蔵書目録

明治・大正・昭和:音楽、演劇、舞踊、軍事、医学、教習、中共、文化大革命、目録:蓄音器、風琴、煙火、音譜、絵葉書

「パヴロワ夫人露西亜舞踊劇 番組」 末廣座 (1922.10.4-5)

2022年07月20日 | バレエ 1 アンナ・パヴロワ 

   

  大正拾壹年十月四日・五日

         毎夕七時半開演

 パヴロワ夫人露西亞舞踊劇 番組

            末廣座 

                電話本局一六九

  アンナ・パヴロワ夫人招聘に就て

         松竹合名社  白井松次郎

    十月四日午後七時半

第一 舞踊劇 コツペリア  一幕

      レオ、デリベ 作曲

  スワルニダ        ‥‥‥ ブッオーワ゛嬢
  フランツ         ‥‥‥ ピアノウスキー氏
  コツペリス        ‥‥‥ ザレウスキー氏
  スワルニダの友達     ‥‥‥ グリフヰス嬢
                   バートレツト嬢
                   ロヂヤース嬢
                   イグネス嬢
  マヅルカ舞踏       ‥‥‥ 座員
  匈牙利民踊
  シームス、スレーヴス   ‥‥‥ ブッオーワ゛嬢
                   ピアノウスキー氏
                   スワルニダの友達
  幕切れのギヤロツプ    ‥‥‥ ブッオーワ゛嬢
                   座員

第二 舞踊劇 仙女人形   一幕

     バイエル其他作曲
     クリスチン振附
     ドブヂンスキー背景衣裳考案

     第一場

  店主           ‥‥‥  ザレウスキー氏
  店員           ‥‥‥  ワ゛ジンスキー氏
  英國人          ‥‥‥  ドモスラウスキー氏
  其妻           ‥‥‥  グラインド嬢

  其娘           ‥‥‥  バートレツト嬢

  田舎客          ‥‥‥  ピアノウスキー氏
  其妻           ‥‥‥  フリード嬢
     人形
  仙女人形         ‥‥‥  パヴロワ夫人
  赤兒人形         ‥‥‥  ブツオーワ゛嬢
  詩人人形         ‥‥‥  ピアノウスキー氏
  墺太利人形        ‥‥‥  スチユアート嬢
  道化人形         ‥‥‥  アルジエラノフ氏

     第二場(人形の囘生)

  西班牙人形        ‥‥‥  グリフ井ス嬢
  陶製人形         ‥‥‥  コールス嬢
                    シエフ井ールド嬢
                    レーク嬢
                    グラインド嬢
  テロル人形        ‥‥‥  スチユアート嬢
  マーキタライト      ‥‥‥  ロヂヤース嬢
  鉛の兵隊         ‥‥‥  アルヂエラーフ氏
  或る國民の人形      ‥‥‥  バートレツト嬢
  羊飼と女羊飼       ‥‥‥  ブッオーワ゛嬢
                    ワ゛ジンスキー氏
  二人舞踏         ‥‥‥  パヴロワ夫人
                    ヴオリニン氏
  幕切のギヤロツプ     ‥‥‥  全員

 

第三 舞踊小品 七種

  (其一)オーベルタス(波蘭土民踊)

                    コールス嬢
                    フリード嬢
                    シエフ井ールド嬢
                    レーク嬢
                    グラインド嬢
                    ヴジンスキー氏
                    ザレウスキー氏
                    ドモスラウスキー氏
                    ニコロフ氏
                    アルゲラノフ氏

  (其ニ)瀕死の白鳥       ‥‥  サンサン曲
                      フオキン振附

                    パヴロワ夫人                     

  (其三)ピエロット       ‥‥ ドウボルシャック作曲

                    ヴオリニン氏

  (其四)牧羊 パストラル    ‥‥ シユトラウス作曲

                    スチユアート嬢
                    オリヴエロフ氏        

  (其五)田園舞踊 アデイル   ‥‥ シヨパン作曲

                    ロジヤース嬢
                    ニコルス嬢

  (其六)セーン、ダンサンテ   ‥‥ ボツシエリニ作曲

                    ブツオーワ゛嬢
                    ピアノウスキー氏

                      
  (其七)露西亜舞踊       ‥‥ チャイコウスキー作曲

                    パヴロワ夫人
                    スチユアート嬢
                    コールス嬢
                    フリード嬢
                    シエフヰールド嬢
                    レーク嬢
                    グラインド嬢
                    アルジエラノフ氏

   音樂指揮      ‥‥‥ セオドール、スタイアー氏

    御入場料(觀覽税金共)

  特等 金八圓  三等 金貳圓
  一等 金六圓  四等 金壹圓
  二等 金四圓

 

    十月五日午後七時半開演

第一 舞踊劇 魔笛  一幕

      ドリゴ― 作曲
      マリウス・ペチパ振附

  侯爵(附近の富裕なる貴族)     ‥‥‥ ザレウスキー氏
  田舎女              ‥‥‥ アレキサンドローワ゛嬢
  リース(其娘)            ‥‥‥ ブツオーワ゛嬢
  リュック(田舎の若い男)        ‥‥‥ ヴオリニン氏
  侯爵の馬丁            ‥‥‥ アルジエラノフノ氏
  オベロンの神(隠者と化身したる)    ‥‥‥ レーク嬢
  判事               ‥‥‥ ドモスラウスキー氏
  リースの友達            ‥‥‥ バートレツト嬢
                       グリフヰス嬢
                       ロヂヤース嬢
                       ニコルス嬢

第二 舞踊劇 六つの花  一幕

    「ナットクラッカーより」
       チャイコウスキー作曲
       クルスチン振附
       ウルバン背景裝置

  六つの花のウォルツ    ‥‥‥  ブツオーワ゛嬢
                    スチユアート嬢
                    グリフヰス嬢
                    コールス嬢
                    バートレツト嬢
                    フリード嬢
                    レーク嬢
                    グラインド嬢
                    ロヂヤース嬢
                    フエドローワ゛嬢
                    イグネス嬢
  二人舞踊         ‥‥‥  パヴロワ夫人
                    ヴオリニン氏
  三人舞踊         ‥‥‥  スチユアート嬢
                    コールス嬢
                    レーク嬢
  變調舞踊         ‥‥‥  パヴロワ夫人
                    ヴオリニン氏
  五人舞踊         ‥‥‥  ブツオーワ゛嬢
                    グリフヰス嬢
                    バートレツト嬢
                    ロヂヤース嬢
                    イグネス嬢
  コーダ舞踊        ‥‥‥  パヴロワ夫人
                    ヴオリニン氏
                    座員一同

第三 舞踊小品 七種

  (其一)マヅルカ舞踏      ‥‥ グリンカ作曲

                    フリード嬢
                    シエフ井ールド嬢
                    コールス嬢
                    グラインド嬢
                    ピアノウスキー氏
                    ザレウスキー氏
                    ドモスラウスキー氏
                    ニコロフ氏

  (其ニ)蜻蛉          ‥‥  クライスラー作曲
                    パヴロワ夫人                                         

  (其三)和蘭舞踊        ‥‥  グリーク作曲

                    バートレツト氏
                    ワ゛ジンスキー氏

  (其四)アニトラの舞踏     ‥‥  グリーク作曲

                    フリード嬢        

  (其五)アン、スールダン    ‥‥ チーラム作曲

                    ブツオーワ゛嬢
                    オリヱ゛ロフ氏

  (其六)藍色のダニューブ    ‥‥ シュトラウス作曲

                    ブツオーワ゛嬢
                    スチユアート嬢
                    コールス嬢
                    シエフヰールド嬢
                    レーク嬢
                    フリード嬢
                    グラインド嬢
                    グリフヰス嬢
                    バートレツト嬢
                    ロヂヤース嬢
                    ニコルス嬢
                    ワ゛ジンスキー氏
                    ニコロフ氏

                      
  (其七)ベッシューズ       ‥‥ ゴダール作曲

                    パヴロワ夫人
                    ヴオリニン氏
                    オリヱ゛ロフ氏

   音樂指揮      ‥‥‥ セオドール、スタイアー氏

    御入場料(觀覽税金共)

  特等 金八圓  三等 金貳圓
  一等 金六圓  四等 金壹圓
  二等 金四圓


「ルシヤン・バレヱと妾の生立」 アンナ・パヴロワ (1922.10)

2022年05月21日 | バレエ 1 アンナ・パヴロワ 

  

 ルシヤン・バレヱと妾の生立
                      アンナ・パヴロワ゛
  
 ルシャのバレーに就いては、今では世界的に問題の藝術として色々と評判もされてゐるし紹介されてゐますが、ルシヤンバレーと云へば今でこそ、外國人に踏襲をゆるさない獨特の舞踊藝術となってゐますが元をたゞせば決してルシやで生れたものでないと申しましたら、驚かされる方もあると思はれます。
 バレーは元は東洋から伊太利、佛蘭西、獨逸と順々に移入して來たもので、妾 わたし の國ではこの藝術が外國人に見せてもはづかしくはない位ゐに發達したのは、伊太利で初めて現はれた時から大凡 おほよ そ二百年後の事であります。
 けれども一旦ルシャで芽をふき出すと、夫れは〱恐ろしい勢 いきほひ で發達しました、これは皆さんも御承知の帝室舞踊學院、卽ち普通、マリンスキー藝術院、と呼ばれてゐる學校で、他國に例のない、組織と敎練法を講じたからであります。この學院は内部の組織に於ては普通の學校に比較して變ったところはありませんが、只規則丈けは隨分嚴格なものです。舞踊學院と云っても、決して舞踊のお稽古ばかりするのでなく普通の學校と同じく、若い男女の授からねばならぬ、敎授科目は悉く賦課されてゐますから生徒は何不自由なく愉快に勉強が出來ます。この學院は御存じの通り皇室のお金で經營されてゐるのでありますから、初めて入院する時の嚴しい試驗に合格さへすれば生徒の一身すべての費用は學院の方で負擔します。それから生徒が一定の年限内は首尾よく業を卒 を へて、いよ〱皇室附屬の舞踊團に編入されるやうになれば、相當の給料を與へられるし、義務の年限に達すると一生の補助料で生活が保證されます。
 バレーが初めてルシャに移し植ゑられたのは千六百七十年、時の皇帝、アレキセイ、ミカイロヴィッチが、他國ではバレーは一種の宗敎の典式の一部に使用されてゐると聞き及んで、わざ〱、伊太利から呼び寄せたのにはじまる、その後、更に佛國からデイデロウと云ふ有名な先生を呼び寄せて、廿五年間熱心に敎授してくれたので、初めて現今のルシヤン・バレーの形式が確實に出來上ったのですけれど、其後アレキサンダーの一世、同二世の頃までは純粹のルシヤッ子からは大した腕のすぐれた踊り手は出ませんでした。夫れも其筈です、その頃は、世界的に有名な伊太利のマリヤ、タグノリとか、獨逸のエルツブレルなどと云ふ舞踊者がルシャの舞臺で、一人天下をきめてゐたのですからー
 越えてアレキサンダ三世の時になって、初めてカルセッテ、クスチェンピンスキー、キャクスト、ペティバなど云ふ名舞踊家が續けざまに現はれて初めてルシャ人のルシャンバレーとなりました。 
 妾は八才の時に一度入院の手續をしましたが年が足りないと云ってはねつけられて、二年後の十才の時に漸く入院する事が出來ました。なにしろ、希望者の多い割に年々十八人位ゐ外採用しないのですから試驗の嚴しいことつたらお話になりません。首尾よく入院が出來たので一年間はまるで、規則の嚴しい仕事の烈しい尼寺に生活してゐるやうな日を送り迎へ、漸く一年經つと、今度こそ本當の試驗です、夫れは將來果して舞踊家としてたつ資格があるかないかと云ふ妾の運命の決する試驗でしたが運よくこれにも合格したのですこの試驗に合格すると、今度はいよ〱、舞踊家養成の本規則に依って以前より一層嚴しい修業を三年間させられます。三年の修業が終ると又も試驗があります、今度の試驗は各生徒の成績に依って地位を定めるのですから大變です。
 先づ、一番成績の落ちた方が、コリフヒーと云ひ其次がセコンドスゼット、次がプリミイヤスゼット、最後がプリミイヤーダンサーで、それから後は自分の勉強次第で、最後のプリマ、バレリナ、アブソルタの榮冠をかつ事になります。私は年も若かったし、人一倍苦勞もしましたが、第二第三の試驗でも運よく、首席で合格して、最後に夢見にもわすれられなかった、プリマバレリナアブソルタを三年彼 ねんご に妾の名前の上に飾る事が出來ました。
 妾が今日こうして皆樣から法外の御贔屓にあづかるやうになったのは、一つには神の授けた天分の道を踏んで來たからだとお抑 しや る方もありますが、それにしては妾は、今は跡かたもなく、多くのお方々のお行衞 ゆくへ さえ、分らない、ルシャの皇室の御恩は決してわすれる事は出來ません。妾は今、何かの事情で、全く舞踊をすてねばならなくなっても帝室學院で授かった、課程を利用さえすれば、樂に暮す事が出來ます。

〔蔵書目録注〕 
   
 上の文と写真は、大正十一年十月一日発行の雑誌 『オペラ』 第四卷 拾月號 露西亞舞踊號 に掲載されたものである。上の中の写真は、口絵の「アンナ・パヴロバ夫人のルシヤンダンス」である。


「パヴロワの印象」 (三島、久能、渡、山村) (1922.10)

2022年05月19日 | バレエ 1 アンナ・パヴロワ 

 

