漠のパンフレット
第一輯
〔口絵4頁:マリィ・ウィクマン、ゴリウォーッグのケーキウォーク等〕
目次
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石井漠君の顔 岡本一平
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純舞踊の出現を促す 石井漠
日本の建築物は、元来が木材で造られるやうに研究されて來た。從って、どこの國でも見ることの出來ないやうな立派な木造建築が殘されたことは事實である。これは吾々の先祖の殘してくれた賜である。といって、生活様式の激變した現今に於ても、あらゆる建築物が、必ず、昔のまゝの木造樣式によらなければならないといふ理由はない。その證據には、丸ビルや海上ビルが、鐵筋コンクリートの洋式材料によったものが帝都の眞中に出來ても、誰も日本人とて、それを造り替へさせやうとする人もない。若しも、九階、十階の大建築物を日本在來の木材によって造らうとする人があっても、反って、危険だからと云ってそれをとめる人があっても、賞める人はまア、今の日本人に一人もあるまいと思って差支へあるまい。
所が、我が國に於ける舞踊藝術に對する見界だけは實に不思議である。油の繪具で描いた繪だから、これは日本人の繪でないといふ人も今の日本には無いといってよからう。紫式部や近松の文章にある以外の文字や樣式を使ってあるから、これは純粹の日本人の文章ではないと斷定する人もあらうとは思はれない。この外、現在の日本に行はれてゐる姉妹藝術の表現樣式にしても、果して、日本在来の傳統をそのまゝ繼承して滿足して居るものが、果して何があるだらう。然し、それをとがめる人もなければ、不服をいふ人もない現在の日本である。それだのに、舞踊藝術のみが、何故、吾々先祖の遺してくれた、遺光、遺産にのみかじり付いてゐなければならないのだらう。そして、かじり付いて居るこのとのみが正統であって、かじり付いてゐない者がいけないのだらう。異端視されなければならないのだらう。これだけは實に、今の日本に於ける不思議中の不思議だと私は思ふ。
音樂なども、日本在来の音樂だけでは我慢が出來ずに、借りものながらも、ヨーロッパの樂聖たちによってものせられた純音樂を、新聞社あたりの主催の下に、しかも堂々と日比谷の大衆の面前で演奏される時代になって來た。要するに、純音樂を求める人が日本にも殖えて來たのである。この時にあたって、舞踊としての純粹なものを、要求するといふことも、あながち物好きであるとばかりとられても甚だ心苦しい。日本人の中のたった一人でも、純舞踊に對して眞に要求する人間が、現れたとすれば、單にそれだけでも、日本人として、やがて來るであらう時代の爲に、純舞踊研究の價値が充分に認められるわけである。
私は、娯樂的舞踊を排斥する者でもなければ、黙劇的な在来の日本舞踊に對して不滿を抱いて居る者でもない。立派に存在價値を認めて居る者である。只私の願ふことは、娯樂舞踊の必要を感じると同じやうに、在來の日本舞踊の存在を認めると同じやうに、純舞踊の必要、及び存在をも認めて貰ひたいのである。同時に、現在の我が國の舞踊家たちも、もうすこしこの方面に對して勇敢であって欲しいと願ふものである。
・石井漠君と其藝術 澤田謙
・瑞典舞踊及びジャン・ボルラン 岩田豊雄
・手紙 谷崎潤一郎
・無音樂舞踊に關する一つのテーゼ 武田忠哉
・リトミック運動の現況 小林宗作
・烽火上る 水守龜之助
・スゥブニール
日本 秋田雨雀-井上康文-井村生-アメリカ-ドイツ-ポーランド-チェコスロヴァキア-イギリス
・新時代的馬脚 天突猿郎
