蔵書目録

明治・大正・昭和:音楽、演劇、舞踊、軍事、医学、教習、中共、文化大革命、目録:蓄音器、風琴、煙火、音譜、絵葉書

『吉田隆子を偲ぶ夕』 日仏会館 (1961.4.25)

2023年11月27日 | 作曲家 その他

吉田隆子を偲ぶ夕
  1961.4.25(火)6.30
    お茶の水・日仏会館 
    主催=吉田隆子を偲ぶ会 
  後援=日本現代音楽協会・東京労音
  
プログラム
  
 あいさつ            宇野重吉 
 
Ⅰ 「林檎園日記」(久保栄・作)の音楽 ラモー室内楽団
                   Fl.  加賀正治 Vil.1. 桑沢雪子
                   Vil.2. 島田猛  Vla.  松浦君代    
                   Vlc.   大山綱信 Cb. 常松秀衛 
                 朗読・奈良岡朋子

 Ⅱ 蚤の歌(『ファウスト』から)     独唱・宮原卓也
   ポンチポンチの皿廻し        伴奏・三浦洋一
   二つの短歌による組曲
  
 Ⅲ 糸車によるグレーチヒェン(『ファウスト』より) 独唱・三浦春恵
   頬・手(組曲『道』から)           伴奏・三浦洋一
   君死にたもうことなかれ
   お百度詣
  
 Ⅳ 恋(未完のオペラ『君死にたもうことなかれ』から)
                      二重唱・三浦春恵 宮原卓也
                      伴奏・三浦洋一
  
         ― 休憩 ― 
  
 Ⅴ 貝殻墓地                 独唱・四谷文子
   ヘクトールの別れの歌(『群盗』から)      伴奏・陣内淑子
  
 Ⅵ ソナタ(ヴァイオリンとピアノのために)   ヴァイオリン・鈴木共子
                        ピアノ・園田泰子 
 
 Ⅶ 吉田隆子「勇敢なる兵卒シュベイクの冒険」 構成演出・川尻泰司 
   音楽覚え書・バラエティ          出演・人形劇団プーク
                       編曲・長沢勝俊
                       アコーディオン・浜名政昭
  発起人(順不同)
  菅原明朗 井口基成 間宮芳生 山根銀二 芥川也寸志 守田正義 
  笹田和子 園部三郎 山内義雄 野呂信次郎 高田三郎 千田是也  
  中野重治 古沢武夫 深尾須磨子 武谷三男 林光 羽仁説子  
  巌谷栄二 関鑑子 
  
 歌詞
  ポンチポンチの皿廻し    中村正常
  二つの短歌による組曲    石川啄木  
  蚤の歌(ゲーテ『ファウスト』より) 久保栄・訳 
  糸車によるグレーチヒェン(ゲーテ『ファウスト』より) 久保栄・訳
  頬             竹内てるよ 
  手             小倉雪江
  お百度詣          大塚楠緒子
  君死にたもうことなかれ    與謝野晶子
  恋             與謝野晶子
  貝殻墓地          後藤郁子
  
 吉田隆子の思い出       園部三郎
 「吉田隆子を偲ぶ夕」によせて  間宮芳生
 音樂家諸氏に         武谷三男
 隆子さんの思い出       菅原明朗
 森村学園と隆子さんと      巌谷栄二
 シュベイクと吉田隆子      川尻泰司     
 「君死にたもうことなかれ」    吉田隆子 
 
  ヘクトールの別れの歌(シラー『群盗』より)  久保栄・訳
  
   吉田隆子・略年譜    
  
 〔蔵書目録〕
  
  上の文中の歌詞、文の内容などは、全て省略した。


「君死にたもうことなかれ」 作曲 吉田隆子 (1949.4)

2023年11月17日 | 作曲家 その他

  

  「君死にたもうことなかれ」
                 吉田隆子

 私が、晶子の「君死にたもうことなかれ」を、はっきり作曲したいと考えだしたのは、終戦から間もなくの頃でした。その頃私は、永い病臥生活から再起出来て、新しい時代の求める人民的でしかも芸術的な歌曲を、民族の底を流れる音楽情感を生かして作りたいと願っていた時でした。しかし私の求めるのにふさわしい新鮮な感動を持つテキストはなかなか見当たりません。それならば、私は、この明治の時代の感触を持ちながらも、女の悲哀を通して鋭く戦争に抗議した晶子の「君死にたもうことなかれ」を、現代の歌曲として生かしたいと思いました。  
 しかし作曲はなかなかはかどりませんでした。ーこの氣魄にみちたオクターヴの高い調べの詩!一体、晶子の天才は、詩の言葉のなりにくいものまでちゃんと高い格調を持って歌いこなしているのですから‥‥‥。原詩が優れていればいる程、作曲もそれにふさわしくてはならない、と思うので、軽々と筆を下すわけには行きません。-ヒューマニズムの高い調子を保ちながら、誰にも親しまれやすく、という謂わば芸術作品として専門家が歌ってきかせるばかりのものではなく、是非ともみんなが声を出して心を触れ合わせながら歌えるものにしたい!思えば‥‥‥あの頃、私は一体、幾度メロディのデッサンを作りなおした事でしょう。ようやく仕上げたのはそれから4年もたった今年の4月でした。それは丁度、日本が生んだこの不世出の詩人・與謝野晶子の偉業を偲んで催された第1回「晶子祭」(1949年5月29日、晶子の8回忌、於・国際綜合文化協会、主催・日本女詩人会)の直前でした。この会場で三宅春恵さんにょって初演された時の聴衆の感動のすすり泣きや、其の後全国各地で歌われているという知らせは、この詩を現代に生かして我々の歌曲にしたいと念願した私をどんなにはげましてくれた事でしょう。
  さて、「君死にたもうことなかれ」は、明治37年9月号の「明星」誌上に発表されました。それは丁度、日露戦争の真最中旅順陥落の成るか成らざるかにょって戦いの帰趨が決まるという好戦的昂奮のただなかであったわけです。当時の反戦運動は第一次「平民新聞」によって代表されますが、其の他早稲田の学生を主に、全国各地の反戦的底流は、この詩から大きな感激を与えられたと伝えられています。しかし同時に一方から晶子は、非国民呼ばわりをされ、雑誌「太陽」には、大町桂月が、「乱臣なり、賊子なり、国家の刑罰を加うべき罪人なり」と書いて、攻撃の手は盛んにあがったとも伝えられています。それに対して「明星」の同人達は演説会を開いて晶子を擁護しましたが、晶子自身も、「明星」11月号に、「ひらきぶみ」と題した長文の手紙体の抗議文を「みだれ髪」の署名で発表し、自分は政治運動としてではなく、ただ真実を追求する芸術家の真情でこの詩を書いたのだと、つつましい言葉の中にもその決意を披瀝しています。
  
  「前略。ー歌は歌に候。歌よみならい候からには、私どうぞ後の人に笑われぬ、まことの心を歌いおきたく候。まことの心うたわぬ歌に、何のねうちか候べき。まことの歌や文や作らぬ人に何の見どころか候べき。長き長き年月の後まで動かぬわからぬまことのなさけ、まことの道理に私あこがれ候心もち居るかと思い候。この心を歌にて述べ候ことは、桂月様お許し下されたく候。桂月様は弟御様おありなさらぬかも存ぜず候えど弟御様は無くとも、新橋渋谷などの汽車の出て候ところに、軍隊の立ち候日、一時間お立ちなされ候わば、見送の親兄弟や友達親類が、行く子の手を握り候て、口々に『無事で帰れ,気を附けよ』と申し、大ごえに『万才』とも申し候こと、御眼と御耳とに必ずとまり給うべく候。渋谷のステーションにては、巡査も神主様も村長様も宅の光までも斯く申し候。かく申し候は悪ろく候や。私思い候に、『無事で帰れ、気を附けよ、万才』と申し候は、やがて私のつたなき歌の『君死にたもうこと勿れ』と申すことにて候わずや。彼れもまことの声、これもまことの声私はまことの心をまことの声に出だし候ことより外に、歌のよみかた心得ず候。後略ー」(「音楽の探究」から)
   
〔蔵書目録注〕
   
 上の写真の楽譜は、昭和二十四年六月一日発行の 『婦人朝日』 六月號 第四卷 第六號 通卷第四十一號 の 「君死にたまうことなかれ 自由と愛と美の詩人與謝野晶子を讃う 解説 深尾須磨子 作曲 吉田隆子」中にあるもの。 
上の吉田隆子の解説は、昭和三十六年四月二十五日の 「吉田隆子を偲ぶ夕」 主催 吉田隆子を偲ぶ会 のパンフレットより。
なお、この解説の原載は、昭和三十一年九月発行の改訂版の『音楽の探究』 理論社 と思われる(未見)。


