郷土教育全国協議会(郷土全協)

“土着の思想と行動を!”をキャッチフレーズにした「郷土教育」の今を伝えます。

自分で判断し、行動するために

2018年03月15日 | 日記
今、話題の森友学園問題について、かつて教員をやっていた立場として「それっておかしんじゃないの?」と思うことがあるので、それを書きたいと思います。

私立小学校を作るために購入した土地や校舎に金銭的なことそして政治家とのやりとり等において、公文書偽造罪ともいえる凄まじい改ざん等、《今さら?この一年間は何だったの?》と思えるほど信じられない事態が明らかになってきています。



そんな中で、ぼくが一番《やばいなあ》と思うことは、生まれてまだ5年間ぐらいしか経っていない幼稚園児に『教育勅語を唱和』させたり、『尖閣諸島は日本の領土』と唱えさせたり『安倍首相、がんばれー』 と言わせたりする、その教育目標や教育への姿勢についてなのです。

そういう教育を受けた子どもが、20年後どんな大人になっているか想像するとちょっとこわいなあ〜と思います。

アジアの近隣諸国と仲良くしようという気持ちが無くなってし まうかもしれませんよね。




ぼくは、教員時代一番大事にしてきたことは子どもたちが《自分で判断し、行動すること》でした。

おそらく、それが教育の究極の目標だと思います。

教師は一方的に教え込むのではなく、子どもが自由に発想したり考えたりする場を提供し支援することが主たる仕事だと思います。

そうすることによって、子どもたちが自立に向けて《自分で判断し行動する》ことが可能になるのだと思います。



ぼくは教師時代、教師の《教える》という文字に違和感というか引っかかりを感じていました。

というのは、この《教》という文字は、崖の淵に子どもを立たせ、その子どもに鞭を打つという語源から来ているのですから。

ということは 、教える行為は《上から目線》というか、持てる者が持てない者に《与えてやる》ことであり、教師と子どもの間でそのような《教え込む行為》の関係が続いていく限り、子どもたちが《判断力》を獲得することはできないように思います。

子どもの《学びたい》という気持ちを喚起し、《学びの楽しさ》を支援・追求し、《学びの環境》を作ることこそが、教師に求められることではないかなあと思います。




ぼくはこの国の嘘つき政治家や欲望のまま利益・利潤追求のみに走る大企業(東京電力等)が大嫌いですが、そのこと以外では日本が好きですし、特にこの国の伝統的な文化や食や芸術(室町ルネッサンス等)や民衆音楽は、すご~く優れていると思っています。

この想 いは、当たり前のことですが誰に強制されたものではなく、自然にじわ~と湧いてきたものなのです。

どの国の人もきっと自分の国に対してそんな想いを持っているものと思います。

お互いに、その想いは尊重されるべきだと思います。







子どもたちは未来に生きていく存在です。

それ故に、《自分で判断し、行動する》ために、何ものにもそして何事にも囚われない自由な考え方と感性を育んでいかねばならないと思います。

-K.K-


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