蔵書目録

北京之春、文革、林彪、明治・大正・昭和:音楽、演劇、舞踊、軍事、医学、教習、目録:蓄音器、風琴、煙火、音譜、絵葉書

『エフレム・ヂンバリスト』 (1922.5)

2022年02月14日 | ヴァイオリニスト ハイフェッツ、小野アンナ他

   

エフレム・ヂンバリスト

〔挿絵〕
 ヂンバリスト氏演奏會舞臺裝置 ‥‥ 薄拙太郎


〔口絵写真〕
 ・EFREM ZIMBALIST
 ・EFREM ZIMBALIST(結婚紀念)
 ・ALMA GLUCK(結婚紀念)
 ・Zimbalist-Ⅰ to move
   この寫眞はヂンバリスト氏がニューヨークのお宅で愛妻アルマ・グルック女史と将棋をさしてゐらるヽ所です、お二人の仲の良さは紐育社交界の評判也
 ・Zimbalist-Ⅰand Ⅱ
   この可愛いベビーはエフレム君(三才)です、此外に六才のお嬢ちゃんがあります
   大天才と大天才との血を享けた兒等の未來は可成り興味を以て見られて居ります
 ・on the deek.     (キーストンステート號にて)
   向って右アッシマン氏・左ヂンバリスト氏
 ・At the Oriental Hotel  (樂聖出迎記參照)
   向って右より杉浦氏・アシマン氏・ヂンバリスト氏・永田氏
   
 (目次)
  帝劇の文化使命     ‥‥ 山本專務
  エフレム・ヂンバリスト ‥‥ 永田龍雄
  アルマ・グルックのこと ‥‥ 仝人
  ヴレゴリイ・アシュマン ‥‥ 仝人
  樂聖出迎記       ‥‥ 仝人

 ヂンバリスト氏の乘船アドミラル・ラインのキーストン・ステート號は豫定の十三日にはとうとう來なかった。
 十四日も山本專務と共に横濱の波止塲へ出掛けた。
 きのふの無線によると遲くも一時には棧橋へ横着けられるといふのに、それらしい影さへ見へない。專務は臺覽劇の舞臺稽古やベルジュム公使館の招待會やで公私一入多忙な体でゐられる、そこであたしは後の事を引受けて專務に歸って戴いた。
 あたしはメトロポリタンのマ子ージャアであるカティ、カサッザなどと、わが專務の熱情的な、藝術家に酬ゆる心の比較などをして、熱い感謝の心が專務のうへにそゝがれた。
 あたしは、今朝、朝湯にはいってきたので、この雨の日の火のけのない階上で、どうやら風邪をひいた氣味を感じた。
 薄畵伯や杉浦氏や横濱の寫眞技師やと酒を命じてのんだ、五時になると、もうこの階上のバァは、とじてしまった。
 西空がすこし明らんで雨が小やみになった時はもう六時であった、このとき、やうやくキーストン號は靑い大きな船體を棧橋にちかづけてゐた。
 大きな甲板は玻璃窓でくぎられてあった、仰のけば、幾百の顔が、いちやうに、棧橋を見下ろしてゐた。
 どこにゐるだらう。
 もう薄ら明りの玻璃窓のなかから、どうも寫眞で見覺えのヂンバリスト氏らしい顔が靜かに浮き出て見える。
 あれだなと思ふ切那に帽子をふって見ると、むかふでも帽をふってくれた。
 やがて微笑した顔が、いよいよそれだとわかるやうになった。
 十分ほどたってわれわれは熱い握手をかはした、ヂンバリスト氏の伴奏者のグレゴリイ、アッシュマン氏とも熱い握手をかはした、あたしの手は、はづかしいほど冷えてゐた、握手をせられる手は、ほんとに熱かった。あたしは、くれぐれも專務山本の出迎へのことを物語った、きのふもきた、けふもきた、そう言った時にヂ氏はお氣の毒であったと言った。
 棧橋の木舗を踏んでヂンバリスト氏はうれしげにニ三度飛んだ。スパッツをはめた氏の赤靴には土がついてゐなかった。
 それから一行はオリエンタル、ホテルまで車をすゝめた、二人とも物珍らしげに東洋のリキシャマンの初乗りをした。
 ホテルで紅茶とトーストをすませ記念撮影をして、自働車で櫻木町まできた。
 車中は、あたたかだった。
(あの木の履で歩きにくゝはないか)ヂ氏は向側の高足駄をはいた人を見てそっと囁いた。
(いゝえ決して)
(日本の女性の黑髪は美くしいですね)
(さう思ひますか)
(えゝ)
(するとあなたの日本印象の第一は黑髪と木の履ですね)
(えゝ)
 しづかに笑はれる、實に物靜かな人だ、鼠色のサックコート、黑鵞絨の帽子、その好みからしてアメリカの匂ひがない、イングリッシュ、ゼントルマンだ。
(あなたはアメリカで、ひょっちゅう、どこにリシデンスをもっておすまゐですか)
(紐育シチィです、市の公園にホームがあるのです)
 あたしがリシデンスと言ったのを言ひ消すようにホームと言った、ますます氏のなつかしい言行が匂ひやかに、わたしをとらへるのだ。
(あなたの名はチンバリストですか、それともヂンバリストと濁るのですか)
(ドイツではチント言ひますが、あたしの正しい名はヂンバリストと濁るのです)
 こゝで、あたしは廣く日本の人々に氏がヂンバリスト氏である事をしらせて置きたいと思ふ。
(あゝ櫻がー)。
 つれのアッシュマン氏が言ふ。
(もう櫻は遲いのです、よくふる雨で、あんなにあせてゐるのです)
(あなたのお兒さんは)
(二人あります、長女はことし六歳つぎが長男で三歳ヱフレムと言ひます)
 あたしはしまったと思った、小傳には六歳の男兒しかないと書いたことを氏にあやまった。
(オゝさう)事もなげに笑はれた。
(夫人のグルックは)
(今スペインの旅です)
(あなたは山田耕作君を知ってゐますか)
(えゝニ三月あとに紐育で逢ひました、あたしの家内が彼の作曲したものをカア子ギイで唄ったはづです、彼はまだ旅中ですか)
(いゝえ彼は最近歸京しました、あなたは逢へるでせう)
(お國は立派な世界的の人をもってゐます、オ〻もうこれが東京ですか)
 新橋の驛を出ると築地の方の空から雨後の大きな春の月が、あがりかけやうとして居た。
 劇場にきた、ちょうど幕間であるので、喫煙室に案内をする。氏のブロークン、メロディが十字屋の店員によって、おほくの聽衆にきかされて居た。
 氏は眼をつぶって、だまって、レコオドをきいてゐた。舞臺にも立って見た。
 スプレンデイド!かう氏は言った。
 ちょうど「桂川」があくところで宗之助君がグリーンルームに女房おきぬの姿でやってきた。
 握手をした。この東洋獨特の女形の顔をぢっと見てゐた氏は、やがて
(あれは、アクトア)かと訊ねた。
 まもなく二人は山本專務と會見をした、さうして紀念撮影をした。   (四月十七日午后)
  
  表紙ハ挿畵スケッチ   ‥‥ 薄拙太郎
  
  編輯          ‥‥ 杉浦善三
 
 大正十一年五月一日發行
 
 〔蔵書目録注〕
  
 上の写真一番右は、本書に挟まっていたもので、十字屋楽器店の関連レコード広告の紙片。


「諏訪根自子渡欧告別提琴獨奏会」 日比谷公会堂 (1936.1.21)

2021年12月21日 | ヴァイオリニスト ハイフェッツ、小野アンナ他

   

諏訪根自子渡欧告別提琴獨奏會
  1月21日午後七時
  日比谷公會堂
 主催 東京朝日新聞社

                         曲目
            
 1.協奏曲第七番ニ長調 ‥‥‥ モツアルト
       (カデンツアはエネスコによる、本邦初演)
     アレグロ マエストーゾ
        アンダンテ
           ロンド、アレグロ
 2.無伴奏 奏鳴曲第一番 ト短調 ‥‥‥ バッハ
     アダヂオーフーガ アレグローシシリアナープレスト
 3.  (イ)ガヴォット ‥‥‥ バッハークライスラー
   (ロ)夢の後 ‥‥‥ フォーレ
   (ハ)セレナーデ エスパニヨール
                グラズノフークライスラー
            休憩
             
 4.イントロダクシヨンとロンド カプリチオーソ
                  サンサーンス
 5.  (イ)印度哀傷曲 ‥‥‥ ドヴォルザークークライスラー
   (ロ)ヴアルス ブリュエット ‥‥‥ ドリゴーアウエル
   (ハ)歌劇「儚なき生命」よりのスペイン舞曲
                  デ・ファリアークライスラー
 
    ピアノ伴奏 ナディーヌ・ド・ロイヒテンベルヒ夫人
  
         メースン・アンド・ハムリンピアノ使用


「諏訪根自子ヴァイオリン独奏会」 帝国劇場 (1946.10.8-9)

2021年04月27日 | ヴァイオリニスト ハイフェッツ、小野アンナ他

    

藝術祭
  Teigeki NO.12

 藝術祭音樂會
  〔昭和21年〕10月5日10日 毎夕5時開演
 
 第一夜(十月五日・土曜日)
   安川加壽子ピアノ獨奏會
 第二夜(十月六日・日曜日)
 第三夜(十月七日・月曜日)
   山口淑子獨唱會
     ピアノ伴奏 山田和男
     指揮    山田和男
     演奏    東寶交響樂團
 第四夜(十月八日・火曜日)
 第五夜(十月九日・水曜日)
   諏訪根自子ヴァイオリン独奏会
     ピアノ伴奏 マンフレッド・グルリット
 第六夜(十月十日・木曜日)
   井口基成ピアノ獨奏會
    「ベートーヴェン名曲の夕」
     指揮    上田仁
     演奏    東寶交響樂團

 諏訪根自子ヴァイオリン獨奏會
      ピアノ伴奏 マンフレッド・グルリット
  
第一日(8日)
         - 曲  目 -
 (1)「奏鳴曲」ト調              ‥‥ ギヨオム・ルキュウ
       (イザイエに捧ぐ)
 (2)「ヴァイオリン協奏曲」第3番(ロ短調)作品61番 ‥‥ サン・サァーン
       (サラサーテに捧ぐ)
                  -休憩-
 (3)(イ)アリオーソ             ‥‥ バッハ=ルチーニ
     (ロ)狂詩曲第20番         ‥‥ パガニーニ=クライスラー
     (ハ)子守唄            ‥‥ マツクス・レガア
     (ニ)華麗なるポロネーズ1番(作品4番) ‥‥ ウイニアフスキイー
第二日(9日)
         - 曲  目 -
 (1)「奏鳴曲4番」ニ長調           ‥‥ ヘンデル
        アダヂオーアレグローラルゲットーアレグロ
 (2)シャコンヌ(無伴奏)           ‥‥ バッハ
        (パルテイタ2番より)
                  -休憩-
 (3)Ⅰ 月光(ベルガマスク組曲より)      ‥‥ ドビュッシー
    Ⅱ 熊峰の飛行            ‥‥ リムスキイ・コルサコフ
    Ⅲ アルチューズの泉         ‥‥ カロル・シマノフスキー
    Ⅳ 詩曲(作品25番)         ‥‥ ショウソン

   ・曲目解説・ 〔省略〕 

  内氣なスタアー・諏訪根自子

 昭和十一年一月、當時わが樂壇の人氣と要望を一身に背負って十六歳の天才少女ヴァイオリニスト諏訪根自子さんが、遙かヨーロッパへと勉學に旅立ってから旣に十餘年、その間のわが國は大半今次大戰の期間に費され、文化の汲収は少く、殆んど根自子さんの消息すら途絶へ勝ちであった。 
 然し幸ひ彼女は滯歐中は健在であり孜々として勉學に努め、歐洲各地に於いて音樂文化使節の意義を示し名聲を擧げてゐたのである。彼女の歐洲に於ける音樂生活の一部を掲載した「瑞西チューリッヒ」の週刊誌よりその報告を知り得ることは興味深いことである。〔下は、その一部〕

      ◇

 はるけき東京からの戰争勃発は、彼女を驚かし、故郷への歸還は絶望となつたが、一九四二年からは彼女の名は、相續く演奏旅行によつて、ドイツとオーストリアに知れ渡つた。彼友クナツペルツブツシュの指揮するベルリン・フィルハーモニー管絃樂團や、ヴァイスバッハの指揮するウインナ・フィルハーニー管絃團と共に演奏し、その曲目はブラーム、モーツアルト、ハイドン、ヘンデル、バッハ、ベートーヴェンなどの名曲を得意とする。 