  パヴロワの印象
            三島 章道
パヴロワとヴォリニンの舞踊は實際巧いものである。一つの驚異だ。天才と努力によって完成された藝術である。その次にはピアノスキーに感じた。この人はバレー・マスターなので普通は踊らなかったが、『アマリナ』で一寸出た。いかにもやはらかいかろやかな舞ひ手だ。『アマリナ』なんてものは、バレーとしては、もう過去のものだ。所謂バレ・リュスでなない。しかし、パヴロワとヴォリニンの踊りを見てゐると流石に恍惚としてくる。舞臺に一ぱいとなって飛躍する、旋轉する。それが、音樂とピッタリあって一糸みだれない。如何なるポーズも少しも形がくづれず、その瞬間々々は偉大なる彫刻美のリズムがきざまれる。パヴロワは實際、羽みたいなんだ。パヴロワのこんどの舞踊について、色々惡口を云ふ人があるが、外國でバレ・リュス等をみて來た人ならとにかく、始めての人が、その標準も知らないでかれこれ云ふのは餘程の天才的舞踊批判家か、又は嘘を云ってゐるのだ。初めての人で一寸驚ろかない人はまあ少なくてあたりまへだらうと思ふ。實際、何度みても、この二人のバレー名手はバレー名手としては立派なものであると思ふ。
            久能 龍太郎
一つの彫刻が、美そのものゝ極致にまで動くーもちろん、詩のこゝろなくしては觀ることはできない。ある人の批評には「つまらないものだ」とか「たいしたものでない」とかいふ投げやりの言葉を聽いたがーおそらく、その人は藝術そのものに對して、なんの理解も持ってゐない哀れな貧しい人々である。いろ〱の方面から考察すると、それには多少の缼陥もあるではあらう。然し、とにかく、今日の日本の舞臺藝術として、あれだけのリズムの美化は斷じて表現されたことがない。その點だけでも、そんな大それた言葉はでないはずである。わたしは「瀕死の白鳥」に驚異と感激の泪のうちに幕の下りてゆくことを永久に忘れないであらう。 
            渡 平民
クレイグなぞの舞臺美術家が、舞臺美術の基調として、リズミカルと云ふことを尊重するが、その尊重さを、パヴロワの舞踊を觀てつく〲感じさせられた。美しい型ではない、美しい姿ではない、彫刻的なそして繪畫的な姿態の連續、その連續を一貫して流れる魂の飛躍だ。リズムだ。そこには少しの澱みもない、拵へものゝ不自然さもない。生々しい生命の輝だ。なにしろすばらしい。
            永田 龍雄  
幕切の十四人の姿、あのうちの二人の男性舞踊者の息のきれかたを見よ絲と靑の風光にくるしげなる息づかひを見よーボリーニン一人の勇壯なる幕明と同じき呼吸に意をとめて見よーパヴロワ一人の息づかひを見よほかの女性舞踊者の乳のあたりのくるしげなる息づかひを見よ。
      (ショピニアナ)
            山村 魏
アンナ・パヴロワ。ー天使の群れの中を自由自在に飛翔する唯一人の天使長のやうだ。吾々があこがれる天國の歡樂を、吾々の胸に展開させないではおかない。勿論他の多くの踊手達も美しいが、パヴロワはずばぬけて素的だ。彼女の藝術は人間に表現し得られる美の極致だと思ふ。彼女の姿態それ自身がリズムの源泉のやうに感じられる。
「瀕死の白鳥」はとりわけ素晴らしいものだった。美の恐ろしい魔力をしみじみ感ぜずにはゐられない。この美の前には、いかなる讃辭も驚嘆も影が薄いと思はれるほどだ。
天才と間斷なき努力との結んだ實の偉大さを今更乍ら考へさせられる。パヴロワは、興行最中にすらも毎日稽古を怠らず、 絕えず藝を勵んでゐるそうだが、ドストエフスキーが「自分は藝術のギアレー・スレーヴだ」と言ってゐたといふことを思ひ出す、そして、忽ちわれとわが身をふりかへらずにはゐられない。
◎アンナ・パヴロワのルシアン・バレーー帝劇で開かれてゐるルシアン・バレーを、自分は今日で二度見に行った。仕事の上での時間が許したら、もう一、二度は、見物しに行きたいと思ってゐる。親しめば親しむほどその美に魅せられる舞踊であると思ふ。自分が見たい範圍では、何といつも「瀕死の白鳥」と「秋の木の葉」とが、恐ろしくズバ抜けていゝ。殊に「秋の木の葉」はパヴロワの自作だといふことだが、實に感じの出てゐるのには驚かざるを得ない。最後のパヴロワの「菊」か、沈みゆく日光の下に落葉の下で徐々に萎みゆくところなどはたまらなくいゝ。「魔笛」も隨分面白かった。美しい舞踊劇だ。自分は公爵が出てくるあたりを見てゐて、ゴヤのカルケチュアを思ひ浮べた。ヴォリニンが出てくると、(パヴロワが現はれるときもさうだが、)舞臺が妙にピンと緊張してくる。リースに裝したブッオーヅも、まだ若いに似ず、仲々よく踊った。ヴォリニンは男性的な、パヴロワは女性的な言ふに言はれないすぐれて美しい舞踊特有の素直な、麗らかな線は、この二人の代表者が、遺憾なく極致を表現してゐると思ふ。誰かの言ではないが、「本能の糸のくり出されるがまゝに織りなしてゐる」やうだ。それがとりも直さず彼らの舞踊だ。パヴロワの彫刻の如き磨きあげた姿態を演ずるときの美しさは、全く言語を 絕してゐる。幸ひ自分は二度とも平場で見たが、二階になると、只ポーズのみで完全に舞踏の微妙な點は見られないような氣がする。實際のところ、あゝいふ舞踏になると、一線一劃も見のがすのが堪らなく惜しい氣がする。慾には限りがないが、照明と、音樂師とが、諸外國に於ての公演の如き完備さであったら、と、それのみが殘念に思れた。(廿日夜一時半)
 
〔蔵書目録注〕 
   
 上の文と写真は、大正十一年十月一日発行の雑誌 『舞臺藝術』 十月第十二號 の 六號雜記 に掲載されたものである。上の右の写真は、口絵の「露西亜舞踊『六の花』の舞臺面」である。
 また、六號雜記 には、 「靑い鳥」上演の後に 遠山靜雄 の一文もあり、その文の後に、次の記載が加えられている。
  
 帝劇のパヴロワは隨分熱心に見た。同じものでも何度も見てゐるとだんだんよくなってくる。矢張り偉いと思った。然し女史の偉大さはその技藝のうまさであって、創作の力はあまり見られない樣に感じた。丁度精巧な機械が極めてたくみに生産をなすのを見る樣である。愉快である。けれどもその機械をつくり出した發明に對する感激はない。私は「秋の木の葉」にあまり感心することが出來なかった。私はこの題目に就てはもっと靜寂な、深い味のあるものを感じる。(尤もそこには日本人と西洋人との一般的な心持の相違があるかも知れない)ソロに於ては私の氣持にしっくりした嬉しいものがあった。「カリフォルニアの罌粟」は今度の出し物のうち一番すきであった。何度でも見たい「瀕死の白鳥」では光の色が不適當ではなかったらうか。もっとほんとうの意味の白に近い方がどれだけ踊りをよくしたかと思ふ。非常に強烈な、生な色の、多種な光線を使った「魔の湖」は或意味で大變興味を引いた。


「アンナ・パヴロワ印象記」 三島章道 (1922.10)

2022年05月15日 | バレエ 1 アンナ・パヴロワ 

  

 アンナ・パヴロワ印象記
          三島章道
  
 アンナ・パヴロワが來朝すると云ふ噂があってから、舞踊愛好者及び研究者は、世界的大舞踊家に接する日をずい分待ちこがれてゐた。私もたしかにその一人であった。
 アンナ・パヴロワの年齢は、本統は誰にもあまりよくわかってゐないようであるが、三十九歳とか云はれてゐるが、まあ四十以上だらうと思ふ。彼女はペテルグラードに産れて、十歳の時、帝室舞踊學校に入った。この學校に入るには、仲々むづかしいので、大ぜいの子供の中から選ばれるのである。學校に入れば、すべて帝室のお金で一さい世話をして貰へるので、寄宿舎に入って、まるで修道院の生活のやうな生活をしながら、只管 ひたすら 、舞踊其他を學ぶのである。十六の時彼女はこゝを卒業し、しかも得難い「第一級の舞踊家」の免狀を得たのである。彼女の非凡の舞踊はたちまちにして世に認められ喝采を受けた。彼女はそれからヨーロッパの各都市をまはって、非常な賞讃を得、世界一の舞姫 バレリナ と云ふ名さへ得たのであった。彼女はディアギレフの舞踊團にはじめには居たのであるが、彼女は其處は出てしまった。そして一座を率ゐて鳥のやうに、人々の熱狂的な感激を身にあびながら、あちこちの都市をまはって居たが、最近は主に倫敦と巴里で演じた。米國やメキシコにも行った。 
 パヴロワの經歷については、もう大分書かれたから、その位にして、今度帝劇に於けるその舞踊の印象をこゝに御紹介しやうと思ふ。
 先づ私は初日を見に行った。一番はじめのものは『アマリラ』と云ふのであった。これはまあ舞踊劇とも云ふべく、一つの筋があって、それを默劇(パントマイム)式に演じつゝ音樂につれて舞ふのである。
 露西亞舞踊にはたくさんこうゆうものがあるのであるが、この『アマリラ』はそのうちの決していゝものではないのである。もう過去の時代のものと云ふべきものなのである。露西亞舞踊にディアギレフと云ふ人が出て、露西亞舞踊をして、舞踊、音樂、舞臺裝置を渾然調和統一させた立派な眞に綜合藝術として價値あるものにしたのであった。しかしこの『アマリラ』はその時代以前に屬すべき組立てかたの舞踊劇で、全體的に一貫しての統一もなく、舞臺裝置も非美術的でつまらぬものであった。卽ちこの『アマリラ』なる舞踊劇は、舞踊劇そのものとしては、決していゝものではないのである。しかし、このつまらぬ舞踊劇も、パヴロワ及びヴォリニンの二人が登場すると、まったく我々の魂が、何物かにつかれでもしたやうに奪はれてしまふのは、全く、二人が非常なる舞踊の名手だからである。それは丁度、つまらぬ劇でも非常に上手なる役者が演じると、つい涙が出て來たりするようなのもである。とにかく二人は非常なる踊り手である。初め他の踊り手が踊ってゐるとき、仲々うまいと思ふ人が居る。又、とにかく、これだけそろって一團となって日本に來たことはないのだから、ずい分我々も、感心してみてゐる踊りが、部分的にはあっても、この二人の名手ーパヴロワとヴォリニンが出て來ると、實際太陽と月の前の星の如くである。實に我がパヴロワは太陽である。  
 パヴロワの舞踊は全く、人間わざとは思へない。その輕 かろ さは、風の前の木の葉のやうだ。パヴロワのことを「見えざる翼を持つ人」と云ふ言葉を以て評するが、まったくその言葉はあたってゐる。はねそのもののやうな人である。しかも、瞬間々々實に美しい姿態をつゞけて踊りぬく。どの瞬間の姿態、如何なる姿態をしても、少しもバランスがくづれないで、立派な彫刻である。實 げ にパヴロワは偉大なる彫刻家にして同時に、彫刻そのものである。彫刻の聯續的飛躍である。體全體に音樂のはねがはえてゐるような人である。
 ヴォリニンも立派な踊り手である。彼もディアギレフの舞踊團に居たことのある名手である。パヴロワの相手をすべく立派な踊り手である。實にロシア的な強い感じのある人で、舞臺一ぱいにひろがって、自由に、たからかに舞ふ人であった。
 第二の『ショピニアナ』は、ショパンの舞曲を、グラヅノフが編曲したもので、ポロネーズ、プレリコード、ウォルツ、マヅルカ、等を踊るのである。全體的の統一あるものではないが、部分々々にはなか〱いい踊りがある。舞臺裝置は例の通り面白くないものであった。
 やはり、この踊りにも、パヴロワとヴォリニンの二人が立派な踊りを舞った。ことにヴォリニンのウォルツはすてきであった。如何なる飛躍、如何なる旋轉も少しも音樂と一絲 し みだれぬたしかさをもって、舞ふのは實際、胸がすくやうに感じられた。男性的な強い感じのする踊りである。
 それから面白いのは小品の踊りである。こゝにパヴロワはお得意の『瀕死の白鳥』がある。これは實にすばらしいものであった。
 これはある時パヴロワが公園を散歩してゐて、白鳥の弱ってゆくのを見て、サンサーンの曲につけて、この舞踊をつくったのだ。パヴロワは、もうすっかりこれを手のものにして居る。小さな翼をつけて、トウで立って、手を波のやうにうごかしながら出てくるところから、もう白鳥の感じである。實に美しい形である。人間の體で出來る最も美しい形で踊る。こうゆう踊りを、あまりに白鳥の模倣になりすぎると云ふような見方もあるが、しかし私は、人間の肉體で表現出來る、こんなに美しい舞踊的寫生が、又とこの世にあるかと云ひたいのだ。パヴロワのこの舞ひはまったく人間だと思へない。何かもっと美しいものが舞ってでも居るようである。しかも決して不自然な感じがしない。そこがパヴロワの舞踊の妙技のおかげで、我がパヴロワの偉いところなのである。
 ヴォリニンの『ピエロー』も面白かった。ユーモレスクの音樂が體の中にしみこんでゐるように音樂的だ。一つの花を持ってをどる踊りも、うまいものだ。實にうまい。うまいと云ふより言葉がない。
 それから多くの舞姫が『希臘 ギリシヤ 舞踊』を舞った。これは踊りとしてはみんな、そんなに上手(世界一流と云ふほどに)では勿論ない。しかし、みんなの體が美しいのだ。何と云ふ美しい容姿 フイギアー を持った人々だらう。ほんとうにめぐまれたる人々だ。日本人では一寸この踊りは出來ない。こんな美しいからだを持って居ないから。‥‥‥長い手、長い脚、それがそろって、音樂につれて、美しいカーヴを描いて舞ふときは實際恍惚とさせられる。めぐまれたる人々哉。
 それから最後の、パヴロワとヴォリニンの『バッキャアル』がよかった。二人が音樂につれて走って出てくるときは、觀客席にとびこむかと思はれる程の勢ひである。この舞踊では勢ひと力のリズムである。パヴロワは十七八の若さをもって踊るのであった。その勢ひと鋭さは、まるで颱風のやうである。かろさは、つばめのやうである。
 十四日にはプログラムがかはった。はじめに『コッペリア』と云ふのがあったが、これは、又、くだらぬ舞踊劇であった。何の統一もなく、只、いろ〱な踊りををどるだけで、舞臺裝置もなってゐないはものだった。それにこれには、パヴロワとヴォリニンとが出ないのでなほつまらなかった。舞臺はダレる、つまらなくなる。
 それから『雪片(スノー・フレークス)』がある。これは亞米利加の有名な舞臺裝置者ジョセフ・ウルバンの裝置だけあって情緒的にまとまって居り、調子も色彩の調和も共にいゝものであった。衣裳もいゝ。白い雪の玉を持っての踊りなぞは、夢幻的の味ひがある。それにチャイコウスキーの音樂がいゝ。オーケストラは、正直に云ふとあまり上手ではない。コンダクターは立派でありその努力ぶりには尊敬するが、何分にも雇 やとひ 兵で、短時日の練習だからむりがないのだ。
 二のかはりのだしものも、やはり小品に面白いのがある。パヴロワの『蜻蛉 とんぼ 』は又非常なものである。實に微妙な巧妙なものである。まるで足が舞臺についてゐるようには思へない、空中を踊ってゐるか、みなそこへ沈むででも行くやうな感じである。その手のつかい方もうまいものだ。ほんとにとんぼのやうな感じである。私は恍惚として了 しま った。『白鳥』はダイヤモンドで、『蜻蛉』はサファイヤである。
 ヴォリニンの『弓と矢』もよかった。實に男性的なキビ〱した踊りで、勇敢な鋭い味がある。ヴォリニンはすっかりこなしてゐる。  
 それから『和蘭 オランダ 舞踊』が可愛らしいおどりであった。音樂が面白い。まるで、漫畵的な踊りだ。木ぼりの彫刻のやうな感じだ。人形のやうだ。可愛らしい踊りだ。私はうれしくなって了った。
 『セーン・ダンサント』でバレー・マスターのピアノスキーの踊りをみた。輕い〱蚊とんぼのやうな人だ。脚なぞは蚊とんぼのはねよりかるい感じだ。音樂ともピッタリしてうまいものである。
   
