さんかくしかく

毎日いろいろな形になってしまうぼくのあれこれ。

クールカーペット

2015年11月20日 | 三角記事
ホットカーペットは、よい。
こたつのない部屋にあっては
最高のパートナーといえよう
すぐにねころがるくせ、ついたよ

ストーブもあるけど
まだ灯油をこうかんしてはいないんだ
こうかんしないといけない

ホットカーペット
夏用のクールカーペットなんてのは、まだない
すずしいふとんなんてのは、時々見るけどね

とける

2015年11月20日 | 三角記事
ねころぶと
からだとふとんのさかいめが
なくなってゆく
きえてゆくきょうかい

そのあと
からだが
じわじわとふとんをおかしはじめるかんしょく
ひろがってゆくからだ
自分の端などどこにもないんだってこと

全角くん

2015年11月20日 | 三角記事
以前2ちゃんねるに、全角くんというあだ名の人がいて、ごく短期間だけだったのだが、爆発的なブームになっていた。

レスの数字が全角になっていて、ちゃんとレスできていない
というところがおもしろかったのだ。
しかも、文体が小学生のようなならびだったのだ。
それで全角くんというあだ名がついた。

最近のわたし、数字は全角が好きになった。
いままでは半角か漢字でやっていたのだが。

かたがつく

2015年11月20日 | 三角記事
片付く
かたがつくまで片付ける。
昨日は文章を片付けた。

ずーっと部屋に置いてあったものだよ。
ちゃんとした紙に書いて、ノートにしておけば、てこずらずに済んだのだ。
やっぱり、ノートがいるな。
ちょっと書くだけでも、一枚、二枚とつながるだろう。
10年で一冊
なんてね、そんなノートもいいかもしれない。

群青

2015年11月20日 | 三角記事
2013年6月3日

 半年ほど前になるが、Uから一緒に場所を借りてスタジオをつくらないか、さそわれた。どこに、どのようなものになるのかは、そのときはあまり決まっていなかった。
 Uの中では、いろいろと条件があったのだろうし、彼は彫刻家だから、ものを切ったり削ったりできるような場所をのぞんでいた。
 その点ぼくはとくに場所のことについて、どのようなこだわりがあるわけでもなかった。しいてあげてば格安でさえすればよかったわけだ。
 したがってUはとても熱心に、望みどおりの場所を探してくれた。川ぞいのガレージや、仕事場近くの物件など、ひとつづつ回っていたようだ。
 守口、東郷通の工場長屋を見つけてくれたのもやはりUで、ぼくを呼んで、ようやくそこにおちつくことになった。


群青

長屋の一室を借り、アトリエにしつらえる作業をした。五年ほど空いていたという部屋にはほこりがつもり、前使用者のものであろう鉄くずが、隙間を埋めていた。
床をぬり、壁を張り、パネルや木材を運び入れた。
その作業は、しばらく絵を描いていなかったぼくにとってリハビリのようなものになった。
床をぬりながら、ふとこれは床であり、絵画ではないのだろうかと思った。
ここで絵を描くために動かされていることもなんとも言えずただただ絵画のことであって、それがすべてだった。
のくの気づかないうちに、ぼくは絵画につつまれていたようであり、それはとてもしあわせなことなのだった。
人生には意味なんてないと、まじめに感じていたときもあったが、床をぬる前からぼくを動かしてきたものは絵である。

夏になる。いささか飛ぶ虫の多すぎる部屋で絵を描き、考え、文章をかさね、色を作っている。はてない手仕事の海が広がっていて、ぼくはそれをやりつづける。

遠ざかっていた絵画の仕事が、またここから始まった。

絵画専攻

2015年11月20日 | 三角記事
2012年10月13日

絵画専攻を卒業したからなのだろう。
私はカンバスを前にして、格闘するべきなのだと考えていた。

 しかし体はつかれるし、頭ではどうも、こういうことではないのかもなあ・・・・と思うことがあった。

 そのまま、しばらくすると 手がうごかなくなった。カンバスに筆をつけるのだが、どの方向に動かしたってだめなのだった。

 じつに、じつにやさしい友だちが、私のことを気にしてくれて、あれこれアドバイスをくれたのだが、なにしろ私が「絵画専攻」ということで石頭になっている。

 私はなかなか友だちのアイデアに納得できなかった。

 やがて友人も愛想を尽かし離れていった。――あなたは本当にそれをやりたいのか?―― ということばを残して

 私はびっくりしたのだが、自分が何をしたいのか、いつのまにか、すっかり無くしてしまっていたのだった。
 そしてずいぶん腰も重くなった。
 死のうかと真剣に考えたのは初めてだったが、とにかく苦しくてしかたがない。

 私はリハビリのつもりで描く。
 窮境のささやかな突破口になってくれれば、と。

オー大阪人

2015年11月20日 | 三角記事
かかりつけのお医者さんの向かいにある薬局。
いつも、熱が出たときにはお世話になっています。

ジェネリック薬、ということばとその意味を教えてくれたのも薬局の薬剤師さんであった。

熱が出て、ジンジンの頭で処方箋を待っていると
薬剤師さんがカウンターから出てきてわたしのとなりに座り
「この処方薬なのですが・・・」
と、申しわけなさそうに言うではないか。なんだろう、薬がないのかなあ、と考えていると
「この薬と、ジェネリック薬がありますが、いかがなさいますか?」

ひかえめに、しずかにそう言った。
わたしは
「あ、え、っと、ジェ、?」
と言うのがやっとであった。ジェネリック薬を知らなかったのだ。なんだそれは。
聞くと効果は同じ、値段は半額。

こんなの迷うひまなんてないじゃないですか(笑)
大阪人のサガというか、
やっぱり安さにはかないませんって。

しかしなんて親切な薬局なのだろうか、とそのときは思った。黙って高いほうのお薬を処方することもできただろうに。
だって主治医の処方箋には、この薬! って指定されているわけだし。

その後はしっかり熱も下がった。たぶん、新しい薬と古い薬、そんなに違いはないのだ。
専門知識のないわたしとしては、病気が治るということが、なによりもまず重要なのだろう。