  瑞西コンセルヴァトアール演奏会に於ける海外批評 〔下は、その一部〕

 -ベルリン演奏会評-

 ハンス・クナツペルツ・ブツシユの指揮の下に、ベルリン・フィルハーモニー管絃團は、シューマンの『第四ニ短調交響曲』を演奏し、獨創的な再現法を以てシューマンの音樂的靈感をあますことなく傳へた。尚ここに若き日本女性、諏訪根自子が登場し、ブラームスのヴアイオリン協奏曲を演奏したが、美しい情緒と絶大な技巧を以て、彼女の卓抜な才能を披歷した。

 この『Teigeki NO.12 芸術祭』は、裏表紙に「昭和二十一年〔一九四六年〕九月二十日發行」とある。

 なお、『諏訪根自子』の「諏訪根自子演奏会記録」によれば、八日のルクウの「奏鳴曲 ト調」は、(本邦初演)であり、さらに十一日にも独奏会が開かれた。

 十一日の曲目は
 (一)バッハの「シャコンヌ」
 (二)ウイニアウスキーの「協奏曲 第二番」
 (三)バッハの「アリオーソ」
    リムスキー・コルサコフの「熊蜂の飛行」
    ラヴェルの「ハバネラ形式による小品」
    ショウソンの「詩曲」
 伴奏はグルリット氏であった。


「諏訪根自子 帰国特別演奏会」 帝国劇場 (1946.10.3)

2021年04月26日 | ヴァイオリニスト ハイフェッツ、小野アンナ他

   

  諏訪根自子
 歸國特別演奏會
 ピアノ伴奏 マンフレッド・グルリット
  〔昭和21年:1946年〕10月3日 5時開演
  主催 東寶株式會社
     朝日新聞厚生事業團
  帝國劇場

      PROGRAM

 (1)Trille de diable           ‥‥ Tartini-Kreisler
 (2)Concerto No.2 (Re-mineur) Op.22  ‥‥ Wieniawski
       Ⅰ Allegro moderato
        Ⅱ Romance
        Ⅲ Allegro con fuoco
 (3)(a)Prelude et Allegro                      ‥‥ Pugnani-Kreisler
   (b)Melodie            ‥‥ Gluck-Kreisler
    (c) Piece en forme de habanera  ‥‥ Ravel
    (d) Zapateade           ‥‥ Sarasate

        ー 曲目 ー

  (1)惡魔のトリル             ‥‥ タルティーニ・クライスラー
  (2)ヴァイオリン協奏曲「第2番」(ニ短調)作品22番  ‥‥ ウイニアウスキー
        第1樂章 アレグロ・モデラート
        第2樂章 ローマンス
        第3樂章 アレグロ・コン・フォコ
  (3)(イ)プレリュードとアレグロ       ‥‥ プニャーニ・クライスラー
     (ロ)メロディー           ‥‥ グルック・クライスラー
     (ハ)ハバネラ形式による小品     ‥‥ ラヴェル
     (ニ)ザパテアード          ‥‥ サラサーテ

     諏訪根自子・紹介

 平和のヨーロッパより動亂のヨーロッパにかけて、嚴しい勉學と凡ゆる苦難の滯歐欧生活十年間を送った諏訪根自子は、昨年末再び平和に戻った故國日本に帰り、其の後約十ヶ月の沈黙を破って、秋の樂壇の最大のトッピクとして久し振りに登場した。
 彼女は大正九年一月二十三日東京に生れ、五歳の時始めてヴァイオリンの敎へを受け、後に小野アンナ女史に就いて學んだが、その天賦は小野女史に認められ、昭和二年九歳にしてデビュウした。十一歳よりモギレフスキー氏に就いて學ぶに到って、當時日本最初の天才少女ヴァイオリニストとして我が樂壇を驚かせ、その名は一躍全國に廣まった。
 一九三六年故國の聲援に送られて十六歳の一少女は先づベルギーの首都ブラッセルに赴き、ショーモン敎授に就いて提琴を學んだ。次いで一九三八年には巴里へ移り、ロシア人の敎授でありテイボーと親しいボリス・カメンスキー氏に就て最高技法を修めた。其の後六年間巴里に滯在し、一九三九年巴里ショパン樂堂に初めてリサイタルを開いて好評を博し、又一九四二年にはジャン・フールネ指揮の巴里コンセール・ラムルウと協演して絶讃された。その間獨逸、墺太利、瑞西等各地に數回のリサイタルを開き、何れも大好評を博してゐる。
 一九四五年五月、歐洲大戰の終結に際して、未だ對日戰繼續當時の爲米軍によって南獨に於て抑留されたが、フランスより米國を經由して一九四五年十二月初旬無事祖國へ歸還することが出來た。
 なお今秋樂壇にデビュウするに先だち東寶専屬藝術家として契約してゐる。

   諏訪根自子に對する
      「海外批評」抜粋

    ー ラ・スイス紙より ー

 この若い日本の女流提琴家は、わが國に於いて一聯のコンサートを催すのであるが、先づコンセルヴァトアールで演奏した。
 諏訪根自子は輝しいテクニックに惠まれ、それが音響の美しいといふ特性と結び付いてゐる。
 事實、ラロの「スペイン交響樂」。プニャーニの「プレリュードとアレグロ」或ひは、ウィニアフスキイの「ポロネーズ」(ニ長調)の如き作品は、演奏に當って先づ何よりも柔軟にして豊かな藝と、偉大なる技巧を必要とするのであるが、諏訪根自子の藝術は直接これらの二つの要素から生れてゐるし、またこれ等の作品を彼女は豊かな情熱をもって演奏した。(一九四四年十一月六日)

    ー ジュルナル・ド・ジュネーヴ紙より ー

 土曜日の夜、コンセルヴァトアールのホールで東京生れの女流提琴家諏訪根自子が出演したが、彼女は器樂家の天才と女流音樂家としての天性が確定的であり、しかも發展的である。 
 長く柔軟な弓、確實である左手、アンサンブルに於ける輝かしく、輕妙にして熱情ある技倆が、この藝術家の卓れたところである。ブラームスの「ソナタ」第一番(ト長調)では彼女の解釋の落付いた性格、あの音樂的で貴品ある演奏の「アレグロ」は特に注目すべきである。(一九四四年十一月六日)

    ー ガゼット・ド・ローザンヌ紙より ー

 ジャック・テイボーが彼の愛する「スペイン交響樂」が、この日本の女性の手に演奏されるのを聽けば、何と言ったであらうか。我々は、華麗で劇しく、堂々と響くかと思へば、またまことに繊細な演奏を聽くことが出來たのであった。
 諏訪根自子は例外的な手腕を持ってゐる。即ち、非常に長い弓、完成された調和、その樂節の内容をぶちまけようとする手法、ダブル奏法の素晴らしい融合など。しかもこれらの技術がすべて、その身心ともに音樂的であり、融和的であると思はれる天性に協力してゐるのである。(一九四四年十一月七日)

    ー ローザンヌ・フゥイーユ・ダヴィ紙より ー

 諏訪根自子は、弓を取ってはヴィルジールの黄金の小技を奪ひとった。彼女はまことに女らしい品格をもっておだやかに演奏する。愛するセンスの貧困な音樂にさへ、彼女は繊細な魂を與へ、その點では多くの達人たちの傳統に忠實である。
 彼女にはブラームスの「ソナタ」よりも、ラロのエレジー的で靜明なリリシズム、プニャーニ=クライスラーの「プレリュードとアレグロ」、ラヴェルの「ハバネラ」の方が、またグルックの「オルフェ」の樂しき影をたゝへた曲の方がふさはしい。この後者の曲では、繊細なニュアンスを見せ、その鳴響性に巧みであり、容易ならぬメロディー・ラインに確實であった。
 彼女の魅力は、凡そ空虚な音樂でさへも、彼女の仙女の如き達者な指にかゝると、誠に偉大な力を持つだらうといふことである。
 オルフェの如く、根自子嬢は、音樂の平和で崇高な魔術を展開し、眞實、この藝術こそは、風格を和らげるものであることを證明した。(一九四四年十一月四日)

    ー ジュネーヴ・トリビューン紙より ー

 けだしこの若い日本の女流提琴家は、その持つ生來の天才をもってすれば、刻苦精勵の上は、彼女の携へてゐる立派な樂器から、なほ變化あるパートを惹き出し得るであらうし、また旣に征服した月桂樹に、更に新しいそれをつけ加へることも疑ひないところである。(一九四四年十一月七日)

 なお、上の写真の一番右は、このプログラムにある「藝術祭音樂會」の予告広告である。


「(ピアストロ) 告別 音楽大演奏会」 (1919.10.11)

2021年04月10日 | ヴァイオリニスト ハイフェッツ、小野アンナ他

 

    主催 洋樂研精會
 告別 音樂大演奏會
  世界的バイオリン大家  ミカエル・ピアストロ氏
  洋琴大家        レブ・ショル氏
   大正八年十月十一日(土曜日)午後七時半
   神田美土代町基督敎靑年會舘にて  
              會費・一圓・二圓・三圓
              十字屋・山野・共益商社
              當日會塲入口にて發賣
 
 告別演奏曲目
       獨奏者 ピアストロ
       伴奏者 ショル氏

 一、クライスラーの編曲四編
   (イ) プレリューディウムとアレグロ  ‥‥‥ プグナニ作
   (ロ) シシリエンヌとリゴウドン   ‥‥‥ フランクール作  
   (ハ) スケルツォー         ‥‥‥ ディッテルスドルフ作
   (ニ) コレリの主題に依る替手曲   ‥‥‥ タルチニ作
 二、ピアノ獨彈(ショル氏)
     バラーデ 短と調       ‥‥‥ ショパン作
 三、クライスラーの作曲四編
     (イ) カプリース・ヴィノーア     ‥‥‥ クライスラー作
   (ロ) タンプリン・チノーア     ‥‥‥ クライスラー作  
   (ハ) リーベスリード        ‥‥‥ クライスラー作
   (ニ) リーベスフロイデ       ‥‥‥ クライスラー作
 四、お好み三編
   (イ) カンヅオネッタ         ‥‥‥ チャイコウスキ作
   (ロ) ユモレスク          ‥‥‥ ドボルシャック作  
   (ハ) ハンガリアンダンス      ‥‥‥ ブラームス作 ヨアヒム編
 五、サラサーテの作品二編
   (イ) ロマンツァ・アンダルーゾ   ‥‥‥ サラサーテ作
   (ロ) チゴイネルワイゼン      ‥‥‥ サラサーテ作
 
 ―注意ー ピアストロ氏の告別演奏として選ばれたる曲目は、右列の如き多樣多變のものにして、かゝる名曲整ひの演奏は空前絶後なりと信ず。且つは吾人再びピアストロ氏を聽くの機會ある事なし。切に來聽を祈る。


「クライスラー氏演奏会」 (京都) (1923.5.14-15))

2021年04月04日 | ヴァイオリニスト ハイフェッツ、小野アンナ他

 

 GRAND RECITAL
          BY
Mr. Fritz Kreisler
    WORLD❜S GREATEST VIOLIST
 MR. MICHAEL RACHESEN
    (PIANO
                AT
   The Kyoto City Public Hall
               ON
 14th & 15th May 1923,  at  7 :p.m.
  Sponsored by the Osaka Mainichi Shinbun
 Under the Auspices of The Kyoto Philharmonic Society
           ADMISSION
      Yen 8. 5. 3.(2.  Student)

    提琴界の覇王
 クライスラー氏演奏會
   伴奏 ミハエル・ラパイゼン
  五月十四日(月) 十五日(火) 兩夜七時半
    於 岡崎公會堂
  主催 京都フヰルハーモニツク ソサイエテー
  後援 大阪毎日新聞社京都支局
    會員券 八圓・五圓・参圓・学生券貳圓

      曲目

     五月十四日

 1.クロイツエル ソナタ 作品四七 ‥‥ ベートーヴエン
      アダヂオ ソステヌート
        プレスト
           アンダンテ コン ヴアリアチオーニ
 
 2.コンチエルト ホ短調 作品六七 ‥‥ メンデルスゾーン
      アレグロ モルト アツパツシヨナート
        アルレグレツト ノン トロツポ
           アルレグロ モルト ヴイヴアチエ

       休憩

 3.イ)ロンド ト長調   ‥‥ モツアルト
  ロ)ワルツ       ‥‥ ブラームスーホツチスタイン
  ハ)ユーモレスク    ‥‥ ドボルヂヤツクークライスラー
  ニ)カプリス・ヴエノア ‥‥ クライスラー
  ホ)タムボラン・シノア ‥‥ クライスラー

      五月十五日

 1.ソナタ ホ長調 ‥‥ バツハ
      プレリュード
        ガボツト
           ミヌエツト 1-2
             ヂーグ
 
 2.コンチエルト 第一 ト短調 作品二六 ‥‥ ブルツク
      プレリュード
        アレグロ モデラート
           アダヂオ
             アルレグロ エネルヂゴ

