉 ー 徒歩一時間 ー 一本松ー 徒歩二時間 ー 馬の背 ー 西へ四十八瀬川の源頭を廻って一五分 ー 大丸 ー ブナ林の間を抜けて尾根道を一五分 ー 小丸 ー 尾根径上り下り四〇分 ー 鍋割山 ー 逆落しの急斜面を二〇分 一 鍋割峠 ー 溪路を下り二五分 ー 雨山峠分岐 ー 山腹を捲いて下り川原を歩き一時間半 ー 稲郷 ー 川沿いに二五分 ー 宇津茂 ー なだらかな峠道を五〇分 ー 三廻部 ー 徒歩一時間 ー 渋澤駅 ー 新宿
  徒歩 三二粁 一一時間  地図 秦野(五万分ノ一)
  運賃 新宿 一 渋沢 一四〇円
  このコースは相当時間がかかるので、前日塔ノ岳尊仏小屋又は大倉に一泊して早朝出発する方がよい。

   丹澤主脈縦走 (健脚向)

 丹沢山塊を南北に縦断するこのコースは塔ノ岳から丹沢山を経て主峰蛭ヶ岳に至り姫次岳から燒山へ抜ける蜿蜒三六粁、所要時間約一一時間の徒歩行程である。その変転極まりない風光と展望は丹沢独特のもので、この山系の観察には好適の縦走路である。 
 このルートは非常にアルバイトを強要されるので、前日に塔ノ岳の尊仏小屋に宿泊して早朝発ちしなければならない。途中避難小屋の設備も水場もわかりにくいので充分な研究と、時間の余裕を見て行動を起して欲しい。ここのは簡単ながら参考になる行程を誌してみた。

 

   コース
 新宿 ー 急行一時間一二分 ー 渋沢駅 ー 徒歩一時間 ー 大倉 ー はずれの登山口から左の山径を登る一時間半 ー 一本松ー 草山の上り二時間 ー 塔ノ岳(宿泊) ー 北へ下り樹間の尾根を三五分ひらけて ー 龍ケ馬場 一 緩い尾根道上り二〇分 ー 丹沢山 ー 左のツルベオトシを下り上って三〇分 ー 不動ヶ峰 ー 樹間の尾根を三五分 一 鬼ヶ岩峠 ー 唯一の岩場を下り蛭に取ついて二五分 ー 蛭ヶ岳 ー 熊笹の間を一気に下り四〇分 ー 原小屋沢分岐点 ー 草山を上り三〇分 ー 姫次岳 ー 八丁坂を下り四〇分 ー 黍殻 ー 担々たる尾根道を三〇分 ー 燒山 ー 一〇分ほど戻り左に下り尾根道を一時間半 ー 平戸 ー 串川に沿って村道を三〇分 ー 鳥屋 ー バス一時間 ー 橋本駅 ー 横浜線一五分 ー 原町田駅(乗換)新原町田駅 ー 急行三五分 ー 新宿
     (バス鳥屋終発一六時四〇分)九月調
  地図 上野原・秦野・八王子・藤沢(五万分ノ一)
  徒歩 約三六粁 一一時間
  運賃 新宿 一 渋沢 一四〇円
  (バス) 鳥屋 ー 橋本  九〇円
     橋本 ー 原町田 三〇円
     新原町田 ー 新宿 七〇円

向ヶ丘

  向ヶ丘遊園 稲田登戸駅下車

 遊園は六萬余坪の秋草ゆたかな丘陵の上にある。北は多摩の流れを隔てて東京都に対し、南は緩い谷あいとなって、その中に色々な運動施設や娯楽設備が設けられている。この丘陵附近一帯は梨、栗、柿の産地で秋の幸を味うハイキングには良い場所である。
  運賃  新宿ー稲田登戸 四〇円
  入園料 大人 二〇円 小人 一〇円
 豆電車 大人二〇円 小人一〇円
 空中ケーブル 片道  往復
  大人    三〇円 五〇円   
  小人    一五円 二五円
 運動場  一日
  第一グランド 休日 五〇〇〇円
  〃      平日 三〇〇〇円
  第二グランド    三〇〇〇円
  第三グランド    二〇〇〇円
 野球場  三時間
  平日         三〇〇円
  土曜         四〇〇円
  休日         五〇〇円
 野外劇場  一日
  休日        三〇〇〇円
  平日        一五〇〇円
 飛行塔、メリースクーター、ベビー列車、サークリング、回転ボート、豆自動車、スリラーカー、ビックリハウス、スクーター
         各一回  一〇円
 ウォーターシュート    二〇円
 ローラースケート 三〇分 三〇円
 ピンポン 一人一時間   一五円
  団体割引もある。詳細は本社開発課へ。

  秋の味覺  もぎ取り即賣
 小田急沿線は新鮮な果実に惠まれている。特に次の場所では安価にもぎ取りが楽しめる。
 梨もぎ 稲田登戸・稲田多摩川・向ヶ丘遊園附近 九月上旬より一〇月中旬まで
 柿もぎ 柿生・鶴川附近 一〇月中旬より一一月下旬まで
   お問合せは小田急京橋・新宿案内所へ。

   弘法の松・枡形城址 (家族向き)

 弘法大師の杖に根が生えて繁茂したと伝えられる弘法の松は、周囲六米の巨松である。この丘から箱根・大山・丹沢と重畳たる相模の山脈を一望の下に収めることができる。これから一上一下の快適な丘歩きが始る。
 枡形城址は畠山重忠の従弟、稲毛三郎重成の館址で、多摩川の右岸の丘上にあり、鎌倉幕府の前衞基地として重要な役割を果した。

 
   コース
 新宿 ー 電車三三分 ー 西生田駅 ー 駅前の道を線路沿いに踏切を渡って二〇分 ー 高石 ー 左折し踏切を渡って山径を二〇分 ー 弘法の松 ー 東へ丘の上の道を五〇分 ー ゴルフ場 ー ゴルフ場を右にみて舗装道路を五分程歩き再び右の山径を二〇分 ー 枡形城址 ー 左の山径を五分 一 戸隠不動 ー 右折して線路沿いに川を渡り二〇分 ー 稲田登戸駅 ー 電車二八分 ー 新宿
  地図 溝ノ口(二萬五千分ノ一)
  徒歩 九粁 約三時間
  運賃 新宿 ー 西生田 五〇円
     稲田登戸 ー 新宿 四〇円

  

〔蔵書目録注〕
 裏表紙の向ケ丘遊園の隣の写真は、当時のロマンスカーにあった日東紅茶のスタンド。
 上の表尾根にあるカラー写真は、最近撮影のもの。
 (左)ニノ塔(大平山)から富士山(十二月初旬)。
 (中)三ノ塔から富士山(一月初旬)
 (右)塔ノ岳から富士山(十一月下旬)


『箱根・丹沢 向ヶ丘遊園』 1 小田急 (1953頃?)

2021年08月07日 | 趣味 1 登山・ハイキング

 

箱根・丹沢 向ヶ丘遊園
  小田急 レクリエーション ハンドブック
  
箱根路

  道了尊より明神・明星越え (一般向)

 このコースは箱根ハイキングコースの第一課とも云える外輪山越えのルートである。この山径は箱根路の最も古い上代古道の一部で、関西から関東に入るには御殿場から乙女峠を経て仙石原を通り明神ヶ岳に登り、このコースの逆を通ったものである。
 道了尊の裏山に出れば茅戸の緩やかな登りが限りなく続き、晩秋の頃青く澄み切った空に、銀色に輝く穂すゝきが波うつ明るい印象的な山である。明神ヶ岳の頂上(一、一六九米)から脚下に流れる早川の渓谷を隔てて強羅・早雲山や大湧谷の噴煙及神山・駒ヶ岳の主峰が指呼の中にある。西北には外輪山の最高峰金時山、そして愛鷹連峰を率いた富士が一際高く、北には山肌もあらわな丹沢が連互して横貌を見せている。

 
   コース
 新宿 ー 急行一時間二一分 ー 新松田駅 ー バス二〇分 ー 関本 ー 杉並木の参道を上り五〇分 ー 最乗寺ー 山門の左手小径を上り一五分岐路左へ三〇分 ー 見晴茶屋 ー 草原に出て緩い上り水場を通り一時間半 ー 明神ヶ岳 ー 左へ下り一五分 ー 分岐点 ー 左の尾根を上り下り四〇分、右の急坂を下れば宮城野へ四〇分 ー 明星ヶ岳 ー 尾根伝いに下り二〇分 ー 鞍部の分岐点 ー 右折して叢林の径を四〇分 ー 宮城野小学校前 ー 橋を渡って一五分 ー 強羅駅 一 登山電車三五分 ー 箱根湯本駅 ー 急行一時間四五分 ー  新宿
  地図 小田原(五万分ノ一) 
  徒歩 一五粁 約五時間  

  湯坂越え (家族向)

 このコースは江戸時代以前の箱根字路で、鎌倉時代に阿仏尼が初めて越えたこの道の心細さを『十六夜日記』の中に書いている。
  「足柄山は道遠しとて箱根路にかゝるなりけり。 “ ゆかしさよそなたの雲をそばたてて よそになしぬるあしがらの山 ” いとさかしき山をくだる。人のあしもとどまりがたし。湯坂とぞいふなる。辛じて越えはてたれど、又麓に早川といふ河あり。」 
 長い旅路の果ての老女の足の実感であったかも知れないが、実際は鷹巣山(八三七米)から浅間山(八〇二米)それから湯坂山(五四七米)と、小山の峰続きにぐんゝと高度を下げて来る眺望のよい快適なルートである。この附近の紅葉は箱根随一と云われている。鷹巣山と、浅間山頂上には北条時代の古城址がある。

 
   コース
 新宿 ー 急行一時間四五分 ー 箱根湯本 ー バス五〇分 ー 芦の湯 ー バス通りを小涌谷の方へ戻り五分道標により右折して緩やかな山径を上り一五分 ー 鷹巣山ー 急坂を下り再び尾根沿いの山径を上り二〇分 ー 浅間山 ー 薄原の緩やかな山径を下り四〇分林道を抜け石畳の山径を一五分 ー 湯坂山 ー 再び石畳の山径を二五分 ー 旭橋際 ー 橋を渡り五分 ー 箱根湯本 ー 急行一時間四五分 ー  新宿
  地図 小田原(五万分ノ一) 
  徒歩 八粁 約二時間

丹沢山塊

 大山山麓とその他

  大山 

 相模の名山、大山は丹沢山塊の東南端で、殆んど独立峰に近い美しいピラミッド型の山姿である。この山は昔から出漁の漁夫や航行の船の指標になっていた。また信仰登山の対象としては開運の神山といわれ、別名雨降山という如く雨乞の霊験あらたかといわれている。標高一、二四五米の山頂には大山祗神を祀る阿夫利神社の奥社があり、中腹にはその下社と重要文化財に指定されている不動尊を祀る雨降山大山寺がある。山頂の展望は雄大で関東平野を一望に収めることができる。 

A 表参道ルート (家族向) 地図 藤沢・秦野(五万分ノ一) 

 新宿 ー 急行五八分 ー 伊勢原駅 ー バス二五分 ー 大山町 ー 参道四〇分 ー 追分ー 向って左手の女坂を四〇分 ー 下社 ー 社の左手より上り一時間半 ー 頂上奥社 ー 社の裏の御来光参拝所から丹沢を眺め中道めぐりして下山三〇分 ー 下社 ー 二〇分 ー 追分 ー 下り三〇分 ー 大山町 ー 伊勢原駅 ー 新宿
  徒歩 約一二粁 四時間
  秋季割引往復(バス共)二五〇円(十一月末まで)

B 日向越えルート (一般向)

 日向薬師は天正天皇の勅願寺であり日本三薬師の一つで、重要文化財に指定されているもの二四点ある。
 新宿 ー 伊勢原駅 ー 大山頂上 ー 社の裏右手日時計の場所より尾根の小径を五〇分 ー 見晴台 ー 九十九曲りをヂグザグに下り日向川に沿って左折一時間二〇分 ー 日向薬師 ー 寺を下り左折四〇 ー 新田 ー バス二五分 ー 伊勢原駅 ー 新宿
  徒歩 約一六粁 五時間半

C 日向越えルート (家族向)

 大山頂上 ー 下社 ー 石段を下りて左折二重ノ滝を見て緩い上り四〇分 ー 見晴台 ー 日向薬師 ー 新田 ー バス ー 伊勢原駅 ー 新宿
  徒歩 約二〇粁 六時間

  大山・ヤビツ峠 (一般向)

相模灘、富士山、丹沢の山々を眺めながら頂上から足どりも軽く一気にヤビツ峠に下る。

   

   コース
 新宿 ー 急行五八分 ー 伊勢原駅 ー バス二五分 ー 大山町 ー 参道四〇分 ー 追分ー 女坂を上り四〇分 ー 下社 ー 社の裏手から上り一時間半 ー 頂上(一、二四五米) ー 奥社の裏の中道を廻りもと来た黒門に沿い道標を右折四〇分 ー ヤビツ峠 ー 柏木林道を下り四〇分 ー 蓑毛 ー バス三〇分 ー 大秦野駅 ー 急行一時間八分 ー 新宿
  地図  藤沢・秦野(五万分ノ一) 徒歩 一二粁 四時間
  運賃 新宿 ー 伊勢原 一二〇円 大秦野 ー 新宿 一三〇円
  (バス) 伊勢原 ー 大山町 二五円 蓑毛 ー 大秦野 二〇円