 このパヴロワの舞踊が、我が國の獨り舞踊界のみならず、一般の藝術界に及ぼす刺戟は大きなものであらう。それを思ふとパ夫人の一行が來てくれたことはたしかに感謝である。舞踊の世界的の標準がこれでたしかに解 わか ったわけである。  
 なほ最後に私はパヴロワ一團の稽古のすばらしさを書いておかうと思ふ。彼等は日本に着いたすぐその翌日から猛烈な稽古をした。朝早くから‥‥‥。殆ど休みなしにつゞける。そしてパヴロワは下まはりの舞ひ手と一緒になって、猛烈な稽古をする。しかもみんなにこ〱して、さも愉快そうにやる。しかも火の出るやうな猛烈さである。しかも十日に初日を出した翌日の十一日も十二日も十三日も、毎日やるのである。日本の劇界にこんな熱心な稽古が又とあらうか。世界的になるにはらくなことではない。パヴロワの世界的の地位は天才のしからしむるところだが、獨り天才のみではなく半分は努力だ。そしてパヴロワと一緒に居る人々の努力もえらいものだ。日本の一流の役者なんて(役者に限らず何事でも)あまり稽古なんてしやしない。ことに下まはりと一緒になってむきになってやる人は少ない。しかも、もう四十五十になって、しかも、遠い田舎(日本はまあ田舎だ)にやって來て倫敦から一日も休みなき旅のつかれも休めないですぐ猛烈な稽古をする熱心な努力。それには私は涙が出る程感激した。これはひとり、藝術に限らない。一體日本人はすぐ一流になったりすると慢心して勉強しない。日本の一流は世界の一流の前に恥ぢろと云ひたい。  
 これで筆をおく。


  
   寫眞は九月十七日三島章道氏のお邸で開かれた歡迎會のとき、撮影したものです。向って左よりパ夫人、三島氏夫人、三島章道氏。  
   
〔蔵書目録注〕
  
  上の文と写真は、大正十一年十月一日発行の雑誌 『婦人之友』 第十六卷 第十號 に掲載されたものである。
  なお、一番上の右の写真は、口絵にある「アンナ・パブロワ夫人」である。


アンナ・パヴロワ夫人の来朝 (1922.9-10)

2020年07月19日 | バレエ 1 アンナ・パヴロワ 

 舞踏の女王 

   パヴロワ夫人來る 

     白鳥の如 やう な清楚な姿で

 「瀕死の白鳥」の踊手として世界的ダンサーアンナ・パヴロワ夫人はエムプレス・オブ・カナダ號で四日午前五時横濵に着いた、黒い羽二重の薄絹に蠟のやうな滑 なめら かな肌を包んで白鳥のやうに見える清楚な風姿、人を魅するパッチリとした瞳の底には偉大なる藝術の力が潜んでゐる、パ夫人は足の悪い夫のビクター、ダントン氏や樂長のスペリアー氏と連れ立つて新聞社の寫眞班に取り圍まれながら上甲板に出て來る、

 私の得意なものですつテ、そんなものは別にございませぬが

と謙遜しながら

 ドラゴン・フライ、カリフォルニア・トツピー、「瀕死の白鳥」などが大好きです、それは魂の舞踊です、私は今尚ほ毎日練習を續けてゐます、毎朝朝食の前に必ず一時間練習をやることにしてゐます

 と眞面目な藝術談に入らうとしたが記者の問ひに急に笑顔を作つて『靴ですか、私の日常生活に取つて大切 だいぢ な道具ですもの、トランクとバスケットの兩方に 二百足持つて來ましたよ、體量は百十八封土 ポンド であり過ぎる位です』と恥づかしさうに顔を掩 おほ ふ様子は如何にも自然で美しい、九時頃船が漸く岩壁に着くと原信子、片山やす子、西川千代子等に迎へられ熱い接吻 キツス を交はす、出迎の人々からは綺麗な花環 はなわ が贈られる、斯 か くて一行は自動車でグランド・ホテルに入り一先づ休憩して正午近く東上したが滞在は六週間であると(横濱電話)

 パヴロワ夫人から 本社村山社長へ

 アンナ・パヴロワ夫人は横濱入港に際し本社社長村山龍平氏に宛て左の電報を發した

  横濱に着きました、貴下と相見るの機會を鶴首して待つ

 上の文は、当時の新聞の記事切り抜きより。

     

〔上左から1枚目の写真〕

 :大正十一年の『歴史写真』 十月号 第百十一号 歴史写真会 に掲載されたもので、次の説明がある。

 
 世界舞踊の第一人者アンナパヴロワ〔アンナ・パヴロワ Anna Pavlova〕夫人の来朝

 『瀕死の白鳥(ダイイングスワン)』の踊り手として其の名声世界を風靡しつつある露西亜の舞踊天才アンナ・パヴロワ夫人は予 かね てより日本来朝の志があったが、いよゝ其の機運熟し大正十一年九月四日横浜入港のエムプレス・オブ・カナダ号にて其のあでやかにも亦気高い姿を我等の前に現はした。此の日夫人は花のやうに美 うる はしい踊り子の群 むれ に圍繞されて原信子、片山やす子、西川千代子の諸氏に迎へられつゝ岸壁に上陸、自動車にてグランドホテルに入り暫時 しばらく 休憩の後、正午上京、帝国ホテルに投宿した。写真はカナダ号上中央パヴロワ夫人、右は出迎 でむかへ の原信子、左、片山やす子の二氏である。

〔上左から2枚目の写真〕

 :大正十一年の『教育資料 写真通信』 十月号 第百四号 大正通信社 に掲載されたもので、次の説明がある。

  なお、この写真は帝国劇場での弟子達との練習風景(九月五日)のようである。

  帝劇のステージに立つ世界第一のダンサー アンナパプロワ

 丁度我国にも舞踏熱が勃興しつゝある際なれば、その人気の素晴らしいこと、物価引下げが云云されて居る今日、十五円十三円十円と云ふ高い入場料を出しても見のがしてはならぬと大した景気で誠に物価調節に対し皮肉の感がある写真中央がパプロワ夫人

〔上左から3枚目の写真〕

 :同じ号に掲載されたもので、下の説明文がある。

 世界的の名ダンサーパヴロワ夫人を中心に 鶴見花月園で歓迎会

 闇の国ロシアからは偉大な芸術が生まれる最近我国に来朝したアンナ、パヴロワ夫人はロシアが生むだ世界的の舞踊家である。九月九日午後二時から鶴見花月園のホールで此のロシア舞踏家の為に盛大な歓迎会が催された。蒼い瞳と柳の枝の如ききやしやな身体の持主パヴロワ夫人は踊らなかたが、それでも弟子の女優数名は日本の夫人令嬢等と恰ら蝶の如く身もかろく踊り狂ひ踊り抜いた。観客の中から降る如く感嘆の声が放たれた。写真は花月園にてパヴロワ夫人(中央洋装)

なお、同じ十月号の「大正写真日誌」には、次の記載がある。

 「九月四日 アンナパヴロワ来朝 舞踏の大家アンナパヴロワ夫人帝劇に出演の為来朝右より原信子パ夫人及片山安子氏」とその小さな写真、「九月十二日 菊氏のパ夫人招待 俳優尾上菊五郎氏は帝劇出演中のパヴロワ夫人を芝の同氏宅に招待し茶の湯を催した

      

〔上左から1枚目の写真〕

 :大正十一年の『教育資料 写真通信』 十一月号 第百五号 大正通信社 に掲載されたもので、下の説明がある。

 世界的の舞踊名手によって演ぜられた道成寺

     パヴロワ夫人門下の日本舞踊研究

 九月四日横浜着来し十日から帝劇に出演して「瀕死の白鳥」や「ドラゴン、フライ」等に満場の観客を魅了しつゝある世界的舞踊の名手アンナ、パヴロワ夫人一行は来着早々茶の湯他日本趣味に憧憬種々探索して居たが、夫人門下の花形四名は今度松本幸四郎の指導で日本舞踊「道成寺」研究を始めた。写真は其れ尚笠を蒙 かぶ れる日本舞踊の天才スチワード

 The Dojoji Dance.

 The Japanese Dancing performed by Foreign Dancers.

〔上左から2枚目の写真〕

 :同じ十月号の「大正写真日誌」にあり、次の説明がある。

 九月廿九日 パ夫人歓迎舞踊
 日本女流舞踊の第一人者藤間静江氏(右)主催の藤蔭会はパ夫人(中央)歓迎舞踊会開催

〔上左から3枚目の写真〕

 :同じ十月号の「大正写真日誌」にあり、次の説明がある。

 十月六日 パ夫人大阪入り
 東都舞踊会に多大な刺戟を與へたパ夫人大阪に着名物の文楽招待され人形芝居見物

〔上左から4枚目の写真〕

 :当時の新聞の記事切り抜きのもので、次の説明がある。

 パヴロワ夫人ーと握手する道成寺姿の藤間靜枝

 

パブロワ夫人の日本舞踊

   御師匠さんは花圃女史

 過日來京都南座に出演していたパヴロワ夫人が京都の都ホテルに滞在中同ホテルの一室で頻りに日本舞踊の練習を受けてゐた、教ふる人は三宅博士夫人花圃 くわほ 女史の令妹池村あか子女史で同女史は東京からズツとパ夫人に附添うてゐるパ夫人は既に「三ツ面子守」を習ひ覺えて其の衣裳を三越に注文し夫 それ も既に出來上り、尚ほ鬘 かつら をも注文し、本衣裳附で鬘を用ひ笹に結んだ三つ面の小道具と愛らしい市松の京人形とを抱いて振好く舞ひ喜んでゐる、池村女史は語る

 『私は舞踊の師匠をしてゐるといふ譯ではありません、又何流とか何風とか云ふ舞踊振ではなく眞に私の獨習であります。元來私は舞踊が好きです、獨り舞踊ばかりではありません、この種のものは何でも好きなのです、だから振付もする節付もする、又自分で唄も作ります、パ夫人には帝劇に出演の時から賴まれて先づ日本舞踊の説明から始めました、而して一つ二つ教へ始めましたがアノ方の得意のダンスは迚も日本人の眞似し得られぬ程の輕妙さで流石に世界一と稱へられて居られますが日本の舞踊に就ては迚も左様は行きません教へるのからして中々大變です、併し「三つ面子守」だけは一寸型がついた樣で更に「後舞」といふのを教へる事になりました、衣裳は京都の井上大丸に注文し鬘は南座の鬘師に注文しました尚ほ一つ二つ日本に滞在中教へる事になつて居ます』

=寫眞説明=兎に角及第したパ夫人の「三つ面子守」

 上の写真と説明は、当時の新聞の記事切り抜きのものである。


「アンナ・パヴロアの舞踊を見て」 寺川信 (1922.10)

2020年07月05日 | バレエ 1 アンナ・パヴロワ 
 

 アンナ・パヴロアの舞踊を見て
             寺川信

堀兄
 〔前略〕最後には久しく待あぐんだ、アンナ・パヴロアの舞踊を觀るのが目的なのでした。
堀兄
 十四日夜は第二回目の曲目が變る日なのでしたから、慌しい間に、ボックスの一つを買ふことに致しました。
 來る來ると随分永い間待たされてゐた、アンナ・パヴロア、何と云つても世界第一流の舞踊家の神技を目のあたりに見ることが出來る、といふことは少年の日の戀のやうな思を湧かせました。
 蜻蛉の如な姿に高く伸ばした右手に長い羽をからみつかせ、左手を斜め後にしなやかに伸ばせ、右手に爪先立つて左手を浮かせて、莞爾やかに笑む優雅な舞姿ーそれは恐らく君も英吉利か亞米利加か或は佛蘭西の雑誌で見たことがあるでせう。あの「ドラゴンフライ」のソロダンスが今宵の舞踊小品 ヂヴヨルテイシユアン の一つに書き記されたゐるのでして、其他にポリニインの「弓の踊」も私の久しい前から幾度となく物の本によつて憧憬れさゝれてゐるものなのでした。
 帝劇は晝間は女優劇があつて夜八時からが、パヴロア夫人の舞踊が開演されることになつてゐました。帝劇のガレリイでは、斯うした催ものゝ時は何日のことですか、「ヤア」「ヤア」と久濶を舒する、知つた顔に幾人出會つたか知れませなんだ。初秋の夜風を冷やかに受けながら、露臺に立つて、眼下の車寄せに、ひつきりなしに馳せ着ける自動車や其内から、花瓣の溢れるやうに現れる人々を想ひ描きながら、親しい友人と放談すると、昨日迄の幾年間ずうつと在京生活をつゞけてゐたやうな気持にもなるのでした、舞踊劇「コツペリア」といふに最初のカーテンは掲げられました。パアクスト・ブノア・ピカソあたりの背景 デザイン や扮装だけでも獨立した藝術と云ひ得るダイアギリウ團の純正パレー・ルスとは思はない迄も、最少し纏りのあるものと歎かれました、無論これにはパヴロアは出場せなかつたですが、舞踊手にはさすがこの一派所屬の人々だけに技巧の冴へは見せてゐますが、バレーそのものが物足りなさ極りないものなのでした。
 伴奏のオーケストラの貧弱なことはモスコートリオとは聞てゐても日本人が大部分で可成に酷いものでした。
 次にはチヤイコフスキー曲の「六つの花」(スノーフレークス)が開きました、脚光は全然使はずに照明燈を舞臺端に置きならべ、ライムを斜左右上方から浴せて、淡靑の照明に包み、大森林のノヱールの夜を偲ばせました、十六人ばかりの男女の雪の精の舞踊がガヴツトの急調になると、光さし來るか如にパヴロアとポリニイが舞つて出るのでした。
 パヴロアの爪先 トオ の美しさ!
 大方の舞踊家はトオで立つ場合、重い感じを與へ、運動に美觀といふよりも、不具感を觀衆に起させるのが常でありますが、彼女の場合は、いかにも輕く、羽毛のやうに、雛芥子の花のやうにも、宙に浮ぶかと見られるのです、ピロヱツトも美しいものです。
 この「六つの花」も舞踊劇としては飽足りないものゝ一つですが、パヴロアの爪先 トオ だけ見てゐれば何等云ふことを忘れささゝれます。
 その次は當夜の眼目として、そればかりに、プロレタリアの私共には身分不相應に近い高價な入場料を拂つて來たといつていゝものなのですから、オペラグラスレンズを幾度か拭ひなほして、重い帷の上るのを待ちつゞけてゐるのでした。
 黑布の背景は先づ気に入りました、最初には六人で、何とかいふ「希臘舞踊」が演ぜられました、希臘の古甕の繪やバアレクーフの舞姫達が、此處に現出せるかと愕かされ、魅了されました、「バラゴンフライ」はパヴロア夫人の一人踊りで彼女の技巧的方面の局限の美を示してゐるものと申せば、後は云はないでもいゝでせう、ヴオリニインの「弓と矢」も彼のソロ・ダンスで男性美を肉の躍動、生の昂揚を迫るやうに味せてくれるものでした。其後は「パストラル」や「アイドール」「田園小品」など、一座の人々の小さく美しい舞踊がありましたが、次の二つを見れば今夜の見物は十分としなければならないと思はれました。
 「瀕死の白鳥」や「酒神祭」が前回に出されてしまつてゐたことは、どんなに惜しかつたか知れません、これは大阪へか名古屋へか改めて見物に參るつもりでゐます。
堀兄
 パヴロアの舞踊に就いては「瀕死の白鳥」以外は藝術の域に入らない技巧の妙と冴へに過ぎないと見る説や、十年前或は二十年前に外遊されて巴里倫敦で彼女の演技を見られた人々は、神に入る彼女のトオにも衰へが見へて來たと云はれてゐます、「バッカナル」の踊りは見物席に飛込まんずの勢があつたものだが、今度はそれ程にもなかつたと惜まれもしてゐます。
 其の何れもは事實でありませう。だが今日初めて見る私共には、從來久しく讀んだり聞く以外には觀へなかつた、兎も角世界の舞臺に花と匂ふ舞踊家の實技を見ては、驚異に値せないとは申されません。私はスミルノワの舞踊、ヱリアナ・パヴロアの其れ、嘗て此の國を訪ふた舞踊家の舞踊は遁がさず見てゐますが、無論比較にも秤量にもなりません、また吾國人の手で見せられたダンストオのそれは考へて見るだけでも滑稽に感じさゝれます。パヴロアアーテイストでなくてアーテイザンであつてもいゝ、せめて彼女に比較し得るだけの舞踊家の一人でも持ちたいものと思ひました。
 パヴロアは日本舞踊の「道成寺」の末段を福助に就いて習つてゐるさうですし、其の弟子達も幸四郎に手を執つてもらつてゐると聞き、またその稽古の寫眞を見て、一度彼女とその門下達の意見を叩きたいものと思つてゐたのに其機會を失してしまつたのは殘念でした、殊に三島章道子邸のパヴロア觀迎會には案内までされてゐながら時間をとりまちがつた爲に「それは殘念でしたね」を繰返して遠來を犒はるゝ、三島氏の挨拶を受けて、殘念とも何とも云ひやうのない程でした、辭する時に「帝劇の稽古場でお會ひになつたらいゝでせう」と紹介状迄書いてもらつたのに其翌日は書肆天偷社で午前の時間を消して有効使用に出來なかつたことは最近の取返しのつかない、口惜さを感じさゝれました。

