カルメンノ唄
謹んで松井須磨子氏の靈に捧ぐ
大正八年一月
編者
カルメンの唄
北原白秋 作歌
中山晋平 作譜
萱間三平
▢煙草のめのめ
其の一
煙草のめのめ、空まで煙 けぶ せ、
どうせ、この世が癪のたね、
煙よ、煙よ、たゞ煙、
一切合切、 みな煙。
煙草のめのめ、照る日も曇れ、
どうせ、一度は涙雨。
煙よ、煙よ、たゞ煙、
一切合切、 みな煙。
煙草のめのめ、忘れて暮らせ、
どうせ、昔はかへりやせぬ。
煙よ、煙よ、たゞ煙、
一切合切、 みな煙。
煙草のめのめ、あの世も煙 けぶ れ、
どうせ、亡くなりや野の煙 けぶり 。
煙よ、煙よ、たゞ煙、
一切合切、 みな煙。
其の二
煙草よくよく、横目で見たら、
好きなお方も、また煙草。
煙よ、煙よ、たゞ煙、
一切合切、 みな煙。
煙草つけよか、紅 べに つけませうか、
紅ぢゃあるまい、脂 やに である。
煙よ、煙よ、たゞ煙、
一切合切、 みな煙。
煙草ぷかぷか、キッスしてゐたら、
鼻のパイプに、火をつけた。
煙よ、煙よ、たゞ煙、
一切合切、 みな煙。
▢酒塲の歌
1
ダンスしませうか、
骨牌 カルタ 切りませうか、
ララッララ、ララッラ ラララ。
赤い酒でも飲みませうか。
2
ピアノ彈きませうか、
笛吹きませうか。
ララッララ、ララッラ ラララ。
赤い月でも待ちませうか。
3
闘牛見ませうか、
花投げませうか、
ララッララ、ララッラ ラララ。
赤い槍でも振りませうか。
4
女賭けませうか、
玉突きませうか、
ララッララ、ララッラ ラララ。
赤い心臓でもあげませうか。
5
さあさ退散 ひ けませうか、
まァだ飲みませうか、
ララッララ、ララッラ ラララ。
赤い橇 そり にでも乗りませうか。
▢戀の鳥
カルメンのうたふ小曲
捕らへて見ればその手から、
小鳥は空へ飛んでゆく、
泣いても泣いても泣ききれぬ、
可愛いい、可愛い恋の鳥。
たづねさがせばよう見えず、
氣にもかけねばすぐ見えて、
夜も日も知らず、氣儘鳥、
來たり、住 い んだり、風の鳥。
捕 と らよとすれば飛んでゆき、
逃げよとすれば飛びすがり、
好 す いた惚れたと追っかける、
翼 つばさ 火の鳥、戀の鳥。
若しも、翼を擦 す り寄せて、
離 はな しやせぬぞとなったなら、
それこそ、あぶない魔法鳥
戀ひしおそろし、戀の鳥。
▢解題
カルメンの唄解説
「カルメンの唄」はメリメエ原作、川村花菱氏脚色の「カルメン」劇中に用ひられる小唄である。
松井須磨子氏は大正八年一月五日有樂座に此の劇の女主人公として出勤中、愛人にして恩師なる島村抱月先生のあとを追って自殺を遂げた。
次に川村氏から請ひ得た個々の解題を揭げる。
大正八年一月十五日 編者
〇 河村花菱
▢煙草のめのめ
セビリヤの町の煙草工塲には、多くのうら若い女達が働いて居て、正午の鐘が鳴り出すと、柔かい肌に風を入れながらなまめかしい風俗で町へ食事を取りに行く。その行きに歸りに彼れ等のうたふ唄である。町の若者共は歌が聞こえ出すと、四辻に待ち受けて煙のやふなはかない戀を投げかけるのを一日中の樂しみとして居る。口にアケシアの花を啣へたジプシー女のカルメンも工女の一人に交って居る。
▢酒塲の歌
リラスの酒塲には多くの醉客が夜毎夜毎に集つて酒と歌、カルタと女に時の過ぎるのも知らずに居る。其間を右に左に、ましらのやふなジプシー女は、差されるまゝに五色の酒のコップを擧げて、生命と、自由と戀の爲に、節面白く合唱する。一人美しいカルメンはホセの踊るのを待ちわびて居る
▢戀の鳥
ホセは牢を出るなり一月ぶりでカルメンの顔を見た。語らふ間もなく時は流れて點呼のラッパの鳴る時が來た。つきぬ名殘をホセは再び兵營に歸らふとすると「やがて二人が離れ離れになった時何處かで同じ歌の節を聞いたら必ず妾の事を思ひ出すして呉れるやうに」とカルメンは無理に引き止めてやる瀨ない胸の思ひを唄ふホセはうっとりと聞き惚れる。歌が終るとカルメンは續いて四ツ竹の踊を踊ってホセをもてなした。よもや一生の運命が恁うした間に定まらふとは神ならぬ身のホセに怎うして思はれやふ‥‥‥。
裝幀 岡本歸一氏