郷土教育全国協議会(郷土全協)の機関誌「郷土教育」は、2017年11月1日発行をもって通巻700号となりました。
そこで、1950年代からの会員であるT.Kさん(元公立中学校教員)に、今までの歴史をふりかえってもらいました。
とても、機関誌数ページでは語り尽くせない思いがあることだと思いますが、無理を言って簡単にまとめていただきました。
郷土全協66年、「郷土教育」700号
私にとって全協への思いは1950年代後半からはじまる。ときに教職について3、4年の頃からか。そのころ大田の蒲田が舞台でした。S.Hさんを通して会合に参加するなかで、よかったのはフィールド学習でした。自分の足で歩き、実際に目でみて、考え合うことが楽しかった。
また、今思って私の財産になっていったのは、書くことの獲得だったと思います。それは「郷土教育」誌とのかかわりからです。
長い歳月のここまでの歴史をふりかえれば、多くの会員、読者に支えられて、亡くなった方々をふくめて、みなさんに感謝しなければなりません。
いまこの機に全協の歴史を振り返へり(本を読んだりして)、いくつかの思いつくことを記してみます。
郷土全協の前身「むさしの児童文化研究会」の設立1951年以来、今日まで66年の郷土全協の歴史の中で私は3つの転機が在ったと考えます。
1つは、歴史教育者協議会からの分立(1957年)。2つは、民間教育団体連絡会からの脱退(1963年)。3つは、機関誌「郷土教育」の編集から発行までの自力の態勢確立(2005年)です。
1、の歴教協からの分立は、先方側が、郷土全協をして地理教育研究会になることを望んだことへの拒否でした。「郷土教育」の独自の旗を掲げたのです。
〈後から本を読んでみると、ここが大変私には魅力的です。〉
2、の民教連からの脱退は、少数意見を無視する民教連の指導性への反対表明としての退会です。全協は、民間教育研究団体の連合体の統一のためには各団体の主張の違いを明らかにし、大衆的に論議をすることの必要性を訴えるなかで、郷土全協の意見が他団体教師・父母大衆のなかにつたえらずに処理されていったことへの反対の表明としての脱退です。
〈こととき私は委員の末席にいました。〉
3、の郷土全協の自立は、みなさんの記憶に新しいこととしてあると思います。「郷土教育」の編集、印刷、発行までの自力態勢の確立です。それまでの会の財政赤字の状況を払拭するため、「郷土教育」の印刷所(Y印刷)への委託を止め、また、会費未納者を切るなど財政面を健全化し、自立した郷土教育運動・活動をすることになったのです。「郷土教育」の誌代百円は変えていません。〈印刷機はY.Kさんが私用のものを提供しました。〉
さて、最初の機関誌「郷土と教育」第1巻第1号は、郷土教育全国連絡協議会発行(1958年9月20日)です。そこから今日の「郷土教育」まで、その間「生活と教育」と誌名を変えて、今日までの「郷土教育」は通算して700号に達します。
このような経過のなかで、私がもう一つ挙げたいのは、1974年頃から郷土全協内部の意見の違いから京都熊野サークルとの対立が生じ京都側が別組織を立ち上げたのです。
〈この京都の分離は当時私としては一緒にやっていけないものかとの思いがありました。〉
このころ1974年の総会で次の「統一のための三つ原則」をうちだします。
(以下『土着の思想と行動をー桑原正雄教育論集』(郷土教育全国協議会編集1982年)296頁より引用します)
『その第一に、団体(個人を含めて)相互の間にきびしい相互批判の自由が保障されていなければならないこと。
第二に、どのような少数意見(たとえ一人の意見であっても)尊重されなくてはならないということ。
第三に、この二つの原則は人民大衆の討議への積極的な参加によって保障されなくてはならないということ。
この三つの原則は認識変革に必要な基礎条件であり、人民大衆に依拠してたたかう教育合作の具体的な内容でもあります。』
とのべています。
〈この原則は、全協のこれまでの経験から導き出されたものとして実行していくのはひじょうにきびしいものがあると私は受け止めています。〉
このへんのことは、今年の解散・総選挙をきかっけとする政党の離合集散を見るときにも考えさせられてきました。
もう一つ記録しておかなければならないことは、郷土全協の事務局をM.K宅(借家)からKさんの死後、1989年の元旦を期して現在のS.M(故人)・T夫妻の自宅へ移したことです。そして、T.Mさんには事務局「書記」の役割を果たして頂いています。ここでいま月例(毎月最終金曜日)の世話人会を開き、「郷土教育」作りもし、郷土教育運動の拠点になっています。
このような歴史を経ての郷土全協であり、その機関誌「郷土教育」700号であるのです。私はまだまだ力不足ですが、会員・読者のみなさん、その運動・活動のたたかいや話を誌上に反映してくださるようにお願いします。
(2017・10・22の投票日を前にして)
本稿は郷土教育全国協議会の機関誌「郷土教育700号」の中から一部を抜粋しました。すべてをご覧になりたい方、または会員や定期購読を希望される方は下記連絡先へお問い合わせください。尚、「郷土教育(B5版16ページ)」は、送料込1部200円です。
〒143-0025 東京都大田区南馬込6-20-3 郷土教育全国協議会
TEL・Fax:03-3774-2072
そこで、1950年代からの会員であるT.Kさん(元公立中学校教員)に、今までの歴史をふりかえってもらいました。