 上の文は、大正十一年十月一日発行の雑誌 『歌劇』 歌劇発行所(宝塚) 第參拾壹號 に掲載されたものである。

『アンナ・パヴロワ』 (関西公演)(1922.10)

2020年07月03日 | バレエ 1 アンナ・パヴロワ 

   

 アンナ パヴロワ
 
  パヴロワ夫人について
        ホノルヽにて 三浦環 しるす

〔口絵写真〕

       

 ・瀕死の白鳥 
 ・六つの花 
 ・妖精 〔上の写真:左から1枚目〕
 ・アンナ・パヴロワ 〔同 2枚目〕
 ・ヒルダ・バストウ 〔同 3枚目:『サンデー毎日』第一年第廿四号の表紙のもの〕 
 ・六つの花 
 ・蜻蛉
 ・新築の帝国ホテルにて 花が花につゝまれて 〔同 4枚目〕
  
目次

 ・序文

 今の世界に、たつたひとつ咲き出た花、それは人間のもつ「美しさ」の最高を表現するアンナ、パヴロワ夫人のことです。おゝ、われわれは今日が日まで彼女の來れるをどれほど待ちわび待ちこがれてゐたことであらう。
 「舞踊の女王 レエヌ、ド、ラ、ダンス」とフランスの人々が捧げる讃仰の言葉はやがて同じくわれゝがとなふる言葉となるでありますせう、洵 まこと や、彼女の舞踊は、ことにそのトウダンスは彼女にして、はじめて完成されたものなのです。
 舞踊會は開らかれた。美しい、びろうどのやうな夢は、彼女の踊である。それがいつまでもゝ覺めぬ記念のために‥‥‥。

 ・アンナ・パヴロワ夫人招聘に就て 松竹合名社 白井松次郎

 上演曲目解説
 
  ▲パヴロワ夫人露國舞踊劇 一座 〔技芸員 音楽指揮 等の人名表〕

  舞踊小品目録    

  パヴロワ夫人獨演舞踊

    瀕死の白鳥           ‥‥‥ サンサン     作曲
    ゼ、ドラゴン、フライ(蜻蛉)  ‥‥‥ クライスラー   作曲
    カルホルニヤの罌栗       ‥‥‥ チヤイコウスキー 作曲
    夜               ‥‥‥ ルービンスタイン 作曲
    ロンド             ‥‥‥ ベトーヴェン、クライスラー 作曲
    萎み行く薔薇          ‥‥‥ チヤイコウスキー 作曲
    舞踏              ‥‥‥ クライスラー   作曲

  パヴロワ女史 ヴオリニン氏 二人舞踊 

    悲調なるウオルツ        ‥‥‥ シベリウス    作曲
    ガヴオツト、パヴロワ      ‥‥‥ リンケ      作曲
    バツキヤナル          ‥‥‥ グラヅノフ    作曲
    ウオルツ、カプリス       ‥‥‥ ルービンスタイン 作曲
    クリスマス           ‥‥‥ チヤイコウスキー 作曲
    二人舞踊            ‥‥‥ 同上
    時の経過            ‥‥‥ ポンキエリ    作曲

  ヴオリニン獨演舞踊

    ピエロツト           ‥‥‥ ドウボルシヤツク 作曲
    シムバルの舞踊         ‥‥‥ グウノー     作曲
    弓と矢             ‥‥‥ チヤイコウスキー 作曲

  座員の舞踊

    勾牙利のラプソヂー       ‥‥‥ リスト      作曲
    マヅルカ            ‥‥‥ グリンカ     作曲
    オーベルタス          ‥‥‥ レワンドウスキー 作曲
    希臘舞踊            ‥‥‥ ブラームス    作曲
    ゴパク             ‥‥‥ セロフ      作曲
    幻影              ‥‥‥ ベルリオツ    作曲
    ピヂカトー           ‥‥‥ ドリゴ      作曲
    センチメンタルなウオルツ    ‥‥‥ シユーベルト   作曲
    音樂的な瞬間          ‥‥‥ 同上
    牧踊              ‥‥‥ シユトラウス   作曲
    ツアルダヅ(勾牙利舞踊)    ‥‥‥ グロツスマン   作曲
    三人舞踊            ‥‥‥ シユトラウス   作曲
    アニトラの舞踊         ‥‥‥ グリーク     作曲
    和蘭舞踊            ‥‥‥ 同上
    ミニユエツト          ‥‥‥ パダレウスキー  作曲
    シーン、ダンサント       ‥‥‥ ボツケリーニー  作曲
    アン、スールダン        ‥‥‥ テラム      作曲
    春の聲             ‥‥‥ シユトラウス   作曲
    火の鳥             ‥‥‥ チヤイコウスキー 作曲
    ボヘミヤ舞踊          ‥‥‥ ミンクス     作曲
    藍色のダニユーブ        ‥‥‥ シユトラウス   作曲

 〔役割、梗概等〕 

 舞踊劇 アマリラ   一幕  
 舞踊  シヨピニアナ 一幕
 舞踊劇 コツペリア  一幕
 舞踊劇 六つの花   一幕
 舞踊劇 花の眼覺め  一幕
 舞踊劇 魔笛     一幕
 舞踊劇 秋の木の葉  一幕

     パヴロワ夫人自作
     シヨパン作曲

  役割

  菊花           ‥‥‥  パヴロワ夫人
  若き詩人         ‥‥‥  ヴオリニン氏
  秋風           ‥‥‥  ドモスラウスキー氏
  秋の木の葉        ‥‥‥  スチユアート嬢
                   グリフ井ス嬢
                   バートレツト嬢
                   フリード嬢
                   レーク嬢
                   コールス嬢
                   グラインド嬢
                   ロヂヤス嬢
                   フエドローヴ嬢
                   イグネス嬢

  梗概

 この美しい新作は、最近倫敦 ロンドン でも當りを取つたもので、パヴロワ夫人自作の舞踊劇に、シヨパンの音樂を採り入れたのである。
 この物語の比喩的人物は、霜に殘つた最終の菊の花(これをパヴロワ夫人が勤める)と、美しい園の芝生に吹き渡つて、落葉を空に舞ひ揚 あが らしめ、果して無惨にものその楚々たる菊の花を引ンむしらうとする野分の風とであつて、風は荒々しく臥床 ふしど から花を叩き起しては、またも地面に叩きつけ、散々に責め臠 さいな む。
 すると、詩人が遣つて來て、打ち萎 しほ れてゐる菊の花を見て、哀れを覺え、優しく抓み上けて其引き裂けた花瓣 はなびら を撫で直し、之に接吻をする。其處へ、情けを知らぬ野分が又出て來て、容赦なく詩人の手から菊の花を捥 も ぎ取り、地面に投げつける。
 詩人は花の泉の傍 そば へ連れて行つて、苔 こけ 蒸した其堤 どて の上に徐 そつ と寝かせ、少し許 ばか り離れて讀書を初める。
 風が執拗 しうね くも又花を引つ捉へて、これは秋の木の葉の雲の樣に舞つてゐる中に投げ遣 や る。木の葉は恰も無慈悲な風に加勢するものゝ樣に、投げ遣り、投返し、思ふまゝに弄 もてあそ んで其花瓣を引き裂きます。詩人は之を救ひ出して遣らうとしたのですが、丁度其處へ美しい若い娘が遭ひに来るので。其心は、最早娘の外何物もなく、可憫 かれん な菊の花の事などは直 すぐ に忘れて、二人は樂しげに歩み去る。花は頓 やが て落葉下に葬られるべき運命を以て、沈み行く日光の下に徐々に萎 しな んで行く。
  
 舞踊劇 波蘭土舞踊  一幕
 舞踊  メキシコ民謡 一幕
 舞踊劇 眠れる皇女  一幕
 舞踊劇 魔の池    一幕

     シユーベルト作曲
     クルスチンスキー振付
     バルダス背景装置

  役割

  水精の女王        ‥‥‥  スチアート嬢
  夜            ‥‥‥  ニコロフ氏
  其友達          ‥‥‥  サレウスキー氏
                   オリウエロフ氏
                   ドモスラウスキー氏
                   アルジエラノフ氏
  水の精          ‥‥‥  グリス井ス嬢
                   コールス嬢
                   シエフ井ールド嬢
                   フノード嬢
                   レーク嬢
                   グラインド嬢
                   ロヂヤス嬢
                   ニロルス嬢

  梗概

 古い獨逸の傳説に、若い美しい皇女があつて、之を妻にしやうと申し出 い でる若い男があると、其男には先づ何か目ざましい勇敢な舉動 ふるまひ か、但しは人間の出來ないやうな業 わざ をして見せよと求めた、といふことを傳へ居る。
 この皇女を深くも戀ひ慕へる若い勇士があつて、皇女の仰せなら、何でも爲 し てお目にかけると申し出 い でた。すると、皇女はこの男に、魔の池に秘 かく されてある眞珠の頸飾 くびかざり を取つて來て呉れと命じました。其處で此男は之を捜しに出かける、いろゝな危険を冒し、さまゞな苦難に打ち捷 か つて、とうゝ魔の池の緣 へり に行き着くと、アンダイン(女性の水神)の多勢が出て來て彼を觀迎する、其中の女王が男の美しさと若々しさに心を動かし、且つ其非凡なる勇気に感心して、男に助勢する事を約束し、其家来のアンダインに言ひつけて、名高い眞珠の頸飾を持ち來 きた らせて件 くだん の若い男に贈る。
 これには露國に名のある音樂家アレンヅ氏が、ロマンチツク音樂の王たるシユーベルトの最も美しいロマンス中から取つて、この傳説に當箝 あては め、尤 もつと も藝術的な效果ある管絃樂を作成した。

 舞踊劇 仙女人形   一幕

     バイエル其他作曲
     クリスチン振付
     ドブヂンスキー背景衣裳考案

  役割

 第一場

  店主           ‥‥‥  ザレウスキー氏
  店員           ‥‥‥  ヴジンスキー氏
  英國人          ‥‥‥  ドモスラウスキー氏
  其妻           ‥‥‥  グラインド嬢
  田舎客          ‥‥‥  ピアノウスキー氏
  其妻           ‥‥‥  フリード嬢
   人形
  仙女人形         ‥‥‥  パヴロワ夫人
  赤兒人形         ‥‥‥  ブソオーワ゛嬢
  詩人人形         ‥‥‥  ピアノウスキー氏
  墺太利人形        ‥‥‥  スチユアート嬢
  道化人形         ‥‥‥  アルジエラーフ氏

 第二場(人形の回生)

  西班牙人形        ‥‥‥  グリフ井ス嬢
  陶製人形         ‥‥‥  コールス嬢
                    シエフ井ールド嬢
                    レーク嬢
                    グラインド嬢
  テロル人形        ‥‥‥  スチユアート嬢
  アーキタライト      ‥‥‥  ロヂヤース嬢
  鉛の兵隊         ‥‥‥  アルヂエラノフ氏
  或る國民の形       ‥‥‥  バートレツト嬢
  ベルジエーとベルジエール ‥‥‥  ニコルス嬢
                    ブツオーワ゛嬢
                    ワ゛ジンスキー嬢
  二人舞踏         ‥‥‥  パヴロワ夫人
                    ヴオリニン氏
  幕切のギヤロツプ     ‥‥‥  全員

  梗概

 所が仏蘭西の或町、時は千八百三十年頃である。
 或る人形師の店にあつた傑作の人形が或英國人に買はれて行くことゝ爲 な る。人形の値は非常に高價であつたが、夫 それ にも拘 かゝは らず買手のあつた程に美しい名作であつた。
 其の夜遅く、人形は愈々明日仲間の人形と別れることに爲るので一同と踊らうと思ひ箱から出、魔杖 まぜう を揮 ふ ると、一同に魂が入り、一同は夫々特色ある舞踊を演じ、そこには舞踊のカーニワ゛ルが見られる。 