隆鬼堂
・漠は踊る 武藤翠雲
・歐米舞踊の旅 石井小浪
・到來物
・マリイウィクマンの舞踊 石井漠
この一文は、私が伯林滞在中に書いたもので、大正十二年八月五日の「サンデイ毎日」に掲載したものである。ウィクマンの舞踊はその後度々見る機會を得たが、ウィクマンに對する第一印象としてこゝに再録する。(昭和二年六月二十日)
・詩的感興が人間の頭の中に生れた時、それを言葉や、文字の力をかりて表現すれば詩となり、色彩や線の力をかりて表現すれば繪となり、音を通して表した場合には、音樂となる。そして、この感興を全く肉體の運動の力に依って表現されたもの、即ち眞の舞踊なのである。
‥‥‥漠の言葉‥‥‥
・石井漠氏の「舞踊の本質と其創作法」 永田龍雄
志垣寛
小松耕輔
牛山充
・執筆者紹介
・作品目録
石井漠 作品目録
外國公演中の作品
表題 種類 作曲者 創作年表
法悦 舞踊詩
山田耕作 (大正二年東京にて)
躍動する心 〃 スクリアビン (大正十三年巴里にて)
メランコリイ 〃 エドワード グリーク (大正十一年北野丸船上にて)
囚はれたる人 劇的舞踊 ラハマニノフ (大正十一年伯林にて)
夢みる 舞踊詩 リヒアルト シュトラウス (大正十一年伯林にて)
淋しき影 〃 山田耕作 (大正十年東京にて)
夜の行列 劇的舞踊 フランツ リスト (大正十一年伯林にて)
マスク 舞踊詩 スクリアビン (大正十三年紐育にて)〔上の写真:左から2枚目〕
ソルヴェーヂの歌 〃 エドワード グリーク (〃)
若きパンとニムフ 舞踊詩劇 山田耕作 (大正二年東京にて)
明闇 舞踊劇 山田耕作 (大正二年東京にて)
歸朝後の作品 大正十四年以後
表題 種類 作曲者 創作年表
荒野 舞踊詩 リヒアルト シュトラウス (大正十四年武蔵境にて)
賣られ行く奴隷 〃 ウラジミール レビコフ (〃)
奇妙 〃 スクリアビン (〃)
失念 〃 サムエール マイカパー (大正十五年武蔵境にて)
グロテスク(振附小浪) 〃 エドワード グリーク (〃)
山を登る 〃 〃 (大正十四年武蔵境にて)
黄昏ゆく山々 〃 〃 (昭和二年武蔵境にて)
ヘブライのメロデイ 〃 モーリス ラヴェル (大正十四年武蔵境にて)
百鬼夜行 舞踏 エドワード ホールスト (昭和二年武蔵境にて)
あきらめ 舞踊詩 エドワード グリーク (大正十四年武蔵境にて)
ブラームスの子守唄 〃 ヨハンネス ブラームス (昭和二年武蔵境にて)
パセティックソナタより 〃 ベートーヴェン (〃)
ゴリウォーッグの 子供の爲の舞踊 クロード ドゥビュスイ (大正十五年武蔵境にて)
ケーキウォーク
こわがらせる 〃 シューマン (〃)
重大事 〃 〃 (〃)
鬼ごっこ 〃 〃 (〃)
習作(1) 無音楽舞踊 銅鑼の音にて (〃)
習作(2) 〃 〃 (〃)
群舞 〃 〃 (〃)
美しき青きダニューブ河に沿ひて 舞踏 ヨハン シュトラスス (大正十五年武蔵境にて)
人間禮讃(四幕) 無言詩劇 小松平五郎 (昭和二年武蔵境にて)
金魚 子供の爲の舞踊 ランゲ (大正十五年武蔵境にて)
海洋の幻想 劇的舞踊 藤井清水 (昭和二年武蔵境にて)
食慾をそヽる 無音楽舞踊 木魚の音にて (昭和二年武蔵境にて)
大正十一年以前の創作にかゝるものは二三を除くの外本表の中に入れてありません。例へば舞踊劇「圓光は人に見えず」「道成寺の幻想」のやうな種類であります。
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舞踊の史的展開
-昭和二年七月三日於東京朝日講堂公演-
擬態舞踊
1、「
金魚」
