④「佐倉市の勤務とムスリムの児童」
まず、10年ぶりの「転勤」ということで、12月末現在、まだまだ心身ともに、佐倉市の体制についていけてないのです。
それは「時間」が解決するものと、信じるしかないと思っています。
それはそうと、現在の学校については、5月の連休明けくらいに書いた考えと全く変わっていません。
ただ、「ムスリム」の児童とのかかわりは、自身の今後を考えても、大変有意義だったかと思っています。
食べ物に「禁忌」がある、お酒は「ご法度」、女性は厳しく守られる、等々。
今後、「生徒指導」というものにどう向き合うか、日本の「学校」がどこに向かっていくのか、そして、「イスラム教徒」が「世俗化」されるのか、されないのか、現場で見ることができるのは、自身の貴重な体験としたいと思います。
それと、何より、親が日本語と違う母語(多くはペルシャ語)を話す児童が、どのように日本語を身に着けていくのか・・・、それがわかれば、いいかなと思います。
⑤「足が瘦せることってあるんだ。」
実は「ナンバ走り」に取り組んで、20年くらい経ちます。
「ナンバ走り(歩き)」というと、江戸時代までにおける「飛脚」と呼ばれる人たちの走りであるだけでなく、「走る」ということを極めていくと、そういう走りになったということなのです。
江戸時代というのは、「平和な世の中」でしたから、誰かから「逃げるために」走るのではなく、「走る」ことも「身体の動きの修行」にすることができたのだと考えます。
「ナンバ走り(歩き)」について、私なりにいろいろ調べて、自身の足を使って、取り組んでみたところ、こんな感じです。
①左手と右足を同時にあげる。そのときに地面に着いている左足で地面を蹴る。(極端にいえば、このとき「右手」は何もしていない。)
②①を10回続ける。(はじめのうちは、左足が「びっこをひいている」感じになる。慣れてくると、着いている左足がどうなっているか、感覚的に気になる。)
③右手と左足を同時にあげる。そのときに地面に着いている足で地面を蹴る。(極端にいえば、このとき「右手」は何もしていない。)
④③を10回続ける。(はじめのうちは、右足が「びっこをひいている」感じになる。慣れてくると、着いている右足がどうなっているか、感覚的に気になる。)
⑤①から④の繰り返し。
「腿」「膝」「足首」などについても、留意点があるのですが、ともかく、①から⑤が、まずは基本的な動きだと思います。
私自身、この動きに取り組み続けて、昨年2023年の夏休みに走っていたら、一気に体が軽くなり、走るのが「軽快」に感じられるようになりました。
さらに、そこに加えたのが「スロージョギング」です。
理論的なことはさておき、私の取り組みとしては、「1分ゆっくり走り、30秒歩く」ことに尽きます。
これを30分でも、1時間でも、2時間でもひたすら繰り返すのです。
これを繰り返した結果、今年の夏以降、はくもの(スラックス、ジャージーのパンツなど)全て、足回りの太さが「細くなった」ことがわかったのです。
10月あたりに、前任校に「差し入れ」を持って行った際、私の変わりように、驚かれてしまいました。
それだけでなく、11月のある朝、近所の人からも、走っている途中で、「そんなに足が細くなって、どうかしたのですか?」と聞かれて、答えに困ってしまいました。
(「ただ、走っただけなのです。」としか言いようがないのですかですから。)
実は「ナンバ走り」に取り組んだのは、「加齢とともに、衰えていくであろう、脚力をどう維持していくか」というところからスタートしていったのです。
しかし、今は「走道(私の造語)」として、自分自身取り組み続ける限り、ずっと「終わり」のない「修行」と考えています。
(特に「修行が足りない」と思う
のは、サッカーやフットサルの審判をして「走る」とき、まだまだ意識しないと「ナンバ走り」にならないからです。)
⑥「内田 樹 氏のブログを読む日々」
前々から「日本辺境論」「街場の〇〇学」など、著書を読んだことがあって、個人的には面白く読んでいました。
しかし、夏休みに内田氏のブログに触れたとき、
「これこれ。これだよ。自分が思っていたことは。」
と、今まで、私自身が「言語化」「文章化」できなかったことの多くが、内田氏のブログの中に書かれていたのです。
内田氏のブログは1999年からはじまっており、今でも更新されています。
1999年当時から、ずっと読み始めて、わけあって、2002年から2004年のところは、いったん飛ばして2005年以降、読み進めて何とか2012年まで読みました。
内田氏の主張などが様変わりすることはなく、一貫して同じことを何度も繰り返し、述べているのですが、何度読んでも「そうだよな。」と思わされます。
それに、いったん読んだブログ記事を、何度も読み返してしまったりと・・・。でも、自身がそうなるのは、何度読んでも「そういうことだったんだ。」と感心できるからなのだと、ありがたく思っています。
内田氏は2024年末現在、存命であり、最近、すい臓がんの手術を受けられましたが、まだまだ元気とのことです。
(YOU TUBEでも、内田氏の動画はたくさんアップされています。)
