蔵書目録

明治・大正・昭和:音楽、演劇、舞踊、軍事、医学、教習、中共、文化大革命、目録:蓄音器、風琴、煙火、音譜、絵葉書

『日本共産党運動ニ関スル展望』 (1931?)

2024年07月14日 | 二・二六事件 1 内務省他

  

   本表ハ雜誌新聞紙其他ノ出版物ニ發表無之樣注意ヲ望ム
   日本共産黨運動ニ關スル展望
  
    日本共産黨運動ニ關スル展望
 一、日本共産黨ノ過去及現在
  (1)同黨ノ成長
  (2)同黨支持ノ合法團体ノ發生
  (3)同黨ヲ支持セサル一般無産政黨ノ發達
  (4)日本共産黨事件檢擧ニヨル同黨ノ潰滅
 二、同黨潰滅後ノ日本共産黨運動 
  (1)同黨支持ノ非合法團体ノ發生
  (2)同黨シンパサイザーノ發生ーー學生ノ左翼運動
  (3)マルキシズム、レーニニズムノ大衆化
  (4)同黨ヲ支持セサル一般無産政黨ノ發展  
 三、日本共産黨ノ本質及其ノ政策
 四、日本共産黨中ノ方向轉換
  (1)同黨政策ノ誤謬
  (2)皇室ヲ中心トスル新日本建設ノ運動
 五、日本共産黨ノ將來及之ニ對スル對策
 
    日本共産黨事件檢擧年表
(1)大正十年秋【曉民共産黨】檢擧
    大正十一年夏【第一次日本共産黨】組織
(2)大正十二年夏同黨檢擧 
    大正十三年春同黨解散
    大正十四年春上海テーゼ(一月テーゼ)、ヘラーテーゼ(五月テーゼ)決定
(3)大正十四年夏【第二次日本共産黨】組織
    大正十五年十二月同黨創立大會
    昭和二年春同黨主腦部入露
    同年夏コミンテルンノ同黨ニ對スル批判
    同年十二月右主腦部歸朝 
    昭和三年一月同黨組織再建
(4)同年三月十五日同黨【第一次】檢擧
    同年六月二十九日治安維持法改正  
    同年十一月同黨再組織着手
(5)昭和四年四月十六日同黨【第二次】檢擧 
    同年六月再々組織着手
(6)昭和五年一月同黨【第三次】檢擧
(7) 同年三月同黨ニ對スル資金供與者ノ檢擧
 8 同年七月同黨【第四次】檢擧
  
    日本共産黨事件被告人員表  (昭和六年五月卅一日調)
 一、曉民共産黨事件‥‥‥‥‥‥‥一五人
 一、第一次日本共産黨事件‥‥‥‥六四
 一、第二次日本共産黨事件‥一、四二二
     内譯
      三・一五以降    五三〇
      四・一六以降    三三四
      昭和五年      四六一
      昭和六年       九七
  
        (三・一五第一回檢擧被告人身上調査統計表ニ依ル)
    日本共産黨組成分子ノ素質ー普通犯罪ト異ナル點
 イ、純良ナル靑年多シ 
     四七一人ノ内  二十一歳以上三十歳以下 三八三人 八一%
 ロ、學力槪ネ優等ナリ
     三三九人ノ中(初等及中等敎育ヲ受ケタル者) {優 一一三 四五% 良 八二 三三% 
 ハ、品行比較的方正ナリ 
     三二六人ノ内(獨身者) 花柳病者 八 二%
 ニ、殆ト健康ナリ
     四七一人ノ内  健康者 三六四 七七% 
 ホ、家庭槪ネ圓満ナリ
     四七九人ノ内  實父母アル者 二一八 四七% 父ヲ缼ク者 一〇八 二三%
 ト、中産階級(中農、中商工業者、官吏其ノ他ノ公務自由業者)ノ子弟多シ
     四七一人ノ内  富裕 五 一% 普通 一二五 二七% 貧困 三四一 七二%

        
    第二次日本共産黨事件被告人種別表     昭和六、五、三一日調
    日本共産黨事件關係インテル被告人出身校別表  昭和六年、五、三一調
  
    日本共産黨員カ先ツ共産主義ヲ奉シ次イテ共産黨ニ加入スルニ至リシ諸原因 
  
 甲、インテリゲンチヤニ就イテ
  イ、中産階級歿落ノ結果トシテノ生活不安ー入學難ー卒業後ノ就職難
  ロ、現代敎育ノ缼陥ーー數學偏重、語學偏重、自然科學偏重ーー精神科學、文化科學過少評價ーー社會ヨリノ遊離
  ハ、學生社會科學研究會ニ於ケル研究 
  ニ、マルクス主義、レーニン主義理論ノ魅力
  ホ、學校ノ放校其ノ他ノ處分 
  ヘ、警察官署ノ檢束拘留
  ト、日本共産黨ノ誘惑
  チ、コミンテルンノ宣傳煽動
 乙、勞働者農民ニ就イテ
  イ、勞働上ノ体驗トシテ知リ得タル資本主義社會ノ缼陥(貧富ノ懸隔)
  ロ、勞働者農民救濟ニ關スル社會的施設ノ不備
  ハ、左翼勞働組合研究會ノ影響
  ニ、マルクス主義、レーニン主義理論ノ魅力
  ホ、爭議其ノ他ノ際ニ於ケル解雇其ノ他ノ處分
  ヘ、警察官署ノ檢束拘留
  ト、日本共産黨ノ誘惑
  チ、コミンテルンノ宣傳煽動
  (註)以上甲乙中「イ」ヨリ「ニ」迄ハ共産主義ヲ抱懐スルニ至リシ原因
          「ホ」ヨリ「チ」迄ハ共産黨ニ加入スルニ至リシ原因
    
    日本共産黨
 日本共産黨ハ
 一、世界プロレタリアートノ獨裁ト之ニ依ル世界共産主義社會ノ實現ヲ目的トスルコミンテルン(國際共産黨又ハ第三インターナショナル)ノ日本支部ニシテ
 一、革命的手段ニ據リ 
   (ブルジョア革命)
 一、先ツ我君主制ヲ廢止シ地主ノ土地ヲ沒収シ勞働者農民ノ政府ヲ樹立シ(プロレタリア革命)
 一、次イテ無産階級(プロレタリアート)ノ獨裁ニ依リ一切ノ生産手段ヲ國有トスル社會主義社會ヲ建設シ
 一、因ッテ世界共産主義社會ノ實現ヲ期セントスル政黨(秘密結社)ナリ
 
    日本共産黨ノスローガン
 イ、國際的任務ノスローガン 
   1 戰爭ノ危機ニ對スル鬪爭
   2 支那革命不干渉
   3 サヴエートロシアノ防衛
   4 植民地ノ完全ナル獨立
 ロ、ブルジョア民主主義革命ニ關スル綱領的スローガン
   1 君主制ノ撤廢
   2 議會ノ解散
   3 宮廷、寺領、地主ノ土地ノ無償沒収
 ハ、ブルジョア民主主義革命ニ至ル過度的要求ノスローガン
   1 十八歳以上ノ男女ノ普通選擧
   2 言論、集會、出版、結社ノ自由
   3 反勞働者法撤廢
   4 失業保險
   5 八時間労働制
   6 高度ノ累進所得税
 ニ、基本的スローガン
   勞働者農民ノ政府ノ樹立ーブルジョア革命
   プロレタリアートノ獨裁ープロレタリア革命
  
    日本共産黨員中ノ方向轉換
 1 一般的マルクス主義理論ト日本ノ特殊性 
   イ、マルクス主義理論ノ特徴ー理論ト實践ノ辯證法的統一ー共産主義理論ー社會進化發展ノ科學的研究方法ー唯物史觀公式
      露西亞ノ特殊性ー之ニ基キタル革命的指導理論ーレーニニズムノ發生ーコミンテルンノ生長 
      日本ノ特殊性ー之ニ基キタル合理的指導理論ノ發生ーコミンテルント關係ナキ新日本ノ建設
   ロ、日本共産黨ノ日本特殊性ノ無視ーマルクス主義、レーニン主義ノ機械的當嵌メーロシヤ革命ノ機械的模倣ー公式主義ヘノ堕落ー非マルクス主義ー日本共産黨ノ解体ーコミンテルンヨリノ分離ー新日本建設ヘノ合理的運動ノ發生
 2 「インターナシヨナリズム」と「ナシヨナリズム」
   イ、インターナショナリズムノ公式
     サヴエートロシヤヲ衛レ
     對支絶對非干渉
     帝國主義戰爭反對
     植民地半植民地ノ獨立
   ロ、ナショナリズム  
     日本民衆ノ國際主義ー人類連帶ノ意識ー世界プロレタリア團結
     日本民衆ノ國民主義ー島國根性ー皇統連綿ー二大戰捷ー五大強國ノ一ー植民地ヲ有スル誇リー強烈ナル帝國主義イデオロギー
   ハ、日本民衆ノ「ナショナリズム」ハ「インターナショナリズム」ヲ壓スーーコミンテルント分離
 3 君主制撤廢スローガンノ誤謬 
   イ、社會革命ト政治革命
      社會革命ー階級關係ノ變動ハ國情ヲ無視ス
      政治革命ー政治支配形体ノ變動ハ其ノ國ノ特殊性ニ遵フ
   ロ、日本君主制ノ特徴
      コミンテルンノ見解ーー君主制ハ地主ノ武力的表現ーーノ誤謬  
      日本ノ君主ハ
             大地主ニ非ス 
             政治的支配ノ中心ニモ非ス
             民族的信仰ノ中心ナリ
   ハ、日本大衆ハ君主制廢止ノスローガンヲ支持セズ
 4 日本社會進化ノ平和的發展ノ可能性ー暴力革命ノ否定
   イ、日本皇室ノ存在
   ロ、日本ニ於ケル知識階級ノ特殊性ーー改良主義的中立性
   ハ、日本資本主義ノ特徴ーー國家資本多シ
   ニ、日本國民ノ平和性
  
    共産主義系團体一覽表  昭和六年五月三十一日調
 一、國際共産黨 コミンテルン 日本支部(日本共産黨)
 一、 第二無産者新聞社(無新)
 一、國際共産靑年同盟 コムソモール 日本支部(日本共産靑年同盟)
 一、 無産靑年新聞社(無靑)
 一、國際赤色勞働組合 プロフィンテル 日本支部(日本勞働組合全國協議會=全協)
 一、 勞働新聞社(勞新)
 一、國際赤色救援會 モップル 日本支部(救援會)    ‥‥‥「救援新聞」 
 一、帝國主義反對民族獨立支持國際同盟日本支部(反帝同盟)‥‥‥「反帝新聞」
 一、全日本無産者藝術團体協議會(ナップ)        ‥‥‥雑誌「ナップ」
    所属團体
    一、日本プロレタリア作家同盟
    一、日本プロレタリア劇塲同盟
    一、日本プロレタリア美術家同盟
    一、日本プロレタリア映畵同盟
    一、日本プロレタリア音樂家同盟
 一、戰旗社        ‥‥‥雑誌「戰旗」
 一、産業勞働調査所    ‥‥‥雑誌「産業勞働時報」「インターナショナル」
 一、プロレタリア科學研究所‥‥‥雑誌「プロレタリア科學」  
 一、新興敎育研究所    ‥‥‥雑誌「新興敎育」
 一、農民鬪爭社      ‥‥‥雑誌「農民鬪爭」


「二、二六事件ニ関シ活動状況」 (丸の内警察署) (1936)

2024年02月10日 | 二・二六事件 1 内務省他

 

   情報主管本年度特異事項

一、二、二六事件ニ關シ活動状況 
  二月二十六日即チ二、二六事件突發ニ際シテハ當署管内ハ事件ノ中心ニ接シ政治経済ノ中樞ヲナセル關係上之ガ状況偵察竝経済界ノ動向視察ニハ特段ノ注意ヲ拂ヒ係員二名ヲ一組トシ四班ニ分チ叛乱軍ノ行動其他鎭圧軍ノ活動状況及銀行会社手形交換所等経済界ノ状勢視察竝居住民ノ避難動揺防止等ニ從事スルト共流言蜚語ノ取締不穏策動ニ對スル視察内偵ヲナシ事件鎭定迠ハ係員一同徹夜勤務ニ從事刻々情報ノ蒐集報告ヲナセリ
二、事件鎭定後ニ於ケル視察内偵 
  二月二十九日叛乱兵ノ帰順ニヨリ事件ハ一先ヅ鎭定セリト雖尚、戒厳令下ニアリ管内料理店飲食店ニ於ケル秘密集会不穏策動ナキヲ保シ難キヲ以テ特高係員ト連絡ヲ計リ料理店飲食店印刷所等ヲ四方面ニ分チ各々擔當ヲ定メ之ガ視察内偵ニ當ラシメ其ノ結果ヲ毎日書面報告ヲナサシメタリ本視察ハ集会及要路顯官ノ来臨察知等ニ相當効果アリタルヲ以テ戒厳令解除後八月末日迠視察ヲ継続セリ
 
〔蔵書目録注〕 
  
 上文は、「情報主管本年度特異事項」の中、二・二六事件に関する部分で、警察署とある用紙に書かれたものである。 
 また、他の内容の記述から、丸の内警察署が作成したものと思われる。 
 なお、本ブログでは、他に二・二六事件関連の警察署資料として、兵庫県豊岡警察署のものを掲載している。 


『二二六東京事變之檢討』 外交部情報司 (1936.3)

2024年02月04日 | 二・二六事件 1 内務省他

      

 密件 二二六東京事變之檢討 中華民國二十五年三月 外交部情報司編印

   序言

  自二二六『東京事變』爆發以來、不惟日本朝野上下、驚惶失措、卽世界各國、亦為之震撼不安。蓋此次事變、自其表面爲日本一部份少壯軍人之暴動、而其所含対内對外之意義、實至深且鋸。中日比隣、関係素切、居吾國之立塲、自尤不得不亟爲精密之檢討。
  是項事變之消息到達後、本編卽巳在李司長指導下着手編述、顧以事務冗迫、時有間輟、以致遲遲至今、始克付印。本編中事件經過之資料、大都袛限於本月三日以前、其後雖續有所聞、因種種關係、未予採入。但本編所述見解、並不因此發生若何之変更。
  本編除『各國対『東京事變』之觀察及言論』一節、係由歐美科編述供給外、其餘槪係由邵科長毓麟屬稿、而由日蘇科同人襄其成。其間間有評判、則悉爲編述者個人之意見、号特附此申明。
                                           情報司誌

   目錄

 一、緒論

  最近二月二十六日「東京事變」之發生、表面上雖突如其來、實則就其因果關係而論、乃屬不可避難免必然事實。遡自明治維新以來、日本之政治經濟、難突飛猛進、而其包含之内在矛盾、亦隨之發展。此項内在矛盾之對立、可謂此事變之根本原因。是以吾人特先説明其根本原因、然後進而解剖其種種近因、籍爲後段推測之根據。

  (一)明治維新後日本政治經濟之趨勢 

  (二)二二六東京事變之根本原因

  日本政権之帰趨、不外軍部官僚政黨三者、有如上述。但無論軍部官僚或政黨、對于政治經濟上之種種内在矛盾、均無根本解決辦法、試觀昭和以來之實情卽係明證。蓋官僚政黨之以維持政権爲能事、固不待言、卽軍部方面、高級軍人之政黨化官僚化一事、亦無可諱言、此種趨勢、實爲醞釀此次「東京事變」之根本原因。蓋一方政権保持者、爲確保政権、竭力維持現狀、而他方無産者農民及農村出身之靑年士兵、卽爲本身利害、力謀局面之革新。此種現狀維持派與現狀打破派之對立結果、遂至對内引起内政改革之暴力行為、促進軍部内「下剋上」之趨勢、對外不惜以窮兵黷武、造成國際間之紛争。而對外之紛争、要亦爲解消國内矛盾之一種手段而已。