『日本新女性の歌』 (楽譜) 與謝野晶子作歌 (1938.7)

2021年06月17日 | 作曲家 その他

  

    與謝野晶子作歌
    渡  鏡子作曲
  日本新女性の歌
          音樂週間理事會

  日本新女性の歌     與謝野晶子

  東の國に、美しく
   天の惠める海と山、
   比べよ、それに適はしき
   我等日本の女子あるを。

  日本の女子は誇らねど、
   深く恃める力あり。
   輕佻浮華の外に立ち、
   眞の文化に生きんとす。

  聰明にして優雅なり、
   つつましくして勇氣あり。
   匂へる處女、淸き妻、
   智惠と慈悲とを滿たす母。

  固より女子の働くは
   遠き祖先の遺風なり。
   男子と同じ務にも。
   共に奮ひて進み出づ。

  櫻と梅のひと重、八重、
   開くすがたは異なれど、
   御國のうへに美しく、
   すべて香れる人の華。

 昭和十三年七月二十日發行  【非賣品】
  作歌者 與謝野晶子
  作曲者 渡鏡子

 發行所   音樂敎育書出版協會


「二宮秀 管弦楽作品発表会曲目解説」 日本青年館 (1929.11.14)

2021年04月10日 | 作曲家 その他

 

      十一月十四日(木)午後七時
      於日本靑年舘
 二宮秀 管絃樂作品發表會曲目解説
        指揮  作曲者
        管絃樂 新交響樂團

    曲目解説
         作曲者 二宮秀

    =〔第壹部〕=

音詩「バベルの塔」(夜と夢の世界のさすらひ人の歌へる)

    ーその昔、ノアの子孫等が天上なる神に至らんとしてバベルの塔を築いた樣に(舊約聖書・創世記參照)今もなほ人々は天上なるものに憧れ、それを得んとして喘ぐ。ー
  第壹「序曲」
     人生の序曲ー多くの夢ー止度を知らぬ情熱ー殉情ー憂鬱ー希望ー等々ーそれ等のモザイク。
  第貳「稚き日に」
     夢ばかりなる世界。
  第參「靑春黯黒」
     若人の胸はともすれば傷き黯むのである。
  第肆「薄暮哀唱」
     まひるよりも、たそがれにーよろこびの歌より哀みの歌をーそれは害はれ傷ついた靈の浄化のために‥‥‥‥。
  第俉「終曲」
     地上巡禮者の終曲ーなほそこにあるものは盡きせぬ思慕と、見果てぬ夢である。

    =〔第貳部〕=

Ⅰ 管絃樂への編曲

     モツアルト作曲ピアノ・ソナタ・イ長調
       第壹樂章「主題と變奏曲」による。

Ⅱ 「辰子姫」(出羽國田澤湖の傳説より)

    この樂曲の主題ー不易の美(老衰と死の運命より解放されんとの願望)
    傳説の梗概ー
    辰子姫と云ふ世にも美はしい容姿の持主が、その美を永遠に保ちたいとの願ひに驅られて觀世音菩薩に願かけをする。百夜參籠し滿願の夜、神靈の御告げによれば、さる泉の水を呑めば願の叶ふ由を聞き、直ちに赴きて靈水を呑みし所、忽ち天地荒れ狂ひ雷鳴豪雨となり附近一帶は湖水と化し、彼女はその主 ヌシ (精)となった。
    斯くしてうつせみの人間の美は、うつらはぬ湖の美と變じたる事によって、「不易の美」を保ちたる所以である。
  第壹 プレリュウド
     湖の持つ素晴らしい澄明な美しさーそれはやがて辰子姫の美しさでもある所の。
  第貳 祈願
     萬人の抱く老衰と死の運命より解放されんとの。
  第參 轉身
     嵐ー變容( Transfiguration )

Ⅲ 「酒顚童子」(日本在來の口碑による)
  
  第壹 或る晩春の夕べ
     彼は未だ生國の越後のさる寺院にて、修行中の若僧である。
  第貳 脱走-道行
     女との戀故に寺を脱走し二人で道行する。
  第參 情死ー死別
     二人は遂に情死する。けれども運命は彼のみを生き殘し女を死に伴ひ去る。彼は惡鬼となる。
  第肆 放浪 
     彼は漂泊者となりて苦しむ。
  第俉 大江山山塞に於ける酒宴。
     豪華なる酒宴ー彼は醉を發して眠りに入るー稚き日の生國の祭の夢ー覺醒ー酒宴。
  第六塲 戰ひ
     彼の運命の最後の日ー殺戮。

Ⅵ 行進曲

     普通の三部形式による作曲。無題。

〔蔵書目録注〕

なお、昭和十一年一月一日発行の 『寶塚少女歌劇脚本解説』 寶塚少女歌劇團發行 の 「寶塚音樂歌劇學校と寶塚少女歌劇團の説明」 に、下の記載がある。
 
 囑託 二宮秀(關西學院


「貴志康一氏 渡歐告別演奏會」(1932.6)、「貴志康一歸朝演奏會」(1935.11)

2021年02月22日 | 作曲家 その他



 青年提琴家 
   貴志康一氏 
     -渡欧告別演奏会

 (ベエトオヴエンに捧げる夕べ) 貴志康一氏 レオ・シロタ氏共演

   於 朝日会館  【会員券】 A \ 2.00 B \ 1.00 C \ .50

   12日 午後

 
     
 欧洲に再度の研鑽を重ねて作秋帰朝、以来東京・大阪に屡々その収穫を発表して好楽家の讃嘆を浴びつゝあった大阪が生んだ青年名提琴家貴志康一氏はこのほど愛器ストラデイヴアリスを抱いて第三回目の渡欧の途に就かれることになりました。同氏送別のため鬼才レオ・シロタ氏の共演を得て、こゝに「貴志康一氏渡欧告別演奏会」(ベエトヴエンに捧げる夕べ)を開催致します。
 貴志氏の真摯にして卓抜せる藝術、「鍵盤上の不可能事なし」と謳はれるシロタ氏の神技については既に御承知でありませう切に貴下の御来聴をお待ち申し上げます。

   主催 朝日新聞社会事業団

      -プログラム-

 1 ベトオヴエン ……
       「スプリング・ソナタ」ヘ長調(作品 24)
           アレグロ モルト エスプレツシイヴォ
             スケルツオ
                ロンド(アレグロ マ ノン トロツポ)

 2 ベトオヴエン ……
       「ソナタ七番」ハ短調(作品 30 No.2)
           アレグロ コン ブリオ
             アダヂオ カンタビイレ
               スケルツオ(アレグロ)
                  フイナアレ(アレグロ)
 3 ベトオヴエン ……
       「クロイツエル・ソナタ」イ長調(作品 47)
           アダヂオ ソステヌウト
               フレスト
                 アンダンテ コン ヴアリアツイオニ
                        フイナアレ(ブレスト)

 

 貴志康一歸朝演奏會
    指揮 貴志康一 管絃樂 新交響樂團

  十一月廿六日(火)午後七時半
     於 日本靑年館
     會員券 一圓 二圓 三圓
         プレイガイド・三省堂・當日會塲

 GRAND CONCERT
  BY KŌICHI KISHI
 WITH NEW SYMPHONY ORCHESTRA
  20th.November,
  7.30P.М. Nippon
 Seinenkan
 -hall

 (1)ベートーヴェン
     「コリオラン」序曲
 (2)チャイコフスキイ
     「交響曲 第六番
       (悲愴) ロ短調
 (3)シューベルト
     「未完成交響曲」ロ短調
 (4)ワグナー
     歌劇「名歌手」序曲

異境ベルリンにあって、その名指揮を謠はれた貴志康一の東都
第一回演奏會!! 晩秋靜夜、外苑にこだまする神韻を聽かう!!

