日本人としてのアレ。

通りすがりで会ったなら、その出会いを大切にしたい

『モラルハラスメント』

2007-05-17 | 
最近、嫁さんに言われて読むことにした本。
モラルハラスメントの被害者の立場からの本でありますが
これが大変面白い、なにが面白いかと言うと、間違いなく自分はモラルハラスメンターである。
そこに気付かされたのが大変面白いのであった・・・。
この本を読む前は、そんなもんに名前をつけるからあかんのじゃい、と言う派の人間だったんだけど、読んでみて
「あ~、俺も結構重症じゃん」って思って、これについては日本の法律も含めて見直したいですね。
多分俺は、人と接するときはいつでもモラルをハラっとスメントしている様な気がする



↓それについての俺の弁解?

『ラヴハラスメント』

2007-05-17 | 考え事
自称『なんでも評論家兼研究家』の俺にとって今、一番興味を注いでいるのは『ハラスメント行為』についてだ。
『ハラスメント』ってもんは『嫌がらせ』と言う意味で
ジャパンでは、10年前くらいからかな?『セクハラ』なんて言葉が流行ってきて、なんでもかんでも『課長!それ、セクハラですよ!』となってしまう様になってきた。
カタカナになると日本人はここ一番でよく使えるようになってしまう。
意味がよくわかんないからよく使われる。

日本語で言うとなんていうのかな?
「課長!それって性的な嫌がらせですよ!」とはなかなか言いづらい
だから「セクハラですよ!」って言うのが流行ってね、今に至る訳なんですけど
私は嫌がっています、と言う意思表示みたいなもんです、その「ハラスメント」という言葉は

ハラスメント行為にはパワーハラスメント、モラルハラスメントと、色々名づけられ
各種、様々な嫌がらせが現代の日本には存在することになる。

嫌がらせをする場合、たいていの人間は、気に入らない人間を叩く目的で行われるのが、小学生の様に『好きな相手に嫌がらせ』をしてしまう人たちがいる事を否定出来ない。
彼らは非常にサディスティックな世界で生きていて、相手を傷付ける事(相手がいやがっているのが面白いって言うか・・・)が『愛情表現』の一つとして用いられる

そう言った『自己愛的な変質者』と言うのに、実は俺も含まれていた。
彼女が自分の行きたい幸せの方向と逆を向けば、あたかも自分が被害者の顔をして(俺はお前の為に色々してやってるのに・・・と)彼女自身に罪悪感を着させ、後には彼女の人格まで崩壊させ、自分の支配下に置こうと(俺は無意識に)する「らしい」。

モラルハラスメンターは、本当の意味で人を愛することは出来ないらしい。
↑の本に書いてあった。
俺は間違いなく、モラルハラスメンターな訳で、それを否定する事はしない
しかし、本当の意味で人を愛せない、と言われることには異を唱えずにはいられない。

本当の意味で人を愛するって言うのはどんな事なんだろう?
それがわからない(勘違いしている)俺は、やはりその本に書いてあることは正しいのか?
俺の愛が間違っているならば、人を正しく愛する。とはどの様なことなのか?

俺の愛が高まって、嫁さんに向けられると彼女はそれがとても苦痛らしい。
愛した結果。嫁さんが苦痛になるなら、確かに間違っているのかも知れない。
間違っているんだろう。

と言う事は、俺は(自分が愛だと思っている)「愛によって」嫁さんに「嫌がらせ」をしている訳になる。
これには全く悪気はなく、むしろそれに答えてくれない、彼女自身から逆にモラルハラスメントを受けている様に思えてしまう。

モラルハラスメントは確信的に嫌がらせをする事を言うとすると
この「ラヴハラスメント」は全く悪気がないのにも関わらず、相手を精神的に迫害し支配しようとしてしまう、奴らの事を言う。

「愛によって」「嫌がらせ」をしてしまうのだ。

よくよく考えてみると、愛する事によって嫌がらせをしてしまうとわかっているなら、それは間違いなく、間違った愛の形ではある(のかも知れない・・・)。

「モラルハラスメント」とはまた違った問題として捉えるべきである、この「ラヴハラスメント」と言うものは・・・。
別に憎い訳でもなんでもない、ただ愛しているだけなのだ・・・
サディスティックにしか人を愛せない、それが「ラヴハラスメンター」
「ラヴハラスメンティスト」でもいいんだけど、どっちのほうが言いやすいかな?

追伸

この様に・・・
俺は悪気はないのにただ愛しているだけなのに、わかってくれないのは君じゃないか?!
と言うのはモラルハラスメントである。