  鶴巻温泉・弘法山 (一般向き)

 大山々麓の靜かな温泉郷と、弘法大師が千座の護摩修業したという弘法山を結んだコースである。低山ではあるが展望がすぐれ、萩・すゝきの頃はこよなく愉しいルートである。

    
   コース
 新宿 ー 急行一時間二分 ー 鶴巻駅 ー 光鶴園の右側を抜け丘に上り二〇分 ー 吾妻山 ー 松林の尾根道を上り四〇分 ー 善波峠ー 秦野町を右下にのぞみながら二〇分 ー 弘法山 ー 尾根続き二〇分 ー 権現山(千畳敷) ー 西側の鞍部から急坂を下り八分 ー 中野 ー 橋を渡って県道を四〇分 ー 大秦野駅 ー 急行一時間八分 ー 新宿
 ※逆コースをとり帰路鶴卷温泉に浸るのも趣がある。
  地図 秦野・藤沢(五万分ノ一)
  徒歩 八粁 二時間半
  運賃 新宿ー鶴巻 一二〇円 大秦野ー新宿 一三〇円
  秋季割引往復二二〇円(十一月末まで)   

  澁澤・曾我丘陵 (家族向)

   渋沢丘陵は秦野盆地を隔てて丹沢表尾根に相対している。一起一伏の丘陵は次第に曾我兄弟の里に導いてくれる。この附近一帯は蜜柑の産地。

 
   コース
 新宿 ー 急行一時間一二分 ー 渋沢駅 ー 駅前を左に抜け右折して畑中の径を二〇分 ー 下庭 ー を過ぎ小原への分岐を左に見て再び畑中の径を一〇分 ー 栃窪ー を抜けて緩やかな丘陵を上る三〇分 ー 一本松 ー 尾根径を西へ三五分 ー 高尾 ー を左に見て再び山径を二五分 ー 赤田 ー を抜け畑中の十字路を左折して尾根沿いの径を五〇分 ー 浅間山 ー 尾根沿いの山径を西北に不動山を右に見て五五分 一 六本松 ー 広い径を右に下る三〇分 ー 下曾我村 ー 村道を真直ぐ七分 ー 宗我神社 ー 参道を下り左折して五分 ー 城前寺 ー 県道を一〇分 ー 下曾我駅 ー 列車一五分 ー 新松田駅 ー 急行一時間二一分
  地図 秦野・国府津(五万分ノ一)
  徒歩 一五粁 約五時間

 B 澁澤丘陵・震生湖

   コース
 渋沢より前項と同じ ー 下庭 ーを抜け畑中の道を左折して尾根径を三〇分 ー 図幅二二一米の台地 ー 尾根径を北西へ二〇分 ー 震生湖 ー 北に山径を下り芹沢を右に見て三五分 ー 白笹稲荷 ー 畑中の径を東へ線路を渡り右折して二五分 ー 大秦野駅 ー 急行一時間八分 ー 新宿
  徒歩 約五粁 二時間
  運賃 新宿ー大秦野 一三〇円
     新宿ー渋沢  一四〇円
     新松田ー新宿 一五〇円
     下曾我ー松田  一〇円

〔蔵書目録注〕
 上の大山にあるカラー写真は、最近撮影のもの。
 (左)山頂裏手から富士山、手前は二ノ塔、三ノ塔(十二月初旬)。
 (右)同じく夏(七月中旬)
 上の弘法山にあるカラー写真は、最近撮影のもの。
 (左)善波峠
 (中)権現山展望台からの富士山(一月下旬)
 (右)同展望台から東京スカイツリーと東京タワーを望む。


「丹沢主脈縦走」 (『丹沢山塊』より) (1944.9)

2021年05月05日 | 趣味 1 登山・ハイキング

  
 
 ・丹澤山山頂
 ・蛭ヶ岳頂上

 丹澤主脈縱走 (地圖 上野原、八王子、秦野、藤澤)

 主脈縱走路は丹澤山塊の本町通りであり、山の全貌を知るには好適な徑路である。若し、ヤビツ峠から三ノ塔、烏尾、行者、木ノ俣大日、塔ノ岳の表尾根縱走が、丹澤の第一課とすれば、之は將に第二課の段階である。
 此縱走路を歩く時は、早春より初夏にかけてよく、分けても、小鳥の賑やかな六月ともなれば丹澤名物の白八汐の花や紫紅色の三葉つゝじが峯々に咲き誇り、丹澤の美しさが高潮期に達する時である。又、初秋から初冬にかけての佳さは格別で、丹澤獨特の茅戸の褥につゝまれた山々を秋草の徑を踏み分け、行雲を追ふて行く情趣は、此徑路を更に、印象的なものにする。
 一般に主脈縱走とは、南面の塔ノ岳から北上し丹澤山を経て、山塊の最高峯蛭ヶ岳を越えて姫次の高原を過ぎ、燒山の山腹を捲いて、山塊を南北に縱断する徑路を言ふのである。

 南口の大倉口は、昭和二年四月に東京急行電鐵小田原線(元の小田原線)が開通して大倉尾根南方六粁に澁澤驛が営業を開始されるや、漸次、登山者が増え、更に昭和十四年一月に塔ノ岳山頂に横浜山岳會の尊佛小屋が竣成するや、俄然、利用者が激增し、遂に一般縱走者の表玄關となったのである。
 
 南方登路大倉口は、澁澤驛から大倉迄、坦道がつゞき夜道をかけても途中に指導標があるので實に判りよい。尾根筋に入つても上り一本道で、たゞ水無川と四十八瀨川に挟まれた痩尾根「馬ノ背」さへ注意して通り過ぎれば危險な處はない。そして、塔ノ岳まで頑張れば丹澤山と不動の峯蛭ヶ岳の登りの他は、下り一方で樂ではあるが、餘り龍ヶ馬場や姫次あたりの高原狀の氣持の良さに、のびて居られない事情がある。それは島屋の終發乗合が、十七時三十分(十九年四月調)に乗遅れたら帰京する事が出來ないからである。
 此縱走路の佳さは新宿から毎時、小田原行が出て居るので都合のよい時間を選擇する事が出來るのと、前進根據地が豊富な事である。卽ち澁澤驛構内の丹澤山の家、驛前松屋、大倉尾根登山口の大倉山の家、塔ノ岳頂上尊佛小屋等々である。(驛構内の丹沢の家は都合により廢止された)
 主脈縱走は徒歩行程約三十六粁、十一時間を要するので相當健脚でなければならない。出發は晴天でない限り中止すべきで、塔ノ岳尊佛小屋の番人は、土曜及祭日の前日の晩しか居ないので平日は宿泊が出來ない。其他は強行であるが、前夜大倉に假泊して早朝發ちがよい。水場が僅少なのと長丁場なので水筒、ランタンは必ず携帶すべきである。
 澁澤驛から右へ線路を越えて、此附近の特産煙草畑と野菜畑を抜け、廣い縣道を突き切つて行くと堀西のとなる。こゝで三廻部への徑を左に見送り指導標に從へば、やがて大倉に入る。恰度澁澤驛から一時間の行程である。を出外れると、道は水無川に突當り瀨音が急に高まり響いて來る。此處の畑中左へ一丁許り行くと丹澤党にはお馴染の高橋新一郎君の宅、大倉山の家に着く。川沿ひに左に畑中を通り右側の小祠を見過ぎると大倉尾根の登口である。眼下には水無川の川原が白々と擴がり、仰げば行者山の岩峯が怪奇な姿を見せ、それにつゞく表尾根の山稜が壓する許りに近い。山腹を捲くヂグザクの徑は、間もなく急な登りとなり、軈てゾウジバの平に出て、尾根通しとなる。程なく名物一本松の休憩場に達する。一本松は昔から山路を歩く人達の好目標となり、懐しまれた巨松であつたが、昭和九年の颱風に吹き倒され、今は枯れたまゝ横たへられ憩ふ人達の腰掛となつて居る。次々に移植された松も又枯れて現在のは四代目位の筈である。茲から一足登る毎に右は表尾根山稜が、左は鍋割山稜が追つて來る。左上空には富士が美しい姿を見せて居る。五〇九米の堀山の三角點の右を過ぎれば徑は稍平坦となり、草原狀の吉澤ノ平の瘤に到り續いて小草ノ平になつて氣持ちの良い徑が続く。程なく徑が急な登りを見せて岩磐の露出した間をよぢ登つて行く。右側の大きな石の上に前尊佛の像が上半身の姿を岩に凭せて安置されて居る。花立ノ頭は此処から暫く上つた所の草山で、徑の左に石像が立つて居る。仰げば目指す塔ノ岳の頂上は目前に迫り、右に續く表尾根山稜が折柄の風に茅戸の波を打たせて居る樣は仲々壯觀である。此處までは來れば、通稱大倉の馬鹿尾根も漸く峠を越した譯である。此尾根は一般に溪々の溯行や表尾根其他の縱走の歸路に利用される事が多いので、體力消耗しきつた登山者達が此長い尾根筋の歸路に飽々して大倉の馬鹿尾根と名付けて居るのである。併し此尾根は仲々優れた展望と丹澤獨特の佳さを持つて居る事は、塚本さんの寫眞に依つて證明されると思ふので茲では喋々としないのであるが、中でも此花立ノ頭の氣分は、尾根隨一ではないかと思ふ。花立から一旦下つて馬ノ背と言はれる痩尾根を通り一一五七米圏の金冷シノ頭で、左に四十八瀨川の源頭を繞る鍋割山稜徑を見送り樹林地帶に入り樹間のヂグザクの最後の登りを喘登する事暫くして展け茅戸の明るい頂上に辿りつく。塔ノ岳の展望は寔に素晴しく、南に富嶽を盟主として愛鷹、箱根、そして遙かに天城の山々、瞰下すれば、相模野の果遠く霞む相模灘の銀波東すれば、大山の尖頭に續く表尾根の山稜、西に転ずれば、檜洞丸、ドウカクの西丹沢の雄峯が畳々として重なり合つて居る。草原狀の南北に広い山頂は石祠や石碑、石像などが指導標と交つて建つて居る。其北隅には横浜山岳會の尊佛小屋が建つて居る。小屋の名は、此山の北の肩にあつた五丈八尺の黑尊佛(狗留孫佛)といふ自然石の名に因んだものである。昔から此黑尊佛は、雨乞ひ開運の神として靈驗あらたかと言はれ山麓の人々の信仰をあつめて居たが、かの關東大震災にて大金澤の谷底に振落とされ今は跡形もなく徒らに地圖にその名を殘すのみである。古くから例年黑尊佛の祭礼は四月、六月に山北の川村岸の東光院に依つて行はれ御影札など配布されて居たが、明治初年に三廻部の觀音院が乗り込み、紛爭を起したりしたものだが、今は兩院共手を染めて居ないで、秦野町の行者か何かゞ、看板をあげて居る樣である。御本尊の黑尊佛が無くなつても、山麓の人々が何時の間にか變つた五月十五日の祭禮日には塔ノ岳に登拝するとの事である。面白い事にはその當日に頂上を始めとして大倉尾根の要所々々に近郷近在の名うての博徒共が網をはり、登拝に來る善男善女及登山者に對して運試めしの賭博を盛んに奬めたと言ふ習慣があつたさうである。

 澁澤(一時間)一大倉(一時間)一一本松(二時間)一 塔ノ岳(三十五分)一龍ヶ馬場(二十分)一丹澤山(三十分)一不動ヶ峰(三十五分)一鬼ヶ岩(二十五分)一蛭ヶ岳(四十分)一原小屋澤分岐(三十分)一姫次岳(四十分)一黍殻(三十分)一燒山分岐(一時間三十分)一平戸(三十分)一鳥屋

 上の写真と文は、昭和十九年九月二十五日発行の 『丹沢山塊』 日本山岳寫眞書 塚本閤治 生活社 に掲載されたものの一部である。


「表尾根縦走」 (『丹沢山塊』より) (1944.9)

2021年05月05日 | 趣味 1 登山・ハイキング


    

 ・ヤビツ峠 丹澤林道札掛道
 ・二ノ塔から東に大山を見る 右方の低部がヤビツ峠
 ・雲の中は塔ヶ岳 木ノ俣大日 新大日
 ・塔ヶ岳頂上

    

 ・大倉尾根の堀山(905米)附近
 ・前尊佛を前景に函根足柄連嶺を展望
 ・大倉尾根花立附近から東望,中景の突起は表尾根行者ヶ岳,其右遠きは大山

  表尾根縦走  

(地圖 秦野)

