蔵書目録

北京之春、文革、林彪、明治・大正・昭和:音楽、演劇、舞踊、軍事、医学、教習、目録:蓄音器、風琴、煙火、音譜、絵葉書

歌劇 「カバレリア、ルスチカナ」 帝国劇場 (1911.12)

2022年08月09日 | 声楽家 三浦環、関谷敏子他

  

十二月狂言

 絵本筋書 帝國劇場

十二月狂言

     岡本綺堂新作
 第一 時代劇 『 ちご ケ淵』 二幕 
 第二 西洋舞踏『百年前 ぜん と今日 こんにち』
     佐藤紅綠新作
 第三 新演劇 『雪の夜』 二幕
 第四 歌劇  『カバレリア、ルスチカナ』 一幕
     松尾駿河町人新作
 第五 喜劇  『女優募集』 一幕
 第六 所作事 『奴戻駕籠 やっこもどりかご』 一幕

 第四

 農夫トリードウ  ザルコリー
 娘サンツツザ   柴田環子
 馬車屋女房ローラ 音羽かね子
 敎會參詣者    福原花子
 同        上山浦路
 同        川窪津留
 同        夢野千草
 同        河合磯代
 同        中山歌子
 同        大和田園子
 同        澤美千代

 帝國劇場管絃樂部員  樂長 竹内平吉

 ヴアイオリン      荻田十八三  
 同         小田越男 
 同         吉田盛孝 
 同         山崎榮次郎
 同         小松三樹三  
 同         田中平三  
 同         蒲池鋼藏
 ヴイオラ       粋川藤喜知  
 同         栗本義精
 同         蜷子正純  
 ソエロ       内藤常吉  
 ツエロ       小林武彦  
 バス        内藤彦太郎 
 同         荒木茂次郎
 フルート       横山國太郎
 オボエ       八尾五郎
 クラリネツト      横須賀薰三 
 同         奥山一雄
 トロンペット      吉田民雄
 ホルン       中村權三         
 トロンボーン     木村仙吾
 ドラム        渡邊金治     
  
 第四 歌劇 『カバレリア、ルスチカナ』 一幕

本歌劇は伊太利の音樂家マスカニーが始めて名を爲したる懸賞入選の作にして若き農夫トリードウと云へる者ローラと云ふ女と相愛の仲となりしが兵役果てゝ故郷に歸り見ればローラはアルフイオと云ふ富める運送屋が妻となり居れりトリードウは悶々の情を慰めんためサンツツザと云ふ農夫の娘と契り初 そ むサンツツザは心を盡して彼を愛するに至りローラは心安からず再び昔の情人に秋波を送る爰 こゝ に於てサンツツザの嫉妬となりトリードウに怨言を試みるにトリードウ今は心全くローラに奪はれてサンツツザが誠ある言 ことば は耳にも入らず折しも禮拜の為に來れるローラに續て敎會堂に入る、サンツツザは口惜 くやし さに前後を忘れ偶々其處に來れるローラが夫アルフイオに彼が妻とトリードウとの交情を包まず語るアルフイオ、トリードウに決鬪を挑むトリードウ爰に至り始て自己の罪を知りサンツツザを母に托し敵の爲に仆 たを さる、以上を此歌劇の梗槪とし今囘上場せしはサンツツザがトリードウに嫉妬心を述べ反 かへつ て其身を棄らるるに至る人間の感情が恐しき計り高潮に達せる件 くだり を選みたるものにして幕開 まくあく と敎會へ赴く參詣者大勢出來 いできた り合唱し打連れて奥に入るとサンツツザ出來りてトリードウを待合せローラとの仲を擧げ恨 うらみ の數々を述ぶローラ登場し菖蒲の歌を謠 うた ひトリードウを敎會に誘 いざな ひ行 ゆか んとすサンツツザ當て擵 こす りを云ひ之を去らしむトリードウ怒 いかつ て妻を叱 しつ し其後を追はんとするにサンツツザ引留 ひきとめ て放たず之より男聲女聲二部合唱となりサンツツザは夫を愛する妻を捨つる心かと涙を振ひオーケストラは其苦悶を奏すトリードウ之に答へて歌ひオーケストラは其苦悶を奏すトリードウ之に答へて歌ひ『行けと云ふに分らぬか幾度も同じ事を繰返させる懊 うるさ い奴!』と無情 すげな く振拂ふ サン『如何に貴方 あなた が怒つても其怒 いかり は恐れませぬ、アゝ汝僞善者よ幸 さいはい ある復活祭の此日汝をば呪 のろは んとす』と音樂急調となり益々嫉妬の焔 はむら を燃す模樣にて幕

〔蔵書目録注〕

歌劇カバレリア、ルスチカナ歌詞』 も参照のこと。


歌劇「椿姫」 歌舞伎座 (1930.2-3)

2021年12月22日 | 声楽家 三浦環、関谷敏子他

    

  二月廿六日  午後六時より
  二月廿七日
  三月 二日  正午より

   日本樂劇協會第三回公演
歌劇「椿姫」全三幕 ヴエルデイ作曲
    京橋區木挽町
        歌舞伎座

 椿姫 三幕四場   マリア、ピアーヴェ  作詞
            ヂュセッペ、ヴェルデイ 作曲
    配役
 ヴィオレッタ・ヴァレリー(椿姫)          關屋敏子(客演)
 フローラ(ヴィオレッタの友達)         渡邊光子
 アニーナ(ヴィオレッタの召使ひ)        河原喜久恵
 アルフレッド・ヂェルモン(ヴィオレッタの愛人)   藤原義江(客演)
 ヂォルヂォ・ヂェルモン             小森讓
 ガストン(レトリエール子爵)          湯山光三郎
 デュフォル男爵(アルフレッドの戀仇)        毛利幸尚
 ドビニー侯爵                 大坪陽一
 グレンヴィル醫師                田村定澄
        ▢
    演出並音樂指揮            山田耕作
    演技監督           新築地 土方與志
    舞臺裝置並衣裳            北廉藏
    照明                 遠山靜雄

    舞踊指揮               石井漠
    合唱指揮               榊原直

    梗概

 歌劇「椿姫 トラヴィアタ 」( La Traviata )は伊太利の作曲家ジウセッペ・ヴェルディ( Giuseppe Verdi.  1813ー1901 )の傑作歌劇である。臺本 リブレット はピアヴェの作である。
 此歌劇が初めて上演されたのは一千八百五十三年三月六日で、ヴェニスのフェニセ座に於て演ぜられた。此れは彼れが四十歳の時の作で、彼が思想の漸く圓熟せんとする時で、且つ最も創作力の旺盛な時期であった。彼は此歌劇を作曲せんと企てた當時、既に「トロヴァトオレ」の作曲に從事して居った。故に此歌劇は「トロヴァトオレ」と並行して作曲されたのである。即ち「トロヴァトオレ」が羅馬に於て上演されたのは一千八百五十三年一月十九日で、同年の三月六日には此「椿姫」が上演されてをる。
 ヴェルディの原稿によると此曲は殆んど一ヶ月で作曲されてをる。是れを以て見るも此時期に於ける彼が制作力の如何に旺盛であったかを知ることが出來る。
 此曲の上演後、忽ちにして歐米の各都市は爭ふて此歌劇を上演した。即ち一千八百五十六年五月には倫敦で、十一月にはペトログラアド、十二月には紐育及び巴里といふ風に世界の歌劇場を風靡して仕舞った。そして今日に至るまで毎年、歌劇時期には必ず何れかの都市に於て上演せられないことはない。
 我邦に於て上演されたのは大正七年二月二日で、不肖の譯によってロオシイ氏が同氏劇場に於て演出したのが初めである。
 此歌劇の梗概は旣に人の知る通りで小ジュマの書いたものを骨子として三幕四場のオペラに仕組んだのである。
  〔以下、各幕の梗概は省略〕
    第一幕
    第二幕
    第三幕
          (小松耕輔 解説)


『長門美保』 長門美保音楽研究所 (1939.3)

2021年04月28日 | 声楽家 三浦環、関谷敏子他

     

  長門美保
  M.Nagato

  長門美保略歷

  彼女は幼少より旣に樂才に惠まれ、成長するに及んでその天禀の美聲を磨くべく、日本女子大學校附属高等女學校より上野の東京音樂學校本科聲樂部に入學した。
  藝術に對する燃える樣な眞面目な勉強振りは、直ちに當時の聲樂主任故船橋敎授に認められ、特に熱心な薫陶を受け、益々聲樂への研究に邁進した。上級に進んでは、外人敎師のネトケ・レーヴェ氏及びウーハー・ペニッヒに師事し、稀に見る豊かな聲量は外人敎師を驚かし、その天分を寵愛せられ、特に學生として例外の在學中の抜擢を受けて、日比谷公會堂に於ける音樂學校春期演奏會に、マーラー第二シンフォニーのソプラノのソロを音樂學校オーケストラ伴奏、ブリングスハイム氏指揮の許に歌ひ、一躍樂界の注目を牽き、此處に彼女の輝かしい將來が力強く約束された。
  昭和八年四月、優秀なる成績にて卒業の際には畏くも秩父宮妃殿下、高松宮妃殿下の御台臨を仰ぎ、御前演奏の光栄に浴した。卒業後はマリア・トル女史に師事して、オペラ歌手として一層の勉勵。
  続いて讀賣新聞社主催のオール日本新人演奏會に母校を代表して出演好評を博し忽ち樂界の寵児となり、引き続き第三回音楽コンクールに参加、見事声樂部第一位に入賞し、いよゝその實力を発揮して華々しく樂壇にデビューした。
  斯くて堂々と第一線に乗り出して確固たる地位を占めた彼女は、東京に於ける演奏會はもとより、ラヂオ放送に、トーキー映畫に、地方演奏會に出演、到る處で絶讃を博し、聲樂界に万丈の気を吐いてゐる。
  昭和十一年五月、日比谷公会堂に於ける彼女の第一回の獨唱會の如きは超満員の盛況にて、その聲量の豊富、音程の正確さに、各批評家は心よりの拍手を送って彼女を激賞した。
  昭和十二年六月の第二回獨唱會は、前回にも增して素晴らしい出來榮えで滿場の人々を魅了した。
  この他、主なる音楽會を二つ三つ挙ぐれば、昭和十年六月有楽座開場記念のオペレット『シューベルトの戀』に出演。
  昭和十二年十一月及び昭和十三年四月の二回に亙って、ヴェルディのレクイエムのソプラノのソロを新交響樂團伴奏ローゼンシュトック氏の指揮にて出演。
  昭和十三年の五月には日比谷公會堂に於て、新交響樂團の伴奏で歌劇『パリアッチ(道化師)』の主役ネッダに扮してその大膽な巾のある熱技は大いに歌劇歌手として迎へられた。
  現在キング専属のクラシック専門の堅実なる歌手として、家庭に、教育界に多数のファンを有し、最近のものには『世界子守唄名曲集』などがある。
  家に在つては多くの弟子を養成し、又M・Nサークル女声コーラスを主宰し、東寶映畫俳優の聲樂指導にも當り、此處彼處の音楽會に出演する等、各方面に活躍しつゝ常に己が研鑽を怠らず一意聲樂に精進してゐる。

  写真

 ・ジェルマン・シェツクス氏と共演の音樂會打合せ。(星ヶ岡茶寮にて)
 ・愛國行進曲發表會に於ける記念撮影(後列中央が長門嬢)
 ・第一回獨唱會スナップ(A)
 ・同(B)
 ・第一回獨唱會に各方面より贈られた花環・花束に埋まった長門美保嬢
 ・立錐の餘地もなく詰めかけた大聽衆(第二回獨唱會)
 ・第二回獨唱會に熱唱する長門嬢(コーラス門下生)
 ・大阪朝日會舘に於て、オーケストラ伴奏で獨唱する長門嬢
 ・下寫眞は歌劇『道化師』に出演〔昭和十三年五月 日比谷公會堂〕して絶讃を博した長門嬢の舞臺スナップ(右第一幕・左第二幕)
 
 〔長門美保短評〕 

 ・山田耕筰
 ・堀内敬三
 ・野村光一
 ・大田黑元雄
 ・牛山充
 ・伊庭孝
 ・鹽入龜輔
 
 目覺しい進境 ー 長門美保獨唱會を聞く   大田黑元雄 (昭和十一年五月九日附東京朝日新聞朝刊より)

  昭和十四年三月三日發行
  發行所 長門美保音樂研究所 

 なお、『私の履歴書 14 文化人』の本人の回想によれば、戦艦長門に招かれ、東京湾を一周したとのことである。る。


『長門美保独唱会』 第一回・第二回 (1936、37)

2021年04月28日 | 声楽家 三浦環、関谷敏子他

  

  長門美保獨唱会
 〔昭和十一年〕五月七日(木曜)七時半開演
    日比谷公會堂

  MUSICAL RECITAL
    Dramatic Soprano
 Miss. MIHO NAGATO
    Thursday May 7th. at 7.30 p.m.
  HIBIYA PUBLIC HALL

       プログラム

         第一部

 1 a)歌劇『タンホイザー』より   ‥‥ ワグナー曲
          歌の殿堂(歌詞は獨逸語で歌はれます)
   b)歌劇『魔彈の射手』より    ‥‥ ウェバー曲
        アガーテの詠唱(歌詞は獨逸語で歌はれます)
 2 イ)久方の            ‥‥ 紀友則歌  信時潔曲
   ロ)畫の夢(ヴァイオリン助奏附) ‥‥ 高安月郊詩 梁田貞曲
 3 七つのスペインの唄(歌詞は全部西班牙語で歌はれます) ‥‥ スペイン民謠 ファイア曲
     1.エル・パアニヨ・モルーノ
       2.セギディリア・ムルシァーナ
          3.アストゥリヤーナ
             4.ホータ
                5.ナナ
                   6.カンション
                      7.ポーロ       

      - (休憩) - 

         第二部

 4 a)アヴェマリア(ヴァイオリン助奏附)(歌詞は羅甸語で歌はれます) ‥‥ グノー
   b)小夜曲(歌詞は獨逸語で歌はれます)  ‥‥ シューベルト
   c)野ばら(歌詞は獨逸語で歌はれます)  ‥‥ シューベルト
   d)小夜曲(歌詞は獨逸語で歌はれます)  ‥‥ シュトラウス
 5 イ)夕かけて恋やすべなく  ‥‥ 城左門詩   伊藤昇曲
   ロ)むらさき        ‥‥ 深尾須磨子詩 山田耕筰曲
   ハ)城ヶ島の雨       ‥‥ 北原白秋詩  山田耕筰曲
 6 歌劇『アイーダ』より           ‥‥ ヴェルデイ曲
       勝ちて歸れ(歌詞は伊太利語で歌はれます)
 7 歌劇『パリアッチ』より          ‥‥ レオンカヴァロ曲
      鳥の歌(歌詞は伊太利語で歌はれます)         
                 ピアノ    高木東六
                 ヴァイオリン 疋田小枝子