       休憩

 3.イ)上藹         ‥‥ クープランークライスラー
  ロ)ヴエリエーシヨンス  ‥‥ タルテイーニークライスラー
  ハ)ロンド ニー長調   ‥‥ シューベルトーフリードベルヒ
  ニ)印度人の哀歌     ‥‥ ドボルヂヤツクークライスラー
  ホ)古都ウインナのワルツ 三曲 ‥‥ クライスラー
      1.哀しき戀 2.麗しきロズマリン 3.戀の歓び

 なお、裏表紙は、四條高倉の「大丸呉服店」の広告である。

  

 クライスラーと音樂同好俱楽部並にフィルハーモニー・ソサイエティーの人々 大正十二年五月十四日稲畑邸にて

   『京都音楽史』 一九四二年 より

   

贈呈
 クライスラー演奏曲目解説
     發行所
 東京 山野樂器店 銀座

    
 クライスラーは帝國劇塲を始め各所に演奏会會を開く。クライスラーの傳記や樂風に就いては、雜誌『月刊樂譜』の四月號で詳しく述べて置いたから、茲には詳述しない。クライスラーの如き巨匠を私共のゐる日本に迎へることが出來たことを心から喜ばざるを得ないのである。私は山野樂器店の請に應じて、クライスラーが今度、演奏する曲目を解説したのである。
 クライスラーの演奏を聞きに行く人は、先づ樂譜に依って曲を調べて行く方がいゝ。然し乍ら樂譜は日本に餘り來てゐないやうである。從って演奏會に行かうとするには、先づ解説書を讀んで、それからレコードで幾回も聞いた上で行く方が便利である。レコードはヴィクター會社のものにしか這入ってゐないけれども、ヴィクターのレコードには大抵の曲が這入ってゐる。これを以って研究した上で演奏會に行ったら、大抵の曲はよく解るであらうと思ふ。近頃は音樂家の演奏を評して『全く蓄音器のやうだ』と云ふ言葉を聞くが、今度は實際の演奏を聞いてからレコードをかけて、『蓄音器と同じ』だかどうかを知ることも出來るのである。そればかりでなくて、クライスラーのやうな大家は再び日本に來ることを保證されない。從って今回の演奏を忘れない爲めにも、レコードを持ってゐて、常にかけて聞く必要があらうと思はれるのである。クライスラーのレコードは山野樂器店に澤山そろへてある。
   大正十二年四月二十三日 解説者識

 クライスラーの演奏曲目
          門馬直衛解説 〔以下、曲目のみ、解説は省略〕

一、(イ)コンチエルト は長調 ‥‥ ヴイヴアルデイ作曲
    (a)アレグロ・エネルジコ
    (b)アンダンテ・ドロローズ
    (c)アレグロ・モルト
   (ロ)前奏曲と快速曲 ‥‥ プニアーニ作曲
 
 ニ、ソナタ と短調 ‥‥ バッハ作曲  
   (a)アダジオ (b)フーゲ (c)シゝリアノ (d)プレスト
 
 三、(イ)アンダンテイノ ‥‥ パドレ・マルテイニ作曲
                 クライスラー編曲
   (ロ)ルイ十三世の歌とパヴアーヌ舞曲 ‥‥ クープラン作曲
                         クライスラー作曲
   (ハ)『ロザムンデ』中の舞曲 ‥‥ シユーバート作曲
                     クライスラー編曲
   (ニ)歌劇『金鶏』中の太陽の讃歌 ‥‥ リムスキーコルサコフ作曲
                       クライスラー編曲
   (ホ)カプリス・ヴイノア ‥‥ クライスラー作曲
   (ヘ)タンブラン・シノア ‥‥ クライスラー作曲
 
 四、クロイツアー・ソナタ作品四十七番 ‥‥ ベートーヴェン作曲
   (a) アダジオ・ソステヌート
   (b) プレスト
   (c) アンダンテ・コン・バリアチオーニ
 
 五、コンチエルトE短調作品六十四番 ‥‥ メンデルスゾーン作曲
   (a) アフグロ・モルト・アツパショナート
   (b) アレグレット・マノン、トロッポ
   (c) カレグロ・モルト・ブイバーヂエ
 
 六、(イ)旋律 ‥‥ グルツク作曲
   (ロ)ロンドG長調 ‥‥ モツアルト作曲
   (ハ)ワルツ ‥‥ プラームス作曲
              ホツホシタイン編曲
   (ニ)ロータス・ランド ‥‥ シリル・スツコト作曲
   (ホ)二つの狂想曲 ‥‥ パガニーニ作曲
                   クライスラー編曲
    (a)B短調 (b)E短調
 
 七、ソナタ ‥‥ バツハ作曲
    (a)前奏曲
    (b)ガヴオツト
    (c)メヌエツト
    (d)ジイグ
 
 八、コンチエルトG短調作品二十六番 ‥‥ マツクス・ブルツフ作
    (a)前奏曲 (b)終曲
 
 九、(イ)ラ・プレシユーズ ‥‥ クープラン作曲
                     クライスラー編曲
   (ロ)變奏曲 ‥‥ タルテイニ作曲
               クライスラー編曲
   (ハ)ロンドD長調 ‥‥ シユーバート作曲
                  フリートベルヒ編曲
   (ニ)印度哀傷曲 ‥‥ ドヴオルジヤツク作曲
                  クライスラー編曲
   (ホ)“ウイーンの古代”ワルツ三曲 ‥‥ クライスラー作曲
 
 十、ソナタG長調作品七十八番 ‥‥ ブラームス作曲
   (a)ヴイヴアーチエ・マ・ノン・トロツポ
   (b)アダジヨ
   (c)アングロ・モルト・モデラート

 十一、第二コンチエルト ‥‥ ヴイオツテイ作曲
   (a)モデラート (b)アダジオ (c)アジタート・アツサイ

 十二、(イ)アリア ‥‥ バツハ作曲
    (ロ)メヌエツト ‥‥ ポルポーラ作曲
                 クライスラー編曲
    (ハ)モーマン・ミユジカル ‥‥ シユバート作曲
                        クライスラー編曲
    (ニ)印度の歌 ‥‥ リムスキー・コルサコフ作曲
                 クライスラー編曲
    (ホ)道化役者の小夜曲 ‥‥ クライスラー作曲
    (ヘ)ボヘミア幻想曲 ‥‥ シメタナ作曲

 十三、ソナタC短調作品三十番 ‥‥ ベートーヴエン作曲 
    (a)アレグロ
    (b)アダジオ・カンタビレ
    (c)スケルツオ・アレグロ
    (d)アレグロ

 十四、シヤコンヌ ‥‥ バツハ作曲

 十五、(イ)歌詞 ‥‥ ゴールトマーク作曲
    (ロ)狩(狂想曲) ‥‥ カルテイエー作曲
    (ハ)二つのスラヴ舞曲作品四十六番 ‥‥ ドヴオルジヤツク作曲
                         クライスラー編曲
       (a)G短調 (b)G長調
    (ニ)ロンド・カプリチオーソ ‥‥ サン・サーンス作曲

 この冊子には、ビクターレコードの広告がある。(上の写真参照)  

  ・THE KREISLER RECORDS 〔61枚〕
  ・FRITZ KRELISLER AND HUGO KREISLER - Violin and ‘Cello 〔2枚〕
  ・KREISLER & ZIMBALIST 〔3枚〕
  ・McCORMACK & KREISLER. 〔16枚〕
  ・FARRAR & KREISLER 〔2枚〕


「フリッツ・クライスラー氏 バイオリン大演奏会曲目」 (1923.5.1、4)

2021年04月04日 | ヴァイオリニスト ハイフェッツ、小野アンナ他

  

    フリッツ・クライスラー氏
  バイオリン大演奏會曲目
     大正十二年五月 一日火曜日)二日(水曜日)三日(木曜日)四日(金曜日)五日(土曜日) 午後七時半開演
     御入場料 特等ー金十五圓 一等ー金十三圓 二等ー金十圓 三等ー金四圓 四等ー金二圓
    帝國劇塲

 五月一日 クライスラー氏演奏曲目
         ピアノ伴奏  ミカエル・ラハイゼン
                    (スイタインウェー・ピアノ使用)
    (第一)
一、甲 競奏曲 ハ長調         ‥‥‥ ア・井゛ワ゛ルディ作
    活氣ある快速調
    哀愁を帶べる併步調
    最快速調
  乙 前奏曲と快速曲         ‥‥‥ ガエターノ・プニャーニ作
二、奏鳴曲 ト短調           ‥‥‥ バッハ作
   (ワ゛イオリンのみの奏鳴曲)
    緩徐調    ‥ 遁走曲
    シチリ舞踊調 ‥ 急速調
三、い、小併步曲            ‥‥‥ (パードレ・マルティーニ作 クライスラー編)
  ろ、路易十三世の歌とパワ゛ーヌ舞曲 ‥‥‥ (ルイ・クープラン作 クライスラー編)
  は、『ローザムンデ』中ノ舞曲    ‥‥‥ (シューバート作 クライスラー編)
  に、歌劇『金鷄』中ノ太陽ノ讃歌   ‥‥‥ (リムスキー・コルサコフ作 クライスラー編)
  ほ、維也納 狂想曲         ‥‥‥  クライスラー作         
  へ、支那の皷            ‥‥‥  クライスラー作
 
  □クライスラー氏「演奏曲目解説」(各種寫眞版二十頁挿入)塲内女子案内人携帶發賣致し居り候
  □クライスラー氏の名著、歐米兩洲に於て二百萬部を賣り盡したる『塹壕の四週間』(ワ゛イオリニストの實戰記、帝國劇塲音樂顧問牛山充譯)も發賣致し居り候

    フリッツ・クライスラー氏
  バイオリン大演奏會曲目
     大正十二年五月 一日(火曜日)二日(水曜日)三日(木曜日)四日金曜日)五日(土曜日) 午後七時半開演
     御入場料 特等ー金十五圓 一等ー金十三圓 二等ー金十圓 三等ー金四圓 四等ー金二圓
    帝國劇塲

 五月四日 クライスラー氏演奏曲目
         ピアノ伴奏  ミカエル・ラハイゼン
                    (スイタインウェー・ピアノ使用)
    
一、奏鳴曲 ト長調 作品七十八     ‥‥‥  ブラームス作
    疾速調 併し甚しくなく
    緩徐調
    快速調 最も中庸に
二、第二競奏曲 イ短調         ‥‥‥  ヂ・ビ・井゛オッティ作
    中庸調
    緩徐調
    最激動調
三、い、歌調              ‥‥‥  バッハ作
  ろ、細步舞曲            ‥‥‥ (ポルポーラ作 クライスラー編)
  は、音樂のとき           ‥‥‥ (シューバート作 クライスラー編)
  に、印度の歌(歌劇『サドゥコ』より)‥‥‥  リムスキー・コルサコフ作
  ほ、道化役者の黄昏曲        ‥‥‥  クライスラー作         
  へ、ボヘミア幻想曲         ‥‥‥  スメタナ作
 
  □クライスラー氏「演奏曲目解説」(各種寫眞版二十頁挿入)塲内女子案内人携帶發賣致し居り候
  □クライスラー氏の名著、歐米兩洲に於て二百萬部を賣り盡したる『塹壕の四週間』(ワ゛イオリニストの實戰記、帝國劇塲音樂顧問牛山充譯)も發賣致し居り候



 上の写真は、大正十二年五月、フリッツ・クライスラーの帝劇公演の広告絵葉書のものである。

 帝劇のクライスラー音楽会

 クライスラー提琴大音楽会   自一日至五日毎夕七時半開演  帝国劇場
  
  御入場料   特等 拾五圓 一等 拾三圓 二等 拾圓 三等 四圓 四等 貳圓
  特別一般割引 四月三十日迄に前賣切符お買求めのお方に限る
          特等 十二円 一等 十円  二等 八円 三等 三円 四等 一円五十銭
  特別團體割引 毎日各等二百人丈三十人以上の学生及学生團體に(座席限定)かぎる
         一等 七円 二等 五円 三等 二円

  クライスラー氏は一八五七年〔一八七五年〕ヴヰンに生る。氏の父は有名な刀圭家である。併し今日では氏は一個のオーストリヤ人でなく、國籍を超越せる世界人で、氏の藝術は淵のやうに深い、ロマンティシズムなポースを融合させたのが彼獨自の技巧だと云はれる。また氏は人格者として知られ、米國では「紐育の基督」と云はるゝ程の人である。

    

 上左の写真:『国際写真情報』 大正十二年 六月号 第二巻 第六号 に掲載されたもの。

  世界的提琴家クライスラー氏を東京駅に迎へた帝劇の女優連。

  Actressess of the Imperial Theatre welcoming Mr. Kreisler, a famous violinist of the world, at Tokyo Station.

