パルコン旅行記

☆マイホーム建築への道のりとパルコンでの生活
(番外編を含む第1章~第5章)
☆寄り道日記

原因はそこ?

2009-05-20 08:59:44 | ちょっと寄り道=独り言=
 現代病なのかな?
身近に“鬱もしくは躁鬱”の人が3人かいる。
勿論それぞれ病院に通っていて、内2人は毎週定期的に診察を受けている。
「辛いから楽になりたい」という気持ちや、
「それなりに前向きな状態でいたい」ための通院だと感じる。

…でも、内1人は違う。
・病院には行く気はない(世間体?薬への恐怖?そんな気力さえない?)。
・病院に行ったとしても、医者の前で「何ともありません!」と言いきる。
・どうやら処方された薬も、飲んだふりをして廃棄している。
・「死にたい」「殺すよ」を口にする。
・暗い所に居たがり、家族にもそれを強いる。
・人との交流をさけ、外出はしない。
・被害妄想を含め、妄想が酷い。
・自分の希望通りに事が進まないと、ヒステリーになる。
・「これをやったらどうなるか?」「これをやめたらどうなるか?」
 などの判断や将来の展望を持つことが出来ない。

この症状って、どう考えても結構重症。
でも、本人を無理やり病院に連れていくわけにもいかず…。
結局、(その人の)夫が代理問診を受けて、処方箋を貰って来ている状態。
(だけど薬は、飲んだふりをして捨てている…っぽい)

…こんな場合、どうする?

私達は、「聞いたからには、なんらかの手助けを…」と思い、
まず身近な「名医」を探し、書類を(その人の)夫に送った。
ついでに「市の福祉課で相談を受け付けています」っていう案内も送った。
(これについては、広報や市報で私達以上に知っていると思うけど)

でも、(その人の)夫からの回答は、
「掛かり付けの精神科は、この地域の総合病院並みの大きな病院で、
 医局長が問診をしてくれている。
 これ以上の良い医療を受けられる事はない。
 愚痴を言ってしまい、君たちに心配を掛けたのはいけなかったと思う。
 心遣いは有難いが、妻の事は自分に任せておいてくれれば良い。」
といった内容だった。

ツレの話によれば、
「あの病院は、確かに昔からあるけれど、
 最終収容所みたいな病院だし、その種の科を検索してもヒットすらしない」
ということだった。
いわゆる昔で言うところの「柵付きの○ちがい病院」の様子。

…そりゃ、行きたくないわな…。
最近は、
小奇麗なメンタルクリニックが増えて(その分、質の悪い病院も多いらしいが)、
患者のプライドを保てる様に、工夫されているのにね…。


 で、
そんな話しを、通院中(治療中?)の知り合いに話してみた。

自身も以前は酷く病んでいた人で、
病人の気持ちはもとより、病気についてよく勉強していて知識がある。
見知らぬ人の話だから、主観が入らない状態だし、
基本「冷静沈着」な性格の持ち主で、客観的な判断が出来る人でもある。
また、おべんちゃらとか言わない直球タイプで、
色んな角度から、物事を見る事が出来る人。
付け加えるなら、その人は教員なので、
「患者(学校で言うなら子供)」を取り巻く
「(家庭を含めた)環境」まで、分析してしまう職業病の持ち主。

ま、
一個人の言う事だし、専門職ではないのだから、
その知り合いの言う事が、全て正しいとは思っていない。
でも、
日常の付き合いで、妙に納得出来る解説(?)や、
別の角度から物を観る事の出来る“能力”というものは、
類を見ないほど秀でていて、その解釈はとても興味深く、参考になる。


 一日中、そんな話(家族の鬱を打ち明けられた話)をして…、
色んな立場や角度から分析しあい…、
結論的に、私の感じている事とは全く違う結論に達した。

  “(その人の)夫が悪い!”

え~~~? 夫が悪いの~~~?
だってさ、病気の妻に振り回されて苦労しているんだよ~~~!