  歌詞と解説〔日本語:省略〕

 ・超弩級艦ナガト     ‥‥ 山田耕筰

 長門美保子といふ名より、グンカンといふ呼名の方が通ってゐる長門さんです。
 その長門さんが「時事」のコンクール港で進水したのは、たしか一昨年の秋でした。
 その後長門さんは、私の門にも學ばれて頻りに樂壇航行の準備にいそしむでおられましたが、漸く艤裝も整へられたので、愈々今日を出航日と定めて樂壇といふ荒海へ乗り出されようといふのです。
 樂壇は、また新たな、優秀な戰艦を得ることになります。誠に嬉しいことです。
 しかも、この戰艦は、たゞ普通の戰艦ではありません。その名ナガトの示す通り超弩級艦です。聲量の豊かな點でも、發想の自由さに於ても。

 ・リリー・ポンスのやうに  ‥‥ 堀内敬三
 ・上野出身の傑作     ‥‥ 伊庭孝

 長門美保君は、上野出身の聲樂家中の傑作です。最近は樂壇の第一線に立って活躍してゐる聲樂家は上野以外の出身者の方が優勢になった樣ですが、長門君は關種子君以後の官學の人達では最も勝れてゐます。のびのある歌ひ方は現在の樂壇では大に珍重してよいと思ひます。

 ・新星 長門美保     ‥‥ 大田黑元雄
 ・強い個性的歌手     ‥‥ 牛山充

 長門美保と云ふ名は軍艦と駆逐艦を一緒にしたやうな名で、中々強さうに聞える。名は實の賓と云ふが、此人程強い個性的な歌手は今賣出しの若手の中には一寸見當らない。上野の音樂學校を出てコンクールに出ようとする勇氣のある人は少ないのに奮って參加し、遂に一等入賞の栄冠を獲た程の人である。もっと才能があるやうに見える人達でも尻込みして獨唱會を開き、大に世に問はふと云ふやうな積極的な態度には中々出ようとしなのを、眞先に名乗りを擧げて打って出る意氣や寔に壯とするに足るものがある。
 髪容、服裝、唱ひ方、すべてが色彩的で、線が強く一寸日本人放れのしてゐるところは、コンサート歌手としてよりも、歌劇又は音樂映畵の歌優として成功する素質を多く有ってゐる。私は不思議な因緣で此人の父君を知る機會を有ったが、此父君は美保氏とは正反對で、實に柔和な感じのするヨキおとうさんである。あゝしたおとなしさうな父君、地味な、いづれかと云へば古風な感じのする父親から、ハリウッドあたりのスターのやうな凄いモダーン味のある美保氏のやうな娘が生れたのは正に一奇である。
 兎に角、コンクール入賞以來向日葵のやうに、ダリアのやうに咲き誇り、賣り出して來た聲樂界の超弩級的花形の春の樂壇への進水式は、今春切っての見ものであり、又聽き物であらう。

 ・借金の出來る人     ‥‥ 增澤健美
 ・長門さんの事      ‥‥  鹽入龜輔

 長門美保・獨唱会
      日比谷公會堂
 〔昭和十二年〕六月八日)夜七時半開演
 會員券 三圓・二圓・一圓
 前賣  プレイガイド, 三省堂, 樂器店

          第一部

  1. a)オペレット「レデーX」より   ‥‥  エドワード
          “ラヂオリード
     b)オペレット 「フラスキータ」より ‥‥ レハール
          “フラスキータリード
  2.   イ)待宵草            ‥‥ 山田耕筰
    ロ)夢の家            ‥‥ 山田耕筰
    ハ)黴              ‥‥ 橋本國彦 
                         (伴奏橋本國彦)
    ニ)田植歌            ‥‥ 橋本國彦
                         (伴奏橋本國彦)
  3. a) 歌劇「トスカ」より         ‥‥ プツチーニ
        “歌に生き戀に生き
    b) 歌劇「ルイーズ」より      ‥‥ シヤルパンテイエ
        “ルイーズの詠唱

          第二部

  4.(合唱付)
     バラ色の空に歌ふ春の歌      ‥‥ 伊藤昇
  5. 愛の歌(七曲)           ‥‥ ドボルザーク
  6.「夜の鶯」より             ‥‥ グローテ
      “夢に見るは君一人”

          ピアノ伴奏  竹村參郎
          合唱     門下生

 ◇音◇楽◇評◇
 目覚ましい進境
   ‥ 長門美保獨唱會を聽く ‥
        ー 太田黑元雄 ー
      (昭和十一年五月九日附東京朝日新聞朝刊より)


日本歌劇 『お夏狂乱』 楽譜 (1935.11)

2020年06月29日 | 声楽家 三浦環、関谷敏子他
     

   NIPPON GRAND OPERA
ONATSU KYORAN (Libretto dal Sig.R.Kawaji)
Compost dalla Sig NA TOSHIKO SEKIYA

 日本歌劇(グランドオペラ)
  關屋敏子作曲
   於夏狂乱
     川路柳虹詩
   
   日本に於て
    初上演 木挽町
      歌舞伎座     

            日本初演 東京木挽町歌舞伎座及び大阪朝日會館
                 昭和九年六月下旬ー七月初旬
      川路柳虹作詞
      關屋敏子作曲
  日本歌劇 グランドオペラ お夏狂亂 一幕 (上、下)

 時   元祿時代
 配役
 お夏 關屋敏子
  里の娘 關屋喜美子 
  同   井上道子 
  同   藤原欣子 
      其他
  飛脚  中島ゆり子
 コーラス 其他 大勢

  舞台監督     歌舞伎座
  衣裳         三越衣装部 根岸
 脚色及び振付   關屋敏子
 衣裳及び背景考案 小村雪岱
 オーケストラ指揮  山田耕筰(東京) 
           高木和夫(大阪)

      梗概

 「向ふ通るは淸十郎ぢやないか、笠がよう似た菅笠が」‥‥‥‥悲戀に苦しみ血を吐く思ひのお夏が可憐な狂亂、歌ふて、舞ふて、戀人の幻影を追ふ件
    
                   昭和十年十二月一日  ー  十日迄 日本劇場
  日本に於ける第三回長期上演          東京・大阪
                   昭和十年十二月十三日 ー 廿二日迄 大阪劇場

    川路柳虹作詞
    關屋敏子作曲
 日本歌劇 グランドオペラ お夏狂亂 一幕 (上、下)
  
   時   元祿時代
   人物
    お夏     關屋敏子
    清十郎    早川雪洲
    女馬子    若柳吉美津
    里の子大勢  杉浦眞美子 
           若柳光子
    飛脚     のぶ子、ひろ子 
           其他

   オーケストラ指揮        小松平五郎
    女馬子及び里の子振付      若柳吉三郎
   舞台監督            (高峯明)

 お夏狂亂

  Preludio より Introduzione になり、鳴子の音がして音樂がアレグレツトに移つた時に、木頭が入つて開幕される。
  舞臺、夏の終り頃の思ひ入れにて、草木よろしくありて、正面は杉林になり、下手は地像になりてが見へる。
  黄昏は舞臺を赤く染めて美しい上手奥から里の子の唄が聞へて來る。
 〽夕燒け小焼け あした天気になれ
             (音樂が入って)
  夕燒け小焼け あした天気になれ 
      上手から里の子出る。音樂は二度繰返す、二度目に子供が一緒に唄ふ。
      音樂變つて、
   ソロ〽向ふ通るは誰れぢやいな、
 コーラス〽向ふ通るは他人のひと、
   ソロ〽向ふに立つのは誰れぢやいな、
 コーラス〽そねの田甫のやれかゞし、
   ソロ〽向ふから來るのは誰れぢやいな、
 コーラス〽お山の小狐 化け狐
        ホーレ、ホーレ、ホーレ。
   ソロ〽いつもの いつものお姫樣、
 コーラス〽いつもの いつもの狂人ぢや、
       アツハツ ハアツハツハ (と二度笑ふ)
 コーラス〽かへるが泣くから歸ろ、
       歸ろ、歸ろ、歸ろ。
        下手に歸りかける。
 コーラス〽かへるが泣くから歸ろ、
       歸ろ、歸ろ、歸ろ。
        子供達去る、
        音樂につれて、お夏の悲しい聲が聞える。
        お夏、上手より出ると電気夕燒けを足元にやる。
 お 夏〽飾磨津 シカマズ の 茜の空の
     夕あかりさす渚邊に、
     かの船の戻らざりせば、
     もどらざりせば、
        音樂はなやかになる
 お 夏〽(靜かに)我れが思ひは美しき
     あの人ならで覺い得じ
     ないしよ話も 眞實も
     あの人ならでしよんがいな、
        恐ろしい音樂
 お 夏〽悲し悲し かの時ぞ 辛き追手にこの世のありとあらゆる悲しさの針よりも、はげしくおそいけりしな
 お 夏〽おゝ、愛しのひと 淸十郎
     そなたは、そなたは、どこにゐやるぞ、どこにゐやるぞ、
 お 夏〽たそがれは風の音 秘めて
     かの日 かの夜の憶ひ出の
     とりとめもなきものゝ隈
     いとあざやかに眼に見ゆる。
       電気前より段々暗くして、此處で月を登らせる、上手松の蔭より、
 お 夏〽あれ、あの山の端の宵月の
     狂へる如く 燃へ立つは
 お 夏〽黄い金 臙脂の薄明り、
     樹の間洩れさし添ふごとし
     わが胸の秘密たづぬる心地して
     光りいでぬ 光りいでぬ。
        お夏上手に去る、
        音樂あり
        月光ありて人なし
        電気此の場合松の木を浮び出す樣に注意する事。
        お夏以外はほとんど暗く、その時櫻を出す事根元は草。
        お夏は上手奥の方から出る、時は深夜になつてゐる。
 お 夏〽夢に現に いつもおふ
     わがいとほしの戀人よ
     櫻もあでに(櫻に電気をあてゝ)匂ひさく
     かの渚邊の たそがれよ(淸十郎の幻影現る)たそがれよ、
     おゝそなたは淸十郎、淸十郎。
        お夏かけ寄る
     おゝ いとほしの いとほしの戀人よ、
        淸十郎を前につれて來る
 淸十郎〽ゆるせお夏よ、つれなくて
     君と別れし 吾れならで
     身をそがれたる 縛めの
     鐵鎖にこそ へだてられ へだてられ
     想ふ心も通はじな
 お 夏〽姿 昔と變らねど
     なにか憂いの面ちは
     苦しき心 あればにや
     語らはせ 語らはせ
     今宵もしのぶ その昔の
     かの渚邊の 黄昏よ、黄昏よ、
 お 夏〽蟲齒いたみて うたゝねの
     かの幔幕の靑褥
     小袖かいやり わが見しは
     いかなる末の夢なりし
        獅子舞の太鼓の音が入り、その中に淸十郎が消へる。
        櫻の花散りて、去り行く淸十郎を追はんとするお夏をさへぎる樣である、櫻の木はのこる。
     いかなる果の夢なりし
 お 夏〽踊り狂ひて 立ち去りし
     かの獅子舞のあと追ひて
     わく抱きしめし 彼の人は あの人は、
     あゝあの人は。
        お夏地に横になる、
        電気は顔だけ照す、
        櫻の花散る。
        音樂終ると同時に電気を消す。
        暗闇に飛脚は下手松の蔭に寝そべる、
        文箱持参の事、
        櫻の木を取る、
        一寸の間ありて音樂と共に電気FJする夜明け近い。
        インデルメツゾが入る、華れやかになると現實の情景になる。
        これが終ると飛脚の音樂ありて飛脚現れる
        彼れはお夏を見ずに上手に去る。
        里の子の聲が下手より聞へる。
 コーラス〽淸十郎殺さば お夏も殺せ
      殺せお夏も 懐し戀路の二人連れ。
        くりかへす、
        里の子、ニ三人が淸十郎、淸十郎とさゝやく
        此の間にお夏が起きる。
 お 夏〽なにとや淸十郎殺さばお夏も殺せ
     さては罪着し 愛しの人
     いかなる罪科のあらうとも
     この燃ゆる胸の炎の消ゆべしや
        女馬子、里の子現はれてお夏をからかふ。
        里の子が女馬子を躍らせる爲に舞臺につき出す。
        女馬子歌に合せて踊る。
   唄〽坂は照る照る 鈴鹿は曇る
     合の土山 雨が降る。
        尚も踊れと云ふので音樂に合せてお夏、淸十郎をコシツプした樣なものを踊る。
 里の子〽ヤンヤ ヤンヤ ササ(踊り出す)
        踊りよろしくありて、今度は、お夏を中にして困らせる。
 お 夏〽童べよ わらんべよ、
     語らへよ、こゝな娘も
     そなたの群にまじりて
     歌はなん 歌はなん、
     わが戀の いやはてを いやはてを
 里の子〽向ふ通るは淸十郎ぢやないか
     笠がよう似た ずげ笠が
        女馬子及び里の子等上手に去る
 お 夏〽笠がよう似たすげ笠が すげ笠が
        狂的にお夏は歌ひ乍ら中央に來る。お夏の笑ひにて‥‥‥‥‥
                             ー 幕 ー
 ・写真

 〔上の写真:左から二枚目〕
   お夏 關屋敏子  ONATSU (TOSHIKO SEKIYA)

 〔同  三枚目〕  
   Compositrice e cantatrice SigNA TOSHIKO SEKIYA 
               (Lilic coloratura Soprano)
   Miss,Sekiya awarded a diploma (5206)by Royal Phihamonic,
   Italy a very rare and great Honor. (May 1928)  

   關屋敏子は世界最高の伊太利ボロニア音樂大學よりデプロマを授與さる。同大學は一六六六年の設立にて、デプロマ番號は五二〇六番なり。ベトウベン、モツアルトの樂聖も同大學よりデプロマを授與さる。
   
  ・英文筋書  牛山充
 
  ・献呈サイン 〔同  五枚目〕

 (三渓莊關屋樂譜)
  昭和十年十一月廿五日發行
  定價金参圓
  發行者 關屋敏子

『MADAM BUTTERFLY 蝶々夫人』 (三浦環) (1936.6)

2020年06月27日 | 声楽家 三浦環、関谷敏子他

 

 MADAM BUTTERFLY 
 蝶々夫人   三浦環

 發行所 京橋銀座二ノ三 東京聯合婦人會

 MADAM BUTTERFLY 
     上演 1936
    6月27 28 毎夕7時半 
    マチネー28日午後一時半。

    登場歌手

  蝶々夫人            ソプラノ  三浦環
  アメリカ海軍士官ピンカートン  テナー   永田絃次郎
  (マチネー出演)              渡邊光
  長崎駐在米國領事シヤープレス  バリトン  下八川圭祐
  僧侶(蝶々夫人の伯父)     バリトン  山本春雄
  高官              バリトン  横田孝
  五郎(口入業者)        テナー   毛利幸尚
  ピンカートン夫人ケイト     ソプラノ  百崎さの子
  蝶々さんの子供               クロキ節子
  蝶々夫人の小間使鈴木      ソプラノ  南部たかね
  