 二、二二六東京事變之遠因

  (一)東京事變之軍部以外之原因及其徴兆
    (1)東京事變之軍部以外的原因

  吾人既已略述此次「東京事變」之根本原因、茲再就其軍部以外之遠因、加以分析、歷擧如左:

       (子)倫敦条約與統帥権之干犯
       (丑)九一八事變與重臣派
       (寅)國連脱退事件
       (卯)華北事件
       (辰)樞府議長之更迭事件
       (巳)岡田内閣之成立 
       (午)「天皇機關説」及「國体明徴運動

    (2)東京事變之軍部以外的徴兆

  軍部與政黨、旣因上述政治的經濟的原因、隱隱對立、以武力改造之醞釀、遂漸見成熟。同時「九一八事變」不惟未達由外向内之目的、且遭中央之非難制止、事變中之軍人、至哀呼「坐視吾儕之死乎」、其轉變方向、由内發動、自屬意料之中。果也在最近七年之中、有下列事件。逐次發生。

       (子)昭和五年二月十四日濵口首相被刺

       (丑)昭和六年「三月事件」暴露

  昭和六年(一九三一年)ニ三月間、「統制派」「淸軍派」要人、計畫暴動、集合民間浪人志士大川周明、麻生久時等、由橋本中佐、交付大川炸彈、擬於實行時、襲撃政民兩黨本部、以及首相官邸等處、推現任朝鮮總督宇垣大將組織内閣、以建川美次少將橋本欣五郎中佐爲閣員、旋因宇垣中途變節、遂未發而中止。但因此益刺戟橋本等之變革決心、旋有所謂「十月事件」(錦旗革命)。

       (寅)昭和六年九月「櫻會事件」

  昭和六年、(一九三一年)參謀本部橋本欣五郎中佐、根本博中佐、天野大尉等、憤「三月事件」之失敗、聯絡陸軍省及全國團營隊伍之上中尉階級三百餘名、組織『櫻會』謀以暴力推倒政府、奪取政権、事洩中止。當時之中壯將校建川美次中將及前中國課長重藤千秋少佐、又『小櫻會』之少壯將校少尉管澤三郎、大倉榮、大賀、及海軍大尉濱野、陸軍中尉安藤、陸軍少尉中村等、皆加入此會。

       (卯)昭和六年十月十七日「錦旗革命」暴露

  此乃昭和六年(一九三一年)十月十七日、陸軍省破獲之事件也。橋本既致力於『櫻會』之擴大強化、復集合「三月事件」中堅分子、及根本博大佐、影佐禎昭少佐、今井武夫少佐、和知鷹二中佐、田中彌大尉、小原重孝大尉等、策畫二次暴動、定期於十月二十一日、以海軍爆撃機、於首相官邸閣議席上、殺戮全体大臣、襲撃警視廳、約定事成、以荒木任首相兼陸相、橋本建川分任内政外交、而以大川周明任大藏。惟因幹部與靑年將校未能一致、難以成事。陸軍首惱部以愛護之目的、先期於十月十七日晨、將主謀者拘於憲兵隊、其餘多遷転於各地方、以爲分解潜消之計、拘押者旋亦釋放。軍部以「出於愛國憤世熱情」之美名、報告閣議作爲完事。

       (辰)昭和六年(一九三一年)井上藏相邸被炸
       (巳)昭和七年(一九三二年)井上藏相被刺
       (午)昭和七年(一九三二年)三月五日「血盟暗殺團事件」暴露       
       (未)昭和七年(一九三二年)五月十五日 犬養首相被刺
             牧野内府邸警察廳及日本銀行被炸
             農民行動隊襲撃各發電所
             學生行動隊襲撃三菱銀行

  昭和七年(一九三二年)五月十五日、有陸海軍人及學生等十八名、衝入首相官邸、殺死當時現任首相犬養毅、同時與別働隊同志相呼應、襲撃警察廳、牧野内大臣邸、政友會本部以及日本銀行等、此即所謂『五一五事件』。經一年之捜査偵察、事件漸告一段落。八年五月十七日、陸軍海軍司法三省、連銜公佈事件之経遇、與謀者計海軍方面、中尉三上卓、山岸宏、中村義雄、古賀清志等十人、陸軍方面、士官候補生後藤映範等十一人、民人方面、橘孝三郎、大川周明等二十一人、共為四十二人。公佈略称「彼等以最近政黨、財閥、特権階級、互相結託、僅以私利私慾爲事、不思国利民福、故欲以實力的手段、建設新日本、遂惹起此事件」云云。

       (申)昭和八年七月一日「神兵隊」事件
       (酉)昭和八年十二月十日陸軍省頒布關於軍民分離之聲明
       (戌)昭和十年十一月、陸軍省及在郷軍人會關於「国體明徴」之声明及決議
       (亥)昭和十一年一月 美濃部被刺
  (二)「東京事變」之軍部以内之原因及其徴兆
    (1)東京事變之軍部以内的原因
       (子)荒木眞崎系與宇垣系之爭鬥

  上列種種、乃東京事變之軍部以外的原因、而實則日本軍部本身之矛盾及其内部之派閥爭鬥、亦爲造成此次事変之重要原因者、殊不容吾人怱視、軍界有長洲系與非長洲系之分、自始不能相容。長洲系聲勢大而專政久、宇垣以長洲系嫡派、久任陸相、久思繼桂太郎田中義一後爲政府首班、非長洲系嫉之;尤以宇垣之軍縮主張、爲一般軍人所不滿、非長洲系以此爲攻撃之具、軍人之少壯急進派、攻撃尤力。荒木貞夫與眞崎甚三郎均爲急進派所擁護、遂成爲穏健急進兩派。穏健之宇垣、雖對内閣總理食指屢動、均爲急進派反對而未能實現。

       (丑)卽幹派與緩幹派之對立

  荒木代表急進之新興勢力、充任陸相、但旋覺急進派主張危險、漸趨穏健一路、遂爲急進派所不滿、被迫辭職、推林大將繼任、林亦穏健者。急進派對政府有採取最後手段之計畫、其中主張卽速進行者、爲「卽幹派」、以秦眞次小畑敏四郎爲領袖。主張徐徐進行者、以縱然計畫成功、軍人獲得政權、而一切未有準備、十分危險;又倘實行後、政權仍屬文治穏健一派、則急進派之立場、亟爲困難、屈服則一切計畫、歸諸泡影、不屈服、則必將發生極大動亂、不如表明軍部之立場、使各方面認受軍部之主張、與之取得合作、爲有把握。此説永田鐵山東條英機主之、極得荒木與林之贊同、所謂「縱幹派」是也。

       (寅)肅軍派(林、渡邊、川島等)與少壯軍人派之爭鬥(卽所謂軍部内『下剋上』之現象)

  荒木辭職、薦林自代。林之第一次人事異動、已示重用穏健的少壯軍人之決心、擬徹底清除暴烈的陰謀家、一掃軍中核系之對立、而有『肅軍派』之称、蓋欲導少壯派之革新主義依法進行、與『統治派』之主張、固二而一者也。其後之人事異動、發生、林亦不得不挂冠而去。

       (卯)陸相之更迭及陸軍人事移動

  荒木旣任陸相、以對於急進派之主張、僅僅原則贊同、而取穩健的方法、爲急進派所不滿。迨「在滿機構」問題告一段落、彼等以「改組滿鐵計畫」、要求荒木以徑行上奏辭職、不推薦後任、要挾政府實行、荒木不得己、稱病辭職、而推薦其有規隨信念之林大將自代。林任陸相、鋭意肅軍、致有永田事件、林乃負責辭退、而推薦同有粛軍向之川島義之繼任。荒木陸相之人事異動、略無特殊可記之事。林大將任内、旣於其前三次之定期人事異動、將急進派要角、遷調於他方或閒職、於一九三五年八月之定期異動、復擬將急進派大批異動、敎育總監眞崎甚三郎反對之、林爲貫徹主張計、上奏日皇、請免眞崎而薦肅軍同志渡邊錠太郎繼任。急進派領袖之一之秦眞次、亦於此次八月移動外轉、其他急進派之外調者尚多。是卽所謂肅軍統制、永田遂以操縦林氏而遭殺害。

    (2)「東京事變」之軍部以内的徴兆
       (子)昭和九年五月坂野少將之聲明
       (丑)昭和九年十一月二十日事件。

  陸軍大尉村中孝次主計磯部淺一及栗原佐藤村山天野等十餘人、糾合同志、擬於議會開会會中、実施暴動、襲撃目標爲政府當局斎藤牧野後藤岡田鈴木一木高橋湯淺及西園寺清浦伊澤幣原、並警視廳等、由栗原率領戰車、分途進行、因片倉衷大尉辻政信大尉告密、於昭和九年(一九三四年)十一月二十日、被憲兵當局破獲、是卽所謂『十一月二十日事件』。(按片倉于『二二六事件』之翌日、被彼輩槍傷、蓋洩憤也)

       (寅)昭和十年五月十一日 村中孝次大尉磯部淺一主計之肅軍意見書

  十一月二十日事件既因片倉等之告密而破獲審理、其重要份子村中、磯部等、以雖曾向士官候補生等作有直接行動計劃畫類似之説明、但無以本人爲中心與彼等謀議之情事、對片倉等、控以誣告罪、並謂「以軍内之腐敗紊亂、日益加甚、爲廓清計、請求以大元帥陛下名義、而行之法律及司法權之發動、判其是非黑白、」云云。旋因是時喧伝陸軍當局、將歷擧昭和六年(一九三一年)以後、曾有越軌行動之將校、一律予以嚴重處分、羣情不安、村中等乃發布所謂「肅軍意見書」(本部有譯本)、書中臚列片倉之報告、本人之辯訴告訴、及『三月事件』『十月事件』之顛末、『櫻會』之組織内容會員名単等等。

       (卯)昭和十年八月 永田軍務局長被刺案

  昭和十年(一九三五年)八月十二日、永田軍務局長、被中佐相沢三郎以軍刀刺殺于陸軍省軍務局之局長辦公室、以其勵行統制、乘毎次定期移動、分解急進派之力量也。事見前述、茲不復贅。

 三、二二六東京事變之近因

  此次「東京事變」發生之遠因、既如前述、茲更將爲其導火線之近因、分裂于左:

  (一)永田軍務局長被刺案公判(一月二十八日至二月二十五日共計開庭十次)

  相澤刺殺永田之動機、綜其供述要点、一方固由于不滿永田之政治的野心及其壓抑青年將校之行動、而永田以圧抑靑年將校、竟牽渉眞崎教育總監、而有林陸相奏請免眞崎總監一擧、尤爲相澤所最憤懣不平者綜澤之言動、其與眞崎不無關係、要不難想見。而林大將之證言、陳述至二小時之久、雖其内容未經發表、但其爲不利于眞崎、要可斷言。且觀二月二十五日(卽事變一日前)法廷訊問證人之際、眞崎有『事關職務上秘密、非經勅裁、不便供述、』云云之語。並露非常興奮之色、而逕行退廷、此中意味、不難思索。此爲刺戟靑年將校、而爲此次『東京事變』發生之近因者一。(永田公判案與此次東京事變之関係、請參照本編附錄)

  (二)民政黨選擧之勝利
  (三)『選擧肅正』下無産黨勢力之驟増
  (四)第一師団奉令調往満州
 四、二二六東京事變之經過

  二月二十六日、駐東京之第一師團第三聯隊及近衛師團之一部分士兵、在靑年將校指揮之下、襲撃閣員官邸、殺害重臣、擧行類似革命之暴力政變、中經二十七二十八両日之對峙、而卒于二十九日被武力降伏、事變因亦告一段落。茲就此四日之間以『爆發』『對峙』與『降伏』三段階爲輕、而以毎日事實之演化爲緯、綜合述其經過如次、並將事變後之餘波、附述于後。

  (一)爆發
  (二)對峙

  叛軍于殺害各重臣後、卽分別佔據麴町區永田町之政府機關、並于首相官邸設置總部。日皇雖已任命後藤兼代首相、但實際時局重心不在官僚之形式内閣、而在握有兵權及擁有將校羣集之軍人、以故後藤之形式内閣、絲毫不能有所動作、而陸相川島因統治無力、始有如此重大事變、且投鼠忌器、急切間亦不敢有積極之動作。因此足以轉移或控制時局之勢力、約有三種:(一)少壯軍人之首領眞崎與荒木;(二)擁護現政府之海軍;(三)在東京握有軍權之東京警備司令香椎浩平中將。但舉事軍人、旣表示擁戴天皇、故當局在承認一部分旣成事實之原則下、勸誘叛軍歸降、以求和平解決。但叛軍迄不就範、遂形成兩方對峙之局。日皇爲統一平亂軍事之指揮、並警戒首都計、乃於二十七日早三時頒布戒厳令、而任命東京警備司令官香椎浩平中將爲戒厳司令。
  同時陸軍軍事參議官、於二十七日午前十時在偕行社舉行會議、朝香東久邇兩皇族及林崎荒木阿部植田寺内西杉山各參議官、均出席會議、結果由眞崎等出面、與叛軍首領開始談判、暗示只須叛軍回營、卽可不咎旣往。但此項意旨、叛軍始而接受、旣而拒絶、妥協終末成立。
  避難宮中之後藤過渡内閣、於二十六日深夜總辭職、但奉旨在繼任内閣成立以前、仍暫時執行政務。時藏相高橋是淸已於二十六日因傷重逝世、(一説高橋已當場斃命、當局因恐影響金融市場、故延遲發表)、於是町田商相乃奉命兼攝藏相、以支持過渡期之形式内閣。後藤内閣、雖在宮中一再集議、但對於時局、不能作積極有效之動作。日皇雖派使至西園寺元老處、依慣例諮詢關於組織新閣之意見、但西園寺已如驚弓之鳥、且各重臣傷亡殆盡。西園寺將與何人協議、以推荐後任内閣亦爲一大難題。
  此際時局終日動盪於混亂嚴重情勢之下、但經二日間之發展、除起事之一定區域及原有人數之外、其他各地 絕少響應之勢力、當局因以斷定(一)此次起事決無更廣大之計畫、亦無足以號召羣集參加行動之政治口號及能力;(二)叛軍雖曾要求荒木或眞崎組閣、但荒木眞崎旣不能牲犠自己、毅然以領導叛軍自任、則叛軍無堅定顯著之領袖、其勢力只有日就衰頽、而無進展之望。且此際皇族中之握有兵權者及其他軍官名宿、鮮有同情叛軍、且間有主張卽行武力掃蕩者、如閑院宮參謀總長、伏見宮軍令部長、任聯隊長之秩父宮等或調動海陸軍或急遽歸京協議平亂、此外如海陸大將加藤寛治陸軍大將菱刈隆等、亦皆奔走於偕行社及戒嚴司令部各地、以協議奠定時局之方策。當局旣見叛軍之無力、而叛軍又一再拒絶回營之建議、於是武力制裁之義、漸見有力。
  二十八日陸軍省任命中村孝太郎中將代理敎育總監、同日樞密院議長一木喜徳郎有辭職之擬議、其爲廻避軍人之鋭鋒也無擬。又同日外務省發聲明、聲言事變之原因、純爲國内之情勢、與對外政策無關、此雖爲安定日本國際地位之辭令、但亦可反映維持現狀之勢力、仍勝於打破現狀之勢力也。以故對峙之局、卽將告終、武力制裁之議、於以實現。

  (三)降伏
  (四)餘波
 五、各國對東京事變之國官方之観察
    (1)英國
    (2)美國
    (3)蘇聯
    (4)法國
    (5)義國
    (6)徳國
    (7)波蘭
    (8)奥國
    (9)荷蘭
    (10)瑞典
    (11)西班牙
    (12)比利時
    (13)國聯
  (二)各國報界之言論
    (1)英國
    (2)美國
    (3)蘇聯
    (4)法國
    (5)義國
    (6)徳國
    (7)波蘭
    (8)瑞典
    (9)土耳古
    (10)古巴
  (三)結論
 六、二二六東京事變之影響
  (一)對於日本國内之影響
    (1)對於軍部内之影響
    (2)對於政界之影響
    (3)對於經濟界之影響 
  (二)對於国外之影響
    (1)對於蘇俄之影響
    (2)對於中國之影響

  附錄 永田事件公判中滿井中佐(相澤中佐之辯護人)之辯護詞

〔蔵書目録注〕

 上文中の赤字は、明らかな誤りを訂正したもの。


「Generalmajor Meckel (メッケル少将)」 絵葉書 (1906.8.4)

2022年06月16日 | 二・二六事件 1 内務省他

  

 Zur Erinnerung an die Trauerfeier Generalmajor Meckel.
  4. August 1906. in Kriegsakademie zu Tokio

 ・Eingang der kaiserlich Japanischen zu Tokio.     Generalmajor Meckel.

