①「知っている。」
大勢や全体に話をするときに、「一番わかりにくい人に分かりやすく」というのは、多くの人が意識していると思います。
私は職業柄、特に意識しなくてはいけないと思います。
それにもかかわらず、そうして話していると
「(そんなことは)知っている。」
という、声を出す人がいるのです。
それも、ある特定の人に限ったことではなく、結構な数がいるのです。
個人的に言わせてもらうと、「知っている。」という言葉を発する人の中で、知らない人に対する配慮をしているのを見たことがありません。
ただ単に、自分が「知っている」という「優位性」を強調したいだけの、何とも情けない話です。
(逆に、何を訊ねても「知らない。」と人も困りものですが。)
②「していない。」
目の前で、明らかに不用意な、または危ない、または、どう見てもやりすぎでしょう、という人がいてその人に対して、注意します。
すると、最近、よく耳にするようになったのが、
「していない。」
というのです。
昔、ある親御さんが自分の子どものいじめ行為を他の人に指摘され、
「(うちの子は)していない。」
と言い張るという出来事がありました。
最近では、当事者の本人が自分自身の行為を
「していない。」
と言い張って逃げ切りをはかるようになった気がします。
「していない。」
という言葉に対して、私たちは職業柄、それ以上追及はできません。
だから、逃げ切りに成功した人もいます。
「していない。」
と言い張るのは、本人の勝手ですが、「明らかな」自分の非を「していない。」といって逃げようとするのを見て、これは、いよいよ本当に「教育崩壊」だなと思わされます。
-K.O-