   合唱                   三浦環合唱團
   管絃楽                  中央交響樂團
   指揮                   篠原正雄

   背景製作                 長谷川源次郎
   舞台装置                 内山惣十郎
   衣裳製作                 三越衣裳部
   小道具製作                藤浪與兵衛
   演出                   伊庭孝

     主催 東京聯合婦人會

 『蝶々夫人』梗概
     ー 全二幕三場 ー
 
 三浦環女史を語る 

  世界一の蝶々夫人  放送局報導部主事      賴母木眞六
  虎の門時代の環さん 日銀副総裁清水賢一郎氏夫人 清水信子

 虎の門の女學館といへば、そのころではなかゝ尖端的な女學校で、はじめて袴を用ひはじめたのも此處なら、リボンをつけはじめたのも女學館で、したがつて生徒達はいづれも當時のモダン・ガールだつたわけです。
 三浦さんはなかでもとりわけ可愛くて、目立つてゐました。たけながをかけた唐人館や、桃割やらに結つて、袴をつけた姿が今でも目に殘つてゐます。自轉車に乗つて通學されて行人の目をそばだてたのもこの時代です。
 そのころは、ほっそりした美人で、ものごとにこだはらない、誰にでも朗らかで圓滿な方でした。
 昔からお聲が素敵にきれいで、際立つて居られました。矢張り栴檀は双葉より香しかつたわけです。

  三浦さんも本望   ジャパンタイムス社長    芦田均
  心服する唯一人   逓相夫人          頼母木こま子

 私がこれまでにきいた歌手のなかで、三浦環さんの聲ほど私の耳をよろこばせてくれるものはありません。全く素晴らしい聲です。もちろん私の狭い内地での経験ですが、外人の歌手をきいても、感心したのは、かつて來朝されたオランダの駐日公使夫人ラウドンさんだけでした。
 そしてこのラウドンさんに、三浦さんがならはれたといふのも、不思議な因縁だと思つて居ります。今度その三浦さんの有名な歌劇「蝶々夫人」が見られる事になつたので、いまからその日を心まちにしてゐる次第です。
   
  先見の明                          杉浦ちか子

 私はずつと昔、音樂學校と虎の門の女學館をかけもちで、聲楽の教授をしてゐたものですから、当時女學館の生徒であつた三浦さんをお教へして居りましたが、そのころから非常に美しい声の持主でした。
 それから数十年たつた今日でも、その時分と同じ美しい声をもつてゐらっしゃるのは只驚くばかりです。三浦さんの聲の美しさは天賦のものだと考へる他ありません。
 最初三浦さんに音樂學校入学をおすゝめしたのは私でしたが、今から考へると確に先見の明があつたと心秘かに誇らしく思つてゐる次第です。
 三浦さんは聲も美しい方でしたが、声のやうに姿もこころも美しい方でした。學校の成績も優等で、音樂學校では特待生、社会に出ては楽壇のナンバーワンになられたのも偶然ではない気がします。

 泣ける「お蝶夫人」                     吉本明光
 私と蝶々夫人                        三浦環

海外生活二十年の間には、私は「蝶々夫人 マダムバタフライ」のオペラを二千回上演致しました。一年平均やく百回といふわけです。
 歐米ではプツチーニの「蝶々夫人」は吾が國の忠臣藏のやうに繰り返しゝ上演されて、上演の都度観衆の涙をさそつてゐるオペラです。
 マダム・バタフライの初演は、一九〇五年で、この時には作曲者のプッチーニの指導で、スカラ座でストルキオが歌ひました。
 この第一回の上演はさんゞの不成功で、プツチーニの妹は卒倒するし、ストルキオは泣きだすといふさわぎ、その結果はプッチーニの生存中は決してスカラ座ではこの作を上演させないといふ、大変なことになつて了ひました。
 このストルキオと、アメリカのゼラリンフアラーとが蝶々夫人の歌手としては有名です。私の蝶々夫人もプツチーニから、今までに澤山の蝶々夫人をみたが、三浦環の蝶々夫人こそ理想的だと非常に喜んで貰ひました。私はプツチーニのこの言葉をきいて以来、今日にいたるまで、まだ一度も他の人の蝶々夫人をみたことがありません。
 見る必要もないし、また他人のをみて自分の獨自性を損なひたくないからです。
 亡くなつたカルーゾー、ベニヤミのジリー、フランスの国立劇場のラヒツト、スペインのイポロトラザロなどのピンカートンに、歌つた事もありますが私は何時でも背が低いので、相役の胸の辺までしかありません。それに外國人にまけてはならない、と思ふものですから、ほんとに一生懸命で、一ころは毎幕のはじめに玉子を二つづつ食べたものです。
 だもんで大抵のピンカートン歌手は、私とでは長くつゞきませんでした。
 今度はかねての念願が達して、日本では始めて私の蝶々夫人のオペラをお見にかけることが出來るやうになりました。
 嬉しいと同時に何だかこはいやうな気がします。世界一のテナーとして有名なカルーゾーすら、祖國でのデビユーは散々失敗で、爾来彼は其祖國の舞台に立つことをこのまなかつたといはれて居ります。
 バタフライは、日本を背景とするだけに、演出に対する批判も各方面からなされるでせうし、その他いろゝな意味で私には處女演出のやうな緊張と努力で致して居ます。
 外國では、用ひる衣裳にしても、大道具小道具にしても、日本そのまゝとはゆかず、キモノにしても模樣が左前についてゐるので、左前にきる他ありません。
 足袋と下駄をはかせたら、一時間とたゝないうちに抗議が出て、駄目だつた事があります。
 そのやうにオペラの内容の理解にしても、外人には蝶々さんの自殺の心理や、日本婦人の貞操観などは、充分にのみこめないで、蝶々さんの自殺を、何か嫉妬のための自殺のやうに考へてゐる者も多いのであります。
 外國で上演する蝶々夫人は、万事このやうに不備な所があり、これはまた外國で上演する以上止むを得ない制約でもありました。
 それが今度は蝶々さんの舞台である日本でするのですから、これらの不満や不自然さを出來るかぎり取りのぞいて、眞個にこれが眞実の蝶々夫人ですといふ演出の標準をうちたてるつもりで一生懸命になつて居ります。

 主催者の立場から 東京聯合婦人會を代表して    吉岡彌生

 歌舞伎座を借り切つて、三回に渉る興行は當會としても、今回が始めての大仕事です。最初この話があつた時、第一に問題になつたのは、何分大した費用のかゝる仕事だからといふ事でした。勿論當會で主催する以上は募金運動と関連しなくてはならないのに、萬一赤字でも出しては大變といふ危惧の念は誰しも同じ樣に抱いたのでした。
 けれども申すまでもなく、三浦夫人の「蝶々夫人」は他に比類なき世界的のものです。あれほど海外でもてはやされ、世界の大舞台で二千回も上演されてゐるといふのに、祖国日本で一度も上演されないのは我々女性の立場からしても如何にも残念な事で、むしろおはづかしい事だし、環夫人としても肩身狭い事でせうから、一つ冒険的にやつて見やうぢあありませんか、といふのが、この催の出発点でした。
 ところが一度この計画が発表されますと、待つてゐたとおつしやつて御後援下さる方も思ひの外に多く、廣田首相夫人よりも花輪を賜るとの仰せ、有田外相御夫妻も出來る丈都合して行きませうとの仰せその他外交團、各方面の知名人士等より多大の御後援頂いて、誠に力強く感じてゐる次第です。
 又上演に必要なる小屋、オーケストラ、衣裳、宣伝等については、松竹社長、松坂屋、三越、白木屋その他各方面の多大の御支援を頂き、おかげ樣で萬事好都合に運びました。只々感謝の外はありません。
 どうか環夫人のこの日本に於ける初舞臺がよりよき芸術であるやうに、より華かなものである樣に、その上澤山の純益をあげて社会事業團体に寄附出來ます樣ににとひたすら念じてゐる次第です。
 
 〔写真:19葉〕

            

 ・三浦夫人の近影 〔上左から1枚目〕
 ・永田絃次郎氏
 ・-渡邊光氏-
 ・上 伊庭孝、中 下八川圭祐氏、山本春雄氏
 ・上 篠原正雄氏、中 毛利幸尚氏、下 横田孝氏
 ・三浦夫人の扮する蝶々さん色々 〔三葉〕 〔2、3、4枚目〕
 ・クロキ節子嬢、百崎さの子嬢、南部たかね氏 〔南部たかね氏:5枚目〕
 ・虎の門女學館時代を語る同級会、東京聯合婦人會幹部との顔合せ
 ・千九百二十一年平和記念日にニューヨーク、マヂソンスクエアにて日本を代表して「君が代」を歌う環女史後方に立てるは石井大使、ウイルソン氏外各大公使館付武官 〔6枚目〕
 ・ダルモンテ夫人から贈られたチチを抱いて日本に歸る環夫人 〔7枚目〕

 演出者の言葉                  伊庭孝
 特筆すべき歴史的演出 環夫人の蝶々夫人     牛山充

 三浦環夫人の名は國際的にプツチーニの傑作「マダム・バタフライ」の同義語となつてゐる。それにも拘らず本國たる日本では演奏會形式の斷片的演奏の外、夫人による此名作の全演出を見る機會を恵まれなかつたのは、夫人の海外に於ける活躍とこれによつて得た盛名とを知る我々にとつて大いに遺憾とするところであつた。
 「待つを知るものにはすべてのものが來る」といふ諺の如く、我々が多年待望し、尅望してゐた三浦夫人主演の「マダム・バタフライ」が歌舞伎座の檜舞臺で脚光を浴びる日が彌々到着した。洵 まこと に我音樂史上特筆大書すべき歴史的事件である。
 夫人が此悲劇の女主人公に扮したのは既に數千回の多きに上り「蝶々さん」の主役者として最高記録の保持者であることは云ふ迄もない。併しそれよりも重大なことは此不幸なる女性の性格の解釋と其藝術的表現とに於て非常な深く突き込んだ研究と工夫とをされ、他人の企及を許さない、夫人獨得のものを有つて居られる事である。
 我々は既に故松平里子夫人によつて東劇の舞臺に山田耕筰氏演出の「お蝶夫人」を見た。
 斷片的演出では原信子女史のものも見る事が出來た。これに加ふるに帝劇に於けるロシア歌劇團やカーピー歌劇團の演出によるものを以つてすると十指を屈するに足る「マダム・バタフライ」を比較論評することが出來る。此間に伍して今回の三浦夫人主演の「蝶々さん」が斷然異彩を放つものであることは、毫も疑ひを容れない。
 歌劇の本格的上場が巨資を要する關係上、三浦夫人としても今後屡々これを反復演出されることは恐らく至難であらうと思はれる。從つて或はこれが夫人の日本に於ける唯一の完全なるバタフライ演出とならないとも限らない此事情は今回の上演を益々歴史的事件として重要なる意味を有つものたらしめる。 

 蝶々夫人の解剖                 鹽入龜輔
 三浦環女史の半生 ー 世界的歌手の絢爛たる過去 -
 
 三浦環女史は、芝で生れ、鞆繪小学校を卒業すると、日本一のモダーン女学校として有名な虎の門の女學館に学んだ。
 その頃既に女史の聲樂家としての素質は萌芽をあらはし、音樂學校教授で同校に教鞭をとつてゐた杉浦ちか子女史を驚嘆せしめ、音樂學校入りをすゝめられた。
 上野の音樂學校に入學してからは、特待生で通した。
 「自轉車の麗人」として評判されたのはこのころの事、自轉車といへば近ごろの自動車運轉ぐらゐに尖端的なスポーツであつたので、通學の途中、悪戯者の男學生たちにからかはれた事も一再ではなかつた。
 もとの社会教育局長関谷龍吉氏なども悪戯組の一人、毎朝四、五人づれで女史の通學を神田橋にまちうけては、大手をひろげてとほせんぼした一人だつた。
 三浦女史は音樂學校に在學中、既に時の 皇后陛下の御前で獨唱する光栄に浴した。
 卒業すると直ちに母校の助教授として残つた。投じ女史の指導を受けた生徒に山田耕筰、鈴木のふ子などがある。
 去る三月逝去したサルコリー翁は、日本聲樂界の恩人であり、三浦女史の恩師でもあるが、この人が女史に「偉大なる天才歌手」の折紙をつけた。帝劇で上演された日本ではじめてのオペラカバレリヤルスチカナには、翁の相役として出演、その天分を遺憾なく發揮した。
 大正三年の春、音樂修業のために獨逸へ渡つたが、たまゝ世界大戦に遭遇し、ロンドンへ逃れた。
 此處で環女史の世界樂壇樂への第一歩が踏み出されたのである。
 世界有数の大劇場アルバートホールででの海外における女史の初舞臺は、キングジョージ、クヰンメリー御揃ひの御前であつた。この時日本娘姿で日本民謠を唱つたのが素晴らしい評判となり、ボストンのナショナルオペラ團から一ヶ年契約申込みをうけた。
 その後伊太利の王室劇場で演じた、マダムバタフライが、作曲者であるプッチーニにひどく気に入られ、ストルキオやゼラリンファラー以上に滿足したと絶讃されるに及んで、三浦環の名は世界各國に喧傳された。
 三浦環女史はこれまで、二十年間の海外生活に於て、各國の元首大統領の前でマダムバタフライを演ずること二千回に及んでゐる。
 歐洲各地、北米、南米、南亞、アジア方面と、女史の足跡の到らぬ所はないといはれ、そのいづれの時にも女史は賓客として待遇され、有名な世界的テナーカルーゾーやジリーなどを相役のピンカートンに、蝶々夫人を歌ひ抜いた。
 文字通り故國に錦を飾つて歸朝したのが大正十一年四月。
 六ケ月間の日本滞在は、饗宴、演奏會、招待會と、夜晝間斷なくつゞき、レコード吹込料のレコードを作つた。
 十月再び渡歐する時の送別晩餐會は百卅名の名士によつて帝國ホテルで開かれ、目賀田種臣男、淺野總一郎氏、大倉男、故澁澤子爵など、いづれも女史の爲に送別と激勵の言葉をのべた。
 この時、船につみ込つまれた蝶々夫人その他の衣裳代は約五萬圓と計算された。
 三浦女史の二十年間の海外生活は、日本の藝術紹介私設外交としての華々しい功績で、外遊した人々の間には正しく認識されてゐる。
 女史の美くしい聲と秀でた藝術と、親しむと愛慕せざるを得ない、パーソナリテイによつて、日本のためによき印象を歐米人の脳裡に植ゑつけ、祖國の光を發揚するところが極めて多いと云はれてゐる。
  
 出演者の略歴

  伊庭孝氏
  篠原正雄氏
  永田絃次郎氏
  渡邊光氏
  南部たかね氏

 新潟縣出身、大正五年帝劇歌劇部を卒業、震災後渡米し伊太利人の聲樂家マダム・グエリアリーにつき研究、滞米中の三浦環女史の紹介にてフライデルフイア歌劇團のプリマドンナとして招聘され、中央樂壇に認めらる。昭和五年歸朝以來我が國の歌劇發達に力をそゝいでゐる。

  百崎佐乃子氏
  下八川圭祐氏
  山本春雄氏
  横田孝氏
  毛利幸尚氏
  黒木節子嬢

 楽壇の?