 ★彼を指揮者として成功せしめた所以のものは獨特の熱ある態度であって、其の情熱は彈力性に、彈力性は情熱にと、兩者が互に刺戟し合ふ處に發するものである。その演奏には粗豪さがなくリズムは彈力を帶び、楽器群の組成は卓越せる光澤を發揮してゐる。(ドイチェ・アルゲマイネ・ツァイトゥング・一九三四年十一月二十四日紙)
 ★日本人貴志康一氏は伯林フィルハーモニー・オーケストラを指揮し、特にその際、音色に對し驚嘆に價する指揮振りを示した又音色に對すと同樣な卓越せる感覺を以て、器樂を編成してゐることを示してゐる。(ペー・ツエット・アム・ミッターク・一九三四年十二月四日紙)
 ★此の前のフィルハーモニー・オーケストラの日曜音樂會は日獨協會後援のもとに、日本の指揮者貴志康一氏の非凡なる精妙さと極めて確信に滿ちた指揮振りに依り、力強い印象を與へる機會を提供した。(ペルリーチ・モルゲン・ポスト・一九三四年十一月二十四日紙)

 東京 小野ピアノ店 大阪


「細川碧 交響樂的作品發表會」  日比谷公會堂 (1938.12)

2021年02月21日 | 作曲家 その他

   

  細川碧
交響樂的作品發表會

  12月4日(日)夜7.30
    1938
  於 日比谷公會堂

Symphonisches Konzert
     von
 Midori Hosokawa

     曲目

Ⅰ 小組曲 「日本の物語」

   (1)春の月 
   (2)囁き
   (3)日本娘の踊り
   (4)嘆き
   (5)花見行列

Ⅱ ピアノ協奏曲 ハ長調

   (1)アレグロ マエストーソ
       (2)アンダンテ ラメントーソ
            (3)ロンド

Ⅲ メツオソプラノ獨唱
      (オーケストラ伴奏ー邦語にて獨唱)

   (1)二つの歌  作詩 川上如雲
       イ カスタニヱの  ロ 天地に
   (2)歌劇  ” 佛陀 ”   第一幕
       戀のアリア

Ⅳ 交響樂詩合唱付

   (1)明治天皇御製組曲
       アレグロ ー レント ー アンダンテ
        ーアレグロ
   (2)「法の夕」 第二樂章
       アレグロ スケルツアンド
        ー グラーヴェ デイヴヲタメンテ
             マ センプリーチェ
  
    演奏

    指揮
  細  川  碧

   メツオソプラノ
 リヤ フォン ヘッセルト

   ピアノ
  レオ シロタ

   オーケストラ
  新交響樂團

   コーラス
 玉川學園合唱團  
 東京混聲合唱團

     細川碧略歴 

 音樂生活に最初の一歩を踏入れしは東京府立一中在學中同校聲樂擔當梁田貞氏より初めて作曲の手解を受けたるの時に初まり、爾來東京音樂學校本科を經て同校研究科作曲部にありて信時潔教授の許に研究を積み、研究科卒業と同時に文部省在外研究員としてオーストリヤに留學、樂都ウィーンに於て國立音樂藝術單科大學に入學し五ヶ年の研鑽を累ね一九三四年四月同大學優等デイプロームを獲得す。
 其の後二ヶ年の間屡々ウィーン並びにブダペストの放送局より自作品の演奏及び「日本の音樂」に就て講演を爲す。就中故ドルフス墺太利國首相並びに松永墺國公使の開會の辭を以てなされたウィーン・フヰルハモニー交響樂團演奏に依る交響樂詩「法の夕」の放送は彼の最も感激深きものであった。
 指導教授たるウィーン國立音樂學校々長兼國立音樂藝術單科大學々長フランツ・シュミット博士はその二つのオペラ、四つの交響樂等により大形式の作曲家として夙に令名高き人であって、今回演奏の交響樂詩「法の夕」は同博士激賞絶讃を惜しまれなかったものである。
 昭和十年三月歸朝、爾來母校に助教授として作曲理論の敎鞭をとる。

    會員券
¥ 4.00 3.00 2.00 1.00

    前賣所
プレイガイド本支店  有名樂器店

                  本社 濱松市
山葉ピアノ・オルガン  日本樂器製造株式會社
                  支店 銀座七丁目


「古関裕而さんの苦心談」 稻田今日介 (1936.10)

2020年05月21日 | 作曲家 その他
 

 紺碧の空を作曲した
    古關裕而さんの苦心談
             稻田今日介

 秋!と言っても九月になったばかり。夏の眞盛りとさして變りのない暑さだ。しかし気の早いショーウヰンドウから、ジャーナリストの編輯室から、レコード會社の吹込室から、ETC、秋は既に加速度に到來しつつある。
 暑中休暇が明けたばかりのコロムビアレコード會社には既に緊張味が溢れてゐる。この秋のヒットは果して誰が打つであらうか?藝術家控室に居ると、澤山の藝術家達が入って來たり出ていったりしてゐる。その中に、高田プロの可憐なマーガレット・ユキ嬢の姿なども見えた。やがて此處に姿を現したのは、小さい體ながらガッチリした骨組を想はせるコロムビアの中堅作曲家古關裕而氏である。
 「お暇があったら、作曲の苦心談を聽かせて下さい」
 「僕なんかにはお話するやうなことはありませんよ。」
 古關氏は甚だ謙遜である。
 「兎に角、少し暇を下さい。」
 「これから音丸さんの稽古があるんですが、音丸さんがまだ來てゐませんから、待ってゐる間ならー。」
 そこで二人はお茶を飲み乍ら卓子を圍むだ。
 古關裕而氏、本名は古關勇治。明治四十二年、福島縣福島市生れ、といふから、まだまだ若い。
 僕は暫く戸籍調べのお巡さんのやうに訊ねる。
 「学校は?」
 「福島商業卒業。」
 「それから?」
 「福島で銀行に二年間務めました。」
 「コロムビアに入社したのは?」
 「昭和五年十月」
 「音樂を勉強するやうになった動機は?」
 「別にありません。幼い時から唯好きだったといふだけです。故郷に居た時はハーモニカなどを吹奏してゐました。」
 先月の本欄にも誌したやうに、古關氏が宮田東峰氏の許にあって、ハーモニカ・バンドの指揮者となる源は遠く此の頃にあったことを頷いたのである。
 「故郷にゐてコツコツ作曲を勉強しては、偶々故郷を訪れる近衛秀麿氏や藤原義江氏に作品を見て貰ってゐたのです。」
 古關氏には確かに作曲家としての惠まれたタレントがあったに違ひない。そして古關氏は極めて何でもない樣に、上述のやうな話をすらすらと述べるのであるが、その間には血みどろな努力があったに違ひないと僕は想ったのである。それは若年にして昭和四年の秋、英國にある國際作曲家協會の作品募集に應募して賞を獲得したことや、小松平五郎氏の指揮する國民交響樂團によって、古關氏の作品シンホニック・ポエム「大地の叛逆」が演奏されて華々しく樂壇にデビューしたことや、昭和五年の五月に上京するや間もなく同年の十月にはコロムビア會社に専屬として入社したことなどに依って、證明されてもゐるし、又、酬ゐられてもゐる。
 「私が入社したのは、まだ古賀政男氏などが作曲家として専屬になる以前でした。」
 「その當時はどんな流行歌があった時代でしたらうか?」
 「そうですね、『ザッツ・オー・ケー』などといふのが流行ってゐました。」
 「今迄にレコードになった作品の數はどの位ありますか?」
 「さあ、數へてみたことはありませんが、二三百篇位でせうか。」
 「そのうちでヒットしたものはどんなものですか?」
 「ヒット・レコードといふ程のものはありませんが、強ゐて擧げれば『利根の舟唄』『船頭可愛や』『大島くづし』などでせうか。」
 古關氏が擧げた名前を考へると、みんな日本旋律のものである。
 「私は日本旋律のものが好きなんです。鄙びた唄を作り度いと思ってゐます。そのうちに新しさを探求してゆき度いと思ってゐるのです。」
 山田耕筰氏の『馬賣り』や『鐘が鳴ります』などといふ作品は古關氏が随喜しておかざる作品ださうである。
 「さっきお話があった新しさを探求してゆくに就いて、どんな方法でやってゐますか、その邊のことに就いての苦心談を聽かせて下さい。」
 「いや別にーー」
 「併し苦心が必ずあると思ひますが、往来を歩き乍ら、素晴しいヒントを得たとか。」
 「そういふ經驗はありませんね。」
 「それでは書齊に閉ぢ籠って、これから作曲するのだぞ、といふ意識を持って、いつでも仕事を運んでゆくのですか。」
 「大體さうですね。」
 「では、今迄に作曲した作品のうちで、一番苦心をしたものはどんなものですか。」
 「早大の應援歌『紺碧の空』でせう。あの作曲を依囑されて張り切ってゐたのですがどうしても曲想が浮ばない。學生が來てまだ出來ないか、まだ出來ないか、と毎日催促され乍ら、とうとう、日本靑年會館での發表會の前日になって了ったのです。せっぱ詰ってペンを持ったら案外すらゝと出て來て、出來上ったのがあの曲です。あの曲は書き流したまゝ、一小節も加筆しませんでした。昭和六年の春のことでした。『若き血に燃ゆるもの‥‥』といふ歌がありましたが、あの若き血に燃ゆるものの感激を如何にしてキャッチするかを、非常に苦心しました。」
 秋、本誌が町に村に頒布される頃、神宮球場ではあの六大學野球戰の熱狂的シーンが展開されてゐることであらう。やがて早慶戰の日も近づき、本年も亦、古關氏の名曲『紺碧の空』が若き日の感激をそのまゝに高唱されることだらう。
 「コロムビアでそれ迄私は童謠ばかり作曲してゐたのでしたが、あの歌を作曲してから一時、會社では私に行進曲風なものだの、校歌のやうなものだのばかり廻してよこすやうになりました。」
 それが厭らしくドモリ乍ら、古關氏はさう言って、かすかな笑ひを浮べた。
 「現在はコツコツ獨りで古典音樂を勉強してゐます。」
 「現在の作曲家及び曲の批評、それに伴って古關さんの抱負というやうなものを聽かせて下さい。」
 「抱負は澤山あります。大きな希望を澤山持つてゐますが、一寸話せません。」
 古關氏は寡言實行の人らしい。
 「是非、それを聽かせて下さい。」
 僕はしきりにせびってゐたのだが、そこへ音丸さんが洗ひ髪をふさふささせ乍らやって來てしまった。古關氏は稽古に行かなければならないのだ。僕はそれを待ち構へてゐる人々のために、遠慮せねばならない。