 東部丹澤の槪念を理解するに最良の地域であり、又實に素晴しい展望臺として先づ第一に表尾根山稜を推薦したい。
 快適な山稜縱走と明快な展望とは、此の相當アルバイトを要する山行を充分に償つて餘りあるものがある。
 季節的に云つて最も興味の深いのは冬期であり、そして春の綠の茅戸と秋の孤色に輝やく茅戸の山肌は各々捨て難い味ひを持つてゐる。
 秦野から蓑毛行のバスに乗ると、以前は蓑毛の第一鳥居上の停留場迄我々を運んでくれたのであるが、大東亞戰の始まる頃より寺山の藤棚迄しか車は行かぬ事になつた。此れはバスに乗つても十分以内の處であるから登山者は成可く秦野から歩く樣にすべきである。
 蓑毛迄先づ一時間十分と見れば充分である。が盡きると金目川に掛かる蓑毛橋で、此れを渡らず指導標の導くまゝに右手に入れば間もなく大山裏參道と柏木林道との分岐點である。左手金目川添ひの靜かな柏木林道を辿れば登るにつれて蓑毛、秦野の街々が明るく開けて來る。かくして蓑毛橋から約一時間の後ヤビツ峠に立つ事が出來る。
 峠に立てば此れから辿る表尾根の前衛三ノ塔が尨大な茅戸の山肌を蒼穹におほらかに擴げて親し氣に迫って來る。瞳を右に移せば龍ヶ馬場、丹澤山、更に走ってラクダの背に似た三ッ峯の山稜が望見される。一息入れて峠と別れ、幅廣い丹澤林道をやゝ下り氣味に行けば布川最上流に掛かってゐる富士見橋である。此の橋は名前と實際と異なり此處からは富士は望見されない。此の附近は一面の茅戸の高原狀をなして春から初夏へ掛けてはしきりに鶯が登山者の耳を樂しませてくれる。尚ほ登山者に耳寄りな話として最近此の附近に東京急行で山小屋建設の計畫がなされたが、血戰下の爲め一時見合はされた。
 此れが建設された曉には表尾根及此の附近の登山に取っては誠に絶交な根據地とならう。
 峠から眺めた三ノ塔は其の餘りにも尨大な山容に少々面食ふけれど、登るにつれて南方の視野がぐんぐん開けて脚下の菩提峠、二又峯、岳ノ臺と連亙する和やかな高原狀の山容に私は時折り山中湖畔の大出山、大平山邊りの山容に良く似てゐるのに氣付き、ともすると湖畔の此れら曾遊の山々に遊んで居る樣な錯覺を起すのである。
 歩一歩と樂しい登りを續ければ、新綠の候にはシドメの薄紅白色の花が開き、ワラビのすくすくと伸びてゐる長閑さである。やがて山徑は廣々とした防火線に合流して鷹休も眉間に迫つて來る。ローム狀の暖かな土にコイハザクラの群生が見事に開花してゐるのも見られる。一汗かいてやがて一一四四米の獨標を有する鷹休に到達する。
 此處から三ノ塔は指呼の間で、一寸した痩尾根を渡れば間もなく廣々と南北に長いローム狀の山頂に立つ事が出來る。三等三角點は山頂の南寄りに立つてある。
 山頂の展望は塔ノ岳にも劣らぬ素晴しさで、これから辿る表尾根の山稜が巨鯨の背の樣に連なつてゐるのも興味が深い。晴れた日は西方に秀峰富士が其の裾を限りなく廣々と展開してその左手に愛鷹、箱根、伊豆の山々を慴伏させ、軈てそれの尽きる邊り漂渺たる相洋に連らなって行く。富士の右手に銀鞍の樣に輝やく南アルプスの望見されるのは晩秋から冬へ掛けての一段と視野の利く季節である。
 烏尾山へは百米餘りの急峻な赤土の崩壊狀の山徑を下るのであるが、此れは雨の直後等には徑が完全に消えてゐるから充分注意して掛からなければならない。さて下り切つた處は極度の痩尾根で、ヒゴノ澤とヤゲン澤との分水嶺にあたつてゐる。烏尾の圓やかな山頂はそれより一投足である。山徑は山頂を走らずに北側の腹を捲いて續いてゐる。それより二、三の小突起を過ぎると行者山の前山たる無名のピークで、此のピラミット形の急な突起を越せば次の岩峯が一一八八米の獨標記號の有る行者山である。此處から少し下つた一岩峰に昭和十三年迄は行者を刻んだ立派な石像と石造の卷物迄も安置してあつたのだが、其れ以後姿を見せない。心無い登山者の悪戲であらうか。行者山附近は表尾根コースの内で最も変化に富んだ箇處で、岩間にはコメツツヂ、イハカガミ、ウテフラン等が可憐な花を開いて登山者を喜ばせてくれる。特にイハカガミの群生は美事である。それより岩峰を一つ越せば前後二十分餘りの興味ある緊張したルートから開放され、これから愈々新大日への急登行が開始される。
 ローム狀の廣い防火線狀の山徑を登り切つた處がカラヒゴノ頭である。其處から急なアゴ出しの登りを暫次續けると目指す新大日である。振り返ると三ノ塔も大山も最早脚下に続いてゐる。塔ノ岳へは垂直高度にして餘す處百五十米足らずである。一息入れて橅や雜木の茂る心良い落葉深い徑を二、三度の上下を繰り返せば木ノ俣大日の山頂である。山頂と云はんよりは木ノ俣平と呼びたい平坦廣濶を極めた茅戸の山頂である。
 大震災前は山頂の橅の巨木の俣に大日如來の像が安置されてあつたのでかく名付けられたのだと云はれてゐる。復もゆるやかな登行を暫らく續けると無名の茅戸の平へ辿り着く。橅の樹林を透して龍ヶ馬場、丹澤山、三ツ峯が一望の内に眺められる好展望地である。
 塔ノ岳への最後の登りを一気に押し切れば不意に西部丹澤の豪壯な展望が開け續く山頂に到達する。
 先づ瞳を南方から漸時西へと廻點させてゆかう。
 箱根山塊に續いて愛鷹山の端麗な孤峯が中空に冴えゝと聳立し、更にその右手に秀峯富士が耀いてゐる。良く腫れた日は南方の主峰赤石連峰の白雪の山々が遙かに連らなり、雪山への思慕をそゝらされるのである。
 此れらの外劃の山塊から瞳を轉じ、脚下に淙々の響きを立てゝ白々と輝く玄倉川流域に移せば丹澤の核心をなす無數の急峻、惡絶な谷を秘めたドウカクノ頭、ザンザ洞ノ頭、檜洞丸等々が石英閃綠岩の山肌を殘雪の樣に光らせ乍ら鋭峰を聳立させてゐる。其の背後に西部丹澤の山々が和やかに打續いてゐるのも面白い對稱である。
 充分に山頂の景觀を樂しんだら孫佛小屋で休息し、それより歸路は大倉尾根を辿らう。
 山頂を辭し熊笹地帶の下りを續けると軈て徑は二岐し鍋割山への山徑に出逢ふ。それを見送り左手を執れば馬ノ背となり、此れを渡ると花立である。一三七七米の獨標記號が有り、石像が安置されてゐる。それより明快な茅戸の尾根を只管に下るのである。水無川をへだてゝ對岸には今朝辿り来た表尾根の山稜が多角的な山容を示して蒼穹を劃してゐる。軈て名物の一本松跡に來る。今では此れも枯れ朽ちてしまつたが其の跡に新に第二世を植ゑ付けてある。最早目指す大倉はもう脚下である。
 黄昏に程近い頃一日の縱走を終り、一路澁澤驛へと靜かな山麓徑を心行く迄で味はひ乍ら今日の山行を終る。

  參考時間

 大秦野(バス十五分)ー寺山(五十分)ー蓑毛(一時間十分)ーヤビツ峠(二十分)ー三ノ塔登山口(一時間)ー鷹休(十五分)ー三ノ塔(二十分)ー烏尾山(二十分)ー行者山(五十分)ー新大日(二十五分)ー木ノ俣大日(二十分)ー塔ノ岳。
 塔ノ岳(一時間三十分)ー一本松(三十分)ー大倉(一時間)ー澁澤驛。

 上の写真と文は、昭和十九年九月二十五日発行の 『丹沢山塊』 日本山岳寫眞書 塚本閤治 生活社 に掲載されたものである。

 下の写真は、最近撮影したものである。

    

 左からから一枚目  :三ノ塔から富士山を望む、手前は大倉尾根。(十一月)
 同  二枚目、三枚目:塔ノ岳から富士山を望む。そのままと拡大。(十二月)


「大山」 (『丹沢山塊』より) (1944.9)

2021年05月05日 | 趣味 1 登山・ハイキング

 丹澤山塊

    槪説

     水系

 5.四十八瀨川 四十八瀨とは菖蒲から下流中津川と落合ふ處までの古稱で、三廻部附近ではサイトウ川と稱した事が古書に見えるがこゝでも四十八瀨の汎稱に隨っておく。此の流れは三廻部より四粁上流において右俣と左俣との分れ、本澤は更に上流にて鍋割山に突き上げるミズヒ澤を分つ。
 6.水無川 塔ノ岳から南下する水無川は下流こそ磊々たる河原で荒廢を極めてゐるが、仲小屋から上流には溯行感を満してくれる好適な溪趣を整えた本澤に、それぞれ瀑聲を上げるシンカヤノ澤、ヒゴウノ澤等の溪流も集る。
 7.金目川 金目川には秦野町東郊で合する、大山に發する春嶽沢と三ノ塔から流出する葛葉川の二川がある葛葉川は其の小さくもよく調った溪趣が最近紹介されて、急激に遡行者を加へてゐる谷で、丹澤の谷歩きの第一課を試みるには寔に好適な谷である。春嶽澤は行衣の賑ふ大山の登拜ルート以外に新鮮味を求めてする人が僅か試みる谷である。澤歩きの盛んとなるや此の春嶽澤と共に近時親しまれて來た大山川も下流は鈴川となり金目川に貢流する。 

     地震

 江戸の昔から大山不動に登拝する傳統に生きて來た東京人が、その存在も知らなかつた丹澤が關東大震災以來、重要な餘震は此の山地を震源とすると發表されてから、急に其の名が遠近に擴つた程丹澤と地震とは關係深い。
 〔中略〕
 以上の表で大地震の周期を見ると最近は七十餘年目位に活動したものであることが判る。

     沿革

 丹澤山塊の中でも人文交渉のあつたのは、何と云つても阿夫利神社の鎭座ゐます大山で、山岳仏敎徒の開山に俣つた日本山岳登山史の範疇に洩れず、皇紀一四一二年(天平勝寶四年)の昔、南都から東國巡錫に来た良辨僧正によつて開創されたと傳へ、鎌倉時代から武將の尊崇極めて厚く神馬、社領の奉納のあつた事等記錄してゐる。〔中略〕震災前まで五丈八尺の黑孫佛を有してゐた塔ノ岳は、山麓北秦野の氏神唐子神社縁起に據ると矢張り役小角登山開創の山と謂ふが、それは兎も角として山中の諸處に祀つた石像の年代から考察すると永祿或は貞治の昔から信仰登山があつた。此の外不動ノ峯、大群山頂の權現、蛭ヶ岳の藥師等山岳佛敎徒の行所とされた跡がある。

     

 ヤビツ峠 (七九九、七米)此の峠程札掛、いや丹澤の消長も息吹きを感ぜしめる峠は少ないだろう。明治の中年諸戸植林によって開鑿された此の峠は、秦野と札掛を駄馬で繋ぎ、それ以前の御林管理に巡視する里正の通つた岳ノ臺よりの仙太コロガシの坂道は、草叢に隱れてしまつた。然し恩賜林の林業行政に乗り出した神奈川縣が、昭和ハ年遂に此の峠の東に迂回する自動車林道を通じ、觀光、登山、産業の上に一大飛躍を與へるに及び、歩行困難な峠路は自然荒廢した。

 新ヤビツ峠 (七五〇米)此の峠も戰時下に大きく轉回し、今は觀光、登山の爲に乗り越すハイカーの姿ははなく、本谷の奥から巨材を運搬する縣のトラックのみが走つてゐる。さうして靑年の丹澤報國寮や札掛山の家が丹澤勤勞訓錬所に轉向された今日、そこへ通ふ一團と往き遭ふて、丹澤も新たな使命を果しつゝあるを覺えさせる。此處の展望は相模を一望に納める景勝な位置にある。

 善波峠 (一九二米)家族連れの散策に好適な弘法山(二一〇米)の東方、秦野と伊勢原を繋ぐ矢倉沢往還が通じて居る峠で、その昔江戸の俳人筑波園杉人が、麦や菜種が朝霞む秦野盆地の風光を此處から眺めて、「世を旅にまかせて花のやどり哉」と賞し、遂に此の山麓に住したといふ。

    丹澤山塊の遭難とその對策

 丹沢山塊は元來山麓登山口の高度が低位の爲め、千五百米級の低山ではあるが相當のアルバイトを強要されるのである。
 今山麓大倉から蛭ヶ岳に登るには大倉の海抜が三百米であり、蛭ヶ岳は海抜一六七〇米なるを以て垂直高度実に一三七〇米となり、奥日光湯元(海抜一五〇〇米)から白根山(海抜二五七七米)に登るよりも困難であり、上越の谷川溫泉(海抜五〇〇米)から谷川岳(一九六三米)に登る高度に匹敵してゐるのである。

    交通

 その昔、と言つてもさう大して古い事ではなく、東京急行電鐵小田原線(舊小田急線)が昭和二年四月に開通する迄、帝都から丹澤に這入る登山者は、其頃の東海道本線の要衝松田驛山北驛或は中央線與瀬驛に據つたものである。然し現在は一部の地域の人達や特殊の二、三コースを選む人達以外には殆ど東京急行小田原線を利用して居ると言つても過言ではない。