 上右の写真:『写真通信』 大正十二年 六月号 第一百十二号 に掲載されたもの。

  名提琴家クライスラー氏を迎へて

  蓄音器のレコードで既にお馴染みのヴアイオリンの世界的名手クライスラー氏が我国を訪れ五月初旬帝劇で霊腕を振ひ聴衆に深き印象を刻みつけた。五月三日には畏くも秩父宮久邇宮両殿下台臨を給ひ名ヴアイオリニストは見に余る光栄に号泣した。甲冑界の新人三島章道子は千駄ヶ谷の自邸に遠来の珍客を招待し盛大な園遊会を催した。写真中央は三島子爵邸に於ける園遊会で右図は帝劇で演奏を終へた同氏左図は帝劇御成りの秩父久邇宮両殿下

 MR. KLEISLER, POSSESSOR OF THE WORLD-WIDE FAME ON VIOLIN COMES TO JAPAN

 

    クライスラー

 私はホルマン翁からクライスラー夫妻を紹介された。それで一夕遙々來朝したこの大提琴家に歡迎の微意を表しようと友人達と謀った。それでその旨をクライスラーに通じると夫妻は喜んで受けて呉れた。
 クライスラーは、世界大戰の時は軍人として戰線に働いたりして苦勞をした故か、思ったより年をとって見えた。日本の樂壇についての感想を述べ、極東の日本人が、西洋音樂を鑑賞する態度が斯樣に進んでゐるとは思はなかったと感心し、今度の旅行でジャワ、シンガポール、香港、上海等を演奏して歩いたが、その音樂會の聴衆は大部分が西歐人であった。土地の人といふべき東洋人は極く纔かで、その殆ど多くは、支那人でなく日本人であった。それ故、日本人は音樂が好きだといふことは想像してゐたものゝ、日本に來るまでは音樂會を催しても聽衆は西歐人の方が多いのではないかと思ってゐた。處が、實際を見て驚いたことには、東京は申す迄もなく、何處の土地に行っても、聽衆は殆んど日本人で、西歐人はほんの少數で、今迄とは全く正反對であったと話した。クライスラーはなほ言葉を續けて、その上驚くことには、日本の聽衆が好む曲は何れも立派なクラシックの音樂で、これは日本人の音樂の造詣がいかに深いか證明するものであると云った。クライスラーのこの言葉は、決してこの晩のコンプリメントではなく、クライスラーが歸國後その友人に同じことを語ってゐることから推しても、實際に感じた僞らざる印象であるらしい。
 暫く雜談の後、クライスラーは演奏をしてくれることゝなった。伴奏はクライスラーの伴奏者として一緒に來朝したラックハイゼン( Michael Racheisem )といふピアニストであった。このピアニストは、獨逸は勿論歐羅巴でも、この人の右に出る者はないと言はれる程の有名な伴奏者である。演奏は最初に、ベートーヴェンの「クロイッツェルソナタ」が彈かれた。その演奏は實に見事なものであった。このやうな曲はサロンで靜かに聽くのが本當なのであらう。次にクライスラーは、最も得意とする小曲、ボッケリーニのミヌエット、自作の「愛の喜び」「愛の悲み」などを演奏した。世界の何人も許す一流中の一流のこの演奏は、人々を非常によろこばせた。私達はこのやうな素晴らしい音樂を聽かせてくれたクライスラーに滿腔の感謝を捧げずにはゐられなかった。一同は、演奏が終っても恍惚として我を忘れ、いつまでも美しい夢に見入ってゐるやうであった。
 クライスラーは、有名な愛妻家であるといふことを私は聽いてゐた。そしてそれはこの晩にも證明された。といふのは、皆があのクライスラーでなければ聽くことの出來ない輕妙な美しい音樂に、未だ醒めやらず恍惚 うっとり としてゐるうちに、クライスラーの妻君は、今ストラディヴァリウスのヴァイオリンを大切さうに箱にしまってゐる夫君に向って、「フリッツ、あなたの仕事はもう濟んだのでせう、これから私のためにフォックス・トロットを彈いて頂戴」と云った。するとクライスラーは微笑し乍ら肯いて、ピアノの前に座って、實際にフォックス・トロットを彈き出した。人々は呆氣 あっけ にとられて、クライスラーとの妻君とを見較べたものである。

 上の文と写真は、昭和十八年三月三十日發行の 『薈庭樂話』 徳川賴貞 春陽堂書店 にあるものである。
 写真には、次の説明がある。

  クライスラーの筆蹟


『(ハイフェッツ演奏会プログラム)』 (中部、関西) (1931.10)

2021年03月31日 | ヴァイオリニスト ハイフェッツ、小野アンナ他

           

 HEIFETZ 
     accompagnement::
    ISIDOR ACHRON
  
             Directeur exclusif:A.Strok          

     主催 朝日新聞社會事業團 
 
  名古屋 十月二日    午后七時 於 名古屋市公會堂
  大阪    三日         於 朝日會館
        四日            〃   
  京都    六日         於 京都市公會堂 
  神戸    八日 午后七時三十分 於 旧關西學院講堂 

 名古屋・プログラム
 
  1.悪魔の顫音            … タルテイニ作 
 2・交響樂“エスパニョール”     … ラロー作
     アレグロ・ノン・トロツポ
     スケルツアンド
     アンダンテ
     ロンド(アレグロ)
 
         休憩十五分
 
  3.a.ノクターン           …  リリ・ブウランジェ作 
  b.インテルメッツォ・スケルツォ  …  サンゼェル作 
  c.ナヴァラ            …  アルベニス作=ハイフェッツ編 
  d.アルト・ウイン         …  ゴドフスキー作=ハイフェッツ編 
  e.絶えざる律動          …  ノヴァチェツク作 
  4.ロンド・カプリシオーソ      …  サン・サン作

 大阪第一夜・プログラム
 
  1.シアコンヌ            …  ヴイターリ作 
 2.「コンチェルト」ホ短調 作品六四番…  メンデルスゾーン作
      アレグロ・モルト・アツパシオナート
      アンダンテ
      アレグレット・ノン・トロツポ;アレグロ・モルト・ヴィヴァーチェ
       
        休憩十五分
 
 3.a.G線上のアリア         …  バッハ作 
   b.ロンド             …  シュウベルト作 
   c.亞麻髪の娘           …  デビユゥシイ作ーハルトマン編 
   d.ホラ・スタカット        …  デイニク作ーハイフェッツ編 
   e.ホタ              …  ド・ファリア作 
  4.カピリス 第二四番イ短調(變奏曲)…  パガニーニ作ーアウア編

 大阪第二夜・ラ・ロシエンヌ・プログラム
 
  1.コンチェルト           …  グラズノフ作
      アレグロ・モデラート
      カンツォネッタ(アンダンテ)
      フィナーレ(アレグロ・ヴィヴァチシモ)
 
  2. コンチェルト‥チヤィコフスキー作 
         休憩十五分
 
  3. a.ロマンス             …  アウア作
   b.テンポ・デイ・ヴァルサ      …  アレンスキー作ーハイフェッツ編
   c.子守歌              …  クイ作
    d.気分               …  ゼ・アクロン作
   e.あな蜂              …  リムスキーコルサコフ作
  4.モスコウの追想           …  ウイニアウスキー作

 京都・プログラム 
 
  1.ソナタ 第九イ短調 作品四七番 “クロイッエル”  …  ベエトヴェン作
      アダチオ・ソステヌート(プレスト)
      アンダンテ・コン・ヴアリアチオニ
      フイナーレ(プレスト)
  2.シアコンヌ    …  (無伴奏) …  バッハ作

         休憩十五分

  3.a.ラ・ブリュ・ク・ラン       …  ドビュツッシ曲
   b.ゴリイウォグのケークウォーク   …
   c.プレリュード(“放蕩息子”より) …
   d.ギターナの踊           …  アルフテル作ーハイフェッツ編
  4.希伯來風のメロデイー        …  サラサアテ作

 神戸・ラ・クラシック・プログラム
 
  1.ソナタ               …  セザル・フランク作
      アレグレツト・ベン・モデラアトーアレグロ
      レヂタチイヴオ・フアンタシア(ベン・モデラート)
      アレグソツト・ポコ・モツソ
  2.コンチェルト イ長調        …  モツアルト作

          休憩十五分

  3.a.G線上のアリア          …  クレラムバウルト作
   b.小さき風車            …  クープラン作
   c.シシリアンヌ           …  バッハ作
   d.プレリュード           …  バッハ作=クライスラー編
  4.a.スラヴォニック・ダンス 2番 ホ短調  …  ドヴォルザツク作
   b.ロンド 變ホ短調         …  ウーメル作=ハイフェッツ編
   c.回教徒の合唱           …  ベェトヴェン作=アウア編



  上は、ビクターレコードの広告ビラである。

 われらの樂聖
 ビクター専屬藝術家
   ハイフェッツ氏 吹込レコード  

 エストレリータ     
 火花の圓舞曲        一三三二一
   (舞踊の歌調)
 圓舞曲
  (一)亞麻色の髪の娘    六六二二五
  (二)スケルツオ
 アヴェ・マリア       六六九一
 ロンド
 ヘブライの旋律       六六九五
 ザバテアード
 歌の翼に乗りて       六八四八
 ホタ
 パック
 妖精の踊り        ※六一五九
 スケルツオ調
 スパニッシュダンス    ※六一五四
 導入部とタランテラ舞踏調
 ツィゴイネルヴァイゼン  ※六一五三

    オルソフォニック 
  ビクターレコード  


『ハイフェッツ氏提琴大演奏会曲目』(1931.9)・『ハイフェッツ氏告別演奏會会曲目』(1931.11)

2021年03月31日 | ヴァイオリニスト ハイフェッツ、小野アンナ他

        
HEIFETZ
 Programme
  September
   1931
 TOKYO-GEKIJO 

昭和六年九月二十六日より四日間
 午後七時開演 (毎夕曲目變更)
 若き樂聖 (ビクター專屬藝術家)
   ハイフェッツ氏提琴大演奏會曲目
            洋琴伴奏 イシドール・アークロン

    入場料 六、〇〇 四、〇〇 二、五〇  東京劇場

 上の右の写真2枚は、このハイフェッツの公演の際、販売されたと思われる絵葉書のもの。
 下は、日文のプログラム〔註は省略〕。 

第一夜演目(九月二十六日
 
 一、シャコンヌ と短調     ‥‥ ヴィターリ 
 二、協奏曲 ほ短調 作品六十四 ‥‥ メンデルスゾーン
     アレグロ・モルト・アッパショナート
       アンダンテ
          アレグレット・ノン・トゥロッポ
            アレグロ・ヴィヴァーチェ
   【休憩】
 三、い、G線上の抒情調     ‥‥ バッハ
   ろ、ロンド         ‥‥ シューバート
   は、亞麻色の髪の娘     ‥‥ ドビュッシイ ハルトマン
   に、ホラ・スタッカト    ‥‥ ディニーク  ハイフェッツ
   ほ、ホータ         ‥‥ ド・ファイア
 四、キャプリス第二十四     ‥‥ パガニーニ  アウエル

第二夜演目(九月二十七日
 
 一、奏鳴曲 い長調       ‥‥ セザール・フランク
    アレグレット・ベン・モデラート ー アレグロ
      レチタティヴォ・ファンタジア(ベン・モデラート)
        アレグレット・ポコ・モッソ 
 二、競奏曲 い長調       ‥‥ モーツァルト
     アレグロ・アペルト
       アダヂオ
         ロンド(ミヌエット調)
   【休憩】
 三、い、G線上のラルゴ     ‥‥ クレラムボー
   ろ、小さい風車       ‥‥ クープラン
   は、シシリエンヌ      ‥‥ バッハ
   に、前奏曲         ‥‥ バッハ クライスラー
 四、い、スラヴ舞曲第二 ほ短調 ‥‥ ドゥヴォルザーク
   ろ、ロンド 變ほ調(初演) ‥‥ フムメル ハイフェッツ
   は、托鉢僧の聯舞      ‥‥ ベートーフェン アウエル

第三夜演目(九月二十八日
 
 一、奏鳴曲 變ろ長調   ‥‥ モーツァルト
    ラルゴ - アレグロ
      アダーヂオ
        アレグレット 
 二、競奏曲 に短調    ‥‥ ウィーニアウスキイ
     アレグロ・モデラート
       ロマンス(アンダンテ・ノン・トゥロッポ)
         アレグロ・コン・フォコ
           ア・ラ・チンガラ(アレグロ・モデラート)
   【休憩】
 三、い、ハバネラ     ‥‥ ラヴェル
   ろ、衞兵の進軍    ‥‥ コルンゴルド
   は、淋しきリューレに ‥‥ シュトラウス
   に、シュマーレイ   ‥‥ ミルオー
   ほ、狩猟       ‥‥ ゴベール
 四、ジプシイの歌(チゴイネルワイゼン)作品二十 ‥‥ サラサーテ

第四夜演目(九月二十九日
 
 一、クロイツェル・ソナタ 作品四十七 ‥‥ ベートーフェン
     アダヂオ・ソステヌート ー プレスト
      アンダンテ・コン・ヴァリアチオーニ
       フィナーレ(プレスト) 
 二、シャコンヌ(無伴奏)
   【休憩】
 三、い、ラ・プリュ・ク・ラント     ‥‥ ドビュッシイ
   ろ、ゴリウォッグのケークウォーク  ‥‥ ドビュッシイ
   は、前奏曲(歌劇「放蕩息子」より) ‥‥ ドビュッシイ
   に、ジプシーの踊(初演)      ‥‥ ハルフテル ハイフェッツ
 四、い、ヘブライの曲          ‥‥ アークロン
   ろ、ハバネラ            ‥‥ サラサーテ

    (スタインウェーピアノ使用:特約店 竹内樂器店)

 

 HEIFETZ
  Farewell Concert
   November 3rd. 1931
          Matinee at 0.30 P.M.
 KABUKIZA
  TOKYO
   ADMISSION
  ¥3.¥2.  and ¥1.

