法然聖人は幼少に比叡山にのぼり十七歳で八宗を極め大意を得たり。智は日月に等しく、徳は師を越えたり
しかしまだまだ出離の趣に迷い涅槃の意味をわきまえず、ゆえに遍くことごとく深く遠く思案し、遂に諸経をなげうち、専ら念仏を修す。その上、霊夢こうむり勢至菩薩の化身と号し、人々は善導の再誕と仰ぎ、十方の人々頭をたれ歩を運ぶ
このように、かたじけなくも釈尊の教えを疎かにして、弥陀の文を唱え、先師をそしり、聖人をののしる。昔より今にいたるまでこのような悪言まだ見ず。罪業至って重し
釈尊説法の一代五時にて権教・実教を弁ずる。曇鸞・道綽・善導は権教に就いて実を忘れ、未だに仏教の淵底を探らざる者なり
法然はその流れを汲み、仏教の源を知らず。大乗経六百三十七部二千八百八十三巻並びに一切の諸仏菩薩・諸天を【捨閉閣抛】の字を置いて、一切衆生の心を薄める。これ全く仏教の説に見ず妄語である
人皆この妄語を信じ、彼の選択を撰ぶ。ゆえに浄土三経をあがめて、それ以外の諸経をなげうち、極楽の一仏を仰ぎ諸仏を忘れる
誠にこれ諸仏諸経の怨敵
聖僧衆生の怨敵なり
近年の災難。しるし前に顕れ災い後に至る
慈覚大師の入唐巡礼記にいわく
「唐の武宗皇帝時代、会昌元年、鏡霜法師は諸寺にて阿弥陀念仏の教を伝え、弘まる
翌二年回骨国の軍兵唐の境を侵す
翌三年河北の節度使乱を起こす
その後回骨国重ねて地を奪う
兵乱代に災火も起こる
武宗、(弥陀念仏以外の)仏法を破り多くの寺塔を滅する。ゆえに乱を修めることできず、、遂にもって事起こる」
これを思うと、法然は後鳥羽天皇時代の者なり。後鳥羽天皇の事既に眼前に在り。然れば則ち唐に例を残し、我が朝廷に証を顕す
疑うことなかれ
怪しむことなかれ
凶を捨てて善に帰し
凶の源を塞ぎ根を断つべし