 〔広告:下の写真〕

 


「滿洲とロシヤの思出」 三浦環 (1943.2)

2020年06月18日 | 声楽家 三浦環、関谷敏子他
  

 滿洲とロシヤの思出
            三浦環

 昨年は滿洲國建國十周年で私は十一月から滿洲の所々を歌の旅行いたしまして皇軍の慰問もいたしまして旅順の戰跡も拝見してまゐりました。明治三十七年の日露戦争で此旅順要塞を見事に占領せられた事は三十九年後の今日の大東亞戰爭に何と云ふ偉大な功蹟を與へられましたかを考へ私は涙を催しました。

 丁度昭和七年私は伊太利ミラノで歌劇お蝶夫人を唱ふて居りました時分滿洲の事變で皇軍が毎日々々進軍して熱河のあたりの戰勝の樣子を伊太利の新聞で讀んで居りまして誠に勇ましい我が軍に對し日本人たる私は外國に於て肩身の廣さ、何とも申されぬ感激で御座いました。丁度其當時東京では日劇が出來上りつゝあつて伊太利の私の處まで日本劇場の寫眞が送られ「此劇場をオペラ劇場として三浦環を總主任とすると云ふ計畫で私の室も劇場の中に作つておくから歸朝していたゞき度い」と云ふ手紙が或る人から送られたので私は大喜び「では伊太利の唄ひ手をひきつれて歸りましょう。私は丁度マダム、カレリがローマのテアトロ、コンスタンチで總主任になつて自分からいろゝのさしづをして居られた樣に私も日本劇場に起き伏して自分の出來る丈け我が國の藝術の爲につくしませう、私は死をも恐れない」と思ふて其後の日本からの手紙を待つて居りました所が更に其後手紙が來ないでつまり右の計畫は劇場の持ち主が變つたのでやめになつた、との事で其かわり音樂會を催す樣にしたとの事で私は狐につまゝれた樣でしたが其のまゝの旅の仕度をして二度目の歸朝をするべく旅につきました。
 東京の音樂會の日取りが定まつて居るので船の旅はあまり日數がかゝるので私は其時ロシヤを通つてシベリア經由滿洲を通つて日本に歸る事にいたしました。
 
 ロシヤに私がつきましたら廣田弘毅樣が其時分ロシヤの大使であられました(此御方樣は私の故三浦政太郎の學友で居られました)ので大使館に參上してお食事をいたゞきました此食事に爲に私は出發を一日のばして翌日モスクワを出發いたしました。(後に考へて見れば此大使館のお食事で一日私の出發をのばしたと云ふ事が私の生命をたすけたのでした)シベリアの鐵道十五日間私はたゞ一人でたゞ雪の廣野ばかりを見て滿洲につきました。
 翌朝は七時にハルピンにつくので私は嬉しく汽車の窓から外を見ますとマンチユリーはシベリアよりも少しは小山の樣なものも見える樣になつて其山の上は灰色の軍服の兵が馬を進めて汽車と併行して居りました、此軍が匪賊であつたとは知らず「私は之はきつと日本に信賴して居るものだらう」と思ふて窓から首を出して私はニコゝして居りました。やがて又夜が來て汽車のコムパートメントに寝につきました。
 「三浦環さんこゝから下車して下さい」と云ふ聲に驚いて飛び起きて時計を見ると夜中の一時なので何事かと思ふて廊下を見ましたら私の室の入口に憲兵と腕に書いてある兵隊二人と一人の支那人一人のロシヤ人が立つて居て、「此次の驛の所で昨日二人の日本人が匪賊に惨殺されたのでチヽハルからわざわざあなたを救けに來ました」と云ふので(實は私は久しく日本に歸らなかつたので此兵隊さんの腕の憲兵といふ字はやはり支那の字なのであゝきつと此人たちは私を殺す爲に此汽車を急に止めたのだと思つて)私は「あなた方は日本人ではない支那人がバケて來て居るのですから私は此汽車から一歩も動きません」と答へたのです。憲兵さんたちは怒つた顔で、
「そんならもう責任は持ちません」と云ふので私はいやいやながら下車する事にして手荷物を車窓からほうり出して暗い支那の荒れ原を夜中の一時と云ふのに此憲兵さんにつれられて支那人が荷物をかついでロシヤ人がついて五人でトボゝと歩き出したのでした。
 私は汽車を降りるときに小さな爪みがきのナイフをそつと手に持つて居ましたのでもし此人たちが私を殺そうとしたらすぐに此ナイフを自らの心臓につき立てゝ死にましようと思つて居たので私は歩きながら「あゝ三浦環も世界を唱ひ歩いたが遂に此滿洲の野つぱらで犬死するのかなあ、中村大尉殿が匪賊に殺されにつれて行かれた時も此位のこわさがあつたでしよう」と思ひながらピウゝ吹く風にオーバーの下に着て居たねまきのうすぎぬのすそもひらゝとつめたく寒く死にゝ行く人の心持ちを味ひながら一里餘も行きましたらやがて一軒の家の前に來て「此中にお入りなさいと云はれたので「私は之は何ですか」と伺ひましたら「之は日本の宿やです」と答へたので「こんな宿やはありません」と云ふていよゝ私は此中で殺されるのだなあと思ひながら其家に入つて見ましたら内からドテラを着た男の人が出て來たのでドテラは支那人は着やしない、やはり此憲兵さんたちは日本の兵隊さんであつたと云ふ事がわかつて私は嬉しくて手に持つたナイフはほうり出して其兵隊さんに思はずすがりついて泣いてお禮を申たのでした、(私の乗りすてた汽車にあとから又匪賊が來て私を一時間もさがしたとの事でした)此宿で私は兵隊さんに地圖を書いてもらつてこゝが昴々渓と云ふ處で此宿で中村大尉が最後の食事をされて出られて支那人に殺されたのだと云ふ事を聞いてかべにかけてある中村大尉の一行のお寫眞を拝見しながら暗いガラス窓から支那人がのぞいては居ないかしらなどうしろさむい思ひで一眠もしないでもうしらゞと朝になつてしまつて、宿で作つてくれたおみをつけを美味にいたゞいて翌朝國際列車でない滿鐵に乗つて兵隊さんにまもられて奉天につきました(此汽車中でも其當時はいつ匪賊が出ないものとも限らぬのでソラッと云ふ時は汽車中に「はらばいになれ」と命令されて居りました)
 奉天ヤマトホテルにつきましたら丁度ジネーブの會議の使節リットン卿の一行と一緒になつたので私は其晩此人たちの爲に獨唱をさせられたのでした。私の歌は日、獨、伊、佛、英、米の顔で大喝采で御座いましたが唱ひ終つて私は「皆様は此奉天まで御無事におつき遊ばして御めで度う御座います。私もすんでの所匪賊に殺されるのを日本の兵隊さんと日本の鐵道と云ふものゝ爲にすくはれて無事にこゝに参りました」と英語でおく面もなく私は話しました、(あとで知りましたが此私の言葉は非常によい事を話したのだそうで其當時此使節を傷つけて日本の落度としようとたくらんだ支那人が多分に居つたので滿鐵の心配は大變なものであつたとか)此時私は心中女ながら米英人をやりこめた心持で嬉しかつたのでした。

 さてそれから私は日本に歸つて三ヶ月間に百回以上の音樂會をして又伊太利に今度は船で行つてナポリで唱ふてすぐ又ロシヤに參りました。前には通りぬけしましたがこんどはモスクワの大劇場でお蝶夫人を唱ふ契約があつたからでした。ロシヤに行くのに私は旅券證明がたりなかつたので途中で又々ワルサワからチェコスラバックまで引き返されたり停車場で身元しらべをされて私は自分を明白にする爲に停車場でいろゝの獨唱をして停車場が急に音樂會場の樣になつて居合せた憲兵や人々をニコゝにしてしまつたりいろゝな苦勞があつた後にやつと又モスクワに着きました。大使館の日の丸の旗のついた自動車がお迎へに來て居てほんとに嬉しく私はすぐ立派なホテルに宿泊しました(今から九年前でしたが其當時ロシヤではいろゝな物に不自由で毛織の服を着て居るロシヤ人は僅かで雪の中を買ひ物の男女が列を長く作つて居たのでした)私丈けは通譯の婦人までつけられて赤いカーテン、金の彫物のしてあるベッドの寝室で私はお伽話の女王様の樣に皆々につかへられてモスクワの滞在の一週間を過ごしました。私のお蝶夫人はモスクワ中の大評判となつて劇場で唱ひ終ると拍手がなりもやまず六十回も幕を出たり引きこんだりしてあまりの嬉しさに私は自分のふりそでをもぎ取つて聽衆になげ出したので之を皆がひき合ふて切れゝとしてしまつて記念に持つて行きました次第でした。
 ロシヤの人が一番日本の劇を研究して居ると見えてコーラスの女に至るまで其立ち居に注意して居たのにはおどろきました。
 私のロシヤに於ける出演は非常な成功でありましたが今だに出演料の取り引きがのこつて居るので之には今だに心持ちがよくないのです。それは露價は國外へ持ちだせないので私は大怒りしてロシヤを出ました。
 ロシヤ語は歌に唄ひますと何となく淋しさを帯びて居ります。
 先き頃私はハルピンに參りました時にロシヤの子守歌をアンコールに唱ひましたら大變な拍手で御座いました。
 私のお蝶夫人は外國で二千回演じまして至る處で大好評を得ましたけれど大東亞戰以來私はパッタリ蝶々さんを唱ふ事をやめました。之は如何に考へてもあのにくらしい米國の士官を戀して死ぬる女には扮する心持になれないからでやがて米國が降伏してしまつたら唱ひませうと存じて居ります。
 私のロシヤについての見識は誠にあさいものでありますけれども考へて見ますればロシヤの人は思ひ切つた事をする人たちだと思はれます。昔ロンドンで私は前歐洲大戰のとき赤十字の大音樂會でアデリナ、パティー夫人と並び立つて時の皇帝の御前で唱ひました後に私にお蝶夫人を唱ふてくれとたのみに私の宿を訪問したのはウラディミルローヂンと云ふロシヤのテナーで御座いました。此テナーはテナーとしての學問は充分にありましたけれども其聲は非常にのどの奥の方から出ますし調子がいつでも少しさがるしオペラの舞臺に立つ事は出來ぬ事を知つて居るので私の相手役にはなりませんでしたが其オペラは露佛オペラとしてロンドン大歌劇場で其時分の一流の歌手をあつめて私のお蝶夫人を特別の出し物として興行をしたのでオペラについては一見識もなかつた日本の女の私を直ちに大オペラカムパニーに引き入れたわけで御座います。ロシヤの人は交際は非常に上手で御座いますけれどあまり気をやすめて交際すれば其親切は交際上の親切で心の底からわき出づるものでない樣な事を感じさせられた事も御座います。執着心の強いのはロシヤの人の特有で其音樂によく現はれて居ります。
 私は今日とりとめもなくいろゝを書きましたがつまり私はロシヤの國民性は我が國の如き愛國心的ではないけれど此執着と忍耐力は我國よりも強いとも弱くない事を感じますので私共は日夜忍耐力をつよくする事につとめて行かねばならないと思ふ事を記して見たので御座います。

 上の文は、昭和十八年二月一日発行の雑誌 『月刊ロシヤ』二月号 第九巻 第二号 に掲載されたものである。

歌劇 「釋迦」 帝国劇場 (1912.6)

2020年05月13日 | 声楽家 三浦環、関谷敏子他
   

 明治四十五年六月狂言

     ピヨルソン原作
     小山内薫譯
 第一 現代劇 新夫婦 二幕 
     近松門左衛門原作
     岡本綺堂脚色
 第二 世話劇 萬年草 ニ幕
 第三 歌劇  釋迦
     太郎冠者新作
 第四 喜劇  出来ない相談 ニ幕
 第五 新作所作事 風俗名所合 三場

 第三

   迦毘羅城庭園の夜
   佛陀迦耶
   迦毘羅城庭園の朝

 一 耶輸陀羅  柴田環
 一 羅睺羅   松本銀杏
 一 提婆達多  清水金太郎
 一 釋迦    柏木敏
 一 浄阪王   南部國彦
 一 烏陀夷   菅雪郎
 一 車匿    不二正容
 一 浄阪王侍臣 石井林郎
 一 同     坂東鶴丸
 一 同     服部曙光
 一 同     倭良一
 一 同     澤村國十郎
 一 同     澤村宗右衛門
 一 釋迦の弟子 伊藤聴光
 一 同     松本麗重
 一 同     小島洋々
 一 同     澤村澤右衛門
 一 同     澤村澤次
 一 舞  姫  大和田國子
 一 同     上山浦路
 一 同     川窪津溜
 一 同     河合磯代
 一 同     筧こま子
 一 同     中山歌子
 一 同     澤美千代
 一 同     夢野千草

 帝國劇場洋樂部員

 第一 ヴアイオリン 吉本孝三  
 同         山崎榮二郎 
 同         小松三樹三 
 同         荻田十八三
 第二 ヴアイオリン 遠藤和一  
 同         吉田盛孝  
 同         三浦行敏
 ヴイオラ      蛯子正純  
 同         粋川藤喜知
 セロ        小林武彦  
 同         中村權三  
 同         内藤常吉
 ダブルベース    荒木茂次郎 
 同         内藤彦太郎
 フリユート     横山國太郎
 オーボエ      八尾五郎
 クラリネツト    横須賀薫三 
 同         奥山貞一
 ホルン       松戸重雄
 トロンペット    小田越男  
 同         吉田民雄
 トロンボーン    木村仙吾
 ドラム       渡邊金治     
  
 第三 歌劇 釋迦

   役割  浄阪王 (低音  ベース)
       羅睺羅 (中音  アルト)
       提婆達多(次低音 バリトン)
       烏陀夷 (次低音)
       耶輸陀羅(高音  ソプラノ)
       車匿  (次低音)
       其他は凡て合唱

 序楽 オプアテユーブ

 靜なる月夜を形容する主題 テーム は緩漫流暢なる絃楽四部に初まりフリユード、クラリネツト、ホルン、オーボーエ、順次に加はりて遂に全管絃楽 フルオーケストラ となり、大空の彼方僅に微点の黒雲生ずると見るや雲は次第々々に群り来り遂には磨ける如き月影も はれて果ては恰も人の運命もかくやと気遣はるゝも暫し管絃楽はもとの滑なる弦楽四部に返り何時しか黒雲も飛び去り拭ふが如き気分にて幕徐に上る。
 こゝは天竺 薩位国迦毘羅城の庭園の一部右手には、五色の紋様ある大理石もてたゝめる楼あり遥にヒマラヤ山を望み、ロヒス河は近く城外を流る、釋迦の妻耶輸陀羅夫人その子羅睺羅と相対して月下に語る。