    案内篇

 大山、物見峠  ( 地圖 藤澤、秦野) 〔下は、その大山の一部〕

 拝殿を辭して左に廻り込めば、門の中に石段の登山道がある。此門は大祭期間以外は閉されて居るので、左の潛りから登らねばならない。昔から山中で運試し賭博が盛んに行はれて居たと見えて、門の側に「やるな、かゝるな、詐欺賭博 オツチヨコチヨイ 、伊勢原警察署」と言ふ古びた制札が建つて居たが、今は見えない樣である。最初の急な階段から山頂まで、二十八丁と言ふ歩き惡い石段の山徑である。眺望の佳い處には茶店が頑張って居て、徑は必ず其軒下を通る樣になつて居る。つい、二三回は財布の紐を緩めざるを得ない樣な仕組みとなつて居る。時折、振返れば茫洋たる相模灘が雲烟の中に光つて居る。やがて段々の道がなくなり左手から蓑毛の參道を合して、やゝしばらくで、黑門となり、鐵の鳥居となる。こゝから數十の石段を上つて奥宮に一禮して背後の平に出ると三峯山稜が指呼の間に迫り、凄慘なガレ膚を見せた主稜が畳々として連り登高慾をそゝる。一二四五・六米の山頂からは、北の尾根に出て東北に岐れ、石尊澤から尾根を越して廣澤寺溫泉へ行く逕路や、西側から直下して諸戸に行く金比羅尾根逕路、西南の尾根道を下降するヤビツ峠逕又、一旦下社に下って、山腹を東に捲いて下りて行く日向藥師逕路、等々、健步行路を數多藏して居る。一般向として廣澤寺逕路は、藪と逕路の崩壊等によって一寸、不適當と思はれる。日向藥師逕路は裏山の閑寂さと展望を愉しむ滋味溢れたる徑路である。札掛方面へは金比羅尾根の降路がよく、旣ち表參道の大鳥居の西側にある「丹澤林道下り諸戸へ」の導標に從ひ、雜木林の一路を急降して行くと約四十分で、諸戸植林事務所の庭に下り立つ事が出來る。然し此稿では、快適な降路を樂しみ乍らヤビツ峠に下る事とする。
 表參道より下って黑門をくゞると道は、右左に分岐し、右はヤビツ峠の降路となり、步一歩下る毎に表尾根の山稜の眺めが變化して行く。兩側の溪谷からは小鳥の聲が、水聲と共に吹き上られて來る。やがて尾根が南と西と岐れる九六三米圏の處で、徑は南に曲って降って行く。こゝで注意を要するのは、西の尾根の火防線が廣く禿げて降路の樣に見えて、大抵の人が引込まれて了ふ事だ。此火防線は、直ぐに逆落しのガレ場となり札掛への入口、門戸口で終って居る。塚本さんの映畫の一カットは此處のガレ場が寫されて居る筈である。ヤビツ峠へは分岐から、赤土のガレ場を越え一走すれば辿りつくのである。此處は大山圖幅の八〇九・七米峯の北鞍部に當り、蓑毛へは左の高みを越せば近道の舊道柏木林道となり、右に下れば新道の丹澤林道となる。圖幅に記載されて居る七九九・七米の舊ヤビツ峠は、現在の場所の西南の場所である。

  參考時間。

 伊勢原驛一(乗合三十分)一大山町(四十分)一追分驛(急坂四十分)一一下社一(一時間三十分)大山頂上一(五分)一分岐路一(五十分)一ヤビツ峠

 上の文は、昭和十九年九月二十五日発行の 『丹沢山塊』 日本山岳寫眞書 塚本閤治 生活社 の一部である。

 下の写真は、最近撮影のもの。

  

 左:大山山頂表から見た、江ノ島、三浦半島、房総半島。(十二月)
 中:大山山頂裏から見た、富士山。手前は、二ノ塔・三ノ塔。(四月)
 右:イタツミ尾根から見た、大島。(三月)


日歸へり 東京附近の『健康路』 (1941.10)

2021年05月01日 | 趣味 1 登山・ハイキング

  

     桝形山
         地圖(東京西南部)
  新宿驛ー西生田驛ー高石ー弘法ノ松ー切通しー桝形山ー稻田登戸驛ー新宿驛
  費用 約八十錢

 これも家族向コースで、徒歩區間九粁、約三時間とみれば充分である。前に説明した矢野口の辨天洞窟から西生田へのコースは小田急の線路の北側を歩くのであるが、これはその南側に沿って走ってゐる丘の上を、反對に西生田から多摩川に出るのである。
 西生田で電車を降りたら驛前の道を次の驛の柿生の方にとって線路傳ひに踏切を渡って二十分も行くと高石ので、こゝから指導標通り左へ折れて再び踏切を渡って山道を登って行くと弘法ノ松で、高石から二十分で着く。この弘法ノ松は周圍六米、弘法大師のついてゐた松の木の杖に根が生えて今日に至ったと云ふ傳説がある。天氣さへよければこの臺地から富士、箱根、丹澤の山山が手に取る樣に見える。
 弘法ノ松から桝形山までは途中一ヶ所切通しを通るだけで、後は丘の上の雜木林の中を行くもので一寸氣分の出る所である。桝形山には源家の外戚として小身ながら相當の權力を持ってゐた稻毛三郎重成の城址があり、山腹の廣福寺には稻毛三郎の木像や墓がある。弘法ノ松から桝形山まで二時間位である。
 桝形山から眼下に流れる多摩川の眺望をほしいまゝにしたらそのまゝ稻田登戸驛に下ってもよし、途中で向ヶ丘公園からの道と一緒になるからそれを公園に出てもよい。共に二十分もあったら着ける。こゝには子供遊園、運動場、野球場等があり、この邊一帶では梨もぎ、栗拾ひ、芋掘りなどが出來る。     

     大山・ヤビツ峠
         地圖(藤澤、秦野)
  新宿驛ー伊勢原驛ー大山町ー追分ー阿夫利神社下社ー頂上奥ノ院ーヤビツ峠ー蓑毛ー大秦野驛ー新宿驛
  費用 約三圓五十錢

 大山は標高一二四五・六米、一名雨降 あふり 山とも呼ばれ頂上には軍神として名高い大山祗命を祀る阿夫利神社がある。ピラミッド型の美しい山容を持った山で東京からも晴れた日などはよく見える。悠
 電車を伊勢原で捨て、麓の大山町までバスに乗る新宿から一時間半位である。ケーブルの出る追分まではつま先のぼりの參道であるが石段の多い故か案外時間がかゝる。兩側は殆んど講中などの先達をする人達の家 うち で、今更の樣に信仰の山としての大山がはっきり感じさせられる。この餘り歩きよくない道を四十分も進むと追分で、こゝから山腹の阿夫利神社の下社までは八分、四十五度の急傾斜をケーブルが一直線に登ってゐる。途中左に見えるお寺が雨降山大山寺で、こゝの不動尊は國寶で、ケーブルはこゝで途中停車をする樣になってゐる。
 阿夫利神社の下社は中々立派な建物でケーブルの終點の直ぐ傍にある。こゝで皇軍の武運長久を祈って、愈々山道を登るのである。下社から頂上の奥の院までは一時間二十分位、下社の裏手から登ればよい。一寸急ではあるが大いしたことはない。頂上からの展望は素晴らしく、富士、丹澤、箱根の山々が眼前に擴がり、脚下には悠悠たる相模平野、湘南の靜かな海に浮ぶ江ノ島などが手にとる如く見える遠く大島も望まれる。
 奥ノ院の參拜が濟み、一休みしたらヤビツ峠へ下る。奥ノ院の裏の中道を廻ってもとの道を五分程、鳥居前のヤビツ峠の新道まで引返す。ヤビツ峠までは左に相模野、右に丹澤の山々を眺めながら氣持よく歩ける。
 ヤビツ峠は標高八〇〇米、秦野盆地から相模灘がよく見え、丹澤の山々の中で自動車の行く唯一の峠である。自動車が樂に使えた頃は、こゝに自動車會社の小屋があり、大山や札掛方面からやって來た自動車のお客があると、小舎から秦野の車庫に傳書鳩を放って自動車を呼んだと云ふことである。
 バスは秦野から蓑毛まで入ってゐる。蓑毛までは峠から左へ曲って舊道をとれば四十分、眞直ぐに自動車の通れる丹澤林道を下れば一時間である。林道は二間程の廣い材木搬出路で緩やかな下りの良い路であるが、長いのがキズである。大秦野までバス二十五分、更に電車で大秦野から新宿まで一時間二十五分である。
 このコースは一般向で、都合によっては頂上から往路をそのまゝ下ってもよい家族連れにはこの方が無難であらう。

     鶴卷溫泉と弘法山
        地圖(藤澤、秦野)
  新宿驛ー鶴卷溫泉驛ー吾妻山ー善波峠上ー弘法山ー權現山ー中野ー大秦野驛ー新宿驛
  費用 約二圓五十錢

 大山の裾には廣澤寺溫泉、七澤溫泉、鶴卷溫泉と三つの鑛泉がある。この中、七澤溫泉は田舎臭いがいかにも大山の山懐に抱かれたと云ふ素朴な感じがするが廣澤寺と鶴卷は開けていささか俗ぽい感じがしないでもない。
 このコースは相模の丘を歩く家族向きで、先づ新宿から電車で一時間十五分、鶴卷溫泉で降りる。鶴卷溫泉は驛の直ぐ前で、一番手前の光鶴園と云ふ溫泉宿の右側をぬけて溫泉の裏山に登り、吾妻山善波峠上と殆んど登りらしい登りもなく一時間も歩くと弘法山に出てしまふ。相變らず雄大な富士山を背景に大山や丹澤の山々への眺めがよく、江ノ島も直ぐ眼の下にある。
 弘法山は弘法大師が千座の護摩修業をされたと云ふ舊蹟で大師の像が山上に安置されてゐる。ここは又櫻荻で有名な所である。
 弘法から更に尾根道を櫻の馬場を通って權現山へは二十分西側の鞍部から急な坂を更に二十分も下ると中野で、橋を渡って縣道を右へ三十分も行くと大秦野驛である。この近邊は煙草の栽培が盛んな所で、秦野町には專賣局の煙草工場があるから見學するのもよいだらう。

     丹澤の震生湖
        地圖(秦野)
  新宿驛ー大秦野驛ー芹澤ー震生湖ー淺間臺ー小原ー栃窪ー大嶽大權現ー澁澤峠ー窪ノ庭ー篠窪ー南松山ー神山ー新松田驛ー新宿驛
  費用 約二圓八十錢

 丹澤の山々を歩くと、大正十二年の關東大震災の震源地に近いだけあって時々荒々しく崩れた山肌などが現はれて當時の惨害を思ひ出させられるが、このコースの中の震生湖も讀んで字の如く、その大地震の時に澤が堰止められて出來たものである。この震生湖を見物してから富士山、丹澤、箱根の山々を眺めながら輕く丘陵の上を行くこのコースは徒歩區間十五粁、約四時間の家族向コースであるが誰でもが一度は行きたい明るい氣分に滿ちてゐる。
 大秦野で下車したら秦野橋の手前の床屋さんの角を左に二十分で芹澤のに出る。このをぬけて丘の上を行くと前記の震生湖で芹澤から四十分はかゝる。震生湖の直ぐ上の臺地は大山、春岳、ヤビツ峠、三ノ塔、鍋割、雨山峠等丹澤の南面のよい眺望臺になってゐる
 震生湖から西へ尾根傳ひに淺間臺へは二十五分、こゝから左に下って小原のを通り更に竹林の中の道を行くと栃窪ので、淺間臺から四十五分位で着くこのをぬけて雜木林の中を更に足を進めると程なく大嶽大權現に出る。權現樣から十五分も登ると澁澤峠で、上にトンネルのあるのも珍らしい。このトンネルをくゞって南松山までは途中窪の庭、篠窪のや三島神社を經て登ったり下ったりして一時間程である。
 南松山に來ると始めて相模灘の海が見え思はず快哉を呼ぶ所である。眼下には酒匂川が悠々と流れ、御殿場線の汽車が煙を吐いて通り、遠くには小田原の町や眞鶴岬が遙かに望まれ、繪の樣な景色の樂しめる所である。
 ここから新松田までは五十分ばあれば充分下れる、新松田、新宿間の電車は一時間四十二分。

 上の文は、昭和十六年十月一日發行の雜誌 『野球界』 十月號 第三十一卷 第廿一號 別冊附錄 日歸へり 東京附近の「健康路」 の 小田急沿線 に掲載されたコースの一部である。


『ハイキング・コース』 小田急電車 (1936.9)

2020年07月21日 | 趣味 1 登山・ハイキング

  

 ハイキング・コース

   省線新宿駅發 小田急電車

  

 コース一覧表

多摩丘陵

 1.弘法ノ松・枡形山

 2.枡形山・王禅寺

 3.相模史蹟ハイキング

 

  第二圖

    新宿 -小田急ー 新座間 -十分ー 星谷觀音(坂東八番) ー一時間半ー 淸水觀音(國寶) -二十分ー 相模國分寺址 -五分ー 海老名大欅(國分尼寺址) -二十分ー 海老名國分驛又は -一時間半ー 相模厚木驛 -小田急ー 新宿

 相模に古蹟を訪れ遠い古をしのぶも亦興趣深いものがあります。

 春は此の邊りは輸出草花の栽培の盛んな所でもあります。

 國分寺址は南北約九町に亘り講堂、金堂、七塔堂婆址等の礎石を殘して居ります。

 又温古館には土中より發掘された貴瓦等を陳列してあります。

 銅鐘は往時國分尼寺にあつた物で、當時國分尼寺の存在を徴する貴重な資料の一で國寶に指定されて居ります。

 これより歩を厚木に進めて河原に遊ぶのも一興かと存じます。  

中津渓谷

 中津渓谷

 

 