 世界の一つの花
     - アンナ、パヴロワ夫人のことども -

 花の完全にひらくのは、その種の力による事ながら、又蒔かれた土地の環境によつて、その光彩が違ふ。
 アンナ、パヴロワ夫人は生れながらにして藝術的天稟 てんりん の所有者であつたであらうが、然し彼女が若しも富裕な家庭に育ち且つ成人するまで父をもつてゐたならば、或 あるひ は必ずしも今日の如き舞踊家としての名聲を得られなかつたかも知れない。
 時勢と境遇と天稟。この三要素が凡ての偉人を作る。ゝとは
 若しもパヴロワの舞踊的發心が、世界の舞踊界に於ける革新の夜明けの時期でなかつたならば、ノヴエツル或 あるひ はコリンス以上の舞踊家にはなれなかつたかも知れない。又元より日本などに來て其技を示すなどゝは夢にも思はない事柄であらう。
 詮 つま り彼女が若し貴族少女として生れ落ちて居たならば、當時の如き未だ幼稚なる照明法の劇場電燈や周圍の色彩などにあの樣に胸を轟 とゞろ かせはしなかつたに相違ない。のみならず八歳の時まで劇場を知らず、母の膝を突つゝいて、此處は何をする處などゝ質問はしなかつたであらう、貧しい貧しい母、眞に赤貧な母の手一つに、何等肉身の賴 よ るべも無く育てられた母の慈育に依つて、「神」と「神秘」に對する第一發の尊い信念が釀 かも されてゐた事は爭 あらそ はれない。
 九歳のとき、パヴロワはペトログラードの帝室舞踊學校へ二百何十人といふ入學志願者の中から選抜された八人の首席として入學したのである。それから彼女は、實によく勉強した、そして十七歳の時その學校を卒 を えた。それから三年にして彼女は皇帝の命令で帝室付き舞踊團の踊手にさせられた。これほど早い抜擢は極くゝ稀な場合とのことである。
 それからパリー、ヴイエンヌ、ベルラン、ミラノをめぐつて、各地のダンスを研究したが、遂にロシヤの舞踊 バレエ には及ばないとの自信を得たので、こんどは皇帝に願つて、一座を組織して各國へ自國の優れたバレエを示さうといふので千九百十年以来、世界へ、ロシヤ藝術の宣傳をする意味をもつて出發したのであつた。
 彼女が第一に出掛けたのは、ストツクホルムである。毎夜の如く彼女の愛好者は熱狂した。
 國王自身も毎夜臨席し、出發の前夜は宮廷へ招いて特別の謁見をした。それから巴里、ロンドン、伯林、到るところで豫想以上の成功であつた。
 エドワード七世王が彼女を推稱し出したのもこの時代からである、アメリカ人が強 し ひて彼女を迎えるために努力したものこの時からである。西班牙王が微行でロンドンの劇場で彼女に自國へ來るやうに慫慂したのもそれからである。
 その間、一度本國へ歸つたパヴロワは、首都で演じてゐる一夜、皇帝はわざゝ自席へ彼女を招いて多くの讃辭を與へ、特にロシヤ藝術のために彼女が世界に於いてなした宣傳のために深く謝した。
 アンナ、パヴロワ夫人が歐米にて上演する作品は、すべて謂ふところのロシヤバレーに出發して「彼女のみの舞踊」であるのだ。
 イサドラ、ダンカンの舞踊が「魂の言葉」といふに對して、パヴロワのそれは「胸の言葉」の表現と云ふ。だけ、それだけ人間的な舞踊手であるのだ。
 私は前に環境が偉人を作るといつた。パヴロワの此場合に於いても八歳の頃から既に立派なる此「愛らしきいばら」(お伽劇にして音樂は凡てチヤイコウスキーが作曲したもの)と音樂を聞き得る環境を有してゐた。一口に云へば露西亜の大樂人チヤイコウスキーがパヴロワの精靈を目醒ましたといつてもいゝ譯である。
 その意味に於いてに日本などはいくらいゝ時代が到來しても、天才が芽ぐまれても、よき環境を有せぬために空しく枯れて了 しま ふ藝術家が幾 いくばく あつたか分らないであらう。
 然しながら一面天才はたゞに時勢や環境ばかりに依つてのみは成功されない。此處に大なる勤勉と努力の關一つがある。パヴロワも眞によき努力と勤勉の婦人であつた。室内を歩む一瞬間の間にも、何かを攫 つか まなければ止 や まない程の考察を遂げた。注意深くものを見たそして考へた。
 或時、パヴロワがその女中に、「お前は何處まで、私と一緒に旅興行のつらい旅をしやうとお云ひだ」と聞くと女中は「生活の苦惱を一ト時でも忘れて居られる樣に先生が踊つて見せて下さいますから‥‥‥どこまでゞも」と答へた。
 パヴロワは此女中の答へ、無教育な露西亜の答へからでも、生涯忘るゝ事の出來ない藝術上の金言を見出したといふ。
 世界に咲きでた、たつた一つの美しい花とうたはれ「天下無双」「舞踊の女王 レエヌ・ド・ラ・ダンス 」「見えざる翼 つばさ の人」といつた讃辭も彼女にとつてすでに久しいものである。
 そのうらにはこれだけの苦心がひそんでゐたのだ。
 それを忘れてはならない。それを忘れてはならない。

 

 關西公演日 〔※は、下の半券の記載による追加〕

   地   時              處
   
   名古屋 十月四日(水) 五日(木)                   末廣座  
   大阪  同 六日(金) 七日(土) 八日(日) 九日(月) 十日(火) 角座
   京都  同十八日(水) 十九日(木) ※二十日 ※二十一日       南座 
   岡山  同廿一日(土) 廿二日(日)                  岡山劇場
   廣島  同廿三日(月) 廿四日(火)                  壽座
   門司  同廿八日(土) 廿九日(日)                  凱旋座
   福岡  同廿六日(木) 廿七日(金)                  大博劇場

       毎夕七時三十分開演  

後記

 本誌定價
    一部 金参拾錢
 大正拾壹年九月廿八日發行 
 編輯兼發行人 千葉吉造 
 發賣所 松竹合名社



 大舞踊觀覧券
     アンナ・パヴロワ夫人
   學生券 金貮圓
        御一名
  十月十八・十九・二十・二十一日毎夕七時開演
     京都 南座 四條

 〔下は、「瀕死の白鳥を演ずるパヴロワ」:『京都音楽史』より〕

 


『ANNA PAVLOWA 上演舞踊劇 梗概 』 帝国劇場 (1922.9)

2020年07月02日 | バレエ 1 アンナ・パヴロワ 

   

 ANNA PAVLOWA 
 上演舞踊劇 梗概

  大正十一年九月十日より二十九日まで
      毎夜八時開演

      丸の内
    帝國劇場

 パヴロワ夫人について

 全世界に於ける唯一最大の舞踊のスターでありますアンナ・パウロワ夫人の東洋行は本當にワンダフルで御座います。パウロワ夫人は私の最も親しい友達、と申し上げますより寧ろ畏友として尊敬してゐる方なのです。どうぞ母國の皆さま、此の比類なき名手の藝術をお見逃しにならぬやう環は心よりお願ひ申上ます。さて私は、當ハワイのコンサートを了へてアメリカの各地を廻り、ベノスアイレス及びレオデヂヤネーロへ参ります、其後のことはアーテストの悲しさ一寸見當もつき兼ねますが、一日も早く蝶々の羽をなつかしい日本の土地で休ませて戴きたくて希て居りまする。しかし、私そのものであります鷲印レコードも御座いますことですから、帰りまするまで私吹込みの鷲印レコードを可愛がつて下さいませ。
  終りに、パウロワ舞踊会の成功と、日本の皆様の健康を祈ります。

     一九二二年八月十五日 ホノルヽにて 三浦環
                         しるす

 □注意 三浦環女史吹込の三十三間堂(柳)はアメリカからも最近註文が殺到してまゐりました。

〔口絵写真〕

 ・Snowflakes      六つの花
 ・Alexandre Volinine  アレキサンダア・ヴオリイニン氏 〔上の写真:左から2枚目〕
 ・Dying Swan     瀕死の白鳥 〔同 3枚目〕    
 ・Bacchanal      醼樂の人
 ・La Peri        仙女
 ・The Dragon Fly    蜻蛉 
 ・Snowflakes     六つの花
 ・Fauns        牧神
 ・A Mexican Dance   墨國舞踊、A Greek Dance 希臘舞踊
 ・Snowflakes     六つの花 〔三葉〕
 ・The Dragon Fly    蜻蛉、A Little Russian Dance 露國民謡、Californian Poppy カルフオルニアの罌粟
 ・Orpheus & others  オルフオイス其他

 ▲パヴロワ夫人露國舞踊劇 一座 〔技芸員 音楽指揮 等の人名表〕

  舞踊小品目録    

  パヴロワ夫人獨演舞踊

    瀕死の白鳥           ‥‥‥ サンサン     作曲
    ゼ、ドラゴン、フライ(蜻蛉)  ‥‥‥ クライスラー   作曲
    カルホルニヤの罌栗       ‥‥‥ チヤイコウスキー 作曲
    夜               ‥‥‥ ルービンスタイン 作曲
    ロンド             ‥‥‥ ベトーヴェン、クライスラー 作曲
    萎み行く薔薇          ‥‥‥ チヤイコウスキー 作曲
    舞踏              ‥‥‥ クライスラー   作曲

  パヴロワ女史 ヴオリニン氏 二人舞踊 

    悲調なるウオルツ        ‥‥‥ シベリウス    作曲
    ガヴオツト、パヴロワ      ‥‥‥ リンケ      作曲
    バツキヤナル          ‥‥‥ グラヅノフ    作曲
    ウオルツ、カプリス       ‥‥‥ ルービンスタイン 作曲
    クリスマス           ‥‥‥ チヤイコウスキー 作曲
    二人舞踊            ‥‥‥ 同上
    時の経過            ‥‥‥ ポンキエリ    作曲

  ヴオリニン獨演舞踊

    ピエロツト           ‥‥‥ ドウボルシヤツク 作曲
    シムバルの舞踊         ‥‥‥ グウノー     作曲
    弓と矢             ‥‥‥ チヤイコウスキー 作曲

  座員の舞踊

    勾牙利のラプソヂー       ‥‥‥ リスト      作曲
    マヅルカ            ‥‥‥ グリンカ     作曲
    オーベルタス          ‥‥‥ レワンドウスキー 作曲
    希臘舞踊            ‥‥‥ ブラームス    作曲
    ゴパク             ‥‥‥ セロフ      作曲
    幻影              ‥‥‥ ベルリオツ    作曲
    ピヂカトー           ‥‥‥ ドリゴ      作曲
    センチメンタルなウオルツ    ‥‥‥ シユーベルト   作曲
    音樂的な瞬間          ‥‥‥ 同上
    牧踊              ‥‥‥ シユトラウス   作曲
    ツアルダヅ(勾牙利舞踊)    ‥‥‥ グロツスマン   作曲
    三人舞踊            ‥‥‥ シユトラウス   作曲
    アニトラの舞踊         ‥‥‥ グリーク     作曲
    和蘭舞踊            ‥‥‥ 同上
    ミニユエツト          ‥‥‥ パダレウスキー  作曲
    シーン、ダンサント       ‥‥‥ ボツケリーニー  作曲
    アン、スールダン        ‥‥‥ テラム      作曲
    春の聲             ‥‥‥ シユトラウス   作曲
    火の鳥             ‥‥‥ チヤイコウスキー 作曲
    ボヘミヤ舞踊          ‥‥‥ ミンクス     作曲
    藍色のダニユーブ        ‥‥‥ シユトラウス   作曲

 〔役割、梗概等〕

  

 上の写真は、当時発行の「時事絵葉書」のもので、下の説明がある。舞踊劇「アマリラ」の扮装と思われる。

   九月十日來朝の露國舞踊家アンナパブロワ嬢は帝劇に於て初公演をなし大喝采を博した(中央)パ嬢   (No.12) 

 舞踊劇 アマリラ   一幕

        グラヅノフ、ドリゴ  作曲
        イワ゛ン、クルスチン 振附
        ヂョルヂ、バルビエ  背景、衣裳考案
        マリー、ミユール   衣裳製作

    役割

  伯爵           ‥‥‥ ワ゛ジンスキー氏
  伯爵夫人         ‥‥‥ プツオーヴ嬢
  アマリラ(ジプシーの娘) ‥‥‥ パヴロワ夫人
  其兄           ‥‥‥ アレキサンダー、ヴオリニン氏
  ジプシーの長       ‥‥‥ ザレウスキー氏
  貴族夫人         ‥‥‥ スチユアート嬢
                  コールス嬢
                  シエフヰールド嬢
                  フリード嬢
                  レーグ嬢
                  ダラインド嬢
  貴族           ‥‥‥ ピアノウスキー氏
                  オリヱ゛ロフ氏
                  ドモスラウスキー氏
                  ニコロフ氏
                  アルゲラノフ氏
  ジプシーの娘       ‥‥‥ グリフヰス嬢
                  パートレツト嬢
                  ロヂヤース嬢
                  ニコルス嬢

    梗概

 パヴロワ女史が尤 もつと も愛好する舞踊劇で、夙 つと に米國で上演したものである。音樂はドリゴ、ダルゴミスキー、グラヅノフの合作で、此三氏は何れも有名な作曲家で、其音樂は專門的に高級なばかりでなく、其樣式が、批評的な音樂家は勿論、、普通好樂家にも等しく喜ばれて居ります。
 眞の戀と僞の戀とを綴り合せた誠に可憫 かれん な舞踊劇で、ある伯爵が農夫に身を扮 やつ して、ジプシーの娘のアマリラの愛を求めて、其心を動 うごか し、其儘 そのまゝ どこかへ姿を隠して了 しま ふ。
 幕が開くと、右の伯爵と今度結婚しやうといふ伯爵夫人家の後庭園遊會の體 てい で、ジプシー少女の一團が餘興に雇はれ、踊り乍ら入つて來る、アマリラは其中の女王で、彼女は自分を棄てた當の男が其處に居るとは気附かなかつたが、骨牌 かるた で伯爵夫人と其情人 をとこ との運命を判じる時に成つて、初めてそれと悟るやうになる。
 アマリラがそれと知つた時、又伯爵が最早や知らぬ他人だと思へといふ振 ふり をして見せる時の光景は、悲痛を極める、彼女の心は張り裂けるやうで、曾てはその腕に抱 いだ かれたことのある男の花嫁を喜 よろこ ばす爲に、自分は雇はれて踊を踊らなければ成らぬのであるが、強気 けなげ にも心の苦しさをヂツト耐 こら へる、伯爵と伯爵夫人とは、そんな事を心にもかけず、他のジプシーの踊るのを面白さうに眺めて居る。
 遂にアマリラも踊り初める、無情な男の再び自分に還ることもあらうかと、かすかな望を繋 つな いで居る其感情は甚しく昂奮し、何うかして男を取り戻さうと、最後の決死的な努力と、半ば恐しい捨鉢とを以て踊り廻る、けれども伯爵の心は石のやうで、その肚の中では、伯爵夫人の壮麗な邸宅と、宏大な地所とが、頓 やが て自分の物になるといふ事を、慾張つた頭脳 あたま で描いてゐるばかりである。
 足取をきめて、如何にも勿體振つた風で、伯爵は伯爵夫人を腕に縋 すが らせ、庭園から出て行くと、アマリラの仲間達も、亦貰つた黄金 こがね をチヤラゝ云はせて、踊りながら其處を立ち去る、アマリラはひとり後に殘つて、ぼんやりと立つて居る。果して男は歸つて來るであらうか?少くともその言ひ分けに、切 せ めて哀れみの一と言は懸けに來るであらう、又それを吝 をし む程、無情であらう筈がないと思つ斯 か くするうちに男が歸つて來た、女は嬉しさに跳び立つて、手を擴げて駈け寄ると、男は冷 ひやゝ かに金の財布を差出すばかりである。茲に至つて、アマリラは初めて、男が自分を土塊 つちくれ とも思つては居らぬ事を覺 さと り、男の徐 しづか に歩み去つた後、庭の腰掛けの上へ踉蹌 よろめ き倒れ、此世の樂しみが永久に去つた人の如くに、気を失つて倒れて了 しま ふ。
 アマリラの事は、昔のジプシー民謡に據つて作したものである。
 