 ・Kaiserlich Japnanischer Grosser Generalstab zu Tokio.    Generalmajor Meckel.
    Wohung des Generals Meckel in Gross-Lichterfelde.

 ・Triumphparade in Tokio am 30. April 1906.        Generalmajor Meckel.


『五月事件ニ關スル件報告(通牒)』  (1932.5.20)

2021年02月07日 | 二・二六事件 1 内務省他

  

極秘

 憲高秘第九〇四號
    五月事件ニ關スル件報告(通牒)
  昭和七年五月二十日 憲兵司令官 秦眞次

 首題ノ件別册報告(通牒)ス
  追而本件ハ豫審ニ属スル事項ナルヲ以テ嚴秘ノ取扱相成度

  發送先
 陸軍大臣、陸軍次官、人事局長
      法務局長 軍事課長 兵務課長
      調査班長
 参謀總長、参謀次長
 教育總監 教育總監部本部長
 侍從武官長、
 朝鮮隊司令官、各隊長(除東京隊長)
        上海憲兵隊長、支那憲兵長、

    五月事件概況    

    概説

 一、関係者
  1、軍関係者
     海軍将校     六(在郷ヲ含ム)
     陸軍士官候補生 一一
     元士官候補生   一
        計    一八
  2、其他
    常人関係ノ別動隊農民決死隊アリ
 二、主謀者
  主謀者ト称スヘキモノナカリシカ如キモ古賀、中村ノ両海軍中尉主トシテ計画セリ
 三、原因動機
  現在ノ行詰レル時局ヲ根本的ニ打開シ國家社會ノ改造ヲ圖ルニハ直接行動ニ依リ其原因ヲ排除スルノ外ナシトスルニ依ル
 四、同志結合ノ狀況
  大川周明、北一輝、権藤成郷、安岡正篤等ノ社會改造思想ニ共鳴セル青年海軍將校及陸軍士官候補生トカ合流セシモノナリ
 五、準備行動
  1、本年二、三月頃ヨリ準備ヲ初メ概ネ四月二十日頃決行スヘキコトニ決定セルカ如シ
  2、五月十五日午後五時集合同五時三十分決行スルコトヽシ 左ノ通リ編成ス一組  
    組   集合場所  目標         人員
  第一組   靖國神社  首相官邸       三上中尉以下九名
  第二組   泉岳寺   牧野内府官邸     古賀中尉以下五名
  第三組   新橋駅   政友會本部      中村中尉以下四名
  第四組         三井三菱銀行中ソノ一 奥田秀夫
  農民決死隊       東京市内変電所
  右終ッテ全部警視廳ヲ襲撃シ共ニ憲兵隊ニ自首ス  
  3、兇器
   手榴弾、拳銃、同實包ハ上海ヨリ取寄セ 短刀ハ 東京市内ニ於テ準備ス、
 六、實行運動
   五月十五日豫定ノ如ク
  1、第一組ハ首相官邸ヲ襲撃シ一部ハ直チニ自首シ
    一部ハ警視廳及日本銀行ヲ襲撃ス
  2、第二組ハ牧野内府邸及警視廳ヲ襲撃ス
  3、第三組ハ政友會本部及警視廳ヲ襲撃ス
  右各組共ニ手榴彈及拳銃ヲ使用シ終テ全部東京憲兵隊ニ自首ス、
 七、處置
  憲兵ハ直ニ取調檢證ニ着手シ陸軍関係ハ五月十七日第一師団軍法會議ニ、海軍関係ハ五月十八日東京軍法會議ニ送致ス、

    第一、関係者

 一、本件實行者
 二、容疑人物
 三、知人関係

    第二、原因動機

 一、原因動機

  1、現在ノ行詰レル時局ヲ根本的ニ打開スルニハ既成政党財閥官憲ノ壓迫等ヲ排撃スルノ要アリ之カ為ニ直接行動ニ出テ捨石トナラハ之ヲ導火線トシテ何等カノ問題ヲ惹起スルニ至ラント思料セルニ因ル

 二、主張

    第三、準備行動

 一、主義系統

  1、本件関係者ハ何レモ天皇中心主義君民一体主義ヲ奉シ現在ノ國家社會カ君民ノ間ニ介在スル中間分子ノ為ニ蠧毒ヲ受ケ凡ユル方面ニ行詰リヲ生シコノ儘推移センカ國滅亡ノ外ナキヲ以テ之等中間分子ヲ排除シ國家ノ改造昭和維新ヲ期待シアリ
    彼等ノ愛讀書ハ左記ノ如クニシテソノ主義思想系統ヲ窺知セラル可ク大川周明、北一輝、安岡正篤、権藤成郷等トノ往來又ハ彼等ノ圖書ニ依リ感化ヲ受ケシコト多キヲ見ル
       左記
  自治民範(権藤成郷)    國体宗教批判
  日本改造法案       唯物論經濟史
  農村學          レーニン主義十二講
  支那革命外史       マルクスエンゲルス全集 第一巻
  國体認識學        ボルシェヴィキズム研究
  レーニン         純粹國家社會主義
  経濟學          社会ファシズム論
  日本文化史概論      日本的實行(大川周明)
  改造(雑誌)        純正社會主義と國体論
  社會文化史の研究     正義と自由
  マルクス主義経済學    労働と資本(河上肇)
  日本精神の研究      改造法案(北一輝)
  日本國体の研究(田中知学) 國体學概論(里見岸雄)
  國体論の一部(北一輝)

   五月事件發生系統圖

 二、同志結合ノ狀況
   陸海軍々人及在郷將校ノ結合合流スルニ至リシ経緯左ノ如シ

  (一)海軍側
   1、山岸中尉外数名ノ海軍將校ハ昭和三年一月二十日頃横須賀市平坂上ノ浜中尉ノ下宿ニ於テ井上日昭ト會見シ徹夜國家ニ関シ論シタル事アリ
     山岸中尉ハ爾來國家ノ建直ニハ中間権力者ヲ實力ヲ以テ排除スルノ外ナシト決意セリ
     當時ハ井上日昭カ指導者ノ立場ニアリ上海ニテ戰死セシ故藤井少佐カ海軍関係ノ同志ヲ統制シ山岸カ井上ト藤井トノ間ノ連絡ヲ担任シアリ
     當時ノ第一線的人物ハ左ノ七名ナリ
      故藤井少佐     古賀中尉(霞ヶ浦)
      三上中尉(呉、鎭) 村山少尉(横、鎮)
      伊藤少尉(佐、鎮) 大庭少尉(佐、鎮)
      山岸中尉
  
 三、決行ニ至ル経過

  1、本年三月ニ十七日牛込區市ヶ谷仲野町一、六三省舎ニ於テ古賀中尉ハ坂本ト會見シ
     「實行方法トシテハ首相官邸及牧野内府邸、政友會本部、民政党本部、工業クラブ、華族會舘ノ六ヶ所ヲ手榴彈及ヒ拳銃ヲ以テ襲撃シ然ル後憲兵隊ニ自首スル豫定ナルヲ以テ其覺悟ニテアルヘシ」
    ト語リタルヲ以テ坂本ハ皈校後營庭ニ於テ後藤、篠原ニ迄ヲ告ケ他ニ傳達ヲ依頼セリ
  2、三月二十八、九日頃府下大久保百人町新大久保駅附近空家(歩三、安藤中尉名義ニテ借用シ池松ト渋谷某カ引越ス予定ナリシ家)ニ於テ中村中尉、古賀中尉及本件関係候補生全部會合シ協議シタルカ古賀中尉ヨリ
     我々國民ノ前衞トシテ犠牲トナッテ為サネハナラナイ時テアル諸君モ我々ト行動ヲ共ニスルカ
    トノ問アリ候補生一同應諾セリ古賀中尉ハ更ニ
     實行方法ノ目標トシテハ首相、内大臣、政党財閥等ヲ擧ケ武器ハ總テ海軍ニ於テ準備スル詳細後日決定スルコト
    等ニ就キ説明シ散會セリ
  
 四、不穏行動ノ計画

  1、今回ノ事件ハ主トシテ古賀中尉中村中尉ノ計画セシモノニシテ最初ノ予定計画別表ノ如クニシテ古賀ハ別表(現物ヨリ整理記載セルモノ)及目標要圖警戒狀況等記載ノ別紙ヲ常ニ携帯シ指揮シ居タルモノナリト
  2、最後ノ計画ハ五月十五日午後五時頃各集合所ニ集合シ同五時三十分目標個所ヲ襲撃シ次テ全部合流シ警視廳ヲ襲撃シ終ッテ東京憲兵隊ニ自首スルコト等ヲ規定シアルカ其ノ組織左ノ如シ
   〔表省略〕
   附記
   一、初メハ二月十一日決行ノ予定ナリシ如ク申立ツルモノアリ
   二、本年二、三月頃ハ共産党一味モ射殺計画ナリシカ如シ
   三、第二次ノ計画ハナカリシカ如シ

 五、資金

   第四 不穏行動實行ノ概要

 一、行動ノ概要
 二、被害ノ狀況

    第五 兇器ニ関スル事項

 一、兇器ノ種類及員数

  1、本件實行ノ為準備セル兇器等ノ種類員数等左ノ如シ
     種類   員数    備考
     拳銃     一四
     手榴彈    二一
     拳銃實包 約二七〇?
     短刀      七  他ニアリシカ如シ  
  2、押収セシ兵器別表ノ如シ

 二、兇器ノ出所

    第六 憲兵ノ處置

 一、取調検證
 ニ、事件送致

    第七 関係事項

 一、西田税狙撃事件

  1、殺害セントスルノ原因
    西田税ヲ殺害スヘキ原因ハ
   一、十月以来西田カブローカー的人物ナルコトヲ認メラレタルニ因ルコト
   二、純情ナル靑年將校カ斯ル人間ニ操縦サレツヽアルコトハ國家ノ為最モ遺憾トスル所ナルヲ認メタルニ因ルコト
   三、大事決行立案當時彼ノ力ニ依リ在京靑年將校ヲ主体トシ事ヲ起サントシ彼ニ遠カラス或事ヲ決行スヘキ旨頼ミタル處彼ハ其後我々ノ行           ヲ邪魔スル如ク判断セラルヽニ因ル、
  2、狙撃狀況
    全日本愛國者共同闘争協議會員川崎長丸ハ後藤ノ手ヲ経テ古賀中尉ヨリ拳銃ヲ受取リ五月十五日午後五時三十分頃、府下代々幡町代々木山谷一四四 西田税ヲ洋間二階應接室ニ於テ双方ヨリ二、三問答ノ後川崎ハ携帯セル拳銃ヲ以テ西田ヲ狙撃シ(六發)西田ノ腹胸数ヶ所ニ命中致命的傷害ヲ與ヘ川崎ハ逃走セリ


『出版物を通じて見たる 五・一五事件』 警保局図書課 (1936.3)

2021年02月01日 | 二・二六事件 1 内務省他

     

  出版警察資料第七輯
  出版物を通じて見たる 五・一五事件
               警保局圖書課

    凡例

 一、本書は所謂五・一五事件に關する論告、判決等の記錄及び各種出版物に現はれたる論調を蒐集輯錄せるものである。
 一、本書に摘錄せる参考資料は大體昭和七年五月より昭和九年九月迄の發行のものに限つた。
 
        昭和十一年三月     警保局圖書課

 第一章 五・一五事件の發端及び其の全貌

  第一節 概説

 昭和七年五月十五日午後五時三十分頃陸海軍の制服を着用したる數名の少壯軍人が犬養首相官邸にピストルを擬しつゝ侵入し、「話をすればわかる」と言った犬養首相の面上目懸けて轟然一發、遂に首相は暗殺せられた。突如として白晝帝都に起ったこの暗殺を中心とした所謂五・一五事件は其の政治的背景乃至思想の故に、日本の隅にまで波紋を及ぼし、全日本を震駭せしめ、益々非常時日本の姿を強化せしむるに至った。或る者は周章狼狽發するに言葉なく、評するに文字なく、或る者はその必然性を説き、昭和維新間近にありと叫んだ。斯くして政黨たると財閥たるとを問はず、全國民は今更の如く非常時日本の認識を深めると共にそこに反省の機會が惠まれた。憲政常道の名の下に華やかなりし政黨政治は再吟味せられ、經濟機構には鋭い批判のメスが向けられ、政治、經濟、外交、社會等全般にわたり再檢討の刄は向けられるに至った。斯くして五・一五事件の轟然と響き渡った一發のピストルを契機として、非常時日本打開、國難日本突破の努力が全國民の双肩の上に負はされるに至った。五・一五事件こそは實に非常時日本の再認識を求める烽火であり、國難日本の内部爆發であったのである。

  第四節 公判記錄

   第一款 海軍側公判記録

   (二)檢察官の論告と求刑 

     事件發生の原因

      第三、本件に先立ち發生したる某事件の影響ありたること

 凡そ事の成るは成るの日に成るに非ず由って來る處でありであります、本件も亦その由って來る處久しく一朝一夕に起ったものではないのであります、被告人古賀淸志の當公廷における陳述に依りますれば古賀は某事件に参加したる經緯に依りまして、今囘被告人等の企圖しましたる戒嚴にして宣告せらるゝの狀況に立倒れるときは當然之を収拾してくれる相當の大勢力の存するものであることを知り遂に本件實行計圖を策する決心を為したものであると申して居ります、右の認識は素より古賀の獨斷に基くものでありまして所謂大勢力なるものとは何等連絡は無いのでありますが少なくとも古賀をして斯の如き計畫を索せしむるに至りました事に就ては某事件は最大直接原因を為して居ると斷定することが出來るのであります。
 なほこの機會に於て一言して置きたいことは部下指導に關する上司の態度についてゞあります、この點に關し本件發生當時某官憲が上司に提出したる意見書中に所見があります、曰く「上司中往々彼等の所見に對し極て曖昧模糊たる態度を採り彼等をして上司はその行動を認容し居たるものゝ如く誤信せしめたるやの形跡無きに非ず」といふのであります、之本件原因と申す程の事ではありませぬが上司たるもの下級者を指導するに際し明かに是は是とし非は非としその方向を誤らざらしむる如く努むることは極めて必要ではないかと存じます。 

 第二章 五・一五事件の思想的根據

  第一節 概説 

『社会の人心は輕佻浮薄に流れ、富者は黄金を死藏し歌舞淫楽に耽り、私利私慾のためには國家國民をも毒し政黨は黨利黨略を計り眼中殆ど國家なく、政黨財閥の結託は國利民福を犠牲に供し、社會人心は政治に興味を失ひ信賴をなげ捨て、國民精神又頽廢を來し斯かる腐敗せる社會の反面に於いて農民は餓死線上に彷徨し乍らも一大活路を見出さんと焦躁すと雖も、目標を失ひ、歐化的に陷れるこの社會の現狀を以ってしては如何ともそのすべなし』との慨嘆の念を五・一五事件當事者の腦裡深く懐かしめたる時本件の萌芽は既に生じて居った。然も今日の狀勢一日の放置をも許さずと憂國の情、殉國の至誠よりやむにやまれず國法の重きを犠牲とし、國家の一大改造を目論んで、非常手段を採って立ち上った彼等の心臓の中にこそ、實に軍隊生活、軍隊教育等に依って鍛へ上げられた確乎たる國體に對する信念、明治維新烈士に對する崇慕の念等が宿り、更に大西郷遺訓、北一輝、權藤成郷、橘孝三郎、大川周明等の思想的影響が根深くも潜んで居ることを見のがすことは出來ない。
 斯くの如き諸種の思想的背景の下に現下の内外の情勢を認識し、今にして國民の覺醒を促がし、國家の革新を計るにあらざれば遂に日本は、滅亡するに至るべしとの殉國憂國の至情を根據として奮起した處にその是非の評は別として五・一五事件の特色があり、五・一五事件が國民に深い反省の機會を與へた所が存するのである。