…と、ここまでの経緯を。
以下、相談した知り合いの解釈。

********************************
薬は飲んでいないね。
処分の仕方については分からない。
ゴミ箱か生ゴミかトイレか、もしくは貯めているか。
不思議なんだけど、こういう病気の人って、薬を入れ物に貯めて、
それを飲んで自殺を図ろうをする場合もあるんだよ。
どうして薬を拒むのか…っていうところでは、
過去に薬の副作用に悩んだりしたんだろうね。
たぶんそれなりの原因はあると思うよ。
どちらにしても、薬を含め治療を受けないと良くならないから、
このままだと治らないか悪化するかだね。

夫が妻を「主婦としては問題ないが知能が低い」と表現するのは、
表現そのものにこそ問題はあるけど、
たとえば、いい年代の大人が、あまりにも無邪気だったりすると
「この人大丈夫かな?」って思うでしょ、そういう事だよ。

夫には、自分の母親が鬱をこじらせた過去があり、
母親の闘病中、神仏に対し、
「(苦しむ母親に代わり)
『自分の命を10年削っても良いから長生きさせてくれ』と祈った」
という話(何度も連呼していた)は、
夫自信が、自分の力(病気の知識)が及ばず、
残念な結果になってしまった事への心の傷になっているのではないかな?
だからこそ、妻だけは自分の手でなんとかしてやりたい。
自分の手元へおいて、自分が治してやりたい…と思っているんだと思うよ。
この夫、自分も医者に掛かってケアして貰った方が良いよ。

病人との生活に対する苦労話や、日常生活の話、
夫婦関係や、家庭環境、そいった話を聞いていると、
「困った妻の面倒を看る、献身的なよく出来た気の毒な夫」
というものを、夫が演じたがっている様に感じる。
心理学的に、そういう行動には名称もある(聞いたけど忘れた)。
例えはよく、親が
「この子は何にも出来ないんです!」
「こんな悪いところ、あんな悪い所があって…」
「駄目な子で…私は苦労して…」
って言うんだけど、子供は全然ダメじゃないし、良い子なんだよね。
でも、親が勝手に決め付けて、悪い子だという評価を続ける。
そうすると、子供も本来の自分を失ってしまって、
自分は魔女なんだ…と思いこんでしまうんだよ。
こういうタイプの夫と一緒に暮らして居ると、
症状のひとつとして鬱が表れても、おかしくないかもね。

え?
代理問診で医者にこんな物
(“明治時代みたいな文章で、症状を記したもの)を見せているの?
ふざけているとしか思えない!
医者に理解してもらおうとするなら、もっと分かり易い文章にするべきだし失礼。
こんなものは、ただの自分の趣味としか思えない!
昭和生まれで、現代を生きている人が書く文章じゃないし、
医者も「妻よりこの夫の方がおかしいかも」と思っていると思うよ。

******************************

と、こんな感じ。

ま、一個人が言う事だから、どこまでも本気にはしていない。

でも、「一理あるかもね…」とは思った。


 結果、
愚痴なのか相談なのか、話を聞いたからには力になりたいと考えていたが、
こちらが提案する「転院や模索」を拒絶されたこともあり、

「積極的な介入は、本気で相談された時にすれば良い。
 夫を差し置いて、介入出来ないしね。
 仮に介入して、すっかり病気が治ってしまったら、夫の顔を潰してしまうし。
 身内がしっかり話し合って、それぞれがどうしたいかを決めるしかないね。
 病気でもこのまま家に居てほしい…
 子守りをしてもらいたいから、このまま居てほしい…
 とにかく病院へ通って治してほしい(勿論協力をする)…
 困っているからどこかの誰かに引き取って欲しい…
 病気を治すために入院させたい…
 ここまで来ると、患者本人の意思なんて二の次。
 病気が良くなれば良いんだから。
 本人は混乱していて、
 どうしたら良いか、どうすれば良いかなんて判断できない。
 要は、家族のしがらみをどうするか…だと思うよ。」
 
というアドバイスを貰った。

ま、一個人の言う事。

でも、世間は冷静だね…。
客観的だね…。

例え、
ものすご~~~く一生懸命に看護介護をしているつもりでも、
「あれじゃぁ駄目だ…」と判断される場合もあるんだね…。

あたしは、単純&単細胞だから、
聞いた事を即鵜呑みにしちゃうんだよね…。
特に、苦労話や感情論は。

でも、今回の打ち明け話に対しては、これだけは思い当たる。
「精神疾患の場合は、思いきって環境を変えてみるのもヨシ」
要は、しがらみから解き放たれた“静養”ね。
環境を変えたり変わったりした人が元気になった例は、自分の周りでは多い。
もちろん、多少の波はあるけれど、
一歩踏み出すことによって、最悪の状態からは脱している。

心の病は辛いから、早く良くなってほしいんだけど、
家族はどう考えているのかな…?
こういう時にこそ、
チームワークというか、本当の“絆”が試されるのかもしれない。
どちらにしても、難しい問題である事には変わりないね…。


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