 大山中腹より丹澤三ノ塔を望む

大山

 大山町入口一の鳥居から狹い兩側の參道は緩やかな登り道で、淙々たる鈴川の渓流を縫って行きます。

 この川をはさむ兩側は大山の町で 鈴川のせゝらぎには、河鹿が銀鈴の妙を競つて居ります。

 ケーブルカーは追分から四十五度の急傾斜を以て懸崖絶壁を進み、刻々に展開する車窓の眺望は、洵 まこと に素晴らしいものがあります。

 頂上阿夫利神社には石尊大權現を祀り、遠く二千餘年の昔崇神天皇の御代に創建せられ、武將の信仰特に篤きものがありました。

 爾来今日まで全國尊崇の的となり登拜者で賑つて居ります。

 中腹には雨降山大山寺があります、良辨僧正の開基であり、又聖武天皇の勅願所たりし處で、本尊の國寶不動尊は、美術史上の貴重な逸品とされて居ります。 

 6.表參道ルート

    新宿 ー小田急ー 伊勢原 -バス- 大山町 -三十五分- 追分 ーケーブルカーー 下社 -上り一時間ー 大山頂上 -下り三十分- 下社 ケーブルカー 追分 -三十分- 大山町 ーバスー 伊勢原 小田急 新宿

 7.表參道から裏參道へ

    新宿 ‥‥ 大山 三十分 下社 -下り一時間- 蓑毛 バス 大秦野 -小田急- 新宿

 8.日向越え

    新宿 ‥‥ 大山 ー下り三十分ー 下社 -二時間五十分ー 九十九曲、日向藥師を經て新田 -バスー 伊勢原 -小田急- 新宿

  日向藥師は元正天皇の勅願時、本尊如來は行基菩薩の作、他に國寶二十三點邊鄙の山村には珍らしき名刹であります。

 9.ヤビツ峠ルート

    新宿 ー小田急- 大秦野 -バス- 蓑毛 -四十分- ヤビツ峠 ー上り五十分ー 大山頂上 -下り三十分- 下社 ‥‥ 新宿

  ヤビツ峠は丹澤山中自動車路をもつ唯一の峠で頗る景勝の位置を占めて居ります。

 10.廣澤寺温泉ルート

 11.鶴巻温泉ルート

    新宿 ‥‥ 大山頂上 -三十分- 下社 -三十分- 千畳敷 ー三十分ー 鷹取山 -四十分- 善波 -三十分- 鶴巻温泉 -小田急- 新宿

  鶴巻温泉は小田急線に近く明るい土地で、カルシューム含量世界一と稱されて居ります。

  丹澤・大山・中津渓谷地圖(第三圖)

 

  鶴巻温泉は小田急線に近く明るい土地で、カルシューム含量世界一と稱されて居ります。

 

 小田急沿線より大山・丹澤表尾根を望む

〔上の写真:震生湖近くの渋沢丘陵から見た景色。水無川(真ん中を左から右に)、本町小学校(右端中央の白い建物)、南小学校(手前白い建物)、今泉神社(南小の後ろの森)、曾屋神社(今泉神社の後ろの森)〕

丹澤

 

  塔ヶ岳より大山を望む 中央の小逕は札掛に通ず

 東京に最も近く多分に深山、幽谷の趣を備へて居る丹澤山がハイキング謳歌の波に乗つて、一躍斯界の王座を占めた事は洵 まこと に當然でありまして、彼の大正十二年の震源地となつた爲、その山容に變化はありましたが、今尚ハイカーにとつて興味豊かな無限のコースを秘めて居ります。

 左に代表的コースを若干列擧致しました。

 12.丹澤主脈縦走

  澁澤驛内丹澤の家泊り

    新宿 -小田急ー 澁澤 -一時間ー 大倉 ー一時間ー 一本松 -二時間ー 塔ヶ嶽 -三十五分ー 龍ヶ馬場 -二十分ー 丹澤山 -二十分ー 不動ノ峯 -三十五分ー 鬼ヶ岩 ー二十五分 ー 蛭ヶ嶽 -一時間ー 原小屋分岐點 -三十分ー 姫次 -四十五分ー 黍殻 -三十分ー 燒山 -二時間ー 鳥屋 -バスー 相模厚木 -小田急ー 新宿

  このコースは丹澤銀座通りでありまして、丹澤山塊の主峰塔、丹澤、蛭、燒と尾根歩きは左手に富士を仰いで丹澤山塊随一の素晴しさであります。 

 13.丹澤表尾根縦走

    新宿 -小田急ー 大秦野 -バスー 蓑毛 ー四十分ー ヤビツ峠 -三十分ー 菩提峠 -一時間ー 三ノ塔 -四十分ー 行者嶽  -四十分ー 新大日 ー四十分 ー 塔ヶ嶽 -一時間十五分ー 一本松 -三十分ー 大倉 -一時間ー 澁澤 -小田急ー 新宿

  ヤビツ峠から大山とは反對に左の尾根に取りつきます、急峻な登り降りは興味深いものであります。

 14.札掛より丹澤主脈へ

 15.オバケ澤朔行

 

  蛭ヶ岳中腹より不動ノ峯を望む

 16.丹澤林道

    新宿 -小田急ー 大秦野 -バスー 蓑毛 ー四十分ー ヤビツ峠 -一時間五十分ー 札掛 -三時間ー 宮ケ瀨 ー (又ハ半原) -バスー 相模厚木 ー小田急ー 新宿

  丹澤林道は神奈川縣に下賜された東丹澤の御料林開發を目的として昭和六年から三年有餘の歳月を要して完成された材木搬出路であります。宮ノ瀨から蓑毛に至る延長二十六粁幅員五米の道路が丹澤、大山の山合を南北に走る壯觀は誠に堂々たるものがあります。

 登山御注意

  一、輕装を要すること勿論でありますが防寒雨具の御用意を御忘れなきこと。

  一、次の樣な携帯品を御忘れなきこと。

  (イ)普通食料の外豫備食料として堅パン、鰹節類及醫渴品として氷砂糖の類。

  (ロ)地圖、磁石、マッチ、蠟燭、ランタン、救急品等。

  一、丹澤山中は水が少いので御注意のこと。

  一、登山小屋

  (イ)澁澤丹澤の家(宿泊無料)澁澤驛構内にあります、御申込は旅客課へ

  (ロ)丹澤山の家 札掛にあります、優に數十人の宿泊が出來ます。

 

  丹澤林道

 

  芦ノ湖より見たる駒ヶ岳

箱根

 17.明神ヶ岳越え

    新宿 -小田急ー 新松田 -バスー 道了山麓 ー1時間ー 大雄山 -2時間20分ー 明神ヶ嶽 -1時間ー 宮城野 ー15分ー 強羅 -登山電車ー 小田原 ー小田急ー 新宿

  新松田下車、それよりバスにて十五分で道了山麓に着きます。

  關本から大雄山まではダラゝ上りで二十六町、參道の兩側は數百年を經た杉檜の巨木が鬱蒼として正に文字通り晝尚暗く、森嚴幽邃の感に打たれます。

  山頂の最乗寺は、應永年間に了庵慧明禅師の開基になる曹洞宗の名刹で、山内には俗に道了樣で有名な道了大菩薩が祀られてあります。

  明神ヶ岳頂上には大正十一年 今上陛下が攝政宮におはせられた頃御登山になつた記念碑があります。

  頂上からは箱根全山のプロフィルを一眸に収め、谷を隔て、強羅、早雲山、右に大涌谷の噴煙から神山、駒ヶ岳、左に宮ノ下塔ノ澤、小田原、さては相模灣の遙か彼方御神火もゆる三原山まで手に取るごとく見えます。

  正に箱根の豪華版と申しても過言ではありません。

  健脚の方は明星ヶ岳、塔ノ峯まで歩かれるのも一興でございます。    

 18.足柄峠金時山越え

    新宿 -小田急ー 新松田 -バスー 地蔵堂 ー1時間40分ー 足柄峠 -1時間30分ー 金時山 -30分ー 仙石原 ーバスー 小田原 ー小田急ー 新宿

  關本から地藏堂 足柄峠を越して竹ノ下に至る足柄路は延曆二十一年の富士山噴火の際燒碎石が道を塞ぎ、箱根路が新たに開かれる迄東海道唯一の官路でありました。途中の關場には今も關所址が殘つてゐます。

    西行法師の歌に

     雪解くるしみゝにしたくから崎の

        道行きにくき足柄の山   (山家集)

  金時山は猪ノ鼻嶽とも云はれるやうな姿で、頂上からは靈峯富士を仰ぎ、丹澤山塊を一眸に収め、廣大な仙石原を隔て火口丘神山、駒ヶ嶽の雄姿、蘆ノ湖ノ銀波を眺め、遠く駿河灣の金波を望む景觀は箱根外輪山中隨一であります。

  金時山頂からは尾根づたひに乙女峠、長尾峠にまで脚をのばすことも健脚の方にはまた一興であります。

 

  駒ヶ岳頂上より二子山、精神池、國道を望む

 19.神山、駒ヶ岳越え

  箱根ノ地圖

 

 

  大山より丹澤林道を瞰 み て箱根連山を望む


鶴巻温泉★弘法山 ハイキング (戦前)

2020年07月11日 | 趣味 1 登山・ハイキング

 

  巻溫泉弘法山家族向) 

 溫泉の裏の丘から弘法山へ殆ど登りといふ登りなしに展望のよい尾根みちが續いてゐます 

 湘南の汀から江ノ島・大島まで遠く眺められます 眞白な富士山がびつくりする程大きく、大山・丹澤の連峯はすぐ眼の前に聳えてゐます

 コース 

新宿ー普通一時間一六分 急行一時間三分→鶴卷溫泉ー光鶴園の右側を脱けて丘への上つてゆく二〇分→吾妻山ー松林の尾根道を四〇分→善波峠上ー秦野の町を右下に見乍ら二〇分→弘法山ー尾根續きに櫻の馬場をぬけて一五分→權現山ー西側の鞍部左へ急坂を下る二〇分→中野ー橋を渡つて縣道を右へ三〇分→大秦野驛ー普通一時間二五分 急行一時間一一分→新宿 

   地圖 秦野・藤澤

   徒歩 八粁・二時間半

   導標完備

 弘法山

  弘法大師が千座の護摩修行をされたといふ舊蹟で大師の像が山上に安置されてゐます 眺望は豪壯、櫻萩の名所です

 弘法山から寺山の波多野城址、東田原の源實朝の首塚或ひは震生湖を訪ね、秦野町專賣局煙草工場なぞ見學するのも意義あることでせう

 上の文は、小冊子『小田急ハイキング御案内』小田急電車 より。

〔上の写真〕

 左:絵葉書のもので、弘法山~権現山附近で撮影されたと思われ、下の説明文がある。 

     「秦野町全景 大正十年特別大演習記念 神奈川縣中郡役所」

   なお、中央の三角屋根のお寺は「龍門寺」、その前右から左への木立は「葛葉川」、左上の少し見える川は「水無川」と思われる。

 右:権現山の展望台から、秦野駅・富士山方面。(四月末)


弘法の松 ハイキング(1936ー1943)

2020年07月07日 | 趣味 1 登山・ハイキング

         

弘法の松へ:古写真

 左から
 ・一枚目 一九四三年 山の向こうに弘法の松があるはず
 ・二枚目 一九四一年 弘法の松は、もうすぐ
 ・三枚目 一九三八年三月 弘法の松のある丘より下の田を望む
 ・四枚目 一九四三年三月 弘法の松
 ・五枚目 (年号不明) 弘法の松

ハイキング案内(年代不明)

 

 弘法ノ松枡形城址家族向

 富士・箱根・大山・丹澤と南の山々を一眸に望む弘法ノ松の臺地から丘續きに雑木林の間を脱けて多摩川が眼下に展開する枡形山に松籟をきく野趣に溢れたコースです

 コース

新宿ー小田原行きで二九分→西生田ー驛前の道を右へ線路沿ひに踏切を亘つて二〇分→高石ー導標を見て左折踏切を亘つて山徑を二〇分→弘法の松ー導標をたよりに東へ丘續きを四〇分→切通しー道を横切つて上り再び丘歩き四〇分→枡形山城址ー山を下つて向ケ丘遊園地への道と合して二〇分→稻田登戸ー電車三二分→新宿

 歸途向ケ丘遊園地又は初山ノ池に遊ぶもよし、又多摩川まで脚をのばすも一興

弘法ノ松  周圍六米、弘法大師のついてゐた松の杖に根が生えて繁茂したと傳へられる巨松です

枡形山城址 源家の外戚として少身ながら威を張つた稻毛三郎重成の館址、山腹の廣福寺に稻毛の木像、墓等があります。

   徒歩 九粁・二時間半

   地圖 溝ノ口(二萬五千分一)

   導標完備

上の写真と文は、小冊子 『小田急ハイキング御案内』小田急電車 より。

   

〔上左の写真〕枡形山附近

〔上右の写真〕第一圖

 多摩丘陵

1.弘法ノ松・枡形山  (徒歩行程 9粁 徒歩時間 2時間半)

 新宿 ー小田急ー 西生田 -45分ー 弘法ノ松 -1時間ー 初山ノ池 -20分ー 枡形山 -20分ー 稻田登戸 -小田急ー 新宿

2.枡形山・王禅寺   (徒歩行程 12粁 徒歩時間 3時間半)