  第三節 背後の思想

   第一款 背後の諸思想

 茲に掲げる背後の諸思想といふは、所謂背後の思想であつて、事件當事者の思想ではない、従つて事件當事者の思想とは多少の相異があることは勿論である。事件當事者達の背後にある社會思想、即ち彼等が影響を受けたる社會思想そのものである。
 彼等の豫審調書又は公判廷に於ける陳述等を通じて見る時、彼等の背後の思想として次の五を擧ぐることが出来る。
 一、大西郷遺訓
 二、北一輝の日本改造思想
 三、權藤成郷の自治制度學思想
 四、橘孝三郎の愛郷思想
 五、大川周明の日本思想
 勿論これ等の諸思想は必ずしも悉く一致するものではなく、相衝突する部分も無いではない、乍併、それにも拘らず復古精神である點に於て、國民歴史の上にその思想の根本を見出してゐる點に於て、東洋的精神の復興である點に於て、日本といふ特殊事情の上にものを見んとしてゐる點即ち国民的精神の自覺をもつてゐる點に於て一つの大いなる共通點を見るのである。

 第三章 五・一五事件に関する論調
 第四章 五・一五事件の出版界に及ぼしたる影響
 第五章 五・一五事件に關する出版物取締の要綱

  第二節 新聞記事差止に依る取締要綱

      日本國民に檄す
          昭和七年五月十五日 陸海軍靑年將校 農民同志

  第三節 一般檢閲標準に依る取締要綱

 殊に本事件に關聯して稍々注目に價するものと認められるものは、所謂落首的な流行歌が世上に現れたことであつて、其の内二種のものは蓄音機レコードに吹込まれ、一般に流布され樣としたのであるが、發行地所轄廳の發見が迅速であつた爲め、其の大部分のものは發賣を阻止することが出來たのであつた
 今流行歌詞の主なるもの二、三を示すと次の通りである。

  ●靑年日本の歌 (昭和八年八月三日附禁止處分)
              海軍中尉 三上卓作

 ツルレコード歌詞 (特283-B)  記念盤 (昭和八年十月六日附禁止處分)

  ●五・一五事件・昭和維新行進曲 (陸軍の歌)
                   畑中正澄作歌
   
 ツルレコード歌詞 (特283-A)  記念盤 (昭和八年十月六日附禁止處分)

  ●五・一五事件・昭和維新行進  (海軍の歌)
                   畑中正澄作歌

  ●五・一五音頭 (昭和八年十月二十日附禁止處分)

 をどりをどるなら五・一五のをどり
     をどりや日本の夜が明ける
 花はさくら木 男は三上
     昭和維新のひと柱
 男惚れする山岸中尉
     問答無用の心意氣
 昔ゆかしい葉がくれ武士の
     ながれ汲むかや古賀中尉
 同志十一正義にむすぶ
     花のつぼみの候補生
 死んだ藤井の心を繼いで
     興しませうよ大亞細亞
 仇の平和のロンドン會議
     八重の黒潮血の叫び
 をどりやをどつても非常時日本
     國のまもりは忘れまい
 
附錄

  五・一五事件に關する文献 (自昭和七年七月 至昭和九年九月)  

    單行本

     附、蓄音機レコード解説書

  題名     番號      發行所     處分年月日

 五・一五事件
 昭和維新行進曲 特二八三A   名古屋市    昭和八、一〇、六(禁止)
     (海軍の歌)       株式會社アサヒ商會
 五・一五事件
 昭和維新行進曲 特二八三B   同 右   同
     (陸軍の歌)
 五・一五事件
 血涙の法廷   特二八一A、B 同 右   同
  (海軍公判) 特二八二A,B 同 右   同
 
  二、新聞紙雑誌

   (一)普通新聞紙
   (二)普通雑誌
   (三)右翼新聞紙雑誌
   (四)左翼新聞紙雑誌

  三、宣傳印刷物

   題名 發行地 發行日附 處分年月日 摘要

五・一五事件記念發賣三枚組一圓 東京 不明 十月七日 ツルレコードの廣告 
五・一五事件血涙の法廷昭和維新行進曲到着特價三枚一組一圓 東京 不明 十月七日 ツルレコードの廣告
昭和維新五・一五事件描寫劇血涙の法廷愛國歌昭和維新行進曲 東京 不明 十月七日 ツルレコードの廣告
昭和維新行進曲の血詞 愛知 東京 不明 十月七日 ツルレコードの廣告


『昭和十一年中ニ於ケル 社会運動ノ状況』 内務省警保局 (1938.3)

2020年08月14日 | 二・二六事件 1 内務省他

    

 嚴秘    昭和十三年三月三十日刊行
    昭和十一年中ニ於ケル 社會運動ノ状況   内務省警保局

 昭和十一年中に於ける社會運動の状況

   目次(甲)

 一、總説〔下は、その一部〕

    一

 昭和十一年中に於ける社会運動の一般を顧るに、二月二十六日帝都に於て一部陸軍将校を中心とする叛乱事件勃発し、之が我朝野に與へたる衝動極めて深刻にして、各種社会運動亦多かれ少かれ孰れも此の影響を受けたり。〔以下略〕

 国家主義陣営の動向は、反乱事件に影響せられ運動上相当制肘を受くるの余儀なき情勢にありたるも、他面戦線統一、大同団結の気運促進の効果を齎せり。而して非合法的策動依然として其の跡を絶たず、特に叛乱事件に対する措置其の他の重要問題を繞りて軍民急進分子の間には依然として危険なる底流ありて、今後の動向には深甚の注意を要する情勢なり。
 〔以下略〕

 
 一、共産主義運動「附」海外よりの左翼宣傳印刷物の狀況
 一、左翼學生運動
 一、國家(農本)主義運動
 一、無産政黨運動
 一、勞働運動
 一、農民運動
 一、商工運動
 一、借家人運動
 一、水平運動
 一、消費組合運動
 一、無政府主義運動
 一、在留朝鮮人運動「附」上海を中心とする朝鮮人の不穏策動狀況
 一、宗教運動
 一、運動日誌
 一、附表

   目次(乙) 〔下は、その一部〕

 國家(農本)主義運動

 第一、概要
 第二、帝都叛亂事件
  一、事件の大要

 二月二十六日払暁現役将校二十名は所謂「国体の開顕、御維新阻止の奸賊芟除」を念願して一千四百余名の下士官兵を率ひ、重臣顕官の官私邸を一斉に襲撃して之を暗殺し、爾来帝都枢要の地点を前後四日間に亘りて占拠する等未曾有の不祥事件突発したるが、其大要次の如し。

    (一)襲撃又は占拠等の狀況
    (二)蹶起趣意書
    (三)關係者

 叛乱部隊は歩兵第一連隊、同第三連隊、近衛歩兵第三連隊、野戦重砲兵第七連隊の一部にして、他に豊橋教導学校、砲工学校、所沢航空学校の青年将校が之に参加し其総数は次表の如く一千四百余名に及ぶ。而して事件発生前後より右中心人物と連絡し或は事件発生以後に於て、之等指導人物と相呼応して事件の好転に努めたる者九十余名にして何れも後記審理状況の項に於て詳述する所あるべし。
 
 反乱部隊参加人員表 〔省略〕

  二、事件前の諸情勢

 昭和九年秋の所謂十一月二十日事件事件、客年七月真崎教育総監の更迭問題及粛軍意見書頒布問題等陸軍部内に蟠る暗流は一抹の憂慮すべき空気を孕みつゝありたるが、果然同十年八月十二日永田軍務局長刺殺の不詳事件の発生を見るに至れり。然も敍上の諸事件に端を発して客年以来軍内の諸潮流を暴露せる無数の怪文書は軍内外に撤布さるゝあり殊に永田事件以後は一層激化して宛然党派的泥仕合を髣髴せしめ軍内外の情勢は日を逐ふて険悪化しつゝありたり。
 就中皇道派民間団体の牙城たる直心道場の如きは西田税の指導下に雑誌「核心」「皇魂」及新聞紙「大眼目」等を総動員して相沢中佐公判の好転、維新努力の推進に関する宣伝煽動に努めつゝありたるが、就中「大眼目」は西田税、村中孝次、磯部浅一、渋川善助、杉田省吾、福井幸等を同人として宛然怪文書と異らざる筆致を以て「重臣ブロック政党財閥官僚軍閥等の不当存在の芟除」を力説し「革命の先駆的同志は『異端者』『不逞の徒』のデマ中傷に顧慮する所なく、不退転の意気を以て維新革命に邁進すべきこと」を煽動し之を軍内外に広汎に頒布する等暗流の策源地たるの観を呈しつゝありたり。
 (一)〔以下省略〕

  三、行動の概要
    (一)叛亂部隊關係者の行動
      (1)ー(23)(七月五日の判決による)
    (二)部隊以外の關係者の行動
      (1)山口一太郎 
      (2)豊橋組の行動 
      (3)北輝次郎、西田税

 (イ) 二十六日午前四時三十分前後渋川善助よりの電話報告に依り前記村中孝次、磯部浅一、香田清貞、安藤輝三、栗原安秀其の他在京同志青年将校等が予定の計画に基き遂に出動したることを知るや西田税は渋川善助を招致し同人に対し蹶起部隊内外の情報蒐集に努むると共に民間側同志竝に右翼団体等に連絡して外廓運動を指導統制し以て専ら外部工作に任すべき旨を指示し北輝次郎は官憲の弾圧に依り西田税が捕縛せられむことを慮り同人の協議の結果当時東京市豊島区西巣鴨木村病院に入院中なる同志岩田富美夫を招致し同人に前記の情を告げ其の同伴により同日午前八時前後頃前記病院に逃避せしむるに至り西田税は同日午前十時頃同病院より電話を以て海軍中将小笠原長生に対し蹶起将校等の精神を是認し事態収拾に付助力あり度旨懇請し次で栗原安秀が首相官邸を占拠しあるを知り之と電話連絡を為したる結果同人等は総て予定の如く襲撃目標を斃したる上警視庁、陸軍大臣官邸其の他を占拠し意気軒昂として寧ろ前途好望なるものあるを知るや直に北輝次郎に対し其の旨電話報告を為すと共に同日午後三時前後頃同人宅に帰還し爾来同人と共に蹶起の目的達成の為画策努力する所ありしが北輝次郎は同日「革命軍、正義軍の文字現はれ革命軍の上に二本棒現はれて消され正義軍と示さる」との霊告ありたりと称し蹶起将校等を目し方に正義軍なりと断じ西田税と共に其の旨電話を以て磯部浅一に伝達し以て同人等の行動を激励し更に同日午後九時頃同志杉田省吾に対し其の旨電話連絡を為し民間側同志に宣伝せしめ、同月二十七日北、西田の両名は前日来の情報に依り蹶起部隊の幹部等は事前に於て陸軍の中堅層等に対し諒解連絡なかりしこと及陸軍大臣官邸に於て香田清貞が陸軍首脳部に対し当時台湾軍司令官柳川中将を以て後継内閣首班に要望せること等を知るや斯の如きは徒に時局の収拾を遷延せしむべく一日一刻を争ふ此の際寧ろ彼等の為に採らざる所となし專ら之が前後処置に付苦慮しありたるが
 (ロ) 北輝次郎は同日午前十時頃「人無し、勇将真崎あり、国家正義軍の為号令し、正義軍速に一任せよ」との霊告ありたりとて西田税と共に村中孝次、磯部浅一等に対し其の旨電話連絡を為し且此の際蹶起将校等は右霊告の趣旨に従ひ全員一致の意見として無条件にて時局の収拾を真崎大将に一任すると共に軍事参議官も亦意見一致して同大将に時局収拾を一任せらるる様懇請し斯くして軍事参議官と蹶起将校との上下一致の意見として上奏実現を期すべきなりとの趣旨を諄々教示し同日蹶起将校等をして右趣旨の如く行動するに至らしめ同日午後五時前後頃村中孝次、磯部淺一等より蹶起將校等は陸軍大臣官邸に於て軍事參議官阿部、西各大將と會見し前記趣旨の如く懇請したる旨の電話報告に接し一方豫て招致し置たる同志薩摩雄次をして電話を以て海軍大將加藤寛治に對し蹶起將校等は一致して時局収拾を眞崎大將に一任することに決したるを以て海軍側よりも推進善處せられ度旨懇請せしめ更に西田税は前掲小笠原中將に對し電話を以て蹶起部隊は昭和維新の目的を貫徹するまで現在の占據位置より撤退せずと主張しあり且時局収拾に付眞崎大將の推戴を希望しあるに付此の主旨に基き善處せられ度尚海軍陸戰隊と蹶起部隊と對立し兩者の間は漸次險惡化しつゝあるを以て海軍側を抑制せられ度旨懇請し次で兩名は同日午後五時頃首相官邸に占據しある栗原安秀より同人等蹶起部隊の情勢に付電話報告を受けたる際同人に對し外部の一般的情勢は漸次蹶起部隊の爲有利に進展しつゝあり殊に海軍側は一致して支援しあるのみならず全國各地よりは數千の激勵電報到着しる情勢なるを以て飽く迄目的を貫徹すべしと激勵し更に同日午後八時頃突如村中孝次が夜陰に乗じて包圍線を脱出し爾後の處置に關し指令を仰ぐべく來訪するや偶爾後の對策協議の爲來合せ居たる龜川哲也も同席の上同人より蹶起後の内部情勢に付詳細なる報告に接したる後同人に對し國民は蹶起部隊に同情しあり殊に海軍側は擧つて支援しある情勢なるに付前示懇請に對する軍事參議官側の囘答あり次第其の内容を速に北、西田に連絡せられ度其れ迄は現在の占據を持續するを可とする旨を指令し〔以下省略〕

      (4)龜川哲也 
      (5)滿井佐吉
      (6)眞崎甚三郎

 眞崎大將は二月二十六日午前四時三十分頃自宅に於て豫て二、三囘本人を訪ね靑年將校の不穏情勢を傳へ居たる龜川哲也の來訪を受け同人より今朝靑年將校等が部隊を率ゐて蹶起し内閣總理大臣内大臣等を襲撃するに付靑年將校等の爲善處せられ度く又同人等は大將が時局を収拾せらるゝ樣希望し居れば自重せられ度き旨懇請せられ茲に皇軍未曾有の不祥事態發生したることを諒知し之に對する處置に付熟慮し居たる折柄陸軍大臣よりの電話招致に依り同日午前八時頃陸軍大臣官邸に到り同官邸に於て 
 (イ)磯部淺一より蹶起の趣旨及行動の概要に付報告を受け蹶起趣旨の貫徹方を懇請せらるゝや「君達の精神は能く判つて居る」と答へ 
 (ロ)陸軍大臣川島義之と村中孝次、磯部浅一、香田淸貞等叛亂幹部との會見席上に於て蹶起趣意書、要望事項及蹶起者の氏名表等を閲讀し香田淸貞より襲撃目標及行動の概要等に付報告を受けたる後同人等に對し「諸君の精神は能く判つて居る自分は之より其の善後處置に出掛る」と告げて官邸を出で
 同日午前十時頃參内してる際侍從武官長室に於て陸軍大臣川島義之に對し蹶起部隊は到底解散せざるべし此の上は詔勅の煥發を仰ぐの外なしと進言し又其の席に居合はせたる他の者に對し同一趣旨の意見を強調し、
 同日夜陸軍大臣官邸に於て前記滿井中佐に對し宮中に參内し種々努力せしも中々思ふ樣に行かざるを以て彼等を宥めよと告げ 
 翌二十七日叛亂將校等が北輝次郎、西田税より「人無し勇將眞崎あり正義軍一任せよ」との靈告ありとの電話指示に依り時局収拾を眞崎大將一任に決し軍事參議官に會見を求むるや本人は同日午後四時頃陸軍大臣官邸に於て軍事參議官阿部信行、同西義一立會の上叛亂將校十七、八名と共に會見の際同將校より事態収拾を本人に一任する旨申出で且之に伴ふ要望を提出したるに對し無條件にて一切一任せよ誠心誠意努力する云々の旨の答へを爲したり。