    Steinway Piano

 ハイフェッツ氏告別演奏會曲目 (十一月三日明治節 マチネー零時半開演)
                    於 歌舞伎座

一、奏鳴曲 い長調        ‥‥‥ セザール・フランク
   アレグレット・ベン・モデラートーアレグロ
    レチタティヴォ・ファンタジア(ベン・モデラート)
     アレグレット・ポコ・モッソ
二、協奏曲 ほ短調 作品六十四  ‥‥‥ メンデルスゾーン
   アレグロ・モルト・アッパショナート
    アンダンテ
     アレグレット・ノン・トゥロッポ
      アレグロ・ヴィヴァーチェ
   【休憩】
三、い アヴェ・マリア      ‥‥‥ シューバート  ヴィルヘルミ
  ろ キャプリシュース     ‥‥‥ エルガー
  は 托鉢僧の聯舞      ‥‥‥ ベートーフェン アウエル
  に 土耳古風行進曲     ‥‥‥ ベートーフェン アウエル
四、い マラグェーニャ      ‥‥‥ サラサーテ
  ろ 妖精の踊り 作品二十五  ‥‥‥ バツィーニ
  
        ピアノ伴奏 イシドール・アークロン
  
        (スタインウェイピアノ使用:特約店 竹内樂器店)


「ヤシャ・ハイフェッツ氏 バイオリン大演奏会曲目」 (1923.11) 

2021年03月31日 | ヴァイオリニスト ハイフェッツ、小野アンナ他

   

ヤシャ・ハイフェッツ氏
  バイオリン大演奏会曲目Ⅰ

 大正十二年十一月九日(金曜日)十日(土曜日)十一日(日曜日)午後四時開演 白券 十円 青券 六円
       帝劇經営 帝國ホテル演藝塲にて

第一日(九日金曜)曲目

 一、シャコンヌ          ‥‥‥ トーマソ・ヴィタリ作 レオポルド・シャーリエ編
 二、コンセルト(短に調)     ‥‥‥ ウ井ーニアウスキー作
     アレグロ・モデラート
     ローマンス・アンダンテ・ノン・トロッポ
     終曲、 ア・ラ・ツィンガラ
   -休憩-
 三、(イ)アベ・マリア      ‥‥‥ シューベルト作
   (ロ)ミヌエット       ‥‥‥ モッツアルト作
   (ハ)ノックターン(長に調) ‥‥‥ ショパン作 ウィルヘルミ編
   (ニ)苦行僧の合唱      ‥‥‥ ベートーベン作 アウァー編
   (ホ)土耳古行進曲      ‥‥‥  〃
 四、(イ)メロディー       ‥‥‥ チャイコウスキー作
   (ロ)ロンド・デ・ルタン   ‥‥‥ バッチニ作

       ピアノ伴奏 イシダー・アクロン氏

     スタインウエーピアノ使用(竹内樂器店提供)

〔蔵書目録注〕

   

 なお、上の写真2枚は、次の通り。

左:『寫眞報知』 第壹卷 第七號 大正十二年十一月十八日發行 に掲載。

          世界的ヴァイオリンの名手
     ハイフェッツ氏が初演奏(九日夜帝国ホテル演藝場で)

右:『寫眞報知』 第壹卷 第八號 大正十二年十一月廿五日發行 に掲載。

      ハイフェッツ氏の野外演奏
     日本罹災者の義捐金募集のために日比谷音樂堂で     

 

 楽壇の若き天才

  『新たに熟せんとする果物』
     本年二十四歳のハイフェッツ氏

 世界的大提琴家ハイフェッツ氏は九月下旬帝劇で演奏会を催す筈であったところ、震災の為め中止となって氏は一時支那へ赴いたが、来朝の志望を断念せず本月七日上海から来朝して、九日より三日間帝国ホテルの演芸場で演奏会を開き、荒廃した帝都に芸術復興の第一幕をあげた。

 ヤッシャ・ハイフェッツ氏は千八百九十九年露西亜のウイルナに生まれた、だからことしは二十四歳である。さう言ふ若い世界的のヴァイオリンの天才である。幼時からその匂ひの濃いものがあって、型の如く、露都のレオポルド、アウワア門下となって世に出た。
 露都戦乱と同時に、西伯利線で浦潮斯徳 〔ウラジオストック〕 、敦賀、横浜を経て米国に行った。アメリカの初舞台は千九百十七年、カアネギイ・ホールで演った、一躍して米大陸の人気者になった。アメリカの批評家は氏を指して『新たに熟せんとする果物だ』と言った人がある。新秋の果物の新鮮な大地の匂ひを、氏の芸術に聴くことができたのは快心なことである。

〔蔵書目録注〕

 上の写真と文は、大正十二年十一月十四日発行の『アサヒグラフ』 第一巻 第一号 創刊号 に掲載されたものである。


『 かれらに音楽を THEY SHALL HAVE MUSIC 』 (1951.7))

2021年03月21日 | ヴァイオリニスト ハイフェッツ、小野アンナ他

 

かれらに音楽を

    SAMUEL GOLDWIN
      Presents
   World s Premiere Violinist
     JASCHA  HEIFETZ  in
THEY SHALL 
HAVE MUSIC
      with JOEL McCREA・ANDREA LEEDS 
    WALTER BRENNAN・GENE REYNOLDS・MARJORIE MAIN
                     Directed by  Archie Mayo

 サミュエル・ゴールドウイン製作
 大映株式会社配給

かれらに音楽を

 スタッフ
 キャスト
 解説

 「我等の生涯の最良の年」や「われら自身のもの」等、數多くの藝術作品や娯樂大作を世に贈った名製作者サミュエル・ゴールドウィンが、現在世界の音樂界にあって、ヴァイオリニストとして最高の地位ある名手ヤッシャ・ハイフェッツを主演させて作った大作で、不良少年の更生問題を扱い乍ら、ハイフェッツの優麗無比な名演奏を心ゆくまで堪能させる本格的な音樂映畫である。
 ヤッシャ・ハイフェッツは甞て我が國に来訪した事もあり、名ヴァイオリニストとしてその名聲はあまりにも有名であるが、この映畫でも彼の演奏場面には多くの尺數をさき、グレッグ・トーランドの美しいキャメラがハイフェッツの演奏を美しく捕えて印象的である。
 ハイフェッツと共に、「忘れがたみ」「懐しのスワニー」等アンドリア・リーズ、「西部の王者」等のジョエル・マクリー、「西部の男」「姫君と海賊」等の名優ウォルター・ブレナン等が主演し、少年俳優ジーン・レイノルズ「卵と私」のマージョリー・メイン、「三十四丁目の奇蹟」等のポーター・ホール等が達者な助演振りを見せている。 
 製作には名脚本家として有名なロバート・リスキンがゴールドウィンに協力し、老巧アーチー・メイオが監督に當った。脚本はアームガード・フォン・キューブの原作からジョン・ハワード・ロースンが脚色したものである。
 音樂監督にはアルフレッド・ニューマンが當っているが、彼は又映畫の中でも音樂指揮者として出演している。又映畫の中に子供達の管絃樂團として出演しているのは有名なピーター・メレンブラム・キャリフォーニア・ジュニア・シムフォニー・オーケストラである。一九三九年度作品。(十卷 九三八三呎)

 この映畫で演奏される曲目

 1.「アンダンテ、カンタビーレ」
     (チャイコフスキー作曲)
   冒頭のタイトル・バックとして演奏される。
 2.「導入部とロンド・カプリチオーソ」
     (サン・サーンス作曲)
   カーネギー・ホールに於けるハイフェッツの大演奏會で演奏される。
 3.「ホラ・スタッカート」
     (ディニーク作曲、ハイフェッツ編曲)
   學校で映寫される映畫の第一曲
 4.「エストレイータ」(小さい星)
     (マニエル・ボンセ作曲)
   同じく映畫中映畫の二番目の曲
 5.「メロディー」
     (チャイコフスキー作曲)
   終りに近くハイフェッツが學校へかけつけてすぐ彈き始める曲。
 6.「ヴァイオリン協奏曲第三樂章」
     (メンデルスゾーン作曲)
   この映畫最後の曲目、ハイフェッツが子供達の管絃樂團に合せて演奏する。
    以上がハイフェッツ自身によって演奏される。
 7.「小夜曲」
     (モツアルト作曲)
   寄附金募集の子供達が街頭演奏する。
 8.「セヴィラの理髪師」
     (ロッシーニ作曲)
   學校で子供達の管絃樂團が演奏する。
 9.「小犬のワルツ」
     (ショパン作曲)
   學校の演奏會に於ける幼い少女のピアノ・ソロ。
 10.「カロ・ローメ」(親しき名前)
     (リゴレットより)
   フランキーが學校へ入った時の少女の獨唱。
 11.「ノルマ」
     (ベリネー作曲)
   最後の學校の演奏會での少女の獨唱。

物語
この映畫の出演者たち
 ヤッシャ・ハイフェッツ

 この映畫に本名で特別出演しているヤッシャ・ハイフェッツは、現在世界の音樂界で自他共に世界最高を許す名ヴァイオリニストであり、その圓熟した演奏は近代のヴァイオリン奏法の最高峰として永遠に語り傳えられるべきものといっても過言ではありません。現在世界中のどの國でも、ヴァイオリンを學ぼうと志す人の殆どがハイフェッツのレコードによってその奏法を研究している事によってもその名聲がうかがえるでしょう。
 ヤッシャ・ハイフェッツは一九〇一年、ロシアのヴィルナに生れました。不思議にもその誕生日は同じヴァイオリンの名手フリッツ・クライスラーと同じ二月二日です。彼の父はル―ヴィンといい、町の劇場の樂團のヴァイオリニストだったので赤ん坊の時から音樂に親しみました。その頃から彼の音樂に對する感受性は文字通り驚異的で、生後八ヶ月で父が美しい旋律を彈くと嬉しがり調子を外すと嫌な顔をしたといわれています。
 三才の時から父の正規の教育を受け、五才でヴィルナの音樂院に入りました。六才の時には既に一人前のヴァイオリニストとして公開の演奏會に出演してメンデルスゾーンの協奏曲を見事に彈いて、並いる人々の舌を卷かせました。それから二年の後(彼が八才の時)偶々ヴィルナに來たアウアー敎授は彼の異常な天分を認めてペテログラードで自分について學ぶ樣に彼の父に勸めました。こうしてアウアー敎授の弟子になったハイフェッツは勉強の傍ら、オーストリア、ドイツ等を廻って演奏會を開き、各地で熱狂的な歡迎を受けました。
 ハイフェッツは十二才で職業音樂家としてデビューし、ヨーロッパ各國を巡演し各地でセンセイションを呼びました。十三才の時にはベルリン・フィルハーモニック管絃樂團と共に演奏し、十五才の時には師のアウアーと共にノールウェーのオスローで國王の御前演奏をしています。    
 やがて彼の故國ロシアに革命が起りました。彼が十六才の時です。共産主義を嫌った彼の一家はシベリア、日本を經てアメリカに移住しました。こうして十六才の名ヴァイオリニストは一九一七年十月二十七日、ニューヨークのカーネギー・ホールでアメリカで初の獨奏會を開き、批評家の激讚を浴びました。
 その後も彼はニューヨークで大演奏會を開く時は好んでカーネギー・ホールを選んでいますが、このカーネギー・ホールはこの映畫の中でも彼の演奏會の舞臺となっています。
 彼は一九二六年アメリカの市民権を獲得しましたが、その前後から頻りに各國を廻り演奏會を開いています。我が國へも震災直後の大正十二年(一九二三年)十一月來朝して災禍を免れた帝國ホテルの演藝場や日比谷公園の新音樂堂で演奏し、更に昭和六年(一九三一年)に來朝した時は東京劇場で大演奏會を開いています。」一九三四年、彼は久し振りに故國ロシアを訪れましたが、彼の演奏を聞く爲に遠くシベリアの僻地からも人々が集り、家具、衣類を處分して旅費にあてた人もあったという事です。
 今次大戰中、彼は各地を廻って將兵を慰問し國家に多大の功献をしましたが、一九四七年、當分の間休養すると宣言して樂壇を退き一九四九年一月、カーネギー・ホールで復歸第一回のリサイタルを開いています。
 ハイフェッツは我が國でも最も親しまれているヴァイオリニストの一人で、戰前もビクターから發賣されていた彼のレコードは大きな賣行きを示していました。
 彼の優雅な演奏振りは彼の平和な私生活にもよく表れています。彼は現在、愛妻と二人の子供、そして二匹の犬と暮し、二軒の家を持っています。家はキャリフォーニアのハルボアと、カネティカットのノーフォークにあり、共に彼の趣味に適った清楚なものです。彼の趣味は讀書、稀書籍の蒐集、繪畫の鑑賞等で、ナイト・クラブやパーティよりも冬のカネティカットの山を愛し、子供との散歩、庭いじり、ピンポン等が好きで、自動車の運轉と寫眞は彼の御自慢です。因みに彼の夫人は無聲映畫時代にパラマウントにあって人氣のあった素人女優フローレンス・ヴドアです。
 彼が劇映畫に出演したのはこの映畫が最初で、名製作者ゴールドウィンと意氣投合して作られたこの映畫が名人の面影を傳えるという意味だけでもいかに貴重であるかがお判りと思います。
 ここである有名な音樂評論家が彼について云った言葉を引用して見ましょう。
「彼にはただ一人彼を打ちまかそうとする競爭者があり、彼は常にその競爭者に負けぬ樣に精進している。その競爭者の名はヤッシャ・ハイフェッツ、即ち彼自身である」