‥‥‥ランゲ曲
金魚の泳ぎ、その、描寫的な舞踊化ー
2、「
グロテスク」
‥‥‥ エドワード・グリーク曲
シェークスピアの「マクベス」に現れて來る三人の妖怪 ‥‥‥ 彼等の持つグロテスクな一面の印象的な舞踊化。随って妖怪それ自身の舞踊ではありません。
此の舞踊の運動は蟇のそれからそのテーマを暗示されて居ます。即ちそれは「蟇の踊り」とも云ひ得ませう。その意味で一つの擬態舞踊なのであります。
劇的舞踊
此の「劇的」といふ意味は必しも所謂ドラマティクではありません、一つの物語とか筋とか、さういふものが運ばれてゐる舞踊、それが此の部に加入されます。
3、「
囚はれたる人」
‥‥‥ ラハマニノフ曲
原曲はラハマニノフの「プレリュード」であって、「囚はれたる人」といふ曲名ではありません。
渡歐の途次、私はベルリンに着くと同時に此の曲に振附して、ヨーロッパ第一回の公演以来、各地に持って廻りました。
樂想はたしかナポレオン軍のモスクヴァに於ける敗北を表したものでありますが、舞踊の心はナポレオンではありません。
人間‥‥‥たゞ人間‥‥‥彼は囚はれてゐる‥‥‥失はれた自由‥‥‥人生。
註。なほ此の作品は昨秋日本で封切られたウーファ・フィルム「美と力への道」舞踊篇に加へられて居ります。
-文藝部-
4、「
こわらがせる」
‥‥‥ シューマン曲
樂聖シューマンが子供のために書下した音樂、それのメールヒュン的な舞踊化。
5、「
若きパンとニムフ」
‥‥‥ 山田耕作曲
森の保護神パンー
水の精ニムフー
性格が全く相異した此のパンとニムフを假りて、蒸し暑く倦怠な眞夏の午後の雰囲気、その舞踊
劇的舞踊と純舞踊との中間にあるもの
6、「
メランコリィ」
‥‥‥ エドワード グリーク曲
憂鬱‥‥‥しかしどこまでも北方的な‥‥‥閉された人の心‥‥‥雪空の重たさ、蹲った影‥‥‥
搖曳する幻像‥‥‥儚く、捕捉しがたい‥‥‥。
註。三木露風氏の詩「荒野」からヒントを得た舞踊詩。
7、「
山を登る」
‥‥‥ エドワード グリーク曲
山を登るー
荒削りの木彫的効果、私は此の作品によって幾分でもそれを出したいと思ひました。
純舞踊
8、「
法悦」
‥‥‥ 山田耕作曲
舞踊詩として私等の處女作りであます。
大正四年頃、山田耕作氏指揮の下で帝劇に上演した、これはその際の作品の一つであります。
9、「
あきらめ」
‥‥‥ エドワード グリーク曲
あきらめ、最早それは言葉を超越した‥‥‥
10、「
マスク」
‥‥‥ スクリャービン曲
假面‥‥‥指のない手‥‥‥空洞な併しながら心を覗入る木偶の眼。
マスクに對したとき感じさせられる不気味な感觸。
11、「
ブラームスの子守歌」
‥‥‥ ヨハネス ブラームス曲
子供のためにブラームスが作った三つのインテルメツォの一つ。歌詞を伴はない子守歌。それの舞踊化。
註。よく歌はれてゐる所謂「ブラームスの子守歌」の曲ではありません。
準無音楽舞踊
音楽伴奏舞踊から無音楽舞踊へ過渡して行く一つのプロセス。
12、「
食慾をそヽる」
‥‥‥ 木魚の音にて
赤裸々な心になった人間の姿‥‥‥それを第三者の立場から覗く‥‥‥その気持の表現。
新宿のあるカフェーで發見された舞踊。
番外
13、舞踏「
美しき青きダニーブ河に沿ひて」
‥‥‥ ヨハン シュトラウス曲
舞踊ではなくて、舞踏であります。
ヨハン シュトラウスの代表的圓舞曲、その舞踏化。
・研究發表會豫約會員募集 舞踊研究生募集
・編輯後記 (漠)(武田忠哉)
・表紙 石井漠の「囚れたる人」〔上の写真:左から1枚目〕
昭和二年七月一日發行
東京府下武蔵境
發行兼編輯人 石井漠
東京府下武蔵境
發行所 石井漠舞踊研究所
文藝部