      (7)菅波三郎 
      (8)大藏榮一 
      (9)末松太平、志村隆城 
      (10)志岐孝人
      (11)齊藤劉 
      (12)中橋照夫 
      (13)宮本正之、越村捨次郎 
      (14)福井孝、加藤春海、佐藤正三、宮本誠三、杉田省吾 
      (15)町田專藏
  四、鎭定の狀況
    (一)叛亂鎭定の經過
      (1)叛亂當日の状況
      (2)戒嚴令公布(二十七日)
      (3)奉勅命令(二十八日)
      (4)鎭定(二十九日)
    (二)民間團體の策動
  五、審理狀況
    (一)叛亂部隊關係者
    (二)部隊關係以外の者

 第六、不穏事件の審理状況
  一、概況
  二、永田中將暗殺事件
  三、統天塾同人の不穏事件
  四、朝鮮統治改革神風隊事件
  五、神兵隊事件
 第七、不穏事件檢挙狀況
  一、概況
  二、美濃部博士狙撃事件
  三、故渡邊教育總監暗殺豫備事件
  四、寺内陸相暗殺豫備事件
  五、廣田首相暗殺豫備事件
  六、秘密結社巴團事件

 附表
  一、主なる社会運動団体一覧表 (昭和十一年十二月末現在)
  二、各種特別要視察人現在一覧表 (昭和十一年十二月末現在) 〔庁府県別で、人数のみ〕


『新聞記事差止関係事項調(11)』  内務省警保局 (1936.12)

2020年08月13日 | 二・二六事件 1 内務省他

 

     昭和十一年十二月三十一日現在

  新聞記事差止関係事項調 (11) 

  厳秘 内務省警保局

 目次

 差止番号 発令年月日 件名 差止種別 手配区域 解除年月日 解除事項

 一  昭和 二、一〇、 八 皇族ノ御婚姻記事ニ関スル件        懇談 警視庁 大阪府
 二   同  六、 九、二二 軍事機密記事ニ関スル件         警告 各庁府県
 三   同  六、一〇、一七 陸軍青年将校保護検束事件ニ関スル件   示達 各庁府県

  陸軍青年将校ノ過激ナル言動ニ関シ憲兵隊ニ於テ保護検束ヲ加ヘタルヤノ事件ハ陸軍省ヨリ発表スルモノノ一切ノ記事

 四   同  七、 一、 八 弗統制売始末ニ関スル件         示達
 五   同  七、 三、一八 海外ヨリ不逞人物潜入ニ関スル件     示達
 六   同  七、 五、三〇 満州国ニ常駐スル帝国ノ兵備ニ関スル件  示達
 七   同  七、 八、一八 南西諸島等ニ軍事施設ヲ為スヤノ件    示達
 八   同  七、 八、二〇 日満両国条約締結ニ関スル件       示達
 九   同  八、 二、 三 軍用試作飛行機ニ関スル件        警告
 一〇  同  八、 七、 二 生産党不穏計画事件ニ関スル件      示達
 一一  同  八、 七、一八 九二式重爆撃機ニ関スル件        示達
 一二  同  八、一〇、二六 満州国ニ於ケル交通国防関税ニ関スル件  示達
 一三  同  八、一一、 九 満州国ニ於ケル君主制採用ニ関スル件   示達
 一四  同  八、一二、二八 海軍関係作業ノ状況等ニ関スル件     示達
 一五  同  八、一二、二八 満州国君主制採用ニ当リ日満両国条約取極メ等ニ関スル件 示達
 一六  同  九、 三、一〇 海軍兵器機関竝ニ船体ニ係ル各種実験ニ関スル件 示達
 一七  同  九、 四、 九 将来ニ於ケル軍旗親授等ニ関スル件    示達
 一八  同  九、 六、一六 海軍ニ於ケル艦船ノ建造改装ニ関スル件  示達
 一九  同  九、 七、 三 帝国海軍兵力ノ行動等ニ関スル件     示達
 二〇  同  九、 九、一八 陸軍習志野学校ノ科学演習ニ関スル件   示達
 二一  同  九、一二、二八 九四式偵察機及九五式戦闘機ニ関スル件  示達
 二二  同 一〇、 二、 六 陸軍ニ於ケル上陸作戦用船舶舟艇ニ関スル件示達
 二三  同 一〇、 二、一三 満州ニ於ケル白系露人ノ移住計画竝ニ実施ニ関スル件 示達
 二四  同 一〇、 七、二五 日支航空連絡ノ交渉ニ関スル件      示達
 二五  同 一〇、 七、三〇 日満経済共同委員会ニ関スル件      示達
 二六  同 一〇、 八、一六 軍ノ統制紊乱ニ関スル件         警告 各庁府県

  我ガ軍部内ノ情勢ニ関シ濫ニ派閥関係ヲ云為シ軍ノ統制ヲ紊ス虞アル記事

 二七  同 一〇、一一、一二 中華民国ニ派遣セラルベキ海軍艦船部隊航空機等ニ関スル件 示達
 二八  同 一一、 一、二〇 内蒙古ノ自治乃至其ノ独立ニ関スル件   示達
 二九  同 一一、 三、二二 昭和十一年二月二十六日事件竝ニ之ニ関連スル事項中左記各項ハ当局発表以外一切ノ記事

  記
 一、反乱軍ニ関スル左記事項
  イ、原因、動機、計画、目的
  ロ、事件勃発ヨリ鎮定ニ至ル行動
  ハ、背後ノ関係
  ニ、反乱軍及其ノ背後関係者ニ対スル同情的又ハ賞壱恤的記述
 二、軍ニ関スル左記事項
  イ、事件勃発ヨリ鎮定ニ至ル迄ノ陸軍当局ノ措置竝ニ事件ノ処理ニ当レル者ノ動静
  ロ、事件勃発ヨリ鎮定ニ至ル迄ノ戒厳司令官隷下部隊ノ行動
  ハ、戒厳司令官隷下部隊ノ編制、配備竝ニ人馬飼数
  ニ、事件ニ関スル処置(例之事件関係者処分、関係部隊ノ処置、東京陸軍軍法会議ニ関スル事項等)
 三、軍民離間ヲ招来スルガ如キ記述
 四、写真
  イ、反乱軍ノ行動及背後関係者ニ関スル写真但シ当局ヨリ発表アリタル者ノ肖像写真ハ差支ナシ
  ロ、其ノ他著シキ刺戟的ノ写真

  示達

  各庁府県

  自二月二十六日至七月二十日当局発表事項ハ別冊「叛乱事件に関する当局発表輯」参照ノコト
  一一、七、三一 本日陸軍省ヨリ山口大尉外五名ニ対スル判決ノ概要ニ付発表アリ(附録第一七号)
  一一、一〇、一九 本日陸軍省ヨリ田中歩兵大尉ノ自殺ニ付当局談ノ発表アリ(附録第一八号)
  一一、一二、一四 本日陸軍省ヨリ久原房之助ノ不起訴処分ニ付発表アリ(附録第一九号)

 三〇  同 一一、 四、 一 海軍ニ関スル諸制度ノ改正ニ関スル件  示達
 三一  同 一一、 四、 四 日暹航空連絡ノ交渉ニ関スル件     示達
 三二  同 一一、 六、二五 陸軍ノ兵団編制ノ改変等ニ関スル件   示達
 三三  同 一一、 七、二三 満州国ニ於ケル治外法権撤廃及附属地行政権移譲ニ関スル件 示達
 三四  同 一一、 九、二四 支那方面ニ於ケル海軍兵力ノ行動及所在ニ関スル件 示達
 三五  同 一一、 九、二五 憲兵ヲ支那ニ派遣スル件ニ関スル件   示達
 三六  同 一一、一一、一一 火災保険会社政府納付金軽減ニ関スル件 警告
 三七  同 一一、一二、 五 日本共産党再建準備委員会等ノ治安維持法違反事件ニ関スル件 示達

  本年十二月五日検挙ニ着手シタル日本共産党再建準備委員会及之ニ関連スル治安維持法違反被疑事件ニ関スル一切ノ記事

 三八  同 一一、一二、三〇 北支交渉並ニ防共協定ニ関スル件    示達

 附録

 附録第 一號(差止第 八號)  日滿議定書及帝國政府声明書(昭和七年九月十五日)
 附録第 二號(差止第一〇號)  (生産黨不穏事件關係) 神兵隊事件に關する司法當局發表事項 (昭和十年九月十六日)
 附録第 三號(差止第一〇號)  神兵隊事件被告人天野辰夫外五十三名に關する司法省の犯罪事実發表事項 (昭和十一年十二月十七日)
 附録第 四號(差止第一二號) 滿州國鐵道一覧表 (委任經営、工事請負發表路線)(昭和十一年七月十五日現在調)

  
 附録第 五號(差止第一二號) 滿洲國航空會社航路に關する關東軍發表事項 (昭和十年九月廿七日)
 附録第 六號(差止第一二號) 滿洲國國防費分担金に關する國務總理(談話)發表事項 (昭和九年六月廿七日)
 附録第 七號(差止第二五號) 日滿經濟共同委員會設置に關する外務省發表事項(昭和十年七月十五日)
 附録第 八號(差止第二五號) 日滿經濟共同委員會に關する滿洲國政府發表事項(昭和十年八月二十九日)
 附録第 九號(差止第二五號) 日滿經濟共同委員會に關する滿洲國政府發表事項(昭和十年十一月十二日)
 附録第一〇號(差止第二五號) 満洲林業株式会社に關する滿洲國政府發表事項 (昭和十年十二月十六日)
 附録第一一號(差止第二五號) 滿洲鹽業株式會社設立に關する當局發表事項  (昭和十一年三月十四日)
 附録第一二號(差止第二五號) 日滿經濟共同委員會の委員更迭に關する當局發表事項(昭和十一年四月十五日)
 附録第一三號(差止第二五號) 滿洲の貿易及石油株式會社の増資に關する當局發表事項(昭和十一年八月七日)
 附録第一四號(差止第二五號) 滿洲生命保險株式會社設立に關する當局發表事項(昭和十一年九月二十一日)
 附録第一五號(差止第二五號) 滿洲輕金屬特殊會社設立に關する當局發表事項 (昭和十一年十月十三日)
 附録第一六號(差止第二五號) 滿洲國重要産業統制法に關する滿洲國政府發表事項(昭和十一年十二月八日)
 附録第一七號(差止第二九號) 山口大尉外五名に対する判決理由の概要に關する陸軍省發表事項(昭和十一年七月三十一日) 

  一、罪名及處刑
  二、犯行の概要

 一、山口一太郎は夙に皇国の前途真に憂慮に堪へざるものありと断じ速に之を革新是正して国体の真姿を顕現し特に国民生活の安定、国防軍備の充実を図らざるべからずとし思惟し、今次叛乱事件被告人村中孝次磯部淺一、香田清貞、安藤輝三、栗原安秀、渋川善助等と相識るに及び同人等が被告人と同一思想信念を有するも直接行動を以て所謂特権階級を打倒し其の目的を達成せむとする企図を有するものなるを知り同人等を指導誘掖しつゝ合法的に局面を打開せむと志し或は自宅を以て其の集会所に充て或は随所に於て屡々西田税及前記青年将校等と会合し且一般の情勢等を伝へ青年将校等の直接行動を制止しつゝ其の誘導に努め兼て同人等の蹶起の機運を偵知し其の情勢を利用し被告人の所謂「先廻り合法手段」に依り国家革新を齎さしめむことを企図せるか昭和十年三月歩兵第一連隊に勤務する及び同年末頃より同志青年将校等の間に直接行動の機運漸次醸成せられあるを看取し被告人従来の立場上斯かる事態を如何に誘導処理すべきやに関し苦慮し居たる折柄昭和十一年二月十日前後栗原安秀より同月下旬週番司令として服務せられたき旨の懇請を受け或は直接行動に参加方を慫慂せらるゝ等のことありたるに依り其の機運の頓に昴まれるを看取せしが同月十八九日頃自宅に於て村中孝次、磯部浅一等の来訪を受け同人等が同志青年将校と相謀り歩兵第一連隊其他の兵力を出動せしめ元老、重臣等を襲撃し帝都枢要の地区を占拠し所謂昭和維新を断行する為近く蹶起する事となりたるを以て右兵力出動等を看過黙認すると共に外部に在り対上部工作を援助せられたき旨を諷示せらるゝや敢て反対を唱ふる事なく若し然る場合上部工作に付努力するは当然の事なりとの意を暗に表示せるが本会見に依り決行の機愈々切迫せりと思惟し同月二十一日頃西田税を自宅に招致し之が対策を協議し同月二十二日より所属連隊週番指令に服務し愈々同週中に蹶起あるべきを推知し同月二十三日警備用として麹町区附近要図及内閣総理大臣官邸附近要図合計約二百枚を作製準備し同月二十四日夜村中孝次、磯部浅一、香田清貞、栗原安秀等が連隊内に於て蹶起に関する細目の打合せを為す事を知り更に其の情況を偵知し善処すべき企図の下に進んで週番司令室を其の用に供し且之に立会ひ親しく其の状を見聞するに及び彼等の決意を鞏固にして到底抑止し難きを看取し同夜再び西田税を週番司令室に招致会見し所要の連絡をとれるが被告人は現状革新の根本趣旨に於ては素とより彼等青年将校等と大いに相通ずるものあり加ふるに此種行為に対する順逆の理に透徹せる信念を有せざりし為遂に非合法手段を用ふるも亦已むを得ずと為して敢て防止の手段に出づることなく寧ろ此の蹶起を機として所謂上部工作を以て彼等の行動の目的を達成せしめむことを決意し同月二十五日夕点呼の際栗原安秀より本夜は何事も為さゞるにより十分安眠せられたき旨の言を聞き愈々同夜決行せらるべきことを察知し次て村中孝次、磯部浅一外数名の民間同志が決行の為夜中来営し栗原安秀等に面会を求めたるに対し之を許可し且同夜栗原安秀等が弾薬を搬出することあるべきを予察したるも之を放任し翌二十六日午前四時稍々前週番副官及衛兵司令より機関銃隊が非常呼集を行ひ居る旨の報告を受けしも故らに措置するところなく午前四時三十分頃栗原安秀、丹生誠忠外将校下士官兵約四百六十名が兵器弾薬を携行し同志部隊の襲撃と時を同うして東京市麹町区永田町内閣総理大臣官邸を襲撃し或は陸軍大臣官邸等を占拠すべく同連隊を出発するに当り之を黙認し次て午前四時三十分過に至り部隊は既に出發し了れる旨の報告を受くるに及び始めて所要の措置を執り以て故らに週番司令たるの職責を懈り彼等の出動を容易ならしめ右部隊の屯營出發後同日朝被告人の電話報告に接し急遽來隊したる所屬聯隊長小藤惠より同部隊の狀況偵察の爲週番司令交代の上隨行すべき旨を命ぜられ次て其の副官たるべき命に接し之を絶好の機會なりとし其の職務を利用し彼等蹶起の目的を貫徹せしめむが爲或は陸軍大臣其他に對し本事件の處置として市民を傷けざること皇軍相撃を爲さしめざること蹶起部隊が義軍なりや賊軍なりやを速に決定し所謂昭和維新に邁進する強力内閣を組織し現事態に善處せられたきこと等を懇請し又蹶起將校等の手段は兎も角として彼等の精神を生かさゞれば斯かる事件は何囘も發生すべしと進言し或は所屬師団長に對し同部隊を今遽に分割して現位置より撤去せしむるが如き方策を用ふることなく親心を以て漸を追ひ處置せられたき旨を懇請し且歩兵第三聯隊長は其の態度彼等に有利ならずと爲し之が交代を進言し或は陸軍大臣官邸に於ける村中孝次、磯部淺一、香田淸貞、栗原安秀等と軍事參議官との會見の席に列し同會見を圓滑に誘導斡旋し又は兩者の意思疎通を圖り以て彼等の意圖達成に努め或は二十八日午前零時過頃陸軍大臣官邸に於て同朝五時頃同部隊を何れかに集結せしむべき命令下達せらるゝ豫定なることを聞知し斯くては同部隊の目的達成を挫折せしむるものなりと痛憤し聯隊長を促して直に戒嚴司令部に到り同日午前三時頃司令官室に於て司令官に對し叛亂部隊を代表するが如き態度を以て其の措置の不當を難じ撤去に關する命令の無期延期を要請し次て偕行社に到り同所に在りし軍事參議官に對し右と同趣旨の懇請を爲すな等村中孝次等叛亂者に軍事上の利益を與ふる行爲を爲したるものなり。