 上の文と写真は、昭和十一年十月一日發行の西條八十主宰の雑誌 『蝋人形』 第七巻 第十號 に掲載されたものである。

 

「宮城道雄作曲演奏会」 (1926.11.27)

2020年04月19日 | 作曲家 その他

 

 宮城道雄作曲演奏會

  日時 大正十五年十一月二十七日
  (土曜日)午後六時開會
  會費 貳圓 壹圓(學生券)

  會場 報知講堂

    事務所 
        牛込區市ヶ谷加賀町二ノ一
           宮城道雄方
             電話牛込三、〇四八番

         曲目

  第一部

 一、和風樂 

   一部尺八 倉川簫山 津田維山 片山雄山 安部香山
   二部尺八 小竹歌山 矢坂鈴山
   胡弓   宮城道雄
   第一玲琴 町田博三
   第二玲琴 瀧豊子
   第一筝  中島利之
   第二筝  田尻美枝子
   小十七絃 時田初枝
   大十七絃 新谷喜惠子

 二、唐砧

   第一筝  天笠才子
   第二筝  中島利之
   同    田尻美惠子
   三味線  宮城道雄

 三、童曲

  イ、青山の池澄宮殿下御作歌
  ロ、お月様のおうち葛原幽作歌)
  ハ、夜の大工さん(同)

   唄    牧瀨數江 上野惠子 志賀嘉子
   筝伴奏  宮城道雄

 四、瀨音

   筝    宮城道雄
   小十七絃 牧瀨喜代子

 五、甲 軒の雫 (新古今集より)

   筝    吉田恭子
   三味線  宮城道雄
   尺八   中尾都山

   乙 清水樂

   尺八   中尾都山
   筝    宮城道雄

 六、さくら變奏曲

   第一筝  宮城道雄
   第二筝  廣岡福子
   小十七絃 牧瀨喜代子

  第二部

 一、船唄

   一部尺八 倉川簫山 細田陽山 津田維山
   二部尺八 安部香山 片山雄山
   三部尺八 小竹歌山 矢坂鈴山
   胡弓   宮城道雄
   第一玲琴 町田博三
   第二玲琴 瀧豊子
   第一筝  中島利之
   第二筝  田尻美枝子
   小十七絃 時田初枝
   大十七絃 新谷喜惠子

 二、園の秋 (菊岡檢校作曲)(宮城道雄筝手附)

   筝    宮城道雄
   三味線  川瀨里子

 三、歌謠曲

  イ、コスモス (與謝野晶子作歌)
  ロ、からまつは(北原白秋作歌)
  ハ、せきれい (北原白秋作歌) 

   唄    永井郁子
   筝伴奏  宮城道雄
   尺八助奏 吉田晴風

 四、甲 湖邊の夕

   尺八   吉田晴風
   胡弓   宮城道雄
   筝    牧瀨喜代子

   乙 春の訪れ

   尺八   吉田晴風
   筝    宮城道雄

 五、舞踏曲

   第一筝  宮城道雄
   第二筝  時田初枝
   小十七絃 牧瀨喜代子
   大十七絃 新谷喜惠子

 〔広告〕
         日本音樂界の明星
 宮城道雄師 
 吉田晴風師 吹込、ニッポノホン ワシ印
           
          新日本音楽のレコードの御用は弊店へ
               銀座 
             十字屋樂器店


『海道東征』 ビクターレコード

2020年04月14日 | 作曲家 その他
        
    
    財團法人日本文化中央聯盟主催
    皇紀二千六百年奉祝藝能祭制定
        交聲曲
  海道東征
    (北原白秋作詞・信時潔作曲)

    獨唱 合唱 東京音樂學校
    伴奏    東京音樂學校管絃樂部
          (指揮 木下保)

  海道東征  KAIDOOーTOSEI
            北原白秋作詩  信時潔作曲

        題字・北原白秋氏

 〔口絵写真〕
       
     (日比谷公會堂に於ける「海道東征」發表會・指揮 木下保氏)

 曲

  Ⅰ 高千穂     TAKATIHO
  Ⅱ 大和思慕    YAMATOーSIBO
  Ⅲ 御船出     MIHUNADE
  Ⅳ 御船謠     MIHUNAUTA
  Ⅴ 速吸と菟狹   HAYASUI TO USA
  Ⅵ 海道回顧    KAIDO KAIKO
  Ⅶ 白肩の津上陸   SIRAKATAーNOーTU ZWORIKU
  Ⅷ 天業恢弘   TENGYOーKAIKO

    

 詩

 第一章 高千穂
     
     テナー    渡邊高之助
     バリトン   中山悌一
     合唱     東京音樂學校

 第二章 大和思慕

     第一ソプラノ 山内秀子
     第二ソプラノ 朝倉春子
     アルト    千葉靜子
     合唱     東京音樂學校

  大和は國のまほろば、
  たたなづく靑垣山。

  東 ひむがし や國の中央 もなか 、
  とりよろふ靑垣山 あをがきやま 。

  美 うるは しと誰 た ぞ隱 こも る、
  誰ぞ天降 あも るその磐船 いはふね 。

  愛 かな しよ鹽土 しほつち の老翁 をぢ 、
  きこえさせその大和を。

  大和はも聽美 ききうるは し
  その雲居思遙 もひはる けし。

  美しの大和や、
  美しの大和や。

 第三章 御船出

     アルト    千葉靜子
     合唱     東京音樂學校

 第四章 御船謠

     第一ソプラノ 山内秀子
     第二ソプラノ 朝倉春子
     アルト    千葉靜子
     テナー    藤井典明
     テナー    渡邊高之助
     バリトン   中山悌一 
     合唱     東京音樂學校

 第五章 速吸と菟狹

     ソプラノ   山内秀子
     テナー    渡邊高之助
     バリトン   中山悌一 
     合唱     東京音樂學校

 第六章 海道回顧

     第一ソプラノ 山内秀子
     第二ソプラノ 朝倉春子
     アルト    千葉靜子
     テナー    渡邊高之助
     バス     中山悌一 
     合唱     東京音樂學校

 第七章 白肩の津上陸

     テナー    渡邊高之助
     バリトン   中山悌一
     バス     栗本正 
     合唱     東京音樂學校

 第八章 天業恢弘

     テナー    渡邊高之助
     バリトン   栗本正 
     合唱     東京音樂學校

  海道東征註 〔下はその一部。註は(六四)まである。〕
     東京音楽学校教授
       風卷景次郎

 (一)この作品は皇紀二千六百年奉祝藝能祭の爲に日本文化中央聯盟の囑によ依り、特に作られたもので、昭和十五年十一月二十日東京音樂學校奏樂堂において初演、つづいて二十六日東京市日比谷公會堂において公演され、共に多大の感酩を與へた。
    本來、神武天皇讃歌三部作の第一部に當るべきもので、御東征の軍勢が高千穂宮を發し、大和の國に入られるまでを扱ってゐる。
    海道は海路。速吸瀬戸で、國の神に「汝は海道 うみつぢ を知れりや」と問はれると、「能く知れり」と答へ申したので水先案内とされた事が古事記に見えてゐる。
 