   紀元前五百年代
   印度迦毘羅城
  人物
釈迦、浄阪王(釈迦の父)羅睺羅(釈迦の子)提婆達多(釈迦の従妹)烏陀夷(浄阪王の侍臣)魔王の聲、耶輸陀羅(釈迦の夫人)車匿(釈迦の馭者)欲妃(魔王の女)悦波(同上)快観(同上)見従(同上)舞姫大勢、浄阪王の侍臣大勢、釈迦の弟子数人

     羅睺羅
 母君! 母君
     耶輸陀羅
 夜は深し
 はや臥床靜 ふしど に入 い れ
     羅睺羅
 さるにても母上は
 何故 など 床の上に直寝 ひたね せらるゝ。
 乞食の為ならん如く。
     耶輸陀羅
 父君は今かくなすと聞く
 乞食の如く身を苦めて。
 ……さ、夜は深し、
 はや寝れよ。
     羅
 父君は迦毘羅しろし召す王の身ぞ、
 など乞食の如く身を苦しむる
     耶
 新らしき王国を打建 うちた て給はんとて、
     羅
 さらば父上はその国の王になり給ふか。
     耶
 父上の打建て給ふ王国は、
 真理の王国ぞ、
 心の王国よ、魂の王国よ。
 ……はや眠れ、時は遅し。
 翌日 あす また父君の物語せん。
     羅
 さらば母上よ!
 翌日はひねもす父上の話し聞かん。
     耶
 よき子よ早う寝よ。
    耶輸陀羅、羅睺羅を伴ひて楼の裏に入る夜気陰々たる気分管弦楽 オーケストラ にてあらはれ遠く響く玉笛の音はクラリネットの独奏となる。
 ヒマラヤの山に雪は消ゆとも
 ロヒニの河に水は涸 か るとも
 君をしたふわがこゝろ
 とことはに消えじ、涸れじ!
    提婆達多 だいばだつた 、無憂樹 ばるざ の茂みより現はる、
    黄色の僧衣より半ばもるヽ面には、凄まじき如き月光浮かぶ
    しばらく耶輸陀羅が歌の聲に聞き惚れて居りしが、やがて心を決して扉をたヽく
    提婆達多作り聲して
 耶輸陀羅!
     耶
 誰ぞ、かヽる夜陰に
 妾を呼ぶは?
     提(尚作り聲して)
 そなたが夫ぞ、
 われは悉達多 しつたつた ぞ。
     耶
 なに、わが夫とや!
    扉を排して、耶輸陀羅躍り出て提婆達多が手に抱きつく。提婆僧衣をかき退 の け、耶輸陀羅月光に提婆を認めて、身を飛びすさる。
     耶
 やつ、卿 おんみ は提婆達多!
     提
 卿が夫を思ふよりも
 百倍ふかく卿を思ふ提婆達多ぞ!
     耶
 汚らはし!夫ある身ぞ
 夜ふかく他男 あだしをとこ に語 ことば かはさんも口惜し、
     提
 その夫 つま は早や此の世の人ならで!
     耶
 何と?
     提
 空しき望みは空しく消ゆ。
 悉達多が出家の願ひも、
 まことは他 あだ し女 をうな が色香に迷ひ、
 卿が羈 きづな を絶つためなりしを。

 世を欺ける解脱の本願
 後には却つてその身を縛 いまし め
 六歳 むとせ に餘れる難行苦行に
 心まづつかれ身また委 な へたり。

 されば、身をそヽぎたる尼連爾河 ニラジかは の波に打勝つ
 力も消えて
 ながく求めし涅槃 ねはん の徳をばたゞ一朝に得しとぞ
 聞ゆる。
     耶
 妄語 いつはり ぞ、たくみ言 ごと ぞ!
 わが夫 つま は今迦耶の里
 畢波羅 ヒツパラ 樹下の金剛座にて
 無爲成道の悲願を立て
 靜慮 じやうりよ 三昧に入りてをはせり。
     提
 縦令 よし そを姑らく眞實 まこと となすとも悉達多は理を愛して人を愛さず、とこしへを契るべき卿をだに、

 彼若 も し今に至つては正覺 さとり を聞かば、
 ますゝ妻子を敵 かたき と見るらん

 あヽ、目 ま のあたりなる靑春 はる の夢かな!
 拘利 コーリ の城領花さきみだれて、
 人も獸も血は沸きかへりぬ、

 その時われ卿にまみえて
 戀のさつ矢に心を射られつ、

 それよりこヽに十有餘年
 人の妻、人の母となりしに卿を
 今宵の今まで思ひつゞけぬ。
 中空の月の光、わが心の底をも照 てら せ!
     耶
 色界の惡魔、煩惱の犬!
 わが夫 つま の法 のり の力にたよりて
 汚濁 をじよく の罪をばのがれ出 い でよ。
 恆河 ごうが に流れも洗ふを厭ふ汚 きたな き心よ!
    提婆達多夫人が語の裡にも進み寄りて其手を握らんとす耶輸陀羅手をふり放ちざま
 無禮なり提婆達多!
 善覺長者が女 むすめ 耶輸陀羅ぞ
 操を守る劔 つるぎ はこヽにぞ
 いらぬ生命 いのち の血の色見む!
    懐劒を抜いて切かヽらんとす、提婆達多巌を小楯にとり嘲笑ひつヽ
     提
 いらぬ生命 いのち はこの城にこそ滿ちたれ、
 舎衞城のあるじ毗盧擇迦王 ビルバカわう 
 迦毘羅城をば攻め落とさんと、
 われ幾たびか語らはれぬ、
 われたゞ卿を思ふがために
 今日まで心を決 さだ めかねしも
 いまは早や情 なさけ を仇に心せかる、  
 いで、屍の山血の池をば目前 めのまへ に作りて見む。
     提婆達多退場耶輸陀羅號泣して地に倒れ、管弦樂にはかに急調となりて天地晦瞑するや、しばし はか
     忽然三千歳を經たる菩提樹下の金剛座に吉祥の浄●艸を敷きて結伽跌坐せる釋迦牟尼佛現し來る、魔王の聲天外の彼方より洩れ聞ゆ
     魔王
 わが子等よ、何故 など さは遲き
 釋迦、今佛 ほとけ と化 な りなんとす。
 彼が心とろかせよ!
 彼が心まどわせよ!
     純印度風の旋律 メロデイー よりなる輕快なる二拍子の舞
 戯曲に連れて四妖女現はれ踏り且つ歌ふ
     四妖女合唱
 ゆかし、たのもし
 悉達の君!
 われらは今し
 汝がものぞ。
 いざ靑春の歡樂に
 あくまでもゝ  
 耽りふけりて
 世をばおくらん!
     釋迦わづかに半眼を開き釋迦
 外面 げめん 如菩薩 内心如夜叉
    四妖女、釋迦の一唱に五體すくみて、恐怖の色を現はし、先を争ふて退場す。天地再び晦冥して、雷鳴電光天地を撼動せんとす。しばらくは電光の裡に端然として跌坐する釋迦と、そを守護する如く巍然として屹立する菩提樹とを見るのみ。大鳴動に達せる時、闇黑の裡に怪面奇眼の諸妖鬼雲の如く釋迦を襲ふを見る。しかも釋迦は顔色自若毫も恐怖の容 かたち なし、さしもの鳴動何時しか止みて、天地再びもとの光明界に歸り釋迦は依然として菩提樹下に端坐す。魔王の聲はまた天外より響き
     魔王
 見ずや、太子悉達多!
 卿が二世を契りてし
 耶輸陀羅夫人が彼のさまを!

 長者が娘、王者が妃 きさき
 榮華は名のみに止まりて
 乞食にだも劣れる生活 たつき ぞ!
 やつれたる夫人 かれ が姿よ!
 あはれなる夫人 かれ が心よ!
 慈悲知らば太子悉達多
 など、此人に還るを憚 はば かる。
    耶輸陀羅われ知らず身を起しわれならなくに悲鳴を擧ぐ 
     耶
 わが夫 つま !一大事の時ぞ!
 この身の爲めに動じ給ふな
    天地三度晦冥して耶輸陀羅は倒れしまヽ前後も辨へず、舞臺再びもとに返れば旭日の影まばゆく、弦樂器は顫音 トレモロ となりトロンペットの鮮かなる獨奏となりて國王浄阪王の到着を報ず、王は侍臣烏陀夷と共に入る、
     國王
 耶輸陀羅はいづこぞ?
 わが嫁はいづこぞ?
    耶輸陀羅われに返りて
     耶
 父上か、はや夜は明けしか。  
     國王
 夜の明けしが如き吉報 しらせ こそあれ!
 わが子はつひに還り來りぬ。
     耶
 わが子とや?
 わが夫 つま か?
     國王
 そなたが夫 つま 、羅睺羅 ラユラ が父、
 年老ひしわが愛子 まなご よ!
     耶
 如何して、何時 いつ 、何処に?
     烏陀夷
 太子は成道し給ひぬ。
 太子は圓位の修業を終り
 今こそ人天救濟 にんてんぐぜい の大恩主ぞ
 あヽ無上尊世界の王、
     耶
 わが夫 つま が御佛に!
 恥かしや此の身の不信
 さる聖 ひじり に逢ひまつらんは恐れあり、
 たゞ物蔭よりぞ拜 をが みまつらん。
    耶輸陀羅慌てヽ扉の裡に入る
     車匿走り登場
     車匿 シヤノク
 太子はや城門を入り給ひぬ
 年老ひたれども駿馬 しゅんめ 健陟 ハンカタ
 君を迎へて高く嘶く。
     國王
 舞姫よ、舞まへ、
 歌姫よ、歌うたへ。
 太子が膝を沒 かく すまで
 薔薇 バラ 、鳳仙花路に敷け!
    行進曲につれて舞姫數十人手にゝ種々 さまゞ なる樂器と花環とを持ちて登場、歌ひ且つ舞ふ
     舞姫合唱
 山の端のぼる朝日影
 十方界に光り滿つ。
 池の蓮に花さきて、
 三千世界に匂ひ滿つ。
     此の時釋迦諸弟子を伴ひ來る、國王は喜びて、
     國王
 嬉しくも還り來しわが愛子 あなご
 死したる者の蘇 よみかへ りしにも増 まさ る嬉しさぞ。
 さはれ太子など賤しきものヽ惠みを受けて。
 好んで貧しく世をばおくるぞ?
     釋迦
 父王 ちヽぎみ よ!
 こはわが種族 やから の習慣 ならはし ぞ!
     國王
 なが種族とは?
     釋迦
 人間の種 たね ならぬ
 三世諸佛の法統ぞ。
 わが王國は天を極め、
 地を極めて遍 あまね し。
    國王驚き惑ひて思はず禮拜 らいはい する、此時樓 うてな の裡より羅喉羅薔薇の花を手折り來り、
     羅
 鶯の來鳴し花の一輪
 わが父上に棄捨しまいらす。
     釋迦
 げに、わが子ぞ、羅喉羅ぞ
 さても成人なしつるぞ。
 して汝が母は?
    耶輸陀羅、涙に咽びつヽ樓を出つ釋迦を見て、われにも非ず抱きつく。
     耶
 わが夫よ!
 あヽ、永かりし六歳 むとせ よ!
     釋迦
 永久 とこしへ の生命は更に永し
 現世 うつしよ の悲哀はたゞ幻ぞ
 到來の快樂 けらく こそ現 うつヽ なれ。
 あヽ正しき人の妻、愛 いと しき人の母!
     耶
 尊としや慈尊の教へ!
 わが心全く無明の闇を離れぬ、
 いざ、その教への王統を
 いとし羅喉羅 ラコラ につがしめ給へ!
     國王
 尊ときわが子よ!
 われもまた汝が教子 をしへご の一人たらん!
     耶
 げに、三千世界の諸王の王!
     國王
 げに天上の佛 ほとけ の佛!
     一同合唱
 たゞ唄としや、釋迦牟尼佛!
 たゞ尊としや、釋迦牟尼佛!
     山川草木新たなる生色を呈し、最初の主題 テーム 全管弦樂 フルオーケストラ にて繰返され幕下る。

 なお、この『絵本筋書』には、次の記載もある。
 
 管絃楽 オーケストラ 幕間演奏曲目

 一、グロース、ヴイーンワルツ    ヨセフ、ベイヤー作
    ワルツハ三拍子ノ舞踏曲ナリ
 一、クシコスの郵便脚夫(ガロツプ) ネツケ作
    ガロツプ二拍子ノ舞踏曲ナリ
    茲ニ演ズルガロツプハ『クシコス』ニ於テ郵便物ヲ馬車ニ積ミテ配達ニ行ク有様ヲ現シタルモノナリ
 一、セライルノ序楽         モザート作
    序楽トハ歌劇ノ幕間ニ奏スル楽ナリ
    茲ニ演ズルハ楽聖モザートノ作レル歌劇「セライル」ノ幕間ニ用フルモノナリ

 マチネー筋書
  (第三の筋書は本興行の第四に同じ)

  第一 時代劇 偽紫 にせむらさき 田舎源氏 一幕
  第二 時代劇  こもち 山媼 やまうば   一幕

歌劇 「熊野」 帝国劇場 (1912.2)

2020年04月29日 | 声楽家 三浦環、関谷敏子他
      

 明治四十五年二月   

 〔上の写真:左から2枚目〕
 ・中央上から:柴田環、淸水金太郎
 ・右 上から:服部曙光、不二正容、小島洋々、菅雪郎
 ・左 上から:石井林郎、倭良一、南部國彦、柏木敏

 厳寒の候益々御機嫌●被●入候段奉賀候陳バ当劇場事昨夏来新たに歌劇を起し又過般ハ伊太利の名手ザルコリー氏を登場せしめ候得共そは外国の歌劇を其侭演ぜしに過ぎずして未だ我国の真歌劇と謂ふべからず国粋、国情に適したる歌劇こそ肝要なれど今回ハ更に歩を進め謡曲熊野を歌劇となして上場せしめ我国プリマドンナの定評ある柴田環女史を熊野に少壮声楽家中随一の称ある清水金太郎氏を宗盛に当らしめ其他劇中の人員●は●て養成中の男女子歌劇部員並に女優等を出場参加せしめ此機会を以て上記八名の男子歌劇部員を新たに御紹介申上げ新規の試み定めて●との●批評 ●● 何れも我邦歌劇界の急先鋒たらん事を期し ●● 何卒成功の城に達す様御愛顧 ●● を給はん事を希望 ●● 敬具
 二月末日 帝國劇塲