 附録第一八號(差止第二九號) 田中歩兵大尉自殺に關する陸軍當局談 (昭和十一年十月十九日)

  一、二・二六事件に関連して豫て起訴中の参謀本部附陸軍歩兵大尉田中彌は十月十八日正午頃自宅に於て自決せり。
  二、軍法會議の取調によれば同大尉の被疑事実の概要次の如し

 附録第一九號(差止第二九號) 久原房之助の不起訴處分に關する陸軍省發表事項 (昭和十一年十二月十四日)

東京陸軍々法會議に於ては豫て久原房之助を二・二六事件關係叛亂幇助の容疑を以つて豫審に附し取調中なりしが、其證憑十分ならず仍て本日同人を不起訴處分とし別に犯人藏匿の嫌疑を以って管轄裁判所檢事局に事件送致することゝせり。
取調の結果によれば久原房之助は昭和九年秋頃龜川哲也と相識り爾來頻繁に交際を續け同人より陸軍部内の情勢殊に同年十一月以降村中孝次、磯部淺一等免官となりたる事情及び彼等が相澤三郎事件に關し鵜澤總明を辯護人に選任することに盡力したることゝ竝に同事件公判狀況及村中孝次、磯部淺一等と同志の關係にある一部青年將校の国家革新運動に對する動向等諸情報を聽衆しありたるものなり。
而して二・二六事件に關し久原は
第一、昭和十一年二月十日頃龜川より近來青年將校の気分尖鋭化し同月十九日を期し蹶起する旨の情報を受け居り乍ら同月二十三日龜川の要求を容れ金五千圓を同人に提供交付したり(龜川は同月二十五日東京市麻布區龍土町六十七番地に於て西田税、村中孝次と會見し同人等より明二十六日早朝を期し一部青年將校は蹶起すべき旨を聞きたる際之が資金として久原より貰受けたる前記金員中より金千五百圓を村中孝次に、金百圓を西田税に提供せり)
第二、同年二月二十五日夜東京市芝區白金今里町十八番地の自宅に於て龜川より青年將校等は明朝蹶起し集團的武力を用ゐ警視廳、岡田内閣總理大臣、高橋大藏大臣、一木前宮内大臣、牧野前大臣、齋藤内大臣、鈴木侍従長、若槻禮次郎、西園寺公望等を襲撃する旨の情報を聽取し次いで翌二十六日午前五時頃村中孝次以下叛亂を爲すや久原は前記本邸に於て龜川より
一、同日午前七時頃叛亂に關する一般狀況、竝に叛亂將校は眞崎内閣の成立を希望せる旨
一、同日午後二時頃海軍大将山本英輔を後繼内閣の首班たらしむるを適當とする旨
一、翌二十七日午前四時頃山本英輔内閣説に意見一致し叛亂部隊は無條件にて引揚ぐることとなりたる旨及同夜七時軍部は重臣に壓せられたる爲軍部内閣の成立は見込なき旨
等の諸情報を受けたるものなるが何れも今次叛亂を支援し若くは叛亂を利する意思を認むるの證慿十分ならざるを以つて叛亂に關する點は不起訴處分とせり。
 然れども久原が龜川を隠匿したる點については東京陸軍軍法會議の管轄に屬せざるを以て管轄裁判所檢事局に事件送致することとせり。

 附録第二〇號(差止第三〇号) 海軍省官制改正に關する海軍省發表事項(昭和十一年五月十七日)
 附録第二一號(差止第三〇号) 海軍に關する諸制度改正に關する海軍省副官談(昭和十一年六月二十六日)
 附録第二二號(差止第三〇号) 海軍練習航空隊令及海軍志願兵令改正に關する海軍省副官談(昭和十一年十二月三日) 
 附録第二三號(差止第三二号) 航空兵團司令部令に關する陸軍省發表事項(昭和十一年七月二十五日)

       航空兵團司令部令

   第一條 航空兵團長ハ陸軍大将又ハ陸軍中将ヲ以テ之ニ親補シ 天皇ニ直隷シ部下飛行部隊ヲ統率ス

 附録第二四號(差止第三二號) 第二、第三飛行団司令部設置並に飛行第九連隊移転に関する陸軍省発表事項 (昭和十一年九月十八日)


『反乱事件に関する当局発表輯』 警保局 (1936)

2020年08月11日 | 二・二六事件 1 内務省他

   

    自二月二十六日
    至七月 二十日    

 叛乱事件に關する當局発表輯 

           警保局

     凡例 

一、本輯は昭和十一年二月二十六日に發生せる帝都叛亂事件に關係勅令及當局の發表等を蒐錄せるものなり。
二、蒐錄の配列は公布、發表等の月日を逐ひ、且便宜の爲内容の要旨を目次に括弧を附して表示せり。

      目次  〔以下、一部は、本文も掲載〕

   (發表官署)          (要旨)      (公布、發表月日)

一、 東京警備司令部    (戦時警備に關する告諭)     二月二十六日
二、 同右         (同右、ラヂオ公示)       二月二十六日
三、 陸軍省        (事件概要)           二月二十六日
四、 内閣         (後藤内相の首相臨時兼攝)    二月二十六日
五、 海軍省        (第一、第二艦隊の警備)     二月二十六日

  海軍省發表    二月二十六日午後八時四十分

 一、第一艦隊第二艦隊ハ東京灣及ビ大阪灣警備ノタメ廻航ヲ命ゼラレソレゾレ二十七日入港ノ豫定
 二、横須賀警備戰隊ハ東京港警備ヲ命ゼラレ二十六日午後芝浦ニ到着セリ

六、 内務省        (治安狀況)           二月二十六日
七、 同右         (同右)             二月二十六日
八、 勅令第十八號     (戒嚴令一部適用に關する緊急勅令)二月二十七日
九、 勅令第十九號     (勅令第十八號施行に關する件)  二月二十七日
一〇、勅令第二〇號     (戒嚴司令部令)         二月二十七日
一一、辭令         (戒厳司令官任命)        二月二十七日
一二、戒嚴司令官      (告諭第一號、戒嚴令施行に關するもの)二月二十七日
一三、内閣         (町田商相の藏相兼攝)      二月二十七日
一四、大阪海軍監督官事務所 (第二艦隊外投錨)        二月二十七日

   大阪海軍監督官事務所發表   二月二十七日午後一時

 加藤隆義中將ノ率ヰル第二艦隊旗艦愛宕以下各艦ハ二十七日午前九時四十分港外ニ投錨セリ

一五、大藏省        (高橋藏相薨去)         二月二十七日
一六、戒嚴司令部      (警備部隊の上京)        二月二十七日
一七、同右         (警視總監、憲兵司令官への命令) 二月二十七日
一八、同右         (流言浮説に關する注意)     二月二十七日
一九、陸軍省        (教育総監代理被仰付)      二月二十八日
二〇、戒嚴司令部      (警戒狀況)           二月二十八日
二一、同右         (告諭第二號、戒嚴令第十四條全部を適用し叛徒の鎭壓を期す)二月二十九日
二二、同右         (強行解決を圖るに決す、一般民は其の居所に安定せよ)二月二十九日

   戒嚴司令部發表    二月二十九日午前六時

 二月二十六日朝蹶起セル部隊ニ對シテハ各ソノ固有ノ所屬ニ復歸スルコトヲ各上官ヨル有ユル手段ヲ盡シ誠意ヲ以テ再三再四説諭シタルモ彼等ハ遂ニコレヲ聽キ容ルヽニ至ラズ、抑モ蹶起部隊ニ對スル措置ノタメ時日ノ遷延ヲ敢テ辭セザリシ所以ノモノハ若シコレガ鎭壓ノタメ強行手段ヲ取ルニ於テハ流血ノ慘事或ハ免ルヽ能ハズ不幸斯ル情勢ヲ招來スルニ於テハソノ被彈地域ハ洵ニ畏クモ宮城ヲ始メ皇王族邸ニ及ビ奉ル虞レモアリ且ソノ地域内ニハ外國公館ノ存在スルアリ斯ル情勢ニ導クコトハ極力コレヲ囘避セザルベカラザルノミナラズ皇軍互ニ相撃ツガ如キハ皇國精神上眞ニ忍ビ得ザルモノアリシニ因ルナリ、然レドモ徒ニ時日ノミヲ遷延セシメテ而モ治安維持ノ確保ヲ見ザルハ洵ニ恐懼ニ堪ヘザル所ナルヲ以テ上奏ノ上 勅ヲ奉ジ現姿勢ヲ撤シ各所屬ニ復歸スベキ命令ヲ昨日傳達シタル所彼等ハ尚モコレニ聽カズ遂ニ 勅命ニ抗スルニ至レリ、事既ニ茲ニ至ル、遂ニ已ムナク武力ヲ以テ事態ノ強行解決ヲ圖ルニ決セリ、右ニ關シ不幸兵火ヲ交フル場合ニ於テモソノ範圍ハ麹町區永田町附近ノ一小地域ニ限定セラルベキヲ以テ一般民衆ハ徒ニ流言蜚語ニ迷ハサルヽコトナク努メテソノ居所ニ安定センコトヲ希望ス。

二三、同右         (避難其他注意事項)       二月二十九日
二四、同右         (用語の統一上行動隊を以後叛軍と稱す)二月二十九日

   戒嚴司令部    二月二十九日午前八時

 用語ノ統一上旗幟ヲ鮮明ニスル爲メニ以後行動隊ハ之ヲ叛軍ト稱ス

二五、同右         (兵に告ぐ、ラヂオ放送)     二月二十九日
二六、同右         (市民心得)           二月二十九日
二七、同右         (避難狀況)           二月二十九日
二八、同右         (叛乱部隊歸順鎭定狀況)     二月二十九日
二九、同右         (同右、ラヂオ放送)       二月二十九日
三〇、同右         (叛乱部隊説得狀況、ラヂオ放送) 二月二十九日

   戒嚴司令部發表    二月二十九日午前十時五十四分ラヂオニ依リ放送

 一、第一師團方面ニ於テハ叛亂軍ニ對シ戰車ヲ派遣シテ「兵士説得ノビラ」ヲ撒布セリ
 二、飛行機ヲ以テスル兵士説得ビラノ撒布ハ依然繼續シツヽアリ
 三、今朝避難ヲ命ゼラレ退去シタル者ノ財産ハ戒嚴部隊ノ進出ニ伴ヒ憲兵及警察官ヲシテ逐次保護ニ任ゼシメツヽアリ
 四、幸ニシテ只今ニ至ルマデ兵火ヲ交ヘアラズ

三一、同右         (兵士説得ビラ、四種)      二月二十九日

   戒嚴司令部    二月二十九日

    兵士説得ノビラ

     (一)

 諸士ノ指揮官は
 勅命にそむいて
 既に叛逆者の汚名を受けてゐる
 皇軍か 私兵か 順逆をわきまへよ
 歸へれ 今すぐ 我等の軍旗の下へ
                戒嚴司令部     

     (二)

 勅令に依り既に原隊に復歸したものがあるぞ
 お前等も早く歸つて來い
 今からでも遲くはない
                戒嚴司令部     

     (三)

 お前達の中から逐次 奉勅命令の御趣旨を體して原隊へ復歸するものを生じつゝある
 今からでも遲くはない、早く抵抗を止めて歸つて來い
                戒嚴司令部     

     (四)

    下士官兵ニ告グ
 一、今カラデモ遲クナイカラ原隊ヘ歸レ
 ニ、抵抗スル者ハ全部逆賊デアルカラ射殺スル
 三、オ前達ノ父母兄弟ハ國賊トナルノデ皆泣イテオルゾ
   二月二十九日       戒嚴司令部 

三二、同右         (叛亂部隊歸順狀況)       二月二十九日

   戒嚴司令部發表    二月二十九日午前十一時三十四分

 午前十時五十分首相官邸及山王ホテルニ在ル極小部隊ヲ除キ叛亂部隊ノ下士官兵ノ殆ンド全部ハ大ナル抵抗ヲナサズシテ歸順シタルヲ以テ間モナク叛亂ノ鎭定ヲ見ルニ至ルベシ

三三、同右         (國内通信禁止解除豫告)     二月二十九日
三四、同右         (市民心得)           二月二十九日
三五、同右         (叛亂軍全部鎭定)        二月二十九日   

   戒嚴司令部發表    二月二十九日午後三時

 叛亂部隊ハ午後二時頃ヲ以テ其ノ全部ノ歸順ヲ終リ茲ニ全ク鎭定ヲ見ルニ至レリ

三六、同右         (避難民歸宅許可、交通制限解除豫告)二月二十九日
三七、内閣         (首相生存、後藤内相首相臨時代理被免)二月二十九日
三八、陸軍省        (岡田首相即死發表取消)     二月二十九日
三九、内閣         (叛乱將校免官發令)       二月二十九日
四〇、同右         (同右)             二月二十九日
四一、戒嚴司令部      (告諭第三號、治安確保協力方の告諭)二月二十九日
四二、同右          非公式發表、(叛乱事件の概要) 二月二十九日
四三、陸軍大臣       (聲明、事件に對する軍の態度)  二月二十九日
四四、政府         (聲明、事件に鑑み國民の覺悟を促すもの)三月一日
四五、警視廳        (殉職警察官の氏名)       三月  一日
四六、戒嚴司令部      (叛乱軍參加軍人の措置に關するもの)三月  一日

   戒嚴司令部發表    三月一日午後四時

 一、叛亂軍ノ將校ハ二十九日其ノ本官ヲ免ゼラレタリ、右元將校中、野中四郎ハ自決シ爾余ノ大部竝ニ叛亂ニ参加シアリタル村中孝次、磯部淺一及澁川善助ハ衞戌刑務所ニ収容セラレタリ
 ニ、歸順セル下士官以下ハソレゾレ兵營ニ隔離収容セラレアリ

四七、内閣       (叛乱將校の位返上、勲等、功級、記章褫奪)三月  一日
四八、宮内省      (叛乱將校の位返上理由)       三月  二日
四九、内閣       (山本又免官發令)          三月  二日
五〇、同右       (山本元少尉位返上、勲等、記章褫奪) 三月  三日
五一、戒嚴司令部    (談、事件經過概要)         三月  四日
五二、同右       (戒嚴部隊歸還狀況)         三月  四日

   戒嚴司令部發表    三月四日

 本四日戒嚴司令官ノ指揮下ニ在リシ水戸、宇都宮、高崎及ビ松本ヨリ上京セル部隊ノ一部ハ夫々其ノ衞戌地ニ歸還セリ。

五三、同右       (山本元少尉自首に關するもの)     三月  四日
五四、勅令第二十一號  (東京陸軍々法會議特設に關する緊急勅令)三月 四日
五五、警視廳      (事件に際し警視廳の治安維持に對する方針及其の狀況)三月四日
五六、内閣       福田秘書官談(岡田首相生存の經過概要)三月  五日
五七、戒嚴司令部    (河野大尉死亡)           三月  六日
五八、同右       (叛乱参加下士官兵の所屬隊及數)   三月  六日

