小川洋子『ことり』 松山愼介
小川洋子の作品は芥川賞受賞作『妊娠カレンダー』を読んだだけである。ある時期、芥川賞作品は読まねばならないと思っていた頃のことで、特別な記憶はない。映画『博士の愛した数式』は見ている。『妊娠カレンダー』や、『揚羽蝶が壊れる時』という初期作品は女性の生理にこだわった作品である。母体の中で胎児が成長していくという肉体感覚は、男には想像もつかない。出産の痛みも同様である。私の奥さんによると痛いのは痛いが、我慢の範囲内だということである。
しかし、我慢できないほどの痛みを感じる妊婦もあり、事故もあるが麻酔による無痛分娩がこれからの主流になっていくのではないだろうか。最近のテレビドラマで『コウノドリ』(綾野剛、大森南朋)というのがあり、「出産は奇蹟だ」というセリフを聞いて感動したことがる。
ところが、小川洋子という作家は、『妊娠カレンダー』で、このような女性の出産を、姉を通じて不気味な姿としてえがいている。姉はつわりがひどい間は、ほとんど何も食べず、つわりがなくなると制限なく食べはじめ、味覚も変化していく。出産を胎内で異常な生物が成長していくような感じでえがいている。その姉に〈わたし〉は発がん性が疑われる防カビ剤PWHに浸された、アメリカから輸入されたグレープフルーツをジャムにして食べさせる。小川洋子は年齢的にはよしもとばななより、二歳年上で、「海燕」新人文学賞は、吉本ばななの『キッチン』(一九八七)の次の年に受賞している。
小川洋子『アンネ・フランクの記憶』によると、二十六歳で新人賞をもらってから、「どうして小説を書くようになったのですか」という質問をよく受けるようになり、思いつくまま「子供の頃、嘘のお話を作って、大人たちを驚かせるのが好きだったから」、「虚構の世界を書くことで、現実の自分を冷静にとらえたかったから」と答えていた。そうしてじっくり考えてみると『アンネの日記』にいきついたという。中学一年でこの本に出会ってから、アンネの真似をして日記をつけはじめ、それが昂じて創作から小説へつながったということらしい。一九九四年にはオランダのアンネの隠れ家、アウシュヴィッツを取材している。ただし、アンネ・フランクはドイツのベルゲン・ベルゼン強制収容所でチフスで死んでいる。
この『ことり』には、小川洋子によるナチスによる理不尽な死から受けた影響がある。ポーポー語を話す小父さんの兄や、鳥の世話を生きがいにする小父さんはナチスの時代には生きられなかっただろう。このようなナチスによる迫害からヒューマニズムを書くのではなく、そこから死と生の不気味さをえがいたことが小川洋子の特色であろう。始めの小父さんの孤独死の発見と、鳥の美しい鳴き声と、鳥の大空への飛翔は、アンネの死と、魂の解放あるいは『アンネの日記』が世界に広く読まれる事になったことを思わせる。この作品は、兄弟の愛情と、鳥をめぐる美しい物語のなかに、不気味さをただよわせている。これが小川作品の特徴だろうか。
ただ、文章が小父さんの視点だけで語られているので、これは三人称小説ではなく一人称小説なのではないだろうか。それと〈小父さん〉という表記も気になった。普通は〈おじさん〉をつかうのではないだろうか。
偶然、一カ月前にアラン・パーカー監督、ニコラス・ケイジの『バーディー』(一九八四)という、鳥好きの青年がベトナム戦争で精神に異常をきたし、親友のニコラス・ケイジが看病をして、助けるという映画を見たが、小川洋子もこの映画を見て触発されたような気がする。また、大江健三郎の子供・光さんもイメージに入っているだろう。光さんは最初に鳥の鳴き声を聞きわけたという。
2018年4月14日
小川洋子の親は金光教だったという。彼女にもその影響が出ているらしいが、金光教については何もしらない。これからの課題である。
アウシュヴィッツは私も二年前位に行ったが、一度は現場を見ておいた方がいいだろう。日本からのポーランドツアーには、アウシュヴィッツが組み込まれているので、行きやすくなっている。五月で、青空がひろがっていた。ここに収容されたユダヤ人たちも、この青空を見ていたのだろうか。当時は、このアウシュヴィッツ・ビルケナウは水はけが悪く、雨が降ると湿地のようになったというが。
