会員の中村光夫さんは、会員によるメーリングリストに毎日「廃兵通信」を発信し続けています。
今日はある日の投稿を紹介します。(管理人)
廃兵通信―3282雨で外出できず・・・。やることが無かったので、雨の中、庭のコマツナの種取作業をして過ごした・・・。
大正時代の「コドモノクニ」に竹久夢二が「七里ガ浜」を描いた詩と絵が出ていたので、コピーして七里ガ浜の高校と小学校と幼稚園に . . . 本文を読む
雨さえ降らなければ外で遊ぶのは当たり前な時代だったが、この遊びが色々あって細かい名称を上げればきりがない。その中でもスポーツを真似した遊びは面白かった。定番の野球以外にも色々工夫してやってみた。まずは「ゴルフ」だ。クラブやゴルフボールはなかったが、野球のバットとボールが代替えした。ホールは庭の随所に掘った穴。簡単に入りそうな所から傾斜がかった所まで全部で10ホールくらいは作った。グリーンはもちろん . . . 本文を読む
秋になると必ずやって来るのは台風だ。「台風○○号」という言い方が、まるで王選手のホームランの様に感じていた。事実、年によってはどちらが多く打つ(発生する)か競争している様なこともあった。農家にとって、台風は迷惑千万どころか、襲来する時期によっては大きな被害をもたらす厄介者だ。そんなことは深く考えもしなかった私たち子どもは、台風接近の雰囲気が漂ってくると、大人とは違った意味で心が騒ぎ出し気持ちが高ぶ . . . 本文を読む
私たちが遊山講(ユサンコ)と称していた行事がありました。持ち回りで、各家に子どもたちが集まって遊んだり、食事を共にするものです。たしか年に数回、学校の長期休業に合わせて行っていたようにも思います。この行事も事前の準備から始まります。前日に当番に当たる家の子を中心に上級生が手伝いながら各自の家々を回ります。お米を集めるのです。この集め方が面白いのです。1年生は一合、2年生は二合、3年生は三合・・・と . . . 本文を読む
文科省がこの3月から始めたTwitterサイト「#教師のバトンプトジェクト」への書き込みは、当局の当初のねらいであった「働き方改革の好事例」どころか、現場教員からの悲痛とも思えるような叫びや嘆きの声だという。
それはそうだろう。少しでも学校現場に足を踏み入れた者なら、現在の学校の慌ただしさや大変さは容易に感じ取れるはずだ。
ということは、文科省当局は現実の状況を掴んでいないということになる . . . 本文を読む
24軒の家で一つの集落を形成していた私たちの地域ですが、地形的には北側の台地から一段下がった盆地風な場所に在ります。田園が広がった中央部には小川が流れ、行き着く先は坂東太郎(利根川)です。どこの家も三世代から四世代の大家族でした。農業を営む上で必要な形だったのでしょう…。因みに我が家は9人家族、子ども心にも活気を感じて育ちました。おそらく様々な刺激を家の中にいても感じていたのでしょう . . . 本文を読む
(写真はWeb上から借用)
夏休みの思い出が、やっぱり多く残っている。田舎の季節の行事は旧暦で行われている。今でもそうだが・・・。8月に入ると、私たち子どももにわかに忙しくなる。七夕とお盆が立て続けにやってくるからだ。今の子どもたちの七夕は、7月中に学校等で願い事を短冊に書いて笹竹に付ける程度だが、私たちの頃はの一大行事を子どもたちが担うのだ。8月7日が近づくと、各家々で . . . 本文を読む
田舎の子どもたちの遊びは多種多様だったが、チャンバラも忘れられない一つだ。ほとんどの家に、屋敷の裏には竹林があった。でも、友だちの家の竹林は孟宗竹が多く、チャンバラ用の刀を作るには向いていなかった。そこで、真竹の竹林を持つ我が家が、刀の材料調達からチャンバラの戦いの場としても利用された。数ある真竹の中でも、刀としてふさわしいものは容易に見つからない。うまい具合に曲がったものがあ . . . 本文を読む
夏休みは、子どもたちとって天国であるのはいつの世でも同じだ。朝から夜まで楽しいことの連続だが、今日は紙芝居の話をしよう。昼寝が終わった頃、の中心地である桜の木の下のちょっとした空き地に、自転車に乗った紙芝居のおじさんがやって来る。拍子木を叩く音に引き寄せられるように、あちこちから子どもたちが集まって来る。紙芝居そのものもテレビのない時代の子どもたちには楽しみだったが、それより楽しみなのが上演前 . . . 本文を読む
私が小学生の頃は、(当時の呼び方で、町の中のひとかたまりの地域を指す。)中の子どもたちが集まって遊ぶのが常だった。
年長者がリーダーになって、遊び方も遊びの種類も代々下の者に伝わっていた。
私の時代の男の子は、野球が遊びの中心だった。
野球といっても、当時の田舎は貧しく、グローブ等の道具が十分にそろっていたわけではない。
各自が持っているわけではなく、グローブは攻防の度 . . . 本文を読む
農村に生まれ育った私は、子どもの頃から家の手伝いをよくやった。
というか、楽しそうなことを遊びとして行っていただけだが…。
4世代9人家族の我が家は、当時では 珍しくはなかったが、親父一人の現金収入では暮らしも容易ではなかった。
基本的に食料は自給に頼っていた。
肉はめったに口にすることはなく、週に一度バイクで訪れる銚子の魚屋さんから買う旬の魚が唯一の定番だっ . . . 本文を読む
東京で「緊急事態宣言」が発令された日曜日、夕方になってから散歩を始めました。コースは自宅から南の方へ向かいました。
通称船取線沿いに南下して花輪インター辺りで京葉道路を跨ぎこし、右手に船橋競馬場を眺めながら湾岸道路(東関道)手前まで進みました。
ここでは、東関道はJR京葉線と並行しています。
それを右手に . . . 本文を読む