   戒嚴司令部發表    三月六日午後七時

 叛乱部隊ニ参加シタル下士官兵ノ總數ハ一千四百數十名ニシテ其ノ所屬左ノ如シ

   近衞歩兵第三聯隊     五十數名
   歩兵第一聯隊      四百數十名
   歩兵第三聯隊      九百數十名
   野戰重砲兵第七聯隊     十數名
 追テ之ニ相關聯シテ細部ニ亙リ掲載スルコトハ不可ニ付申添候

五九、同右       (北、西田其他民間側檢擧狀況)    三月  十日
六〇、同右       (戒嚴部隊歸還狀況)         三月 十六日

   戒嚴司令部發表    三月十六日

 戒嚴司令官の指揮下にあつた甲府および佐倉より上京せる部隊の大部は十六日夫々その衞戌地に歸還した

六一、陸軍省      (叛亂参加兵取調狀況)        三月十九日

   陸軍省發表    三月十九日

 叛亂軍ニ参加シタル兵千三百六十名ハ各々所屬隊ニ留置シ軍法會議檢察官ニ於テ取調中ナリシガ昨十八日一應ノ取調ヲ了リ千三百二十數名ハ留置ヲ解除セラレタリ

六二、戒嚴司令部    (戒嚴部隊歸還狀況)         三月十九日

   戒嚴司令部發表    第十二號

 戒嚴司令官ノ指揮下ニアリシ宇都宮、高崎、水戸、松本ヨリ上京中ノ部隊ハ本二十日各々其ノ衞戌地ニ歸還セシメラルヽコトヽナレリ
                     (午前十一時四十分) 

六三、陸軍省      (事件責任者の處分及之に伴ふ人事異動竝之に關する陸相談話)三月二十三日
六四、同右       (地方長官會議に於ける陸相口演要旨) 三月二十六日
六五、同右       (佐官以下責任者處分及之に伴ふ人事異動)三月二十八日
六六、辭令       (戒嚴司令官異動)          四月  二日
六七、戒嚴司令官    (告諭第四號、戒嚴令存續の理由)   四月  二日
六八、戒嚴司令部    (戒嚴部隊歸還狀況)         六月  三日
六九、同右       (談、戒嚴部隊歸還に際し一般民衆の配慮に對する感謝)六月三日
七〇、同右       (戒嚴部隊歸還狀況)         六月 十九日
七一、陸軍省      (事件關係者の處刑及判決理由)    七月  七日
七二、同右       (事件責任者の豫備役編入)      七月  十日
七三、同右       (香田淸貞外十四名の死刑執行)    七月 十二日
七四、勅令公布     (戒嚴解止に關する緊急勅令、勅令第一八九號、勅令第一九〇號、勅令第一九一號)七月十七日
七五、陸軍省      (第一師管の戰時警備は七月十八日解除)七月十八日         


(二・二六事件新聞発禁差止関係) 兵庫県豊岡警察署 (1936.2)

2020年08月10日 | 二・二六事件 1 内務省他

昭和十一年二月二十六日、主に警察部長より兵庫県豊岡警察署の署長宛で、その内容記録です。

内容は、主に二・二六事件関係の新聞発禁差止関係です。

〔下は、推測による一部。正確な内容は上の写真で確認して下さい。〕

     

一一七

 受信人 縣下各署長 發信人 警察部長

                受信 昭和11年2月26日午前〇時5分

           中繼取扱者 豊田 受信取扱者 亀村

    新聞記事差止ノ件

 左記事項ハ一切之ヲ新聞紙ニ載掲セザル樣二月二十六日午前七時二十五分ヲ期シ内務大臣ヨリ差止有之候条出版警察執務心得第二十四条ニ依リ此旨貴管下各有〇新聞社ニ示達相〇〇〇〇

    記

 本日東京市其他ニ於ケル軍隊ノ不穏行動並ニ之ニ関スル一切ノ事項

第一二二號

第一二三號

    新聞記事其ノ他取締リニ關スル件           

第一二四號

 受信人 県各署長       発信人 警察部長 
 受信  昭和11年2月26日 午後4時35分 

    新聞紙發禁処分方件 

 左記新聞紙ハ安寧秩序ヲ妨害スルモノト認メ法第二十三条ニ依リ本日付発禁処分ナリ執行セラレ度
  
    左記

  神戸市ニ於テ発行 又新日報二月二十七日付
  第一七九二三号デ二月二十六日夕刊
  本日午後二時ヨリ宮中ニ於テ重要御前会議開ケリシト題スル記事アルモノ

第一二五號

 受信人 縣下各署長  發信人 警察部長 
 受信  昭和11年2月26日 午後4時40分 

    新聞紙發禁処分方件 

 左記新聞紙ハ安寧秩序ヲ妨害スルモノト認メラレ法第二十三条ニ依リ本日発禁処分
  
      左記

  大阪市ニ於テ発行
  大阪関西中央新聞二月二十七日付
  二月二十六日夕刊 第三三一九号             

 第一二六號

  受信人 縣各署長  發信人 警察部長 
  受信  昭和11年2月26日 午後5時40分 

    新聞紙發禁処分方ノ件

  左記新聞紙ハ安寧秩序ヲ妨害スルノ 法第二十三条ニ依リ発禁処分

      左記

  大阪市ニ於テ発行
  大阪毎日新聞 二月二十七日付
  二月二十六日夕刊 第四六九二 

                

第一二七號

  受信 昭和11年2月26日午後6時30分                 

    新聞紙〇發禁処分〇〇〇〇件

  左記新聞紙ハあ秩序妨害トシテ新聞紙法第二十三条ニ依リ本日付発禁処分ニ付〇〇〇〇〇通牒〇也

    記

 一、岡山市〇発行
   山陽民報 二十七日付 二十六日発行夕刊 一〇九三号 (〇〇各市場〇〇 休業ト題スル記事アルモノ
 二、岡山市ニ於テノ発行
   〇〇民報 二十七日付 二十六日発行夕刊 一五一三二号 (〇〇ノ〇〇中絶)ト題スル記事アルモノ
 三、神戸日日新聞号外 二十六日付                      ト題スル記事アルモノ
 四、神戸〇新聞号外 二十六日付 大角海軍大臣〇〇専任臨時惣理ニ 親任トノ記事アルモノ

第一二九號

  受信人 縣下署長  發信人 警察部長 
  受信 昭和11年2月26日午後8時15分

    新聞紙發禁処分ニ関スル件  

 左記新聞紙ハ安寧秩序ヲ紊乱スモノトシテ法二十三条ニ依リ本日付発禁処分ニ付セラレタリ
 右通牒ス
  
       記

   神戸市発行
   神戸又新日報
   二月二十七日付二十六日付夕刊
   第一七九二三号

   (各大臣急遽参内ト題スル記事アルモノ但シ第一面ハ殆ンド白紙ノモノ
   (追〇 該事件ニ関スル〇紙等ハ治寧〇警察法十号條ニ依リ相当措置セラルベシ          

第一三二號          

  受信人 縣下署長  發信人 警察部長 
  受信  昭和11年2月26日午後十時 分

    新聞記事取締ニ関スル件

         

第一三三號    

    受信人 縣下各署長 發信人 警察部長

                 受信 昭和11年2月26日午後10時 分

    新聞記事解除方ノ件

 帝都不穏事件新聞記事差止中當局発表事項差支ナキ左通報有之候也

一、東京警備司令部左ノ如ク一般ニ對スル官廳公示

一、本日午後三時第一師團管下戰備警備下令セラル

一、戰時警備ノ目的 兵力ヲ以テ重要物件ヲ警備シ合シテ一般治安維持ス

一、目下治安維持セラル

  一般市民安堵シテ各々其ノ業從事セラル可シ

                     

第 一七號

  受信人 警察部長  發信人 豊岡署長

  受信 昭和十一年二月二十六日午後九時 分

      帝都不穏事件ニ對スル在郷軍人関係等其ノ他金融機関ノ動静ニ關スル件

 帝都不穏事件ニ對スル報道ハ株式取引停止ニ依リ管内株式店ヲ通ジテ想像的流言蜚語流布ニ付キ專ラ民心ノ安定ニツトメタル結果一抹ノフ不安〇ラ之ニ對シテ何等ノ動揺ナク一般商業、金融機関共平常通リ業務遂行サレタリ尚在郷軍人共ノ〇ノ〇勢左記ノ通リニ有之候條

 此段及報告候也

       記

一、在郷軍人関係
  本日午後鳥取聯隊区司令部ヨリ郷軍ノ〇〇流言蜚語〇慎方電話通牒アリ幹部以下極力平静ニツトメ居リ動揺ナシ
二、右翼関係
  正義團但馬支部、昭和〇〇會城崎郡支部、大本教豊岡支部共動揺ナシ〔以下略〕


『大正十一年 出版物の傾向及取締状況』 内務省警保局 (1923 .3)

2014年09月17日 | 二・二六事件 1 内務省他

 極秘 大正十一年 〔一九二二年〕 出版物の傾向及取締状況(大正十二年三月調) 内務省警保局

下は、その一部。

 第一編 最近出版物の傾向

  第一章 総説
   第一節 概論
   第二節 第一期(民本主義より各派社会主義の紹介へ)
   第三節 第二期(思想界の二分派)
   第四節 第三期(主義の宣伝)
  第二章 数字に現はれたる出版物の趨勢
   第一節 新聞紙
   第二節 単行本
  第三章 大正十一年の回顧
   第一節 概観

 本年は大体から観察すると宣伝時代であり一般的には思想界は尚混沌たる状態を持続してゐることは前述の如くである。然し突き込んで観察して見ると尚幾多の特徴や変遷が指摘し得らるゝ。
 第一に工業界の不振から労働争議が比較的少かった為め工場労働者に関する方面は稍平穏であった。然し社会主義者、労働者の経営する新聞紙雑誌は逐年増加する勢ひを示し其の言辞は往年の如く破壊的な、激越な調子はなくとも、真剣な底力のある重味を加へて来たことは事実で假令巧みに鋒芒を顕はさなくとも一般には思想が益々左傾しつゝある。彼の十月初旬大阪に於ける労働者大会は、思想的にも非常に重大な一転機を與へたものでボルシェヴィズムの憧憬や宣伝は愈々隆盛を加へた。殊にロシア革命五周年の記念は労働者間に宣伝する為め重要な役目をした。ボルシェヴィズムに付ては紹介や批評の時代は過ぎて宣伝の時代に遷って居ることが痛切に感ぜられる、彼等に反対する無政府主義的思想も劣らずに宣伝されたが将来も二派相対立して宣伝戦を継続することゝ思ふ。
 第二に特に人目を惹くに至ったのは農村問題に関する論説である。これは独り知識階級間に於て論ぜられたるに止まらず社会主義者、労働者の雑誌に最も盛んに掲載せられ、小作争議の実際運動と相俟って社会主義の宣伝は実に目覚しいものがある。
 第三には特殊部落民の解放に関する主張である。これは或は本年に於ける特徴の最も顕著なものと言ひ得るかもしれない。殊に当初単に水平線上に出でんことを主とした論調が著しく社会主義的傾向を帯び来り一般無産階級と提携して解放運動に従はんことを強調する様になって来た。
 其の他時事問題も相当に賑はった。殊に軍備縮小問題は軍閥攻撃となって思想的に論評せられ其の他内閣更迭に関する批判、長春会議、武器問題等注目すべきものであった。

   第二節 社会思想に関する問題
    第一項 中間階級問題
    第二項 農村問題
    第三項 社会主義者労働運動者の経営する新聞紙雑誌の傾向
     第一目 概論
     第二目 直接行動若くは左傾思想の主張
     第三目 軍隊警察官に対する主義の宣伝
     第四目 農村に対する主義の宣伝
     第五目 特殊部落に対する主義の宣伝 〔下は、その一部〕

 水平運動に当って唱ふる歌は大同小異のもの種々あるが、何れも激越な言詞を用ひて居る。左のものは十一年九月十七日禁止された「水平歌」と題する印刷物である。 

       
   第三節 婦人の解放と性及性欲問題
   第四節 時事問題批評
 第二編 出版物取締状況
  第一章 行政処分
   第一節 総論
   第二節 掲載差止事項

 曩に一言した如く警察取締の実際取扱として各新聞社に対し或る種の事項の掲載を予め差止めて之を警戒せしめ、之が違反ありたるとき事項の種類性質に依り禁止処分に対し若くは其の描写方法の如何に依り禁止処分に附するを例とする、大正十一年十二月現在の差止事項は左の通りである。
   一、年少犯人松山某の宮中闖入に関する事項(一部解除)
   一、良子女王殿下御婚約に関連する事項(一部解除)
   一、外交調査会の内容に関する事項
   一、朝日平吾の斬奸状に関する事項
   一、小川信雄自殺の理由並其遺言に関する事項
   一、原首相要撃に関連する事項(一部解除)
 右六件に止まるが之も当面の問題が少い為二三年前に比して激減した。

   第三節 処分件数と類別
    第一項 安全秩序紊乱に依る禁止処分
    第二項 風俗壊乱に依る禁止処分
    第三項 外国出版物の禁止件数
    第四項 暦守礼並雑誌の出版禁止
  第二章 司法処分
   第一節 告発件数及類別
   第二節 発行禁止

 新聞紙法第四十三條により新聞紙を発行禁止処分に附せられたるものは大正五年以降皆無である。参考の為め従来の分を掲記して見ると左表の通りである。

 

 明治四十年以降発行禁止新聞名

 府縣別 題名 発行年月 掲載事項 犯罪種別 発行禁止年月日

 東京  平民新聞   四十年三月二十七日 暗ニ貧弱者ノタメ暴動ヲ扇動シ之ヲ実行スルニ当リテハ父母ニ背クモ顧慮スベカラズトノ記事 安寧 明治四十年四月十三日
 同   東京社会新聞 四十一年七月廿五日 日本社会主義者ガ僅カニ二十五年ニ三十八名牢獄ニ入リタルハ即チ革命ノ進行ニシテ労働者ノ為メニ祝スルトノ記事
 同   民報     四十一年十月十日  社会主義ヲ鼓吹シ現今ノ政府ヲ顛覆シ共和政体建設ヲ主張スル危言ヲ掲載ス 同 明治四十二年三月二十七日
 熊本  熊本評論   四十一年八月五日  兵役納税法律等服従ノ義務ハ社会民衆ニ大害アルニ付速ニ廃減ヲ欲スルト記載シ且ツ無政府共産制度ヲ主張シ神田錦輝館ニ於ケル社会主義者ノ暴動ヲ曲疵スル記事 同 明治四十一年十月十日
 東京  河南     四十一年十二月二十八日 支那十八省ヲ連ネテ独立シ悪劣政府ヲ摧滅シテ自由ノ幸福ヲ求ムルノ記事 同 明治四十二年二月十日
 大阪  滑稽新聞   四十一年八月二十日 現今政府ノ官吏ニ対スル不穏ノ記事 同 明治四十二年三月十六日
 東京  滑稽界    四十二年四月一日  卑猥ナル図画及記事
 同   世界婦人   四十二年七月五日  現代組織ヲ破壊シ共産主義を鼓吹ス 同 明治四十三年三月廿五日
 同   東京     四十三年五月八日  役者買貴婦人征伐 風俗 明治四十四年二月七日
 長崎  長崎新聞   四十三年六月八日  昔ノ女今ノ女 皇室尊厳冒瀆 明治四十四年二月廿四日
 北海道 北海新聞   自四十三年七月廿四日 至八月廿日 昔ノ女今ノ女 皇室尊厳冒瀆 明治四十四年二月廿四日
 東京  萬歳新聞   四十四年五月卅日  衛生問題及読者くらぶ欄 風俗 明治四十五年二月二十六日
 大阪  阪南新聞   大正二年六月廿五日 「母ヲ姦シ妹ヲ姦セル医者」「鷹倉藤平妻お豐ノ方」 同 大正二年七月十二日
 東京  二六新報   三年一月三十一日  「姦通事件」斬ルベシ奸臣ノ道 安寧 大正三年六月廿九日
 大阪  大阪日報   三年六月十八日 同十九日 「女性帝国藤原ノ娘」 皇室尊厳冒瀆
 兵庫  名城新聞   三年九月十七日   「戦争廃滅論」「愛国心」「寒心スベキ社会問題」 安寧 大正四年二月四日
 山形  山形サンデー 四年三月七日    「談るも涙聞くもあはれな芸者シゲ子の半生」ト題スル孝道破壊ノ記事 風俗 大正四年五月十四日
 大阪  大阪繪入新聞 四年十一月廿六日  曽根崎艶話 紅梅ノ蕾 同 大正五年五月十七日   
  
