ガキ大将ぶりは中学生になってもしばらく続いた。ちょうど「帰宅部」の頃だった。勉強より何より、外遊びの習慣はそうそう簡単に止められるものではない。学校から帰るとすぐ外に出た。中学生になったのだから、もう幼稚な遊びはしない。テレビで見た陸上競技会でやっていた棒高跳びをしてみることにした。私のアイデアには仲間がみんなで協力してくれた。幸いにも、我が家と道を挟んだお隣さんの屋敷が建物を撤去した空き地になっ . . . 本文を読む
今ほど部活が盛んだったわけではないが、どこにも参加していないと放課後が暇すぎたので体育系の部活に入ろうと思った。体育系と言ってもそんなに種類があるわけではない。一番人気は陸上部と野球部、しかし、野球はスパイクやグローブやユニフォーム等にお金がかかるし陸上は走ってばかりの印象が強かった。そんなわけで、この二つはパス!それに、今だからこそ言えるが、この二つの部は「不良」っぽい連中がたむろしていて「真面 . . . 本文を読む
小学校時代の通学路は、中学になるとそのまま更に延長された。ただ、一つだけ大きく変わったことがある。それは、自転車通学になったことだ。当時、自転車は高価な品物だった。私は父から中古の自転車をあてがわれた。それは、父が懇意にしている自転車屋から格安で購入したものらしく、細身のタイヤで見た目に華奢な自転車だった。モダンな自転車なのだが、私が欲しかったのは友達が乗っているようなゴツくてがっしりしたものだっ . . . 本文を読む
集団登校として組織されていたわけではないが、集落の子どもたちは自ずと友達どうしが連れ添って登校していた。年長者は誰に言われるともなく、近所の下級生の面倒を見ていたように思う。しかし、わんぱく盛りの私たちは、ある時、集団とは離れて独自のルートで登校を試みたことがある。通常の道を通らないだけではなく、車はおろか自転車すら通れないような道なき道を進んだ。下総台地の特徴とも言うべき赤土の畑地帯が続く先には . . . 本文を読む