     右田寅彦作 
 第一 旧劇『塩原高尾』三幕
     佐藤紅緑新作 
 第二 新派劇『日の出』二幕
     杉谷代水作歌
 第三 歌劇『熊野』  一幕
     沙翁原作 松居松葉訳 
 第四 喜劇『陽気な女房』二幕
     半井桃水新作 
 第五 浄瑠璃『梅松竹』三場 
 
 第三 
    六波羅宗盛館 
    淸水寺觀桜

 一平宗盛  淸水金太郎 
 一太刀持  松本銀杏 
 一從者   石井林郎
 一同   服部曙光 
 一同   柏木敏 
 一同   南部國彦 
 一同   倭良一 
 一同   不二正容 
 一同   小島洋々 
 一同   菅雪郎 
 一侍女  花園蝶子 
 一同   音羽かね子 
 一同   小原小春 
 一同   宇治龍子 
 一同   福原花子 
 一同   東日出子 
 一同   橘冨美子 
 一同   松本愛子 
 一同   木村重子 
 一同   大和田園子 
 一同   川窪津溜 
 一同   河合磯代 
 一同   中山歌子 
 一同   澤美千代 
 一同   夢野千草 
 一朝顔  上山浦路 
 一熊野  柴田環

 帝國劇場管弦樂部員       樂長 竹内平吉

 第一 ヴアイオリン 荻田十八三 
 同         小松三樹三 
 同         山崎榮次郎 
 第二 ヴアイオリン 吉田盛孝  
 同         小田越男
 ヴイオラ      栗本義精  
 同         粋川藤喜知
 ツエロ       小林武彦  
 同         内藤常吉
 バス        内藤彦太郎
 フルート      横山國太郎
 オーボエ      八尾五郎
 クラリネツト    横須賀薫三
 トロンペツト    吉田民雄
 ホルン       中村權三
 トロンボーン    荒木茂次郎
 ドラム       渡邊金治  

    杉谷代水作歌 
 第三 歌劇 熊野 ゆや 一幕

 オーケストラにて陰鬱なる前楽 プレリユード を奏する事暫時 しばらく 幕徐 しづか に上 あが る
    (上)
 合唱  「夢の間をしき春なれど、ゝ、
      憂きには堪へぬ眺めかな、」
 ゆや唱 「ふるさとの
      老木 おいぎ の柞 はゝそ 風をいたみ、
      しづ心なき物おもひ、
      都の花に引きとめられ、
      こゝろ空なら我身かな。」
        (朝顔、侍女 こしもと 登場)
 侍女・白「のうゝ池田の宿 しゆく より朝顔が参つて候 さふらふ
 ゆや、白「なに朝顔が参りしとや
 朝顔、白「そういふお聲は熊野様か
 ゆや、白「おゝ朝顔か。あら珍らしや、近うゝ、さて母人 はゝびと の御 おん いたはり何と御入あるぞ
 朝顔、白「はや、頼み少 すくな う御入候。これに御文 ふみ の候、御覧候へ。」
 ゆや、白「悲しやな、げに頼み少 すくな う御入りなり……
  (母の文)ゆや白
       『すぎし二月 きさらぎ の頃申しゝ如く、何とやらんこの春は、年ふりまさる老木の枝 えだ 、今年ばかりの青葉をだに、待ちもやせじと心弱き涙にむせぶばかりになん。さるべくはよき様に申し、しばしの御暇 いとま 賜はりて、命のうちに見えおはせ。かへすゞも見参 まゐ らせたくこそ。
 ゆや 唱「老いぬればさらぬ別れのありといへば、
      ……
 朝顔、唱「さらぬ別れのありといへば、」
  (ふみ)ゆや 朝顔 合唱
     「いよゝ見まほしき君かな、その歌をだに朝夕に、口吟 くちずさ みゝ、」
 ゆや 唱「あら悲しや何とせん、
      この上は朝顔をも連れて参り、
      今一度御暇を申して見ん。」
        (平宗盛、侍女、登場)
 宗盛 唱「いかに熊野、常にかはりしあわゝしさ何としつるぞ。」
 ゆや 唱「老母のいたはり殊の外に候とて、この朝顔が参りて候、今はかやうに候へば、御暇を賜はりて、東國 あづま へ下り候べし。」
 宗盛 唱「老母のいたはりはさる事なれども、この春ばかりの花見の友、いかでか見すて給ふべき。」
 ゆや 唱「御詞 おことば をかへせば畏れなれども、花は春あれば又咲くもの、-
 ゆや 宗盛 合唱
     「これは仇なる玉の緒の、ながき別れとなりやせん。」
 ゆや 唱「たゞ御暇 おいとま を賜はり候へ。」
 宗盛、唱「いやとよ、さ樣に心弱きこそ、母の爲めにも惡 あし からめ、せめて御身を慰めの、花見の車、幸ひ空も麗 うらゝ かなり、後ともいはずこれより直樣 すぐさま 、皆々も用意せよ。」
 ゆや、唱「情 なさけ あまりて
 侍女合唱「‥‥‥心なき
 朝貌、唱「君の仰せの
 ゆや 朝貌 侍女 唱
     「‥‥‥是非もなや。」
     (ダークチェーング)
   (下)(宗盛、熊野、朝顔、從者、侍女 こしもと 、登場)
 侍女 從者 合唱
     「名も淸き
      水のまにゝとめくれば、
      川は音羽の山櫻、
      はてなき花の九十九折、車大路や六波羅密、愛宕 おたぎ の寺も打ち過ぎぬ」
 宗盛、唱「人樂 たのし み、
 ゆや 唱「-人愁ふ。」
 宗盛、唱「げにさまゞの、
 ゆや 唱「思ひを包む花衣。
 侍女 從者 合唱
     「名も淸き、水のまにゝとめくれば、川は音羽の山櫻、
      はてなき花の九十九折り、車大路や六波羅蜜愛宕の寺も打ち過ぎぬ」
 ゆや 唱「その垂乳根 たらちね を慕 した ふなる、
      子安の塔はこれとかや。」
 宗盛、唱「はや淸水寺の境内なり、あら面白の花の盛りや、花の本の酒宴をなさん。」
 侍女 從者 合唱 
     「春前雨あって花の開くこと早く、
      花外風無うして香の來ること遲し、
      大悲擁護の八重一重、
      ふかき情 なさけ を人や知る、
      げに思ひなき眺めかな。」
 宗盛、白「いかに熊野、一 ひと さし舞ひ候へ。」
 ゆや、白「あら笑止、妾 わらは に舞へと候ぞや。」
 侍女 從者 合唱
     「物思ひ、
      立舞ふべくもあらぬ身の
      袖翻 ひるがへ す春の風。」
 ゆや、唱「見渡せば、
 侍女、從者 合唱
     「雲かあらぬか殘 のこ んの雪か、
      白妙匂ふ朝霞、
      かすみの袖も賴みなや、
      心して吹け春の風。」
 ゆや 唱「いかにせん都の春もをしけれど、
         なれし東 あづま の花やちるらん。」
 宗盛、唱「實 げ に道理 ことわり なり憐れなり、早々暇 いとま 取らするぞ。東へ下り候へ。」
 ゆや、唱「何御暇候とや、あらうれしやな尊 たふと やな。これ觀音の御利生なり。さらばこのまヽ御暇と、」
 朝貌 侍女 從者 合唱
     「ゆふつげ鳥の諸翼 もろつばさ 
      飛び立つ心東路や
      ゆかしなつかし垂乳根の」
 朝貌 ゆや 侍女 從者 合唱
     「面影うかぶ池田の里、
      故郷に急ぐ旅路かな。ゝ。       

    

 上の写真は、明治四十五年三月一日発行の 『グラヒック』 第四巻 第四号 より 

       杉谷代水作歌 歌劇『熊野』 Japanese Opera “yuya.”    
 〔左の写真〕 清水寺観櫻  右、平宗盛 左、熊野 
 〔右の写真〕 六波羅宗盛館 右、平宗盛 左、熊野

「永井郁子女史邦語独唱会」(掛川)(1932.11.27 )

2020年04月21日 | 声楽家 三浦環、関谷敏子他

 

  永井郁子女史
    邦語
   獨唱會

    昭和七年十一月二十七日午後二時
  場所  静岡縣立掛川高等女學校
  主催  静岡縣立掛川高等女學校學同窓會
  後援  掛川町婦人會

      演奏曲目

 一 洋琴獨奏        ‥‥‥ 角田芳子嬢

  (A)乙女の禱      ‥‥‥ バダルツエウスカ曲
  (B)軍隊行進曲     ‥‥‥ シューベルト曲

 二 日本新歌謠五曲

  (1)秋の月       ‥‥‥ 瀧廉太郎作歌
                  同   作曲
  (2)出船        ‥‥‥ 勝田香月作歌
                  杉山長谷夫作歌
  (3)ふる里       ‥‥‥ 金城榮治作歌
                  宮良長包作曲
  (4)かもめ       ‥‥‥ 室生犀星作歌
                  弘田龍太郎作曲
  (5)京のいとさん    ‥‥‥ 高尾亮雄作歌
                  澤田柳吉作曲
  (6)晝の夢       ‥‥‥ 高安月郊作歌
                  梁田貞作曲

          (休憩)十分

 三 各國名曲八種

  (日)姫松・若竹     ‥‥‥ 日本古謠
                  山田流箏曲
  (支)駄菓子賣の歌    ‥‥‥ 支那民謠
                  齋藤佳三作曲
  (露)薔薇と乙女     ‥‥‥ 永井郁子作詞
                  コルサコフ作曲
  (獨)折ればよかった   ‥‥‥ 高野辰之作歌
                  ブラームス作曲
  (英)菊         ‥‥‥ アイルランド民謠
                  ムーア編曲
  (米)ミネトンカ湖畔にて ‥‥‥ 小泉洽譯詞
                  リュランス作曲
  (佛)小夜樂       ‥‥‥ 近藤朔風譯
                  グノー作曲
  (伊)サンタ・ルチヤ   ‥‥‥ ナポリ民謠
                  堀内敬三譯詞

          (休憩)十分 

 四 特別番外三番

  (イ)唐人お吉      ‥‥‥ 西條八十作歌
                  佐々紅華作曲
  (ロ)龍峡小唄      ‥‥‥ 白鳥省吾作歌
                  中山晋平作曲
  (ハ)肉彈三勇士     ‥‥‥ 渡邊榮伍作歌
                  古賀政男作曲
                   
     君が代 ‥‥‥ 合唱 ‥‥‥ 會衆一同

           - (終) -

    以上ピアノ伴奏 ‥‥‥‥‥‥ 角田芳子嬢

 

  永井郁子女史邦語獨唱會曲目と歌詞

      世界の
      あらゆる佳き歌を
      われらの言葉
      「日本語」もて
      歌はしめよ
      「日本」のために。

  日時  七年十一月廿七日午後二時
  場所  静岡縣立掛川高等女學校
  主催  静岡縣立掛川高等女學校學同窓會
  後援  掛川婦人會

  永井郁子女史邦語獨唱會・番組・歌詞

  プログラム(曲目番組)

    歌詞

  ◇姫松小松・若竹男竹

   (註)御存知の「櫻」などゞと共に山田流箏曲の手ほどきものです地唄や琴唄にはよい歌が澤山あるのですが、日本式の歌ひ方では効果的でありません。それ故、永井先生はそれらの佳き歌を正しい洋樂の音階にのせて歌上げ洋楽心酔者に本當の日本歌謡の良さを再認識させようと、かねてから努力してゐられます。「櫻」や「姫松」はほんのその片鱗であります。

  ◇折ればよかった

   (註)シューンマン・ハインク夫人などもさうでしたが永井先生もテンポを速めて歌はれます。言葉が速くて明晰で歌唱に一種の魅力さへある先生の「折ればよかった」は他の追随を許しません。

  ◇菊

   (註)翻譯の難しい事はいふまでもないので、散文はある程度まで實現されてゐますが詩では成功してゐません。音樂の場合は、一層それが困難でありますそこで、原作に即しないで全く自由な日本歌詞を附けたはうが却って妙な譯詞によるよりも意義のある場合が多いのです。「螢の光」「菊」「埴生の宿」など全く日本の歌になりきってゐるではありませんか。

  ◇龍峡小唄

   (註)永井先生が珍しくも此種のものを歌はれるのは、洋樂の正しい音階にのせて上品に歌上げるところに味噌があるのでとかく下司になり易い小唄るいに價値づけられるゆゑんではあるまいか。


『永井郁子邦語独唱会歌詞全集』 (1926.11.7)

2020年04月20日 | 声楽家 三浦環、関谷敏子他

      

     大正十五年十一月七日
 永井郁子邦語獨唱會
   歌詞全集
      帝國劇場

  皇后陛下御歌
    以歌護世
 すめかみの道のまことをうたひあげて
   榮ゆくみ代をいよよまもらむ
  
   永井郁子邦語獨唱會曲目番組
         ピアノ伴奏 ‥‥‥ 海老名道子
               (スタインウエー・ピアノ使用・竹内樂器店提供)
               (ヤマハ・オルガン使用・共益商社提供)

 ヴォルフ作曲
 堀内敬三譯詞

  (イ)朝の露      ‥‥ ( Morgentau 「女聲への歌」第一)
  (ロ)園守       ‥‥ ( Der Gärtner 「メリケの歌」第十七)
  (ハ)祈り       ‥‥ ( Gebet 「メリケの歌」第二十八)
  (ニ)隠栖       ‥‥ ( Verborgenheit 「メリケの歌」第十二)
  (ホ)捨てられし乙女  ‥‥ ( Das Verlassene Mägdlein 「メリケの歌」第七)
  (ヘ)古畫に題す    ‥‥ ( Auf ein altes Bild「メリケの歌」第二十三)
  (ト)ヴェイラの歌   ‥‥ ( Gesang Weyla❜s 「メリケの歌」第四十六)
  (チ)アナクレオンの墓 ‥‥ ( Anakreon❜s Grab「ゲーテの歌」第二十九)

         休憩 (十五分)
 
 コスモス ‥‥ 宮城道雄作曲 ‥‥ (與謝野晶子作歌)
 母の歌  ‥‥ 宮城道雄作曲 ‥‥ (西條八十 作歌)
 せきれい ‥‥ 宮城道雄作曲 ‥‥ (北原白秋 作歌)
            筝 伴奏 ‥‥ 宮城道雄
            尺八助奏 ‥‥ 吉田晴風

         休憩 (五分)

 一、泊り舟                       ‥‥  { 小松耕輔  作曲  北原白秋 作歌
 二、野薔薇   ‥‥ ( Haidenröslein )          ‥‥  { シューベルト作曲  堀内敬三 譯詞
 三、さすらひ人 ‥‥ ( Der Wanderer )          ‥‥  { シューベルト作曲  堀内敬三 譯詞
 四、小夜樂   ‥‥  ( Ständchen「白鳥の歌」第四         { シューベルト作曲  堀内敬三 譯詞
 五、漂浪樂人 - 御希望により ‥‥  ( Der Spielmann )  ‥‥  { ビルダッハ作曲  堀内敬三 譯詞
                  ワ゛イオリン助奏  ‥‥  田中英太郎
 六、聖母讃頌  ‥‥ ( Meditation「Ave Maria」 )      ‥‥  { バッハ=グノー曲  堀内敬三 譯詞
                  オルガン助奏    ‥‥  眞條俊雄
                  ワ゛イオリン助奏  ‥‥  田中英太郎