 舞踊  シヨピニアナ 一幕
 舞踊劇 コツペリア  一幕

        デリベ 作曲

    役割

  スワルニダ        ‥‥‥ ブッオーワ゛嬢
  フランツ         ‥‥‥ ピアノウスキー氏
  コツペリアス       ‥‥‥ ザレウスキー氏
  スワルニダの友達     ‥‥‥ グリフヰス嬢
                  バートレツト嬢
                  ロヂヤース嬢
                  イグネス嬢
  マヅルカ舞踏       ‥‥‥ 座員
  匈牙利民踊
  シームス、スレーヴス   ‥‥‥ ブッオーワ゛嬢
                  ピアノウスキー氏
                  スワルニダの友達
  幕間のギヤロツプ     ‥‥‥ ブッオーワ゛嬢
                   外 座員
     音樂指揮      ‥‥‥ セオドール、スタイアー氏

    梗概 

 ガリシアの國境のある美しい町に、機械人形を造つて居るコツペリアスと云ふ老人が住んで居た、世間からは彼の娘と思はれて居たコツペリアは實は精巧を極めた人形で、非常に嚴重に閉ぢ込めてあるので、その見分けがつかず隣人の好奇心は、ひどくそゝられた。毎朝コツペリアの姿は同じ態度で、同じ窓際に現はれ、而 そ して又見えなくなる、然し決して此不思議な住居 すまゐ の外へは出ぬ、何人も其聲を聞いた事がない、其美しさは多くの若い人の心を引き付け、一人ならず、二人三人もが、家 うち へ入らうとしたが、戸や格子がいつも嚴重に鎖 とざ されて居て、到底入る事が出來なかつた。
 つい近所に住むスワニルダと云ふ奇麗が娘は、自分の許嫁 いひなづけ であるフランツが、コツペリアの容色に對して、満更でもないやうに見えるのは、確かに気のある事に相違ないと考へ、疑ひ深くも窓の無言の姿を眺めては、其注意を引かうとしたが、それは無用な事で、コツペリアの眼はいつもの通り、頁 ページ を返さずに、持つて居る本を瞶 みつ めて居るばかりである、そこへ又他の窓の處へコツペリアス老人が出て來たので、スワルニダは急いで隠れて了 しま つた、而してその隠れたところから、フランツが家に近寄つて、コツペリアに挨拶すると、コツペリアは窓に現はれ、返禮するのを見た、コツペリアス老人は面白半分にフランツの此態度を眺めたが、スワルニダは大いに腹を立てゝ、若い戀人同志は喧嘩を始め、スワルニダは最早フランツを愛さなくなる。
 間もなく、ところ領主が此町へ鐘を寄進するについて其 その お祭が行はれ、町長はスハルニダに、此際殿様は數組の人々に對し、結婚を許し、同時に嫁入金をも下さる思召である事を話し、フランツと二人して早く、その旨を願ひ出たが宜しからうと言つて呉れる、然しスワルニダはさも忌々 いまゝ しげに、戀人の薄情を現はすやうな昔話をして、フランツに當て付けるので、フランツは怒つて其場を立去り、スワルニダは日が暮れるまで踊つてやらうとあとへ殘る。さて、騒ぎ家連中に別れを告げて立ち去らうとする時、圖 はか らずもコツペリアスが落として行つた鍵を見付け、これ幸ひと娘達を連れ、室内に入つて見ると、今迄娘だとばかり思つて居た、コツペリアが人形であるのを發見して吃驚 びつくり する。

 舞踊劇 六つの花   一幕
 舞踊劇 花の眼覺め  一幕
 舞踊劇 魔笛     一幕
 舞踊劇 秋の木の葉  一幕
 舞踊劇 波蘭土舞踊  一幕
 舞踊  メキシコ民謡 一幕
 舞踊劇 眠れる皇女  一幕
 舞踊劇 魔の池    一幕

 〔英文の梗概等〕

 大正十一年九月十日發行 (定價五拾銭)

  

 上の写真は、当時発行された時事絵葉書のもので,下の説明がある。

  九月来朝帝劇に開演すべき世界的名舞踊家アンナ、パブロバー嬢の素顔と有名なる十八番ペーテロの扮装 (No.9)


『アンナ・パヴロワ』 (山田耕作、齋藤佳三)(1922.10)

2020年02月11日 | バレエ 1 アンナ・パヴロワ 



アンナ・パヴロワ

 〔口絵〕

 
  Dying,Swan  瀕死の白鳥

       

  ・アンナ・パヴロワ夫人 〔上左から:1枚目の写真〕
  ・Lo Peri 仙女 〔同:2枚目の写真〕 
  ・Orpheus オルフォイス 〔同:3枚目の写真〕 
  ・The Dragon Fly 蜻蛉 〔同:4枚目の写真〕  

 〔本文〕

  ・唯一の美しい花 
      それがアンナ・パヴロワ夫人の舞踊なのです  
                            山田耕作

 私がパヴロワを最初に見たのは独逸に留学中の事で、恰度パヴロワが世間に謂ふ所の露西亜舞踊から独立して、自分の一座を引き率れて巡業に廻った最初の時であった。 
 当時欧洲に蜂起してゐたいろいろの舞踊団のそれ等を一切超越して、パヴロワ夫人の一団は毎興行素晴らしい好評をうけてゐた。
 パヴロワの技術、殊にその足の技術(トゥ・ダンス)は超人間的なむしろ妖精的と云った方がいヽほどのものであって、決して普通の模倣 イミテート でない、たとへばお伽話の国の踊りと云ったやうな夢幻的なものである。
 繊細な、きやしやすぎる彼女の姿 ポーズ と技術は、大きな舞踊団中の一人としてよりも「瀕死の白鳥」のやうな、いみじいものがいヽ。
 パヴロワの叙情的といふ事は詩的といふ意味とは少し違ってゐるが、非常に魅惑的である。
 イサドラ、ダンカンが舞踊をして「魂の言葉」の表現といふに対してアンナ・パヴロワは「胸の言葉」を現はさうとしてゐるのであらう。それだけにパヴロワは恰も美しい花のやうに理窟ぬきの美を非常に練磨された、その技巧の流れに漂はせて何人をも魅了し去らずには措かぬ妖精の化身である。私自身凭うしてパヴロワの事を各方面から考へて見ると、かうした事が考へられるのであるけれども、実際パヴロワの演技の前に座ってゐる間は恐らく私は一語も発せずして、たゞ夢心地の快感を貪ってゐるに違ひない。たしかにパヴロワはパヴロワの前にも亦後にも比べる事の出来ない程、技術の奥の奥を究めた「舞踊の女王 レエヌ、ド、ラ、ダンス 」であるのだ。
 パヴロワを見られる人々に私の感じたことから御注意申したいのは、パヴロワからロシアン、バレーの真相を掴みたいと望まれるよりも、唯一の美しく咲き出た花として愛玩すればそれでいヽのである。
 夢心地にまで引き入れるパヴロワの舞踊の境地は絶対のものなのであるから。(談)
 
  ・時間的の彫刻  
      真のルネサンスであり「浮世絵」の舞踊
                            齋藤佳三

 舞踊を論ずる者にとって其観賞が日本では決して自由な機会を與へられて居ない。今度のパヴロワの来朝は此意味に於いて日本人には絶好の機会でなければならぬ、最近西洋音楽の観賞力はかねて文部省の方針として音楽の教養を普通教育に布いた處に根を持って、その発達が逐次西洋音楽の最高な精神に副はんとする傾向の生じだ事は、当然な訳であるがその観賞に最も多く貢献したものは蓄音器である。それから大戦中の経済的膨張が世界的一流の楽人を招き得たとは云ひながら、実は文部省の音楽的教育に対してその根底を西洋音楽に基いた事と蓄音器の貢献が其一流音楽者を招き得る観賞力を植付けた為であると云っても宜い。舞踊に関しては例令一流の舞踊家の伝記があり写真があり絵画があるとしても、蓄音器同様に之を紹介すべき筈の活動写真が一般的でもなく手軽でもない、(吾々の能く活動写真を見て居る間に舞踊の場合を見る事があるが、いつも余りに短尺な為めに遺憾であると思って居る)又一流舞踊家の活動写真としては殆ど皆無と云っても宜い位に僅少である。為めに本邦の舞踊愛好家にとっては研究並に観賞が甚だ不便な訳である。
 夫と、よし活動写真に現はれて蓄音器の如き生産があるにしても舞踊にはその内容を物語る音楽が時間的に非常に厳格でなければならぬ。故にキネトフォンが尚一層の進歩を来たさなければ完全なる舞踊紹介の役には立たないものである。斯くの如き考慮をめぐらして迄舞踊の観賞を心配しなければならない状況に置かれてある日本にとって今囘パヴロワの出演は全く稀有といはなければならぬ。
 私がパヴロワの芸術に接したのは一千九百十三年の正月で伯林のノイエス・オペラ劇場(俗称クロルオペラ)である、彼女の得意なる『瀕死の白鳥』もその時に見た訳であるが今日迄その夜の印象として頭を去らぬのはヴアライチーのヴォルユーションである。短い小唄のテーマーがあの様に多驚類のヴォルユーションとして、音楽に現はるヽのも驚異であるが、之れを人体の有する運動のみを以て全然音楽の世界と等しくテーマーはテーマーで演出し、第一のヴォルユーションは第一のヴォルユーションとして演出し第二第三も等しくヴォルユーションの内容を完全に踊り分けるのを見て、パヴロワの踊りは音楽である詩であると思はない訳にはいかなかった。その意味は演奏者がそのヴォルユーションを演奏するのではなく亦朗詠家が詩を吟ずるのではなく、音楽そのもの‥‥詩其ものであるが如き境地を出現させたからである。畢竟パヴロワは音楽を踊るのではなくて音楽そのものを時間的に彫刻化したと見ても宜い。或は音楽家が楽器を以て一つの音楽を演奏して一つの芸術を出現せしめる如く、パヴロワは自己の肉体を演奏して一つの芸術を出現せしめると云っても宜い。以上の印象が今日猶ほ私の記憶に残って居るのである。パヴロワの芸術はゴレックの芸術ではない。亦今日芸術的新境地を開拓したる處の表現派の芸術でもない。其威厳品位に於いては本邦の土佐派でもなければ狩野派でもない。彼女の芸術の生命は真のルネサンスである。真のインプレショニズムである。優艶極まりなくうらぶる心の『浮世絵』に似た芸術である。(談)
 
  ・舞踏の女王 
       尊きまでに白く秀でた象牙彫のやうな彼女の足

 アンナ・パヴロワ夫人が、露西亜を見棄てゝ、いよゝ外国への旅興行に上らうとする時、彼女は自分を見送りにきてくれた多くの人達の中にひときわ老いた某老将軍に対つて、別れの言葉を云つた「では将軍よ左様ならこれからの一番善良なもの全てがあなたのものになることを望みます」。するとその老将軍は銀糸のやうな長髯を撫ぜて「否 いや 、一番善良なものは今この国を去らうとしてゐるではないか、そしてそれは永久にこの国へは戻らないと云つてゐるではないか……」と、悲壮な語調で云つた。
 世に名高い「瀕死の白鳥」は、実に彼女によつて創作された舞踊なのです。原作曲者サンサン氏は自分の作品「スワン」がパヴロワ夫人によつてメトロポリタンのきらびやかな、ひろい舞台に上せられたとき、幕が下りぬ先から廊下の入口に彼女を待つて、彼女が舞台姿のまゝの白い細々しい身に犇 ひし と抱きついたまゝ、感激のあまりしばらくはものが云へず、やがてサンサン氏は泣き出した。そしてかすかに「ありがとう」と一言云つたきりであつたさうです。
 彼女の舞踊ーのそれは、しかし決して理論づくめのものではないのです。夢、たゞ美しい桃色の夢心地にまで彼女の手や足は、われゝを魅惑します。
 天下無双 インコムペラブル の名は、パヴロワ夫人の別名のごとく欧米の舞踊界に喧伝されたのも既に久しいことです。舞踊の女王 レエヌ、ド、ラ、ダンス と云はれてからでも年月はかなり経ました。彼女の王冠は永久に何人も近づき得ないでせう。
 アンナ・パヴロワ夫人の舞踊を一度見たゞけでは、それがあまりに夢幻的である故に、よくはわからず二度、三度と愛賞するにしたがつて、いよゝその技術の天下無双であり、女王であることに肯定し得ると云ひます。
 殊に、そのトーダンスは、おそらくはパヴロワ夫人を最後として再びは欧米の舞踊界からトーダンスの跡は絶えるとまで云はれてゐるだけあつて、実に見事なものです。
 それに、いつたいが露西亜の舞踊家はみなそうですが、なかんづくパヴロワ夫人の舞踊は、静から動へ、動から静へうつるときの型が実際筆紙を超越した美しさを持つてゐます。たとへどんなときでも彫刻的であることを忘れないところに、永年の教養と苦心とが窺はれます。
  
  ・アンナ・パヴロワ夫人招聘に就て
                            松竹合名会社 白井松次郎
 
 去る五月、楽聖エフレム・ヂンバリスト氏を招いてその妙技を御紹介するにあたり、我社は斯うした興行に対する従来の因習的慣例を全然破り、芸術の「社会奉仕」を完全に実現いたしました次第で、幸ひ諸賢の御諒察によって物質的には実に莫大の損失をしましたが、しかしそれを償ふて余りある御感激を與へ得たのでございます。
 さて茲に世界舞踊界の女王とまで讃仰されつヽあるアンナ・パヴロワ夫人を招聘するにあたりましても、我社はことの始めより収支等の計算を全く度外視して、たゞ只管に諸賢につくす微衷あるのみなのですから、今回もヂムバリスト氏の如く、否それよりも多大の御声援を望む次第でございます。
 斯様にして囘一囘文化貢献の実を挙げて行きますれば、従って続々と欧米の諸名家を招聘するに、彼我ともに何等の危険 リスク を感ずるやうなことがなくなるのですから、この遠来の舞踊を御観賞下さる方々に於いてもその御心持で多大の御声援をお希ひ致します。

  

    アンナ・パヴロワ夫人が横浜に上ったとき

 薔薇色に明けた九月四日の海はもうすつかり初秋の気を漲らしてゐました。宮殿のやうなエンプレス・オブ・カナダ号はつきました。
 黒い羽二重の薄絹に蠟のやうな滑かな肌を包んだ清楚な姿をした彼女の、人を魅する瞳には旅のつかれも見えぬ晴々しいものがありました。
 するうち、船がつくともうそれはゝ混雑です。いちばん年若で美しいブース嬢が桃色の目を冴えるやうな姿で片山安子さんと話をしてゐる。するとそのとき破れる様な拍手が起つたのです。それは市川男女藏君が英語でパヴロワ夫人に挨拶をしたのでした。
 花束が山のやうにパヴロワ夫人に渡されてゐます。その贈り主の名前が呼ばれるごとに拍手です。
 朝日は、それらの人々に照りかゞやいて、さも祝福してゐるやうでした。尾上菊五郎君とパヴロワ夫人とが握手をしてゐるところをカメラがいつせいい向けられる。拍手の音とカメラのシャッターを締める音とが競争してゐます。
 今日迄のうちで、パヴロワ夫人ほど花やかな出迎はありませんでした。

   

 ・パヴロワ夫人大舞踊劇団一座
 ・アンナ・パヴロワ夫人大舞踊関西公演日割
                    大正十一年十月 

 アンナ・パヴロワ夫人と御園化粧品

 〔広告〕
 ・御園白粉

 大正十一年九月廿七日印刷 
 大正十一年十月一日発行


「パヴロワの芸術」 『中央美術』 (1922.9)