小川洋子の作品は芥川賞受賞作『妊娠カレンダー』を読んだだけである。ある時期、芥川賞作品は読まねばならないと思っていた頃のことで、特別な記憶はない。映画『博士の愛した数式』は見ている。『妊娠カレンダー』や、『揚羽蝶が壊れる時』という初期作品は女性の生理にこだわった作品である。母体の中で胎児が成長していくという肉体感覚は、男には想像もつかない。出産の痛みも同様である。私の奥さんによると痛いのは痛いが、我慢の範囲内だということである。
しかし、我慢できないほどの痛みを感じる妊婦もあり、事故もあるが麻酔による無痛分娩がこれからの主流になっていくのではないだろうか。最近のテレビドラマで『コウノドリ』(綾野剛、大森南朋)というのがあり、「出産は奇蹟だ」というセリフを聞いて感動したことがる。
ところが、小川洋子という作家は、『妊娠カレンダー』で、このような女性の出産を、姉を通じて不気味な姿としてえがいている。姉はつわりがひどい間は、ほとんど何も食べず、つわりがなくなると制限なく食べはじめ、味覚も変化していく。出産を胎内で異常な生物が成長していくような感じでえがいている。その姉に〈わたし〉は発がん性が疑われる防カビ剤PWHに浸された、アメリカから輸入されたグレープフルーツをジャムにして食べさせる。小川洋子は年齢的にはよしもとばななより、二歳年上で、「海燕」新人文学賞は、吉本ばななの『キッチン』(一九八七)の次の年に受賞している。
小川洋子『アンネ・フランクの記憶』によると、二十六歳で新人賞をもらってから、「どうして小説を書くようになったのですか」という質問をよく受けるようになり、思いつくまま「子供の頃、嘘のお話を作って、大人たちを驚かせるのが好きだったから」、「虚構の世界を書くことで、現実の自分を冷静にとらえたかったから」と答えていた。そうしてじっくり考えてみると『アンネの日記』にいきついたという。中学一年でこの本に出会ってから、アンネの真似をして日記をつけはじめ、それが昂じて創作から小説へつながったということらしい。一九九四年にはオランダのアンネの隠れ家、アウシュヴィッツを取材している。ただし、アンネ・フランクはドイツのベルゲン・ベルゼン強制収容所でチフスで死んでいる。
この『ことり』には、小川洋子によるナチスによる理不尽な死から受けた影響がある。ポーポー語を話す小父さんの兄や、鳥の世話を生きがいにする小父さんはナチスの時代には生きられなかっただろう。このようなナチスによる迫害からヒューマニズムを書くのではなく、そこから死と生の不気味さをえがいたことが小川洋子の特色であろう。始めの小父さんの孤独死の発見と、鳥の美しい鳴き声と、鳥の大空への飛翔は、アンネの死と、魂の解放あるいは『アンネの日記』が世界に広く読まれる事になったことを思わせる。この作品は、兄弟の愛情と、鳥をめぐる美しい物語のなかに、不気味さをただよわせている。これが小川作品の特徴だろうか。
ただ、文章が小父さんの視点だけで語られているので、これは三人称小説ではなく一人称小説なのではないだろうか。それと〈小父さん〉という表記も気になった。普通は〈おじさん〉をつかうのではないだろうか。
偶然、一カ月前にアラン・パーカー監督、ニコラス・ケイジの『バーディー』(一九八四)という、鳥好きの青年がベトナム戦争で精神に異常をきたし、親友のニコラス・ケイジが看病をして、助けるという映画を見たが、小川洋子もこの映画を見て触発されたような気がする。また、大江健三郎の子供・光さんもイメージに入っているだろう。光さんは最初に鳥の鳴き声を聞きわけたという。
2018年4月14日
小川洋子の親は金光教だったという。彼女にもその影響が出ているらしいが、金光教については何もしらない。これからの課題である。
アウシュヴィッツは私も二年前位に行ったが、一度は現場を見ておいた方がいいだろう。日本からのポーランドツアーには、アウシュヴィッツが組み込まれているので、行きやすくなっている。五月で、青空がひろがっていた。ここに収容されたユダヤ人たちも、この青空を見ていたのだろうか。当時は、このアウシュヴィッツ・ビルケナウは水はけが悪く、雨が降ると湿地のようになったというが。
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