   大正十五年十一月七日 (日曜日) 午後一時開演
   入塲料三圓・二圓(学生券)一圓 於 帝國劇場  

 御挨拶に代へて

 〔写真〕

 ・〔永井郁子〕
 ・(向って右より)海老名道子嬢・眞條俊雄氏・永井・田中英太郎氏
 ・-(十月三十一日帝國ホテル試唱會にて)- 右より永井・吉田晴風氏・宮城道雄氏〔上の左から、2枚目の写真〕

 不遇の天才フーゴー・ヴォルフ      牛山充
 邦楽界の異材宮城道雄          伊庭孝

 宮城道雄氏の演奏は、そのイントネイションの正確なことと、リズムの明確で、且つ藝術的である事とで我が邦樂界に異彩を放つものである。 氏の演奏は到底他の邦樂演奏家に見られない輝きと力とに満ちてゐる。
 宮城氏の作品は、近頃非常な勢でその崇敬者を增して來た。 氏の作品では合奏器樂曲が最も興味あるもので、建築的な洋樂形式を加味したところに新味がある。 やゝ皮相な洋風を追うてゐる樣に思はれる處もあるが、宮城氏の本來の眞面目は頗る力強いものである。
 宮城氏の作品は、氏の手で演奏される時に初めて驚くべき效果を擧げるやうである。餘人が演奏して同樣或はそれ以上の效果を擧げるかどうかは疑はしい。 こゝが氏の作品の弱點であり、また氏單個としては強味である。
 宮城氏の声樂曲は、氏自身が歌はれると、また格別の味があるが、氏の作品の眞價を世に問はんとするならば、西洋音樂で訓練された聲で歌はなければならないと私は豫て思ってゐた。 永井郁子氏が自ら進んでそのインタアプレタアとして立つ事は、最上の條件にはまってゐるものである。

 ふりじやの花              永田龍雄
 國語尊重といふことにつきて懐を述ぶる歌 牛山充
 フーゴー・ヴォルフ小傳

      於 帝國劇場
 永井郁子
  邦語獨唱會歌詞
 〔禁転載〕 堀内敬三 
       與謝野晶子 
       西條八十 
       北原白秋


 大正十五年十一月七日發行
 【非賣品】
 編輯兼發行者 永井郁子


「三浦環女史大音楽会曲目」 帝国劇場 (1922.6)

2020年04月07日 | 声楽家 三浦環、関谷敏子他
   

 三浦環女史大音樂會曲目  帝國劇塲

  大正十一年六月 九日(金) 十日(土) 十一日(日) 毎日一時間開演 

    IMPERIAL THEATRE TOKYO
      Managing Director : Mr. K .Yamamoto
         GALA CONCERT
            BY
 Mme. Tamaki Miura
    A.Farnchetti .(at the piano)

            ON
  Friday  June   9th Saturday  〃 10th Sunday 〃 11th
     At 1. P. M.

          TICKEIY SE  15.oo 1.000 7.00 3.00 1.50

    Programme 

     演奏曲目(六月九日)

 一、合唱、郊宴の歌            ‥‥ズーダーマン作曲   
      合唱ー東洋音楽学校生徒
      指揮ーアルド・フランケッチ
 二、歌劇 「ラ・ボエーム」  
     私の名はミミです         ‥‥プッチニ作曲
 三、 イ、白い月             ‥‥デフォース作曲 
     ロ、小夜曲             ‥‥ストラウス作曲 
     ハ、子守歌             ‥‥シューベルト作曲
 四、 イ、歌劇 「フィガロの結婚」 『嬉し悲しと感ずるは』 ‥‥モツアルト作曲 
     ロ、薔薇よ語れ、彼女に、(環女史に捧げられし歌)  ‥‥フランケッチ作曲

         休憩

 五、合唱、流浪の民             ‥‥シューマン作曲    
    合唱ー東洋音楽学校生徒 
     指揮ーアルド・フランケッチ
 六、歌劇 「アイリス」  ある日、お寺にて ‥‥マスカニー作曲
 七、 イ、マザー、マクリー(愛蘭土民謡)  ‥‥エルコット ボール 合作  
     ロ、ミネトンカの河畔         ‥‥カドマン作曲 
     ハ、子守歌(環女史に捧げられし歌)  ‥‥スコット夫人作曲
 八、 イ、櫻、櫻、(琴歌) 
    ロ、きんにやもにや(九州ひな歌)
    ハ、くるかくるか(長唄)
 九、歌劇「マダム・バタフーライ   
    晴れた日の海路はるかよ    ‥‥プッチニ作曲

  (綺麗な曲目が厶います)

 御入場料・特等金十五圓・一等金十圓・二等金七圓・三等金三圓・四等金一圓五十錢

   広告:ユニオンビール

   

   三浦環女史告別大音樂會曲目 

     大正十一年七月 八日(土曜日) 九日(日曜日) 午後零時三十分 
     帝國劇塲に於て


      主催 讀賣新聞社


       獨唱曲目
                     獨唱 三浦環女史
                     伴奏 アルド・フランケッチ氏

 一、歌劇「道化師」ネツダの唄ふ『彼の眼は燃えたりき』 … レオンカバロ作曲
 二、汝の碧き眼を開け           … マスネー作曲
 三、セレナーデ(小夜歌)         … リヒアルド・ストラウス作曲
 四、(イ)五月なりき           … フランケツチ作曲
   (ロ)薔薇よ語れ、彼女に       … フランケツチ作曲
   (ハ)パチ・パチヨ          … フランケツチ作曲
                 休憩
 五、アベ・マリア(聖母讃歌)       … グーノオ作曲
 六、二種の伊太利ナポリ民謡
   (イ)オ・ソレ・ミオ(私の太陽)   … デイ・カプア作曲
   (ロ)サンタ・ルチア(水上行歌)   … 作者不明
 七、二種の日本曲調の歌
   (イ)来るか来るか(長唄より)     
   (ロ)きんにや・もにや(九州雛歌より)   
 八、歌劇「蝶々夫人」夫人の唄ふ『晴れた日の海路遙かよ』… プツチニ作曲
 
 九、特に、三浦環女史へ贈られたる歌(山田耕作氏の伴奏にて獨唱)
   文学士 中内蝶二氏作歌
    「日本の胡蝶」                    … 山田耕作氏作曲

           □明日は曲目全部取替演奏

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   セノオ樂譜

 三浦環女史が市内各新聞社社員御集りの席上で、演説した一節に曰く、
 『妾 わたくし が日本へ歸りまして、驚きました種々の内、セノオさんの發行するセノオ楽譜が能くも斯く弘く社會に行渡り、而 そう して、それが如何に日本の音樂界の開發に與 あづか つて力があったかは、妾の日本全國演奏旅行の結果、非常に感動した處 ところ で御座います‥‥』と。
 
    山田耕作先生編作曲  さくらさくら  (二七〇番)、來るか來るか(二七一番
               きんにや、もにや(二七二番)、日本の胡蝶 (二七三番

 三浦環女史が獨唱する右の名歌をはじめと致しまして、大方の名歌は殆どセノオ樂譜に御座いますから、一度はぜひとも御一覽の程を願上ます。

       一部卅錢・目録送呈
     東京芝區濵松町
   セノオ音樂出版社

「和洋 独唱」 帝国劇場 (1911.7)

2020年04月06日 | 声楽家 三浦環、関谷敏子他
      

  帝國劇場一口説明

 ▲基礎工事 一萬數千本の松丸太を打ち上部を鐵筋混凝土 コンクリート にて固め一枚の盤石 ばんじゃく となり居れば堅牢無比
 ▲鐵骨煉瓦 造 つくり なる上に屋内處々に消火栓を備へ器械的防火戸の設 もうけ 亦嚴なれば火災の虞 おそれ 絶無とすべし
 ▲白色化粧 煉瓦を外部一面に貼付し瀟洒人目に快く廂 ひさし の鐵材に用ひたる橄欖色の塗料と對映美なり
 ▲大理石材 を贅澤に使用し装飾の華麗なること我邦 わがくに の建築に多く其比を見ず夙 つと に宮殿と迄に歌はる
 ▲大旋風機 を屋頂 おくちやう に備へ場内の空気を絶えず屋外に吸出し清冷の気と交替せしむれば夏も苦熱なし
 ▲切符制度 にして十日前より切符發賣され何人にも申込順により良き場所の得らるゝは頗る平民的
 ▲特一二等 切符は電話にて注文すれば所望の座席番號を記入したるもの自轉車にて即日配送せらる後部に特別休憩室の設けあり之に優雅の装飾を施す
 ▲時代風俗 十二ヶ月の壁畫は二階の食堂を飾り山野河湖朝暮晝夜の景色 けいしょく 畫は二階の休憩室を美にす
 ▲霓裳羽衣  げいしょうえ の曲を爲せる天女の畫 え は舞臺正面より觀覽席の天井に懸け一面に描かれ絢爛目を驚かす
 ▲白鴿數羽  はくがふすうは の彫刻物は貴賓席上にありて天眞を擬 まが ひ二三階の前欄及び舞臺前面亦精緻の彫刻を有す
 ▲蓄電式  にて電燈を點すれば不時に場内の暗黒を來たす憂 うれひ なく燈具また嶄新艶美なるものを用ふ
 ▲彩色硝子  さいしきがらす を各部の窓及び天井に用ひ二階の食堂には孔雀の尾を爲して五彩殊に鮮 あざやか なる物を貼せり
 ▲廻轉舞臺  まわりぶたい は電力にて運轉すれば迅速且つ圓滑なり糶 せり 出しの如きも亦器械力に依れば澁滞を憂ひず
 ▲特製椅子 は腰を懸くるも座するも共に自由なり
 ▲祝儀心付 等は觀客の常に五月蠅 うるさ しとする處此劇場には其心配一切無用切符代の外何等御失費なし
 ▲見物場所 廣やかなれば狭き所に多人数膝を突き合はすが如き窮屈なく頭上を人の跨 また ぐ無作法なし
 ▲一名二名 の御見物に便利なるは一人づゝの切符を發賣し一枡何人誥 づめ と云ふが如き事なければなり
 ▲下足預所 三ヶ處あれども靴又は草履の方は其儘にて座席に入らせらるゝを得べく正面の入口には
 ▲自働靴拭  じどうくつぬぐひ を備ふ刷毛 はけ を電力にて囘轉し瞬時に汚塵を拭ひ去る快き装置なり昇降口には正面玄關と
 ▲左右車寄 せとあり何れより出入するも自由なれど切符面に記載したる分座席に近くして便利なり
 ▲開演時刻 は多く夕方なれば一日の用向を濟ませたる上にて食事後にゆるゝと觀覽するを得べし
 ▲食物飲料 は食堂ありて和洋望の物を供給し不當の代價を要求せざれば場内の御食事も亦輕妙便利
 ▲貴賓觀覽 席を二階左右に設け高貴の御用に備へ下方の把手 とりて にて引出せば優に安座するの餘地を得
 ▲座下裏面 に帽子掛けの装置あり聊 いさゝか の携帯品は併せて之を収むるの便あり但し嵩高 かさだか の物品はすべて
 ▲携帯品預 りにて鄭重に保管の責 せめ を負ふ預り所は表玄關および左右車寄内にあり無論料金を要せず
 ▲運動逍遙 には各階の表廣間および左右の廊下何れも之に適す諸種の賣店あり又喫烟の設備を有す
 ▲客用電話 を三階畳敷休憩室に備ふ御宅より急用は座席番號を通ぜば直に本人に取次がしむるを得
 ▲洗面化粧 の爲め各階に其室あり男子用婦人用を區別す夏季冷水を縦 ほしいまま に使用するを得るは爽快なり
 ▲男女便所 また各階にあり器械的に臭気を排出する装置あれば温熱の候と雖も決して不快の感なし
 ▲供待溜所  ともまちたまりじよ を場外左右に備へ且つ廣濶の空地を控へ居れば自動車馬車人車の停泊に聊 いさゝか も混雑を見ず
 ▲人車切符 を左右車寄にて發行する外不時の雨には地下室に雨傘足駄 あしだ の臨時賣店を開き御用に應ず
     
 第一  水滸伝雪挑鬪     一幕

    太郎冠者作
 第二  悲劇 心の聲     二幕

 第三  イタリヤン、ダンス
         ゼ、ローズ


 プリンシパルス、ガール 小春
 同       ボーイ 龜代子
 バレー    、ガール 花子
 同       ボーイ 蔦子
 同       ガール 龍子
 同       ボーイ 蝶子
 同       ガール 延子
 同       ボーイ かね子
 同       ガール 早苗
 同       ボーイ 靜枝
 アンダースタヂー    文子
 同           愛子
 同           重子

    江見水蔭原作 
 第四  畫師實は間者     一幕

 第五  和洋 獨唱 
     柴田環

  泰西音樂の普及を計る目的を以て當演劇中に特に聲樂を加へ斯道の名家にして我が楽界夙 つと に鶯 うぐひす の名ある柴田環女史の出場を乞ひ連夜和洋の歌謠一曲宛 づゝ を演ずることとせり

  第六
   鎌倉濤聲館の場

 實業家
一山田夫人芳子   浪子
 官吏
一山田夫人信子   菊枝
一濤聲館下女小春  勝代
一濤聲館女將お高  嘉久子
一待合女將おとく  房子
一信子妹 喜代子  千枝子
一乳母 おしげ   はま子
一藝者 きな子   壽美代
 米國婦人
一ミスサムスン   律子
一芳子妹 花子   日出子
一庭掃女      龍子
一女学生太田節子  蝶子
一同  仁村弘子  かね子
一同  白根琴子  小春
   其他大勢

