パルコン旅行記

☆マイホーム建築への道のりとパルコンでの生活
(番外編を含む第1章~第5章)
☆寄り道日記

「良いよ」と言えない苦しみ

2011-05-16 06:51:29 | ちょっと寄り道=独り言=
 何度謝られても「良いよ」と言えない…。

   そんなことも許してやれないなんて、
   何て心の狭い、強情で酷い人間なんでしょう!

大人のネット社会でも、そんな風に攻撃されているのをよく見る。
でも、何かが違う…。
“言わない”のではなく、“言えない”のだ。


 幼稚園勤務をしていた頃、
子供同士の喧嘩を仲裁する時は、必ず両者を並べて、
「ごめんね…って言おうね。」
「謝られたら、許してあげようね。」
…と、やっていた。

そのほとんど場合、
やられた子は、泣きながらでも「良いよ」と許していた。
(でも、中には「絶対に許さん!」と言う子もいた

だけど…あの時、
許した多くの子供達は、どんな想いだったんだろう?
自分に非が無い中、危害を加えられ、
更に「許してあげない=意地悪な子」…的な重圧を与えられ、
逃げ場も無く、泣く泣く「良いよ」と言っていたのではないだろうか?

…そう思ったら、無言の食卓で、突然泣けて来た。

   今なら、こう言う。
   「許して貰いたいなら、
    この先、きちんと誠意を見せなさい。」
   (まぁ、幼児向きの言葉じゃないけど)


 「良いよ」と言えないのは、決して意地悪だからでは無い。
心や身体に深い傷を負った状態では、
謝罪を受け入れる事は出来ても、
何事も無かったかのように、「良いよ」とは言えない。

意地悪や報復で“言わない”のでは無く、
キズが大きすぎて“言えない”のだ。

…そう、気付いた。
…初めて、気付いた。

 何でもそうだけど、
自分がその立場にならないと分からない事が、世の中には沢山ある。
その立場や状態を知りもしないのに、倫理や理想を押し付けるなんて、
それこそ傲慢だ。


 だけど、子供達は、本当にピュアだった…。
あの涙と、グッとこらえて許した意地らしさ。
小さい体とは対照的な“人としての大きさ”を誇らしく感じると共に、
至らぬ教師を立ててくれた事に、感謝の気持ちで一杯だ。


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