 ジョエル・マクリー
 アンドリア・リーズ
 ウォルター・ブレナン
 ジーン・レイノルズ

昭和26年7月20日印刷
昭和26年7月25日発行
発行所 発行人 大映洋画ライブラリー 下山達

 なお、上右の写真は、大正十四年八月発行の雑誌 『音楽グラフ』 八月号 第三巻 第八号 にある「賀の祝をしたアウアーと其弟子」である。

 最近八十回誕辰會を催したアウアー敎授とその高弟
   
  アウアー氏 
   エルマン
   ジンバリスト
   ハイフェッツ氏
   パーロー女史 


「エルマン氏大音楽演奏会曲目」「エルマン氏送別大演奏会曲目」(1921.2-3)

2020年02月05日 | ヴァイオリニスト ハイフェッツ、小野アンナ他
    

  大正拾年貮月  十六日(水曜日)十七日(木曜日)十八日(金曜日)十九日(土曜日)二十日(日曜日) 
    毎夜八時開演 
   御入場料 特等ー金十五円 一等ー金十二円 二等ー金八円 三等ー金四円 四等ー金二円  
  エルマン氏大音楽演奏会曲目
     バイオリン独奏 ミッシャ・エルマン氏 ピアノ伴奏 アーサー・レッサー氏 出演  
                  帝国劇場

 演奏曲目梗概(二月十七日)〔曲の解説は,省略〕

 一、バイオリン司伴楽(イ長調)   ‥‥ナルディニ作曲
 二、バイオリン司伴楽(ニ短調)   ‥‥ウィニアウスキー作曲

    休憩

 三、ロンド・カプリチオソ      ‥‥サン・サーン作曲
 四、(イ)愛のうた         ‥‥サマルティニ作曲
   (ロ)土耳古行進曲       ‥‥ベートーベン作曲 アウアー編曲
   (ハ)アルバム・ブラット    ‥‥ワグナー作曲
   (ニ)カプリス・バスク     ‥‥サラサーテ作曲

 -【解説者-大田黒元雄・妹尾幸陽】-

 演奏曲目梗概(二月十九日)〔曲の解説は,省略〕

 一、ソナタ(ト短調)           ‥‥タルティーニ作曲
 二、バイオリン司伴楽第五(イ短調) ‥‥ヴュータン作曲

    休憩 廿分間

 三、(イ)G線にて奏さるゝ歌詞      バッハ作曲
    (ロ)春の声            ‥‥バガニ作曲 フォグリッヒ編曲
    (ハ)ノクターン(夜楽)      ‥‥ショパン作曲 ウイルヘルミ編曲
 四、(イ)ハバネラ            ‥‥サラサーテ作曲
    (ロ)唯わが心悩ぞ知らめ     ‥‥チャイコフスキー作曲 エルマン編曲
    (ハ)ポロネーズ・ブリリアンテ   ‥‥ウィニアウスキー作曲

 -【解説者-大田黒元雄・妹尾幸陽】-

   曲の解説は、次のようなものである〔「ポロネーズ・ブリリアンテ」の場合〕。

   ポロネーズは波蘭土固有の舞踏曲である。而して波蘭土人でありウイニアウスキーは其の形式を用ゐて極めて華麗な此の曲を作つた。而して此の曲は演奏者の技巧を飽く迄も発揮させる。

  伴奏のアーサー・レッサー〔Arthur Loesser〕については、「アーサー・レッサー氏の事」という簡単な紹介記事がある(『帝劇』 40号 大正十五年三月号)。  

 また、三月十一日・十二日・十三日は、送別演奏会が料金の安いマチネーで開かれた。

   

  大正拾年参月  十一日(金曜日)十二日(土曜日)十三日(日曜日) 毎日午後一時開演 
 エルマン氏送別大演奏会曲目
      帝国劇場

 演奏曲目解説(三月十二日)〔曲の解説は、省略〕

  バイオリン独奏 ミッシャ・エルマン氏
  ピアノ伴奏    アーサー・レッサー氏

 一、第三司伴楽(ロ短調)       ‥‥サン・サーン曲
     第一楽章 アレグロ・ノン・トロッポ 
     第二楽章 アンダンティノ・クアシ・アレグレット
     第三楽章 モルト・モデラート・エ・マエストーソ
 二、(イ)イントラダ‥‥ジオヴァンニ・アントニオ・デプラーヌ作曲
             テイヴァダル・ナシエーヌ編曲
    (ロ)リゴウドン‥‥ピエル・アレキサンドル・モンシニイ作曲
    (ハ)メヌエツト(変ほ長調)‥‥ハイドン作曲
                    ブルメスター編曲
 (ニ)シチリアノとリゴウドン  ‥‥フランクール作曲
                     クライスラー編曲
       休憩 廿分間
 三、(イ)コール・ニドライ(作品四十七)‥‥マクス・ブルッフ作曲
    (ロ)預言者の鳥          ‥‥シューマン作曲 アウアー編曲
    (ハ)オリエンタール         ‥‥ヱノ・フーバイ作曲
 四、(イ)メロディー(作品四十二第三) ‥‥チャイコフスキー作曲
    (ロ)小鬼のロンド(作品廿五)   ‥‥バッチニ作曲

      -【解説者-大田黒元雄、妹尾幸陽】-

 エルマン氏「日本知己感激奉仕」について 
                                  帝国劇場専務取締役 山本久三郎氏談

     

 なお、上右の写真は、絵葉書のもので、次の説明、及びサインらしきものがある。

 MISCHA ELMAN AND ARTHUR LEOSSER CALLING ON THE JIUJIYA GAKKITEN
    MARCH 13TH 1921.

『ミッシャ・エルマン』 帝国劇場 (1921.2)

2020年01月29日 | ヴァイオリニスト ハイフェッツ、小野アンナ他
  

 ミッシャ・エルマン 
    大正十年二月十六日より二十日まで毎夜八時開演 帝国劇場

 〔口絵写真〕 

     

 ・右はエルマン氏の師匠レオポルド・アウアー氏で、少年エルマンの天才を見出した方です。
  中は此頃のエルマン氏の演奏姿勢で下はエルマン氏のニコニコぶりです。
 ・大正十年一月二十五日は真冬ながら風もなく、長閑 のどか な夕暮は横浜の海面にたゞようて居りました。丁度午後四時半、軍艦のやうな三本煙突のエンプレス・ルシア号は、小山のゆらぐやうに大桟橋へと近づきました。
  □
  エルマン氏はどれだらう。其内に船はピタリと桟橋へ着きました。降りる人。迎へる人。其処にエルマン氏はニコニコと立って居りました。記念にとカメラにはいって頂いたのが此のピクチャーです。
  エルマン氏は左の方。レッサー氏は右の方です。
 ・二月十四日エルマン氏の一行は東京駅へ着きました。これは駅前での撮影で、右から山本帝劇専務氏、妹尾幸陽氏、山田耕作氏、エルマン氏レッサー氏支配人ストロック氏の諸氏が写って居ります。
 ・二月十四日午後0時五十分エルマン氏の一行は東京駅へ着きました。それからすぐ帝国ホテルへ参りましたガ、これは山本帝劇専務さんとエルマン氏の握手です。而 そ して中の方は支配人のストロック氏です。
 

 楽聖エルマン氏招聘につきて  帝国劇場専務取締役 山本久三郎氏談 (楽聖エルマン氏到着の日帝国ホテルに於て杉浦善三記)

 ミッシャ・エルマン
 
 ミッシャ・エルマンは千八百九十一年一月の廿日南露西亜のタルノーェに生れた。全然の猶太 ゆだや 人で彼の父は土地の校長で、父自身も可成バイオリンをひく人であったと云ふから、彼の天才は其の遺伝なのかもしれない。
 それで、四歳の時、すでに玩具のバイオリンを見事に奏 ひ いたとの事で、父親も乗気になって、六歳の時、彼をオデッサの音楽学校へと伴った。其処で、彼はフィデルマン教授の教へを受けた。
 此処で彼が偉大な進歩を見せた事は驚くべき程で、十一歳の時、此地方を旅行した、当時のペトログラード帝室音楽学校のバイオリン部長であるアウアー教授に其の天才を発見され、アウアー教授の骨折 ほねおり で、特に勅許を得て猶太人の入校を許されざるペトログラード帝室音楽学校に入学を為す事が出来、英傑アウアーの絶対の弟子として其の技 ぎ を磨いたのであった。
 さて、千九百四年、十三歳の時には、ペトログラードの独逸歌曲協会の演奏会へ、師匠アウアーの代理として演奏した。而も差支 さしつかひ のある筈の師匠は、聴集に混って弟子の出来栄を聞いて居たと云ふ話もある位。早速とそれが伯林 べるりん への出演の口火となって、其処でサラサーテの「ザパテアド」とパガニーニの「二調司伴楽」を奏いて大成功を修め、翌年は更に倫敦 ロンドン に表はれて、此の十四歳の少年は、当時の驚くべき謝礼、千二百円を獲得した。而も実際、可愛い、水兵服を着てステージに表はれるのだから、其の人気も素晴らしいものであった。
 こうして彼の名声は日一日と弘 ひろ まった。彼が米国へ渡ったのは、千九百八年の事で、勿論大成功を得、それから以後は、英国及び米国の音楽季節に欠くべからざる人物となってしまった。
 次にかゝげてある一節は、エルマンが某米国批評家の質問に答へて、一切の彼を告白し、進んで、そうした藝術に向かっての彼の主張を述べて居る。それがエルマンの藝術を語る一番良い手段と思ふのである。

   生命と色彩との解釈 
   種々なる技巧
 
   演奏中の習癖 マンナリズム

 これは誰でも知ってゐる事であるが、エルマンは公演を行ふ場合、頭を動かしたり、体を動かしたり、音楽に合はせて始終体を揺 ゆ す振ってゐる。一言にして云へば、彼の演奏に伴 つ れて、或る種の習癖がある。それを批評家たちは、宛 あた かも殉情主義の兆候でゝもあるかの如く、真面目に疑って紹介した場合もあった。この場合、彼が果して「真面目」であったのか、または彼の動き方が、暗に他の人たちも言ってゐた通り、果して十分練磨された「舞台上の仕草」仕草であったのか、こんな事を訊くのは彼を侮辱する事だとは考へないでもなかったが、兎に角私は敢へてさうした不躾な質問を試みた。するとエルマンは、如何にも可笑しいと云った風に、無邪気に笑った。
 『違ふ、違ふ』と彼は言った。『演奏を助けるやうな「舞台上の仕草」など、てんで勉強した事がない!自分を舞踏家に比較しなければならぬかどうか、それは知らないが、舞踏の観客に訴ふるのはすべて音楽的動作に起因する。ある諧律と音楽の組合せとが、半意識的に、私を感動せしめるのだ。音楽の自分に與ふる直接の影響は、一種情操的に反射する心の動く場合に在るのだと思ふ。私が音楽に伴れて体を動かすのは、さうした心持を無意識に身振りに移す為めであらう。従ってそれは全く個人的のものである。仏蘭西の提琴家たちが公衆の前で演奏する場合には一般にその眼を指頭と弓とに注いで、非常に厳格な姿勢をとって演奏する。さうして私も理論としては是非さうならなければならないと思ふ。けれども実際になると、私はその方則から外れて仕舞ふらしい。気禀 テンペラメント の問題だと憶ふ。私は勿論自分の姿勢を美しくないと信じてはゐるが、然しー自分が動くか、動かないかは全く知らないのだ!時偶 ときたま 、色んな友達に注意されて、初めて成る程、自分は動いたり、体を揺す振ったり、その他そんな事をするのかなア、と憶ふのだが、自分が一向知らないところをみると、さうした動作はどれもこれも無意識になされてゐる事に違ひない。而も世間では、それを「舞台上の効果」を高める為めの「用意」と考へてゐるなぞは可笑しなことだ!』さうして再びエルマンは笑った。
 