 新宿 ー小田急ー 稻田登戸 -30分ー 枡形山 -45分ー 長澤 -15分ー 稗原 -20分ー 日吉 -20分ー 王禅寺 -1時間ー 柿生 -小田急ー 新宿

 四季の行樂に最も相應しい史蹟と勝景とを兼ねた、御子様づれのコースとして御勸め致します。

 枡形城址その昔鎌倉幕府華かなりし頃、源氏の外戚として小身ながらも大いに威を振つた稻毛三郎入道の館址であり、今は稻毛家三代の墓がが山腹の廣福寺境内にあつて、わづかに昔の憶をしのばせて居ります。

 この城址は特に起伏に富んだ丘陵地帯で、風趣掬すべきものがあります。  

上の写真と文は、『ハイキング・コース 小田急電車』 (昭和11年9月) より。


「大山」(『日本山岳案内 1 』より)(1940.5)

2019年12月03日 | 趣味 1 登山・ハイキング

大山 (地図秦野・藤沢)

  概説
 
 大山は、相州大山として関八州はおろか、西国にまでその名が鳴り響いてゐる山であって、その名声の根元は、頂上に鎮座まします阿夫利神社なのであらうけれども、それのみとは云へぬ山自体の山岳美も與かってゐる事である。その独立峯としての雄大なる展望、背後は峨々たる丹沢山塊の山々渓々を背負ひ、前面には秦野盆地から、相模野を一眸 いちぼう のもとに見渡せる、その対象の妙は、古来から阿夫利神社の信仰と共に、その山岳美を認められてたものであらう。
 大山阿夫利神社は、天平勝宝七年良辨によって開山の上に、神社仏閣を建立されたものであって、阿夫利神社の附属講社は約四十近く、その信徒は五十万人になんなんとする盛況をもつ神様であって、江戸時代に於ては大山参りと云って、一生に一度は講中を組んで大山へとお参りハイキングと出たものである。
 現在でもそれは引続いてゐて、大山参りの講中の白衣姿を見る。四月十五日より同月二十四日迄十日間に亘って行はれる春祭り、七月二十七日より八月十七日まで二十二日間にわたって行はれる夏祭りには、大山詣の信徒が白衣姿にかへて、大山を目指して雲集するのである。
 大山は標高一、二四三・六米を算し、二等三角点標が置かれてある。別に阿夫利山、雨降山とも称されて居り、頂上一帯は廣濶なる展望を有して居り、西方には三ノ塔、烏尾山を前景として富士山の姿が見え、眼下中津川の渓谷を距てて、丹沢山より丹沢三ツ峯の削り取った様な山姿を見、主稜より東方に派生する美しき樹林帯を見る。北面は北方に引く尾根の樹林帯であって、三峯山より石老山、陣場山、御嶽山、雲取山の甲武相国境の山々、奥多摩の山々、秩父の連山を見る事が出来る。
 大山から東方は、所謂関東の平野の曠漠たる平野であって、遠く筑波山を望む事が出来、南方は秦野盆地より相模平野を一望の元に、遠くは相模灘の洋々たる大海原の彼方に、三浦半島を望見する事が出来る。
 頂上には大山阿夫利神社奥宮があり、阿夫利神社下宮はその中腹にあり、頂上から中腹一帯にかけては雨降木、二重滝、不動堂、良弁滝、日向薬師、浄発願寺、浅間神社、広沢寺、鎧塚等の名所古刹が多い。
 頂上付近の山稜には、大山より南西に春岳山(九六三米)を経て、ヤビツ峠(七九九・七米)に至って、三ノ塔(◬一、二〇五・二米)を経て、塔ヶ岳に至る山稜に接してゐる。頂上から南方には浅間山(六八〇米)に至る尾根が派生し、北方には西沢ノ頭(一、〇九四・三米)、ミズヒノ頭(一、〇四二・九米)に至る尾根があり、北東には三峯を並びたてる三峯山(◬九三四・六米)を経て、物見峠(五八〇米)に至る巾広き尾根がある。東方にはエボシ山(六五三・七米)、トウノボウ山(◬四七〇・八米)に至る夫々の尾根を派生してゐる。

 〔省略〕

 

  伊勢原表参道より

  新宿駅(小田原急行電鉄)一(約一時間三〇分)一伊勢原駅一(バス約二〇分)一大山町一(三〇分)一ケーブル追分駅一(ケーブル・カー五分)一下社駅一(四〇分)一見晴台一(約五〇分)一阿夫利神社奥社
  費用 一、〇〇銭(新宿駅一伊勢原駅)
   バス  三五銭(伊勢原駅一大山町)
   ケーブル三五銭(追分駅一下社駅)

 小田原急行電車で、伊勢原駅で下車したなら、駅前の鳥居の傍から出るバスに乗る。伊勢原駅より大山町まで参道を、バスにて過ぎれば間もなく大山町である。この参道に沿ふ伊勢原町は細長い街であり、大山町も同様に細長いが、これは全町山の中腹に作られてあるので、一軒一軒に高くなってゐる。それにも増して、如何なる旱魃にも水の涸れない、町の中に引かれた水溝は都会人の眼には珍しいものであらう。
 大山名物の押売で騒がしい茶店の中を抜けて行くと、間もなく町の中央に大山川があらはれて来て、道は右岸に沿ふて進む様になり、間もなく左岸へ加壽美橋を渡る。尚も進むと大滝への道を過ごして、愛宕橋を渡って右岸へと再び移り、良弁滝への入口に着く。ここからは元滝を見て、千代見橋を渡り、又も雲井橋を渡ると、ケーブル・カー起点である追分駅である。
 不動尊駅を過ぎ、下社駅でケーブル・カーを出て駅を出ると、石段があり、この石段を登ると、其処は大山阿夫利神社下社であって、鬱蒼たる樹林にかこまれた荘厳極まりない神域である。この辺りから振り返り見る相模野の景は雄大なるもので、眼下の樹林の美事さに一驚を喫する。
 阿夫利神社下社からは、石段をもって登るのであって、拝殿から頂上奥宮までは二十八丁であり、丁目を刻んだ標石が一丁目毎に建ってゐる。一丁目、二丁目と標石を過して行くと、続くは長い石段ばかりで、少し厭になるが、この石段も十五丁目辺りまでであって、十六丁目からは尾根に取りつく様になり、左手から蓑毛を経て、大秦野駅から登って来る徑 みち が出合ふ様になる。この辺りから左下にヤビツ峠より岳ノ台一帯の茅戸の美しい景が見え始むる。尚も尾根を伝ふ参道をのぼれば、又もや急峻な石段となって、鉄の鳥居を潜って登りつめると、そこは大山阿夫利神社奥宮のある大山頂上である。又鉄の鳥居からは頂上を一巡する道が通ってゐて、この道を登っても良い。
 大山頂上は広い場所であって、便所などの設備もあり仲々なものである。頂上からの展望は三六〇度の展望であって、此処で説明するは愚なりと云はるる程雄大なるものである。
 帰途はヤビツ峠、又は蓑毛、諸戸植林事務所に出るルートをとるが良い。

 日向より雷峠経由

 大秦野駅よりヤビツ峠経由

  新宿駅(小田原急行電鉄)一(約一時間三五分)一大秦野駅一(バス約二〇分)一蓑毛一(五〇分)一ヤビツ峠一(三五分)一九六三米突起一(二五分)一大山頂上
  費用 一、一八銭(新宿駅一大秦野駅)
   バス  二五銭(大秦野駅一蓑毛)

 小田原急行電車で大秦野駅にて下車して、ヤビツ峠までバスが行くが、ここではバスを蓑毛にて下車して、旧ヤビツ峠まで歩いた方が興味がある。 
 蓑毛にてバスから下車して、を外れる所に金目川にかかる橋を見る。橋を渡って行く道は新道であって、旧道は橋を渡らずに、金目川の左岸に沿ふて行くのであって、間もなく堰堤を二つ程見て、尚も登って行けば、三つ目の堰堤で右岸に渡り、沢と沢に挟まれた急な小さい尾根を登るのである。道は細くて急坂で歩き難いが、はっきりとしてゐるから迷ふ様な事はない。間もなくヤビツ峠である。
 ヤビツ峠からは、眼下に蜿蜒 えんえん たる丹沢の自動車道を見て、東方に尾根を登るのである。ヤビツ峠を越える。新たに造られた自動車道路のために、掘割られた峠で、中津川源流一帯の樹林美を見る事が出来る。ヤビツ峠からは尚も東北方へと尾根につけられた逕 みち を登るのである。この尾根逕は茅戸の中につけられた逕であって、四辺は明朗な雰囲気を持ってゐて、背後の塔ヶ岳より烏尾山より、眼下の岳ノ台に至る尾根筋と、水無川の深い谷合ひを見る。そしてその右方には丹沢山より丹沢三ツ峯に至る山稜から、汐水川一帯の原生林を見る事が出来る。南方には秦野盆地より相模灘に至る緩い丘陵の起伏を見る。
 茅戸の尾根逕をしばらくで、右手に金目川東沢を見下して、尾根はやや左手へと廻る様になって、小広い地点に着く。この地点は春岳山であって九六三米の標高を持ち、四辺をさへぎるもののない良い眺望地点である。
 春岳山からは、尾根をやや東方にたどるのであって、濶葉樹林 かつようじゅりん の中に入り、尚も進むと笹の中を行く様になり、間もなく、左手下から登って来る尾根の上に出る事が出来る。この地点が表参道との出合であって、頂上はこれから左へ一登りで達する。

 浅間山尾根経由

  新宿駅(小田原急行電鉄)一(約一時間三五分)一大秦野駅一(バス約二〇分)一蓑毛一(四〇分)一不動堂分岐点(記念碑前)一(一五分)一◬八二五・二米一(二〇分)一表参道出合一(三〇分)一大山頂上
  費用 一、一八銭(新宿駅一大秦野駅)
   バス  二五銭(大秦野駅一蓑毛)

 大秦野駅より蓑毛まで乗合自動車にて至り、で下車したら蓑毛橋を渡り、金目川の右岸を登って行くと、間もなく、左へヤビツ峠への逕を見過ごして、直ぐに元宿橋を渡って金目川の左岸に出る。
 この所に「東阿夫利神社不動尊方面、西春嶽山、南秦野町」の三叉道標があって、左にヤビツ峠への逕を見送って、右の阿夫利神社への道をとるのである。逕は山側へだらだら登りにかかるのであって、間もなく山腹にとりつく様になる右手浅間山から西方に派生された尾根を左から、搦 から んで小さな沢沿ひに遡 そ って行くのであって、間もなく右へと急に廻る様になり、小さな尾根にとりつき、一路登るのである。この辺り樹林に覆はれてゐて、四辺の景観はそれ程良くはないが、西方金目川の沢筋を距てて、ヤビツ峠への逕を見る。間もなく逕は記念碑の所で左右に岐 わか れる。
 右へ山腹を捲いて行く逕は、浅間山の肩を越えて、不動堂へ降って、大山町へ又は阿夫利神社下宮に出る道であって、左へ尾根通し登るのは、阿夫利神社奥宮への逕である。記念碑を過ぎて、左へ尾根の左側をジグザグに登ると、間もなく大山より南方へ派生する尾根の一端にたどりつく事が出来る。ここから見る前方大山町より阿夫利神社下宮一帯の樹林美と、深い谷間は素晴らしいものである。
 尾根を尚も登ると、三等三角点標のある八二五・二米の突起の右を捲く様になる。この三角点標は、道より左手に少し登った地点にある。
 八二五・二米突起を越すと、尾根は幾らか登りもやはらぎ、小さい突起を二三越えると右手から逕が出合ってゐる。この右からの逕は、下宮から、大きなガレを横切って来る旧道であって、この出合の地点で頂上へ向ふのである。
 阿夫利神社下宮から来る逕と出合った地点からは、逕は幾らか尾根の右手を行く様になり直ぐに左へと登りにかかる。登った地点は小平らな尾根の分岐点であって、茶店が一軒ある。この所からは逕は尾根上を左右に大きく搦みながら登るのであって、間もなく右手から、下宮からの参道と出合ふのである。それからは前方へと尾根を登りつめるのであって、左からヤビツ峠よりの逕を合はせて、一気に頂上へ達する。

 金毘羅尾根より

 この大山に至る何れの登山ルートも、東京を朝出発すれば、夕刻帰着出来るものであって、表参道を行くならば、婦人子供連れにても苦しくはない。只この時注意しなければならぬ事は、頂上から見る唐沢川一帯の樹林美に誘はれて、北方へ降る事は好ましくない。三峯山に至る山逕は、仕度のない場合は相当なアルバイトであるからである。
 ヤビツ峠に降る場合は、伊勢原駅にて一応蓑毛と大秦野駅間の、乗合自動車の時間を照合して置くのが良い。乗合自動車は二時間置き位に運転されるから、成可く発車時間を計算して、ヤビツ峠へ降るべきである。最終の自動車に乗り遅れると歩かなければならない。

     

 〔上の写真四枚は、近影〕

 左から一枚目:大山山頂の二番目の石鳥居越しの富士山(十二月)
  二、三枚目:大山山頂のトイレ裏左からの富士山、手前の左は二ノ塔、左は三ノ塔。いずれも拡大。(十二月)
    四枚目:同じ場所よりの富士山及び丹沢山塊(十二月)


「塔ヶ岳」 (『日本山岳案内 1 』より) (1940.5)