とても、機関誌数ページでは語り尽くせない思いがあることだと思いますが、無理を言って簡単にまとめていただきました。
郷土全協66年、「郷土教育」700号
私にとって全協への思いは1950年代後半からはじまる。ときに教職について3、4年の頃からか。そのころ大田の蒲田が舞台でした。S.Hさんを通して会合に参加するなかで、よかったのはフィールド学習でした。自分の足で歩き、実際に目でみて、考え合うことが楽しかった。
また、今思って私の財産になっていったのは、書くことの獲得だったと思います。それは「郷土教育」誌とのかかわりからです。
長い歳月のここまでの歴史をふりかえれば、多くの会員、読者に支えられて、亡くなった方々をふくめて、みなさんに感謝しなければなりません。
いまこの機に全協の歴史を振り返へり(本を読んだりして)、いくつかの思いつくことを記してみます。
郷土全協の前身「むさしの児童文化研究会」の設立1951年以来、今日まで66年の郷土全協の歴史の中で私は3つの転機が在ったと考えます。
1つは、歴史教育者協議会からの分立(1957年)。2つは、民間教育団体連絡会からの脱退(1963年)。3つは、機関誌「郷土教育」の編集から発行までの自力の態勢確立(2005年)です。
1、の歴教協からの分立は、先方側が、郷土全協をして地理教育研究会になることを望んだことへの拒否でした。「郷土教育」の独自の旗を掲げたのです。
〈後から本を読んでみると、ここが大変私には魅力的です。〉
2、の民教連からの脱退は、少数意見を無視する民教連の指導性への反対表明としての退会です。全協は、民間教育研究団体の連合体の統一のためには各団体の主張の違いを明らかにし、大衆的に論議をすることの必要性を訴えるなかで、郷土全協の意見が他団体教師・父母大衆のなかにつたえらずに処理されていったことへの反対の表明としての脱退です。
〈こととき私は委員の末席にいました。〉
3、の郷土全協の自立は、みなさんの記憶に新しいこととしてあると思います。「郷土教育」の編集、印刷、発行までの自力態勢の確立です。それまでの会の財政赤字の状況を払拭するため、「郷土教育」の印刷所(Y印刷)への委託を止め、また、会費未納者を切るなど財政面を健全化し、自立した郷土教育運動・活動をすることになったのです。「郷土教育」の誌代百円は変えていません。〈印刷機はY.Kさんが私用のものを提供しました。〉
さて、最初の機関誌「郷土と教育」第1巻第1号は、郷土教育全国連絡協議会発行(1958年9月20日)です。そこから今日の「郷土教育」まで、その間「生活と教育」と誌名を変えて、今日までの「郷土教育」は通算して700号に達します。
このような経過のなかで、私がもう一つ挙げたいのは、1974年頃から郷土全協内部の意見の違いから京都熊野サークルとの対立が生じ京都側が別組織を立ち上げたのです。
〈この京都の分離は当時私としては一緒にやっていけないものかとの思いがありました。〉
このころ1974年の総会で次の「統一のための三つ原則」をうちだします。
(以下『土着の思想と行動をー桑原正雄教育論集』(郷土教育全国協議会編集1982年)296頁より引用します)
『その第一に、団体(個人を含めて)相互の間にきびしい相互批判の自由が保障されていなければならないこと。
第二に、どのような少数意見(たとえ一人の意見であっても)尊重されなくてはならないということ。
第三に、この二つの原則は人民大衆の討議への積極的な参加によって保障されなくてはならないということ。
この三つの原則は認識変革に必要な基礎条件であり、人民大衆に依拠してたたかう教育合作の具体的な内容でもあります。』
とのべています。
〈この原則は、全協のこれまでの経験から導き出されたものとして実行していくのはひじょうにきびしいものがあると私は受け止めています。〉
このへんのことは、今年の解散・総選挙をきかっけとする政党の離合集散を見るときにも考えさせられてきました。
もう一つ記録しておかなければならないことは、郷土全協の事務局をM.K宅(借家)からKさんの死後、1989年の元旦を期して現在のS.M(故人)・T夫妻の自宅へ移したことです。そして、T.Mさんには事務局「書記」の役割を果たして頂いています。ここでいま月例(毎月最終金曜日)の世話人会を開き、「郷土教育」作りもし、郷土教育運動の拠点になっています。
このような歴史を経ての郷土全協であり、その機関誌「郷土教育」700号であるのです。私はまだまだ力不足ですが、会員・読者のみなさん、その運動・活動のたたかいや話を誌上に反映してくださるようにお願いします。
(2017・10・22の投票日を前にして)
本稿は郷土教育全国協議会の機関誌「郷土教育700号」の中から一部を抜粋しました。すべてをご覧になりたい方、または会員や定期購読を希望される方は下記連絡先へお問い合わせください。尚、「郷土教育(B5版16ページ)」は、送料込1部200円です。
〒143-0025 東京都大田区南馬込6-20-3 郷土教育全国協議会
TEL・Fax:03-3774-2072
これからも開かれた、しかしちょっとは骨のある集まりでありたいと思っています。
会員・読者の皆さんからの投稿を期待しています。もちろん、初めて「郷土教育」に接しになられら皆様からも忌憚のないコメントをいただきたいと思います。
今後ともよろしくお願いいたします。