るるの日記

なんでも書きます

石橋信夫流派・樋口武男の経営の心得【6つの判断基準に照らし、いずれにも合っているとみたら、果敢に行動せよ】

2021-12-23 15:05:38 | 日記
■6つの判断基準に照らし、いずれにも合っているとみたら、果敢に行動すべし

★お客さまにとって良いことか

★会社にとって良いことか

★社員にとって良いことか

★株主にとって良いことか

★社会にとって良いことか

★将来にわたって良いことか

大和ハウス工業会長樋口武男・石橋オーナーは言っていた「いつかゼネコンを使う側に回りたい」→2013年中堅ゼネコンのフジタを買収

2021-12-23 14:55:09 | 日記
■草創期の大和ハウス工業は、大手ゼネコンの下請けの仕事をしたこともある。「いつかゼネコンを使う側に回りたい」と石橋オーナーは言っていた。その思いをバネに私たちは一丸となって努力した

■2013年3月期、大和ハウス工業の売上高の公表数値は1兆9700億だった。それを上回る売上高2兆円を目指している。売上高でも株価でも、大手ゼネコンを上回った

■成長の過程で合併・買収案件が数多く持ち込まれた。住宅メーカーを買収する構想もあったが断った。創業者が同じ大和ハウス工業と大和団地の合併でも大変だった。競業企業との合併はもっとも難しい。ジャイアンツの長島選手と王選手がライバルとして競うことでチームは活性化したように、好敵手の存在が私たちをより強くしてくれる
競争相手の買収は、決して正解ではない

■2012円8月
中堅ゼネコンのフジタの買収を決めた。買収額は500億円。資産査定をしっかり行い、そこから半年で一気に話をまとめ、2013年1月、フジタは大和ハウスグループの一員となった。経営はスピードだ

フジタは海外事業の売上高が400億円あり、鹿島などのスーパーゼネコンに次いで多い

大和ハウスグループは、売上高10兆円という目標を達成するため、海外案件に力をいれている。2011年から手を組める相手を探しており、東南アジアで豊富な実績を持つフジタは理想的なパートナーと考えた(現地の政治体制、経済環境、人脈などに通じている)

■大和ハウス工業が手掛ける合併・買収は、石橋オーナーが定めたやり方に従って進む。オーナーは苦労して企業を発展させた人。「札束で横っ面を叩くような買収は大嫌いや」という言葉が胸に刻みこまれている
資金力にモノを言わせるような買収は、オーナーが固く禁じられている
winwinの関係が構築できる場合にだけ動く

大和ハウス工業・スピードこそ最大のサービス【被災地での仮設住宅建設】

2021-12-23 14:15:00 | 日記
■2011年3月11日午後2時46分
東日本大震災

阪神・淡路大震災の経験を生かし、全社組織内が即座に動き始めた
午後3時、災害対策本部を設置
社員の安否確認と現状把握、今後の対策を練る

■12日
これから要請があいつぐであろう仮設住宅を建てるため、「DASHプロジェクト」立ち上げ

■14日
被災地には一刻も早く仮設住宅を建設しなくてはならない。私(大和ハウス工業会長)は住友林業会長、積水ハウス会長、三井ホーム会長たちとともに、大畠章宏国土交通相に時間をとっていただいた

国交相は「2ヵ月で3万戸を建ててほしい」と切り出したが、大混乱の中、必要戸数は膨らみ、誰も正確な数字を読みきれぬまま、見切り発車で6万2000戸の資材を手当てした

【しかし、仮設住宅の建設用地が足りなかった。仮設住宅完成を待たず民間賃貸住宅に入居する人が出始めた。自治体が「みなし仮設」とするのを厚生労働省が認めた結果、民間賃貸への入居が進み、仮設住宅の必要戸数は約4万3000に下方修正された】
【仮設住宅の出番は多い。機動的に対応できるように、「仮設住宅用資材を、国で備蓄する仕組みをつくるように」と国交相にお願いした】

■19日
岩手県陸前高田市の市立第一中学校校庭で、最初の仮設住宅36戸を着工。着工から完成まで3週間のフルスピードで工事を進め、最終的には大和ハウスグループ全体で1万1000戸を越える仮設住宅を設置できた