2019年12月01日 | 趣味 1 登山・ハイキング

、 

 日本山岳案内 1 丹沢山塊・道志山塊  鉄道省山岳部編
    執筆 松本重男   博文館
  〔下は、その極一部〕

 目次
 編纂の辞
 執筆者の言葉
 凡例
 一、本書に於る用語上の注意としては
    道路
     路 自動車が通行出来る以上の道路
     道 村道に類すべきもの
     逕 山間を行く道であって、踏跡もこれに入る。
    山稜
     主稜 山塊の中心をなす尾根
     山稜 主稜と同程度に走る派生尾根
     本尾根 主稜及び山稜より或る独立峯に走る尾根
     枝尾根 前記以外の小さな尾根
  
一、本書挟入概念図は、参謀本部陸地測量部発行の五万分地形図の補足的意味をもつものであって、参考としてのみ対照せられたい。
       丹沢山塊
 概論
 大山

 丹沢表主稜縦走 (地図上野原・秦野)
  概説
  鳥屋村より丹沢方面へ
  渋沢駅より丹沢方面へ  

 塔ヶ岳 (地図秦野・上野原)

  概説

 塔ヶ岳は、丹沢山塊主稜の東端にあって、現在云はれてゐる表尾根縦走の起点であって、標高一四九一、二米を算し、三等三角点標が置かれてある。頂上一帯はやや広く、小さな石祠や石仏を祀ってあり、北方小金沢より大金沢にかけての源流一帯は、樹林に防またげられて展望はないが、東南西と三方はからりと開けて、雄大な風景を展開する。
 先づ前方には秦野の野を距てて、相模灘が一面に見渡せ、その右には箱根連山、伊豆山群、富士山、愛鷹山を望む事が出来、眼下には玄倉川の谷の深き樹相と、東方中津川を距てて大山を見る対蹠的な風景が良い。
 この塔ヶ岳頂上から、所謂丹沢主稜は北方に走り、丹沢山、蛭ヶ岳と続いてゐる。この主稜に続くものは蛭ヶ岳を中心点として、西方に派生する尾根と、東方及び東南方に派生する尾根を見る。
 先づ塔ヶ岳より主稜を北にたどれば、ヒッタカ(一、四六〇米)を経て、龍ヶ馬場(一、五〇二・八米)に至り、北方丹沢山(◬一、五六七・一米)に接してゐる。この主稜が所謂丹沢の表尾根と云はれるものであって、就中龍ヶ馬場は南北に幅広い頂上をもってゐる。
 塔ヶ岳から西方に走る尾根上には、先づ大丸(一、三七〇米)、小丸(一、三五〇米)を経て、鍋割山(◬一、二七二・五米)に接し、鍋割峠へと続いてゐる。
 塔ヶ岳より東方に派生する尾根には、先づ木ノ又大日(一、三九四・七米)、新大日(一、三四一・九米)に至り、この地点で尾根は左右に二分して、左北走するものは女郎小屋沢ノ頭(一、二四〇米)を経て八瀬尾根として、中津川の布川と本谷との出合に至り、右東走するものは、カラビコノ頭(一、二一〇米)を経て、行者ヶ岳(一、一八八・一米)に至り、次に烏尾山(一、一三七・三米)より、三ノ塔(◬一、二〇五・二米・菩提山とも云はれる)に至って、尾根を二分し左には蓬平(九六〇・九米)に至り、右するものは一ノ塔(一、一四四・一米)一を経て、トビウツリ(七六四・二米)・岳ノ台(八九九・五米)に至ってヤビツ峠に接する。

 

  渋沢駅より大倉経由

  新宿駅(小田原急行電車)一(約一時間三十五分)一渋沢駅一(三〇分)一堀西一(三〇分)一大倉一(約一時間)一一本松(八〇〇米地点)一(二五分)一◬九〇五米地点)一(約一時間二〇分)一ハナタテ(一、三七七・五米)一(二〇分)一塔ヶ岳頂上
  費用 一、二五銭(新宿駅一渋沢駅)

 渋沢駅で下車したなら、駅前を東西に走る道路に出てその道を右にたどると、再び左右に走る道につき当り、右へ曲る。小田原急行電車の踏切を渡ると、四辺は田園の風調をもってゐて、四季を通じて春なら花、夏なら緑なす樹林、秋なら枝もたわわな柿を見る事が出来る。行手には塔ヶ岳、大山などが大きく山容を浮ばせてゐる。
 大きな県道を横切り、四方から入り組む村道を抜けて、道を真直に進むと左手に学校を見て、送電塔の下を潜り、間もなく堀西のに入る。道の両側に細長く建つ民家を抜けるとの外れで四叉路に出る。左は松田町に至る道で、前方は三廻部方面に至る道である。右へと曲がる。この四叉路に至る前に堀西手前で右へ大倉への道がある。この道でも、その道でも何れでも良い。
 右へ曲ると畑の間を行く様になり、間もなく森戸に入る。森戸の中央で、又も右へ行く道があるから、その道をたどると幾らか登り気味な道が続き窪地を経て、間もなく大倉に着く。大倉は水無川最奥のであって、の東方には見るも無残に荒廃した河原を見る事が出来る。
 大倉のからは、尚も山側に行くと左へ入る道がある。指導標通りこの道を進めば右下に神社を見て、茅戸の広やかな尾根にとりつくのである。この辺りから見る、右手の水無川は深く刳 えぐ れて、白い無残な河原を露出してゐるのを見る。中腹をドンドン登ると間もなく逕 みち は尾根に沿ふて、東側を登る様になり、尚も進むと小さい突起の右側を捲いて、塔ヶ岳より派生する尾根に飛び出る事が出来る。ここからは尾根筋をジグザグに登るのであって、明瞭な逕は迷ふ様な心配はない。間もなく一本松なる名称をもつ松の所にたどり着く。
 一本松は十四五年前までは,枝振りも良く元気に生育してゐたが、最近は枯死してしまって残骸をいたづらにさらしてゐるに過ぎない。この辺りから登って来た方を振り返り見ると、大倉や、水無川や相模平野が手にとる様に見える。
 一本松からは、尾根を今一息登ると、九〇五米三角点標のある地点に着く。この辺りから右前方には、塔ヶ岳より三ノ塔に至る山稜に喰ひ入る、水無川の源流地帯が覆ひ被さる様にたってゐる。九〇五米からは尾根をずっと明瞭な道をたどるのであって、幾つかの突起を越えたり、捲いたりしてゐるうちに最後の長い急登を続ける、と間もなくハナタテに着く。
 ハナタテは前塔ヶ岳とも云ふ人がある地点で、一、三七七・五米の標高を算へる。このハナタテから前方に見る塔ヶ岳は、相等な偉容を見せて聳えてゐる。ハナタテから一旦鞍部に降って、再び左手に廻る様に登ると、ここは左から逕が入って来て、その傍に指導標がたってゐる。左の逕は鍋割山山稜へ通ずる逕であって、右へと徑をたどると登りは徐々に急になり、雑木の生ひ繁った中をしばらくで、右に水無川の源流の深い谷を見て、左に鍋割沢の樹林を見下しながら、一休一登を続ければ、そこは茅戸で一帯を覆はれた塔ヶ岳の頂上である。
 塔ヶ岳の頂上は、茅戸に覆はれた南北に長い地点で、頂上にある三等三角点標の附近には石祠や、石仏などがあり、別に尊仏山と呼ばれてゐる。新編相模風土記に
 「‥‥‥此山ノ中腹ニ土俗黒尊仏ト唱フル大石アリ。高五丈八尺許其形座像ノ仏体ニ似タリ、故ニ此称アリ。此山ヲ」他郷ニテハ尊仏山ト唱フ‥‥‥」
 とある。この大きな石は塔ヶ岳の北方下にあったのだが、関東大震災の時に西北面の大金沢に転落してしまった。今ではその地点に不動尊を祀り、綺麗な水が湧出して、不動清水と呼ばれて、登山者のノドを潤ほしてゐる。頂上から北西へ大金沢の源頭にあって、約一〇分程度で達する。
 塔ヶ岳からの展望は、富士山を始め愛鷹山、箱根、伊豆の諸山、相模灘の洋々たる姿、遠くは大島から三浦半島、房総半島までを見る事が出来、眼下には水無川の深い源頭から秦野盆地を始めとした相模野を見る事が出来る。
 塔ヶ岳よりの帰途は、大倉への逕を降るか、三ノ塔への山稜を降るか、又は鍋割山山稜、又は足に自信のある人は玄倉川源頭を下降して、山北駅に出るも良い。
 
  ヤビツ峠より三ノ塔経由

  

 〔上の写真二枚は、近影〕

 左から一枚目:三ノ塔山頂からの富士山(十二月:拡大)
    二枚目:三ノ塔山頂からの富士山及び大倉尾根(十二月:パノラマ写真)

  新宿駅(小田原急行電車)一(約一時間三十五分)一大秦野駅一(バス二十分)一蓑毛一(約一時間)一ヤビツ峠一(十五分)一岳ノ台(八九九・五米)一(三〇分)一トビウツリ(七六四・二米)一(約一時間)一一ノ塔(一、一四四・一米)一(約三〇分)一三ノ塔(◬一、二〇五・二米)一(二五分)一烏尾山一(一、一三七・三米)一(一時間)一行者ヶ岳(一、一八八・一米)一(約一時間)一新大日(一、三四一・九米)一(約二十分)一木ノ又大日(一、三九四・七米)一(三十分)一塔ヶ岳頂上
  
費用  一、一八銭(新宿駅一大秦野駅)
     バス   二五銭(大秦野駅一蓑毛)
  
 ヤビツ峠にて、林道を横切ってやがて茅戸に覆はれた岳ノ台に至る。ここから東北方に見る大山は、春岳山からの尾根を前方に派生して、グンと良い山姿をもってゐる。岳ノ台からは雑木と茅戸混りの尾根を西方へ踏跡をたどって行くのであって、尾根筋が広いから、うっかりすると迷ふ恐れがある。間もなくトビウツリと称する鞍部に着く。トビウツリは昔の林道であって、ヤビツ峠の、間道をなしてゐる様な地点で、北秦野村菩提から、東秦野村札掛に越える乗越である。
 トビウツリからは幾らか右手へと尾根筋につけられた踏跡を行くのである。茅戸のうっかりすると迷ふ様な所を、適当に見当をつけて行くのであって、左に葛葉川の谷を見下ろして、一路登ると、左手に大きなガレを見て、その上部を横切って、右手へ廻り気味に尾根筋を掻き分ると、円頂をなした一ノ塔に着く事が出来る。
 一ノ塔からは左前方に行くのであって、右手の尾根に入ってはならない。右手の尾根を登って来る逕は、門戸口橋の所から来る逕であって、塔ヶ岳へは左前方へ行く逕である。一ノ塔からは踏跡もはっきりとして来て、一旦鞍部に降って、左手に小さなガレを見て、再び急な尾根を登ると、其処は三等三角点標のある三ノ塔である。
 三ノ塔は南北に長い茅戸の頂上をもってゐる山で、ここから見る北方の丹沢三ツ峯はそそり立つ絶壁を見せてゐる。三ノ塔の三角点から西へ向ふと頂上の北端で、逕は左右に二分する。右の逕は諸戸植林事務所傍から、水沢に沿ふて、中水沢をつめて西微南に尾根を登って来る逕である。左へと逕をとり急な尾根を、ガレの上を横切ったり、横を捲いたりして降ると間もなく鞍部に着く。この鞍部からは再び登りとなり、右にタラヒゴヤ沢支沢ヤゲン沢の源頭を見て、間もなく茅戸で覆はれた円頂をなす烏尾山に着く。 
 烏尾山は、クビヌキノ岳とも云はれてゐて、ここから見る今歩いて来た三ノ塔は、水無川の源流を挟んで、その西面に物凄い崩壊地の跡を見せてたってゐる。烏尾山からは再び北西へと、尾根をたどると三、四の突起を越えて、石像の安置された行者ヶ岳に着く。
 行者ヶ岳からは、一旦降って鞍部に着き、直ぐに登りになる。この鞍部は狭いキレット状をなしてゐて、樹林を透して左前方は、物凄い崩壊地をなしてゐる。登り切った突起を越えると、再び降りになり小さな円頂をなす突起の右側を捲いて行くと、広い防火線に達する。この防火線を行くのは大分苦痛であるが、それもグングン登りつめると、石像が安置される新大日に着く。この石像の高さは一尺程の石像で二基程草叢の中に置かれてある。新大日にては札掛よりタラヒゴヤ沢支沢ケヤキ沢を経る逕と、八瀬尾根を経て来る逕とが、女郎小屋ノ沢ノ頭上部で出合って、それがこの新大日にて右から登って来てゐる。
 新大日から左西方へと一旦鞍部へ降り、再び登りついた所が、木ノ又大日である。木ノ又大日は東西に長い頂上をなして、南方水無川の源流一帯は深い切れ込みを持ってゐて、本谷川の源流大日沢を右に、左にオバケ沢を広い尾根をもって分離し、北方には丹沢三ツ峯の豪壮なる景観に接する事が出来る。
 木ノ又大日からは、ニ、三の突起を過ぎると逕は急に登りとなって、右手前方に丹沢山塊主稜の走るのを見て、最後の一登りで塔ヶ岳頂上の東面にたどりつく事が出来る。今来た方を眺むると、三ノ塔への本尾根は蜿蜓 えんえん として東西へ走ってゐるのが見え、その一帯は樹林にかこまれてゐる。