   生命と色彩との解釈
   完成されたる技巧の第一の根本要素は完全なる調子である
   技巧の種々なる形
   演習の区分

 『左の手で綺麗な、歌の音 おん を起こして、弓の手でそれに正しく節をつけて行くことが、一番大切な事である。輒 すなは ち区分の問題である。いくら符づけが良くても、音色が悪ければ打 ぶ ち壊 こは しとなるし、いくら美しい歌の音が出来ても、符廻しが悪ければ、意味を喪 うしな って仕舞ふ。学生が或る程度までの技巧 テクニック を習得すれば、技巧は第二義的のものー然し怠るわけには行かないがーと考へられねばならない、さうして其の上は、立派な音 おん を出す事を勉む可きである。世間には弓を持つ手なり、或は提琴を持つ手なりどちらか一方に余り大袈裟な注意を払った為めに、生涯を誤った提琴家がいくらもある。それ故、両方の手が同時に注意されねばならない。さうして此の区分の問題は、自分で研究する場合でも、楽節を復習する場合でも、演習の際は始終、念頭から離してはならない。指の押へる力と弓の押す力とは、両方平均して、いつも一緒に働くやうでなければ不可 いけ ない。教師は或る程度まで教へることが出来るがそれから先きは生徒自身が研究すべきである。』

   教師としてのアウアー 〔下は、その最後の部分〕

 『アウアーは偉大なる奏楽の名人であった。彼は帝室舞楽団 インペリアルバレー 中に於て、独自の地位を占めてゐた。御承知と思ふが、多くの有名なバレーの中には、例へばチャイコフスキーのなどには、その中 うち に綺麗な而も難かして提琴の独奏が入ってゐる。で。それを演 や るには、是非とも、第一流の音楽家でなければやれないので、アウアーはペトログラードで毎時 いつ も其の役にあたってゐた。露西亜では此れ等のバレー独奏の一つを弾く為めに呼び出されることを立派な名誉としてゐたが、倫敦では何か全く偶発的な出来事のやうにしか考へてないやうであった。思ひ出せば、それは宛 し かも、ディアギレーフが倫敦でチャイコフスキーの「白鳥の湖」を上演した際の事であった。愛すべき少年で、且つ藝術の保護者であったアンドルー・ウラディミレーフ大公(曾て私の音楽を聴いた事のある)が、私を召してーまだ此の当時は、ロマノフ家の要求といへば、命令と同格の権力を持ってゐた時代であったーあの濡れ場に相応するやうな提琴 さげこと の独奏を弾いて呉れいとの言葉であった。それを弾くばかりは弾いても踊り手の方も監視しなければならず、また同時に音楽の指揮も司 つかさど らなければならず、実際容易な業 わざ ではなかった。然しながらそれは倫敦での奇観であった。誰もが皆悦 よろこ んで呉れた。さうして大公は謝礼に綺麗な金剛石のピンを一箇、私に贈られた。』

   提琴の練達

 「提琴の練達」とは一体如何なる事であるかと訊かれるのか?然 さ う、私は斯う考へるのである、自分の演奏するどんな曲目でも、すべての細部 デテール に亙って、作曲家の思想を自分の造形術の完全な美の中 うち に創り上げ、それに十分真実な色彩と比例とを賦與して、鮮明な絵のやうに再現する事の出来る人ならーその芸術家こそ達人と呼ぶのに値する人であらう!』
 『音楽家の使ふ楽器は、謂 い ふまでもなく、その人の最善の努力を実現せしむる大切な機能 はたらき をなすところのものである。私の提琴は?一七二二年といふ年号の打ってあるー信用の出来るストラディバリウスである。私はそれを倫敦のウヰリー・バーメスターから購 あがな ひ求めた。見給 みたま へ、前の持主は気を付けて使はなかった。独逸式の演奏法は、音色の美、謂はば古い伊太利の提琴 フイドル の持ってゐる音質を、出し得 う るものとは考へられない。それをバーメスターは力づくで音を出さうと努めてゐたらしく、私は思ふ、さうしてそれを軟 やはら かな音の出るやうに、また、本当に弾き榮 ば えのあるものにする迄には、随分時間が懸 か かった。然し今は  』エルマン氏は微笑した。彼が自分の楽器に満足してゐる事は、それによっても明 あきら かであった。『絲とくると』、彼は続けて言った、『金属線は決して使はない。-音色もなければ、音質もないからである!』

   研究すべきものと其の方法
   楽曲の改作
   コロンヌの追懐

   

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 大正十年二月十六日発行
 定価金四拾銭 
 編輯兼発行人 妹尾幸次郎 
 印刷所 東洋印刷株式会社

「諏訪根自子提琴独奏会」(1946?)

2018年03月21日 | ヴァイオリニスト ハイフェッツ、小野アンナ他

 

 諏訪根自子提琴独奏会  ピアノ伴奏 井口秋子女史 
    時 月 日 所 
 主催 後援 日南殖産株式会社 本社 鹿児島・支店 福岡 
 提供 東宝株式会社

 ・諏訪根自子紹介

 平和のヨーロッパより動乱のヨーロッパにかけて、厳しい勉学と汎ゆる苦難の滞欧生活十年間を送った諏訪根自子は、昨年末再び平和に戻つた故国日本に帰り、其の後約十ヶ月の沈黙を破って、秋の楽壇の最大のトピックとして久し振りに登場した。
 彼女は大正九年一月二十三日東京に生れ、五歳の時始めてヴァイオリンの教へを受け、後に小野アンナ女史に就いて学んだが、その天賦は小野女史に認められ、昭和二年九歳にしてデビューした。十一歳よりモギレフスキー氏に就いて学ぶに到って、当時日本最初の天才少女ヴァオリニストとして我が楽壇を驚かせ、その名は一躍全国に広まった。
 一九三六年故国の声援に送られて十六歳の一少女は先づベルギーの首都ブラッセルに赴き、ショーモン教授に就いて提琴を学んだ。次いで一九三八年巴里へ移り、ロシア人の教授でありティボーと親しいボリス・カメンスキー氏に就て最高技法を修めた。其の後六年間巴里に滞在し、一九三九年巴里ショパン楽堂に初めてリサイタルを開いて好評を博し、又一九四二年にはジャン・フールネ指揮の巴里コンセール・ラムウルと協演して絶賛された。その間独逸、オーストリア、瑞西等各地に数回のリサイタルを開き、何れも大好評を博してゐる。
 一九四五年五月、欧洲大戦の集結に際して、未だ対日戦継続当時の為米軍によって南独に於て抑留されたが。フランスより米国を経由して一九四五年十二月初め無事祖国へ帰還することが出来た。

 

 ・曲目

 (1)シャコンヌ    … ヴイタリ
 (2)協奏曲 嬰ヘ短調 … エルンスト
 (3)A)G線上の歌詞 … バッハ
    B)蜜蜂     … シューベルト
    C)蓮の国    … シリル・スコット(クライスラー編)
    D)鐘      … パガニーニ(ウライスラー編)

 ・楽曲解説 (解説・三浦潤)

 (1)シャコンヌ          … ジョヴァンニ・ヴィタリ
 (2)協奏曲 嬰ヘ短調(作品二三) … エルンスト
 (3)A)G線上の歌調       … バッハ作
    B)蜜蜂           … フランソワ・シューベルト
    C)蓮の国          … シリル・スコット(クライスラー編)
    D)鐘            … パガニーニ(クライスラー編)

 ・諏訪根自子に対する海外批評 
    -スイス・チューリッヒ週刊紙より-

 先週のこと、このシーズンに於けるスイスの演奏会プログラムに、前途極めて有望な一人の若き日本の女流ヴァイオリニストの名が初めて現れた。それは諏訪根自子である愛らしい内気な根自子さんは、実に堂々たるプログラムを引っ提げて登場した。ーそして勝利をおさめた。この女流ヴアイオリニストの芸術的な演奏振りに関しては、専門的な批評にその評価を委ねたいのだが、何時もながら権威あるチューリッヒ日報の批評を次に引用しよう。
              ◆
 「ラロ」の「スペイン交響曲」では、名流の洗練された情熱を以て演奏した。彼女の演奏は、至難を極める技巧の問題を、最も自然な微笑と、そして上品な雅致を以て解決し、これを以て興味深い当夜の熱狂的なクライマックスが作られたのである。尚この女流ヴァイオリニストは、あの個性的なアゴーギックの表現(訳者注ー アゴーギックとは、テンポ・ルバートの弾き方)を、優れた音楽的な感覚と、誤りない確かな音感を以て表現し、それに加へて驚くべき技巧の完璧さ(無限の運指法と卓越した弓使ひ)が、一見何の苦もなく弾き退けるかの如くであった。同様にグルック=クライスラーの豊饒な「ニ短調メロデイ」も、ラヴェルの巧妙にフレーズした「ハヴァネラ」も、すべて高雅な珠玉のやうな音楽となし、最後にハガニーニのペルペトウム・モビレ(無窮動)では、精緻無比の運弓法と共に、運指と運弓が融合の極致を示し、絶対の均整を保ちながら、真に恍惚たらしめるものがあった。
              ◆
 彼女のこのような成果は決して偶然に得たのではない。すでに五歳の時から、幼き根自子は音楽に熱狂を示し、彼女のヴァイオリニストたらんとする熱望は、東京に於ける著名な著述家たる彼女の父と同様に、音楽に多大の興味を持ち続ける母とによって沃土の上に植え付けられた。
 かくて数年ならぬ中に、彼女は東京に於ける弟子の音楽会に出演して、直ちに神童として謳はれ、十五歳になるやその両親は大成を期して彼女をブリュッセルと巴里にやったのである。巴里ではコンセルヴアトリウムで、カミンスキイ教授の下に六年間の研鑽を積んだが、その撓みなき精進は彼女を間もなく一人立ちの出来る芸術家に仕上げ、ジャン・フールネの指揮による巴里ラジオに演奏して、最初の成果をもたらした。
 はるけき東京からの戦争突発は、彼女を驚かし、故郷への帰還は絶望となったが、一九四二年からは彼女の名は、相継ぐ演奏旅行によって、ドイツとオーストリアに知れ渡った。彼女は、クナッペルッブッシュの指揮するベルリン・フィルハーモニー管弦楽団や、ヴァイスバッハの指揮するウイン・フィルハーモニー管弦団と共に演奏し、その曲目はブラームス、モーツァルト、ハイドン、ヘンデル、バッハ、ベートーヴェンなどの名曲を得意とする。
 今日二十四歳になったばかりのこの女流芸術家のかゝる成功の秘訣は何であらうか。それは不撓の努力と、並々ならぬ勉強の慾に他ならない。
 日本人の特有な粘りを以て、彼女は自らを音楽の修業に捧げてひたむきに専念し、彼女にとっては、その他の何ものも存在しない。そして又、彼女が既にヨーロッパの多くの大都市の演奏会のステージを踏みながら、想像も及ばない程内気で、否殆どの人間に、特に男性に臆病であることにも帰因する。併し会話が音楽に関することに転ずるや、根自子さんは内気なはにかみを忘れて、愛想よく、快活になる。もっと適切な言葉で云へば、彼女の同国人が、妙に絶望的に語ったやうに「根自子さんが、かくも美しいことが惜しいやうである」
 根自子さんは、国際的なスターとして、あらゆる資格を兼備するが、特に一九四四年のスターとして紹介出来よう彼女は一人の男性と会話を交へるときは、よく燒けたパンのやうに頬を赤らめる。この点でも根自子さんは二十四才になる謎のやうな神童である。彼女は彼女の芸術のみならず、特有の愛嬌をももって、全世界を魅惑する。


『斧 (アンナ夫人推薦音楽会記念号)』 (1921.4)

2015年12月08日 | ヴァイオリニスト ハイフェッツ、小野アンナ他

  