 (一六)古事記中卷、日本武尊御東征の時、能煩野 のほの で詠まれた國思 くにしぬび の歌、大和は國のまほろば、たたなづく靑垣山、こもれる大和しうるはし、の句をそのまま活用してある。まほろばは四周山に圍れた所。たたなづくは連山重畳するさまをいふ。青垣山は四周をとり圍らす靑山。
 (一七)具足すること。姿かたちの優れてととのった靑垣山よの意。萬葉集に、大和には群山 むらやま あれど、とりよろふ天の香具山、登り立ち國見をすれば云々とあるのから來てゐる。
 (一八)日本書紀神武紀の御東征の會議の條を見ると、天皇の御言葉として、鹽土の老翁 をぢ に聞きしに曰く、東に美地 よきくに あり、青山四もに周れり、その中に亦天の磐船に乗りて飛び降れる者ありといひき、と仰せになってゐる。すでに先を越して天降った者があるさうだといふ御言葉には、大和は誰もが良しと目をつける所だとの意がある。
 (一九)日本書紀によると、天孫降臨の後、吾田 あだ の笠狹 かささ の碕 みさき (今の薩摩の川邊郡の長尾山、笠砂、阿多半島の邊)に行かれると一老人に會はれた。それを事勝國勝長狹神 ことかつくにかつながさのかみ といひ、伊邪那岐命の御子、一名鹽土老翁といふ。住吉の神のことだとの説もある。

 (六三)この一章は全體のしめくくりとして、一足とびに天皇の位に即かれる時の事に移ってゐる。はじめ三節は三種神器に配してある。意味は天地初發の時はやく生れられた皇祖神の國家經營の大御言をうけ繼がれ、從はぬものを速やかに討ち給へといふことである。

 合唱 海ゆかば (大伴氏言立 信時潔曲 山口正男編)

  海ゆかば水漬 みづ く屍 かばね
    山ゆかば草むす屍
  大君 おほきみ の邊 へ にこそ死なめ
      かへりみはせじ
               東京音樂學校
               伴奏 東京音樂學校管絃樂部

 A五〇四五一一☆納附濟☆十二吋白盤八枚☆アルバム入☆公定價格拾九圓六拾銭☆満洲國・關東州其他外地は特定値段による

「紀元二千六百年奉祝 東京音楽学校 関西大音楽会」 (1940.11.29-12.1)

2020年04月13日 | 作曲家 その他
 

 紀元二千六百年奉祝 
   東京音樂學校 
     關西大音樂會

  昭和十五年十一月  廿九日 午後七時  於大阪 朝日會館
              三十日 午後一時  
              三十日 午後七時   
       十二月   一日 午後七時  於京都 朝日會館
  主催 朝日新聞社會事業團

 國歌君が代奉奏  管絃樂演奏

  一、宮城遙拝
  二、黙禱

    紀元二千六百年奉祝演奏曲目

 一、管絃樂   指揮 橋本國彦

   紀元二千六百年記念  建國祭本部制定
    「交響曲・二調」 橋本國彦作曲

    第一樂章 「莊嚴調
    第二樂章 「輕快調
    第三樂章 「紀元節祝日歌による主題と獨奏及遁走曲

        - (休憩) -

 二、合唱・獨唱・管絃樂  指揮 木下保

  日本文化中央聯盟主催、皇紀二千六百年奉祝藝能祭制定
   交聲曲海道東征  北原白秋作詩 
                信時潔 作曲

   一、高千穂    男聲獨唱並合唱
   二、大和思慕   女聲(獨唱並合唱)
   三、御船出    男聲女聲(獨唱並合唱)
   四、御船謠    男聲獨唱並合唱
   五、速吸と菟狹  男聲獨唱、女聲合唱(童ぶり)合唱
   六、海道回顧   男聲女聲(交互に唱和並合唱)
   七、白肩の津上陸 男聲(獨唱並合唱)
   八、天業恢弘   男聲女聲(獨唱斉唱並合唱)

         獨唱 ソプラノ 山内秀子、淺倉春子
            アルト  進藤梅子、千葉靜子
            テノール 柴田陸陸
            バリトン 藤井典明
            バス   中山悌一、栗本正
        
        - (休憩) -

 三、管絃樂   指揮 橋本國彦

   日本文化中央聯盟主催、皇紀二千六百年奉祝藝能祭制定
    音詩「神風」 山田耕筰作曲

        管絃樂 東京音樂學校管絃樂部
        合唱  東京音樂學校生徒

        曲目解説

   神風」の曲に添へて

 これは神風の擬音的描寫ではない。蓋し擬音は眞の音樂とはなり得ないからだそれ故私は「神風」を一つの音詩とし、神風の外的描寫を粗にし、その内なるものをより密に表現しやうと努めた。
 試みに眼を蒙古襲來の當時に向けやう。それは日本にとって正に累卵の危機であったに相違ない。しかもあの有史以來の國難は誠に明快に克服されてゐる。時の宰相、青年、相模太郎の勇断によって。しかし私は思ふ、よしあの時、百の相模太郎ありとしても、もしわが國民が、神と共に耕し、神と共に唱ひ、神と共に生きんとする浄心の持主でなかったとしたならばどうであったらう?
 或は神風もその奇蹟を示さなかったであらう。幸にも日本國民は、いみじくもその心の所有者であり、神人一如の精神に生きてゐたのだ。そして、この精神こそは實に世界無比のものであり、またわが國獨自の尊い精神でもあるのだ。
 今こそ吾々は儚き「知」への執着を斷ち、潔く叡智の世界に進み、神人一如の生活を行することによって、單なる考察の段階より、感悟の高堂に上り、いとも崇き創造の人たるべく、必死の努力をいたすべきである。この光輝ある二千六百年をその正しき歩みの第一線として‥‥‥敢えて記して作者の言葉とする。
                                                      (山田耕筰

   交響曲 海道東征

    第一章 高千穂
 天地初發の時、天の御中主の神二柱産巢日の神が高天原に成りました。次いで下界が生れ出た時、伊邪那岐・伊邪那美二柱の御神が天の瓊鋒を以て海水をかき廻して、大八洲の國土を形作された。そこで天照大神の御裔が高千穂の峰に天降られ、御榮えになってゐたが、やがて御東征の時は迫ってきたと、事實も言葉も古事記上巻によって志實に荘重に歌ひ出してゐる。(男聲獨唱並に合唱)
    第二章 大和思慕
 皇軍進發の前奏曲。大和の自然の美しさと、大和への思慕の情とを、日本武尊の國思の御歌の言葉を借りて、優しく歌ってゐる。(女聲獨唱並に合唱)
    第三章 御船出
 その一は日向國の美美津御出帆の曙の大業成就を豫言するやうな、平和で美しい情景、その二は、皇威凛々として御出帆の時の情景、その三は海路の靜かに凪いだ情景を歌って早く出でませと感激にあふれつゝ歌ふ歓呼の聲。
    第四章 御船謠
 いよゝ艦隊の行進。その一はやがて神武天皇となり給ふべき總帥神倭磐余彦命を讃へ申す歌。その二以下は、命を上にいたゞいて、次第にたかまる全軍の意気の高揚を、船謠の形で歌ってゐる。(男聲獨唱並に合唱)
    第五章 速吸と菟狹
 速吸の瀨戸に來られると、國つ神珍彦が龜の甲に乗て参り、水先案内をつとめ奉って、稿根津日子と名を賜った古事記・日本書紀の傳へをそのまゝその一に歌ってゐる「宇佐まで進まれると、宇佐津彦が足一騰宮を作って、お迎へ申したいといふ古事記の傳へをその二に歌ってゐる。(男聲合唱並童聲或は女聲合唱)
    第六章 海道回顧
 既に吉備の國高島の宮に八年間、全軍準備成って、まさに一路難波へ進まれやうとする時、全軍の人々遙か來し方を顧みて、九州から瀬戸内海を東へと辿った行程を歌ふ。三節に分れてゐる。(男聲女聲交互唱並に合唱))
    第七章 白肩の津上陸
 難波御着船、青雲の白肩の津にお着きになると、長髄彦が逆らひ奉るので、楯を並べてひた押しに敵前上陸を遊ばされよって其處を今も日下の蓼津と言ってゐるとの、古事記の傳へをそのまゝに歌ってある。二節に分れてゐる。(男聲獨唱並に合唱)
    第八章 天業恢弘
 三種神器の御神徳の讃歌。大和國の山河の讃歌。そして日嗣の御子の御稜威の讃嘆。そして八紘一宇の大業を實現あそばさる爲に、いざ大和の國へと、全軍意気に燃へて歓呼の裡に曲は終る。(男聲女聲)(以上風卷景四郎〔風卷景次郎?〕解説)
 この交聲曲の所要時間は一時間である。