 布川タラヒゴヤ沢遡行
 本谷川オバケ沢遡行
 玄倉川大金沢遡行

 塔ヶ岳のみの登山では、一日を充分楽しむにしては不足と思はれる。塔ヶ岳のみを主眼としたならば。塔ヶ岳より西方へ鍋割山山稜を伝はった方が良い。このルートからは左下方に秦野盆地から相模灘に至る丘稜、平野を一眸 いちぼう の下に見渡せるからである。
 然し塔ヶ岳に登ったなら、龍ヶ馬場、丹沢山と表主稜を歩くのが一番良く、一日のアルバイトとしての収穫も多い。塔ヶ岳のみであったなら、少し足の強いものなら東京を朝発って夕刻前後に帰る事が出来る。


「丹沢山」 武田久吉 (1913)

2018年03月06日 | 趣味 1 登山・ハイキング

 

 八月丗一日の朝、曾屋の旅館を出たのが四時半であつた。前日来の快晴なりしに似ず、空には雲が多い、山にもちぎれた雲が掛つて居て、朝瞰に映じて色は紅に、所謂朝やけだ、あまり有望な空あいではない、念の為めに宿の者に、此の辺の朝はいつもかうか問へば、へいこんなに疾く起きた事がありませぬからと云ふ答へを得て、一歩引退つたとたんに、案内兼弁当持の人夫をせき立てヽ山に向つた。
 四時出発の予定であつたのが、案内が遅参した為め三十分を空費した、それを補はうと云ふので可なり急行して行く。十分間で、町はづれの俚俗一本榎と云ふ所へ着いた、五万分一の地形図(東京十六号、松田惣領、明治三十年製版のもの)に一四九米突 メートル と高距の記してあつて、道の二岐する所がある、一行は右の路を採つて西田原に向ふ。名物の煙草が大分栽培してある。大山は右に厳然と座し、菩提の山は正面に手に取る様、塔ノ岳の方面は雲に隠れて居るが、富士はものヽ半分もぬけ上つてヌツと雲から頭を出して居る所がうれしい。
 西田原の村落の西のはづれに、鎮守の八幡様がある、それについて右に折れて、足が北に向ひはぢめてからは、只上り一方、雑木林の中を行くのだ、道はよいが暑い、先に立つて草苅馬に乗つて行く者が羨ましい、雑木が段々少くなると、スヽキを初めとして、種々の雑草が現はれる頃から、右の方の展望がそろゝきヽはぢめる。五時三十分、東田原から来る間道が合する所へ出た、東南方の平原が一目に見える所で一息入れる為めに休むだ地図によると四八〇米突許ある。ボンヤリと霞のかヽつた海上に、江ノ島が朧げに見える。
 此処から山の中腹に沿つて暫時行つてから、草山の背を行くのだ、ミシマサイコ、ヒナノキンチャク等此の辺の山野でおなじみの草が大分ある、露出して居る岩石は御坂層に属するものと思はれたが、概ね激しく風化して居る日が漸く照り出したので、暑い事夥しい、休むよりは寧ろ日に輝り付けられる時間を減じた方が得策と云う方針で、前面に聳ゆる大山を睨みながら急行する事にした。
 一時間許り息をもつかせずに登つて、六時半に峠の頂上に出た、高距は八〇〇米突余である。此処は諸戸の切通しと称する所で、丹沢村への関門である、南北に通じて一と息に吹はらす処なので、大風の時逃げ込む為めの洞がしつらへてあるのも妙だ、成程去る廿七日の大風雨の痕跡を見ると、雨が殆んど十度位の角度で降つた形跡がある。昔諸戸氏が所有の山林の事務所へ通ずる路をつけた時には、尚よく馬力を通じたそうであるが、毎年雨の度に山がくづれるので、修繕はするものヽ、今は只駄馬を通ずるに過ぎない、しかし道巾は三尺内外は充分にある。
 左側の細い谷に水晶の様にすき通る水が流れて居る。フシグロセンヲウや、オトコヘシ等が美しく咲ける路を、この流れについて下つて行く事二十分許りで、門戸口と云ふ所に出る、甞ては門があつたそうなが、今は只家一軒あるのみである。(門戸口の位置は二万分の一の地図には出て居るが、五万分の一には載つて居らぬ)此の辺より諸戸氏の所有林で、スギとヒノキが栽植してある、又所々にこれ等の樹木の苗圃も見える。古いトノキがそこにあるのは多分野生のであらう。
 門戸口をすぎて五分許りも行くと、諸戸氏の事務所がある、其他家が二三軒もあつて、しきりに犬が吠へ立てる此の先には追々人家が現はれ、菓子屋などさへある、しかし何れも穢くろしい茅屋にすぎない。五万分の一の地図に「俚稱新宅」と記してあるのは、恐らく此の辺の小を意味するものと思はれる。
 沢について益々下る、左右の山はヒノキと、スギの混植林である、木は未だ二十年を経ぬものらしく望見した。遠くを見ると、まつ黒なもみの老木で蔽はれた山の一角が見える、そこは官林で、諸戸氏の山林との境界に当ると聞いた、その麓間近く来ると、復た少数の人家がある、札掛と呼ぶのは此所だそうな。
 茣蓙 ござ でスヽキをおしのけながら、勇を奮つて突進を試み、尾根へついたので一息入れる、此処は大凡 おおよそ 八五〇米突許、札掛より高い事、約三五〇米突程の地で、此辺を金林と云ふて居る、前回には深い谷をへだてヽ、所謂三ツ峰の尾根が見える、丹沢の頂上は、おしや陰雲にとざされて望む事が出来ぬ。望遠鏡を把つて三ツ峰を眺める、三角測量台は中部以上破壊されて居る。其の下の沢の近くには石小屋といふ樵夫小舎があつたのが、過る廿七日大嵐れに崖が崩れて川におし流され、五名の樵夫は非命の最後を遂げたとやら。


 路程変更に決した吾々が、札掛を出て塔ノ嶽に向つたのは、彼是八時であつた、今迄沿ふて来た沢を対岸に渡り、人家の間をすぎて、菩提の山の裏より、流れ出る水沢と云ふ「二万分の一による」沢に沿ふて行く事数町、一寸景のよい路を右へゝととつて、やがて小渓について尾根に登る、此の樵路は地図に記載はないが、可なりよくつけてある、只所々数日前の暴風雨の際、崖がくづれ等して路が亡せて所もあるが、概して言へば悪路ではない、只スヽキがいやが上に生ひ繁つて居るのと、日かげが少しもなく、暑さの猛烈なるのは辟易せざるを得ない、しかし荒川嶽の登りに、五十度もあらうかと思はるヽ急坂を、真一文字に上らせられたことを考へると、僅々三十五度位の傾斜を、千鳥にからんで登るに、苦情を言へた義理ではない。
 

 龍の御場から北には尚高い樹木の繁つた峰が雲間から隠見して居る、丹沢山の絶点は其方なのだ、例の深い笹をかきわけて進む事二十分で、いよゝ丹沢の頂上一、五六七米突へ着いた、頂上は可なり広い平坦な草原で、東西に狭く、南北に長い、三角測量の標石の他は何もない、櫓は無論腐朽して居る。路は幽かに草の間に通じて、蛭ヶ嶽方面に向つて居る。生憎霧が深くかぶつて、予期した眺望は絶無である。
 頂上を一周して見た、ヤマトリカブトの紫濃く、シホガマギクは紅にアザミの淡紫と交はつて叢生せるカリヤスの間にさびしく咲いて居る。所々に木が立つて居る、マメザクラ、メギ、ヒメシャラ、イボタ、グミの如きものである。草蔭にノビネチドリが一二本立つて居る、此の辺では珍とするに足るべきものである。
時間に制限がある一行は、蛭ヶ嶽方面へ探検の余裕がないので、往路を塔ノ嶽へと進行した。途中は龍の御場で多少植物採集をした他、一回も休憩せずに、荷物を置いた場所に帰り着いたのが二時十分。鳥捕共は已に下山したと見えて姿が見えぬ。最後の食事をして荷物を出来るだけ減じたが、採集品がふえたので、全体の重量は恐らく多少増加したらう。
 塔ノ嶽の絶頂を、南に指して下り始めたのが正三時。霧に交つて雨がハラゝ二三滴襟元に入る。これは去る明治三十八年の九月に、夜行して下つた路である、当年の事など語りながら行く、灌木林の下をくゞり、深い草をおしわけ、時には笹の間を歩いて、やがてカリヤスの多い草山に出た、「馬の背」の険なども、昼間では容易なものだ、しかし概して言へば、此の路は一行の今朝登つた路に比して細く、且つ草が生ひ茂つて居る、尤も中腹以下は割合によくふめては居るが。
 頂上から四百米突も下つた所に、水溜りがある、清冷とは申し難いが、飲用するに足りる。此の前の時には山麓の燈火を見ながら、つま先で路をさぐりながら下つたのが、今日は其の患がないので足が捗 はかど る、早川の流れ、酒匂の人家より、遠くは伊豆の真鶴崎より熱海の初島が見える。
 急行して下り、二本松に着いたのが四時半、彼の鳥捕三人に追ひついて、一緒に小憩した。此所より尾根一つ下れば堀大倉で、あとは曾屋まで畑の間を行くのだ、堀山下で水無川を徒渉し、再び一本榎へかヽつて、曾屋の旅宿へ着いたのが、吾々の時計で六時半頃であつた。風は未だ吹き荒むで、天はくもり、折々雨が一滴か二滴顔に当る、只附近の低い山々が、黒い空よりも尚黒く見えて居つた。 

 (附記)丹沢山及び塔ノ岳の登山者の為めに、一ニ婆言を添へて見たい。

 一、曾屋に達するには二ノ宮駅より湘南軽便鉄道によれば容易である、五十分以内で達する、片路十七銭通行税一銭。
 一、案内者は碌なのがない、丹沢へ行くと言へば、此の辺の人は丹沢のと早合点して、道は近いの、泊るに便利だのと、手軽い事を云ふ、山の頂上の測量部の三角点のある所へ行くのだと云ふと、急に様子をかへてそれは話がちがう。私には案内が出来ない等と尻込みをする。猟師を頼むか、駒鳥捕を● やと ふかがよからうと思ふ。吾々は、木樵 きこり として丹沢の奥に入り込んだ事のある、城所鉄五郎と云ふ者を使用した。尤も此男は山頂へ登つたのは今回が初めてゞあるーそれはあとで白状したのだ。日当二円乃至二円五十銭を要求したが頗る不当である。此男を連れヽば丹沢までは尾根道を通つての往復なら間に合ふが、小生等は推薦することは躊躇する。但し音無しい男で足も可なり達者荷もよく背負ふ。
 一、丹沢山へは塔ノ岳から行くのが順路であると思はれる、前項記載の三ツ峠へかヽつて行くのは大まはりである。尤も丹沢の村へでも泊ればどこを歩いても自由だ。
 一、塔ノ岳へ登るには、吾々の取つた道によるのは面白いが、里程は、堀山下を通つて行くのよりは、二里許りは遠くなるとのと、諸戸の切通しなる峠をこえねばならぬ為め、五百米突上下するだけ損になる。
 一、塔ノ岳の頂上までは、堀大倉を経て直行しても、四里は慥 たし かにある、これから丹沢山への往復は、三時間で充分。丹沢山頂か蛭 ひる への往復は四時間で出来るだろうと推測する。されば未明に曾屋を出発し、日没後帰着する予定ならば、蛭の往復は不可能とは思はれない、但し急行を要する事は疑を容れずである。
 一、塔ノ岳だけならば堀大倉を経て上り、帰路は吾々の上つた路を東へ下り、僅にして右折して、菩提ノ山へ向つて尾根を伝ひ、大倉と横野との間に下るも面白からう、但し此の路による時は、菩提ノ山(五万分の一の地図に一二六米突と記せるが頂上なり)の直西北の一点(一二三七米突)に達するまでの尾根伝は、楽ではなからうから、可なりの健脚と、忍耐と、時間とが入るだろうと思はれる。
 一、塔ノ岳のみを只上下したいとなら、京浜から一番電車で行けば日がへりが出来る、七時半頃までに曾屋へ帰着けば、八時五分の軽便鉄道の終列車に充分にあふから、九時五分二ノ宮発の上り列車に乗れる。土曜の午後から出て、曾屋へ一泊すれば、丹沢山頂まで往復して、前記の列車に乗る事は、左程困難ではない、但しあまり道草をするのは禁物である。
 一、吾々は随分急行したが、全体で三時間は休憩等に費した。只一つ御断りして置きたいのは、夕刻曾屋に帰着の折、吾々の時計が半時間許り、旅宿の時計よりも遅れて居た事だ。止つてまた動き出したに相違ないが、今となつては、其の何の辺なりしやは知るに由ない。
 一、塔ノ岳へ玄倉 くろくら から登る路順は、第一年第一号に高野君の記事があるから、之を参照され度い。此の方面からの登山は、最も趣味ある事と思ふ。玄倉川上流、逆木 さかさぎ から鍋割迄は、川だけを探る価値が十分にある。近年は諸士平 しょしだいら に製板小屋が出来たり、鍋割へ行く道が修繕されたりして、此の渓谷に入るの便は、昔し吾々が行た頃から見ると、数倍容易になつた訳である。
 (大正二年九月於東京記)

 上の写真は、東京十六号 松田惣領 五万分一之尺 年代不明より、その一部。
 上の文は、大正二年十二月二十五日発行 の 『山岳』 第八年 第三号 より、その一部。