昭和20年11月広島。原爆焦土の復興は遅く、焼け野原は寒々と広がっていた。
11月29日気象台会議室で原爆調査の報告会が開かれた。この報告会は台長や技術主任らが、なぜ日常業務の一部を犠牲にしてまでもあちこち出歩いて調査に没頭していたかを無言のうちに説明していた。
若い台員の中には上級者の不在について面白くない空気が流れていた。しかしこの日、原爆災害調査の報告会が終わるとそうした空気は払拭されていた
ところが、中央気象台からの連絡によると、GHQが日本による原爆研究の国民への発表は許可しないという方針を明らかにした。
これより先、すでに9月19日にはGHQから「連合国に不利益となるような報道」を禁止したプレスコードが指令され、原爆に関する報道も影を潜めていた。そこへさらに学術的なものでも発表を禁止する命令が出されたのだった。
広島の気象台でまとめられた原爆災害の調査報告がいつ日の目を見られるのか、全くわからない状態になった