-K.O-
まず、10年ぶりの「転勤」ということで、12月末現在、まだまだ心身ともに、佐倉市の体制についていけてないのです。
それは「時間」が解決するものと、信じるしかないと思っています。
それはそうと、現在の学校については、5月の連休明けくらいに書いた考えと全く変わっていません。
ただ、「ムスリム」の児童とのかかわりは、自身の今後を考えても、大変有意義だったかと思っています。
食べ物に「禁忌」がある、お酒は「ご法度」、女性は厳しく守られる、等々。
今後、「生徒指導」というものにどう向き合うか、日本の「学校」がどこに向かっていくのか、そして、「イスラム教徒」が「世俗化」されるのか、されないのか、現場で見ることができるのは、自身の貴重な体験としたいと思います。
それと、何より、親が日本語と違う母語(多くはペルシャ語)を話す児童が、どのように日本語を身に着けていくのか・・・、それがわかれば、いいかなと思います。
⑤「足が瘦せることってあるんだ。」
実は「ナンバ走り」に取り組んで、20年くらい経ちます。
「ナンバ走り(歩き)」というと、江戸時代までにおける「飛脚」と呼ばれる人たちの走りであるだけでなく、「走る」ということを極めていくと、そういう走りになったということなのです。
江戸時代というのは、「平和な世の中」でしたから、誰かから「逃げるために」走るのではなく、「走る」ことも「身体の動きの修行」にすることができたのだと考えます。
「ナンバ走り(歩き)」について、私なりにいろいろ調べて、自身の足を使って、取り組んでみたところ、こんな感じです。
①左手と右足を同時にあげる。そのときに地面に着いている左足で地面を蹴る。(極端にいえば、このとき「右手」は何もしていない。)
②①を10回続ける。(はじめのうちは、左足が「びっこをひいている」感じになる。慣れてくると、着いている左足がどうなっているか、感覚的に気になる。)
③右手と左足を同時にあげる。そのときに地面に着いている足で地面を蹴る。(極端にいえば、このとき「右手」は何もしていない。)
④③を10回続ける。(はじめのうちは、右足が「びっこをひいている」感じになる。慣れてくると、着いている右足がどうなっているか、感覚的に気になる。)
⑤①から④の繰り返し。
「腿」「膝」「足首」などについても、留意点があるのですが、ともかく、①から⑤が、まずは基本的な動きだと思います。
私自身、この動きに取り組み続けて、昨年2023年の夏休みに走っていたら、一気に体が軽くなり、走るのが「軽快」に感じられるようになりました。
さらに、そこに加えたのが「スロージョギング」です。
理論的なことはさておき、私の取り組みとしては、「1分ゆっくり走り、30秒歩く」ことに尽きます。
これを30分でも、1時間でも、2時間でもひたすら繰り返すのです。
これを繰り返した結果、今年の夏以降、はくもの(スラックス、ジャージーのパンツなど)全て、足回りの太さが「細くなった」ことがわかったのです。
10月あたりに、前任校に「差し入れ」を持って行った際、私の変わりように、驚かれてしまいました。
それだけでなく、11月のある朝、近所の人からも、走っている途中で、「そんなに足が細くなって、どうかしたのですか?」と聞かれて、答えに困ってしまいました。
(「ただ、走っただけなのです。」としか言いようがないのですかですから。)
実は「ナンバ走り」に取り組んだのは、「加齢とともに、衰えていくであろう、脚力をどう維持していくか」というところからスタートしていったのです。
しかし、今は「走道(私の造語)」として、自分自身取り組み続ける限り、ずっと「終わり」のない「修行」と考えています。
(特に「修行が足りない」と思う
のは、サッカーやフットサルの審判をして「走る」とき、まだまだ意識しないと「ナンバ走り」にならないからです。)
⑥「内田 樹 氏のブログを読む日々」
前々から「日本辺境論」「街場の〇〇学」など、著書を読んだことがあって、個人的には面白く読んでいました。
しかし、夏休みに内田氏のブログに触れたとき、
「これこれ。これだよ。自分が思っていたことは。」
と、今まで、私自身が「言語化」「文章化」できなかったことの多くが、内田氏のブログの中に書かれていたのです。
内田氏のブログは1999年からはじまっており、今でも更新されています。
1999年当時から、ずっと読み始めて、わけあって、2002年から2004年のところは、いったん飛ばして2005年以降、読み進めて何とか2012年まで読みました。
内田氏の主張などが様変わりすることはなく、一貫して同じことを何度も繰り返し、述べているのですが、何度読んでも「そうだよな。」と思わされます。
それに、いったん読んだブログ記事を、何度も読み返してしまったりと・・・。でも、自身がそうなるのは、何度読んでも「そういうことだったんだ。」と感心できるからなのだと、ありがたく思っています。
内田氏は2024年末現在、存命であり、最近、すい臓がんの手術を受けられましたが、まだまだ元気とのことです。
(YOU TUBEでも、内田氏の動画はたくさんアップされています。)
-K.O-