  交響曲 ニ調

 作曲者はこの記念曲に二ヶ年の歳月を費し、努力を重ねて日本人の手になった眞に日本的交響曲の最初の大作を完成したのである。
 建國の精神、悠久の國風、躍動の日本、文化の精華等この一大交響曲の内容として遺憾なく表現され、しかもその表現に我國古來の音樂文化の諸相即ち雅樂調を、民謠調を、謠曲調を、長唄調を巧に編み、しかも模倣の域を遙に脱して、西洋音樂を十二分に會得した作曲者橋本教授が正に紀元二千六百年にして初めて意義深い新大作を完成したものといふべきである。交響曲・二調とあって長短兩調のいづれにも指定されないのは(D)が基音であるといふ意味で雅樂調の壹越に當るものである。演奏所要時間は三樂章全曲で五十分である。
  第一樂章 「莊嚴調」
  第二樂章 「輕快調」
  第三樂章 (終曲)「紀元節祝日歌による主題と獨奏及遁走曲」
 第一樂章は弱音器付き絃樂の導入によって開始され、之に續く主要主題(此の主題は交響曲全曲に一元的に用ひられる)はニ・ホ・イの三音から成る。副主題は陰旋法による謠曲風のものである。
 主題提示と展開は幻想的に表示された自由な奏鳴曲(ソナタ)形式により終りは導入部を逆の順に現はして消える樣に結ばれる。第二樂章は三部分形式により各樂器を獨奏的交代によって始まり、主題は切分音(シンコーペ)的のもので、之に與へられた低音は第一樂章の主要主題である。中間部は速度が倍になり俚謡風の旋律が骨子となってゐる。
 第三樂章は「紀元節祝日歌」の旋律を主題として、八つの變奏と遁走曲(フーゲ)から成る。遁走曲は先づ別個の副作動機による主題と對位によって開始され第一樂章の主要主題が次いで加はり、迫奏(ストレッタ)を經て後、初めて「紀元節祝日歌」の旋律が合流して嚴格な四重遁走曲となり、やがてトラムペットによる主題強奏によって最高潮に達し、第一樂章の主要主題によって終結する。


 

「山形県立酒田高等女学校 十周年記念」(絵葉書)(1908.6.7)

2018年10月04日 | 作曲家 その他

   

 十周年記念 山形県立酒田高等女学校 41.6.7
  山形県立酒田高等女学校有煒会発行
  小川一真印行

 上の左の絵葉書2枚には、上の印と記載がある。絵葉書にある歌詞は下の通り。

  サクラバナニハオビシロクサキニケリ
  ケフトカヘリノハルヲムカヘテ
  
 酒田高等女学校は、明治末に奥好義が音楽教師として赴任、校歌を作曲したことでも知られる。

 上の右の絵葉書1枚は、下の記載のある袋に入っていた絵葉書3枚中の1枚である。

   大正十二年五月二十八日
 母校創立  二十五周年記念絵葉書
   山形県立酒田高等女学校
      同窓会


『作曲界』 1-4 音楽社 (1919.4ー20.7)

2013年12月29日 | 作曲家 その他

 作曲界 第一巻 第一号 大正八年 〔一九一九年〕 四月 東京神田三崎町三丁目 音楽社出版部発行

     表紙の絵の説明は、「〔楽聖ベエトオヴエンの作曲〕」とある。22.2センチ、26頁。

 〔見返し〕
 
 ○作曲研究会規則

 、本会を作曲研究会と称し本部を帝国楽事協会内に置き事務所を東京市神田区三崎町三丁目音楽社学術部内に置く
 、本会は作曲即ち楽曲創作の術を普及し楽曲を研究し創作を奨励して音楽観賞上の実力を養成して国楽樹立の素地を作り音楽の学と術との向上発展を図る
 、本会の機関として雑誌「作曲界」を編纂し隔月に発行して会員に配布す
 、何人と雖ども本会の趣意に賛するものは所定会費を前納して入会することを得
 、会員は本会の事業賛助の為一ヶ年金二圓を前納するの義務あり但帝国楽事協会の特別会員にして「作曲界」又は「通信講義」の何れかを無代配布さるゝ資格者は本会々費の半額金壹円を前納して本会の会員となる事を得べし
 、会員は(毎月一曲を限り)本会の提出せる課題によりて各自作曲を試み本会講師の批評刪修を受くることを得
 、批評刪修を受けたる歌曲は本会の任意によりて前記「作曲界」其他本会母会なる帝国楽事協会の関係せる諸雑誌に登載する事あるべし
 、登載後の作品の版権は作者の所有とす
 、会員にして課題以外の作品の添刪若くは新楽曲作製を依頼せらるゝ場合は若干の費用を申受く
 、会員が著作物を公刊せむとするとき及び各地に於て音楽講演会、音楽演奏会、音楽講習会を開催せむとするときは種々便宜を図るべし

 ○細則

 、作曲の課題に対する答案及び学術上に関する件は東京西巣鴨町池袋帝国楽事協会内「作曲研究会本部」へ発信せられたく註文及び送品延着等事務上の事項は神田区三崎町三丁目一番地音楽社内作曲研究会事務所へ御送付相成度し
 、会員の入会金〔会費〕は凡べて振替貯金にて口座東京第一一七八帝国楽事協会宛に払込み裏面の通信文欄へ「作曲研究会本部」宛の意味御記入のこと
 、機関雑誌「作曲界」は一、三、五、七、九、十一の各月に発行し会員には無料配布し一般購読者は「作曲界」は二十銭以上一ヶ年一圓廿銭にて頒布す
 、会員は加入番号〔第何之組何番〕と記憶せられたし
 、課題に対する答案は一問毎〔一曲の各用紙毎に標題及自己の加入番号を記入するを要す〕住所氏名を明記せざるものは添刪後返送する能はざることあるべし

 ○作曲研究会の歴史

 、大正元年十二月一日開会卅一日迄に入会者百名の定員に満ちたり
 、大正二年一月より第一回通信講義を発行す
 、大正二年三月満員後申込多数のため第二の組を募集す三月卅一日迄に百五十名の入会者あり
 、大正二年十二月第一ノ組即大正元年々末の加入者に講義全部終了
 、大正三年二月第ニノ組即大正二年三月の入会者に講義終了
 、同年同月継続事業として通俗音楽研究会を設立し雑誌「通俗新楽譜」〔後に通俗音楽〕を発行し受講会員の作品を掲出す作曲研究会々員殆ど全部同誌の購読者とならる
 、前記通信講義を刪修して「作曲学初梯」を発行す
 、大正六年一月前記作曲学初梯売切に付「通俗音楽」第十四号を以て再び「作曲研究会」に於て「通信講義」を発行し新たに「作曲界」を創刊することを発表す
 、大正七年第三回「作曲研究会」員を募集す

 本号要目

 作曲研究会の設立 (大正元年十二月)

  作曲の秘訣は単に技巧にあらず、寧ろ理想の力にありこれ楽聖ベートーヴヱン氏の悲しむべき疾患が吾人に明證せる事実にあらずや。
  史家ベートーヴエンを評して曰く、彼は偉大なる人物なりしが故に偉大なる音楽者たり。深大なる悲痛を有したるが故に偉大なる作曲家たりと、ベートーヴエンの作曲はソナタよりシンフオニイに至り、声楽と器楽とに論なく、無慮百三十八の多きに達し、其の楽曲は一として彼が胸中無限の愛と悲痛との反響ならざるはなし、その歌ふところは天の声なり、其の弾ずる所は人生其物なり鋭敏なる耳と巧妙なる指とが音楽を作ると思ふ人は、ベートーフエンが聴官失喪後の作曲が却て崇厳なる高調に達したるを知らざるの人なり。ベートーフエンは全世界にも換へ難かりし音響の世界より隔絶せられたるも、彼は心霊の力を以てよく物質界の法則を超絶し、如何なる鋭敏なる肉の耳にも聴取るべからざる天よりの神籟を、彼は心耳を澄して明に聴取ることを得たり。而して音響の世界より隔絶せられたる彼の絶望と悲憤とは、彼の作曲をして益々森儼嵩高の絶調たるに至らしめたり。
 〔以下省略〕