被災地での大和ハウス工業の総施工物件は15万7100件。住宅が10万3682件、残りがマンション、アパート、店舗、工場、事務所などだ

■仮設住宅の一戸あたりの予算は阪神・淡路大震災の時と同じで、定められた仕様に基づいて建設する。東日本大震災の被災地は寒冷地仕様になっているが、冬になって追加の断熱工事が必要なところが出てきた。被災者のために納期に間に合わせることに全力を注いだ。スピードこそ最大のサービスだ


大和ハウス工業創業者・石橋信夫流派・樋口武男

2021-12-23 13:19:44 | 日記
★気がつくやつと、気がつかんやつがおる

★「知る」と「分かる」はまったくの別物。だから現場主義は大切

★勘が先で、理論は後

★安定成長ほど、危険なものはない

★停滞は後退

★歴史を勉強する

★21世紀は風・太陽・水の世紀だ

★スピードは企業の命

★スピードは最大のサービス

★人にも旬がある

★大きい大根を間引きする。枯れたらそれまでやからな

★一番大切なのは決断やで
(ささいなことにこだわったり、言い訳していると、決断スピードが遅くなる。決断できない)

★次に何が起きるのかを予測し、さらにその先まで見通して動くのが気配りだ

★常に一つ上の立場を意識して仕事をやれ。昇進したときに即戦力にならない
(ルルは洗い場のパートで昇進は無関係だけど、やはり常に自分の担当以外の仕事も把握したり、企業全体の仕事の流れを分かっていたら仕事って楽しく感じる。あるいは社会全体、国全体、全世界全体を把握して、今の事に集中することも楽しく感じる。一点と全体の繋がりに気づくことって面白いから)

★変化の早い時代に、役員に選任されたら2年間安泰なんて通用しない。役員の任期は2年から1年に改める

★自らの存在意義を説明できなかった部署は廃部。仕事の共通部分が多い部門は統合。部署が無くなり居場所のなくなった部長は現場。

★組織だけ変えても人を替えなかったら意味ないで。経営スピードは上がらない
役員などの顔色ばかり気にする者や、旧態依然で状況が改善しなかった支店長を一掃した

★不断の技術開発と改良を求め、商品は3年後には墓場へやれ
企業の寿命は30年。次に背負う事業をつくれ。大和ハウス工業は永遠の開発型ベンチャー企業であれ。世の中に必要とされている新技術、新商品は成長の原動力だ!



樋口武男・石橋オーナー「1回くらい赤字にしてもかまへんぞ」→特別損失2100億円を一括処理→910億円赤字→負の遺産の一掃したことで業績回復に弾みがついた

2021-12-22 16:21:34 | 日記
■2002年11月
石橋オーナーが「大和ハウス工業は創業以来、赤字になったことがない。1回くらい赤字にしてもかまへんぞ」と言った
私は耳を疑った
オーナーは尊敬する松下幸之助氏の「赤字は社会悪」という言葉を信奉し、ずっと実践してきたからだ

■大和ハウス工業の損失額。全部ウミを出すと2100億円に達すると分かった。小手先で処理していては時機を失う。2003年3月期で一括処理すると腹をくくった

■2003年2月21日、石橋オーナーが亡くなった
「社葬はするな。1日たりとも仕事を止めてほしくないんや」、生前にオーナーは言っていた

22日、オーナーの棺を納めた車は能登を出て、滋賀のロイヤルホテル、奈良、大阪の事業所、工場、研究所などを回り、創業の地である大阪市浪速区日本橋を経由し、北区の本社ビルに到着した。役員100人が整列してお迎えした

告別式の翌日、本社ビル15階のオーナーの部屋に入った。大きな遺影に向かって私は「一発でやらせてください。2度と赤字にはいたしません。必ずV字回復を成し遂げます」と報告した

■4月30日、2003年3月期の連結最終損益が910億円の赤字になると発表した
特別損失2100億円を一括処理し、創業以来初の赤字に転落した

含み損を数年に分けて処理するのは、重荷を背負い経営を続けるようなもの。配当が減り、賞与も伸びないとなれば、株主も従業員も将来の夢がもてない

5月1日
720円で始まった大和ハウス工業の株価は、714円まで値を下げた。そこで株価が反転した。前日比35円高で引け

5月2日
777円の高額をつけた
営業利益は出ている。負の遺産を一掃したことで、業績回復に弾みがつくと市場は評価してくれた