今月も原稿の締め切りがやってきた、一ヶ月の過ぎるのがこんなにも早いのかと驚く。
待つ時間は長く感じるが、追われる時間は短く感じてしまうのは皆様同じように感じていると思います。
物事には決まりがあり、一方的な決まりと、双方の納得の上での決めごとの二つに分類され、今回原稿を提出したところ、新聞社から修正案が届いた。
前回のような、削除文字はなかったのだが、読んでいくと何か自分の書いた文章とは違う!
何処かが違う?・・・と、もう一度読み直してみると、全てが 「です。」「ます。」
調で終わっている。
私は文才はもとよりあるとは思っていない、だから です、ます、調がどっちを向いていてもあまりこだわっていないが、言えることはその決まりの中に当てはめる事により、伝えたいニュアンスが変わってしまえば
その価値はない。
日本人は、・・・とまた書きたくなるのですが、・・・決まりごとを作るのが得意で、多くの決めごとを作ってしまう。
これは、日本の教育の中にあり、どこを切っても金太郎の教育方針によるところが強いと思われる。
何でそんな決めごとをと、その意味を聞いても、明確な答えが返ってこない事が多く、決めごとの中で仕事をこなすのが、楽だからとも言える。
です、ます、調で終わってしまえば、逆に読者に不快感を与えてしまう
文章も出てくるが、そこには気付かす、です。で終わり、ます。で終わっていれば納得する。
建築の世界でも 常識というものがあり、それを無視する訳にはいかないが、しかし常識と言われる決めごとを理解した上で、お客様にはその常識で縛られる事なく、それを超えた、意味のある物を作り出すのが
プロの仕事なのだろう。
文章も同じ事で、伝える側の意思があり、読む側の受け取り方がある。
しかし、言葉を統制することにより何が生まれるのだろう?
いろんな記事を並べたとき、綺麗に見えるからなのか?
新聞はあくまでも媒体として役目を果たし、企画、構成により、読みやすい配置や綺麗さは配慮しなければならないのは確かにあるだろうが、しかし、です、ます、調がそれに当てはまるとは思えず、それより大事なことは、書く側は、書く人の常識のあるモラルの中で書けばよく、読む側はその人の理解力や、好みによって読まれればそれでいいのではないか?
それを平面的な二次元の世界にはめ込んでしまうのはどうなんだろう?
言葉は二次元の世界ではなく、三次元の世界になり、四次元の世界に膨れあがらないと言葉の価値はないように思うのです。
ぼちぼち始動です!
コラム、楽しみです!
限られた文字数の中でどこまで表現できるかにかかってくるので悩むところですよね。
私なんかは、箇条書きでもいいようなストレートな文章と写真だけで行ってしまうと思います(笑)
来て下さるのが一番いいのですが、問題は来て下さるまでですもんね。
来週中には我が家もすべて片付きます!
百聞は一見にしかず。
N家はまさにコレですよね!
先生のコラム楽しみにしています♪
レスが無いのでいささか寂しさを感じていました。
実はこのコメント新聞社からのコメントかと、思って、来たか!と想い開けたのですが、いや--ぁ!よかった・・・(笑)
ブログ、なかなかいい感じで進んでいますね!
で・・こちらへのリンクも貼り付けていただきありがとうございます。
でも・・・一個URLクリックしてもリンクしないですねえ?・・・なんででしょう?
ほんとですね、リンクしなかったです、スミマセンm(__)m
先程なんとか問題解消です!
どうぞクリックしてくださいm(__)m(笑)
今後も無断で貼りつけていきますので、
ご了承下さい!
マイホームの宣伝もしていきますよ~!!
早速の修正ありがとうございます。
飛べます!飛べます!・・・飛びます!