 附録 
     大正十一年中発売頒布禁止処分に附せられたる新聞雑誌名 


『昭和十年中に於ける 出版警察概観』 内務省警保局 

2012年09月09日 | 二・二六事件 1 内務省他

 表紙には、「秘 昭和十年 〔一九三五年〕 中に於ける 出版警察概観 内務省警保局 」とある。21センチ、目次6頁・口絵11頁・本文657頁。

 口絵

 昭和十年中に発行された主要新聞紙雑誌

  右翼新聞紙、右翼理論雑誌〔下の写真〕、左翼新聞紙、左翼理論雑誌、文芸雑誌(左翼)、文芸雑誌(普通)、風俗雑誌

  

 第一編 出版物の発行状況
 第二編 出版物の内容概況

  第一章 内地出版物の取締状況
   第一節 行政処分
    第一項 発売頒布の禁止部分
     三 安寧秩序
       (イ)一般安寧
         一、概説

 次は、陸軍大尉村中孝次、陸軍一等主計磯部淺一の両名により発行頒布せられ八月十六日附禁止処分になつた「粛軍意見書」を一契機とし、真崎大将の教育総監更迭問題を繞つての軍部の統制問題は永田軍務局長の殺害事件によつて其の頂点に達し、出版界又之を反映し陸軍部内に於ける党派関係の対立、抗争の事情を揣摩臆測し、暴露的記述を為す新聞紙や、雑誌、さては所謂十銭パンフレット宣伝印刷物類の氾濫的の発行頒布を見るに至り、従つて此等出版物の禁止処分も多数の件数を挙示したのである。

         五、単行本
          二、右翼系単行本

 本年中の処分状況に関して稍々注目されるのは、軍部に関連する事項を取扱つたものが八件の多数に止つたことである。就中陸軍歩兵大尉村中孝次、陸軍一等主計磯部浅一の両名の署名に係る「粛軍に関する意見書」と題するパンフレットは本年八月十二日陸軍省に於て勃発した永田軍務局長殺害事件に重大なる影響を及ぼしたとも言はれるもので、軍部関係に於ては可なりの衝動を與へたものである。而して之が禁止理由を見ると、皇軍部内に於ける派閥の抗争を云為し、延て軍の統制を撹乱し又は社会不安を惹起するものと認められたに因るものである。

 

六、宣伝印刷物
          二、右翼関係
           
           一、昭和十年中禁止セラレタル不穏文書調
            一、真崎教育総監更迭前ノモノ 〔下の写真〕
            二、真崎教育総監更迭事件ニ関スルモノ 〔下の写真は、その一部〕

   

   第四節 右翼系新聞雑誌

 大眼目 
 
  昭和十一年十一月二十三日創刊 月一回
  北一輝、福井幸を中心として西田税、村中孝次、磯部淺一、中村義明等之に関係し、專ら軍部内の派閥の対立あるが如く論じ而して一方を極度に論難攻撃して却つて軍の統制を紊り且直接活動を煽動する記事を掲載してゐる。

 第三編 出版物の取締状況
 第四篇 蓄音機レコードの発行及取締状況
  第一章 概説

 本年中各製作所に於て発行したるレコードの新譜種類数の統計に付て見るに、発行総数は一二、二一〇種(枚数にして九、八四七枚)の多さに達して居り、之を曲目の種類別に分類して発行数の順位を示せば、
  第一位 流行歌民謡      三、九八三種(二、一六六枚)
  第二位 洋楽         二、四六七種(一、七六七枚)
  第三位 邦楽(浪曲ヲ含ム)  一、六八二種(二、六一三枚)
  第四位 唱歌、童謡、童話   一、二四四種(六七六枚)
   (以下略)(詳細は曲種別発行状況表参照)
 となつて居り発行部数の主要なる部分を占めて居る。

  第二章 発行状況

 昭和十年十二月末現在の調査に依るレコード製作所数並所在地は、東京に四箇所、愛知に一箇所、神奈川、奈良、京都、大阪、兵庫の各府県に夫々二箇所宛合計三府四県下に十五箇所である。而して之等製作所は製作と発行とを兼るものであるが、定期新譜を発行し若は引続き随時に新譜を発行する発行所の中には製作所を有せざるものも相当数あり、之等を合して全国に於けるレコードの発行所数を本年末に於て四十三箇所となつて居る。現在発行されて居るレコードの種類数(名称を異にするもの)は東京に於て発行さるる三十二種を筆頭に全国的には百五種の多きに達して居る。
 次に各製作所は自家製品を発行する外、上述の製作所を有せざる発行者の依嘱製作を為す向多く、之等発行所と製作所との関係も、大阪所在の発行者が東京の製作所を利用し又は反対に東京の発行者が大阪所在の製作所の製品を発行するといふ如く、製作所々在地府県相互に錯綜して居り、一発行所の発行する「レコード」の種類数も少きは二種より多きは十数種に及んで居る。
 レコードの大きさは普通十吋盤が多く、洋楽物には十二吋盤、価格の低廉なるものには八吋、七吋、六吋等小型盤があり、価格は十吋盤普通品一円五十銭又は一円程度のもので低廉なるものには五十錢乃至三枚一円といふ程度のものもある。十二吋盤は二円五十銭より七円位迄、特に高価なものとしては一枚の価九円に及ぶものもある。この外紙製の特殊レコードには一枚十錢乃至三十錢程度の廉価品もあり、価格の相違は貼付のレーベルの色分け或は番号の桁数に依つて表示してある。
 発行状況は、製作所々在地域別表、(総括表及内訳表)製作所別レコード名一覧表、納付枚数並曲種別表に分け表示することとした。

  

  第三章 取締状況

  

 第五編 予約出版物の発行及取締状況


「陸軍大学校卒業者名簿 其一」 (1922.11)

2012年09月05日 | 二・二六事件 1 内務省他

 

「陸軍大学校卒業者名簿 其一 大正十一年十一月一日調」とある。縦47センチ・横65センチ、片面刷り、1枚。
「第一期 (明治十八年 十名)」から「第二十三期 (明治四十四年 五十二名)」までの名簿である。(上の写真は、絵葉書のもの)

 下は、その抜粋である。

 

 現在者ハ死亡当事ノ官等、事故、卒業当時ノ官等、氏名、族称 

 第一期 (明治 十八年  十名)

  中将  病死  歩大尉  東條英教  東京、士  
  大将  ※   騎中尉  秋山好古  愛媛、士 ※鉛筆書き、「予備」
  中将  後備  歩中尉  長岡外史  山口、士  

 第二期 (明治十九年  九名)

 第三期 (明治二十年  七名)

 第四期 (明治二十一年  十三名)

  
  大将  ※   歩中尉  大井成元  山口、華  ※鉛筆書き、「予備」

 第五期 (明治二十二年  十名)

 
  
  大将  病死  歩中尉  明石元二郎 福岡、華
  大将  ※   歩中尉   立花小一郎 福岡、士  ※鉛筆書き、「予備」 

 第六期 (明治二十三年 十二名)

  
  
  大将  病死  歩中尉  宇都宮太郎  佐賀、士

 第七期 (明治二十四年 九名)
       

 第八期 (明治二十五年 十七名)

  
  大将      歩中尉  田中義一   山口、華  
  大将      歩中尉  山梨半造   東京

 第九期 (明治二十六年 十四名)

 第十期 (明治二十九年 十七名)

 第十一期(明治三十年 十四名)

 第十二期(明治三十一年 十七名)

  中将      歩大尉  白川義則  愛媛、士

 第十三期(明治三十二年 四十一名)

  中将      歩中尉  武藤信義  東京

 第十四期(明治三十三年 三十九名)

  中将      砲大尉  坂西利八郎 東京、士
  中将      歩大尉  宇垣一成  岡山

 第十五期(明治三十四年 四十名)

 第十六期(明治三十五年 四十四名)

  中将      歩大尉  邦彦王   皇族

 第十七期(明治三十六年 四十五名)

  少将      歩大尉  南次郎   大分、士
  少将      歩中尉  渡邊錠太郎 愛知
  少将      歩中尉  林銑十郎  石川、士

 第十八期(明治三十九年 三十四名)

  歩大佐     歩大尉  松井石根  愛知

 第十九期(明治四十年 三十三名)

  少将      砲大尉   阿部信行  石川、士
  少将      歩大尉   本庄繁   兵庫
  少将      歩大尉   眞崎甚三郎 佐賀
  歩大佐     歩大尉  荒木貞夫  東京、士

 第二十期(明治四十一年 三十八名)

  歩大佐     歩大尉  川島義之  愛媛、士

 第二十一期(明治四十二年 五十五名)

  歩大佐     歩大尉  香椎浩平  福岡、士
  歩中佐     歩大尉  古荘幹郎  熊本、士
  騎中佐     騎大尉  建川美次  新潟

 第二十二期(明治四十三年 五十一名)

  少将  薨去  騎大尉  恒久王   皇族
  歩大佐     歩大尉  杉山元   福岡
  砲大佐     砲大尉  畑俊六   東京、士
  歩大佐     歩大尉  小磯國昭  山形、士                                       

 第二十三期(明治四十四年 五十二名)

  歩中佐     歩中尉  梅津美次郎 大分
  歩少佐     歩中尉  永田鐵山  東京、士
  歩少佐     歩中尉  小畑敏四郎 東京、華

 


『不穏文書調』 (内務省) (1936)

2011年10月20日 | 二・二六事件 1 内務省他

 表紙には、「自昭和七年 至昭和九年 間頒布セラレタル不穏文書調」とある。左上に「秘」の角印がある。右下の印には、「貴族院 委員課受付 11.5.25 〔一九三六年:昭和十一年五月二十五日〕」などとある。26センチ。
 下は、その記載の一部である。

 昭和七年中
        発行地 題名 発行日附 禁止月日 摘要

  東京 日本国民に檄す!  五月十五日 五月十五日 陸海軍青年将校農民同志

     計三十九件

 昭和八年中

  不明 非国難非非常時   /     五月十九日 発行者不明

      二十六件

 昭和九年中

  不明 皇軍将校に告ぐ   /     七月二十六日 発行者不明
      二十三件

  

 表紙には、「昭和十年以降頒布セラレタル不穏文書調」とある。左上に「秘」の角印がある。右下の印には、「貴族院 委員課受付 11.5.25 〔一九三六年:昭和十一年五月二十五日〕」などとある。26センチ。
 下は、その記載の一部である。

 一、昭和十年以降頒布セラレタル不穏文書調

  番号 件名                期間                 件数
                                           届出 無届   計

  一、真崎教育総監更迭前ノモノ       一〇、七、一五前            二   二二   二四
  二、真崎教育総監更迭事件ニ関スルモノ  自一〇、七、一六 至一〇、 八、一一   〇    九    九
  三、永田軍務局長事件ニ関スルモノ    自一〇、八、一二 至一〇、一一、二七   〇   一九   一九
  四、相沢中佐公判ニ関スルモノ      自一〇、二、二八 至一一、 二、二五   三   一六   一九
  五、二、二六事件ニ関スルモノ      自一一、二、二六 至現在         〇   三〇   三〇
  六、天皇機関説又ハ重臣ブロック排撃ニ関スルモノ  自一〇、一、一 至現在     〇   二〇   二〇
  七、左翼関係ノモノ           自一〇、一、一  至現在         一   七七   七八
  八、其ノ他               自一〇、一、一  至現在         一   一二   一三
         計                                 七  二〇五  二一二

 一、真崎教育総監更迭前ノモノ

  番号 題名 納本又ハ届出ノ有無 発行責任者ノ住所氏名記載ノ有無 印刷形式 内容ノ概略

  24、粛軍ニ関スル意見書 ナシ ナシ パンフレット 謄写 前記二三ノ粛軍ニ関スル意見書ノ要点ノミ抜粋記述セルモノ

   

 表紙には、「不穏文書ノ實例(二)」とある。左上に「秘」の角印がある。右下の印には、「貴族院 委員課受付 11.5.25 〔一九三六年:昭和十一年五月二十五日〕」などとある。26センチ、13頁。
 下は、その記載の一部である。

   永田中将殺害事件ノ原因トシテ陸軍当局ヨリ発表(判決理由ノ要旨)サレタル怪文書ノ内容

         目次

  (一)教育総監更迭事情要点
  (二)軍閥重臣閥の大逆不逞

  〔例一〕教育総監更迭事情要点 一、発行責任者ノ氏名住所記載ナシ 二、納本ナシ 昭和九年七月十六日発行

        軍部方面又ハ右翼団体方面ニ頒布セラレタルモノノ如シ

    (内容)
         教育総監更迭事情要点

   一、七月十六日夕刊によつて「陸軍大異動断行に先づ教育総監を更迭」「陸相部内統制の勇断」を「突然けふ異動の発令」として報ぜられた。真崎大将を目して「人事異動全般に真向から反対」し、「部内に於て朋党比周」して軍の統制を撹乱する巨魁であると宣伝する一方、空前の大英断」「部内外頗る好評」等々盛んに宣伝謀略を以て自画自讃に努めてゐる。
   〔以下省略〕


『国防の本義と其強化の提唱』 陸軍省新聞班 (1934.10)

2011年10月03日 | 二・二六事件 1 内務省他

 表紙には、「国防の本義と其強化の提唱 昭和九年拾月拾日 陸軍省新聞班」とある。18.6センチ、57頁、付図2枚。

 本篇は「躍進の日本と列強の重圧」の姉妹篇として、国防の本義を明かにし其強化を提唱し、以て非常時局に対する覚悟を促さんが為め配布するものである。

 国防の本義と其強化の提唱

    目次

 一、国防観念の再検討

   たたかひは創造の父、文化の母である。
   試練の個人に於ける、競争の国家に於ける、斉しく夫々の生命の生成発展、文化創造の動機であり刺戟である。
   茲に謂ふたたかひは人々相剋し、国々相食む、容赦なき兇兵乃至暴殄ではない。
   此の意味のたたかひは覇道、野望に伴ふ必然の帰結であり、万有に声明を認め、其の限りなき生成化育に参じ、発展向上に與ることを天與の使命と確信する我が民族、我が国家の断じて取らぬ所である。
   此の正義の追求、創造の努力を妨げんとする野望、覇道の障碍を駕御、馴致して遂に柔和忍辱の和魂に化成し、蕩々坦々の皇道に合体せしむることが、皇国に與へられた使命であり、皇軍の負担すべき重責である。
   たたかひをして此の域にまで導かしむるもの、これ即ち我が国防の使命である。
   
   〔以下省略〕

 二、国防力構成の要素
  其一 人的要素
  其二 自然要素
  其三 混合要素
 三、現下の国際情勢と我が国防
 四、国防国策強化の提唱
  其一 国防の組織
  其二 国防と国内問題
  其三 国防と思想
  其四 国防と経済
 五、国民の覚悟

 なお、このパンフレットには次の紙片・葉書が挟まれていた。

  小冊子利用に関する注意
                陸軍省軍事調査部新聞班

 一、本省小冊子は、毎回数万部を印刷し相当広く配布しつゝあるも、尚ほ暫く江湖の要求に応じ得ざるを遺憾とす。最近各方面より大量の実費配布希望せらるゝ向多きを以て、大量希望者に対しては、実費を以て配布することゝ致したるに付、挿入の葉書に記載の上申込まれ度。
 二、小冊子の内容を新聞又は雑誌等に転載を希望せらるゝ向は、一応陸軍省新聞班に申出られ度。