 高名作曲家月旦
 盛んに模作せよ       高折周一氏談

 原案模作は作曲法練習の第一階梯であるのみではない寧ろ現代の楽界になくては叶はぬ大切な資料である。とは云へ悪い駄曲を作れとは云はぬ。又た悪い原料を精製する程辛抱することは出来ない。私の模作奨励法は、よい材料を普及すべく、よい原料を簡約せよと云ふのである。とは云へ悪い駄曲を作れとは云はぬ。又た悪い原料を精製する程辛抱することは出来ない。私の模作奨励法は、よい材料を普及すべく、よい原料を簡約せよと云ふのである。現時欧米諸国に於て偉大な勢力をなして居る、諸楽曲或は歌劇聖劇曲の一節や、殆んど刻々製作される流行新曲の如きは、何れも名家が心血を注いで成つた一粒千金の作であるが、是れを此儘我国に移植することは出来ない或は長過ぐるとか。或は時に邦人の楽趣に対して稍強過ぐるとか。僅かの変改によつて殆んど理想的の良材料となり得るものが沢山たある。是を適当に改作刪修して我国民の音楽的資料としならばどれ程幸福であらうか。蓋し其効益は図りがたいと思ふ。自分自身の僅かなる楽趣を叩いて、創作に腐心するより限りなき海外の實を拾つてはどうだらふ。(文責記者)

 登載楽曲の説明

 ○春霞(単音唱歌) 附録講義「基本形式」リイド形式の部に解説せられたる原曲なり。
 ○離別の曲(単音唱歌) 附録講義「基本形式」中に引照せられたる原曲なり。
 ○仏国々歌及其由来
 ○往けゝ日本男児 本講模作奨励の実例として掲出す「楽曲」の由来は山本正夫氏の講話にして来号に詳述を約せられたり。又往けゝ日本男児は日清戦争に際して帝国大学教授外山正一博士の作歌して我国音楽界の開祖とも云ふべき伊澤修二氏が仏国々歌を模して作られたる高名なる一曲なり。
 ○秋の歌 多梅稚氏が The Lastrose of Summer の曲を模して作られたる複音曲なり原曲対照にて掲出。
 ○雪の曙(単音唱歌) は My Dear Old Sunny Home! の曲を模作して而も簡約せしものなり高折周一氏の主張によりて山本正夫氏がものせられたるものなり。
 ○わが家 は前記「雪の曙」の原曲を引用したるものなり。
 ○朝晴雪(単音唱歌) 本誌「作曲法初梯」第六葉(十頁)に掲げられたる本曲は、宗教歌 Hzmn を模作して而も是を宣展したるものなり。
  
 作曲法初梯         山本正夫講

 〔はしがき〕詩は天成、楽は天来と云ふが如く、作曲は天来のものでなくてはならぬ。天の声を天の韻に伝たへ、謡ふものをして天の人となさねばならぬ。
 楽聖ハイドンが天地創造の曲を作るにあたり、「神よ汝の限りなき力を、我に頒ち賜へ」と祈念して筆を採り、以て此曲を大成したと、音楽の史家が伝へて居る。楽聖ベートーヴヱンが皎々たる明月の霊光に搏たれて即興楽ムーンライト、ソナアタを作つたことや、ボーンの山中を彷徨して「森の神秘」の曲を得たことや、楽聖グノーが秋夜の風光に感興を催して千古の名曲、「静夜の曲」を成し又た「ウイリアムテル」の豪音が実に楽聖ロシニイの一昼夜の作であるとか、皆楽曲の尊厳偉大を示せる諸種の伝説等一として、人為の業でなく、即ち天声天籟であることを首肯せしむるものがある。
 〔中略〕
 模作法 にして、原曲と同等、若くは是を凌いて世に愛唱されて居る者も少なくない。例之外山(正一)博士の作歌で、伊澤修二氏の作曲として、高名なる「往けゝやまと男児」は佛国々歌マルセーエーズの模作である。音楽新楽譜に出でた多梅雅氏作の「秋の夜」の二重音曲は菊 Last Rose of Summer の模作である。其他「蛍の光」や「荒城の月」や「箱根八里」「美しき天然」等の模作物は随分世に出でゝ居る。若し模作物にして原作以上の感興を與ふるとせば、是はこれ、既早や模作の域を脱して、堂々其人の創作である。(左記は讃美歌Hzmn の曲の模作である。
  〔楽譜は省略〕 
 
 ベルテンシャウン氏和声学  村上一郎譯述
 楽曲
    ・春霞 米花園楽人作 〔歌詞付楽譜〕春霞 鳥山啓作歌 歌詞(一)~(二)
    ・離別の曲 犬童球渓〔歌詞付楽譜〕 離別の曲 犬童球渓 歌詞(一)~(二)
    ・仏蘭西国歌の由来 〔カタカナ数字楽譜あり〕
    ・往け往け日本男子 外山正一作歌 伊澤修二作曲 歌詞 (一)~(五)
        同     (マルセイエーズの模作) 伊澤修二氏作曲 〔日本語歌詞付数字楽譜〕
    ・THE LAST ROSE OF SUMMER. 〔英語の歌詞付楽譜〕
    ・秋の歌(「菊」のtempoを模して) 多梅稚作曲 〔日本語の歌詞付〕 秋の歌 猪股吟鶯 歌詞 一~四
    ・わが家 “MY DEAR OLD SUNNY HOME ”〔日本語の歌詞付楽譜〕
    ・雪の曙 原曲旋律 〔日本語の歌詞付楽譜〕雪の曙 日本語の歌詞 第一章~第三
 作曲課題
    其一 大和心 三浦圭三作歌
    其二 探梅  七理紫水山人歌
    其三 雛祭  七理紫水作歌
    其四 隅田川 上野源次郎作歌

 なお、裏表紙は、「音楽社出版目録」である。

 

    音楽社出版目録

      唱歌曲書之部

  著者      書名      内容      定価  郵税

 山本正夫   二人の兵士  〔シュウマン名曲〕  二十銭 二銭
 プルツフ作  ペネロープ  〔オデシュース〕   二十銭 二銭
 ダンデイ作  牧歌、覚醒  〔ラルゴーの名曲〕  二十銭 二銭
 ナイト作   たゆたふ小舟 〔英和対照〕     二十銭 二銭
 グルック作  オルフォイス 〔歌劇曲集〕     二十銭 二銭
 ウエベル作  ふなうた   〔ゴンデリード〕   二十銭 二銭
 高折周一   新年まり歌  〔小学女児教材〕    五銭 二銭
 三角錫子   哀歌     〔真白き富士の根〕  十三銭 二銭
 三浦圭三   須磨の汐騒  〔附筑波夜嵐〕    十三銭 二銭
 山本正夫   テリイ少尉  〔欧洲戦争悲劇〕   十三銭 二銭
 七理重惠作  故国よさらば 〔布哇女王の歌〕    十銭 二銭
 高折周一   海国男子   〔質実剛健教材〕    五銭 二銭
 下田歌子   臥龍岡    〔清新叙事歌曲〕   二十銭 二銭
 シュウマン曲 チゴイネルレーベン 〔流浪の民〕  十五銭 二銭
 田中楽長   美しき天然  〔空に囀る鳥の声〕   十銭 二銭
 原田彦四郎作 徳川家康公  〔智仁勇唱歌〕     十銭 二銭
 高折周一   名媛唱歌   〔女子教材集〕     卅銭 二銭

      軍歌及朗読法

 亀岡大尉   新撰軍歌全集 〔曲譜附〕      廿五銭 二銭
 山本大槻両氏 韻文朗吟曲集 〔説明あり〕     廿五銭 二銭
 山本大槻両氏 新撰詩吟曲集 〔売切中不日再版〕  卅五銭 四銭
 高折周一   チエリイ   〔和英語及合奏譜附〕 五十銭 二銭
 高折周一   秋の色草   〔合奏譜附〕      一圓 四銭

      バイオリン

 楽聖ラモー作 開国五十年  〔一名 金婚賀莚〕  廿五銭 二銭
 イバノヴイチ ドナウ河の漣 〔ワルツ曲〕     廿五銭 二銭
 伊国民謡   シヽリアノ  〔ニーナ〕      廿五銭 二銭
 ネッケ作   クシコスポスト〔カロツプ〕     廿五銭 二銭
 ヘンデル   ラルゴー   〔豪壮佳曲〕     廿五銭 二銭
 管絃合奏   愛国々歌集  〔連接国歌〕     五十銭 四銭