2012年12月14日 | バレエ 1 アンナ・パヴロワ 

 『中央美術』 パヴロワの芸術 No.84 九月号

        大正十一年九月一日発行 九月号 第八拾四号 第八巻第九号
 
  内表紙画   踊り レオン・バクスト作
  口絵〔彩色〕 露西亜バレー「コツク・ドール」第一部舞台図案 ゴンチヤロフア筆

    

  口絵写真   パヴロワの踊り (ルシヤン・ダンス) 〔上左〕
   同     最近のアンナ・パヴロワ 〔上右〕
   
 ・露西亜舞踊  ―パヴロワ夫人を迎ふ―  …  永田龍雄

        

    写真 ・「ギゼーレル」の舞台面
       ・アンナパヴロワとモルドキンのバツカントダンス 〔上左〕        
       ・ダンスのパヴロワ 〔上中〕
       ・ダンスのパヴロワ
       ・「ラ・ペリ」のパヴロワ
       ・「無礼講の秋」のパヴロワ 〔上右〕

    

       ・パヴロアとノヴイコフ(ラ・ペリの舞台) 〔上の写真2枚は、『国際画報』第三巻第四号より〕

            
        
       ・「牧神の午後」のアンナパヴロワとヴイコフ 〔上左〕
       ・来朝する女性の舞踊者ヒルダ・バストワ
       ・来朝するバートレツト嬢とワアジンスキイのオランダダンス
       ・メトロポリタンに於ける舞台稽古ー中央がパヴロワ左がモルドギン 〔上右〕        

 ・パヴロワの印象  …  坪内士行

      

    写真 ・アンナパヴロワ出演の舞台面
       ・ダンスのパヴロワ 〔上左〕
       ・パヴロワの「白鳥」〔上右〕

 ・アンナ・パヴロヴァを懐かしむ  …  齋藤佳三

    写真 ・ラ・ペリ」の舞台図案

 ・パヴロワの上演曲目 〔予想〕  …  永田生

    秋の葉
    メキシコ舞踏
    ラ・ペリ
    タイス
    魔の湖
    まぼろし
    アマリラ
    シヨピニア
    フロラの眼覚め
    ギゼリレ
    雪片


  パヴロワとダンカン 〔詩〕  …  エー・タロツチ・カル

    胡蝶
    コウベント・ガアデンにと
    イサドラ・ダンカン  エセル・エム・ネルソン
 
 他に、ロシ・アバレー図案 ピカソ作〔2種〕


『露西亜舞踊大観』 (1922.9)

2012年12月06日 | バレエ 1 アンナ・パヴロワ 

 RUSSIAN BALLET  

 ・序論  三島章道訳
 ・曙光以前  伊東松雄訳
 ・ディアギレフの到来  河村邦成訳
 ・レオン・バクスト  川口尚輝訳 
 ・ブノア、レエリツヒ並びに他の露西亜の人々  久能龍太郎訳
 ・ゴンチヤロヴアとラリオノフ  山村魏訳
 ・世界的の形相  大関柊郎訳  
 ・ドレインとピカツソ  渡平民訳
 ・マチスとセルト  免取慶一郎訳
 ・セルゲイ・ドウ・ディアギレフ  勝矢剣太郎訳
 ・振付ーフォーキン 小森三好訳
 ・ニジンスキイ  永田龍雄訳
 ・マツシーン  田中総一郎訳
 ・舞踊の音楽  永田龍雄訳
 ・レパートア  近衛秀麿訳

  挿絵目次

 ・セルゲイ・デイアギレフ
   原色版
 ・宦官(シエエラザアド) バクスト
 ・火の鳥 バクスト
 ・金雞 第一幕 ゴンチヤロウ
 ・聖馬可(礼拝式) ゴンチヤロウ
 ・深夜の太陽 ラリオノフ
 ・ロシヤ物語第一場 ラリオノフ
 ・三角帽 ピカソ
 ・ポロヴイツチの天幕(イゴル公) ローリツヒ
 ・アランヂユエの夜の衣裳 セルト
 ・婦女子の狡猾の聯歩 セルト
   写真版    
 ・礼拝式の場面の一部 ゴンチヤロワ
 ・露西亜の市のカーテン ゴンチヤロワ
 ・キキモラ(露西亜物語) ラリオノフ
 ・道化のカーテン ラリオノフ
 ・鶯のカーテン マチイス
 ・パラデのカーテン ピカソ
 ・サロメの衣裳 スギーキン
 ・イゴル・ストラヴインスキイ
 ・ウスラヴ・ニジンスキイ

 露西亜舞踊大観 定価 弐圓八拾銭
 大正十一年 〔一九二二年〕 九月二十三日発行
 著作者 三島章道 
 発行所 アルス


「パヴロワ女史露西亜舞踊劇 番組」 帝国劇場 (1922.9)

2012年10月04日 | バレエ 1 アンナ・パヴロワ 
 パヴロワ女史露西亜舞踊劇 番組  

        大正拾壹年 〔一九二二年〕 九月十日より廿九日迄 毎夕八時開演 丸の内 帝国劇場 

  アンナ・パウロワ女史を迎へて    帝国劇場専務取締役 山本久三郎氏(談)

 □新日本の代表的劇場である我が帝国劇場は、只単に堅実一方な興行にみを繰返すことは其本旨でない、須らく現代人の嗜好欲求の傾向を察知して、これが先端となり暗示となり、亦刺戟ともなる有意義なものを江湖に紹介する事に依つて、始めて代表的劇場としての使命を完うする所以であると信じます。
 □例へば、今現に新国民音楽の樹立とか、新日本舞踊の創設といふやうな新運動が起つてをります、凡そ一つの運動の起る迄には、其処に起るべき必然の生命があらればばらぬ、其生命の奥を探り求めて、これを激励し、保護し、遂にその目的を達成せしむる事に努力するのが、代表的劇場の当局者としての責任である、と、斯やうに私は常に考へてゐるのであります。
 □努めて新作物を上場し、頻りに泰西名家の来演を乞ふのも、総て此意味に他あらぬのであつて、アンナ・パヴロワ夫人といふ舞踊界唯一最大の明星を迎へた事も亦、「現代人の共鳴するに足るだけの新日本舞踊を、つくりたい、みたい」といふ否むべからざる最近の新運動に対する一大光明と確く信ずるからであります。
 □ただ、二十日間といふ長期の開演は事実大冒険であります。然し乍ら、パヴロワ夫人は帝劇に於て二十日間の保證がなかつたなら恐らく日本への来演は不可能であつたのみならず、概ね物事の建設は智よりも勇にある場合が多いといふ私一流の信念と、一方この機会に於て夫人の有する芸術全部を心行くまで味つて戴きたいといふ欲望から、此大冒険を敢行した次第であります。
 □エルマン、シューマン・ハインク及びヂンバリスト諸楽聖の演奏会に成功しました事に勇気づけられたことも事実でありますが、帝劇は儲かるから盛んに彼等を迎へたのだといふやうな一部の論には首肯出来ません。私は更に此十一月ピアニストとして世界第一のゴドフスキイ氏の来遊を願つた、尚ほ其上にも明年はクライスラー、ハイフエッツ、マコーマツクの諸氏にも来演を慫慂してゐます。
 □せめては、今夕御来会の諸賢にだけでも、私の真意を御諒解くださつたならば、私は勇んで全責任を負ひ、更に々々我芸術界の為め貢献したく思ふのであります。〔杉浦善三記〕 

   

    自九月十四日 至同十七日 毎夜八時開演

 第一 舞踊劇 コツペリア 〔“COPPELIA”〕一幕
      
      レオ、デリベ 〔LEO DELIBES〕作曲

     幕間約十五分

 第二 舞踊劇 六つの花 〔“SNOWFLAKES”〕一幕

      「ナツトクラツカーより」
          チヤイコフスキー作曲
          クリスチン 〔Ivan Clustine〕 振附
          ウルバン 〔J.Urban〕 背景装置

     幕間約十五分

 第三 舞踊小品 六種

  (其一)プリマウ゛ヰーラの樹  〔Primavera〕  ‥‥ マイエル、ヘルムンド  〔Meyer-Helmund.〕  作曲
  (其ニ)蜻蛉  〔Dragonfly〕  ‥‥ クライスラー  〔Kreisler.〕  作曲
  (其三)弓と矢  〔Bow and Brrow〕  ‥‥ チヤイコフスキイ  〔Tschaikowski〕  作曲
  (其四)田園舞踊 アヂイル  〔Idyl〕  ‥‥ シヨパン  〔Chopin.〕  作曲
  (其五)牧踊  〔Pastorale〕  ‥‥ シユトラウス  〔Straus.〕  作曲
  (其六)和蘭舞踊  〔Holland Dance〕  ‥‥ グリーク  〔Grieg.〕  作曲  
  (其七)セーンダンサンテ  〔Scene Dasante〕 ‥‥ ボツシエリニ  〔Boeherini.〕  作曲

     幕間約十分

 第四 レーゾンデリイー   〔“LES ON DERIES”〕  カタラニ 〔Catalani.〕 作曲

  音楽指揮 セオドル、スタイアー 〔Theodre Stier〕 氏

   御入場料(観覧税金共)
  特等 金十五圓 三等 金 五圓
  一等 金十三圓 四等 金 二圓
  二等 金 十圓

   

 自九月廿二日 至同廿五日 毎夜八時開演

 第一 舞踊劇 波蘭土の結婚 〔“POLISH WEDDING”〕 一幕
      
      ピアノワスキー 〔Pianowski〕 振附
      クルビンスキー 〔Krupinski〕 作曲
      ドラビーク衣裳背景考案

     幕間約十五分

 第二 舞踊劇 花の眼覚め 〔“FLORA’S AWAKENING”〕 一幕

      ドリゴー 〔Drigo〕 作曲
      ロツテンスタイン衣裳背景

     幕間約十五分

 第三 舞踊小品  〔“DIVERTiSSMENTS”〕七種

  (其一)匈牙利のラプソヂー 〔Rasodie Hongroise〕  ‥‥ リスト 〔Liszt〕 作曲
  (其ニ)カリフオルニヤの罌粟 〔Californian Poppy〕  ‥‥ チャイコウスキー 〔Tschaikowski〕 作曲
  (其三)ピエロット 〔Pierrot〕  ‥‥ ドウボルジャック 〔Dvorjak〕 作曲
  (其四)三人舞踏 〔Pas de trois〕 ‥‥ ヂブルカ 〔Zibulka〕 作曲
  (其五)波斯舞踏 〔Persian Dance〕 ‥‥ ムソルグスキー 〔Noussorgski〕 作曲
  (其六)ピヂカトー 〔Pizzicato〕 ‥‥ ドリゴー 〔Dsigo〕 作曲  
  (其七)露西亜舞踊 〔Russian Dance〕 ‥‥ チャイコウスキー 〔Tschaikowski〕 作曲   

   

    自九月廿六日 至同廿九日 毎夜八時開演

 第一 舞踊劇 魔の湖 〔“ENCHANTED LAKE”〕 一幕
      
      フランク、シユーベルト作曲
      イワ゛ン、クルスチン振附 

     幕間約十五分

 第二 舞踊劇 仙女人形 〔“THE FAIRY DOLL”〕一幕

      バイエル其他作曲
      クリスチン振附

     幕間約十五分

 第三 舞踊小品

  (其一)ボヘミヤ舞踊 〔Bohemian Dance〕 ‥‥ ミンクス作曲
  (其ニ)蜻蛉 ドラゴンフライ 〔Doragonfly〕 ‥‥ クライスラー作曲
  (其三)弓と矢 〔Bow and Arrow〕 ‥‥ チヤイコウスキー作曲
  (其四)和蘭舞踊 〔Holland Dance〕 ‥‥ グリーク作曲
  (其五)アニトラの舞踏 〔Anitor s Dance〕 ‥‥ グリーク作曲
  (其六)瀕死の白鳥 〔Swan〕 ‥‥ サンサン作曲
                         フオキーン振附  
  (其七)セーン、ダンサンテ 〔Scene Dansante 〕 ‥‥ ボツシエリニ作曲
  (其八)藍色のダニユーブ 〔Blue Danube〕 ‥‥ シユトラウス作曲
  (其九)醼楽の人 バツキヤナル 〔Bacchanale〕‥‥ グラヅノフ作曲

   音楽指揮 セオドル、スタイアー氏

 なお、『漠のパンフレット』 第四輯 の「世界の顔 アンナ・パヴロヴァ (エンリコ・ロシー訳)」に、日本の観客についての記述がある。

「瀕死の白鳥」 アンナ・パヴロワ (芸談 六代目尾上菊五郎)

2012年08月18日 | バレエ 1 アンナ・パヴロワ 
 ○ 上の写真は、アンナ・パヴロワ 〔Anna Pavlova〕 の「瀕死の白鳥」で、一九一〇年 〔明治四十三年〕 の米国公演のパンフレットに掲載されたものである。

 ○ また、下の写真は、「1927〔年〕」の消印のある英国製の絵葉書である。

 

 六代目尾上菊五郎は、大正十一年 〔一九二二年〕 九月の帝国劇場での公演を見ており、のちに次のように語っている。

 近頃よく新舞踊を拵へますが、新しい舞踊はどうも生温い、西洋の踊りはどうも飛びたがる。西洋の踊りは紫の蛭がくつついたやうな眉を引いて、髪はチリゝ、爪を真赤にして飛び廻るので、あれは引ッ掻く稽古かも知れません。唇が真紅で人喰人種のやうな恰好です。日本の踊りにはかういふのは滅多にありません。だから私は日本人の踊る西洋の踊りは見ない事にしてゐます。
 つまり日本に生れた者は日本のものに限ります。やはりパパやママよりお父ッあん、おつかさんの方がはるかにいゝ。富士山の高さを知らないで、ヒマラヤ山の高さを知らうなどと思ふやうな事は怪しからぬと思ひます。六七年前から何々の家元、何々の家元と、家元ばかり出来ました。踊れもしないのにそれが一ぱいです。舞踊が流行るのは大変結構です。が、今になつて日本の踊りを研究するのは遅蒔です。もつと早くからやつて貰ひたかつたと思ふ。今は敵国のことがやれなくなつたから、日本の方に引き摺り込むといふのでは如何かと思ひます。日本人は始めから日本のものに限ります。頭の毛の黒い者は日本に限るのです。尤も私は大分白くなりましたが…。
 先ほども音楽学校の校長と話しをしたのですが、「ねんゝよう、おころりよ、ねんねのお守りはどこへ行た」この子守唄で子供が眠られます。私もよくやられました。今はやられませんがね。之を西洋の節でラララッーとやられては眠られない。あつちの唄ならば又別ですが、「お江戸日本橋七ツ立ち」これをラララッでやられると、牝犬の遠吠えのやうに聞える。西洋の唄は酔はらひの唄、日本の唄は日本の節廻しでやらなければ事実聴き辛い。決してけなすんじゃありません。向かふのものは向かふのもの、日本のものは日本のもの。それをごつちやにした西洋皿へ飯を入れて、日本の茶をかけて、沢庵の香物をかじり乍ら、「サジ」でかつこむやうなものです。どつちかにしなければいけないと思ひます。 
 そこで西洋の踊りと日本の踊り、これは大変な差がございます。けれども外国にも かに踊りの名人があります。「瀕死の白鳥」を踊ったアンナ・パブロバ、あの人等は偉ひと思います。私は頭が下がりました。といふのはあの白鳥が死んだ幕切れのところで息をしてゐませんでした。私は余り不思議なので三日間行きました。その時、かういふ広い舞台に、最後にピタリと寝る。私はごく近い席に行って見たが息をしない。若し十分間幕が閉まらなかったら、あの人は事実死ぬかもしれません。余りの巧さに「私は菊五郎です」と言ったが、向かふは私を少しも知らない。それで紹介をして貰って自分の家に連れて来て、二晩芸談をやりました。芸のやり方、踊りのやり方が少しも違はない。通訳でやるんですから話が二時間で済むところは四時間かゝる。それで二晩かゝつたんです。
 そこで私は右足を出して叩きました。相手の足も叩きました。婦人の足を叩くのは失礼ですが、パヴロバがスカートを捲って足を出し、叩かせた。私も負けない気になって、俺のも叩いて呉れと、両方で叩き合った。併し私あの女に負けました。大変な堅さです。ゴツゝいふ。私も固い方ですが、向かふのはもっと固い。つまりそれだけ鍛錬が出来てゐるんです。それで帰すのが嫌になりました。さりとて一緒に踊るわけにも行きませんでしたが。
 いろゝの芸談の中で、私何が一番むづかしかったかと訊きました。幕が閉まる時が一番むづかしいと、涙をポロゝ出しながら話しました。同感です。どんな踊りをやっても人間ですから息が切れます。それで大抵は幕の下りる前に大きな呼吸をするんですが、これは実に見苦しいものです。その時にこの「瀕死の白鳥」は呼吸をしないのですから、私もこれには実に感服しました。


