先日、当事務所のクライアントでもある弁護士から電話が入った。
箕島で法律相談を開催したなかで、20年前鉄骨3階建てを設計事務所を通じ建築し、建てた当初より不具合があり、雨漏れもあり、10年間は直してもらうよう業者に言ってきたが、結局直らないまま20年が経過したらしい。
「檀さん ちょっと相談に乗ってあげて欲しい」
「30分の相談時間では詳しい話は聞けなかったので、詳細は
依頼者に聞いてください」・・・とのいつもの事だった。
早速その本人に詳細を聞くべく電話をいれた。
「雨漏れがひどいんです。」
{どこから漏れているか限定できますか?}
「いたるところから 漏れています」
今、雨が漏れるので、別業者に頼み屋根を葺いているそうで、
その業者曰く、「普通では考えられない工事をしています」
との事だった。
一例を挙げれば、二階のベランダ手すりのパラペットの壁は、
ラワンベニアを貼ったままで仕上げはなされていないと言うのだ!
施工業者も施工業者だが、引渡し時にベニアだけの仕上げに
疑問を持たなかったのだろうか?
ベランダの手すりは雨に濡れ、何年かすれば当然腐る事は素人でも
予測できるはず。
多分これは極端な例で、微妙な部分では、一般のクライアントでは
判断できない部分が建築には多くある。
20年前とは言え、鉄骨3階建てともなれば何千万もかかっただろう!
それが、20年経過して弁護士に相談したと言うことは、
建築に対しての相談窓口が無いことを意味している。
自分の財産を守るため、日本人はもう少し真剣にならないといけないだろうに、何処かで「私ら 素人だから ようわからん!」と
諦めてしまっているところがあるのだろう。
依頼者 Sさんには、
「行って調査するのは問題ではないのですが、調査して問題が分かっても、20年経過した今、法律的に訴訟に有効かがわからないので、
今工事をしている業者に写真撮影だけお願いしてください」
と、S様には伝えた。
過去に、弁護士からの以来で、なん物件か調査したが、調査には費用が発生し、それが有効に使えなければ S様の無駄な出費となる。
弁護士にもその意向を伝え、
「裁判に持ち込むか、調停に持ち込むかは 先生の判断をS様に
伝えてください」・・・と。
常識では考えられない事が起こっている。
信頼して工事をお願いしたはずなのに、結果はそれには当てはまらない。
「信頼」とは一体なんだ?
見極めて初めて信頼が生まれるのではないのだろうか?
専門的には理解できないにしても、人を観る目を持たなければならない。
言葉だけを信じるのではなく、その人を見、その会社を観なければ
ならないのだろう。
S様は設計事務所がついていたはずだが、全くその役目は果たしておらず、今の結果を生み出している。
このような不具合は、今もなお生み出されている。
依頼者側が、しっかりとした目をもたないと、無駄な建物を作ってしまうことになる。