観音経には、「多分」「だろう」とぼかした言葉はなく、みな絶対肯定の言葉で結ばれている。それもとても神秘的、奇跡的な事柄を無雑作にはっきり断言している
観音菩薩の名を唱える人は、大火の中に入っても、火も焼くことができないとか、刀で害されようとする時に観音菩薩の名を唱えるならば、振り下ろされた刀は粉々に折れてしまうことが断言されている
観音経の文を、文字通り信じられる人は、どんなに心強さと痛快さをかんじられることでしょう。
物・心一如は仏教二千年前からの道理である。物・心一如ということは、人間も自然もひっくるめて宇宙の存在、一つの生命体だということです
場合によっては精神を物質に融通し、物質を精神化する可能性を認めるのですから、この原理からは経文における奇跡わ神秘も格別不思議なことでもありません
観音菩薩が雨となって現れたら、火は消え、観音菩薩が落電となって落ちたら、刀は折れるに違いありません
仏教の真理は、神秘や奇跡とは関係なく、方便として神秘や奇跡はあってよし、なくても差し支えなく、要はそれらを超越しているのです