 『日本諸学講演集』第十三輯芸術学篇 「芸談 六代目尾上菊五郎」文部省教学局編纂 昭和十九年三月:昭和十八年 〔一九四三年〕 六月十日の一ツ橋共立講堂での講演の速記 の一部  

 ○ 下の写真は、一九二二年の公演後の帝国劇場の楽屋中のアンナ・パヴロワで、『サンデー毎日』(第一年第二十七号:大正十一年九月二十四日発行)の表紙を飾ったものである。

 
 
 快よき疲れ

 舞台から楽屋に引込むと、椅子に凭つてーーぐつたりしたパヴロワ夫人。しつとりと汗に濡れたその四肢には、踊り勞れた軽い心の満足が躍動してゐる。レンズを向けると、ヒョイと左の足を右に重ねて、鏡の方を向いた。隈取つた眼の縁、唇などに、年齢から争はれない固い線はあるが、無心に置かれた快い疲れの手足には、なだらかに流れた線の魅力がある。これが十万円の保険をつけてあるといふ舞踏女王の足だ。甲が高く、爪先きが小さく、踵は全く退化してゐる。この足にこそ、彼女の頭脳が反映して、世界の人を、各所に泣かしたり、笑はしたりして来たのだ(帝劇の楽屋にて、鈴木生)

 なお、この号の7頁には、着物姿で道成寺を習う弟子など2葉の写真もある。 

○ 下左の写真も、アンナ・パヴロワの「瀕死の白鳥」で、『週刊朝日』 第二巻 第十三号 大正十一年〔一九二二年〕九月十七日発行 通巻 第三十号 の表紙に掲載された。

    

 パブローワの舞踊

 この号の二十頁の「音楽」には、「パブロワ夫人後援会 は〔九月〕九日午後三時より鶴見志月園〔花月園〕ホールで来朝歓迎舞踊会を催すと」などとある。

 上右の写真も、裏表紙の「ライオン練歯磨」の広告にあるもので、パヴロワと思われる
 なお、のちにこの『週刊朝日』の表紙を見ているアンナ・パヴロワ〔Anna Pavlova〕の写真・関連記事が大阪朝日新聞〔大正十一年十月七日 第一万四千六百六十号〕に掲載された。大阪公演初日の十月六日に大阪朝日新聞本社を訪問したアンナ・パヴロワに贈られたとのことである。

「支那服姿」 アンナ・パヴロワ (1923)

2012年08月14日 | バレエ 1 アンナ・パヴロワ 

  

 アンナ・パヴロワ

 舞踊の天才アンナ・パヴロワ夫人(支那服を着けた)とアメリカの少女団体キムブ・フアイア・ガールスの総裁オリヴア・ハリマン夫人(右)
 パヴロワ夫人がロシアに設けたガールス・ホームの基金中へ支那の少女団体から寄附した金を渡してゐるところである。

 Mrs. Oliver Harriman, President of the Camp Fire Girls of America presenting check from the Camp Girl of China to Mme Anna Pavlova who has founded a giris’home in Russia.

 上の写真と説明は、『アサヒグラフ』 大正十二年 〔一九二三年〕 十二月五日 第一巻 第四号 に掲載されたものである。

 なお、『漠のパンフレット』 第四輯 の「世界の顔 アンナ・パヴロヴァ (エンリコ・ロシー訳)」に、中国の観客についての記述がある。


『西洋画報』 舞踏号 (1917.1)

2012年08月12日 | バレエ 1 アンナ・パヴロワ 

 表紙には、「西洋画報 舞踏号 大正六年 〔一九一七年〕 一月発行 第参号」などとある。奥付には、「大正六年一月一日発行 編輯兼発行者 鷲尾正五郎 編輯兼発行所 西洋画報社」などとある。25センチ、104頁。
 
 ○挿絵〔下は、その一部〕

       

   ・Anna Pavlova
    露西亜舞踏界の花役者 世界一のバレエー、ダンサー アンナ、パブロバ 〔上左〕
 ・ Ruth St.Denis
    スラリと丈の高い身と蛇のうねるのが如き筋肉の動揺をとを以つて一時舞踏界のセンセーションたりしセントデニス 〔上中〕
  ・ Miss Evan-Burrows Fontaine
    印度踊で近頃有名なる米国の美しい悪戯
    ヱバンバロー、フオンテン
  ・ Gertrude Hoffman
    in choreographic dancing
    測量舞踏と云へば測量するやうな歩方をする舞踏の事で手足の運動に曲線の美と云ふよりも寧ろ正方形の美を発揮しやうと云ふ変わつた舞踏である。
  ・ XENIA MACLEZOWA AND ADOLPH BOLM
    ロシアのバレヱーダンス 〔上右〕

 ○説苑

   ・舞踏哲学 … 社説
   ・希臘の舞踏 社説
   ・近世の舞踏と其名優 本社編纂 〔下は、その一部のいくつか〕

     此時代精神を表す天才として、先づ第一に指を折つて数ふべき人はイサドラ・ダンカンである。ダンカンは昔の希臘の舞踏を復興して之に近世の生命を吹き込んだ女優として、欧米の舞踏界に斬燃頭角を表した天才である。ダンカンと相前後して古格舞踏を復興した今一人の名優はモード・アランである。ダンカンと並んで斯界の双玉の一として、其の名声嘖々たる女優は即ちバレエ-ダンスを復興した露西亜の名優アンナ・パブロバである。アンナ・パブロバを中心として、Palance Theatre及びCovent Garden に於けるバレエダンサアーの一隊は実に露国芸術の誇である。其外、英国に於けるモリスダンスと称せらる地方踊りの復興、米国に於けるタンゴーダンスと称せらる新しい舞踏は、近世舞踏芸術復興の機運に乗じて起つた重なる現象である。而して舞踏の復興は軈 やが てその影響を彫刻、絵画の上にも及ぼし、彫刻絵画の復興は軈てまた舞踏の上に反響して、互に助け相導く事恰も昔の希臘羅馬時代の如くならんとする徴候さへもあるは、誠に斯界のため一般芸術のために賀すべき事である。

     バレエ-ダンサーとしてのパブロバは露西亜の舞踏精神を発揮したどこまでも露西亜式の舞踏家であると同時に、またよく古の希臘舞踏の天真爛漫なる面影と其の優雅なる芸術味とを兼ね備へた舞踏家であつて、殊に短い袴を附けて爪先で歩く事を特色として居る。此の女が舞台へ出て踊り出せば、もう人間ではない。人間の情欲が剥出 むきだ しになつて、羽が生 は へて、大海の暴風に悩まさるゝ鳥の如くに、情意の嵐に翻弄 ほんろう せられながら、颱風一迅 いちじん 、過ぎ去ると共にさしも、放縦を極めた情欲の戯れも軈て倦怠の情に襲れて、天地も為めに滅入るかと思はれるやうな踊を演ずる。

     ニジンスキーは希臘の軽脚の神マーキュリーに擬せらる舞踏家で、小児の如く鳥の如き快脚を有し、兼ねてまた其の静止姿の優雅なる事を以つて称せらる舞踏家である。『薔薇の幻』と題する軽妙な舞踏劇に於て、ニジンスキーは嘗 かつ てカーサビナと云ふ可愛しい少女と踊つた事があるが、其の踊に於て、少女は手に薔薇の一輪を持つて眠る。眠るとすぐ夢に、薔薇の冠を戴き薔薇の衣を着けたる少年が現れて、眠れる少女の周囲 あたり を旋回する。軈て少女は目を離して少年と共に踊る、踊り疲れて再び眠らんとする時幻の少年は飄々然と消え去る。消え去ると同時に少女は再び急に目を醒 さま して少年と共に踊る、踊り疲れて再び眠らんとする時幻の少年は飄々然と消え去る。消え去ると同時に少女は再び急に目を醒して、地に落ちたる薔薇に接吻すると云ふ光景であるが、此の少年の軽妙なる踊はニジンスキーならでは誠に出来ない業であつた。

   ・最近の社交舞踏 本社編纂
   ・イサドラ・ダンカン … キニー兄妹著「舞踊」より 〔下は、その一部〕

        

    彼女が舞踊に興味を持ち始めたそもゝの頃には、何よりも先づ古代希臘 ギリシヤ の陶器類、タメグラ、其他の物に見える舞踊の姿を此の上無く愛した。芸術の一作品は往々にして数多 あまた の人に数多の感想を浮べさせるものであるが、ダンカンが之等の古代希臘の像に見たものは、自然を何等の飾り気なく、率直に、又、完全に現した姿あのである。勿論他にも種々学ぶ所はあったが、中にも最も自然の尊ぶべき厳粛、絶望の趣を難有いものと思った。それで、ダンカンの小論文「舞踊」の中にも見られる如くに、厳粛と云ふ事が此の俗世界の道徳上の制限とどんな交渉を生ずるであらうか、などゝの疑念は全然頭にない。もう厳粛と云ふ事は自然である、それ故に正しい、と断然 はっきり きめてゐるのである。従って、所作事ー俗に行はれる厳粛を欠いた所作事は悪であると判ずるのである。古代希臘人は跣足 はだし で踊った。即、ダンカンの跣足で舞台に立つ。
 たゞ誤解してはならぬ。ダンカンの意見は自然な動作を模倣しようとしたり、所謂写実派の論法に従はんとするのでは無いのである。自然の動作では無い。自然の性質、其性質を自然な運動によって演じ現はさんとするのである、模倣では無い。彼の所謂「自然な運動」と云ふのは特殊な教練を経ずに、普通尋常の身体でならば行ひうる運動を指すのである。と云っても、何等練習もせぬ運動を善いと云ふ意味では決して無い。腕を挙げるのは自然の運動であるから勿論採るべき事であると同時に、ダンカン派の人々も、その腕を如何に優美に挙げるかに就いては一般の所作事師に劣らず充分の時間と考慮とを払ふのではある、が、その掌をどちらへ向けねば法式に適せぬとか、どう云ふ足つきをせねば一つぱしの踊り子とは云へぬとか云ふ風の特別の練習や法則を嫌ふのがダンカンの見解である。
 此の自然の性質と云ふ事をダンカンがどう解釈してゐるかを見るには、ダンカン自身の言葉を借りるのが最もよい。「私共の目に見える花の中にも舞踊の夢が宿ってゐるのであります。それを白い花に落ちかゝる光り、とでも申しませうか。光と純白との微妙な舞踊、強い、純な舞踊、人はこれこそ光りに到達して其処に純白を見出した魂の動く姿である。このやうに塊の如く事の嬉しさ、とも申すでせう。かうした微妙な天地間のあらゆる自然の運動、吾々の心の中にも流れてゐる運動が、舞踊者によって、舞踊者の肉体によって一般人に伝へ送られるのです。光りの運動が純白の思想と相融合するのを感じます。かやうな舞踊こそは一種の御祈祷に等しいもの。一つゝの運動が長いゝ波動となって、天にまでも達し、やがては宇宙の永久の節奏の一部ともなる祈祷であります。」

   ・アンナ・パブロナ  … (主として)ルネブルフの「露国舞踊」より 〔下は、その一部〕

      

    華噸府に於て半日 $300.0 を得たるパブロバの踊り 〔上左〕
    パブロバ 〔上右〕

    彼女の方法と音楽の作曲者の方法とは密接な類似がある。例へば「ル・サイン」の作曲者サント・サエンと、その曲に応じて工夫した彼女の踊りを踊るパブロバとは、両人ともにかの白鳥の円転な、波形の優雅さをモティフに取ってゐる。此の根本調を丹精し、飾り、敷衍して、丁度作曲者の思はくと全く同一格な複雑な、しかも根底に於ては飽くまで単純な点を現す舞踏をパブロヴは完全に創出してゐるのである。
 かくの如き演技に於てはパブロヴは実にその芸の絶好を示す。彼女は最近流行になった音楽に伴って、その音楽の内容を演出するのは頗る嫌ってゐる。即ち最近の曲は舞踏の為めの曲では無いからである。舞踏の為めに作られぬ曲に、何で舞踊者が好んで立たうぞ。普通の舞踊者ならば却って如何な曲にも振りを附けよう、立っても舞はう、其等の舞踊手はつまり単に美しく動き、優雅な身の構えをし、間拍子面白く音律に合はせて行く連中に過ぎないのである。が、パブロバは意味の無い舞踊は全然しない。彼女の一歩と雖も何等かの意味がある。だが単に技術を完全に会得してゐると云ふだけでも彼女の芸は驚嘆すべきであるのに、又、よしごく旧式平凡な舞踊をする時にさへも彼女の一挙一動は目を悦ばすに足るに、まして、パブロバは目にのみ訟 うった へるに満足せずして、その知識にまでも徹入せねば止まぬ真の芸術家の頭脳と力とがある。    
  
   ・ダンシング・ホール … サミュヱル・ホプキンズ・アダムス
   ・ブォーティシスト派の画

 ○小説

   ・独深 … トーマス・エイチ・ウゼル
   ・How She Learned Him To Write(彼女は如何して彼に書くことを教えたか) … クバノア・モリス
   ・長編小説 白幽霊 … アーサー・ソンマーロチツエ

 ちなみに、この『西洋画報』舞踏号は、『現代筆禍文献大年表』の「大正六年 (雑誌) 一月」に、次の記載があり、発禁となっている。

    西洋画報 第三号 (舞踏号)(同〔風〕) グバノア、モリス 「彼女は如何にして彼に書く事を教はたか」

 なお、『西洋画報』 第六号 (四月号) には、同じ作者の「短編小説 原始に帰る女」が掲載されている。