   太郎冠者作  
 第六  喜劇 三太郎     一幕

 『逗子濤聲館庭園の場』女学生の一團がポルカのダンスを踊りて引込み濤聲館の下女お春バケツを提げボンヤリ出 い で來れば女將お高後を追ふて登場しお春を追ひ遣 や り折柄 をりから 入り來れる實業家山田夫人芳子同 おなじく 妹花子官吏山田夫人信子同妹喜代子褓姆お茂等を迎へてお世辭を振撒き客に呼ばれ慌てゝ上手に入る芳子は愛兒三太郎を花子に預け『若 もし 迷子にでもしたら姊樣 ねえさん は生きては居りませんよ』と嚴重に謂ひ置き信子等と散歩に行く花子喜代子之を見送りたる後安樂椅子に倚掛 よりかゝ り盛 さかん に姊の惡口を謂ふ其中 そのうち 花子は三太郎の帽子を冠 かぶ り居らざるに心付き取り來らんとて暫時三太郎を喜代子に托して去る喜代子が守 もり をなせる所へ米國婦人ミスサムスン入り來り三太郎の可愛 かはゆ きを見夫 それ を借らんとして言語通ぜず引奪 ひつたく る樣にして抱き取るお春出で來たりて電話の掛りたる事を告ぐるを以て喜代子は心ならずも三太郎を見捨てゝ奥に入るサムスンは三太郎を抱き亞米利加の子守唄を歌い乍ら寢かし付けるをお春物珍しく眺め居るとサムスンは突然歌を止め三太郎をお春に押付けて去りお春は又客の呼ぶが儘に三太郎を抱きて下手に入る花子歸り來り三太郎の在 あ らぬに驚き喜代子と共にオロゝ聲にて呼 よば はりつゝ探しに入るお春三太郎を抱きて出で來り其場に居合はしたる藝妓 げいしゃ きな子に預けきな子は又之を女將おとくに渡しおとくは三太郎を抱きてきな子の後を追ふ間もなくお徳三太郎を抱きて再び出で來り之をお高にお高は又之を唖 おし の庭掃女 にわはきをんな に預けて去る芳子信子等 ら 散歩より歸り來り唖女 おし の三太郎を抱けるを見花子等を窘 たしな めんと信子の子昇子を乳母車より出し乳母に抱かせて垣根裏に忍ばせ其車に三太郎を入れ花子等が歸り來るに及んで芳子は愛兒を失ひたる悲しみの餘り投身して死せんと脅 おびやか せば信子は之を見兼ぬる風にて我子を身代りとして渡せば兩人の罪を許さん事を乞ひ車の内の三太郎を昇子なりとて花子に渡す花子受取り喜代子と共によくゝ見れば昇子と思ひしは三太郎にして昇子と偽り揶揄 なぶ つて遣らうと云ふ姊の惡戲 いたづら と知り兩人は一杯食はされたと云ふ思入 おもひいれ 芳子信子は思はず吹出す模樣にて幕

 第七  ケーキウオーク

 一ガール      浪子
 一ボーイ      律子
 一ガール      房子
 一ボーイ      千枝子
 一ガール      龜代子
 一ボーイ      蔦子
 一ガール      小春
 一ボーイ      蝶子
 一ガール      花子
 一ボーイ      かね子
 一ガール      早苗
 一ボーイ      日出子
 一アンダースタヂー 文子
 一同        愛子
 一同        重子
 
 第八  隈取安宅松      一幕

    右田寅彦作  
 第九  所作事 夕涼鴨川風

  

 上の写真は、「帝国劇場新狂言 (ケーキウオーク)」とある絵葉書のもの。    

 柴田環関連:

     

 ・上左の写真:大正二年八月一日発行の『婦人画報』 第八十五号 の口絵とその説明。

   声楽家環女史

  南洋より帰朝して三浦医学士と結婚の式を挙げた声楽の名家柴田環女史。
  Mrs. Tamaki Shibata , a vocalist , who got marrited to Mr. Miura , Igakushi , soon atter she returned from the South Seas.

 ・上右の写真:大正三年一月一日発行の『淑女画報』 第三巻 第一号 の口絵とその説明。 

  問題の人々(三)

  医学士三浦政太郎氏夫人の環女史と云へば誰れ知らぬものもない声楽家で、屡ゝやかましい問題の種となつた方です。其後しばらく三浦医学士と共にシンガポールの護謨園で新家庭をお作りになつてゐましたが、先頃帰朝して今では貞淑な三浦夫人として納つてゐらつしゃいます。然し機会があれば欧米に渡つて天稟の才を磨き世界の楽界に名を上げやうとの野心をもつてゐらつしゃると云ふ事です。

「歌劇オルフォイスの演奏」 緑樹生稿 (1903.8)

2018年03月26日 | 声楽家 三浦環、関谷敏子他

     

 ・「オルフォイス」第三幕第四十四 「百合姫蘇めよ」
 ・「オルフォイス」第三幕第二十九  パレト(舞踏)
 ・歌劇「オルフォイス」の重なる演奏者 
   〔右から〕柴田環嬢(百合姫に扮せる) 吉川やま嬢(オルフォイスに扮せる) 宮脇せん(アモールに扮せる)
  上段に掲げたるオルフォイス演奏者吉川やま宮脇せんの両嬢は東京音楽学校卒業生、柴田たまき嬢は同校第三年特待生なり

 歌劇オルフォイスの演奏 緑樹生稿

去る七月二十三日の夜なりき、日本に於ける邦人最初の歌劇演奏は上野の楽堂に於て開かれぬ。これ実にわが邦文芸史上に重大なる意味を有する事実に非ずや。西欧の思潮わが国に流れてより、国民の趣味漸くかれが文芸の清泉を汲んで改らんとするに当り、最も吾人の刮目を値するものは文学と絵画に過ぎず、今や楽界の意気甚だ振へるが如しと雖も、これ慈善なる名の下に、乾燥無味なる音楽会の流行するに過ぎざるなり。この時に当り、芸苑の渴を医さんとて、東京音楽学校学生諸君二十余名、清新の意気を以て歌劇研究会を組織し、先づ近代歌劇の改善者なるグルックが有名なる歌劇オルフォイスを演奏し、以て楽界に新紀元を開けり。吾人は実行に短なる論客のみ多き現時の芸壇に、かくの如き活動起りて将に民衆の趣味を改善せんとするを見て、歓喜禁ずる能はず、吾人は熱切の同情を以てこの挙を祝すると共に音楽学校に於ける有為なる二十余名の諸君が、わが邦の思想界に新なる生命を與へたるを深く感謝するものなり。その昔文芸復興の機運に乗じて、南欧の一隅に起りしカッチニイの壮挙は、実に欧洲芸術界の光明なりき。世界文明の二大潮流なる希臘と希伯来の思想とを融化して近代楽劇の淵源を作りし事績は史上稀に見る所なれども、わが邦に於ける歌劇研究会の事業も当に之れに比すべきものに非ずや。吾人は多大の嘱望を以てこの会が未来の成功を祈らんとす。
聞く所によれば、この会の起因に二の動機あり。一は明治三十二年音楽学校に入学せる同期生十余名の団体にして、他は文科大学、音楽学校及び美術学校学生有志よりなれるワグ子ル会なると云ふ。去る五月四日同期会の第四回懇話会の開かれし時、音楽学校本科生は歌劇を研究する必要あるのみならず、わが邦に於ても近き未来には必ず歌劇の演奏を要求すべき時期は来らん、ことに声楽部の者はその歌曲を屡々学べることあれども、そを実際に演ずること能はざるは憾多きことに非らずや、まして音楽を専門に学べる者にして歌劇を知らずとありては、耻かしき至なり。されば先づペリイ先生指導の下に、歌劇を研究して音楽の趣味を社会に示さん。然れど之を音楽学校の事業とすることは時勢の未だ許さゞる所なればとて、この会を起し六月三日音楽学校長の許可を得て、課業の余暇に練習を始めたりといふ。この時ワグ子ル会にてもその理想にもとづき歌劇を研究して、民衆の趣味を改善せんと、先づワグ子ルのロマンチック歌劇タンホイゼルを訳せしが、多くの事情に妨げられて止むを得ず之れを中止し、歌劇研究会と合して歌劇オルフォイスを研究することゝなし、音楽の練習、歌詞の翻訳、舞台の装飾及び学校の事情など非常なる困難に逢ひつゝも、終に七月二十三日の夜を以て或る一部の人士にその結果を示すに至れるものなりと云ふ。
なほこの外に特筆すべきことあり。そは渡邉朔氏が、この挙を賛し一千円の財を投じて、この会を輔けたることあり。わが邦に富豪多しと雖も、かれ等は自己の為めにその財を費すことを知るの輩のみなるを、今渡邉氏が文芸の為めにかゝる大金を捐てゝ惜まざりし美挙は永くわが邦の芸苑の感謝を享くべきものにして、思ふにわが楽界はとこしえへにこの保護者を忘るゝことなからん。氏の歌劇研究会に於けるはあだかもルウドヰッヒ二世のワグ子ルに於けるが如きか。またペリイ氏、ケエベル博士及び画伯山本芳翠氏が身を捧げてこの会に尽力されしことはわが音楽界の深く感謝するところなるべし。聞くペリイ氏の如きはかゝる酷熱の候にも拘らず、早朝より日暮まで学校にありて音楽と所作の指揮をなし、また山本氏を始め、北蓮藏氏、白瀧幾之助氏、湯淺一郎氏、藤島武二氏、岡田三郎氏、磯谷建吉氏も、芝或は麻布より日ごとに上野に通ひて、筆を執り或は道具を作られしと云ふ、諸氏の芸術に忠なる実に感服の外なきなり。
吾人は之れより筆を書割及び道具立に染めん。書割は山本氏の考案により氏及び湯淺氏、白瀧氏、北氏、藤島氏、岡田氏の執筆に係れりと云ふ。山本氏は久しく巴里にありて、歌劇及び演劇の書割を研究せられしが、幼稚なるわが劇場は氏の伎倆を用ゆるとを許さずして止みぬ。然るにこのたび歌劇演奏のこと起るや、氏はいたく此挙に賛し、報酬を拒んで、其書割を担当せられしといふも、渡邉氏の捐費と共にわが邦歌劇史上に特筆すべきことなり。吾人が知る所によれば書割は一専門の科に属し普通画家の描くこと能はず、劇詩、衣服、所作及び道具の調和あるべきは勿論、電燈の配置にもなかゝに伎倆を要するものにして、歌舞伎座などの書割が、常に不自然にして屡々詩趣を害するは、此等の注意なきに依るなりと云ふ。
吾人は今回の歌劇に於てその書割の立派なるを見て益々日本劇書割の不完全なるを思へり。この演奏は実にわが邦の道具方に少からぬ知識を與へたるならん。吾人はその第一幕の沈静なる森を見てブリュック子ルの書けるタンホイゼル(第一幕第三齣、第三幕)及びジョッエウスキイの筆になれるバルシファル(第一幕)の書割を見るの心地せり。第三幕は有名なるピュヰ゛スがソルボンヌの壁画に依れるものなりと聞けり。紅の花咲き乱るゝ間に、黄金の光あえかに輝ける様は実に極楽苑をよく表はせり。第二幕は暗かりし故明には見へざりしが岩のかたちものすごき間にリコポルドの燃えしは真に地獄の感を興さしめぬ。或人は歌劇オルフォイスの書割を見て帝都第一の劇部と雖も之れに及ばざること遠しと云へり、至当の言なる哉。衣服は渡部康三氏がおほかたの書を調べて作られしものなりと聞けり、色彩配合の巧なる驚くべきものありき。
次に音楽に就て聞ける所を述べんに、今回演奏の指揮者ノエル・ペリイ氏及びフォン・ケエベル博士が我邦の楽界に於て第一流の大家なることは普く人の知る所にして、またオルフォイス、オイリデイケェ及びアモオルの役を勤めし吉川やま子嬢、柴田環嬢及び宮脇せん子嬢は実にわが声楽界に並びなき唱歌者なることは世すでに定評あり、その他合唱に列したる諸君は皆音楽学校の精髄なりといふ。また歌詞の翻訳はすべて文科大学、外国語学校の学生にして、楽を音楽学校にに学べる石倉小三郎氏、吉田豊吉氏、乙骨三郎氏、近藤逸五郎氏の筆になれりと聞く。吾人は曲と調和せざる無意味の歌詞を附して満足せしわが楽界にこの事のあるは祝すべき現象なりと信ず。これ実に斯壇に新なる教訓を與へたるものなればなり。思ふに語脉の異れる欧語を音符に合せてわが国語に訳すことは殆ど不可能の事にして、語脉の全く同じき独、仏、伊語に於てすら其背馳する所あるを免かれず、まして欧語にて一音符を以て完全なる意味を表はすものも、わが国語にては数音符を要することあり、剰へ音楽の発想、音の高低に対する字音の関係動作の制限ありて、困難いふ方なきを凌ぎつゝ歌劇オルフォイスの如き大曲を翻訳したるは空前の試みに訳者の苦心思ふべきなり。訳者は完全に原文の意を伝ふること能はざるは恨なりと歎かれしが、そは国語の不完全に帰するのほかなかるべし。嗚呼吾人は以上の諸君が滔々たる迷妄の徒たるに甘んぜず、卓然時流を抜きて芸壇の為めに尽されしことの、思想界に及ぼす影響の偉大なるものあるを思ひて、感激の意に堪へざるものあり。今当日の目次を得たれば之を掲げて筆を措かん。
  歌劇オルフォイス  グルック作
   第一幕    現世場
   第二幕    幽界場
   第三幕    極楽界場
  指揮    ノエル・ペリイ先生
  伴奏 博士 フォン・ケエベル先生
  オルフォイス     (アルト)  吉川やま
  百合姫 オイリデイケ (ソプラアン)柴田環
  アモオル       (ソプラアン)宮脇せん
   合唱
    一、牧童及び女神
    ニ、復讐の女神及び地獄の魔鬼
    三、幸福なる霊
  (ソプラアン)本多かつ、伊澤乙女、鈴木よし、志賀ちよ
  (アルト)  福貝ひさ、栗原きん、三浦とめ、鈴木のぶ、天野あい、
  (テノル)  渡邉康三、成田藏七、島田英雄、
  (バッス)  堤正夫、 澤田孝一、横田三郎、高津環
  歌詞記者
    石倉小三郎 乙骨三郎 吉田豊吉 近藤逸五郎

 上の写真と文は、「美術新報」 明治三十六年八月二十日 第貮巻第拾壹號 (通巻第三十五號) 畫報社 に掲載されたものである。

 この上演に関連した「合資会社共益商社楽器店発行」の絵葉書が、下の写真である。

 

 歌劇研究会第一回演奏記念 
    オルフォイス  
  
  汝が琴の妙なる調あはれに

 なお、下の写真は「1910.10」の判が捺さた絵葉書で、その袋に次の説明がある。

  

  東京音楽学校 
   学友会 
 秋季演奏会記念

 ◎オルフェウスの舞台面

 グルックのオルフェウスが近代歌劇の発足点として史上如何に重要な地位を占むるものであるかは茲に喋々を要しない。図は同劇の第三幕目、愛の神アモールの計らひで地獄の闇に漸く探りあてた亡き妻オイリデイケを伴って此の世の明るみに出やうとするオルフェウスが、その道すがら神との誓を破って妻の顔を一と目見ると忽ち神の怒りにふれて妻はその場に倒れる、オルフェウスは絶望の余り吾れと吾が身を刺して死なうとするところへ愛の神が現はれて神々の慈悲によってもう一と度救はれるであらうと告げて愛の宮殿に連れて行く、そこで舞台は賑やかな歓楽の三部合唱の伴ったバレットに変って幕、

 ◎音楽学校学友会合唱