      ピアノ・オルガン曲

 べヱトヴヱン 月光の曲   〔世界的大名曲〕   五十銭 四銭
 ワグネル   タンホイゼルマーチ 〔世界名曲〕  廿五銭 二銭
 マイエルベル 践祚大行進曲 〔大礼記念〕     廿五銭 二銭
 サンサン   水車     〔擬声楽曲〕     廿五銭 二銭
 シュウマン作 楽しき農夫  〔無言歌集〕     廿五銭 二銭
 シュウマン作 サンタークロース 〔同〕      廿五銭 二銭
 ツェルニイ作 ヴイエンナマーチ 〔連弾曲〕    廿五銭 二銭
 ウエベル   猟人の歌   〔連弾曲〕      廿五銭 二銭
 教育音楽会編 行進曲集   〔高名曲網羅〕    卅五銭 四銭
           〔以下省略〕

    

 作曲研究会編輯 作曲界 第一巻第二號 大正八年 七月 東京神田三崎町三丁目 音楽社出版部発行

 ・楽徳余録     村上一郎氏
 ・ベ氏和声学    村上一郎氏
 ・作曲法初梯    山本正夫氏
 ・友愛(参考歌曲) 上真行作氏
 ・会員創作集    会員諸氏 
     ▽大和心▽探梅▽雛祭▽隅田川
 ・楽曲基本形式 一ー四 村上一郎氏
 ・作曲課題     編輯局提出

 作曲研究会編輯 作曲界 第一巻第三號 大正八年十二月 東京神田三崎町三丁目 音楽社出版部発行

 ・楽徳余録          村上一郎氏
 ・作曲法初梯(自六月至八月) 山本正夫氏
 ・楽典一-四         楽典研究会
         -〔楽曲〕-
 ・集合教訓の歌 〔例照〕   山本講師
 ・盛春之賦 〔同〕      山本講師 堤正夫作曲 故未調楽人作歌
 ・みどり 〔同〕       山本講師 武島羽衣
 ・教訓歌 〔同〕       山本講師 大槻貞一作曲 大槻貞一作歌
 ・乳母が家 〔同〕      黒木講師 黒木耳村作曲 三角錫子作歌
 ・さとの空へ 〔参考原曲〕  ガーデン

 (When We Arivehome) 前田純孝作歌 GARDEN作曲

 ・春の夜 〔同〕       スペイン国民歌
 ・卒業生を送る 〔同〕    ベリニイ 作曲

   祝ヘ、祝へ、祝へ。 吾文明は日々に進み、 我国威かがやけり 
   かゝるとき業を卒へ、 教育の道にと 出て立つ友の責任。 重きはものかは、 光栄添はる。
   勉め吾が友、いそしめわがせ、 われも、人も祝ひて送る。
   あ、あ、あ、あ、あ、萬々歳」

 ・主よちかづかん 〔同〕   宗教楽   

   此曲は客年巨船タイタニック号の沈没に際し勇壮なる楽人によりて最期の際まで吹奏されしと伝ふる彼の有名なる聖ヒレール祈祷曲なり

 ・みどりのとばり 〔寄稿〕  鈴木雄雄作曲 鈴木雄雄作曲
 ・夕景 〔同〕        大野敏盛作曲 志阪正臣作歌

 ・牧の思出 〔和声訂正例曲〕 会員提出   牧の思出の曲 薄田泣菫作歌
 ・子守歌 〔同〕       会員提出   子守謡 渡邊雨葉

 作曲研究会編輯 作曲界 第一巻第四號 大正九年 七月 東京神田三崎町三丁目 音楽社出版部発行

 ・楽徳余録     村上一郎氏
 ・作曲法初梯    山本正夫氏

 ・松平信綱公    高橋北郎作曲 長谷川染二作歌

   {埼玉県北足立郡野火止村の平林寺に松平伊豆守信綱公の墓地あり本曲は其三百五十年祭の歌なり}

 ・青葉若葉     三浦圭三
 ・和歌の浦     千草園楽人作曲
 ・燈臺守の歌    通楽士作曲   竹内養作歌

 ・楽典講義 五-六 楽典研究会
 ・べ氏和声学一五  村上一郎氏
 ・作曲課題     編輯局提出

  〔其十一〕 雲雀   植木孝之助校閲 内田榮次作歌
  〔其十二〕 狂へる風 白上貞利
        勧学
        勉強
        正義
        仁愛
        反省
        平敦盛 上野源治郎氏作歌

  △謝告▽

   労働問題の犠牲となって楽譜製版所解散其他種々印刷所の都合により本号の原稿は数回印刷所を転々して、遂に現在の工場に懇願して漸く発行の運びに至れり為めに意外なる発行遅延を来たせしことを謝し上げ候
                                編輯部同人

 なお、下は本雑誌にある広告である。

 作曲界

 作曲法を研究せんとする人に斯界唯一の雑誌作曲界を推奨すことは作曲研究会の機関にして作曲上の諸問題を研究掲出す一ヶ年二圓なれど試みに一ヶ月加入せんとする人は郵券三十銭を送付せよ一ヶ月間会員の資格を與ふ課題作曲批評是正の便あり


舞踊曲「蜘蛛と蝶」 鳥居維 (1928.3)

2012年01月08日 | 作曲家 その他

    舞踊曲 
  蜘蛛と蝶 
    鳥居維作曲 
    
    新響社 No.3000

 蜘蛛と蝶 The Spider and the Butterflies

     蜘蛛と蝶

      梗概
   時   夏の日盛り過ぎ
   所   毬の端
   登場者 蜘蛛 一疋
       燕  二羽
       蝶  数十羽

 蜘蛛が巣を張る前奏にあく。
 燕飛来して巣を破りて去る
 蝶集来して破巣を通して踊る
 後群れて去る
 蜘蛛巣を張りなをす
 美しき蝶来りて巣にかゝる
 蝶遂に蜘蛛に征せられて横はる
 蜘蛛魔性を発揮する所に
 夕日照りて蝶を吊ふ

  大正十一年 〔一九二二年〕 七月作

  昭和三年三月十日印刷 昭和三年 〔一九二八年〕 三月十五日発行 定価八拾銭 作曲者 鳥居維 発行所 新響社

   新響社藏版 鳥居維作品 〔下の写真は、『楽のかゞみ』より〕

  

 3000        舞踊曲 蜘蛛と蝶  (三絃)   定価金八拾銭
 3001        舞踊曲 傘     (三絃)   定価金八拾銭

  

 3002 北原白秋詩 舞踊曲 鎗持    (三絃)   定価金壹圓
 3003 北原白秋詩 独唱曲 雁が鳴きます(伴奏三絃) 定価金参拾銭
 
   鳥居維編シンキヨウ長唄楽譜

 3101 藤娘(大津絵の中) 定価五〇
 3102 座頭(大津絵の中)   七〇
 3103 奴 (大津絵の中)   七〇
 3104 淺妻船         七〇
 3105 秋の色種
 3106 多摩川
 3107 芝翫淺妻船
 3108 舌出三番叟
 3109 新曲浦島
 3110 菊の●(古名竹垣)
 3111 勧進帳
 3112 狂乱 雲井の袖
 3113 供奴
 3114 娘道成寺
 3115 おかめ
 3116 虚無僧
 3117 鏡獅子
 3118 喜撰
 3119 業平小町
 3120 僧上遍昭
 3121 越後獅子
 3122 今様 百座車
 3123 深草少将 百座車
 3124 折殿
 3125 松竹梅
 3126 松の翁
 3127 傾城
 3128 八月 傾城
 3129 濱松風
 3130 新松風
   以下続刊

   

 上の左は、「提琴三絃曲 秋 鳥居ツナ作曲」、右は「催馬楽“青柳”(古曲を偲びて) 提琴曲 早春 鳥居ツナ作曲」の楽譜表紙である。どちらも裏表紙の奥付に、「昭和拾壹年 〔一九三六年〕 拾月卅一日発行 著者 鳥居維 発行所 合資会社 シンキヤウ社」とある。


「クンスト デル フーゲ 」 廣田美須々 (1937.7)

2011年06月10日 | 作曲家 その他

 混声合唱 
 クンスト デル フーゲ 

 廣田美須々作歌 
 信時潔作曲 

 大阪開成館

     クンスト デル フーゲ  廣田美須々

  人 生れ よろこび かなしみ いかり あきらめの世の すがた すばら

  しい わざ もて ゑがいた バッハ、 老いて めしひて ペン 擱(お)いた

  とはに 終らぬ 小節から つきぬ 涙が わく。

 昭和十二年 〔一九三七年〕 七月廿五日発行 定価 拾五銭 著作者 信時潔 発行者 三木佐助 発行所 合名会社 大阪開成館

  

 上の写真は、「東京音楽学校 川久保美須々女史」〔明治四十三年 (一九一〇年) 一月発行の『楽のかゞみ』より〕。