   アンナ夫人推薦の辞

 露国楽聖アウヱル氏門下の秀才閨秀提琴家アンナ夫人は来朝以来既に数年その偉才を抱かれながら未だ一度もステージに立たれざりしこと実に我国音楽界にとりて惜むべきである。我社茲に懇請してその推薦音楽会を開催する所以である。

 アンナ女史小伝

   

 アンナ女史は一八九五年三月一日(明治二十八年三月十四日)露国ブヽノフ家に生る。ブヽノフ家は一族皆海軍々人で女史の祖父はボルチツク艦隊司令官たりし人であり、伯父の一人は現にこの革命以前まで海軍次官を勤めて居り、また父君の妹に当る叔母の夫は海軍大学長の職にあつた。然るに女史の父君はその性格が斯う云ふ社会とは調和出来ぬことを自ら悟られ、身体の虚弱なるを口実として兵学校時代去つて銀行に入つた。思索的なる氏は、その銀行と云ふのも自らの理想と計画とによつて設立したもので、即ち、一八六二年アレクサンドル二世の農奴解放令によつて解放された農民に、実際上生活の安定と健全なる発展とを與へやうとして「農民銀行」を興し、他方、各地に領地を有してゐる所謂貴族(ドヴァリヤニン)の経済を良くしてやる為め、その金を融通すべき「貴族銀行」を設け、兎に角之れを立派な国立銀行の一つまでに作り上げた功のある人である。
 母君はヴルフ家の出であつて女史はより多く其方の血を受継いでゐるのではないかと思はれる。女史の母君の伯父アレクセイ・ニコラエヴイツチ・ヴルフはプシユキンとは竹馬の友でプシユキンの作品の多くのものはヴルフ家の領地三山荘 トルゴルスコエ や大幹荘 ベルノーヴォ やで題材を得てそこで綴つたものであることはプシユキンを知る人達は既に承知さるる筈である。女史母方の祖父ニコライ・イヴァノヴィチは、従来露西亜の貴族の習慣として若い時から近衛の士官として身を立てる予定でペトログラードのイズマイロヴスキイ連隊に来てゐたが音楽の才があつていろゝな作曲をもやり現に同近衛連隊の行進曲なども氏の作になるものである。彼が大尉の時その母から『若し領地の事が気にかゝるなら残念でも隊をやめて帰つて来い』と相談を受け、(父イワンは豪放で家の事など少しも関はぬので)その以後は領地にばかり引き籠り、傍ら同ワヴエリ県のスターレツツ市の裁判官などをしてゐた。彼には息子は末子一人だけで他に五人の娘があつた。そのうち三人は音楽好きで一番上のナタリヤは非常なピアノの名手であつたが嫁いで間もなく産のために早逝し、末のアレキサンドラもピアニストであつたが他の地主に嫁いで都からは遠退いて仕まつた。唯一人真中のアンナ(アンナ女史の母君)が最も熱心で、両親から與へられたピアノの教師からうたの趣味を覚え、つひにうたで身を立てやうと決心するに到つた。その当時(母のアンナ氏が二十歳前後なれば今より半世紀前)の露西亜は今日の日本以上の旧式さで、若い娘など外出する時は必ず伴の者を連れて行かねば許されず、両親か誰かゞ附き添はねばオペラにも芝居にも決して行くべきものではないとされてゐた。従つて音楽会で人の前に立つて演奏するなどは名家の人としては恥づべきこと、まして女がうたを稽古してそれを職として生きて行かうなどゝは滅相もない話だつたのである。母のアンナ氏は両親と意見が合はず、その許しを得られぬ身は家を逃れて独りペトログラードに行き、ソプラノの歌手レオーノワ(グリンカの弟子)の門に入り、うた、殊に各種のオペラを勉強した。斯く一方では自らののどを磨きながら、一方、両親からの支送りを断はつた彼女は人にうたを教へて独立の生計を立て、当時ペトログラード屈指の歌手に数へられるやうになつた。それが偶然アンナ女史の父君と相識るやうになつたのである。前述の如く父君は一見沈黙勝ちの思索的な陰気な性格、一方は女ながらも元気旺盛な積極的な性格でありながらもその心の奥には或る共鳴する何ものかゞあつて、嫁げば必ず今では両親からも許を得た自分の芸術を犠牲にせねばならぬことを覚り、大いに迷ひながらも遂に結婚したのであつた。果して、結婚後父君は他の男に対する感情からもあつて母君の音楽会演奏に出ることを好まなかつたので、聴きに行くことは殆ど欠かさずに行つたにも拘はらず、自身は楽壇から次第に遠かつて行つたのである。
 斯くして自ら楽壇に立つことの出来ない不満を、子供の教育の上に満さうとする大きな力となつてその子供の上に向けられたのである。子供はその胎内に於けるうちから、いろゝのオペラの良い部分を歌ひ聞かされ、子守歌の代りにも亦オペラ等を聞かされた。さうして三人の姉妹共始めは母君から六歳頃からはベルナードヴィツチと云ふピアニストからピアノを習ひ、父君の不賛成にも拘はらず、母君及本人等の非常な希望から、遂に上の姉はピアノ、中の姉は画を、下の妹たるアンナ女史はヴァイオリンを、各その専門とするやうになつた。
 長姉マリア氏はペトログラード音楽院一九〇九年度出身(先年来朝のメイローウイッチ(ミローヴィッチは誤り)と同期)世界的ピアニスト・アンナ・ニコラエヴナ・ヱスポヴァ女史の門に入り、目下ペトログラードにボルシエヴィキの建設した音楽学校の校長である。
 中姉はペトログラード美術院出身の画家兼考古学協会出の考古学者で、現にモスクワ歴史博物館研究員であり、同市女子大学講師であるが、尚ほピアノに長じ、女なるにも拘はらずセロをもひく楽才ある人である。
 かく楽才ある母を母とし、同じ二人の姉を姉として生れたるアンナ女史は、幼児(四歳位から)はその母君より、六歳頃からベルナトーヴィツチよりピアノを教へられ、後ヴァヰオリンを専門と決して約一年先生につきたる上十歳の春音楽院に入学、アウヱルの高弟ナルバンディアンについた。
 当時音楽院にヴァイオリンの教授を担当してゐた人としては、その創立当時来た彼のアウヱルの他に、既に此所に於て養成されたガルキン、クリユーゲル、コルグーエフ、及びナルバンディアンの四人があつて、ナルバンディアンが最もアウヱルの信用厚く同氏の門人はすべて彼が預つて教へてゐた。当時アウヱルは既に六十歳に近い老年の身であり、殊に一年の大半は演奏旅行として或は西ヨーロッパに或はアメリカに赴いてゐたため実際の稽古はみなナルバンディアンが受持つてゐたのである。例へば彼の世界的音楽者として、その音楽会の入場券は余程以前から心掛けねば容易に得られない程の人気を得たヤシャ・ハイフェツツは、二歳の時から父母の規則正しい訓練を受け後音楽院に入つたが、(子供の教育を完全にしたい希望から父親も共に入学)十一歳で最初のコンツェルトを演るまでは全くナルバンディアンから稽古を受け、アウヱルからは一度も教へを受けない程である。
 当時アウヱルの門下としてナルバンディアンの許に居たものは、今のハイフェツツや、彼のピヤストロの兄弟を始め、先頃来朝して人気を湧かせたエルマン、及びエルマン以上に師のアウヱルの信を得てゐたと云はるるチンバリストなどの天才が揃つてゐたのである。その天才揃の中に於て閨秀として第一に指を屈せられたものは吾がアンナ女史でバッハの難曲『シャコーヌ』は古来難曲中の難曲として女には弾くことを許されなかつたが、女史に至つて始めて之れを許された程である。
 女史はナルバンディアンに親しく提琴の教授を受くる傍ら、一九〇七年以後は、ヨーロッパに名高いコンツェルトの歌手ジブツオーヴァルにつき四年間、その後、音楽院の教授で伊太利ランペルヂの高弟なるソンキについてうたを究め、一九一一年同院卒業、学位スワードヌイ・フドージニツクを得た。後、当時ペテログラードに居た小野氏に嫁し(Anna Boubunoff-Onoと称す)夫君帰朝と共に日本に来られたのであるが、其偉大なる才を抱かれながら我国に於ては事情あつて一度もステージに立たれなかつたが、本社の懇願を納れられ、我国最初の演奏会に臨まるゝことになつたのである。

 

 PROGRAMME

    PART Ⅰ
 1.HANDEL : SONATA E DUR ADAGIO CANTARILE, ALLEGRO, LARGO, ALLEGRO NON TROPPO  … … Mme. A. Boubnoff-Ono, Mr. L❜Orange.
 2.BACH  : CIACCONA d-moll  … … … … Mme. A. Boubnoff-Ono.
 3.MOUSSORGUSKY : ARIA DEL❜OPERA “HOVANTSCHINA” … … … … N. Alexandroff
    PART Ⅱ
 4.BRAHMS : a.) BALLADE g-moll.
          b.) RHAPSODIE h-moll.     … … …  Mr. G. L❜Orange
          c.) SCHERZO f-moll.
 5.SARASATE : ZIGEUNERWEISEN … … …  Mme. A. Boubnoff-Ono.
 6.BORODINE : ARIA DE L❜OPERA “ PRINCE IGOR” … … … Mr. N. Alexandroff.
 7.CHOPIN : POLONAISE AS DUR … … …   Mr. G. L❜Orange

  第一部
 一、ヘンデルのソナタ、ホ長調、アダジオ、カンタビレ、アレグロ、ラルゴー、アレグロ ノン トルツポ … アンナ夫人及ロランジュ氏。
 二、バッハの舞曲「チヤツコーナ」 … アンナ夫人。
 三、ムツソルグスキーの歌劇「ハバンスチナ」中の詠嘆詞 … アレキサンドロフ氏。
  第二部
 四、ブラームスの(イ)物語曲、(ト短調)
         (ロ)狂想曲、(ロ短調) … ロランジュ氏
         (ハ)喜戯曲、(ヘ短調)
 五、サラサーデのチゴイネルワイゼン … アンナ夫人。 
 六、バラデインの歌劇「イーゴル公」中の詠嘆詞。 … アレキサンドロフ氏。
 七、ショパンの舞曲ポロネーズ(イ変長調)  … ロランジュ氏

 会員には白、青券は一円引きにいたしますから葉書で御一報下されは会場準備いたしておきます、お出かけ下さい。
 (入場券、 白券四円、青券三円、黄券一・五円)

   推薦音楽会演奏曲解説

 一、ソナタ (ホ長調)  ヘンデル作
           アダジオ カンタビレ、
            アレグロ、
             ラルゴー
              アレグロ ノン トレツポ
    ヴアヰオリン 二重奏   小野アンナ夫人
    ピアノ          ジヨルジ・ロランジユ氏

 二、チヤツコーナ (二短調)  バツハ作   
    ヴアヰオリン独奏  小野アンナ夫人
    バツハのチャツコーナは、彼の作無伴奏の六つのソナタ中第四にあるト短調のものゝ終曲で、その構想雄大なるため、特にこれだけを切り離して演奏されるのを常とする。その技巧と内容との均衡はむしろ驚異とすべきである。
 三、歌劇「ハバンシチナ」中のアリア  ムツソルグスキー作    
    独唱  エン・アレキサンドロフ氏
 
 四、a、物語曲 バラーヂ  (ト短調) 作品百十八、三番
   b、狂想曲 ラプソヂイー(ロ短調) 作品七十九、一番
   c、喜戯曲 スケルツオ (ヘ短調)            ブラームス作
    ピアノ独奏  エヌ・ロランジユ氏<strong>
 五、チイゴイネルワイゼン  サラサーテ作  
    ヴアヰオリン独奏  小野アンナ夫人
  
    此れは西班牙の名手(ヴイルトウオーゾ)の最も通俗的なものの一つとして、普ねく世に知られてゐるもので、ジプシーの陰鬱さうな、もの悲しい歌曲に、極めて軽快な舞曲を配して成るものである。最近に於ては先頃来朝して朝野の血を湧かしめた彼のミツシヤ、エルマン氏に依つても弾かれたものである。
 六、歌劇「イーゴル公」中のアリア  バラデイーン作
    独唱  エン・アレキサンドロフ氏

 七、ポロネーズ (変イ長調)  シヨパン作
    ピアノ独奏  ジー、ロランジユ氏
    

   編輯後記
 □ 愈々音楽会は来る廿五日夕七時より神田青年会館に於て開催、アウエル氏門下の秀才アンナ夫人推薦音楽会とする。会員は白青券各一円引なれば多数の御来場を祈る次第である。本号はその音楽会を記念するため音楽会記念号とする。

   上の文と写真は、批評と紹介 『斧』 四月号 アンナ夫人推薦音楽会記念号 大正十年四月一日発行 に掲載のものである。